【コミック六巻限定版予約開始記念】EX14 教えて!エターナ先生 第一回『ステータスってなあに?』

 



 とある休日の昼下がり、家のリビングではフラムとエターナがくつろいでいた。

 ミルキットとインクは二人で出かけている。

 いつもなら四人で出かけるところを、わざわざ『今日は二人がいいです』とまで言って家を出たのだから、おそらくそれぞれの恋人に何かサプライズでも仕掛けるつもりなのだろう。

 ちなみに今日は何の記念日でもない。

 だが彼女たちにとってはそれが平常運転である。


「ふあぁ……」


 フラムが大きなあくびをした。

 向かいの席で本を読んでいたエターナは、その様子を見てくすりと微笑む。

 昼食を終えてから一時間とちょっと。

 ちょうどいい具合に腹は満たされ、差し込む日光のおかげで部屋は心地よい温かさだ。

 眠気を感じるのも仕方ない。


「平和ですねぇ」


 何気なくフラムがそう言葉を発すると、エターナは相槌を打つ。


「うん、平和」

「あれだけ激しく戦ってた毎日が遠い過去のように思えます」

「この前も戦ってなかった?」

「まあ、たまにああいうのも起きますけど。でも前は休む暇もなかったじゃないですか」

「それはそう」

「ミルキットを抱きしめながら、だらだら毎日を過ごすの最高ーっ! って思っちゃいます。でもエターナさんはそんな感じじゃないですよね」

「わたしもだらだらしてる」

「手元には難しい本があるじゃないですか。普段は研究所で働いてますし」

「あれは趣味も兼ねてるから。言うほど立派でもない、わたしはわたしがやりたいようにやっている。英雄の地位を思う存分に利用して」

「と言いつつも、いざインクが来ても公私混同はしなさそうです」

「わたしもそのつもりでいる。ただ……」


 ふと、エターナの頬が少し緩む。

 それはフラムから見るとわかりやすい表情の変化だった。


「無理な気もしている」

「わかります。どこにいたってかわいいんですよ、私にとってはミルキットがそうですから!」


 強弁するフラム。

 それを否定できないエターナであった。


「そういえば……」


 この話題では劣勢だと感じたのか、エターナはわかりやすく違う話に変える。


「最近の研究で、ステータスに関する謎がいくつか解けたという話を聞いた」

「謎ですか? そんなのありましたっけ。大昔の偉い人が作った、身体能力……もとい戦闘能力を数値化できる魔法ってことでしたよね」

「どういう仕組みかは理解している?」

「目のあたりに魔力を持ってきて、スキャンを使うって意識したら勝手に発動してるイメージですけど」

「それで概ね合っている。動物や物体が魔力を保有する場合、その魔力は全身を巡っている」

「あ、わかりました。その魔力を“見て”計測してるわけですね?」

「見て、というよりは――スキャンの使用者の瞳から微量の魔力を放射し、その反射を数値化していると言った方がいい」

「反射……?」

「魔力の粒子同士は、ぶつかるとすり抜けるのではなく、反発しあう。その反発の度合いは筋肉の密度や柔軟性によって異なる。当然、体内の魔力量が多ければ多いほど、反射回数も多い」

「はあ……それを数値化して勝手に計算してくれるのが、スキャンの魔法ってことなんですね」


 フラムは半分ほどしか理解できていなかったが、それでもエターナの語る理屈が事実だとすれば、何かがおかしいことはわかる。


「単純な魔法なのにすっごく高度なことしてますね」


 そんな純粋な疑問に対し、エターナも深く頷く。


「そう、そこが問題だった」

「え、問題だったんです?」

「それで使えているからみな深くは考えなかった、けれど“誰もが使える魔法”としては高度すぎる」

「スキャンありきで世の中回ってるようなものですからね」

「けど調べようにも、以前はオリジン教がそれを許していなかった」

「人魔戦争以前はオリジン教以外にも王国には宗教があって、そういうのも管理してたって聞いたことあります。オリジン教が天下を取ったときに処分しちゃったとか、そういう話だったりします?」

