【コミック六巻発売記念】EX15-1 教えて!エターナ先生 第二回『地獄ってなあに?』
目にした光景にどんな感想を抱くかなんて、人によって違う。
インクは散歩中、偶然公園の前を通りかかった。
彼女はそこに人だかりができていることに気付いた。
集まっているのは子供ばかりで、目をキラキラ輝かせながら何かを見つめている。
視線の先にいるのは、ピエロだった。
元の顔などわからないぐらい、しっかりと白塗りをした道化師が、大道芸を披露している。
インクはそれを見て――少し怖いと思った。
濃い化粧のせいで人形っぽさを感じる一方で、滑らかなその動きは人間そのものだ。
命と、命ではないものが、同居している。
そんな不気味さを感じてしまったのである。
我ながら臆病な感想だと思ったが、周囲を見回すと、インク同様に遠巻きに様子を窺っている子どもの姿もある。
きっとその子も怖かったんだろう。
少数派ではあるけれど、そういう人間だっている。
少しほっとした。
そしてインクも同じように遠巻きにピエロを見ていると、背後から誰かに声をかけられる。
「あの人に興味があるんですか?」
そこにいたのは、眼鏡をかけた三つ編みの――大人しそうな女の子だった。
目立つ特徴といえば、右目の下にほくろがあることだろうか。
おそらくインクとは同世代だろう。
「あなたもピエロが怖くて近づけなかったの?」
そう尋ねると、少女はきょとんとしている。
どうやら違ったらしい。
インクは途端に恥ずかしくなって、顔を赤くした。
「ふふ、ピエロが怖いなんて変わってますね」
「そうかな……」
「私はむしろ好きですよ。好きだからこそ、こうして眺めていたいんです」
どうやら遠巻きに見るのが好きという、変わった趣味の持ち主らしい。
実際、少女の顔には上機嫌な笑顔が浮かんでいる。
ピエロは複数のボールを器用にジャグリングしていた。
途中でボールを口に入れて消してみたり、バウンドを交えてみたり。
そういった技を見せるたびに観客からは歓声があがった。
「やってること自体はすごいと思うんだけどね」
「そうですか?」
否定する少女に、今度はインクがきょとんとする番だった。
「ごめんなさい、私はピエロが好きで見てるだけなので、大道芸に興味はないんですよ」
「変わってるね」
「お互い様です」
そんな言葉を交わして、しばらく二人は黙ってピエロを眺めていた。
それから数分後、芸が一段落し、ピエロは子供たちに飴を配り始める。
「なるほど、人が多かったのはアレが目当てだったわけだ」
「子供って現金ですよね」
「あたしもそうだから厳しいことは言えないなぁ」
「ふふっ、私も同感です。欲望って我慢するより素直な方が楽しく生きていけますもんね」
少し堅苦しい言い回しだとは思ったが、インクも概ね同意する。
エターナに抱きつきたいと思ったときは抱きつくし、キスしたいと思ったらキスをする。
我慢なんてしようものなら、欲求が満たされるまで悶々としてしまうだろう。
まあこの場合、子供だとか大人だとかは関係のない話になるが。
「そろそろ帰らないと」
インクがそう言うと、少女はにこりと笑う。
「話せて楽しかったですよ、インク・リースクラフトさん」
「あたしの名前……」
「有名人じゃないですか、知ってて当然だと思いますよ」
「エターナはともかく、あたしも有名なのかな」
インクはエターナと違い、英雄として名を連ねているわけではない。
とはいえ、その関係者として知っている人はいる。
名前を覚えていても不自然ではない。
だが一方的に名前を知っているのは無礼だと思ったのか、少女は自ら名乗った。
「私はロコリ。また会えたらお話しましょうね」
インクは笑顔で返す。
「うん、またねロコリ」
手を振って別の方向へ立ち去る二人。
それから、インクとロコリはこの公園で度々顔を合わせるようになる。
◇◇◇
何度目かの邂逅で、ロコリは自分が十四歳だと語った。
つまり予想通り、インクとは同い年なわけだ。
さらにインクは尋ねる。
「じゃあ今は学校に通ってるの?」
「ええ、そろそろ卒業ですけど」
離れた場所では、ピエロが大道芸を披露していた。
大勢の子供たちに囲まれ今日も大盛況だ。
しかしインクもロコリも、芸そっちのけで会話に没頭している。
「そのあとは?」
「働くか進学するか、父と相談している最中です。幸い、私の家は裕福なので選ばせてもらえます」
「お金持ちなんだ」
「インクさんほどではありませんが」
「うちそんなじゃないよ? 家だってフラムが貰ったとこに住んでるし」
「英雄が暮らしている家なのに裕福ではないんですか?」
「んー……どうなんだろ。お金はあるんだろうけどぉ」
「そういえば、学校にも通っていないんですよね。今どき珍しいと思います」
「だって、あたしにはとびきりの先生がいるし」
インクはそう言って胸を張った。
ロコリは口元に手を当て、上品にくすりと微笑む。
「エターナ様ですね。確かに、あれだけの人に教えてもらえるなら、学校なんて必要ありませんね」
「エターナってば何でも知ってるんだから。あたしも追いつきたいと思っていーっぱい本とか読んでるけど、まだまだ雲の上の存在って感じ」
「ですけど同世代の他の人よりは優れた知能を持っているんじゃないですか」
「そう見える?」
「ええ、見えますよ。優れた人間というのは、特有の気配を纏うものです」
ロコリはたまにこうして、お硬いというか、小難しい言い回しをする。
育ちの良さが影響しているのだろうか。
インクは自分の両腕を見ながら言った。
「そんなものが出てる気はしないけどな」
「普通の人には見えないそうですよ。ですが私には見えます」
