第9話 響く、遠く
夏の真昼の太陽は、想像以上に暑くて、それに照らされているものはことごとく輝いているように見えた。
まだ本番前のステージ。沢山の人。そこに映えている植物でさえも。
一年前に見えていた景色はそこになく、私は迷子のようにあたりを見回した。
「
聞き間違えるはずのない
確かに聞こえたその声を頼りに、私はその声の方を向いた。
「やっぱり、もう来てたんだ」
顔を見合わせた亮吾さんは、いつものようにまっすぐ立っていて、その綺麗さが現実感をもって私の視界を占領する。しまった。こんなに早くに出くわすと思ってなかったから、心の準備を仕損ねた。
「倖美ちゃん?」
私のすぐ隣に来た亮吾さんが、止まっていた私を見かねて、目線を私に合わせる。夏休みに入っても毎日顔を合わせていたけれど、やっぱりこの距離は慣れないかな。
「りょ、亮吾さんこそ。まだライブ始まるまで時間ありますよ」
「うん。知ってる。早く来れば早く倖美ちゃんに会えるかなって思ってね」
会えてよかった。
……
なんて言うか。いつもは
夏の暑さも何のその。さわやかな笑顔でそう言い切った亮吾さんが、私の手を取って人混みから離れた。
「暑いね」
涼しげな声を出して、亮吾さんは太陽を見上げてる。
「そうですね」
頷きつつも、あからさまに日陰の方に誘導されている身としては、物理的にも精神的にも随分と楽をさせてもらっている。
暑いのは暑いから、日陰にいてもじわりと汗が頬を伝うが。日なたよりの部分を歩いている亮吾さんに比べれば、何倍もマシだろう。
「今日は浴衣じゃないんだね」
「桜海さん達のライブですから」
私服でいいって言われているし、ボーカルで歌うとは言え、桜海さん達のステージだし、あんまり目立ちたくない。
「気にしなくていいのに」
「そう言うわけにはいかないです」
周りがよくても、自分自身を許すことができない。したくない。頭のなかでそんな言葉を組み立てていると、亮吾さんの手が伸びてきた。そして、柔らかく頭の上に置かれる。
「ゆ、」
「おーい! 亮吾!」
私の頭の上に乗っていた、手の温もりが消える。声のした方を向くと、何人かの男の人がこちらを向いて、笑顔で手を振ってるのが見えた。
亮吾さんの知り合い?
名前を呼ばれた亮吾さんの方は、苦々しい顔をしてその人たちを見ている。
「行こっか」
「えっ! あの人達はいいんですか?」
「うん、まぁ……」
珍しくはっきりしない調子だけど、本当にいいんだろうか。困った表情になってしまった亮吾さんと見合わせていると、向こうの方が近寄ってくるのが先だった。
「んだよ、反応わりーなぁ。……って! その子誰? 彼女?」
「なーんだ、一人じゃなかったのかよ」
明るい、ついでに言うと活発そうな人達は私達の前に立つと、次々に亮吾さんに話しかける。
「お前らこそ、なんで来てんの?」
とりあえず、と言ったように言葉を返した亮吾さんは、私とその人たちとの間に入り、壁みたいに立ちはだかった。これは下手に口出しとかしない方が良さそうかな。
最初は乗り気じゃなさそうだった亮吾さんが、徐々にいつも通りの口調になっていく。ぼんやりと背中越しに、やり取りを眺めていたときだった。
「倖美」
するはずのない声がした。驚いてその人の方を向こうとすると、両腕を捕まれた。大きい手が腕に食い込んでいく。
「ちょっといいよな」
続けてもう一人。耳元で囁くように、別の彼の声がした。
なんで、二人がここに……
こんな形で再会することを思っていなくて、考えていた筈の事が頭がら抜けてしまう。何もできない。両腕を強い力で引っ張られ、亮吾さんとの距離が離れてゆく。
せめて、亮吾さんに一言……
視界の奥の亮吾さんがどんどん小さくなっていく。そして、人混みが私を包んだ。
亮吾さんと離れるに従って、現実感が薄れていく。彼らと一緒ならなおさら。
「よし、このあたりでいいかな」
気がついたら人混みを抜けて閑散とした、児童公園に着いた。商店街を抜けた先にある公園だから普段だったら人が居そうだけど、祭りと言う事もあってなのか、怖いくらい静かだ。緑の生い茂る公園は夏なのに涼しいを通り越して、いっそのこと寒い。
公園中央の砂場のあたりまで来ると、ようやく両腕が開放されて私は振り返り、彼らの方を見てしまう。
虚ろな瞳がそこにあった。
「久しぶりだね、俺達と会うの」
「去年の夏以来かな」
「うん……」
「今日は歌うの?」
「そうだけど?」
「「……」」
言葉を交わしていても、今の二人の気持ちが見えない。それは、彼らの纏う雰囲気に昔の面影がないから?
