第6話 届くと信じて


――最初はただ歌っているだけでよかった。

 父さんが一世を風靡したバンドのギターで、母さんが世界的ピアノ奏者と言う、音楽一家に育ったこともあり、私は物心がつく前から音楽が好きだった。

 音楽には人の感情が宿り、心がある。

 母さんはよくそう言っていたし、私には気持ちのこもった音楽がどういうものかわかっていた。それを見分けることもとても簡単だった。なんでわかると言っても、感性だからうまく説明できないけど。私にはそれが出来た。

 中学で部活が始まると、音楽系のものに興味を示すのはある種当然の流れで。

 更にその中でも、不格好で完成されていないけど、確かに輝いていたのジャンキーな音楽が好きになった。

 二人とも私の同級生で、片方がベースもう一人がギター。全員が小学校は違ったけど不思議と気が合い、軽音部に入りバンドを組んだ。

 成績は良くなかったと思う。三人で無茶をしてよく先生に怒られたこともある。一人はほかにも文科系の部活に入っていたけど、こっちの方に来る回数も多かったと思う。

 そんな二人と入った軽音部の部員は私達だけだった。先輩が辞めて部員がいなくなれば廃部になるはずだった部。次の年やその次の年には必死に部員を集めて回った。

 そんな毎日が楽しかった。

 

 二人は、歌を歌うのはあまりうまくなかった。ギターやベースは中学生ならそれなりっていうレベルの上手さで、粗削りされていびつな輝きを放つ彼らの音楽。そこが好きだった。だから、私は歌を乗せることにした。

 中学校の間は、その輝いた音楽は輝き続けたままでいられた。


 変ってしまったのがいつなのか、私にはわからない。

 高校に上がったことで、私は二人と別の学校に行くことになった。しばらくは三人で会っていたけど、数週間もたたないうちに二人ともと会わなくなり、連絡は途絶えた。

 まぁ、高校生になって付き合う友達が変わったのかな。

 その時は漠然とそう考えていたし、音楽と寄り添っている限り、とは繋がっている。私の可愛げのない友人には、子供じみたと一蹴されてしまいそうだけど、呑気にそう考えていた。

 次に、に会うまでは。

 友人の友人が知り合いだった。そんなノリで再会したからは輝きが消え失せ、私の知るでなくなっていた。

 驚きはしたけど、会って話をするうちに違和感は薄れ、疎遠の時なんてなかったみたいに集まるようになった。その中で、バンドを再結成しようという流れになり、あの時のような二人に戻ってくれればと、私はその誘いに乗ったんだ。

 そこで、復活がてら去年の環奈祭かんなさいのステージに参加した。


 練習で久しぶりに彼らの音を聞いたときは、衝撃的過ぎて歌えなかった。あれだけ好きだった彼らの音からも輝きが消えていたから。それはもはや音楽じゃなく、ただの音でしかない。

 私は何より、本人たちがそれに気が付いていないことがショックだった。

 輝きのない瞳で、何も感じない音を鳴らす彼ら。たった数ヶ月の違いで、あんなに心地よかった私の居場所は思い出になってしまったんだと知った。

 けれど、私はまた彼らがあの時のように歌を紡ぐようになってくれればと思い、必死で彼らに思いを届けるために練習を続けた。

 結局、本番になっても彼らの音が変わることはなかったけど。


 歌えば届く、届けば響くと信じていた。

 届かないものなどないと無邪気に信じていたのに。私の声は、彼らには届かなかったのだ。

 環奈祭で歌ってから彼らとは、もう会えなかった。会いに行けなかった。

 だって、私の声は届かなかったのだから。

 そんなことがあって、私は歌うと言う事が分からなくなった。

 自分の信じてきた歌うと言う事が、あっさり覆されて、これ以上何を持って歌えばいいのか、自分の中で分からなくなってしまったんだ。

 だから、誰かと一緒に歌うのを避けて、音楽を自分の中に仕舞い込んだ。

 私が歌ったところで、誰にも伝わらないのだから――


「嬉しかったけど、桜海さんの思いには答えられない」

 そう思っていた。でも、

『嫌だったら歌わなくていい』

 亮吾さんはそう言ってくれた。前に歌った歌も誉めてくれた。

 誰にも届かない私の歌声を。あなたはちゃんと聞いてくれていた。

「亮吾さんの前なら歌えると思ったから」

 私は、歌うことが出来た。

 他でもない亮吾さんに向けて。

 言葉を紡ぎ終えて、自分の言ったことをゆっくりと飲み込む。今まではずっと自分の中に納めていた話で、他の人に話そうだなんて思ったことなかったのに。

 話したことで、自分の中でわだかまっていたその記憶が整理されていく。

 どのくらい話をしていたのだろうか。何の返事もないので長すぎる話だったのではと不安になる。亮吾さんに視線を向けた。彼は相変わらず、穏やかな目をしている。

「倖美ちゃんが俺に向かって歌ってきてくれたのちゃんと伝わってたよ。おばさんのところで聞いた時も、去年の祭りも」

 だから伝わっていないだなんて言わないで。

 頭に乗せられた手が、温かさを連れてくる。

「俺には音楽の事なんかわからないし、倖美ちゃんが悩んだことも本当には理解できるものじゃないと思っている」

 柔らかな声が続く。ゆっくり髪を撫でつけるその優しさが、私の心に伝わる。

「でも俺には君の歌が俺の心にしっかり届いたし、また聞きたいって思った」

「ありがとう」

 私の話をちゃんと聞いて、私に届く言葉で返してくれる。

 亮吾さんは太陽みたいな人だ。

 それは、どんなことでも受け止めて、自分の言葉で返してくれるから。

 今私に向けられている優しさ。他の誰でもなく、届ける必要のある誰かにきちんと言葉を届ける力。亮吾さんにはそれがあるのだ。

「亮吾さん」

「ん?」

「話、聞いてくれて気持ちが楽になりました。歌を歌っても意味ないかと思ったけどちゃんと受け取ってくれる人もいるんだって、安心しました」

 心からの笑顔を亮吾さんに見せる。

「私、桜海さん達と一緒に歌います」

 届かないことで諦めて、歌から自分を遠ざけた。あんなに悲しい思いをするくらいなら、歌う事をやめてしまう方がもっとずっと楽だから。

 閉めかけた思いの扉にそっと寄り添ってきた亮吾さんは、私が扉を開けてくれることを信じて待っていてくれた。

 だから、私はこの扉を開けなきゃいけない。亮吾さんから貰った思いに、私なりの答えを届けるために。

 初めから気付いていたけど、一歩がでなくて拘泥していた。澄んだ音楽を持つあの人たちとならきっと届く。亮吾さんの声で答えが見えた。私は私の好きなように歌っていいんだ。

「そうか……倖美ちゃんがそう決めたのなら俺は喜んで応援するよ」

 一通り頭の上を撫でまわした手が、ぽんっ。と頭を軽く叩く。

「見ててね。私たちの音楽」

「あぁ、楽しみにしている」

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