「すごいね、ロコリってそんな力を持ってるんだ」
「ふふ……ところで、インクさんはエターナ様のことをよく知っているんですよね」
「そりゃもちろん! 世界一エターナに詳しいのがあたしだよ」
「でしたら、もっと話を聞かせてもらえませんか?」
「いいけど、エターナに興味あるんだ」
「はい! 私、実はエターナ様のファンでして。インクさんの顔に気づいたのも、それで知っていたからなんですよ」
「なるほど……」
インクは納得しながらも、心の中では『エターナに近づくためにあたしに近づいたってこと?』と少しモヤっとしていた。
だが、おかげでロコリという友人が出来たのも事実だ。
すぐさま靄を振り払い、笑みを浮かべる。
「じゃあロコリが満足するまで、あたしがエターナの素晴らしさをプレゼンテーションしてあげる」
「ぜひお願いします!」
その日の会話はいつも以上に盛り上がり、二人の会話は空が茜色になるまで続いた。
◇◇◇
それから数時間後、夕食を終えたインクとエターナは自室で二人の時間を過ごしていた。
ベッドの上でエターナに後ろから抱きしめられながら、インクはその手に自らの指を絡めて、こそばゆいじゃれ合いを続けている。
特に目的や意味があるわけではない。
ただただ、“くっつきたい”という欲求を満たすための時間だった。
そんな中、ふいにエターナが口を開く。
「そういえば、今日はずいぶんと長い散歩をしていたようだけれど」
「あはは、エターナの方が先に帰ってきてたもんね……」
インクがああして一人で外に出かけるのは、決まってエターナがなかなか帰ってこない日だ。
エターナは王国の研究所に所属しているものの、その拘束は非常にゆるく、成果さえあげれば働く場所も時間も問わないという破格の待遇だった。
ゆえにインクが家で一人きり、という状況は意外と少ない。
その少ない状況下において、インクは寂しさを埋めるように町をぶらつくことがある、というわけである。
つまりエターナさえ帰ってくれば散歩に行く必要はないわけで――基本的にはエターナの帰宅の直前には家に帰っている。
だが今日は違った。
ロコリとの会話が弾んでしまい、インクが戻ったのはエターナの帰宅後だったのだ。
「実は外でお友達ができたの」
「それはめでたい」
「ロコリっていう、ほぼ同い年の子なんだけどね。中央区の公園あるでしょ?」
「いつも人が多いところ」
「あそこでピエロが芸をしてるの知ってる?」
「知らなかった。人だかりが出来ているのは知っているけど」
「そうそう、あれピエロを見るために集まってるんだって」
「インクも見に行ってたんだ」
「見に……っていうか、偶然出くわしたから、ちょっと足を止めてみたの。そしたらそこで声をかけられたんだ」
「もしかして、インクの顔を知ってた?」
「よくわかったねぇ」
「まあ、外で急に声をかけられるときって、だいたいそうだから」
エターナは少し疲れた様子でそう言った。
彼女は有名人であるが故に、そういう声のかけられ方をするのだろう。
実際、インクもエターナとデートしている際に、何度かそういう場面に出くわしたことがある。
「最初に声をかけられてからは、よく顔を合わせるようになってさ」
「その子と話しているうちに時間が過ぎていったと」
「そういうこと」
「……」
エターナは急に黙り込む。
インクは絡めたエターナの指に、わずかだが力が入っているような気がした。
途端にインクは「にひっ」といたずらっぽく笑う。
「エターナ、嫉妬してる?」
「少し」
「んふふー、エターナはかぁいいなあ。安心して、話に夢中になったのはエターナへの愛が溢れたせいだから!」
「どういうこと?」
「ロコリはエターナのファンらしくてさ、エターナについて教えてって言われたの。そこで熱く語ってたら、いつの間にか時間が過ぎてたってこと」
「そっか」
エターナは落ち着いた様子でそう返事をしながらも、絡めていた指を放すと、両腕でインクの体をぎゅっと抱きしめた。
インクからは顔が見えないが、上機嫌であることは動きから感じ取れる。
彼女もその行動に応えるように体を預けると、抱きしめる両腕にそっと手を添え触れ合わせた。
「それでね、ロコリに今度エターナに会いたいって言われたんだけど」
「会って何をするの」
「魔法を教わりたいんだって」
「ロコリという子の属性は?」
「風だったと思う」
「なら基礎的なことしか教えられないと思うけど」
「エターナの言う基礎って、学校で教わる基礎よりずっと高度らしいよ」
「それは当たり前」
謙遜もせずにそう言い切るエターナ。
こと魔法の技術に関しては、彼女はかなりの自信家である。
つまりそんな彼女から教わってきたインクも、同世代と比べると相当に高度な魔法技術を持っていることになる。
「まあ、インクの友達がそれを望むなら準備はしておく」
「ありがと、エターナ!」
まばゆい笑みを浮かべるインク。
ロコリはエターナのファンで、しかも外でいきなりインクに声をかけるようなタイプの人間。
実を言うと少し面倒だと思ったエターナだが、それでインクが笑顔になるのなら――と快く承諾するのであった。
◇◇◇
三日後の昼間、ロコリは家を尋ねてきた。
「おじゃまします」
「どーぞどーぞ……って、家はフラムの持ち物なんだけどね」
インクに迎え入れられた黒髪の少女は、挙動不審気味に周囲を見回している。
「ここがあの英雄たちの住む家……」
「そんな大したものじゃないよぉ? 見ての通り、ごく普通の――というか、コンシリアだと古い方の家だし」
「趣があります」
「そうかなぁ。確かに、思い出は色々詰まってるけど」