「まさにそういう話」

「やっぱり……」

「しかも都合の悪いことに、その宗教は過去の歴史や文化を保護することを善としていた。つまり――」

「処分したせいで歴史が全然わかんなくなっちゃったんですか?」

「そう、迷惑極まりない」

「オリジンコアの研究以外にもそんなことやらかしてたんですね……あれ、しかもオリジンコアの研究なんて高度なことやれてたってことは、自分たちだけは利用してたってことなりますよね」

「重ね重ね迷惑集団だった」


 エターナの表情の変化は乏しいが、それでもはっきりと憤っていることがわかった。

 特に研究者である彼女にとっては、それは許せない行いなのだろう。


「けど今は違う。オリジン教が処分したものを回収したり、処分し損ねたものを解析した結果、失われた歴史もいくらか取り戻すことができた」

「それはよかったです。もしかして、今の話の流れだとそれとステータスとが関係してるんですかね」

「初代の勇者がオリジンを封印した頃――つまり数千年前、スキャンという魔法が開発された経緯の一部が判明した」

「大昔の偉い人の話だ」

「その記録を読み解く限りでは、当時のスキャンは非常に複雑でわかりにくい魔法だったと記されている」

「……じゃあ、現代に至るまでに改善されたとかですか?」

「いや、それから数十年後にはいつの間にか多くの人が使えるようになっていた」

「んん? 改善されてないのに、みんな使ってたって……」

「その珍妙な現象に、スキャンの開発者自らが困惑した記録が残っている」


 首を傾げるフラム。

 まるで謎解きを出題されたような気分だった。


「話は変わるけど、フラムはジーンが使った最後の魔法のこと覚えてる?」

「エターナルなんとかですよね……急になんであいつのことを?」

「不本意だけどあれを例に出すのがわかりやすいと思って。あの魔法は範囲内にいたキリルとフラムにステータス減少の効果をもたらした」

「キリルちゃんはパワーダウンして、私は反転でパワーアップしたんでしたね」

「あれはステータスに干渉する魔法だった」

「そうですね、弱体化魔法ですから」

「フラムは今、おそらくこう考えている。『筋力や魔力が落ちたからステータスの数値も落ちた』と」

「へ? 違うんですか?」

「実際のところは、『ステータスの数値が落ちたから実際の筋力や魔力も減少した』が正しい」


 さらにフラムの首の傾斜が増す。

 だが、エターナが言わんとすることはギリギリ理解できていた。


「えっと、つまり、数値の方をいじった結果……現実に影響を及ぼしたってことですか?」

「うん、そう」

「そんなのありえるんですか?」

「それが数千年前、スキャンの開発者を悩ませた元凶」

「と言いますと……?」

「数千年前に起きた最初のオリジンとの戦いの時点では、ステータスというのはフラムがイメージしている通りの、『戦闘能力を数値化したもの』だった」

「けれどその数十年後には、意味が変わっちゃって、ステータスの方をいじっても戦闘能力が変わるようになってた……ですか」

「そしてその過程で、スキャンは誰にでも使える簡単な無属性魔法として広まることとなった」


 右に傾いていたフラムの傾きが元に戻る。

 エターナの話を理解できたからだ。

 しかし新たな疑問が生じたため、今度は左に傾いた。


「……えらいことが起きてませんか?」

「うん、起きてる」

「世界のルールが変わったというか、書き換えられたみたいな」

「それを可能とする何者かの魔法が発動したと考えるのが自然」

「オリジンの力……いや、当時は封印は完全だったはずだから、希少属性?」


 あるいは、星の意思によるものか。

 何にせよ、超常的な存在が関係していそうだ、とフラムは推理する。

 するとエターナが言った。


「正解」

「へっ?」

「希少属性……と考えられる。現時点でも答えは出ていないけど」

