【コミック五巻発売記念】EX13 英雄は誰がために戦うか

 



「連続殺人犯が失踪、ですか?」




 昼下がりのフラム家。


 フラムはエターナの言葉に、首を傾げた。


 椅子に腰掛けるフラムの隣には、腕を絡めて密着するミルキットがいる。


 さらに二人とテーブルを挟んだ向かい側にはエターナと、これまた彼女に腕を絡め、半ば抱きつくようにして座るインクの姿があった。


 やたら距離が近い二組だったが、最近はすっかりこれが定位置になっている。




「そう、王都から少し離れた場所ではあるけど、研究所で小耳に挟んだ」


「そんな事件があったなんて知りませんでした」


「仕方ありませんよ、ご主人様でも王都の外の事件まで網羅することはできませんから」


「でもさー、いい方は悪いカモだけど殺人事件ってそこまで珍しくなくない? なんで研究所で話題になってるの?」




 インクの疑問に、エターナは神妙な表情で答えた。




「その犯人の手口が問題。地元のギルドは早い段階でその人物が犯人だと特定できていたらしい」


「でも捕まらなかった、と。逃げるのが得意な能力なんでしょうか」


「いや、それが実際に手を下すわけではないらしい。アリバイもある」


「あ、わかった。他人を操る能力だったりして!」


「残念だけどそういうものでもない」


「えー、違うのぉ?」


「ではどんな能力なんでしょうか」




 さっぱり予想のつかないミルキット。


 フラムとインクも同様のようで、視線はエターナに集中した。




「愛念」


「あいねん……それが属性の名前、ですか」


「その通り。その男は愛の伝道師を名乗り、普段は冒険者として活動していたらしい。ただ具体的にどういう能力かはわからないし、使ったところを見た人間もいない」


「愛の伝道師なんて名乗るぐらいで、普段の言動からその男が犯人で間違いないと思われてたわけですね」


「そう、フラムの言う通り。狙われたのはどれも恋人や夫婦ばかりだったそうだから、“愛”を由来とする能力である可能性がかなり高い」


「それで犯人を捕まえるための証拠探しをご主人様に依頼するんですね!」




 そう理解するミルキットだったが、エターナは首を横に振った。




「では、一体何をご主人様に……?」


「数週間前、その男の死体が発見された」


「あちゃー、恨んでた誰かがやっちゃったんだね」


「その死体には頭部が無く、体からも臓器が摘出された状態だった」




 衝撃的な死体の状態を聞かされ、ごくりと喉を鳴らすインク。


 ミルキットも、フラムに抱きつく力をきゅっと強める。


 一方でエターナは真剣な眼差しをフラムに向けた。




「フラムはどう思う?」


「復讐のための殺人というよりは、何らかの儀式的な意図を感じるやり口ですね。頭部を持ち出しただけなら怨恨の線も考えられますが、臓器の摘出までやったとなると」


「わたしも同感」


「研究所で噂になってたってことは、消えた臓器の使い道に何らかの心当たりがあったということじゃないんですか」




 するとエターナは目を伏せ、ため息混じりに語る。




「これもまた噂に過ぎないけど――世の中にはどうしても、どうしようもない悪人というやつが存在する。そういうやつらは、人の多い場所で活動したがる」


「ご主人様がいる限り、そんなことはできないはずです」


「そう、そういう連中にとってフラムの存在は邪魔でしょうがない。けどフラムに対して正攻法で勝てるはずがない」


「そっか、そのために希少属性が必要ってことなのか」


「わたしもインクと同じ考え。シアの夢想同様に、初見では対処方法のわからない不可視の能力でフラムを狙う――あるいはフラムも感知できない方法で犯罪を行う。そのために犯罪組織が希少属性を集めているという噂がある」




