孫皓4  詩人孫皓さま  

しんに滅ぼされたが、

孫皓そんこうは賓客として洛陽らくように招かれていた。

ある宴会の場で武帝ぶてい、孫皓に聞く。


「南国の詩風は、こちらに較べると

 あけっぴろげだそうだね。

 なんでも君、お前、と

 相手に向けて呼びかける

 詩があるそうじゃないか。

 いきなり作ってみてくれ、といったら、

 さすがに無茶振りすぎるかな?」


この時孫皓は酒を飲んでいた。

なので武帝に酒を進めつつ、

見事に読み上げる。


「前はお前の隣人だったが、

 今はお前の臣下となった。

 ひとつ、お前に酒をすすめよう。

 お前の国に、万年の栄えあらんことを」


いや確かに詠んでみろって言ったけどさ。

公衆の面前で、仮にも皇帝を

「お前」呼ばわりかよ。


けど言い出しっぺは武帝だ。

咎め立てるのは筋が通らない。


軽々しい挑発をしたことを、

武帝は悔いるのだった。




晉武帝問孫皓:「聞南人好作爾汝歌、頗能為不?」皓正飲酒、因舉觴勸帝而言曰:「昔與汝為鄰、今與汝為臣。上汝一桮酒、令汝壽萬春。」帝悔之。


晉の武帝は孫皓に問うらく:「南の人は爾汝歌を作るを好むと聞く。頗るに為すは能わざるか?」と。皓は正に酒を飲み、因りて觴を舉げて帝に勸めて言いて曰く:「昔は汝を鄰と為し、今は汝の臣と為る。汝に一桮の酒を上ぐ、汝に萬春の壽なさしめん」と。帝は之を悔う。


(排調5)




晋武帝 司馬炎しばえん

司馬昭しばしょうの息子。なんかもうどう考えてもパパの敷いたレールに乗って登極街道まっしぐらと言う感じである。司馬昭が死んで跡を継いだ直後に曹奐そうかんより禅譲を受け、皇帝に(なおこの後の曹氏は陳留ちんりゅう王として劉宋りゅうそう南斉なんせいの時代まで家督が続いている)。280年にを滅ぼして天下統一を為した訳だが、その後は奢侈に溺れた、という。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る