EX12-2 山の魔女はもういない(後)

 



 エターナは肉塊をナーリスと呼び、強く抱きしめた。

 だが肉塊の方は反応を示さない。

 今までと変わらず、「ううぅ」といううめき声を内側から響かせるだけだ。


「声も届いていない……体の外側に感覚器官が存在していないから」

「ナーリスって誰よ」


 首をかしげるクーピーとハルパ。

 すると、エターナに変わってフラムが答えた。


「昔の知り合い、なんじゃないかな」

「知り合いですか? あの生き物が、お師匠様の?」

「ハルパさん、さっき父親が買ってきたって話をしてたよね」

「ええ、うちのクソオヤジ、たまに家族にも伝えずにどこか遠くへ出かけることがあるのよ。それで今回帰ってきたときに連れてきたのが、あの子だった」

「裏社会の商人から買ったのかもね……取り締まりが強化されてコンシリアからはいなくなったけど、その分だけ地方に散っちゃったんだ」


 だが、こうしてフラムに目をつけられた以上、もはや逃げることはできないだろう。

 あのオークションの参加者は詰んだようなものだ。

 しかしその前に、この村で起きた出来事を解決する必要があった。


「もしかしてあのナーリスさんって子を連れ出したのは二人なの?」

「はい、その通りです」

「最初に異変に気づいたのはハルパの方だったわ」


 そう言って、二人は小屋に立てこもることになった経緯を話しはじめた。


 ◆◆◆


 村長がナーリスを連れて帰ってきたのは、ニヶ月ほど前のこと。

 家に運び込まれたその茶色い肉塊を、クーピーを始めとした家族たちは気味悪がった。

 だが村長は大事に大事に檻に入れ、毎日のように眺めている。

 その後、家には村長と仲のいい住民が頻繁に出入りするようになった。

 時間は必ず夜の遅い時間。

 彼らはナーリスがいる部屋に籠もって、何かを行っていたようだ。

 娘はそのことも気味悪く思っていたが、村長との不仲は今に始まった話ではないので、家の中の様子は大きく変わることはなかったそうだ。


 異変が起きたのは、それから一ヶ月ほど経った頃。

 村民の何人かが体調を崩しはじめた。

 医者を呼び、魔法や薬草による治療を試みたが、てんで効き目が無い。

 病状も悪化する一方で、ついには医者も匙を投げてしまった。

 それでも患者は増え続け、ついには村長にも同じ症状が出はじめる。

 どんな薬も効果が無いものだから、彼は「万病に効く」と言いながら、何かもわからない赤い液体を飲み始め、村人にも配り始める始末だ。

 当然、村人たちも不安になり、流行り病ではないのか、誰かが井戸に毒を入れたのではないか、などという噂が流れ始めた。


 そうなってくると、一つの問題が生じる。

 この村では何か事件が起きたとき、真っ先に疑われる人間がいるのだ。

 それが、サルナティオ家――つまりハルパや、その家族である。

 理由は特に無い。

 強いて言えば、彼女たちは“生贄”だから。

 不安を覚えたクーピーは、友人であるハルパに会いに行った。


 クーピーと顔を合わせたハルパは、何かに怯えているようだった。

 てっきり、村人から危害を加えられたのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 ひとまずハルパを落ち着かせ、話を聞いてみると――ある日の夜、村長の家の近くを通ったときに、儀式めいたものを見てしまったらしい。

 何でも、男たちが肉の塊に刃を突き立て、そこから溢れ出る血をグラスに注いで飲んでいたのだとか。

 その話を聞いたとき、クーピーは今までで一番大きな声で「あのクソオヤジが!」と叫んだ。

 確かめるまでもなく、村に広まった病の原因は、その血を飲んだことに違いない。

 止めなければ。

 そう決意するクーピー。

 一方でハルパは、「あの茶色い子、苦しんでるように見えた」と語る。

 さらには「できれば助けてあげたい」とも。

 昔からハルパは優しすぎる子だった。

 性格が少しキツいクーピーと二人セットでちょうどいいぐらい、お人好しすぎる。

 しかし二人の利害は一致していた。


 村長の様子からして、おそらく「その血が原因だ」と言ったところで話を聞こうとはしないだろう。

 だからまずはナーリスを連れ出し、これ以上の血の拡散を防ぐ。

 ナーリスを人質にし、クーピーが村長たちと交渉するのはそれからだ――そんな計画で、二人は動き始めた。

 それが2週間ほど前の出来事である。


 ◆◆◆


「でも思うようにはいかなかったのよ」


 一連の話を終えた後、クーピーはため息をついた。


「あのクソどもは冷静になるどころか、余計に興奮して怒りだしたの」

「小屋に逃げ込んだのがまずかったんでしょう。村長さん、急にあの子のことを魔女って呼び出して。私たちも、魔女に操られてるんだとか、サルナティオの家は魔女の血筋だ、とか」