「そんなことできるんですねぇ。今の私でもイメージ湧きませんが」

「けれどフラムはすでに見ているはず。世界のルールすら歪め、神様だって作れる魔法の存在を」

「……あ」


 一つだけ、フラムにも思い当たる節があった。


「もしかして、夢想の魔法ですか!?」


 シア・マニーデュムの持つ希少属性、夢想。

 想像を具現化させる魔法。

 ただし、魔法の使用者一人分の想像では満足な具現化はできない。

 周囲の人々――数百人、数千人が“同じ想像”をすることで、各々から徴収した微小な魔力により、具現化した存在は強力になっていくのだ。

 エターナはさらに具体的に語る。


「スキャンを作った本人はオリジン封印の旅に同行していたという。つまり今のわたしたちのように英雄として、一種の信仰対象となっていた」

「信仰は最も強固な想像の共有……カムヤグイサマがそうでしたからね」

「おそらくスキャンの魔法やステータスの存在なんかも神格化される中で歪んでいき、やがてその想像は夢想の術者も巻き込んだ」

「当時はスキャンを使える人がほとんどいなかったってことは、その人が夢想なんて属性を持ってるってことも知らなかったでしょうからね」

「もしかしたら後になってその“元凶”に気付いたのかもしれないけど、その頃にはすでに手遅れだったはずだから」

「世界の法則さえ変えてしまう能力……本人には悪いですけど、うかつに発動させられない恐ろしい魔法です」


 フラムはミルキットと共に、定期的にシアに会いに行っている。

 王国の管理下にある彼女は、かなり裕福な暮らしを送ってはいるのだが、代わりに自由を失っている。

 能動的に友人を作ることもできないため、フラムたちが会いに来るたびに嬉しそうに笑うのだ。

 能力を抑制するような方法があればいいのだが、下手に干渉すると、それが夢想の発動トリガーになりかねないため危険なのである。

 なので現状維持を続けるしかない。

 本人が現在の生活に満足しており、幸せそうなのが救いではあるが。


「少しでも魔力があればスキャンを使える、スキャンを使えばステータスを見られる――それは今も共通の幻想として、生き続けている」

「エターナさん、この話って広まったらまずいんじゃないですか? 夢想の存在に気付いた時点で、幻想が壊れてスキャンを使えなくなったり」

「こんな都合の悪い話は誰も信じないと思う」

「そんなものですかねぇ……?」

「人間なんてそんなもの」


 どこか冷めたように言い放つエターナだが、フラムも何となくそうなるような気がしていた。

 人間というのは、想像よりもいい加減な生物なのである。

 するとここで、フラムがあることに気づく。


「あれ、これってつまり、夢想の属性も勇者みたいに受け継がれてたってことですか?」

「希少属性に限らず、属性という概念はそうやって術者の死後にリサイクルされる仕組みなのかもしれない」


 オリジンも、フラムを殺したところで反転属性を持つ人間がまた生まれてくる、と警戒していた。

 魂も魔法も巡る。

 そんな輪廻のシステムを、オリジンに対抗すべく星の意思が構築したのだろう。


「その理屈で言うと、実は反転の属性もずっと引き継がれてたりして」

「可能性はある」

「前の反転の使い手は、なかなか呪いの武器を使うなんて発想に至らなかったんですかねぇ」

「あるいは、生まれてすぐに死んでいたか」

「……そんなことになりますか?」

「今のフラムは反転のデメリットが“ステータス”に向いている。仮にこれが肉体そのものに干渉していたとしたら」

「成長するほどに小さくなっていきそう」

「人間が母胎で発生した際、どの時点で属性を帯びる・・・のかはまだわかっていない。けれど少なくとも産まれた時点ではすでに属性は保有している。そして産まれた子どもの生存率が飛躍的に伸びたのは、人魔戦争をきっかけに治癒魔法の技術が大幅に向上した結果」

