司馬昭4 ある楽理の死
刑場に臨む嵇康のもとに、
兄貴が琴を持ってきてくれた。
琴を受け取ると嵇康、
「
そして嵇康、これ見よがしにつぶやく。
「そう言えばこの曲、
勿体ないから教えなかったけど。
あぁ、広陵散も、ここで失われるのか」
(チラッチラッ)
広陵散、すっげえいい曲だったみたいだ。
太学生三千人が
嵇康を講師に迎えたいって請願してきた。
勿論そんなことが許されるはずもない。
却下され、嵇康は処刑された。
そう、広陵散一曲だけの話ではない。
嵇康は多くの音楽理論を修めていた。
そして今、嵇康と共に滅んだ。
この事を司馬昭、甚だ悔いたとか。
嵇中散臨刑東市、神氣不變。索琴彈之、奏廣陵散。曲終、曰:「袁孝尼嘗請學此散、吾靳固不與、廣陵散於今絕矣!」太學生三千人上書、請以為師、不許。文王亦尋悔焉。
嵇中散の東市にて刑に臨むに、神氣は變ぜず。琴を索めて之を彈き、廣陵散を奏ず。曲が終わらば、曰く:「袁孝尼の嘗て此が散を學ばんと請うに、吾は靳固して與えず。廣陵散は今、絕えなん!」と。太學生三千人は上書し、以て師と為さんと請えど、許さず。文王は亦た尋いで悔ゆ。
(雅量2)
お前らのつまんねえ判断のせいで一つの芸術が消えるんだバーカ、と言う感じで、嵇康が剛直な人として書かれている。この辺りは嵇康が残した詩である「幽憤詩」と組み合わせて読むと非常に厚みが出る感じですね。
漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ
幽憤詩 嵆康 訳注篇http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/66403669.html
に、詩の全文、及び訳が載っています。ここにいる強い嵇康の姿は鳴りをひそめるんですが、まぁ内心で何を思おうとも強く振る舞うこともできるし、敢えて世説新語の語る嵇康像と幽憤詩にて語られる心情が矛盾せず共存していた、と考えておきたいところです。
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