「そんなのめちゃくちゃだよ。だって買ってきたのは村長さんなんでしょ?」

「理屈なんてどうでもいい。自分たちの“敵”にするのにちょうどいい相手なら、なんだろうと。彼らにとっての魔女とはそういう存在」


 エターナはナーリスから体を離し、そう言い放った。


「エターナさん、その子ってもしかして」

「そう、元は人間。名前はナーリス。わたしが昔、王都で実験を受けていたとき、一緒に暮らしていた女の子」

「女の子って、その肉の塊が!? というかあなた、英雄エターナなのよね。そんな人が実験を受けてたっての?」

「かれこれ60年近く昔のことになる。オリジン教会が力を持つ前ではあるけれど、オリジンコア研究の前身となったプロジェクトは、もっと前から存在していた」

「お師匠様がその被検体だったなんて……しかも、その子も同じ……」


 英雄となった今、旅の中で起きた様々な出来事は広く王国の人々に知られているが、そういったエターナの身の上話は内容が内容だけに伏せられたままだ。

 皮肉にも、その謎が逆にエターナの人気を高めている部分はあるのだが。


「私たちが住んでるあの家で、ナーリスさんもクローディアさんやキンダーさんと一緒に暮らしていたんですね」

「わたし以外は全員失敗して廃棄されたと思っていた。いや――廃棄自体はされていたのかもしれない。でも王国の貴族は悪趣味な人間が多かった」


 エターナはナーリスの隣に座ると、その表面を慈しむように撫でる。


「失敗して、人の形すら失った子供を、おもちゃとして引き取ったやつがいたんだと思う」

「それが60年の月日を経て、巡り巡ってこの場所に……」

「運が良かったのか悪かったのか……いや、悪かった。最悪だった。村長たちがナイフを突き立てていたことからもわかるように、ナーリスは人の悪意にしか触れてこなかったはず。だから、外部からの情報を全て遮断した」