フラムとミルキットはデート中でいないので、多少騒がしくても問題ないタイミングだ。
二人は言葉を交わしながら、二階へ移動する。
部屋に入ると、そこにはエターナが待機していた。
その姿を見た途端、ロコリは「あぁ……」と感嘆の声を漏らす。
「こんにちは、ロコリ。インクから話は聞いている」
「エターナ様が私の名前を呼んでくれるなんて、感激です! よろしければ握手していただけませんか!?」
「構わないけど……」
その勢いに圧されながらも、握手に応えるエターナ。
するとロコリは両手で握った手をブンブンと上下させた。
エターナは困った様子で視線をインクに向ける。
それを見たインクは、頬をかきながら苦笑いを浮かべた。
「まあまあ、落ち着いてロコリ。エターナは逃げないから」
「はっ……ごめんなさい。憧れの人に会えて、つい」
「ロコリがわたしの熱烈なファンだということはわかった。けどその様子だと勉強を教わるのは難しそう」
「エターナ様の言葉なら、一言一句漏らさずに記憶できる自信がありますっ!」
その熱に圧され、インクに助けを求めるエターナ。
またしても苦笑いを浮かべるインクであった。
「ロコリ、とりあえず座ろうよ。話はそれから」
「あ……そ、そうですね。お願いする立場だというのに、失礼なことをしてしまいました。申し訳ありません」
「ふふ、別に構わない」
ようやく用意された椅子に腰掛けるロコリ。
インクとエターナも座り、同じテーブルを囲む。
いつもは部屋にこのようなテーブルは置いていない、ロコリに勉強を教えるために準備されたものだ。
「じゃあさっそく授業を始めようと思うけど……最初に言いたいことがある」
「何でもおっしゃってください、エターナ様!」
「それ」
「へ?」
「エターナ様というの、落ち着かないからせめて“さん”とかにしてほしい」
「そうですか……でしたら不躾ですが、エターナ先生とお呼びしてもよろしいでしょうか!」
「ま、まあ先生なら……」
声量に圧され、思わず承諾してしまうエターナ。
だが彼女の視線はインクに助けを求めていた。
三度苦笑するインク。
「エターナって特別扱いされるの苦手だもんね。ロコリはどうしても先生って呼びたいの?」
「はいっ! エターナ先生の授業を教わるのは多くのコンシリアの民にとっての夢ですから。こうして先生と呼ぶことすら私にとっては貴重な体験なのです」
「あはは……だってさ」
ごめん、諦めて――とエターナに視線を送るインク。
どうやらこれは仕方なく受け入れるしかないらしい。
観念したエターナは、そのまま授業を開始することにした。
◇◇◇
エターナによる魔法の授業は、みっちり四時間行われた。
休憩もなくぶっ通しで話を聞き続けたロコリだったが、その表情に疲れは見えない。
そして空の色も変わり始める頃、フラムたちが帰って来る前に、彼女は帰宅することとなった。
インクはロコリを家まで送り届ける。
二人は並んで歩きながら、満足気に今日の出来事について語り合っていた。
「やっぱりエターナの話ってわかりやすいよねえ」
「はい、感動しました。さすがに英雄と呼ばれるだけはあります。たった一日で一年分は魔法が上達したと思います」
「それはいいすぎじゃない……?」
「あれを毎日聞けるインクさんが羨ましいです」
エターナを褒められて、インクは自分のことのように照れた。
「にひひ、でしょー? あたしって幸せ者だなって思ってる」
「ふふふっ、謙遜したりしないんですね」
「だって幸せなものは幸せなんだもん。好きな人と一緒にいられて、しかも頭も良くなっちゃうんだよ?」
「確かに無駄のない時間ですね、一石二鳥です」
「二鳥どころか、エターナもあたしと一緒にいると幸せらしいから三鳥かなぁ」
容赦なくのろけるインク。
ロコリはくすくすと笑いながらそんな話を聞いていた。
「本当にお二人は仲がいいんですね」
「そりゃあもう。らぶらぶだしー?」
「そんなにも大切な人との時間を分けてくれるなんて、インクさんは優しいです」
「分けたっていうか……ロコリは友達だし、あれぐらいのお願いは聞いて当然かなって」
その言葉を聞いて、ロコリは足を止めた。
「インクさん……」
そして感動に瞳を潤ませる。
想像よりもオーバーなリアクションに、インクは頬を赤らめた。
「あ、あたしそんな感動するようなこと言った!?」
「なかなかいませんよ、私を友達だと言ってくれる人なんて」
「それは……ロコリの周囲にいる人がシャイなだけじゃない?」
「そんなことはないと思いますけど」
ロコリは噛みしめるようにつぶやく。
「友達、か……」
インクは、友達にまつわる嫌な思い出でもあるのだろうか――と推察する。
それを後押しするように、ロコリは儚げな笑みを浮かべた。
「素敵ですよね、友達って。大切なものを分け合える関係性です」
彼女も空気が湿っぽくなってしまったのを感じたのだろう、それを払拭するようにいたずらっ子のような表情で言った。
「ではインクさん、友達である私にエターナ先生をくださいって言ったら――」
「それはあげないよ!」
即答するインク。
「いくらロコリがエターナのファンだからって、絶対にそれはダメ!」
「ふふふっ」
そんな反応を面白がるようにロコリは笑っている。
「もう、急に変な冗談言うんだから。びっくりするよぉ」
急なからかいにインクは頬を膨らませる。
こんな調子で彼女はロコリを家まで送り届けるのだった。
◇◇◇
それから数日後、インクとロコリは再びあの公園で遭遇した。
いつも通りピエロを見ながら何気ない会話を交わしていると、ふいにロコリが切り出す。
「それで、先日の話は考えてくれましたか?」
「何のこと?」
