東晋の元勲 王導

王導1  清廉のひと   

文献公 王導おうどう 全52編

既出:荀彧、司馬懿4、武帝20、元帝2

   元帝3、元帝△1、元帝△2

   元帝4、元帝9、明帝3、明帝7

   明帝10、簡文3



周鎮しゅうちんと言う人が臨川りんせん郡太守の任期を満了、

ひとたび建康けんこうの都に戻ることになった。


船による帰途である。

建康近くの青溪渚せいけいしょにて、

船上泊することになった。


王導おうどうさま、周鎮が近くまで

来たという事で訪問する。


おりしも夏の日、

突然の夕立に降り込められる。

慌てて王導さまも、

船に入れさせてもらった。


ところがこの船、えらく小さい。

しかもいたるところから漏水しており、

ろくろく座れる場所もない。


何と言う事だ、太守ともあろうものが、

こうも質素な船で

ここまで旅してきたというのか。


王導さま、感嘆して言う。


魏晋ぎしんに清廉で知られた胡威こいとて、

 これほどではなかっただろう!」


王導さま、周鎮をすぐさま今度は

呉興ごこう郡の太守に任命するのだった。




周鎮罷臨川郡還都,未及上住,泊青溪渚。王丞相往看之。時夏月,暴雨卒至,舫至狹小,而又大漏,殆無復坐處。王曰:「胡威之清,何以過此!」即啟用爲吳興郡。


周鎮は臨川郡を罷り、都に還る。未だ上る及ばざるに、住きて青溪渚に泊る。王丞相は往きて之を看る。時に夏月、暴雨が卒として至る。舫は至りて狹小にして、又た大いに漏る。坐せる處、復た殆ぼ無し。王は曰く「胡威の清も、何をか以て此れに過ぎんか」と。即ち啟し吳興郡に用うるを為す。


(德行27)




周鎮

めっちゃ清廉な人でした、位しか話がない。ちなみに臨川と建康、呉興と建康とだと、距離が五分の一くらいになってる。つまり、めっちゃ栄転である。


胡威

魏~西晋の時代のめっちゃ清廉な人。けどパパの胡質こしつは更にすごかったという。この点を司馬炎しばえんに問われての回答は、こうである。「父は清廉なるを知られたがらず、わたくしは清廉なるを他者に気付かれぬのを恐れます。もとより勝ち目などございません」。

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