第5話 自分、誰か

 朝。やけにすっきりと目が覚めて、私は自分の部屋を見回した。

 ごちゃごちゃしているのはベッドの周りだけで、ベッド以外大きな家具がない部屋全体からは、漂う空気は冷たい。

 壁一面の窓の向こうの夏に負けないくらい、無機質で冷たい感じがする。


 ベッドからそろりと身を下ろし、付けたままで寝ていたらしい部屋のクーラーを切ると、私はリビングに出た。こちらも同じく、朝から元気な日の光が窓から差し込んでいるけれど、誰もいないことを強調されているようで、今日はなんだか寒々しい。

 そう、今この家には私以外誰も住んでいないのである。都心の高級マンションの最上部に当たる我が家に、私は約三年間一人暮らし。

 自分でも分かっているけど、相当いい御身分な暮らしをさせてもらっている。こんないい暮らしができるのは、一重に両親のお陰に他ならない。

 桜海おうみさんのところで話をしたが、父さんは元有名バンドのギターをしていた。バンドが解散した後も、ギターは続けていて、世界的ピアノ奏者として活躍する母さんと一緒に世界各地で音楽活動をしている。

 三年前までは日本を拠点に世界に飛び回っていたから、この家に三人そろっていたんだけど、どうしても向こうを拠点にしなきゃいけない用が出来て、離れて暮らすことにした。

 向こうに着いて行っても良かったんだけど『母さんもこのくらいの年で一人暮らししていたから倖美ゆきみの好きにしたらいいわ』と言われ、迷った末にこっちに残ったんだ。

 私としては、両親も結構暇を見つけては日本に帰ってくるし、離れている分話しやすいこともたくさんあるから、今の関係は案外悪くないと思ってる。


 けど、こういう日は別。


 両親とわざわざ離れてまで、自分がここに残った理由を考えてしまう。そして行き着く先は、空っぽな自分。

 誰かに相談すれば、そんなことないと言われるような問答なのは分かってる。と言ってもそんな言葉が聞きたいんじゃない。そう言うときは、人に会わないに限る。

そんなわけで、私は校舎の隅。人気のない場所で大胆に寝転がる。滅多に使われない特別教室の四階の屋上へ続く階段の最上段。リノリウムの床は、掃除が行き届いているが、夏とは思えないくらい冷たい。

 身体にたまった熱や、暗い考えが少しだけ吸い取られ、代わりにあの人の事が頭をよぎる。

 あの人。亮吾りょうごさんと出会って一週間が経つ。あれから亮吾さんは私を見かけるたびに声をかけてくれるようになった。学年もカリキュラムも違うから、廊下や放課後に少し顔を見るくらいで、桜海さんからのバンドのお誘いへの返事はできていない。

 私の中で、あの人たちの輪に入って歌う事への迷いがあるから、亮吾さんに返事をできないでいる。

「……はぁ」

 身体からすべての息を吐き出すため息が出てきてしまった。どんよりとした色の天井とにらめっこをしていると、足音が聞こえてくる。

 私はあえて、起き上がらない。

 進入禁止の屋上に用があるなら別だけども、屋上に続く踊り場付き階段の五段分は、ほとんど人が使わないスペース。寝転んでいれば、ちょうど死角になるみたいだし、じっとしている方が足音の主に気付かれないだろうと思ったから。

 息をひそめ、足音に神経を注ぐ。


 足音が徐々にこちらに近付いて来て、階段を一歩また一歩進む足音が止まる。やたら近くで音が止まり、仕方なく首を横にすると、そこに人が立っていた。

 亮吾さんだ。

「やぁ」

 いつもと変わらない、柔らかな笑みをたたえた亮吾さんがそこにいた。

「おはようご……こんにちは」

 流石に寝転んでいられず、リノリウムの床から身体をはがす。

 踊り場についた窓から差し込む光を背にした亮吾さんに、お昼時になっていたことを思い出して挨拶をしてみる。

 こんな姿を見られてしまい、顔は思いっきり引きつってしまったけど、それとは裏腹に、亮吾さんに会えたことで私の心は少し元気を取り戻した。

 それにしても、どうしてここにいるんだろうか。私に質問が飛んでくる前に先手必勝話の主導権を握らなければ。

「今日はどうしたんですか?」

「倖美ちゃんを探してね」

「よく見つけましたね」

 私の隣に座る亮吾さんを眺めながら感心する。さっきも言った通り、ここは普段使われない校舎の使用禁止になっている屋上に続く階段の一番上の段なのだから。

「朝ふらふらと校舎をうろついていたの見たから、しらみつぶしに探していけば見つかるかなーって」

 そんな姿を見られていたんだろうか。周りを気にする余裕もなかったとは言え、恥ずかしいな。

「気が付かなかった」

「俺も声かけなかったしね。……それよりさ」

 心配そうな瞳と目が合う。

「何かあった?」

 先手必勝なんて思ったけれど、亮吾さんにそんな小細工は効かないんだった。こんな風に聞かれてしまっては、はぐらかしにくいじゃないか。

 曖昧な笑顔でごまかすのもありかな。

 いや、亮吾さんにそんなことはしたくない。亮吾さんの整った横顔を見ながら、私は慎重に言葉を選ぶ。時間をかけてでも亮吾さんにちゃんと話がしたくて。

「言いたくないこと?」

「そうじゃないよ」

 どう話せば伝わるんだろう。亮吾さんなら私のどんな話でも聞いてくれてしまうだろうからこそ、分かりやすく話したい。

 その時チャイムが鳴ってしまう。時計を見るとお昼休憩は終わってしまったようだ。

 どうしてこうも、会いたい人に会えた時間は一瞬出過ぎていくんだろう。

「チャイム鳴りましたね」

「知ってるよ。授業より倖美ちゃんの方が優先」

 それともそれだけ話したくないこと?

「ちっ、違います」

 ただ心配しただけだったのに。こんな台詞が返ってくるなら心配するんじゃなかった。

 いつの間にか陰鬱な気持ちは吹き飛んで、心が軽くなっている。

 亮吾さんと会えたお陰だ。

「私の話聞いてくれますか」

「うん」

 亮吾さんの返事を聞いて、私はゆっくりと話をすることにした。

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