明帝2  その孝なるを問う

王敦おうとんの乱の、少し前。


東晋朝を立てることに多大な功績のあった

王敦、どんどん権勢が大きくなる。

これに、明帝めいていを始めとした人々が

警戒マックス。


特に王敦と明帝は、対立状態にまで至った。

王敦としても、明帝が目障りで仕方ない。

当時皇太子であったかれの廃立を狙う。


王敦は荊州けいしゅうから長江ちょうこうを下り、石頭せきとう入りする。

そして衆人の居並ぶ中、演説の場を設ける。


さて、明帝はとにかく聡明である。

こう言うひとを理屈で切り崩すのは難しい。

そこで王敦が取ったのは、明帝の

「不孝」に付け入る、と言う手段だった。


様々な不孝の行いを上げつらうごとに、

王敦は言う。


「いいか、これはわしの言ではない。

 温嶠おんきょうから聞いたことなのだ。

 温嶠は元々、太子の教育係だったが、

 その後、わしの副官となった。

 太子の行状については、最も詳しかろう」


その後満を持して登壇する温嶠さん。

王敦さん、インタビューする。


「さあ温嶠、皇太子はどんな人柄だね?」

「あ、ちょっと私にはよくわかんないです」

「ファッ!!!?」


温嶠のキメる、凄まじいちゃぶ台返し。


ここで計画を頓挫させるわけにもいかない。

王敦さん、圧を強めて、更に温嶠に迫る。


「なんでこの期に及んで皇太子擁護やねん!

 それとも何か、あれになにか

 いい所でもあんのか!」


「いやいや、王将軍もご存じでしょう。

 皇太子のご聡明ぶりと来たら、

 それこそ易経えききょう繋辞けいじ上伝じょうでんに載ってる

 鉤深致遠こうしんちえん、ってレベルですよ。

 あの方のおぼしめしの深さなど、

 私なんぞでは測りようがないです。


 ただ、ここは確実に言えます。

 皇太子、ご両親に対しては

 礼をもって接しておられます。


 将軍は不孝不孝とおっしゃいますが、

 親に対する礼を欠かさないのであれば、

 十分に孝に値するのでは?」




王敦既下住船石頭、欲有廢明帝意。賓客盈坐、敦知帝聰明、欲以不孝廢之、每言帝不孝之狀而皆云「溫太真所說。溫嘗為東宮率後為吾司馬、甚悉之。」須臾溫來、敦便奮其威容問溫曰「皇太子作人、何似?」溫曰「小人無以測君子。」敦聲色並厲、欲以威力使從己。乃重問溫「太子何以稱佳?」溫曰「鉤深致遠、蓋非淺識所測。然以禮侍親可稱為孝。」


王敦は既に下り、船にて石頭に住き、明帝を廢せるを欲するの意有り。賓客は坐に盈つ。敦は帝の聰明なるを知り、不孝を以て之を廢せんと欲し、帝の不孝の狀を言う每に、皆に云えらく「溫太真が說ける所なり。溫は嘗て東宮率と為り、後には吾が司馬と為る。甚だ之を悉くす」と。須臾にして溫の來たるに、敦は便ち其の威容を奮いて溫に問うて曰く「皇太子は何ぞの人を作せるに似たるや?」と。溫は曰く「小人にては以て君子を測れる無し」と。敦は聲色を並べて厲しくし、威力を以て己に從わしめんと欲し、乃ち重ねて溫に問うらく「太子の何をか以て佳と稱せるか?」と。溫は曰く「“鉤の深きこと遠きに致れり”なれば、蓋し淺識にては測れる所非ざれど、然して禮を以て親に侍せるは孝と為ると稱せるべし」と。


(方正32)




明帝、頭のいいやんちゃ坊主、と言う感じだったんだろうね。このエピソードでも温嶠、「王敦が不孝としてあげつらってること」そのものは一切否定してないものね。

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