第4話 美しい月
「へっ?」
『私たちと一緒に歌わない?』
言っていることが理解できなくて、間抜けな声を出してしまった。すかさず口を覆って、爛々とした笑みの桜海さんを見つめ返す。
「ちょっと待てよ、おばさんそれってどういう事なんだよ」
「だからなんでアンタの方が
喧嘩腰の桜海さんと亮吾さんの間に、和一さんが割り込んで変わることのない穏やかな笑みを浮かべる。
「そんな説明じゃわかんないって。桜海に代わって説明するけど、この夏ここの駅前でちょっと大きな音楽イベントがあるんだ。主催の人とも顔見知りってことで、すごく参加したいイベントなんだけど、1バンドにつき最低4人で参加するように取り決めがあって、俺たちのバンドはこの3人で全員だし、もう1人探さないといけないんだ」
そこで白羽の矢を立てられたのが私なんだ。
「私じゃないとダメなんですか」
歌は歌いたいけど、私には快い返事をすることができなかった。
だって……
「うちの兄貴、
そう思ってくれちゃっている分には構わないんだけども……
お誘いはうれしい。純粋に。
けど、私の中でとある光景がせり出してきて、桜海さんの真っすぐな顔から目を逸らし、お誘いにうなずくことはなかった。
「そいや、俺達はその声聞いてないよな」
「あぁ、いつも通り桜海が決めてきたからな」
「バンドに入るかどうかは兎も角、折角だし歌ってかない?」
そう言って、
もしこれで期待と違うものだったら、このお誘いはなかったことになるんだろうか。
一瞬、考えてしまった。その後ろ暗さを隠すために、私は頷く。
「最近は全然歌ってないですけど、それでも良ければ……」
私の返事を聞いて、蓮さんと桜海さんは部屋から出ていった。和一さんが言うには、この家の二階に防音壁のある練習室があると言う事だ。桜海さん達は先にそこへ行って用意をしてくれているだろうとの事なので、私もソファーから立ち上がる。
和一さんを先頭にリビングを出て、階段に足を掛けた。
「倖美ちゃん」
私の後ろにいた
「?」
「嫌だったら無理に歌わなくていいよ。桜海おばさんが勝手なのはいつものことだし」
とても心配そうな顔の亮吾さんと視線が重なる。私が階段の数段分上にいるから丁度視線が合うのだ。
「大丈夫ですよ。歌うの好きですから」
さっき拘泥してしまったのはもっと別の理由。だから、歌を歌うこと自体に抵抗はない。
自分ではちゃんと理解しているけど、その話を亮吾さんにしていいものか。
「……ならいいんだ」
険しかった顔が柔らかなものに溶けた。それから、私の頬をちょっとだけ触って、
「変なこと言ってごめんな」
と少し哀しそうな顔をして謝る。
私は申し訳なさに駆られながらも、心配してくれた亮吾さんに向け、首を横にする。私の様子を見て、心配してくれたのは分かりきっているから。
亮吾さんが頬に添えてくれた手から顔を離して、階段を上り切る。
階段を登りきった先に開け放たれた扉と入り口をふさぐような和一さんがいた。少し待たせてしまったかな。
「おー、きたきた」
音楽室とかスタジオと見紛う一室がそこにあった。
防音用の穴が無数に開いている壁と木目のキレイな床に、全面ガラス張りの正面。普通の家にこんな設備あるものなんだ。まさか、こんなに立派な練習室とは思っておらず、部屋の入口に立ち尽くす。
桜海さんの手によって、機材のある右端から部屋の中央にマイクスタンドが運ばれる。マイクスタンドの奥にはエレキギターとウッドベース。中央奥には電子キーボードが並んでいる。蓮さんはギターのコードをアンプに繋ぎ、和一さんはベースのチューニングをしているみたい。
「俺はどうしたらいい?」
「あんたその辺に座っときなさいよ」
何もない床を指して桜海さんが言う。桜海さんの後ろに、ちっこいコンサートが出来そうなほどの椅子が重ねておいてあるように見えるのは気の所為なのかな。
まぁ、亮吾さんが、わざとらしく肩をすくめてから、何も言わずに指さされた床に座ったので、良しとしておこう。