 集める――その言葉に引っかかりを覚えるフラム。


 エターナも、文字通りの意味で言ったわけではなさそうだ。


 連続殺人犯の臓器が抜かれたという件と合わせて、不穏なものを感じる。




「けどこれはどちらも噂。明確な証拠があるわけでもない」


「確かに動きにくいですよね……」


「けど連中の狙いがフラムにある以上、フラムには伝えておく必要があると思った」




 フラムも自分が無敵ではないことを知っている。


 強くはなったし、多少の無茶は通せるが、認知外の攻撃で何か大切なものを奪われてしまう可能性もゼロではない。




「ありがとうございます、エターナさん。確かに理解できない力ってこの世にたくさん存在してますからね」




 なにせ、その最たるものが手元にあるのだ。


 神殺し――魂喰い。


 そう呼ばれる剣は、未だにフラムでも理解できない。




「大切な人を傷つけられないためにも、気をつけようと思います」




 そう言って、隣のミルキットを抱き寄せるフラム。


 ミルキットはぽーっと熱に浮かされたような表情で、そんなフラムを見つめる。




「そうしてほしい」




 エターナはそう言って満足気に微笑んだ。


 そして隣のインクが何かを抗議するようにじっと見ていたので、しぶしぶ抱き寄せるのだった。




 ◇◇◇




 数日後、フラムは西区ギルドを訪れていた。


 久しぶりに呼び出しがかかったのだ。


 受付のメイアに近づくと、彼女はくいっと眼鏡を持ち上げ、きらりとレンズを光らせた。




「お待ちしておりました、フラム様」


「お待たせしました。それで今日の依頼は何なんですか」




 フラムに割り振られる依頼は、どれもランクSの厄介なものばかり。


 いくらフラムが最強の力を持っているとはいえ、割と面倒だったりする。




「いえ、実は今回は依頼ではないのです」




 しかしメイアが発したのは意外な言葉だった。




「依頼じゃないってどういうことです?」


「気になる噂を耳に挟みまして、フラム様にお伝えした方がいいかと思いまして」


「噂……ですか」




 フラムが思い出したのは、数日前のエターナとの会話だ。


 あのときも噂、という曖昧な言い方をしていた。


 それもこれも、“犯人”の正体がわかっていないからだ。




「フィアロという街をご存知でしょうか」


「もちろん知ってますよ、あの結構大きい街ですよね。商人がいっぱいいる」


「ええ、その街で仕事をしていた冒険者がこんなことを言っていたんです」




 メイアは鋭い眼差しでフラムを真っ直ぐに見据え、告げる。




「ライナス・レディアンツに会った、と」




 それを聞いたフラムは即座に否定した。




「そんなはずありません、だってライナスさんはっ!」


「ええ、それはこちらも承知しております。彼は間違いなく死亡しているはずです」


「偽物……ですか」


「英雄を騙る詐欺師はここコンシリアでも度々確認されています。それらと類似した事件であればさしたる問題は無いのですが……」


「まだ何かあるんですね」


「フィアロではここ最近、変死事件が相次いでいるんです」


「変死……まさか恋人や夫婦ばかり狙われる事件、だったりしませんよね」




 フラムがそう尋ねると、メイアは驚いた様子だった。




「ご存知だったんですか?」


「知ってたわけではないんですが……エターナさんの不安が的中したわけだ」




 思わず頭を抱えるフラム。


 かの英雄が苦悩している姿を前に、メイアも不安を抱く。




「どうやらただの噂では無いようですね」


「ええ、すぐに私が調べに向かいます。それとライナスさんと会ったという冒険者の身元を教えてください」


「わかりました、こちらが持っている情報を全て差し上げます」




 メイアは立ち上がると、素早く資料を集めはじめる。


 残されたフラムは近くに置かれたベンチに腰掛けると、天井を見上げた。




「希少属性の移植……か。どうしてこう、悪人は妙な方向に頭が回るんだろ」




 ため息をつき、目を閉じるフラム。


 彼女は落ち込みそうな気持ちを、ミルキットの姿を思い浮かべることで回復させるのだった。




 ◇◇◇




 翌日、フラムはさっそくフィアロの街を訪れていた。


 隣にはミルキットの姿もある。


 二人はフードを深く被り、変装していた。




「うわあ、前に来たときよりもさらに人が増えてますね」


「うん、コンシリアだけじゃなくて周辺の街もにぎやかになってるみたい」




 発展するコンシリアの影響を受け、王国全体が活気に包まれている。


 だがその一方で、激しい変化は多くの影を生み出す。


 それを暴くために、フラムはここに来たのだ。


 しかし相手の能力が何なのかわからないため、ミルキットは一番安全な自分の側に置いておくことにした。




「ゆっくり見れたらよかったんだけど。ごめんね、今度は旅行で来よう」


「私はご主人様と一緒に新しい風景を歩くだけで幸せですよ」


「そう言ってくれるミルキットだから、もっと幸せにしたくなるの」




 照れるミルキット。


 ローブの下で指を絡め、しっかりと握りしめるフラム。


 彼女たちはそのまま、フィアロのギルドへ向かった。


 受付で話を通すと、ギルドマスターの男性が顔を出し、奥の別室へ案内される。


 応接室で、小太りのギルドマスターと向き合うフラムとミルキット。


 彼は英雄を前に緊張した面持ちながらも、しっかりとした口調で話しだした。




「まさかフラム様本人が来てくださるとは、お手を煩わせてしまい申し訳ない」


「かしこまらないでください、今回は依頼というよりは私自身が気になって来たわけですから」




 ギルドにも面子というものがある。


 フラムが出てくるということはすなわち、その地の冒険者だけでは対処できない問題が発生したということ。


 仕方のないことではあるのだが、その土地のギルドとしては恥でもある。


 フラムはそういったギルドの立場を尊重し、今回は個人的な来訪という扱いにしていた。




「しかし例の事件を我々が解決できていないのも事実ですから」


「変死事件ですか……ちなみに被害者はどういった死に方を?」


「心停止です。外傷は無く、寝ている間に何の前触れもなく死んでしまうのだとか」


「まるで呪いの類ですね」


「ええ、実際そんな噂が立ってるんですよ。おかげでこの街から逃げ出す夫婦や恋人たちが相次いでいる」




「話は変わりますが、ライナスさんを名乗る人間がいる、というのは?」


「ああ、そちらに関しては見ていただいたほうが早いですよ」


「本人がいるんですか」


「数日前に堂々とギルドに姿を現してからというもの、平然とライナスという名前を使って冒険者として活動をしています」




 そんな馬鹿な――と口走りそうになったが、ぐっと抑えるフラム。




「おそらくそろそろ依頼を終えて戻ってくる頃です」




 ギルドマスターはフラムとミルキットを、遠くから受付が見える場所に案内した。


 身をかがめてみれば、冒険者側からはあまり見えない位置である。


 それから五分ほど待つと、緑髪の男性がギルドに入ってきた。


 冒険者たちがざわついている。


 それもそのはずだ、その姿は確かに――




「ライナスさんそっくり」




 本人と言われても納得してしまうほど、ライナス・レディアンツそのものだったのだから。




「ご主人様、あれは……」


「確かに気配は似てる。けど身のこなしが明らかに違う。あれはライナスさんじゃないよ」


「やはりそうなのですか」




 この距離でも断言できるほど、フラムには鋭敏な感覚がある。


 ライナスは軽薄でちゃらけた男性に見えるが、実際に近くにいると、隙の無い鋭い気配をまとった人間だとわかる。


 完全に警戒を解くのはマリアの近くにいるときぐらいだ。


 だが目の前にいるライナスもどき・・・は、表面上はよく似せているが、S級冒険者らしい凄みに欠ける。


 しかし不思議なことに――スキャンをかけると、ライナス本人の名前とステータスが見えるのだった。


 また、匂いや気配、雰囲気といった一部の特徴も一致している。


 一旦、応接室に戻る三人。


 ギルドマスターはソファに腰掛けるなり、前のめりになりながら言った。




「しかしどういうことなのですが、フラム様。もし偽物だとしたら、スキャンをかけても本人に見えるのはおかしい」


「少なくともオリジンにはスキャン等で見ることができる人間の“情報”を改ざんする力がありました。あれも元はと言えば人間が生み出した技術。見た目上のステータスを操作するだけなら、きっと不可能ではないんでしょう」