「エターナ先生を私にくださいという話です」
しばしインクは固まった。
その話自体は覚えていたが、まさか今日まで引っ張ってくるとは。
なるほど、そういうジョークもあるのか――感心しつつ、彼女は言葉を返す。
「あははっ、だから冗談なんでしょ」
「……?」
今度はロコリが固まる番だった。
奇妙な沈黙の後、彼女はこてんと首を傾げる。
そして真顔で言った。
「いつ私が冗談とい言いましたか」
インクは嫌な予感がした。
マザーがインクを叱ったり、諭したりするときに似た緊張感だった。
「インクさんと私、友達なんですよね。友達なら、大事なものを分け与えてくれてもいいんじゃないでしょうか」
「ロコリ、冗談はやめて」
「ですから冗談ではないと言っています」
さらにロコリはインクの両手をぎゅっと掴むと、顔を近づけて言う。
「私にエターナ先生をください」
本気なのだと。
言葉だけでなく、瞳からも伝えながら。
あっけにとられるインクだったが、当然そんな要求を受け入れるはずがない。
力いっぱい手を振り払い、声を荒らげて反論する。
「あげるわけないでしょ!」
「友達なのに、ですか?」
「そういうのは友達とか関係ないの。これ以上言ったら怒るからね!?」
大きめのボリュームで怒鳴るインクとは対照的に、ロコリは静かに「そうですか」とつぶやき目を伏せる。
落ち込んでいるらしいが、インクはそれに寄り添う必要性を感じなかった。
その日は仲直りすることもなく、言葉も交わさずに二人は別れた。
◇◇◇
インクはそれから何度か公園を訪れたが、ロコリと会うことはなかった。
言い過ぎた――とは思わないが、仲直りはしたい。
しかしその機会すらなかなか訪れなかった。
◇◇◇
ある日、研究所で論文を書いていたエターナは、ドアをノックする音に気づきその手を止めた。
コンコンコン、と誰かは少し苛立たしげに扉を叩いている。
どうやら集中しすぎるあまり、周囲の音が聞こえていなかったらしい。
「入って構わない」
そう言うと、白衣姿の女性が現れた。
彼女は同じくこの研究所で働く同僚の一人だ。
「忙しいところお邪魔します」
「忙しくはないけど」
「知ってますよ」
本当に部屋に入ってほしくないときは、外にそう書かれた札をかけておく。
今日はそれが無かったので、女性も容赦なくノックをしたというわけである。
「お客さんです、入り口の方で待ってます」
「予定には入ってない。もしかしてインク?」
「そのお友達です。エターナ様の生徒だとも言ってましたよ。眼鏡をかけた大人しそうな女の子でした」
「ロコリが? どうしてわたしのところに。というか、部外者なんだから普通はわたしを呼ばずに追い出すはず」
「それが泣きじゃくっちゃったんですよ。手に負えなくなって、まあエターナ様なら会ってくれるんじゃないかって話になって」
「無防備すぎる」
「特に怪しいものも持っていなければ、スキャンを使っても異常なとこなかったですし……もしかして訳ありですか?」
「まあ……」
インクとロコリの間に何があったのか、エターナは知らない。
だがロコリと会ったあと、インクの様子がおかしかったことは覚えている。
会話の中にロコリの名前が出てくる頻度もめっきり減ってしまったし、何かが起きたんじゃないか――と感づいてはいた。
(いい機会だし、本人に聞けばいいか)
泣きじゃくっていた、というところが気になる。
というより、少し
エターナは仕方なく、ロコリが待っているという応接室へ向かった。
◇◇◇
エターナが部屋に入った途端、ロコリは抱きついてきた。
無防備なエターナは軽くよろめく。
が、すぐにその肩を掴んで一旦引き剥がした。
「いきなり飛び出してきたら危ない」
「エターナ先生っ!」
瞳に涙を浮かべて再び抱きつこうとするロコリ。
しかしエターナはそれを許さなかった。
水でできた右腕をにゅるりと変形させるとロコリの体を掴み、持ち上げ、そして触手のように伸ばして応接室のソファに座らせる。
そして自身も向かい合う形で腰掛けた。
「エターナ先生……私を慰めてくれないんですか」
「まずは落ち着いて話を聞く必要がある」
エターナは警戒していた。
ロコリの涙に嘘めいたものを感じたからだ。
そして同時に、インクの様子がおかしかった理由も察する。
(結局、わたし目当てで近づいてきたわけだ)
インクの同世代の友達になってくれれば、と思って二人の関係を応援するつもりだったが――この様子だと無理みたいだ。
「ぐすっ……うぅ、冷たいです、エターナ先生……」
「一度顔を合わせただけ。そこまで深い関係になった覚えはない」
「私はインクさんの友達です! エターナ先生とも友達と言っていいんじゃないでしょうか」
「言えない。人間関係はそう単純ではない」
冷たく突き放すようなエターナの言葉を聞くたびに、ロコリは傷ついたような表情を見せた。
「私……エターナ先生しか頼れる人がいないんです……」
「インクは?」
「インクさんでは満たせない想いもあります。あのエターナ先生、隣に――」
「このまま話すべき」
「どうしてですか?」
「わたしが言葉による意思疎通で十分にわかりあえると判断したから」
「それでは足りません」
「回りくどい。早く要件を言って」
苛立ちを隠せない――というより、あえて隠さないエターナ。
対するロコリは被害者めいた涙を流す。
同情はない。
そして次の彼女の発した言葉を聞いた瞬間に、その選択が正しかったと確信する。
「エターナ先生、私のものになってくれませんか?」
正直に言うと、意味がわからなかった。
通常、一度しか会ったことのない相手が使う言葉ではないからだ。