「じゃあ、倖美ちゃんどんな曲がお好み?」
この状態ってことは、皆さんがバックで弾いてくれるってことだよね。
うーん、それなら、知っていそうな曲の方がいいのかな。
「俺達なら大抵何でも弾けるよ。そんなに気にしなくていいからさ」
考え事を読んだ和一さんがそう言ってくれたので、私の好きな曲にする。
「『美しい月』でいいですか?」
お父さんたちの曲であり、私の一番好きな曲。
タイトルを聞いて桜海さんが明るく笑った。
「センスいいじゃない」
「マイナーだけど」
「やりますか」
三人とも頷いてくれたし、私もうなずいてマイクの前に立つ。
はじめてでいきなり音合わせなんて経験したことがない。正直怖い。でも勇気なら今正面にいる亮吾さんからもらった。なんとかなる。
次の瞬間、部屋に響いた音。その音が耳に入った。
伴奏で三人の音が重なり合い一つの音が作られる。なんだか優しくてさわやかな感じの音。
これなら。
私は歌を紡ぐために息を吸い、言葉を紡ぐ。
——覚える度に何度でも万華鏡のように色合いを変える
そこに誰かがいる限り。その人に届けるために——
サビに入ると桜海さんのキーボードと私の歌だけがまじりあう。キーボードの音は少し荒くも楽しげで、一音一音に感情がこもる。それに合わせて私の歌はさらにのびやかに音が出る。
一曲を歌いきったところで、亮吾さんの視線がまっすぐこちらを向いていることに気が付く。
先輩だけじゃなくて、三人からの視線も同様だ。
「うまいじゃない! 尻込むからてっきり……」
「のびもあるし歌声も澄んでいる」
「何より俺達の演奏にこんなにも合う」
キラキラした目でこちらを見てくる三人、もう断れる雰囲気じゃなさそう。
とは言え実際に歌っている間愉しかったし、この人たちとならライブをしてもいいと思う。これは事実だ。そしてしないと自分も後悔するんだろうなってことは分かっている。
歌っていた時の昂揚感がゆっくりと退いていき、楽しかった気持ちがしぼんでゆく。
「それで……」
喜んでいる桜海さんが口を開こうとしたとき、何かがそれを遮った。
「おばさん、今日はこのくらいにしておけよ。夜も遅いんだし。俺この子送っていくから」
私の有無も聞かず、亮吾さんが手を引っ張っていく。
私は黙ってそれについて階段を下りる。
「亮吾くん、倖美ちゃん」
家を出るときに和一さんに呼ばれた。
「またおいで」
彼だけは、優しく微笑んで私を見ている。たぶん何を考えているのか見透かされでもしているんだろう。
軽い会釈で返して、亮吾さんに沿って家を出る。
夏の夜は風が生温い。全身に向かってくる風にちょっと吹き飛ばされそう。
「勝手に連れ出したけど、ごめんな」
「いえ、」
どうしていいかわからなかった。皆さんとは一緒に歌いたいんだけど、まだ自分の中で歌への気持ちが定まってなくて、うまく言葉にならなかった。
ので、亮吾さんに連れ出されたのは、ある意味ちょうどよかったと思う。
「寧ろありがとうございました」
「いいって、きれいな歌声を聞かせてもらったお礼だよ」
私の横を歩く亮吾さんは、あくまでも私のペースに合わせてくれているらしい。
今日はいろんなことがあったし、疲れたけど、居心地がよかったし、こんなに気遣ってくれている人がいるから楽しい。
亮吾さんにそう言ったらどうなるんだろう。
帰り道は、何でもない話をずっとしてお互いのことを触れるのではなく、とりとめのない話で終わってしまった。
家の前まで送ってもらったところで、亮吾さんを正面に見据える。
「今日は本当にいろいろとありがとうございました」
「俺の方こそありがたかったよ」
星明りの下で亮吾さんは、私が家に入るのを見届けてくれた。
たった半日を一緒に過ごしただけなのに、まるで今までの人とは違う。
朝見たあの背中を思い出しながら私は、電気のついていない家に入り、そのまま深い眠りに落ちるのだった。
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