「コンシリアでそのような技術が開発されていると?」


「いえ……王国最高峰の技術をもってしても、人為的に変えることはできません」


「でしたら!」


「ですが心当たりはあります」




 フラムは様々な情報を総合して考える。




(おそらくこの事件、複数の希少属性の持ち主が絡んでる。変死事件、ライナスさんへの変装、そしてステータスの偽装。これらの能力はそれぞれ別人が施したものだとしたら)




 三人、あるいは二人かもしれないが――少なくとも変死事件と変装の件は別人だ。


 だがなんとなく、その両者には関連があるような気がしている。




「これから本格的に調べてみます、私とミルキットはこの街で自由に動いて構いませんか?」


「ええ、もちろんです! 各所に根回しをしておきますので、どうかお願いします」




 頭を下げるギルドマスター。


 一方で調べてみるとは言ったものの、どう攻めたものか――フラムは悩んでいた。




 ◇◇◇




 ギルドであの“偽ライナス”の情報を一通り集めたあと、建物を出る二人。


 するとミルキットが尋ねる。




「直接本人に話は聞かないんですか?」




 当然の疑問だ。


 偽ライナスは堂々とギルドに姿を表したのだ、正体を暴くにはそれが一番早い。


 しかし――




「もし変死事件の犯人があいつなら、うかつに話しかけると何が起きるかわからないと思って」


「やはりそこの関連を疑っているんですね」


「大抵の能力は私の“反転”でどうにでもなるとは思うんだけど、エターナさんが言ってた愛念の属性――どうも実体とかが無い、概念系の魔法な感じがするんだよね」




 反転の能力は、相手の能力を把握できて初めて使うことができる。


 有から無に変えて消すにしても、まずはその“有”を認識できなければならないのだ。


 まあ、あの偽ライナスを消し去ればそれで終わる話ではあるのだが、もちろんいきなりそんな物騒な手段を使うはずもない。




「まずは外堀を埋めて、あいつの正体を暴くところから始めないと」


「そうですね。まずは……どうしましょうか、ライナスさんに関係のある場所から回りますか?」


「そうしよっか」




 フィアロの街に、なぜ偽ライナスが現れたのか。


 それはライナスがこの街で過ごした時期があることが理由だと思われる。


 まだ彼が十代、おそらくS級になりたての頃だと思うが、そのときに二年ほどこのフィアロで活動したことがあるそうだ。


 当時、一緒にパーティを組んでいた冒険者の数名が、今もこの街に住んでいるのだという。


 フラムとミルキットは、そのうちの一名が経営するという酒場へと向かった。




 ◇◇◇




 フラムが黒いドアを開くと、その先には少し大人びた色気のある空間が広がっていた。


 バーカウンターで開店の準備を進めていた、胸元の開いたドレスをまとう女性が諫めるように声をかけてくる。




「まだ開店前よ、勝手に入って来ちゃダメじゃない」




 そこでフラムはフードを脱いで、自ら名乗った。




「フラム・アプリコットと言います。ライナスさんについて話を聞きたくて来ました」




 それを聞いた女性は、驚きに固まり、手に持っていたコップを落としてしまった。




「危ないっ!」




 フラムは慌てて重力を反転させ、落下直前で軟着陸させる。


 それを見て、さらに驚いた女性は――




「ほ、本物……?」




 本物だと理解した上で、そう尋ねる。




「たぶん、そうだと思います」




 有名人扱いに慣れないフラムは、苦笑いしながらそう答える。


 ミルキットも少し照れたように、その隣で会釈した。




 ◇◇◇




 テーブルに案内されたフラムたち。


 女性は二人の前にジュースを置くと、向かいの席に座って自己紹介をはじめた。




「クラーラよ。たぶん知ってて来たんでしょうけど、ライナスの元パーティメンバー」


「ええ、知ってます……その、ライナスさんの元恋人だってことも」


「そこも把握されてるのね。まあ、別に隠してもなかったからいいんだけど」




 そう言って、タバコに火をつけるクラーラ。


 煙を吐き出しながら、彼女は疲れた様子で自ら話題を切り出す。




「で、噂のライナスを名乗るやつについて聞きに来たのよね」


「やっぱりご存知でしたか」


「当たり前よ。冒険者連中が私に聞きに来るんだもの、あいつが戻ってきたのかって」


「そのご様子だと……知らないん、ですね」




 ミルキットの言葉に、クラーラはゆっくりとうなずく。




「あいつがこの街に戻ってくるってわかってたら、私はもっと大騒ぎしてるわよ」




 その表情に浮かぶ影に、フラムは違和感を覚える。


 ライナスは色んな女性と交際してきた。


 だが別れる際、遺恨を残さず、何なら別れた後もその女性と友人関係を続けていた――そんな話を聞いたことがあったはずだが。


 しかし、どうにもクラーラは未練を抱えているように思える。




「誰が化けているのか、心当たりはありませんか?」


「知るわけないじゃない。誰だか知らないけど、悪いやつが化けてるんでしょ」


「その割には言動もしっかりライナスさんなんですよ。細かいところで詰めの甘さはありますが、あれだけ完成度の高い変装ができる時点で、おそらく生前の知り合いが関連してると思います」