いや、ロマンス小説の中には、初対面の相手にそういった言葉を言い放つ男が登場するかもしれないが――少なくとも現実ではありえないことだ。
さらにロコリは言葉を続ける。
「インクさんから許可はいただきました。友達になったということで、快く譲ってくださるそうです」
ロコリの表情から罪悪感は読み取れない。
悪びれず、堂々とそう言い放っている。
ありえないことを。
明らかな嘘を。
「話にならない」
「インクさんを裏切るんですか?」
「インクを裏切っておいてよく言う」
エターナはむき出しの殺意をロコリに向けた。
途端に少女は目を見開く。
おそらくそれは、彼女が人生において一度も感じたことのない“寒気”だったに違いない。
エターナは数々の修羅場を越えてきた一流の魔術師だ。
命の奪い合いだって何度もくぐり抜けてきた。
対するは戦いの経験などない、少し勘違いしているだけの女の子。
通常ならばまるで金縛りにあったように体が動かなくなるはずだ。
そう、通常ならば。
しかし――ロコリは次の瞬間、笑っていた。
自らの体を抱きしめるように腕を交差させ、瞳を濡らしながら、口角を吊り上げている。
「エターナ先生、素敵……」
エターナは即座に理解する。
ああ、この少女は、ただの距離感を間違えた自分のファンなどではない。
異常者だ。
近づけば、不幸をばらまくだけの。
「もういい、帰って」
「待ってくださいエターナ先生! 私、私っ!」
「今回は意識を奪うだけで済ませるけど」
「エターナ先生のことあいし――」
「次以降は容赦しない」
バチンッ! とロコリの目の前で泡が弾けた。
その音と衝撃で彼女は気絶し、ソファの上に倒れる。
エターナはその体を腕から伸ばした水の触手で持ち上げ、外へと運び出す。
そして研究所を出てすぐの場所で、水で作り出した犬の背中に乗せると、ロコリの通う学校まで連れて行くよう命じた。
今の時間は、下校時間の前だ。
彼女は授業をサボってここに来たということになる。
「今ので諦めてくれるといいけど」
遠ざかる犬の姿を見ながら、エターナはつぶやく。
「そう甘くはないか。インクのことちゃんと守らないと」
いっそ戦いで決着を付けられる相手ならよかったのだが、ロコリの場合はそうもいかない。
事が落ち着くまでは、インクから絶対に目を離さないと固く誓うエターナであった。
◇◇◇
その夜、インクはベッドの上で、魔力増幅曜球体を抱きしめながらゴロゴロとしていた。
一方でエターナは、やり残した仕事があるためデスクに向かい合っている。
とはいえ、さほど量は無い。
エターナが「よし」と言ってペンを離すと、待ってましたと言わんばかりに、インクは球体を投げ出しその背中に抱きつく。
「エターナ、終わった?」
「うん、終わり」
「やったーっ! スーパーいちゃいちゃターイム! んーっ」
まず手始めに、と目を閉じ顔を近づけるインク。
エターナは軽くその頬に手を当て、唇を重ねた。
「んふふー、エターナとちゅーをすると生きてるって感じがしますなあ」
「おじさんくさい」
「出ちゃうんだよぉ、幸せすぎてあたしの中のおじさんが!」
インクの中におじさんがいることに微妙にショックを受けつつ、ベッドに移動するエターナ。
二人はその縁に並んで座ると、手を重ねて至近距離で見つめ合う。
いつもなら、ここから無意味だが心が満たされる、甘ったるい言葉を交わすのだが――今日はそうもいかなかった。
「インク、大事な話がある」
真剣な表情でそう言われ、インクは目をまん丸くして驚いた。
「あやぁ、そういうテンションの日?」
「実は今日、研究所にロコリが来た」
「あの子が!?」
驚愕のみならず、インクの瞳が不安に揺れている。
やはりエターナの予想はあたっていたらしい。
「変なこと言ってなかった?」
「言われた。わたしのものになってくれとか」
「やっぱりそうなんだ……」
「前も同じことを言われた?」
「うん、友達ならエターナを譲ってくれるはず、って」
「ごめん、インク」
そう言って、インクの肩を抱き寄せるエターナ。
「なんでエターナが謝ってるの」
「結局、あの子はわたし目当てだった。それにインクを巻き込んで、傷つけてしまった」
「悪いのはロコリだもん」
「だとしても……」
「こういうこともあるんだって、いい経験になったと思うことにする」
インクはそう自分自身に言い聞かせる。
けれど辛いものは辛くて、エターナに身を委ね、少しだけ心を支えてもらおうとした。
「だって、エターナがあたしを学校に行かせたがったのって、そういう意味でもあるんでしょ? 色んな人と出会ってく中で、いい人もいれば、悪い人もいる。あたし、そういうの知らないからさ」
「そういう気持ちもあったかもしれないけれど……」
今になって思えば、愚かな真似だったとエターナは反省していた。
だってこんなにも愛おしい存在を、手放そうとしていたのだから。
その後悔を戒めるように、インクを抱き寄せる腕に少し力を込める。
「できれば、悪い人には出会ってほしくない。インクにはいつだって笑っていてほしい」
インクは頼もしい恋人の言葉に頬を緩める。
「エターナ、前より甘々になっちゃったねぇ」
「そうなるって決めたから」
愛すると決めた。
だったらどこまでも甘やかして、誰よりも幸せにしてみせる。
それがエターナの人生における最大の目標だ
「一応、ロコリに関しては釘を刺しておいたけど、あれで反省するかは……」
「うん、気をつけとく」
「たぶん説得とか無駄なタイプの人間だと思う」
「あたしもそんな気がしてる」
オリジンとの戦いの中で、あの手の話を聞かないタイプの人間とは何度か遭遇してきた。
