明帝5  明帝問えらく1 

明帝めいていが、周顗しゅうぎに聞く。


「人々は、卿と郗鑒ちかんを比較しているようだ。

 卿としては、どう思う?」


すると周顗、こう答えた。


「陛下、そこでこの顗を

 引き合いにお出しくださいますな」



あーわかったわかった、ではこう聞こう。

明帝さま、質問のしかたを変える。


「ならば、卿と郗鑒とでは、

 どのような違いがあるだろうか」


その質問ならば、と周顗。回答する。


「臣に比べ、多くの努力を積んで

 来られたお方のように思います」


ほうほう。

では、同じことを郗鑒にも聞いてみよう。


郗鑒が答える。


「臣に比べ、良い家柄でございます」





明帝問周侯:「論者以卿比郗鑒云何?」周曰:「陛下不須牽顗比。」

明帝は周侯に問えらく:「論者は卿を以て郗鑒と比せるに云何」と。周は曰く「陛下は須く顗を牽きて比ぶべからず」と。

(品藻19)


明帝問周伯仁:「卿自謂何如郗鑒?」周曰:「鑒方臣如有功夫。」復問郗。郗曰:「周顗比臣有國士門風。」

明帝は周伯仁に問うらく「卿は自ら謂うに郗鑒とでは何如」と。周は曰く「鑒は臣に方べ功夫を有せるが如し」と。復た郗に問う。郗は曰く「周顗は臣に比し國士の門風有り」と。

(品藻14)




郗鍳(「崔浩先生」より)

東晋北方守護を語るにあたり、大きな存在感を示す。建康の東に位置する軍事拠点「京口」を開府した武将である。この軍府を拠点とした軍閥は、後に北府軍と呼ばれることとなる。即ち系列としては劉裕の遠い先輩と言うことになる。もと司馬倫配下であったが病を理由に離脱(素晴らしい判断である)、八王永嘉の難を避けて東晋入り。対峙した相手が石勒、王敦、蘇峻、即ち当時に於ける最悪の敵ばかりであり、この全てを乗り越えた手腕は、やはり特筆されるべきであろう。


なお明帝が即位してる頃、既に周顗は王敦に殺されている。つまり周顗が明帝を「陛下」と呼んだことはないはずなんだが(皇太子なら「殿下」)、まーもうどうでもいいや。

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