「生前……ねぇ」




 その単語に反応し、再びタバコをふかすクラーラ―。




「あいつ……ほんとに死んだの?」


「え?」


「実はまだどっかで生きてて、ひょっこり顔を出したりしない?」


「それは……」


「信じらんないのよ、あいつが特定の女に入れ込んで、そいつと二人で“世界を救う”なんて英雄じみた理由で命を捧げるなんて」




 それは――マリアの名誉を守るため、世の中に広められた嘘のシナリオだ。


 おそらく実際にライナスを知る人物が聞けば、真偽を疑うだろう。


 そんな予感は昔からフラムの中にあった。




「あれ、嘘なんでしょ」




 ――誤魔化せない。


 フラムはそう感じた。




「ご主人様……」




 フラムは不安そうなミルキットに微笑みかけると、クラーラと向き合う。




「ええ、嘘ですよ」


「やっぱり」


「でもライナスさんがマリアさんのために命を賭けたのは事実です。その結果として、死んだことも」




 クラーラの表情が不機嫌に歪む。




「そこまでマリアって娘に入れ込んでたっての?」


「はい、驚異的な精神力でオリジンの呪縛をはねのけるほど、強く」


「……」


「旅をしていた頃からそうでした。ライナスさんは、本気でマリアさんのことを――」


「もういいわ」




 フラムの言葉を遮る、低い声。




「聞きたくない」




 灰皿の上にタバコの灰が舞う。


 気まずい空気が店内に流れた。




「私、ライナスさんはもっとうまく女性と付き合ってるんだと思ってました」


「最初から誰もが上手にできるわけじゃないのよ」


「ライナスさんがここにいたのは十代の頃でしたよね」


「その頃はあいつも青臭い男だったわ。年上の私を熱心に口説いてさ、私もその青さが何だか面白くなっちゃって、しばらく付き合うことにしたのよ」


「……」


「どれぐらい? とか、どんなふうに? とか、どうして別れたの? とか聞きたいんでしょ。構わないわよ、聞いてくれて」


「別れた理由は、なんだったんです」




 クラーラはふっと笑い、「意外と度胸あるのね」とつぶやくと正直に答えた。




「あいつの元カノが飛んだ・・・のよ」


「クラーラさんの前に付き合ってた人ですか」


「何人か前だったと思うわよお。あいつはこの街で経験を積んで、ろくでもないスケコマシになったんだから」


「うまく別れられなかったんですね」


「見切りをつけるのは早かったんだけどね。一ヶ月ぐらいで別れたんじゃなかったかしら」


「そんなに早く?」


「ライナスもヤバい女だってわかったから、早々に手を切ったのよ。でもその頃にはすっかり執着しちゃっててね……別れたあともゴミ箱あさって、ライナスの爪とか髪とか集めてたっていうのよ? 笑えないでしょ」




 そこからの顛末は、フラムにも想像できた。




「スティッシュって女よ」


「飛んだってことは、そのときに……」


「いや、一命は取り留めたわ。発見が遅かったみたいで後遺症が残って冒険者としては終わっちゃったけどね」


「その人も冒険者だったんですか」


「ライナスとも一緒に何回か仕事してたわ」


「じゃあ、今もこの街に……」


「いるんじゃない? 私は友達でも無いから知らないけど」




 投げやりにそう答えるクラーラ。




「もういいかしら。そろそろ開店の時間なのよね」


「十分です、ありがとうございます」




 厄介払いの気配を感じたフラムは、素直に店を出ることにした。


 ミルキットと共にドアをくぐり、建物の外に出るとため息をつく。




「想像よりも重たかった、ですね」




 ミルキットが苦笑いしながら言った。




「うん、事件と関わりがあるかもわかんないし」


「それなんですけど……」


「何か気になることが?」


「さっきギルドで貰った資料の中に、ここ最近のフィアロで出た死者の一覧があったんです」




 彼女は手に持っていたカバンから書類を取り出すと、何枚かめくり、フラムの前に差し出す。




「ああ、こっちね。確かこれって変死体じゃなくて、フィアロ全体で出た死者だよね」


「はい、病死や事故なども含まれてます。それで、ここなんですけど……」


「スティッシュ……さっきクラーラさんが言ってた!?」


「しかも、死因が焼死なんですよ」


「状況からして……焼身自殺の可能性が高い……?」




 顎に手を当て、考え込むフラム。




「時期は変死体が最初に発見されるより少し前、だね」


「スティッシュさんが焼死してから、変死が始まったとも言えます」


「しかも焼け死んだってことは、身元は判明しにくい……個別の資料は貰ってないんだっけ」


「変死体の方だけですね」


「じゃあ一旦ギルドに戻って、ステッシュさんの死んだ状況について情報を集めよう」


「はいっ!」




 二人は駆け足で、再びフィアロのギルドへ向かう。




 ◇◇◇




 そこでギルドマスターから受け取った資料には、現場の状況が詳しく書かれていた。


 死体は完全に焼けており、肉体から個人を特定するのは難しいこと。


 しかし周囲に落ちていた布切れとピアスから、スティッシュであると特定されたのだという。




 さらに二人は移動し、実際にフィアロの兵舎へ。


 実際に現場を調査した人物から話を聞くと、まだ現場に残されたピアスが保管されていることを知る。


 布に丁寧に包まれたそのピアスは、不自然なほどに綺麗だった。




「ピアスということは、身につけていたはずですよね」


「うん、多少は熱で溶けた形跡はあるけど、死体は完全に焼け焦げて身元も判別できないような状態だった。最初から外して捨てておかないとこうはならない」


「それに……ピアスに付いた宝石、緑色です」


「ライナスさんの髪と同じ色……か」




 偶然の一致かもしれないが、示唆的なものを感じる。


 仮に焼身自殺が、死を偽装するためだとしたら――




「まだ能力の正体はわからないけど、スティッシュさんがライナスさんに執着するあまり、彼に化けてる可能性は考えられるね」


「自殺の自作自演……死体まで準備するなんて、個人でできるものなんでしょうか」


「スティッシュさんには飛び降りたときの後遺症が残ってる。協力者がいると思うのが妥当かな」


「ではその人物が彼女をライナスさんの姿に変えて――」


「そして、“愛念”の力も与えた」


「わざわざ連続殺人犯を殺してまで、他の人に与えたんですね。何のために……」


「その殺人犯より、スティッシュさんの方が愛念の力をうまく使えたから、かな」


「より強い力が必要だった、ですか。それも何のためなんでしょう」


「敵は私と一緒に旅をした人間の名前を使った。エターナさんも言ってたように、悪いやつらは私の存在を厄介だと思ってるみたいだから、私を“避けて”悪事を働くのではなく、最終的には私を“消す”ことを望んでる」