経験上、あの手の人間とは言葉を交わすだけで無駄なカロリーを消費するくせに、何の効果も得られないのだ。
そしてタチの悪いことに、ああいった突き抜けたマイペースさは、本人を満たし幸せにする。
だから改善も望めない。
「あの公園にも近づかないようにしないとなー。まあ、元からピエロは怖かったんだけど」
「怖いのに見てたんだ」
「怖いものみたさ、だったのかなぁ。なーんか気になっちゃうんだよね、あの人」
「もし暇になったなら、明日は別のどこかに出かける?」
「え、仕事の予定じゃなかったっけ」
「休みにした」
言うまでもなく、インクのためである。
「んふふー、エターナぁ」
思わず猫なで声が出てしまう。
もうこうなったら止まらない。
今夜のインクは、どこまでもベタベタとエターナに甘えるだろう。
「だーい好き」
それは聞いているだけで胸が締め付けられ、体が熱くなる、魔法より魔法めいた声だ。
そんな砂糖の塊をエターナがぎゅっと抱きしめると、二人はそのままベッドの上にごろんと転がった。
◇◇◇
それから一週間後。
フラムとエターナは、珍しく二人でカフェを訪れていた。
テラス席でそれぞれホットミルクと砂糖多めのカフェオレを飲んでいる。
フラムはミルクを一口飲み込むと、「はぁ」と息を吐き出した。
「何か抱えてそうだなとは思ってましたが、そういう経緯だったんですか……」
彼女はエターナから、ロコリという少女について聞いたところだった。
ちなみにロコリは研究所に現れて以降、インクとは接触していない。
「本当は黙っておくつもりだった。個人的な厄介事にフラムたちを巻き込むべきではないと思ったから」
浮かない表情でそう語るエターナ。
それに対してフラムはこう返した。
「それを話したってことは“個人的”じゃなくなったんですね」
エターナはこくりとうなずき、さらに険しい表情で現状について話す。
「一昨日、ロコリが自ら命を絶ったらしい」
「死んじゃったんですか?」
「いや、死んではいない。未遂で済んだそうだけれど、意識不明。面会謝絶。部外者であるわたしたちは接触できない状況にある」
思いの外、重大な事態になっていることにフラムは驚きを隠せない。
「インクにはそのことを――いや、聞かれたくないからわざわざ外で話してるのか」
「インクは耳がいいから、家で話すと聞かれてしまう可能性が高い」
「でも先に私に相談するってことは、それがただの自殺じゃないってことですよね」
「遺書が残されていた」
そう言って、エターナは懐から白い封筒を取り出す。
フラムはそんなところに入れていたのかは聞かないことにした。
「どうしてそれをエターナさんが持ってるんです?」
「ロコリの父親がわざわざ研究所まで来て、怒鳴り散らしながらわたしに押し付けてきた」
フラムは、その場面を想像するだけで胃がキリキリと痛んだ。
一方的に暴れて、一人で命を捨てようとしたロコリ。
その父親が、これまた一方的にエターナに責任を押し付けようというのだから。
ふざけんな、と一蹴したいところだが、現実的に考えるとそうもいかない。
エターナも彼を追い返すのにさぞ苦労したことだろう。
「災難でしたね」
「本当にそう……と言いたいところだけれど、インクに近づくのを止められなかったのはわたしの責任だから」
「あんまり自分を責めないでくださいね、悪いのは相手なんですから」
「ふふ、わかっている」
「ところで、その遺書って中身を見てもいいんですか?」
フラムが念の為確認をすると、エターナはためらいがちに頷いた。
「大丈夫……だと思う」
自信がなさげだ。
一体どのような文章が書いてあるというのか。
フラムはエターナが差し出した封筒を受け取ると、中から手紙を取り出し、記された少女の歪みを読み取っていく。
――ごめんなさい、私は大きな過ちを犯してしまいました
エターナ先生の気持ちを考えずに、自分の気持ちばかりを押し付けてしまい申し訳ありません。
しかしエターナ先生へのこの想いは捨てることができませんでした。
教えてください、エターナ先生。
愚かな私は地獄に堕ちるべきでしょうか。
教えてください、エターナ先生。
地獄とはどのような場所でしょうか。
教えてください、エターナ先生。
愛している人に愛されないこの場所よりも苦しい場所でしょうか。
今、私の手にはナイフが握られています。
この刃が魂を地獄へ連れて行ってくれるそうです。
誰かを傷つけることしか出来ない愚かな私は地獄に堕ちます。
さようなら、先生。
一通り読み終えたところで、フラムはため息をついた。
「なんていうか……身勝手な手紙、ですね」
それが彼女が最初に抱いた感想であった。
「インクへの謝罪がないんですもん」
「わたしも同感だった」
頷くエターナ。
どうやらロコリはエターナのことばかり考えて、インクのことなど頭にない様子である。
「あまり怪我人を責めたくないけれど、話が通じないタイプの人間なのは間違いない」
しかしこの手紙には、さらに別の問題点もあった。
「ところでフラム、この手紙に書かれている“地獄”についてどう思う」
地獄――それは先日発見された呪いの書に記されていた、邪な魂が行きつくべき場所。
現実には存在しないため、それを人工的に作ろうとした者がいたのだ。
「確かに、刃が魂を連れて行くって言い回しは気になりますね。仮にロコリって子が呪いの武器を手にしていたとしても、地獄の件までは知らないはずなのに」
「ロコリの一連の行動が、呪いの影響を受けておかしくなった結果だとも考えられる」
「けど呪いの本はとっくに回収されて、研究所で保管されるんですよね」
「確認したけど、誰かに奪われたり、勝手に閲覧されたりもしていない」