「勇者の使い手が生まれるのは数百年に一度って話でしたし、前の反転の持ち主が産まれた時代なら、子どもがすぐに死ぬのも珍しいことじゃなかった、ですか……」

「まあ、わたしはそれとは別に運命めいたものを感じるけれど」


 エターナの言葉に、フラムはにやぁと笑った。


「フラム、その顔……以前は前世のことなんて関係ないって話してた気がするけど」

「それはそうですけどぉ、仮に運命とやらが存在するとして、そのロマンチックさが私とミルキットの愛情を深めてくれるなら別に存在までは否定しませんよ」

「いちゃつく材料として有効活用すると」

「わかってるじゃないですかぁ」

「嫌というほど見てきたから」

「最近は私たちの方も見せつけられてますけど」

「……確かにそうかもしれない」

「受け入れれば楽ですよ?」

「誰か止める人がいないと歯止めがきかなくなる」

「時間の問題かと」

「せめて、外の人前ではそうならないように気をつける」

「防衛ラインがずいぶん下がりましたね」

「正直に言って……」


 エターナはテーブルに両肘をつくと、両手で顔を覆う。


「最近のインクが可愛すぎる」

「わかります。日に日に可愛くなってくんですよね、ミルキット」


 同意するフラム。

 ツッコミ役は不在である。

 歯止めが効かない、とは着地点の見つからないこういう状況のことを言うのだろう。

 するとそんなふわふわとした会話に終止符を打つべく、出かけていたミルキットとインクが帰って来る。


「たっだいまー!」

「ただいま戻りました」


 元気なインクと、丁寧なミルキット――対極的な二人の声が聞こえると同時に、エターナは顔を上げ、フラムは立ち上がった。

 そしてフラムは駆け足で玄関まで向かう。

 だがたどり着く前に、小走りでリビングまでやってきたミルキットと鉢合わせた。

 二人は顔を合わせた途端、さながら十年ぶりの再会かのように見つめ合い、瞳を潤ませ、そして抱き合う。


「おかえり、ミルキットぉ!」

「ただいまです、ご主人様っ!」


 フラムはぎゅーっとミルキットを抱きしめ、ミルキットはフラムの胸に顔を埋めて頬ずりをしている。

 そんな二人の横を「お邪魔しまーす」と体を横にしながら通り抜けるインク。

 エターナの前までやってきた彼女は、


「ん!」


 と何も言わずに両手を広げた。

 ハグのおねだりである。

 そんなインクを見てエターナは――


(何だか悔しいけどかわいい)


