謝安26 王劉と謝安2  

謝安しゃあんさま、劉惔りゅうたん王濛おうもうの両名について

以下のように語っている。


「劉惔様の論は、微細なるものを

 瞭然と我らが眼前に描き出される」


「王濛様の口数は決して多くない。

 しかし発されるお言葉そのものは、

 実に秀麗なものである」



では、両名を比較するとどうなるのだろう。


この辺りは、王濛の孫である王恭おうきょう

ちょくちょくやり取りしていた。



例えば言う。


「きみの祖父御と劉惔様は、

 まさに並び称されるべき

 人だったというのにね」


文壇サロンでは並び称される両名も、

一般評では劉惔が一歩リード、

と見做されていたようである。


これに対して、王恭が答える。


「劉惔様に及ばなかったのでは

 ありませんよ。

 そもそも比較されようと

 なさらなかったのです」



それもそうか、

そしてふと謝安さまは思い出す。


「劉惔様はよくよくご自身のことを

 ご存じであったが、それでもなお

 そなたの祖父御に勝るとは

 仰っておられなかったな」


王恭、胸を張って答える。


「はい、しかし祖父は祖父で

 こう申しておりました。


 劉惔様の祖父についてのご理解は、

 ご自身の理解より

 はるかに勝っている、と。


 思うに、ご両名は

 ただただお互いを

 尊崇し合っておられたのでしょう」 




謝公云:「劉尹語審細。」

謝公は云えらく:「劉尹が語は細きを審らかとす」と。

(賞譽116)


謝公云:「長史語甚不多,可謂有令音。」

謝公は云えらく:「長史が語は甚だ多からざりしも、令なる音を有すと謂うべし」と。

(賞譽133)


謝公語孝伯:「君祖比劉尹,故為得逮。」孝伯云:「劉尹非不能逮,直不逮。」

謝公は孝伯に語るらく:「君が祖を劉尹と比せるに、故より逮びたるを得ると為らん」と。孝伯は云えらく:「劉尹に逮ぶ能わざるに非ず、直だただ逮ばず」と。

(品藻78)


謝太傅謂王孝伯:「劉尹亦奇自知,然不言勝長史。」

謝太傅は王孝伯に謂えらく:「劉尹は亦た自ら知れること奇なれど、然して長史に勝せるとは言わず」と。

(品藻73)


王長史云:「劉尹知我,勝我自知。」

王長史は云えらく:「劉尹の我を知れるは、我が自れを知れるに勝る」と。

(賞譽109)




前話は謝安と二人との交流。そしてこちらは謝安目線での二名。まぁ、信じらんないほどのべた褒めでございますわね。けど世説新語読むまで俺この二人のことまったく知らなかったんですよね。「陰の実力者」みたいでいい、よねっ!

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