「じゃあ、似たような本がまだあるのか……それともまったく別の呪いの装備が関係しているのか」
「もしくは素のロコリがそういう人間だった、という可能性もあるけれど」
「一番考えたくない可能性ですね」
思わず苦笑いするフラムだったが、絶対にありえないわけではない。
「フラム。聞いての通り、あまり関わりたくない問題だとは思うけれど――」
「呪い絡みと来たら私が関わらないわけにはいきません。どーんと任せてくださいよ、前回みたいに」
「助かる。正直に言うと、かなり困っていた」
「確かに調べにくいですもんねぇ。どこでロコリって子の父親と遭遇するかわかんないですし」
自殺未遂をしたとなると、エターナもまったく罪悪感を抱かないわけではない。
自分は悪くないと理解した上で、嫌な気分が胸のあたりでモヤモヤとしているのだ。
だからこそ真相を暴きたいのだが、エターナ本人が昏睡状態のロコリに会いに行けば、自ずとその父親ともエンカウントすることになってしまう。
フラムはそのためのヘルプなのである。
「じゃあまずは、運び込まれた病院にでも向かってみようと思います。お会計を――」
「わたしが奢る」
「あー……ではここはお言葉に甘えて。ごちそうさまです」
依頼料――というわけではないが、ここは大人しく奢られてくれた方が、エターナも気が楽だった。
支払いを済ませると、フラムとエターナはそれぞれ異なる場所を目指して歩き出す。
すぐに別れることになるが、途中までは方角は同じだった。
雑踏の中、人々の視線を受けながらも、それに慣れた様子で並んで二人は歩く。
「インクもまだ吹っ切れてはいないんでしょうねぇ」
「あの子も色々あったけど、何だかんだで周囲にいたのは情に厚い子が多かったから。こうして明確に裏切られる経験はあまりないはず」
エターナは目を細め、胸に手を当てた。
「しばらくは傍にいたい」
そんな彼女の言葉を聞いて、フラムは優しく微笑むのだった。
◇◇◇
エターナと別れたあと、フラムが向かったのは医療魔術師組合の本部だった。
受付でフラムが「セーラに会いたい」と伝えると、すぐに奥に通してくれた。
スケジュールが厳しいなら後回しでいい、とは言ったのだが――今はセーラも暇だったのだろう、と思うことにする。
組合長室に入ると、デスクに向かっていた彼女は立ち上がり、いつも通りの太陽のような笑顔でフラムを迎えた。
「こんにちはっす、フラムおねーさんっ」
「こんにちは、セーラちゃん。ごめんね、急に来ちゃって」
「おねーさんならいつでも大歓迎っすよ!」
責任ある立場になっても、セーラは変わらず天真爛漫だ。
そんな彼女のことを、フラムは素直に尊敬していた。
部屋にある応接用のソファに場所を移すと、さっそくフラムは事情を説明した。
「……なるほど、あの子が目を覚まさないのは呪いが原因かもしれないんすね」
組合長と言えど、さすがに全ての病院に入院している患者のことまでは知らないと思っていたのだが、どうやらセーラはロコリのことを把握しているらしい。
さすがと言うべきか、はたまた注目するだけの理由があったのか。
「セーラちゃんは、エターナさんがいる研究所で起きた事件について知ってる?」
「検死に立ち会ったっすよ。特に大量の呪いの武器を吐き出して死んだ商人の方は、壮絶だったっすからね」
「胃袋に入る量を完全に超えてたんだっけ」
「臓器というよりは、全身に寄生するような状態で呪いの武器が入り込んでたらしいっす」
「うへぇ、聞くだけで寒気がしてくる……よくそれで生きてたね」
「まだ詳しくはわかってないっすけど、呪いで命が繋がれてたってことっすかね」
「そう聞くとまるで私だね」
「おねーさんは反転してるっすからねぇ。呪いそのものに生命と似た力があるというのは、興味深い話だと思ったっす」
呪いの武器のルーツをたどっていくと、そこには地獄がある。
地獄とは悪人の魂を閉じ込める器のこと。
そういう意味では、人間の生命と密接に関係している。
「死体に魔力が溜まるだけでグールになったりもするっすし、人体が案外融通が利くだけとも言えるっすけど」
「わかる。頑丈だよね人間の体って」
「おねーさんが言うと妙な説得力があるっすね……」
脳幹か心臓さえ破壊されなければ不死身なのだから、そう感じてしまうのも仕方ない。
そんな物騒な会話が一段落したところで、セーラは切り出した。
「じゃあさっそく、ロコリって子に会いに行くっすか」
「そんな簡単にいいの?」
「実を言うと、おらもおねーさんに助けを求めようと思ってたところだったんすよ」
セーラはそんなことを言い出した。
要するに、呼ぼうと思っていたタイミングでフラムが来たということだ。
「セーラちゃんが私に? またなんで」
「そのロコリって子が困った状態なんすよ。とりあえず会ってみてほしいっす、今はこの施設に入院してるっすから」
確かにこの組合本部にも入院設備はある。
フラムも以前、ここでセーラに処置を行ってもらった経験がある。
しかしわざわざ移送されてきたということは、ただ怪我をして意識が戻らないだけでなく、相当な病を抱えているということだ。
セーラに案内され、フラムは別室に移動する。
関係者以外立入禁止と書かれた扉を抜け、その先にある病室に入ると、黒髪の大人しそうな少女がベッドの上で目を閉じていた。
「この子がロコリ?」
「だと思うっす」
なぜか確証が持てないような言い方だ。
スキャンをすれば名前なんてすぐにわかるだろうに。
(それにしても……こうやって見た限りだと、あんなことする子には見えないけどな)
目は閉じているため、完全に人となりを見抜けるわけではないが――顔立ちは素朴で素直、特徴といえば口元のほくろぐらい。