 なぜか敗北感を味わっていた。

 なお我慢などできるはずもなくちゃんと抱きしめたし、二人が帰ってきてもツッコミ役は不在のままなので、その後もひたすら甘ったるいだけの時間が続いたという。


 ◇◇◇


 それから数日後。

 エターナは研究所の食堂で一人、昼食を摂っていた。

 だが時間は夕方に差し掛かろうというタイミングである。

 仕事柄、休憩時間は固定されておらず、さらに研究に没頭すると食事を忘れがちになるので、昼食を抜くことも少なくなかった。

 今日はたまたまお腹が空いていたので食堂でパンを貰ったが、夕食の時間が近いことも考えて量は控えめである。

 時間が時間なので、食堂の席はほぼ空席である。

 すると、ふいに顔見知りの女性研究員が現れ、向かいの席に腰掛けた。

 彼女は直接の部下ではないが、たまに顔を合わせると言葉を交わすことがある程度の仲である。

 ちなみに、フラムに語ったステータス関連の話は彼女から聞いたものだった。


「じきに研究室に戻る、あまり時間はない」

「じゃあ時間を作っていただけませんか、大事な話でして」


 エターナが彼女の顔を見ると、その顔色は優れなかった。

 どうやら雑談というわけではなく、何らかの目的があってエターナを探し求めてきたらしい。


「あまりいい話ではなさそう」

「かなり良くない話ですね、私たちのチームのリーダーはご存知ですか」

「もちろん知ってる」

「それが先ほど、亡くなったそうなのです」


 予想だにしなかった物騒な言葉に、エターナは思わず顔をしかめた。


「さっき死んだ? 彼が?」


 親しくはなかったが、つい最近も職場で顔を見た相手だ。

 死んだ、と言われてもあまり実感が湧かなかった。


「今日は無断で休んでおりまして、連絡もつかないので午後になって同僚が見に行ったのです」

「そこで見つかった、と。病気?」


 女性は無言で首を振る。


「自殺……だと思われます」

「煮えきらない言い方」

「発見した同僚もかなり混乱しておりまして、正確かどうかはわかりかねます。ただ……死体の状況が、少々異常でして」

「もしかして食事中だから気を遣ってる?」

「それもあります。食欲は、おそらく減退するだろうと思われますので」

「少し待って」


 エターナは残りのパンを大口で頬張り、ごくりと飲み込んだ。

 そしてコップに注いだ水を飲み干すと、改めて女性に向き合う。


「どうぞ」


 女性は辛そうに目を伏せながら、暗い声で語る。


「刃物で首を切断していたそうです」

「それはまた……物騒な」

「しかも首に傷を付けたわけではなく、自力で首を切り落としていたらしく」

「自力で切り落とす?」


 エターナは思わずそう聞き返した。

 女性はこくりと頷く。


「それはおかしい。誰かが殺したあと、刃物を握らせた可能性が高い」

「私もそう思いますし、事実がわかるのは衛兵の方が詳しく調べてからだと思います。ですが気になることが一点。最近の彼は、ステータス関連の研究だけでなく、装備が帯びる魔力――すなわちエンチャントの方にも興味を持っていたのです」

「ああ……この前そんな話もしていた」


 ステータスという概念が発生したのは、夢想の影響であった。

 そしておそらく同じ原因で発生したものがあとひとつある。

 それは装備の“エンチャント”という概念だ。

 現状、エンチャントも夢想の影響で発生したと言い切れるほどはっきりとした証拠が出たわけではない。

 しかし、初代の勇者たちの旅の記録において、そういった装備品の情報が出ていないことから推察するに、エンチャントもステータス同様、後の時代に発生したものであることは間違いないと言えよう。


「エンチャントに興味があるということは、つまり呪いの武器にも触れるということ。かの英雄フラムが使っていたものなのですから、憧れない者はおりません」

「そういう話は聞いたことがある」

「ですがそのための文献を探し始めた数日前から、少しばかり、言動がおかしくなりはじめまして」

「本まで呪われていたということ? 言われてみればここ数日、彼と顔を合わせていない」

「他の人間との接触を断っていましたから」


 その末の自殺――しかも状況はかなり異常なものだった。

 不安のあまり、誰かに話さずにはいられなかっただろう。


「ひとまず彼の遺した文献には触れないほうがいい。呪いの武器について調べたことというより、見てしまった本の中身がまずかった可能性も考えられる。もちろん他殺でなければという前提ではあるけど」

