謝安34 司馬倫の側仕え 

謝安しゃあんさまが、時の賢人らとともに

人物評論を行っていた。

この場には謝玄しゃげん謝朗しゃろうも参加していた。


謝安さま、参加者の一人、李充りじゅうに問う。


「あなたの一門である李重りじゅう様を、

 楽広がくこう様と比べたら、いかがだろう」


すると李充、はらはらと涙をこぼす。


「楽広様は、かの簒奪者、司馬倫しばりん

 簒奪を進めた人物です。

 しかるに我が宗族である李重様は、

 清廉のお方でありました。


 司馬倫の簒奪により朝政が

 大いに乱れたことを

 自らにお責めになり、

 毒を仰がれました。


 この両名を比べることなど

 到底出来たものではありません。

 これは事実に基づく評価です。

 決して身びいきではありません」


李充の話を聞き、謝安さま、

謝朗に向けてコメントした。


「識者の認識は、やはり私と

 認識を同じくしているようだ」




謝公與時賢共賞說,遏、胡兒並在坐。公問李弘度曰:「卿家平陽,何如樂令?」於是李潸然流涕曰:「趙王篡逆,樂令親授璽綬。亡伯雅正,恥處亂朝,遂至仰藥。恐難以相比!此自顯於事實,非私親之言。」謝公語胡兒曰:「有識者果不異人意。」


謝公の時賢と共に賞を說くに、遏、胡兒は並べて坐に在り。公は李弘度に問うて曰く:「卿が家の平陽は、樂令とでは何如?」と。是に於いて李は潸然と流涕して曰く:「趙王の篡逆せるに、樂令は親しく璽綬を授かる。亡き伯は雅正、朝の亂るる處を恥じ、遂には藥を仰ぐに至る。恐るるは以て比と相ずるの難しきか! 此れ自ら實の事に顯れ、私親の言に非ず」と。謝公は胡兒に語りて曰く:「識者にては果して人が意に異ならざる有り」と。


(品藻46)




李充

はじめて聞く名前だったのに、検索かけてみたら記事がものすごく分厚くて驚いた。この時期における儒家としてかなり声明を博した人のようだ。清談家、言うなれば道家仏家ばっかりが目立って、ほんに儒家見かけなかったからなあ。この人の存在はよくよく自分の中に織り込んでおきたい。だって、いくら清談が隆盛になったからと言って、儒がないがしろにされているはずもないものね。

 

司馬倫

後先考えず八王の乱の引き金を引いた人。ある程度のビジョンを描き朝政を握っていた賈南風かなんふうを、然したる政権運営ビジョンも無しに殺害、皇帝を名乗る。そしてやったことと言えば宴会である。「あっバカでも名乗ったモン勝ちじゃん」と司馬氏諸王が気付いてしまうのはやむを得ぬ事であった。さくっと司馬氏連合軍に殺され、その後連合軍は内輪もめを繰り返す。その経緯を通じ、様々な軍資が匈奴漢慕容鮮卑拓跋鮮卑に流入するわけである。


李重・楽広

そんな司馬倫様の側に仕えた、と言う感じになります。楽広って清談の達人ってことでもあるし、結構な佞臣ポジションに見えるけど、他のエピソードではどんな扱いなんだろう。ここでも一応悪くは言われてるけど、「一般的にはそれでも高い評価を受けてる人」扱いではあるっぽいしなー。

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