第55話 自由15

「ああ、良いぞ! 堪らないな! これだ。俺が求めていたものはこれだ! この表情を、その無垢な心を黒く染められると思うと、今から楽しみで仕方が無いな!」


リリィはヘンリー王子の言葉に怯えて震えている。

それを止められない自分が情けない。自分自身に怒りが沸いた。


「それとな。小娘! オークションで待っているからな。逃げたら地の果てまで探して捕らえる。そして、お前の目の前でこの下民を嬲りながら殺してやるからな」


「…………はい」


「では、さらばだ。四週間後のオークションでまた会おう」


ヘンリー王子は来た時と同じように唐突に去っていく。連れのトロールを連れて。

あいつは一体何がしたかったんだ。ただ、リリィを見たいから来たのか。

それにしては余りにも横暴すぎる。

そしてあの口上。

リリィをおもちゃか何かにしか思ってないような言動。

何もかもが許せなかった。


「お兄ちゃん! 大丈夫!?」


リリィが心配して振り返る。

体にはいくつもの赤い線が走り、そこに蚯蚓腫れが出来ている。

見るも無残な格好だ。


「酷い……」


「……大丈夫さ。ポーションを飲んで一日寝れば治るから」


腰のホルスターからポーションを取り出して飲む。

瞬間的には回復しないが、ポーションには人の治癒能力を高める効果がある。

数時間も経てば、傷も治るだろう。


「それにしても、やられましたね。うちの使用人も右足の骨折に体に鞭を打たれた後もありました」


「私も危なかったですね。リリィが庇ってくれなかったら、そのまま死んでいたかもしれません。ははっ護衛対象に守ってもらうなんて護衛失格ですね」


「そんな事ない! お兄ちゃんはリリィを守ろうとしてくれたもん」


「そうですね。アランさんの行動は無謀でしたけど、人としては称賛されるべき行動です。まぁ、相手が王族ということで悪かったということもありますが」


キースさんはふむと唸ってから決定を下す。


「これから、もしかしたら毎日のようにヘンリー王子が現れるかもしれません。そこで、リリィの為にも一旦、奴隷用の檻に入って貰いましょう。その方がヘンリー王子も手を出せないでしょうし、なにより、リリィが安全ですからね」


「確かにそうですね。嫌がらせのように毎日来る可能性は高いかもしれませんね」


「では、早速、今日からそうしましょう。リリィには窮屈な思いをさせてしまいますが、分かってください」


「分かった」


リリィは涙を堪えて頷いた。その手も足も震えている。


「では、私がその檻の前で護衛しましょう。と言っても何かできるわけではありませんが」


「お兄ちゃん! また、あんなことされるかも!」


「そうですね。また、ヘンリー王子が来たら同じ目に合うかもしれません。それでも、護衛をするというのですか?」


「ええ、そうした方がリリィも話し相手が出来て良いだろ?」


「でも……」


「分かりました。お金は出せませんが、宜しくお願いします」


「はい、こちらこそ宜しくお願いします」


荒れた客間を片付けてその日は食事を取ってから寝る事にする。

当然、奴隷用の檻の中にリリィが居て、その外に胡坐をかきながら外套で身体を丸めて見張りをする。


「お兄ちゃん。起きてる?」


「起きてるよ」


リリィの返事に答えるとベッドからリリィが起きてきて、檻の外まで近づいてくる。


「お兄ちゃんは、リリィの護衛を辞めたいって思わないの?」


「思わないよ」


「それはなんで?」


「リリィと私は境遇が似ているんだ。同じ記憶喪失。立場は違うけど、本当の家族のように思えたからかな。だから、何としてでも守りたいってそう思ったんだ」


「…………」


リリィは私の言葉に沈黙する。辺りがしんと静まり返る。

それから少し経ってからリリィが言葉を紡ぐ。


「お兄ちゃんは優しいね」


「そうかな?」


「うん。でもね、お兄ちゃん。リリィはあの王子様にお兄ちゃんがいじめられる姿が見たくないよ!」


「お兄ちゃんが傷つくのを見ると、胸が痛いの! とってもとっても痛くなるの! ねぇ、もうあんな危ない事しないでよ!」


「リリィ……」


それは秘めていた少女の心の叫びだった。


「リリィは奴隷なんだよ? しかも、あの王子様が目を付けてる奴隷。いっぱい嫌な事されるだろうけど、お兄ちゃんは冒険者。ねぇ、お兄ちゃん冒険者は自由なんでしょ。だったら、もう辞めてよ! こんな危ないことしないでよ! もう、リリィは独りで良いから! 奴隷のリリィの事なんて忘れてどっかに行ってよ! もう来ないで!」


「…………」


「……お願いだから。……もう来ないで。お兄ちゃんを見てるだけで胸が張り裂けそうなの。後、一ヶ月でお別れだって思ったら怖いの!」


「…………」


「こんな辛い思いするんだったら、お兄ちゃんに出会わなければ良かった! そうすれば、こんなに胸が痛い事も無くて済んだのに……」


「お願い……もう、来ないで」


リリィの蒼い瞳から大粒の涙が零れ落ちる。月の光に照らされたその雫はとても綺麗で幻想的だ。

だが、その少女は悲しみに暮れている。

少女の願いを聴くだけで自分の胸が張り裂けそうになった。

――自分のせいでこんな思いをさせてしまっている。

――自分のせいで、リリィを苦しめている。


「わかったよ。リリィ」


立ち上がり、リリィを背に檻から離れる。

これ以上、あの子の側にいたら私も、リリィも悲しい思いをすることになってしまう。


「――さようなら。リリィ」


「――さようなら。お兄ちゃん」


この日を境に私達は袂を分かつ。


 キースさんの私室に使用人の人に案内してもらうと、部屋から明かりが漏れていた。

使用人の人にお礼を言って、扉を開ける。


「夜分遅くに失礼します。キースさん」


「おお、アランさん。どうしたんですか?」


アランさんの私室は他の客間に比べると質素で、彼らしい様が見える。


「リリィの護衛をすると言ったのですが、撤回しようと思いまして」


「なにかあったのですかな?」


「いや、何かあったわけではありません。ただ、冒険者ギルドに行って路銀を貯めようかと思いましてね」


「ほう、そうですか。お金なら心配ないくらいあると思ってましたが」


「はは、ちょっと大きな買い物をする予定なんですよ」


「そうでしたか。それはとても大きな買い物なんでしょうね。護衛に関してですが正式に依頼した物でもないですし、問題ないですよ」


「ありがとうございます。では、私はこれで失礼しようと思います。今までありがとうございました」


「こんな遅くに宿を探すのですか? 一日くらい泊まっていっても構いませんよ?」


「いえ、ここにいると自分の決意が鈍りそうでして……」


「そうですか。わかりました。アランさんには三ヶ月半と少しですが、かなりお世話になりましたからね。また、お困りの際は必ず力になりますので、気軽に来てください」


「はい。では、さようなら。キースさん」


「さようならアランさん」


踵を返してキースさんの私室を退出する。


彼は本当は全て分かっていたのかもしれないな。

会話をしていてそんな雰囲気を感じた。

思えば、キースさんにもリリィにもお世話になった。

長旅だったけど、楽しかったな。


また、一緒に旅が出来れば良いのに。

そんな身勝手な事をふと思った。

でも、その考えを頭を振って消す。


冒険者は自由なんだ。

出るときも来るときも自由。

その生き様はあるがままに自分の思い通りに。

――さようなら、リリィ。

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