「みんな近づきたがらないので大丈夫です。ですが……」


 このまま部屋に入らないままというわけにもいかない。

 原因を突き止める必要があるのだから。

 エターナもそれは理解していた。


「呪いの関与の可能性があるなら、うってつけの人間がいる」

「それって……」


 ◇◇◇


 それからおよそ一時間後、エターナに連れられてやってきたのはフラムだった。


「へえ、中ってこんな感じになってるんですね」

「中に入るの初めてだったっけ」


 意外そうにエターナが言うと、フラムは苦笑いを浮かべこう言った。


「機密情報とか色々あるってイーラに聞かされてたんで。何かの拍子に漏らしちゃったら大変じゃないですか」

「フラムなら大丈夫だと思うけど」

「自慢じゃないですけど、私は意外とポンコツですから」

「本当に自慢になってない……」


 言葉を交わしながら廊下を歩く二人。

 研究員たちはその姿を遠巻きに眺めている。


「ところで、今回亡くなった人ってステータスについて調べてた人だったんですよね」

「ちょうど先日話した内容を研究していた張本人」

「そんな人が呪いの装備について調べた途端に命を捨てた、ですか。呪われたんじゃないかって発想に至るのも仕方のないことかもしれません」

「呪いについて詳しいフラムはどう思う?」

「専門家みたいな言い方をされると困りますけど……確かに、人の精神に異常をきたす類の呪いは存在します」


 フラムが思い出すのは、リートゥスが宿っていた鎧のことだ。

 反転の力を持つフラムでも、その呪いを反転しきれずに大きなダメージを受けた。

 ただステータスを見ただけで、である。


「それが本に宿るかは未知数ですが」

「ステータスが夢想の能力によって概念化されたという推測が事実なら、そこに人の感情や思念が影響を及ぼしても不思議ではない」

「けど本ってただの物ですよね」

「装備品としてエンチャントが宿ることはある。特にわたしのような魔法使いの場合、本を手にして魔法に対する集中力を高める場合もある」

「そのあたりの区別って曖昧ですよね。前にマーケットを見てたとき、ただの鍋のふたに呪いが宿ってるのを見かけましたし」

「何にでもエンチャントは宿る可能性はあるし、同時に呪いをはらむ可能性もあるということ」


 話しているうちに目的の研究室の前にたどり着く。

 他の研究員たちはすでに退勤しているらしく、エターナは預かった鍵で扉を開いた。

 フラムはさっそく死者の机の前に立つと、積み重ねられた本を手に取った。


「散らかってますね。それに置かれてるノートも、支離滅裂な文章が書かれたものばかりです」

「数日前から様子がおかしかったと聞いている」

「……こういうのを見てると、オリジンに狂わされた人を思い出します」


 フラムが軽くため息をつくと、エターナは「ごめん」と呟いた。


「フラムなら平気だと思って軽い気持ちで連れてきてしまった」

「へっ? ああ、そんな深刻に考えないでください。もう終わったことだからこそ、こうあって懐かしめるんですから。それに、私の力が役に立つならいつだって頼ってください。エターナさんには助けられてばっかりですからね」

「そんなに助けてる?」

「エターナさんがいなかったら我が家のモラルはとっくに崩壊してます」

「わたしも最近はそれに加担している気がするけど」

「そのときはキリルちゃんとショコラさんに託すので」


 どうやら本人にモラルを守るつもりはないらしい。

 そんな下らないことを話しているうちに、フラムは積み重なった本の下の方に視線を向けた。


「エターナさん、ちょっと手伝ってもらえますか?」

「もちろん」


 エターナが上の本を持ち上げ、フラムが目的の本を引き抜く。

 それは明らかに他とは装丁が異なる、古い本だった。

 表面はざらついていて、指の腹で触れると何だか触れなれた――かつできれば触れたくないものの感触がする。


「これ人の皮とかで作ってる本かもしれないですね」

「そういった本があるという噂は聞いたことある」

「まさに呪いの本って感じじゃないですか? 内容も……うわぁ」


 その反応を見てエターナは本に対しスキャンを使用する。


 --------------------


 名称:地獄を騙る人皮の魔法書

 品質:レジェンド


[この装備はあなたの魔力を760増加させる]

[この装備はあなたの体力を455減少させる]

[この装備はあなたの感覚を1098減少させる]

[この装備はあなたに地獄を見せる]


