文化人編

王羲之1 隠者と役人   

王羲之おうぎし 全14編



劉惔りゅうたんさんが丹陽尹たんよういんになった時のことだ。

隠棲文人の許詢きょじゅん建康けんこうに出てきて、

劉惔さんの家に宿泊した。


室内はぴかぴか、食事は豪勢。

はあ、こりゃすごい。

許詢は感心する。


「この生活をキープできるのなら、

 東山での隠遁生活に

 勝るとも劣りません」


すると劉惔さんが答える。


春秋しゅんじゅう左氏伝さしでんにも言うだろう?

 人の命運は、

 人の振る舞いが決める、と。

 なら、俺がこの生活を

 保てないはずもない」


凄い。劉惔さんのこの謎の自信。

まぁ実際当時の

文壇ナンバーワンだったわけですけど。


が、その茶番劇を眺めていた王羲之、

つい口をはさんでしまうのですよね。


「さて、巣父そうほ許由きょゆうが、

 しゅう文王ぶんおう武王ぶおうの先祖たる后稷こうしょくや、

 いん湯王とうおうの先祖たるせつ

 出会っていたとしたら、

 同じようなセリフを

 言っていたかな?」


そのツッコミを受けて劉惔さんと許詢、

恥ずかしそうに見合うのだった。




劉真長為丹陽尹,許玄度出都就劉宿。床帷新麗,飲食豐甘。許曰:「若保全此處,殊勝東山。」劉曰:「卿若知吉凶由人,吾安得不保此!」王逸少在坐曰:「令巢、許遇稷、契,當無此言。」二人並有愧色。


劉真長の丹陽尹為るに、許玄度は都に出で劉に宿りて就く。床帷は新麗、飲食は豐甘なり。許は曰く:「若し此の處の全きなるを保たば、殊に東山に勝らん」と。劉は曰く:「卿の若し吉凶の人に由れるを知らば,吾れ安んぞ此れを保ちたるを得んや!」と。王逸少は坐に在りて曰く:「巢、許をして稷、契に遇せしめんとせるに、當に此の言無かるべからず」と。二人は並べて愧づる色有り。


(言語69)




王羲之(「崔浩先生」より)

二十一世紀に到るまで「書聖」として書道界のレジェンドたる地位を確保しているひとである。琅邪王氏である。割と政治には興味がなく、隠遁生活を送っていたりする。この人を見ていると、つくづく文化とは余剰と保護と安穏の先に産み出される退廃の副産物であるな、と思わずにおれぬ。一方では文化とは平和の副産物であるとも言えるので、簡単には弾劾し切れぬところはあるのだが。ただし琅邪王氏の平和は間違いなく民庶の流す血涙の上にある。王羲之の筆が神がかっていることに異論を差し挟む余地はないが「ところで筆は矛より強いんですか?」とは詰問してみたくもある。


巣父、許由

世説新語さんが大好きな権力イズファックの代名詞。ここでは隠者である許詢に比定している感じだろうか。


后稷、契

どちらも古代の聖王にその働きを称賛されて列侯されたといういきさつを持つ。ということは劉惔さんに比定している感じだろう。


吉凶由人 左伝僖公十六年条

十六年,春,隕石于宋五,隕星也,六鷁退飛,過宋都,風也,周內史叔興聘于宋,宋襄公問焉,曰,是何祥也,吉凶焉在,對曰,今茲魯多大喪,明年齊有亂,君將得諸侯而不終,退而告人曰,君失問,是陰陽之事,非吉凶所生也,吉凶由人,吾不敢逆君故也。

周の內史である叔興が宋の襄公に天変による怪異のことを聞かれたので「天の動向で吉凶がどうにかなるわけねーだろあいつ頭沸いてんのか」と語った、とされるやつ。表現が結構えげつなくてしゅき。


つまり王羲之、隠者が役人を褒めやそすとか、しかもそれに対して役人が鼻高々になってんのってどうなのよ、ってツッコミを入れてることになる。いや、気持ちはわからないでもないですけど、ちょっと王羲之さんそれマジレスすぎませんかねぇ……?

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