「では、今回の一件もご主人様をおびき寄せることが目的だったんですか!?」




 ミルキットの言う通り、“おびき寄せる”ことそのものが目的だとしたら。


 フラムは脳裏によぎる嫌な妄想に顔をしかめた。




「ギルドに戻ろう、ミルキット」


「手がかりを探すためですね」


「いや――犯人を問い詰める」


「えっ?」




 フラムはミルキットの手を取ると、早足でフィアロのギルドを目指した。




 ◇◇◇




 ギルドの前に到着すると、あたりは騒然としていた。


 建物の中には冒険者たちが集まっており、かなり大騒ぎになっている。




「何があったんでしょう」


「血の匂いがする」


「まさか!」


「開けてください。フラム・アプリコットです、ここを調べにきました!」




 ここぞとばかりに自分の名前を利用し、冒険者達を押しのけ前に進む二人。


 そして受付カウンターまでたどり着くと、彼女たちの目に映ったのは、




「ひっ……こ、これは……死体……!?」




 自ら首を切り絶命した、ギルドの事務員たちの姿だった。


 フラムは現場に踏み込み、ギルドマスターの部屋に向かう。


 そこにも同様に、首を切って自ら命を断ったマスターの死体があった。


 すると背後から追いかけてきた冒険者の男性が、フラムに声をかける。




「あなたは?」


「たまたま現場に居合わせた冒険者だ。俺は見たんだ、ギルドの連中の目が泣き出して、何かを嘆いて、示し合わせたようにナイフを首に当てるのを!」


「本当に自殺だったんですね」


「ああ、一斉に血が噴き出してギルドは大騒ぎだ! どうなってんだよこりゃ、明らかにおかしいだろ!」


「ええ……想像より何倍も根深い問題かもしれません」




 そう言って、フラムはギルドマスターの死体に近づく。


 死体を揺らすと、妙に軽い。


 上着を脱がせると、そこには切れ目があり――神殺しの先端で押し開くと、内臓が抜き取られた体の中身があらわになった。




「縫い目は別にある。おそらくこれは、一度移植されたものを取り出した跡……つまりギルドマスターは最初から」




 さらに気になることのあったフラムは、剣で器用に死体の前髪を持ち上げる。


 額にも薄っすらと、切れ目のようなものが見えた。




「こっちも、か」


「ご主人様、何が見えたん……ですか?」


「人間の臓器を自由に入れ替える希少属性の持ち主がいる。そいつが人間の脳やらを入れ替えて好き放題やってるんだよ」




 険しい表情でフラムがそう告げると、話を聞いていた冒険者の顔がさっと青ざめる。


 一方でミルキットは、戦いの予感に不安げにフラムの身を案じるのだった。




 ◇◇◇




 その日のうちに、コンシリアから兵士が派遣され、フィアロのギルドは徹底的な調査を受けた。


 一方で、フラムたちは一旦コンシリアの自宅に戻る。


 すると家にいたキリルが、心配そうに駆けてきて――ミルキットの肩を掴んだ。




「おかえり。大丈夫だった!?」


「え? あ、はい。私……ですか?」


「何かあったのキリルちゃん」




 いつものキリルならフラムの方に行きそうなものだが――すると遅れてきたショコラが言った。




「ミルキットさんに来客があったんですよ」


「そう、その……びっくりするかもしれないけど」


「誰なんです?」


「ミルキットの、お母さんだって」


「おかあ……さん?」




 確かに、ミルキットの両親の所在は不明だ。


 娘を奴隷商人に売り渡した時点で、もうすでに生きていない可能性も高いが――するとフラムは突如として怒りを滾らせ、真横の柱を拳で叩く。


 もちろん手加減はしている、それどもドゴンッ! と家全体が揺れるほどの衝撃があった。




「ご主人様……?」


「そっか、そういうこと……」


「どうしたの、フラム」


「私を殺そうとしてる連中の狙い。愛念の能力のこと。だいたいわかったから」




 そう話すフラムの瞳は憤怒に燃える。


 彼女がここまで怒るときに起きている出来事は、決まって同じだ。


 誰かが――ミルキットを・・・・・・狙っている。




「えっと、ミルキットの母親を名乗る人物は……何だったの、かな。不在を伝えるとまた来るって言ってたけど」




 急に怒りをあらわにするフラムに若干戸惑いながら、キリルは尋ねる。




「偽物だよ。けど敵がミルキットの母親のことを知ってるのは事実なんだろうね」


「ライナスさんと同じように、化けてるってことですか? でも私、自分の母親のことなんてわかりません。今さら母親と名乗られたところで、何も感じることはありませんが」


「“揺るがす”には十分な材料になる、少なくともあいつらはそう考えたんだろうね」


「動揺させたらフラムさんに不利なことが起きるってことですか?」


「あくまで相手がそう考えてるってだけだろうけど――」




 するとそのとき、ドアをノックする音がなった。


 外から控えめな女性の声が聞こえてくる。




「ごめんください、先ほど来た者ですが、ミルキットは帰ってきていませんか?」




 言われてみれば、少しミルキットに声が似ている気がする。


 ミルキットは不安そうにフラムの袖を掴んだ。


 フラムはそんな彼女に優しく微笑みかけると、頭をぽんぽんと撫でる。


 そしてそっと手を離させ――ドアを開く。


 そこには初老の、銀髪の女性が立っていた。


 フラムは即座にスキャンを発動、そこで見えたものは――




(ラブネ・バウベール……)