 --------------------


 一部増加するステータスもあるが、内容を見るに呪いの装備で間違いなさそうだ。

 同時に中身を見ていたフラムも口を開く。


「こっちの中身は読めますけど、ずっと頭がふわふわして心地いい感じがします」

「”地獄を見せる”ってエンチャントがあるけど」

「じゃあ今の私、天国を見てるんですかね」

「それはそれでまずそう」

「でもミルキットが見えない時点で偽物ですね、それは天国じゃないですから」

「そういう問題なの」

「とはいえ、普通の人が見たら確かに精神を病んでしまうかもしれません。それにしてもこの中身――」

「読めるの?」

「はい、小難しい文章ではありますが、何かの作り方について書かれているみたいですね」


 しばらく黙って本に目を通すフラム。

 エターナはその様子をじっと見ていた。

 何ページかめくったところで、ある程度は中身を把握できたのか、フラムは眉間に皺を寄せながらエターナを見た。


「これ、地獄を作ろうとしてるみたいです」

「……地獄?」

「はい、地獄です。『天国は実在する、ならば地獄はどこにある』。そんな文言が毎ページ呪文みたいに書かれてるんですよ」

「死後の世界について研究した人が遺したもの?」

「だと思います。しかも実際に何個か作ってたみたいです」

「地獄を?」

「はい。人の魂を閉じ込める檻……みたいなものですかね。善人は天国に行くべきだけれど、悪人は裁かれるために地獄に堕ちるべきだ。そんな考えだったんでしょう」


 天国の実在を信じたからこそ、この本を記した誰かは地獄の不在を嘆いた。

 そして己の手でこの世に地獄を作ろうと決意したらしい。


「どうしますエターナさん。これ、処分します?」

「片付けるにはまだ早い。呪われていることはわかった、然るべき手段で厳重に保管しておく」

「あ、中を見なければ触るだけなら大丈夫だと思います。頭がふわふわしないので」

「わかった、そう伝えておく」


 そう言って、フラムから本を受け取るエターナ。

 やはり持っただけでは、何も異変は生じないらしい。


「中身を解読してほしいときはまた呼ぶと思う」

「いつでもどこでも駆けつけますよ。というか、今からでもまだ読めますけど」

「今は大丈夫、重要なのは中身ではない。彼がこの本をどこから手に入れたか」

「王国に関連する施設の書庫とかにあったんじゃないですか? 研究員なら中に入れるでしょうし」

「だとしたら、もっと前に呪われている人間がいなければおかしい」

「あ、そっか。つまり外から入ってきた、ですか」

「もっと言えば、死んだ研究員は頭の回る男だった。呪われていると知って、何の対策も講じずに読むとは思えない」


 無理やり読まされて心を乱されたのか。

 はたまた、魔法で操られたのか。

 どちらにせよ、まともな理由ではない。


「荒事なら、その時も呼んでくださいね?」

「ふふっ、頼もしい。でもあまりフラムに頼りすぎると、わたしがかっこつける場面がなくなってしまう」

「それは死活問題ですね」

「そう、だから困ったら助けを呼ぶ」


 フラムはずば抜けて強いが、エターナに適う魔法使いだってほとんど存在しない。

 今回のような特殊な例を除けば、大半の問題は一人でも解決できてしまうのだ。


 ◇◇◇


 呪いの本の入手経路が暴かれるまでに、さほど時間はかからなかった。

 数日後には、とある商人が王国軍に捕えられたとの連絡が届いた。

 フラムとエターナはそれを受け、アンリエットの元を訪れたのだが――


「すまない、まさかこのようなことになるとは……」


 二人を待っていたのは、なぜか深々と頭を下げるアンリエットだった。

 その後ろでは「お姉様が頭を下げる必要などないというのに……!」とオティーリエが悔しそうにしている。


「何があったんです?」


 フラムがそう尋ねると、アンリエットは釈然としない様子でこう語った。


「その商人が研究員を脅し、呪いの本を押し付けたことがわかり、軍本部まで連行したんだ。そこで取り調べを行っていたのだが……突然口から大量の血を吐き出して絶命してしまってな」