「……まだ音楽なんか続けてんだね」
「いい加減やめたら?」
暗い感情を押し付けるように、薄く不気味に周囲に木霊した声に私はたじろぐ。亮吾さんにいろいろ話をして整理できたつもりでいた。けれど、いざ本人たちと会うと、揺らいでいる自分がいる。一年前音楽に扉を閉ざした自分の影が大きくなる。
でも、それを恐れはしない。あの日あの時の私の声は、誰かに届いていたと知ったから。自分のしていることは無駄なんかじゃない。だからやめる必要も、意味も、私の中にない。
「絶対にやめたりしないよ。私は」
落ち着いた声が出たことに自分が一番驚いたけど、彼らの方は苛立ったみたいで、小さく舌打ちをしてきた。
「ウゼェんだけど」
「俺らが折角助言してやってんのに、その態度何様?」
「お前の歌なんか誰も聞きたくないんだよ」
「早くやめちまえ」
暗い瞳の二人が私に近寄り、その手が伸びてくる。あとほんの数センチで触れられる。そんな距離。
「倖美!」
勢いのある声がした。
静寂を破って公園に入ってきた声は、私を何度も導いてくれた光だ。彼らが振り返り、私にもその姿がはっきりと見える。躊躇うことなくこちらへ来る亮吾さんがそこにいた。
「倖美!」
さっきより強く私の名前を呼んだ亮吾さんが、二人のが私へ伸ばした手を振り払い、私を優しく抱きしめた。
「……どちら様?」
「倖美の知り合いだけど」
「俺達この子に用あるんで、ちょっとここから消えてもらえませんか?」
「悪いけど、人が一緒にいたのに、勝手に連れ去った君たちを信用するほど俺はお人好しじゃないよ」
あからさまに見下した声を出す彼らに対して、丁寧に応じる亮吾さん。でも、その声は尖っていて冷たくて、こんな亮吾さん知らない。
同時に、抱きしめられている腕からぬくもりが伝わってくる。
「何された」
「別に大したことはないですよ」
とても心配そうな声色で亮吾さんがこちらに尋ねてくる。大した事じゃないし、心配することないのに。亮吾さんが一瞬寂しそうに笑った後、腕を解いて私の手を繋いだ。
「……じゃあ、帰ろう。おばさんたちが心配していた」
そのまま二人の間を通り、公園の出口まで歩く。
「まだ話は終わってねぇんだよ!」
「さっきも言った通り、勝手に倖美を連れ去ったこと俺は許さないよ。お前らが何言いたいのか知らないけど、後にして」
彼らの方を振り返った亮吾さんがよく通る声でそれだけ言うと、私を連れて公園を出た。彼らは追ってはこなかった。
屋台が出ている通りまで戻るまで何も言わず、聞かずただ前に歩く。賑わいが大きくなって、世界が変わる。光が戻る。
「桜海さん達に連絡しなくていいんですか?」
「あれ、嘘」
賑わいにかき消されないようそっと声を耳に寄せてそう教えてくれた。
周りの音が静んでいき自分の心臓が鳴らす音と、亮吾さんの声だけが耳に届く。
「本当は俺が心配してたの、おばさんはまだ連絡とってないし」
「なんで嘘なんか……」
「俺が心配したって言っても倖美ちゃん動かないでしょ?」
「動くよ」
亮吾さんの言葉だもん。
亮吾さんが立ち止まり、もう一度私を抱きしめる。
「急にいなくなって、本当に心配した。あの時倖美ちゃんから目を離さなかったらこんなことにならなかったのに、ごめん」
「私こそ、勝手にいなくなってしまって、ごめんなさい」
「倖美ちゃんは、どうせ無理矢理連れてかれたんでしょ」
「それでもっ、」
勝手にいなくなったことに変わりはない。
今更ながら、後悔しつつ亮吾さんを見上げる。まっすぐ私に注がれた目が優しすぎてすぐ目をそらしてしまったけど。
「それより、さっきは本当に大丈夫だった? 倖美ちゃんすごく震えてたけど」
「本当に大したことじゃないですよ」
「……」
怒ってるというよりは、拗ねていると言った方が正しそうな雰囲気だ。これは、話さないわけにはいかないか。
「さっきのは前話したバンドの人たちで」
「うん」
「歌うのやめろって言われただけです」
「うん」
「ちゃんと断りましたし、全然大したことないですよ」
「……」
透き通っていて、くっきりした瞳が私を見ていた。
何の表情も読み取れなくなって、不安を駆り立てる。
「亮吾さん」
「大したことじゃないなんて言わないでいいよ。そんな思ってない事」
はっきり告げた亮吾さんが、私の身体を離す。
「大丈夫です。ほんとに……」
「顔、引きつってる」
悲しそうな顔で亮吾さんが言う。
「赤の他人じゃない奴らに、自分のやってること否定される。って大したことでしょ」
「もう二人は関係ないことですよ」
「それでも、俺が見つけたとき悲しそうな顔してた」
「……」
「それって二人に対してまだ赤の他人だと思ってないってことだよね」
「……かも知れないですね」
本当のところ自分でもよくわからない。一年前ただただショックを受けて、有耶無耶に隠して見えないようにしてしまった。あの時もっと二人に寄り添っていたら、何か違ったんだろうか。もう過ぎ去ってしまっているから、もしもの話だけど。
「本当に大したことじゃないんです。私は歌いたいし、誰かに届く
「……俺が声を掛けるまでもなかったかな」
「それは違います」
二人の目に宿った暗く濁ったものを見た時、一瞬だけ亮吾さんに出会う前の自分が出てきた。亮吾さんが来てくれていなかったら、その自分の影が大きくなって私に襲い掛かってきていたかもしれない。
「余計なんかじゃないです」
先輩が来てくれて、私は確かに安心した。もう何年も昔、彼らと一緒にいた時に感じていた柔らくて楽しいあの安心感を、私は今、先輩といるときに感じている。
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