エターナの話から想像できる人相とはまるっきり別物だ。
「外傷は無いみたいだけど」
「スキャンを使ってみてほしいっす」
許可が出たところで、フラムは瞳に魔力を込め、少女にスキャンを使った。
--------------------
属性:
筋 :15
魔力:9
体力:18
捷:10
覚:30
--------------------
全体的に低めの数値ではあるものの、一般人の枠に収まるステータスだ。
――数値だけを見れば。
「ん、んん?」
フラムは瞬きを繰り返し、目を凝らして確かめてみたが、やはり文字は抜けたまま。
名前に至っては一切見えない。
「どうなってるのこれ……」
「やっぱおねーさんから見ても不思議なんすね」
「変なステータス自体はいっぱい見てきたけど、この子は言うほど異常な状態に見えないし。外傷だって無いよね」
「検査しても変なとこは無いのに、意識が戻らないんすよ」
「呪いの装備を身につけてるわけでもなければ――うん、体内に何かが残ってるわけでもない。だとすると、本当に魂が抜けて……」
「呪いの装備に斬りつけられて、魂を抜かれたってことっすか? でもおねーさんの魂喰いもそんなことはできなかったっすよね」
セーラの言う通り、魂喰いは生命を奪えばステータスが上昇するが、斬りつけて相手の魂を奪うようなことはできない。
また、魂喰いで殺したはずのデインやチルドレンが、転生してフラムの前に現れたことから、ステータス上昇も魂そのものを吸い取っているのではなく、怨念のようなものを取り込んでいると思われる。
一方で魂を収納する機能が無いのかと言われれば、そういうわけではない。
先日のスレイの一件を経て、神喰らいにはステータスの微小な変化があった。
剣で殺していないにもかかわらず、だ。
フラム自身、あの現象をどう解釈していいのか今も答えを出せていないが、仮にスレイの魂が神喰らいに宿ったのだとしたら――
「斬りつけられた人間が自ら望めば、呪いの武器の中に魂を封じ込めることはできるのかもしれない」
もっとも、それは呪いの武器が“地獄”として作られていた場合、という前提が必要だが。
つまり現代の、ただ怨念を吸い込んで呪いと化した武具ではない。
数千年前から残っているものか、あるいは現代において意図的に地獄として生み出されたもの。
そういったものが、ロコリの手に渡っていなければ成立しないのだ。
「じゃあその呪いの武器を壊せば、魂も解放されて戻ってくるんすかね」
「んー……どうだろ、場合によってはそのまま召されちゃいそうな気もするけど……」
「念のために魂を誘導する手段も考えておくべきっすか」
しかし今から研究して探し出す、というのは難しそうだ。
現時点で魂に干渉できそうな方法、あるいは人物――どこかにいないかと二人して頭をひねっていると、フラムがぽんと手を叩いた。
「リートゥスさんならできるんじゃない?」
「確かにそうっすね、あの人なら魂に触れられるはずっす! さすがおねーさんっす!」
実際、リートゥスはあの世に向かうディーザの魂を捕まえ、バラバラに引きちぎったことがある。
魂を宿した呪いの武器を破壊し、そこから出てきた魂をリートゥスに確保してもらい、ロコリの体に戻す。
これで彼女を治療することができるはずだ。
「そうと決まったら魔王城に話してくるっす!」
「あ、待ってセーラちゃん! この子が使った呪いの武器って回収されてるの?」
「あっ……そういえば無かったっす……」
「無いっていうと?」
「現場に無かったんすよ。同居してる父親も知らないって言ってたんで」
「自殺だったのに、凶器が無い?」
「おかしな話っすよね……呪いの武器だから、勝手に消えたとかっすかね」
いくら呪われているとはいえ、武器が単体で動いてどこかに消えるとは考えにくいが。
それとも、魂が宿っていればそういったことも可能なのだろうか。
「何にせよ、まずはそれを探すところからかな。さすがにセーラちゃんの専門外だから、私が動くよ」
「おねーさんだけで大丈夫っすか?」
「エターナさんもいるし、場合によっては軍にも協力を要請するから大丈夫。セーラちゃんはこの子の様子を見といてあげて。魂が無い状態でいつまで生きられるかわからないし」
「わかったっす。魂が見つかるまでは絶対に生き延びさせるっす!」
セーラはまだまだ幼く見えるが、医療魔術師としては間違いなく世界一の腕を持っている。
彼女にならフラムも安心して任せられた。
こうして話を終えて病室を出た二人だが、組合長室に戻る道中でフラムが口を開く。
「実はさ、今日ここに来た理由はもう一個あって」
「ロコリとは別件っすか?」
「うん、完全に別件。私の個人的な相談」
あまり他の人に聞かれたくないのか、フラムが続きを話したのは部屋に入ってからだった。
再びソファに腰掛けると、フラムは神妙な顔で語り始める。
「最近、ミルキットの幻覚が見えるの」
それを聞いたセーラは、しばし硬直した。
ミルキットの幻覚。
その単語の意味が理解できなかったからだ。
そして首を傾けハテナマークを浮かべながら、素朴な疑問をフラムに投げかける。
「それって本物じゃないんすか?」
対するフラムは首を横に振る。
「いや、幻覚。だってミルキットがいるときも見えるから」
ミルキットがいるときも見える、ミルキットの幻覚。
ますますわからなくなるセーラに、フラムは――
「つまり、ミルキットが二人に増えてるの」
自分が見た光景をそのまま説明するのだった。
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