「毒でも飲んでたの?」

「いいえ違いますわ」


 エターナの言葉を否定するオティーリエ。

 フラムとエターナの視線は、不機嫌に状況を説明する彼女に向けられた。


「その男は死後、体内からは血液だけでなく、大量の刃物を吐き出しましたわ」

「飲み込んでたってこと!?」

「そうとしか考えられない状況ですわね」

「しかも、それらの刃物は全て呪いの武器だった」


 アンリエットの言葉に、驚くフラム。

 一方でエターナは顎に手を当て、何かを考え込むような仕草を見せた。

 そんな中、アンリエットの話は続く。


「商人の召使に話を聞いたところ、以前から呪いの装備を収集し部屋に飾っていたらしい。しかしとある日を境に、様子がおかしくなったそうでな」

「エターナさん、これって……」

「あの研究員と似ている」

「我々もそう考えている。まあ、犯人が死んでしまった以上、それで決着とするしかないがな」


 さらなる“犯人”を探そうにも、死んだ商人は普段から呪いの装備を集め、眺めていたような変人だ。

 好奇心に負け、自ら呪いの本の中身を見て狂ってしまったとも考えられる。

 これ以上遡って持ち主を追っていっても、望むような黒幕が見つかるとは限らない。


「わざわざ来てもらったというのに、このような結末になってしまい申し訳ない」


 改めて頭を下げるアンリエット。

 フラムは「謝る必要ありません、仕方ないことです」とフォローしたが、それではアンリエット自身が納得できないらしい。

 ひとまずその謝罪を受け入れ、フラムとエターナは軍の施設を後にした。


 ◇◇◇


 その帰り道、フラムは浮かない表情のまま、エターナと並んで歩く。


「何だかモヤモヤする終わり方でしたね」

「呪いっていうのはそういうものなのかもしれない」

「一度生まれてしまえば、あとは善悪関係なく他人を傷つけるだけ、ですもんね」


 フラムは手の甲に浮かぶ神喰らいの紋章を見て、そう呟いた。


「私の武器に宿る呪いにも、オリジンへの怨嗟が詰まっているはずです。けれどオリジンが滅びた今でも、呪いは消えることなく残り続けている……」

「誰かの幸福を願う善き願いよりも、誰かの不幸を願う呪いの方がずっと強い」

「ステータスを下げるのが呪いなら、ステータスを上げるエンチャントは善い願いって言えないんでしょうか」

「そっちはただの魔力だから」

「夢も希望もない……」

「むしろ“呪いの装備”は希望と呼べるのかもしれない」

「何でそうなるんです?」

「先日の人の皮で作られた本、詳しく調べると数千年前のものだとわかった」

「あの保存状態でそんな古いものだったんですか!?」

「帯びた呪いが経年劣化から守っていたのかもしれない。さらに時期で言うと、初代の勇者がまだ生きていた頃になる」

「そんな時代に地獄を作ろうとした人がいたんですね……」

「これは完全にわたしの想像だけれど――」


 そう前置きして、エターナはステータスやエンチャントという概念が生まれた当時、何が起きたのかを語る。


「まず最初に、人は地獄を生み出そうとした。オリジンという人類と魔族共通の敵を封印したあと、人類は人類同士で争ったはずだから。地獄の不在を嘆くのはそういった時代背景があってのことかもしれない」

「今みたいに王国が統一するまでは、ずっと人間同士で戦争してたって言いますもんね」


 王国が魔族を敵対視しはじめたのは、歴史でいうと比較的最近のことだ。

 それまでは人類同士で領地の奪い合いをしていたため、強力な魔力を持つ魔族に喧嘩を売る必要などなかったのである。


「しかしそうして生まれた“地獄”は、人の魂というよりは、恨みや憎しみを溜め込む器となってしまった」

「呪いの装備……ですか」

「呪いは人に制御できるものではない、今回の事件の例でもわかるように」


 それは善悪関係なく、他者を傷つけるものだから。

 フラムのように反転の力でも持っていない限り、有効活用などできるはずもない。


「溢れ出した呪いは、時に人の心を壊し、そして時に人の命を奪ったはず。そこで当時の人々は考えた、この呪いを何か別の場所に向けられないか、と」

「何だか……似たような話を聞いた気がしますね」

「そう、フラムの反転の話」

「肉体そのものではなく、ステータスという概念に副作用を向けたから、私は生き延びれたって話でしたよね」

「その人物の手によってステータスという概念が世に広まっていった」

「えっと……つまり、“最初に呪いがあった”ってことですか?」

「そういうこと」

「そして呪いが人々を傷つけないよう、その矛先としてステータスという概念を広めた」

「結果として、人々を苦しめた呪いは“エンチャントの付いた装備”という枠組みに押し込められてしまった。もちろん、呪いが強い場合はそれだけでは収まらないけど」


 その収まらない呪いが、時に人を溶かしたり、時に人を狂わせたりする。

 しかし本来は、この世に地獄を顕現させるほど恐ろしいものだった。


「繰り返しになるけど、これはわたしの想像に過ぎない」

「すごい説得力でしたよ」

「フラムはわたしを信用しすぎている。与太話として聞いてほしい」

「えー、明日にでもみんなに広めたいと思ってたのに」

「それは困る」


 フラムが不満げに頬を膨らますと、エターナは苦笑した。


「ちなみになんですけど、さっきの話で気になることがあって」

「想像で良ければ答える」

「スキャンを作った当人は、ステータスって概念が生まれてたことに驚いてたんですよね」

「そういう記録が残っている」

「当事者なのに、どうして知らなかったんでしょう」

「これは文献を読んだわたしの印象になるのだけれど……」


 なぜか呆れたような顔をしながら、エターナは言った。


「その人物は、どことなくジーンに似ている」

「ああ、ジーンに……」


 フラムはしみじみとそうつぶやく。

 つまり騒動が起きても蚊帳の外。

 だって関わると話がややこしくなるから。

 そんな理屈に、彼女は心の底から納得してしまうのだった。



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