第2話 目覚め1
目が覚めると、白く輝く星空と黄金に輝く満月が見えた。
しばし見惚れた後、パチパチと何かが燃える音と水の流れる音が聴こえる。音の先に目を向けると、白く伸びる煙と薪の元に座り込んでいる人が見えた。外套を着ているその人は鍋をかき混ぜている。
誰だろうか。
体系は服の上からもがっしりとしたことがわかるほど筋肉質で後ろから見える背中も大きい。多分、男の人だろう。
身体を起こそうとするが、怠くて動くことが出来ない。
「——……」
声を出そうとしたのだが、呻くようにしか喋ることができない。まるで、喋り方を忘れてしまったかのようだ。
私はそのまま寝ころんだまま彼の姿を見続ける事にした。辺りに目を向けると薄暗い木々と川が見える。
私はどうしてここにいるのだろうか。キャンプでもしに来たわけでもあるまいし。私には家で妻が待っているのだ。
妻?
そう、妻だ。私には妻がいる。小さい頃からずっと一緒だった彼女と去年に同棲して、結婚までした。
だが、名前が出てこない。大切な人なのに頭に靄がかかったかのような言いようもない気持ち悪さがする。
そういえば、自分の名前は——。
「ッ——」
頭を鈍器で殴られたかのような痛みが走った。余りの痛みに呻き声が出た。思わず頭を両手で抱える。
「ん? お、おい! どうした。頭が痛むのか!?」
外套を着た男が私の呻き声に気づいて近づいてくるが、私は何もできずにその場で頭を抱えることしかできなかった。そして、私の意識は途絶えた。
再び目が覚めると、澄み切った青空が目に入ってきた。鳥の囀りと川の流れる音が聴こえる。どうやら夜は明けたようだ。今が何時なのかわからないので、朝なのか昼なのかは不明だが。
目を向けると外套を着た男が同じ場所で鍋をかき混ぜている。いい匂いだ。スパイスの利いた食欲のそそる匂いだ。そういえば、腹が空いた。腹の虫が思わず鳴る。
その音に気付いたのか外套を着た男がこちらを振り向く。
「おぉっ! 目が覚めたようだな。昨日は頭を抱えてたみたいだが、今は大丈夫なのか? もう平気か?」
「……ァ、ア……アァ」
「そうか。そりゃあよかった。腹は空いているか?」
声はまだ呻き声のようなものしか出ないが私はその言葉に頷く。男は快活そうに笑いながら自分の髭をつまみながらそう言った。
男は鍋から木の器にスパイスの利いた中身をよそると、立ち上がり私の元に近づいてくる。
「ほら、熱いから気を付けて食え」
「……ァ、りが……とう」
「気にするな。まずは食べて体を温めろ」
男から木の器とスプーンを渡してもらう。中身は茶色のスープになっており、なにかの肉が入っている。とろりとしていてまるでカレーみたいだな、と思った。一口、スプーンで掬って口に含むと、スパイスのピリッとした辛みが口に広がる。やはり、カレーだ。
「どうだ。うまいか?」
私はその言葉に頷き、夢中になってカレーらしきものを口に含む。
「おいおい。そんなに焦って食うなよ。まだ鍋の中身は大量にあるから安心しろ」
私は直ぐに、器の中身を食べ終えておかわりを要求した。
「んで、一体あんたは何者なんだ?」
食事中に外套を着た男が訪ねてきた。何とはなんだろうか?私の年齢、名前、住所? 思い出そうとするが、また鈍痛が走り、頭を抱えて呻いた。
「お、おい。痛いのか? 大丈夫か?」
どうしてなのだろうか。私はいったいどうしたのだろうか。自分の年齢も名前も何も思い出せない。ただ、妻の顔だけははっきりと思い出せる。妻に会いたい。
「ワ……カラ、ない」
情けなくて涙が出てくる。なにも思い出せない自分にどうしようもなく苛立つ。
「……そうか。今は何も考えるな。まずはゆっくりと体を休めろ」
「……ァ、つい。アツ、イ」
「そうか」
流れる涙を拭きもせずに、夢中になって私は腹の虫が収まるまで茶色のスープを食べた。
落ち着いた後、改めて外套の男は訪ねてきた。
「なにか覚えていることはあるか?」
「……妻」
「妻? 奥さんってことか?」
「……あぁ、あの、あ……なたは?」
「ん? ああ、忘れてたな。俺はアレン。冒険者だ」
外套を着た男——アレンは、私に色々と教えてくれた。
まず、冒険者とは、時には未知なるものや古代文明を発掘、探検したり魔物を討伐したりする職業の事らしい。魔物とは、今から何百年も前に現れたものらしく人を襲ったり、攫ったりするモノらしい。
その冒険者のアレンは新たに発見された洞窟を冒険者ギルドから探索依頼を出されて、それを承諾したそうだ。そして、洞窟の探索中に怪しげなドアを発見し、その中で私を発見して保護したらしい。
「ああ、勝手に開くドアが開いたら、円柱のガラスの中にあんたが入ってたんだ。だから、ガラスを割って、あんたを背負って町まで帰ろうとしていたってとこだ」
「まったく大変だったんだぜ? まぁこの辺は魔物も弱いのがほとんどだから安全だけどな」
「そう……なんですか」
「それにしても話が通じて良かったよ。俺の分からない言葉だったらどうしようもなかったからな」
「そうです……ね」
「ちなみに、その珍しい恰好にも覚えはないのか?」
「……はい?」
これはスーツだろう。黒くパリッとした服に靴は革靴。どこからどう見ても会社員だ。いや、スーツ? 革靴? 会社員? 一体何のことだったか・・・
「お、おい! 悪かった。いいから考えるな!」
「……ごめん、なさい」
また、鈍痛が襲い掛かってくる。
「いや、いい。多分、記憶喪失なんだろう。段々と思い出せばいい。今は何も考えるな」
「……はい」
記憶喪失? その言葉を聴いてふと納得した。私は今、記憶喪失なんだろう。覚えていることは妻の事だけ。それも名前まで忘れてしまっている。自分にはなにもない。そのことを自覚するとどうしようもない虚しさが襲ってくる。胸が苦しい。
「そういえば、あんた名前はわかるのか?」
「いえ……」
「じゃあ、俺が名前をつけてやるよ」
「名前を……?」
「おうよ。名前がないと俺も呼びづらいからな。んー、そうだな今日からあんたの名前はアランだ」
「アラン」
「アレンから一文字変えてアランだ。……単純だったか?」
「いえ……アラン。良いと思います」
その後、今日一日は安静にして、明日から町を目指して移動を開始することを決めた。
夜、私は寝付けなく。アレンが薪をくべている背中を見ながらこれからの事を考えた。
自分について名前すらもわからないこと。
妻の事だけは覚えていること。
そして、この世界で生きていかなくてはいけないこと。
思い出さなくてはいかないことは多々あった。でも、目的ははっきりしている。
先ずは町を目指しこの世界について調べる。そして、妻を探すのだ。
私は、寝床から起き出してアレンの元に向かった。
「どうした。アラン」
私に気付いたアレンがそう尋ねる。
「いえ、言い忘れてたことがあって……」
「なんだ?」
「……はじめまして。アレン」
「ああ、はじめまして。アラン」
そう言って満面の笑みを浮かべたアレンは手を差し伸べた。その手はとても硬く、大きな手だった。自分の手とは比べ物にならない程がっしりとしていて安心感があった。
私はアラン。記憶喪失のアランだ。
——さようなら、私。そして、はじめまして、アラン―—。
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