 見知らぬ女性の名前、そして一般人そのものである控えめなステータスだった。


 だが彼女にはわかる。


 前髪の隙間から見えるわずかな額。


 そこに――薄っすらと、目を凝らさなければ見えない切れ目があることを。




「ああ、あなたが娘と結婚したというフラム――」




 見えるステータスに意味はない。


 それは偽装だ。


 上から被ったガワ・・に過ぎないのである。


 フラムはそのおぞましい怪物に向かって、素早く拳を突き出した。


 特に何の技術も魔法も使わず、ただ力任せに繰り出された拳はラブネの胸に突き刺さると、肋骨を折り砕き、内臓を潰しながら彼女を吹き飛ばした。




「ひゃああぁっ、バイオレンス!」


「フラムっ!?」




 驚きの声をあげるキリルとショコラ。


 一方で、思ったよりもミルキットは落ち着いている。


 ラブネは背中から壁に叩きつけられると、そのままぐったりと倒れ込んだ。


 フラムは神喰らいを呼び出すと、即座に彼女に近づき体を引き裂く。


 そして開いた体内の内臓に向けてスキャンを発動させた。




「見えた――ドゥルク・ラノワール。属性は――『苦衷』!」




 そこに記されたのはラブネ・バウベールではなく、ドゥルク・ラノワールという別人のステータス。


 そう、希少属性を持つ人間の内臓だ。


 続けてフラムは剣を振るい、女性の頭部を切り開く。


 そしてむき出しになった脳に向けてスキャンを発動。




「こっちはブガルグ・レイグランデ。また別人!」


「ど、どうなってるの……」




 戸惑うキリルに、ミルキットが説明する。




「肉体はラブネという女性を複製したものです。そして内臓は希少属性を移植するためにドゥルクという人物のものを使っています。そして、意識を司る脳にはブガルグという人物のものを埋め込み……おそらくその人物こそが、私たちに敵意を持つ存在なのでしょう」


「うえぇ……気持ち悪ぅ」




 ショコラは目眩を感じたのか、ふらりとよろめいて壁に体を預ける。


 キリルも口に手を当てて、気分が悪そうに目を細めていた。


 一方でフラムは死体を前に憤る。




「苦衷の属性……能力しかわからないけど、私とミルキットを引き裂こうとする意図は明らかだ」


「そのために私の母親を装ったんですね」


「気色が悪い。意地が悪い。そんな馬鹿げたこと、ノーリスクでできるわけがないって思い知らせてやらないと!」




 フラムが手をかざすと、目の前から死体や血の跡が綺麗さっぱりに消え去った。


 彼女は踵を返し、ミルキットに大股で近づく。




「ミルキット」


「はい……んむっ!?」




 そして抱き寄せると、乱暴に唇を奪った。


 一瞬だけ驚いたミルキットは幸せそうに目を細め、身を委ねる。




「は……ご主人様……」


「返り討ちにするよ、ミルキット」


「は、はい……!」




 正直、ミルキットは最終的に“敵”が何を企んでいるのかまだ理解していなかった。


 だがフラムが勝利を確信している以上、それを信じるのが一番優先すべきことだ。


 何よりミルキットを守ろうと勇むフラムがかっこよくてしょうがなかったので、そんな彼女の腕の中にいられる喜びで、他のことはどうでもよくなっていた。




 ◇◇◇




 王国某所――フラムが常時監視しているコンシリアからは少し離れた場所に、その“組織”のアジトはあった。


 暗い部屋の中、蝋燭だけが照らす室内で、仮面を被り素顔を見せない二人の人物が語り合う。




「変転と死造……希少属性を持つ僕らが出会えたのは幸運だった」


「そうだな、我々の力があれば、かの英雄を打ち倒すことすら容易い」


「それに英雄を邪魔だと思う協力者も多いからね」


「お前の変転の能力で中身を入れ替えるだけでなく、好きな場所に戦力を送り込める」


「君の死造の能力で人の心を好きにかき乱すことができる」


「無敵だな、俺たちは」


「そうさ、無敵だよ。絶対に負けることはない」




 ワイングラスに注がれた血のように赤い液体を揺らしながら、仮面の下でほくそ笑む二人。




「にしても、どうやら『苦衷』による補助は失敗したようだね」


「しかし問題ないな。すでに『愛念』の発動条件は満たしている」


「うん、彼らは知ることになるだろう。愛の脆さを」


「ああ、最終的に勝利するのは……相互愛などではない、自己愛の狂気だな」


「これまでの実験でそれは証明されている」


「あとは、終末を迎えるだけだ」


『はははははは』




 二人の笑い声が地下室に響く――




 ◇◇◇




 その夜、ミルキットはフラムに強く抱きしめられながら眠りについた。


 いつものことなのだが、今日はいつも以上にフラムの熱を強く感じる。


 それ自体は幸せだ。


 しかし、その先に待つ眠りが決して平穏なものではないからこそ、生じた熱であるということも理解している。




 意識が閉じてしばらくしたあと――ミルキットは夢の中で目を覚ました。


 そこはコンシリアの街並みの中。


 空は灰色で、陽も見えないのになぜか地表は明るい。


 そして影もなかった。


 狂った光源の街を、ふらふらとさまようミルキット。




(ああ、ここがご主人様の言っていた……“愛念”の世界)