 どうやらエターナは、ナーリスに口や鼻の類が無い理由をそう推測したようだ。

 しかし、だからといって痛みから逃げられるわけではない。

 内側に閉じこもってもなお、うめき声を漏らし続けるほどの苦しみが待っている。


「せっかく生きていたのに……素直に喜んでいいのか、わたしにはわからない」

「今のままではそうでしょうけど、私たちならなんとかできるんじゃないですか」

「フラム……」

「こういう理不尽を吹き飛ばすときに使わなきゃ、いつ力を使うんですか。まずはコンシリアに連れ帰って、今の状態を調べてもらいましょう」

「確かに、セーラたちと協力すれば、人の形に戻せるかもしれない」

「そうすればきっと喜びますよ。昔の友達も目の前にいるんですから」


 フラムの力強い言葉に、エターナは微笑む。

 そんな二人のやり取りを聞いて、ハルパは感激しているようだった。


「さすがお師匠様、どんなときでも諦めないんですね!」

「あれを見て人間に戻そうって思えるのはさすがね」

「でもその前に、この村のことを解決しなきゃ」

「そこまでしてもらえるの? 申し訳ないけど、私とハルパには英雄様を雇えるお金なんて無いわよ。それにクソオヤジの自業自得だってのに」

「乗りかかった船」

「エターナさんの言う通り。ここまで来て見捨てたりしないよ。生き延びて、自分がやったことを理解してもらった上で反省させるつもり」

「その前向きさが、オリジンを倒すことにつながったんですね!」

「あはは……そう、なのかなぁ?」


 言われ飽きるほど言われてきた英雄という言葉。

 だが実際は、心が折れたり、くじけたことだってあったわけで、そんな立派なものじゃない。

 だから今でもフラムは慣れなかった。


「村に蔓延する病気の原因がナーリスさんの血を飲んだことだとすると、普通の方法で治せないのは当たり前」

「そうですよねぇ、毒や病気じゃないですし。でも、何で病気になったあとも、村長さんは飲み続けたんでしょうね。張本人なんだから原因はわかってるはずなのに」

「薬の類だと思いこんでいた。コンシリアの裏ルートに、わたしの血と呼ばれる誰かの血液が流通していると聞いたことがある」

「エターナさんの? 何のためです?」

「年を取らないわたしを見て、不老不死にでもなれると考えたのかもしれない。同じ理屈で、ナーリスの血も使われていたのだとしたら――」

「失敗を認められないから、不老不死の血に頼ったってわけですか。しかもナーリスさんは血ではなく、血を出す肉体そのもの。かなりの高値で取引されてそうですね」


 フラムがそう言うと、ハルパが恐る恐る尋ねる。


「ちなみにですけど、お師匠様の血っていくらぐらいで取引されてるんです?」

「まさかハルパ、欲しがってるんじゃないでしょうね」

「ち、ちち違いますよクーピーちゃん! 単純に値段が気になっただけです!」

「それは――」


 エターナが値段を告げると、ハルパとクーピーの顔が真っ青になる。


「そんなに高いんですか!?」

「ばっかじゃないの、飲むだけで不老不死なんて嘘に決まってるのに!」

「わたしも馬鹿だとは思う。けれど金が有り余っている人間でも寿命だけは買えない。だから、時にそういう与太話にすらすがろうとする」

「で、では血液そのものより、それを供給できるこの子の方が……当然、もっと高いんですよね」

「おそらくは」


 するとクーピーが突然、机にドンッ! と拳を叩きつけた。


「そんな大金、うちのどこにあるっていうのよ……!」

「ク、クーピーちゃん、落ち着いて!」

「落ち着けるわけないでしょう! あのクソオヤジがそんなお金を手に入れる方法、一つしかないわ。村のみんなから預かってる金に手ェ出したのよ!」

「それって、街道とかを補修するための?」

「そう! みんな信じて預けてるっていうのに、それをナーリスを買うのに使うなんて……!」


 裏社会の商人から高額で物を買う人間には2種類存在する。

 単純に趣味が悪い金持ちと、金持ちの世界に首を突っ込みたい見栄っ張りだ。

 村長は後者だったらしい。


「もっと早くにこんなクソ村出ていくんだったわ。ハルパの家族を連れてね!」

「クーピーちゃん……」

「そうだ、あなたたちが英雄ならコンシリアで働き先とか紹介してくれない? こう見えても私は割と根性がある方だと思ってるし、ハルパの薬草の知識はなかなかのものよ」

「薬草の知識……それは気になる」


 興味を示すエターナ。

 だがハルパは腕をぱたぱたと振り、必死に否定した。


「そ、そそそんなっ、私なんてここにあった本を読んだぐらいで、ぜんぜんそんな、お師匠様に比べれば塵芥みたいな存在でしかなくてっ!」

「でも母親の病気を治したじゃない」

「それはっ、そのっ、他に方法が無かったから仕方なくといいますか……」

「村の人たちは助けてくれなかったの?」


 フラムは厳しい表情を浮かべた。

 どんな村だろうと、医者の一人ぐらいはいるはずなのだ。

 それをなぜ、ハルパが治療する羽目になったのか。


「えっと……クーピーちゃんは、助けてくれました……」

「村八分ってやつよ。魔女がいなくなったあとの生贄、それがハルパの家族だったの」

「……あいつら、性懲りもなく」


 エターナも気になってはいた。

 ティムレスという村は、魔女という共通の脅威を意識することで団結していた村だ。

 ならば、彼女がいなくなったらどうなってしまうのか。

 その答えは単純である。

 村人の中から、新たな生贄を生み出すのだ。


「あんたがいなくなったあと、ある農家が農具がなくなったって騒ぎ始めてね。今になって思えば自作自演だったんでしょうけど、村長と仲が悪かったハルパの父親が犯人ってことにされたの」

