王弼   無を尋ねる   

正始名士 王弼おうひつ

 既出:苻堅1、何晏2、何晏3



正始名士、最後の一人、王弼さん。

かれについては、のちの時代の王濛おうもう

支遁しとんを讃える時に引き合いを出している。


いわく、

「その奥深き境地へのセンスは、

 決して王弼様にも後れを取るまいよ」

とのことだ。


清談の達人としての

センスがそれだけ秀でたものである、

と見做されていたのだ。



そして実際に、王弼にはこの辺りを

語るエピソードが残されている。



王弼は二十歳になったばかりの頃、

裴徽はいきのもとを訪問したことがあった。


そこで裴徽は王弼に問う。


「無は万物の淵源、と言われている。

 だが聖人は無について語らなかった。

 けれども老子ろうしは、

 無を飽くことなく語り続けた。


 これはいったい、

 どういうことなのだろうな」


王弼は答える。


「聖人は無を体現しています。

 しかし無は本来、言葉にならないもの。

 故に、聖人は語りません。


 あえてそれを語るのであれば、

 どうしても無の周囲にある

 有を語らねばなりません。


 老子にしても、荘子そうじにしても、

 それは同じこと。

 だから彼らは、自分の言葉が

 決して無には届かない、と

 語り続けるしかないのです」




王長史歎林公:「尋微之功,不減輔嗣。」

王長史は林公を歎ずるらく:「尋微の功、輔嗣に減ぜず」と。

(賞譽98)


王輔嗣弱冠詣裴徽,徽問曰:「夫無者,誠萬物之所資,聖人莫肯致言,而老子申之無已,何邪?」弼曰:「聖人體無,無又不可以訓,故言必及有;老、莊未免於有,恆訓其所不足。」

王輔嗣の弱冠にして裴徽を詣でるに、徽は問うて曰く:「夫れ無は誠に萬物に資したる所、聖人に言を致すに肯んぜる莫く、老子の申べて已める無きは、何ぞや?」と。弼は曰く:「聖人は無を體し、無は又た以て訓ずべからず。故に言は必ず有に及びたり。老、莊は未だ有にて免ぜず、恆に其の足らざる所を訓ず」と。

(文學8)



王濛、支遁

王弼の百年くらいあとの人。世説新語的に一番エピソードが厚い文人たちである。言ってみれば王弼の孫弟子の孫弟子のようなものだ。とはいえ姓こそ一緒だが、王弼と王濛は別に親族じゃない。


王弼

何晏かあんフレンズの一人という事で、のちに司馬懿しばい曹爽そうそうらを処断した時にかれも免職させられている。間もなく病にかかって死亡。ただ本人はあんまり政局に関心はなく、ただ老荘のことだを味わいたかっただけのようにも思われる。そう言うところから考えると、「聖人體無」以降のところには(早口)という注がきっとついているはずである。


裴徽

傅嘏ふか荀粲じゅんさんと並んで玄学を良くした。言ってみれば清談の先人的存在。




道徳経 道経11

 三十輻 共一轂 當其無 有車之用 

 埏埴以為器 當其無 有器之用

 鑿戶牖以為室 當其無 有室之用

 故有之以為利 無之以為用


空白や余白は、何もないがために「そこにあるもの」の働きの源となる。車輪のシャフトを徹す穴であるとか、皿や鉢のくぼみ、部屋という空間。すべて空白ありきの存在だ。これが無を以て有為をなす、の、最も卑近な例である。(蜂屋邦夫釈)


この辺の話に接続してくる印象。

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