 心停止により死んだ犠牲者たち。


 彼らが招かれた、死の街だ。


 ミルキットは一人だった。


 隣にフラムがいれば安心なのだが、いつも繋がっている――おそらく寝ている間もずっと繋いでいるはずの手の先には、誰も居ない。


 彼女は作られた不気味なコンシリアを歩き続ける。


 やがて街の出口に到達した。


 しかし門は閉じられており、外に出られそうにない。


 他の――南、東の門も見て回ったが、やはり閉ざされている。


 さらに不思議なことに、どれだけ歩いても疲れが来ることはなかった。


 だが、疲れよりもフラムがいない寂しさの方がずっと辛かった。




「あのぉ……」




 ミルキットは空を見上げ、声をかける。




「早くご主人様の元に戻りたいので、用事を済ませてもらってもいいですか?」




 すると空にぎょろりと瞳が開く。


 さながらマザーのような様相だが、あのときほどの怖さはなかった。


 ただ大きいだけだ。


 フラムからからくり・・・・を聞かされたから、そう思える。




「あなたがスティッシュさんですね」


「オレはライナスだよ」


「いいえ、あなたはスティッシュさんです」


「オレはライナスになれた。やっと、彼と本当の愛で繋がることができた」


「……」




 ミルキットは珍しく、少し呆れたような表情を見せた。


 ライナスが早々にスティッシュから手を引いた理由が、今ならよくわかる。




「それでライナスさんが喜ぶと思っているんですか?」


「オレはライナスだ。オレは嬉しい。つまり喜んでるってことだろ」


「あなたの愛には、ライナスさん本人は必要ないんですね……」


「ライナスはここにいる! オレがライナスだッ!」




 ゴゴゴ……と地鳴りが響くと、空が動いた。


 ライナスを名乗るスティッシュ――それはコンシリアの空を覆うドームなどではない。


 目だけでコンシリアの空を埋め尽くせるほどの巨人だったのだ。


 立ち上がると、頭が見えなくなるほど高い高いその体。


 スティッシュはしゃがみ込むと、その手をミルキットに伸ばした。




「どうだ、デカいだろ?」


「はい、図体だけは」


「この世界において“強さ”は“愛の大きさ”だ」


「知っています、ご主人様から聞きました」




 発動条件は“顔を合わせること”。


 それだけで愛念の魔法は両者の夢をつなぎ合わせる。


 そして夢の中では、元の肉体が持っていた身体能力など何の意味も持たない。


 ただ愛の大きさだけが力となる。


 だからこそ――強大すぎるステータスを持つフラムにも勝てる、そう考えたのだろう。


 しかし、ミルキットという存在がいる限り、フラムは大きな愛を持ってしまう。


 それでもスティッシュには勝つ自信があったが、念には念を――ということで、先にその愛の源であるミルキットを殺すことにしたのだ。




「どんな恋人も、どんな夫婦も、オレの愛の足元にも及ばなかった。どうしてかわかるか?」


「理解したくありません」


「それはオレの愛が自分の中で完結しているからだ。確かにお前の言う通り、オレはスティッシュだった。ライナスを愛するスティッシュだった! そんな“私”がライナスになったらどうなると思う? オレはオレを愛している。そう、愛だよ。愛そのものだよ!」


「あなたは――」


「お前の認識なんてどうでもいいんだよ!」




 巨大な手のひらが、地表のミルキットを押しつぶした。


 あまりに圧倒的な質量差――彼女に成すすべはない。




「完全なる愛は、完全なる勝利をもたらす! この世界において、オレは完成した存在――」




 勝ち誇るスティッシュ。


 だがその手の下から、ミルキットの声が響いた。




「くだらないですね」


「は――?」




 瞬間、幾重もの剣閃が肉を裂き、スティッシュの手がバラバラに散る。


 その中心にいたのは――神喰らいのような漆黒の剣を手にした、ミルキットだった。




「あなたはライナスさんから捨てられた頃から何も変わっていない」




 彼女は巨大な剣を手にしたまま、身軽な動きでスティッシュの腕に登る。


 そして肩に向かって一気に駆け上った。




「な、何だその速さは! 何だその武器はッ!」


「他者への愛じゃないんですよ、それは! あなたはただ、ライナスさんを愛している自分を愛しているだけですッ!」




 “神喰らい”を振り回しながら走るミルキット。


 そのたびに、斬撃はスティッシュの腕を引き裂いていく。


 巨人は慌ててミルキットを振り落とそうとするも、磁石でくっついたように落ちようとしない。


 さらにもう一方の手で押しつぶそうとしたが、




気剣斬プラーナシェーカーですッ!」




 触れる前に、飛翔する斬撃が腕を切り落とす。




「なっ――フラム・アプリコットの剣術を!? 愛念の力でそこまで!」


「そこから脱却できない限り、しょせんそれは過ぎた自己愛に過ぎません!」


「だけどっ、今まではどんな愛だって引き裂けた!」


「ええ、狂った自己愛は、普通の愛より“この世界において”は強いかもしれません。ですが――」




 ついに肩までたどり着いたミルキットは、スティッシュの顔面と対峙する。




「私だって、ご主人様に狂っているんです」




 この世界において愛が全てだと言うのならば。


 おそらくミルキットに勝てる人物などほぼ存在しないに違いない。


 彼女の愛は深い。


 彼女の愛は重い。


 それは、どんなに大きな愛でも受け止めてくれる、愛おしい存在がいるからこそ。


 一人で器を作って、一人で重くしたところで、愛情限界は半分までしか到達できないのだ。




「私には肉体の複製など必要ありません。私を構成する要素は、私の魂は、ご主人様が作り上げてくれたものなんですから! 複製するまでもなく、私の身はご主人様のものなのです!」


