謝玄7  奸臣袁悦の出自 

袁悅えんえつは能弁家である。

人々の長所短所を言い当て、

しかもその根拠提示も

実に精妙であった。


はじめ謝玄しゃげんの幹部として迎え入れられ、

そこで非常にもてはやされていた。


父親の死に応じていったん実家に戻り、

三年の喪が明けて都に戻ると、

やってきた袁悦の手許には、

戦国策せんごくさく」があるのみだった。


ある人に、こう語っている。


「小さな頃から論語ろんご老子ろうしを、

 あるいは荘子そうじ易経えききょうを読んできた。


 ただ、これらはどれも

 人を思い悩ませる代物でしかない。

 かの書を読むことの、

 どこにメリットがあるだろうか。


 天下を治めるのに必要なのは、

 戦国策の中にのみある」


そうしてそのまま建康城けんこうじょう

司馬道子しばどうしと会見、

そこで戦国策の良さを語る。

これに大いに喜んだ司馬道子、

袁悦を参謀に加え、その後の暴政の

枢機に関わらせた。


このため、後日処刑されている。




袁悅有口才,能短長說,亦有精理。始作謝玄參軍,頗被禮遇。後丁艱,服除還都,唯齎戰國策而已。語人曰:「少年時讀論語、老子,又看莊、易,此皆是病痛事,當何所益邪?天下要物,正有戰國策。」既下,說司馬孝文王,大見親待,幾亂機軸。俄而見誅。


袁悅は口才を有し、能く短長を說き、亦た精理有り。始め謝玄の參軍に作され、頗る禮遇を被る。後に丁艱し、服の除かるに都に還り、唯だ戰國策のみ齎して已む。人に語りて曰く:「少年の時より論語、老子を讀み、又た莊、易を看たれど、此ら皆な是れ病痛の事なれば、當に何の益せる所や? 天下の要たる物は、正に戰國策が有す」と。既にして下り、司馬孝文王に說かば、大いに親待に見え、幾たびかの亂の機軸たる。俄にして誅に見ゆ。


(讒險2)




袁悦

司馬道子-王国宝おうこくほうラインの人。この時代の「悪役の子分」みたいな立ち位置になってる。しかし孝武帝こうぶていと司馬道子って反目し合ってる場合じゃなかった気がするんだよなあ。この時代の課題って「どう陳郡謝氏ちんぐんしゃしを抑えるか」だったのは間違いないわけだし。……はっ!? まさか袁悦、身を挺して司馬氏を陥れる陳郡謝氏からのスp


寝不足ですね。おくすり出しますねー。


まーただ戦国策ってやつが、言ってみりゃ権謀術数を集めた本ですしねー。そう言う意味では、いくら穿ってもネタとしては面白いと思うのです。確か抜粋、うちにあったよなー。

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