「やめろ……やめろぉおおおおっ!」




 ミルキットは白いオーラを纏い、強く肩を蹴り飛んだ。


 それだけでスティッシュの肩肉は弾け跳ぶ。




気越一閃プラーナルオーバードライヴッ!」




 それは彼女の憧れそのもの。


 自分を救ってくれた、自分を愛してくれた、そんな大きすぎる存在の技を――自らが使えるという喜び。


 至福の愛に満ちたミルキットは、この世界の中でさらに力を増していく。


 そして光の速さで夢のコンシリアの上空を飛び回り、スティッシュの全身を切り刻んでいった。


 彼女が着地すると、巨人の肉体がばらばらと崩れ落ち地面に積み重なる。


 その中には――どくん、どくん、と脈打つ心臓があった。


 ミルキットがそこに近づこうとしたとき、突如として彼女の隣に穴が開く。


 姿を現したのはフラムだった。




「トドメは私がやるよ」


「ご主人様!」




 抱きつくミルキット。


 フラムは抱き返すと、彼女に穏やかに語りかけた。




「かっこよかったよ、ミルキット」


「えへへ……ご主人様の真似、してみたんですけど。やっぱりご主人様ほどかっこよくはならなかったですね」




 照れくさそうに話すミルキット。


「そんなことない、かっこよかった」と彼女を褒め称えるフラム。


 一方で、スティッシュの脈動する心臓に顔が浮かび上がり、声を上げる。




「な、なんで、お前が、この世界に……」


「仕組みがわかったんなら入れるのは当たり前でしょ? それが“反転”なんだから。まあ、私が出るまでもなく普通にミルキットに負けてたけど」




 フラムは愛念の魔法が夢に干渉すると理解した上で、自身とミルキットの夢を繋ぎ、ずっとその様子を覗いていた。


 まあ、ミルキットの愛情が大きすぎて、放っておいても余裕で勝てそうだったが――おそらくここで相手を殺せば、現実でもスティッシュは死ぬことになる。


 今さら手を汚すことを躊躇ったりするミルキットではないだろう。


 だが、こんなしょうもない相手の血で汚れてほしくないから。




「言いたいことはミルキットが大体言ってくれたから、交わす言葉なんて必要ないよね」




 ミルキットと共に肉の山を上り、心臓に歩み寄るフラム。


 もはやスティッシュは言葉を発せなかった。


 迫りくる絶対的な死の予感。


 それを前に、恐怖し、震え、言葉を失う。


 さんざんこれまで人を殺しておきながら、自らの死の恐怖に怯える。


 自己愛の化物の末路としては相応しい。




「ああ、一つだけお礼を言っとく。ミルキットのかっこいい姿を見させてくれて、ありがとう」




 引き裂かれる心臓。


 その瞬間、王国のどこかで――スティッシュの叫び声が響いた。




 ◇◇◇




 移植した臓器の“死”を感じ取った仮面の男。


 王国の地下のどこかで、今日も二人は言葉を交わす。




「スティッシュが死んだみたいだ」


「そうか、一筋縄ではいかないな」


「でも問題ないよ、次の希少属性を探してぶつければいずれは――」




 次の計画を練る希少属性の二人。


 そんな空間に、タンッと誰かの足音が鳴った。


 静かに舞い降りたその人物は、寝巻き姿の眠そうな少女。




「……フラム・アプリコット?」


「な、なぜここが!?」




 慌てる首謀者たち。


 フラムはため息混じりに、冥土の土産に簡潔に答える。




「能力を使った人間を私の前に送り込んだ時点で、“門”は開くんだよ」




 “死造”も、“変転”も、おそらくはフラムに直接能力を使わなければ大丈夫だと思っていたのだろう。


 だが、フラムの能力はそんなに甘くない。


 わずかな魔力の糸も見逃さず、それをたどり、根源へとたどり着く。




「ミルキットを狙ったお前たちは、跡形も残さない」


「待てっ、僕たちは君が知りたい情報を知っているぞ」


「そうだ、ミルキットの母親の――」


「どうでもいい。知りたくなったら自分たちで調べるから」




 逃げられないのだ。


 殺意を向けた、その時点で。




消えろリヴァーサル




 有から無へ――


 フラム殺害を狙った二人は、その瞬間、音もなく消滅した。




 ◇◇◇




 翌朝、事の顛末を聞いたエターナは、少し釈然としない様子だった。




「結局、噂の状態でフラムが解決してしまった」




 自分が何も役に立てなかったことを嘆いているようだ。


 もっとも、エターナの仕事は研究員である。


 ああいった事件の解決は、一応は冒険者であるフラムが担当する方が正しい。




「騒ぎがフィアロの一件だけで収まってよかったんじゃなーい?」




 一方でインクはのんきそのものだ。




「それはそうだけど……ああ、そうだ。王国は本格的に希少属性の持ち主の調査に動くことになった」




 フラムはトーストをかじりながら、少し不安げに答える。




「狙われるなら保護するしかないですよね。田舎で平和に暮らしてる子とかは、できるだけその生活を壊さないようにしてあげてほしいですけど」


「フラムがそう言うと思って要望は伝えてあるから、イーラがうまくやると思う」


「イーラに任せるなら安心ですね」




 何だかんだ、女王としてイーラはよくやっている。


 本人は忙しくて死にそうだと言っていたが、フラムが今回みたいな出来事が起きない限り、日々平穏に暮らせているのは彼女が取り計らってくれているからもであった。


 その後、しばらく静かに食事は進んだが、ふいにミルキットが口を開く。




「それにしても意外でした」


「何のこと、ミルキット」


「ライナスさんです。女性の扱いに長けた方だと思っていたんですが、失敗していた時代もあったんですね」


「最初から上手な人間なんていない。誰しも経験を積んで成長していく」




 エターナが年上らしい発言をすると、うんうんと隣のインクもうなずいた。




「わかるなー、エターナも最近はかなり上達ふむぐっ!?」


「インク、余計なことは言わないでいい」




 頬を赤らめるエターナ。


 何のことかさっぱりわからない――ふりをするフラムとミルキットだったが、もちろん二人にはわかっていた。




「ぷはっ……どうせ塞ぐなら唇の方が……」


「インク!」


「ごめんってー、そんな怒らないでもいいじゃーん」




 そんなエターナとインクのやり取りを見て、我慢できず笑い声をあげるフラムとミルキット。


 部屋には穏やかな空気が流れる。


 一時は暗雲が立ち込めた今回の一件。


 犠牲者も多く、また似たような悪事を働く人間が現れないとも限らない。


 だが、どれだけ平和な世の中でも、悪人は現れるもの。


 そのときに解決するしかないのである。


 だから今は、こうして気ままな暮らし無事に戻ってきたことを、素直に喜ぶのだった。



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