「うちも畑を持ってたんですけど、水を止められたり、荒らされたりして仕事ができなくなって……それでもどうにか稼ごうって、お父さんは山で狩りをしてたら……」

「怪我をして帰ってきたのよ。おそらくは、他の村人の嫌がらせね」

「そ、それはまだわからないからっ」

「そうに決まってるわよ、あいつら嫌がらせに関してだけは無駄に知恵が働くんだから」

「そうなのかなぁ……」

「まあまあ。そのあたりは後で確かめるとして、怪我したあとはどうなったの?」

「脚に怪我をしたお父さんは、外での仕事ができなくなって。ちょうどその時期、お母さんも嫌がらせで心が弱ってたのか、倒れてしまって……もう、私がどうにかするしかないな、と思ったんです」

「私もしょせんは子供だもの。助けたかったけど、限度があるわ」

「そんなことないですよ! クーピーちゃんが色々持ってきてくれるおかげで、餓えずに済んでたんですから。薬草がたくさん取れる場所とかも、家の地図で調べてきたりしてくれて……本当に、助かってます。命の恩人です。大切な、親友です」

「そう……嬉しいこと言ってくれるわね。だけどあれだけじゃ足りなかったはずよ」

「そうだよね、いくら村長の娘とはいえ、個人でやれることには限度がある。それ以外はどうやって稼いでたの?」

「話すと少し長くなるんですが――当然のことなのですが、私もこの村の近くに魔女と呼ばれる女の人がいたことは知っていました。みんな悪者だって言うんですけど、どう解釈してもその人のおかげで村は助かってて。だから、内心ではずっと憧れてて、薬草には興味があったと言いますか。こんな田舎の生まれですから、山に入る機会は多かったので、自分で採取して効能を調べたりはしてたんですね」


 フラムがエターナの方に目を向けると、彼女は少し嬉しそうに、わずかだが頬を緩めていた。

 エターナ曰く、ハルパやクーピーのような“いい子”は突然変異らしいが、それでも自分のやったことを評価してくれる人がいて嬉しくないわけがない。


「だから、両親が働けなくなってから、縋るように小屋に行ってみたんです。もちろんいないってわかってるんですけど、もしかしたら魔女だし、急にワープとかして戻ってきて、お母さんのこと助けてくれるんじゃないか、って。まあ、もちろんいないんですけどね。でもその代わりに、そこにはお師匠様の残したたくさんのノートや本がありました」

「初心者が読むように書かれていないから難しかったはず」

「そこで今までの知識が役に立ったんです。最低限、本で学べる程度の能力は身についていたみたいで」

「ほう……それで最低限」


 エターナはさらにハルパへの興味を強めたようだ。

 そういえば、とフラムはふいに思い出す。

 少し前に、エターナとセーラが、別々に似たような不満を口にしていたのだ。

 王国には薬草の知識を持つ人間が少なすぎる、と。

 かれこれ数十年もオリジン教によって禁止されていたのだから、知識を持つものが不足するのも当然のこと。

 最近はエターナが中心となって、薬草の知識を記した本を書いたり、教えを請うものに知識を授けているようだけれど、人数が少ないとそれも限度がある。

 そういった状況の中で、独学で知識を得たハルパは喉から手が出るほどほしい人材なのだろう。


「それを活かして、山で採った植物で薬を作って売ってたんです。もちろん、ティムレスではなく近くの他の村で、なんですが。そのときにもクーピーちゃんのお世話になりました」

「大したことしてないわ。知り合いの商人にハルパの薬を扱うよう頼んだから、次からは『素晴らしい効能だ』って向こうからほしがってきたんだから」

「そっか、それでハルパさんが家計を支えてたんだね。すごいね、立派だと思う」

「え、えへ、ありがとうございます……」


 この二人が小屋に立てこもって、かれこれ2週間ほど経っている。

 少女二人でよく生活できるものだな、とフラムは疑問に思っていたが、それもハルパの話を聞いて納得した。

 普段から山に入って薬草を採っていたなら、食べられる植物などの知識もあるだろうし、他の村との伝手もあるのなら、山を逆方向に降りていけばそこにたどり着ける。

 それに、ここは元々エターナが住処に使っていた場所だ。

 薬草はもちろんのこと、食料の確保ことも考えて、住みやすい場所だったのだろう。

 何せ、近くにティレムスがあるという大きなデメリットを度外視してでも、住み続けたぐらいだ。

 エターナが太鼓判を押した土地、と言っても過言ではないだろう。


「さっきのコンシリアで働きたいという話だけれど」


 一連の話を聞いて、エターナは結論を出す。


「上に話を聞かないと断言はできない。ただ、ハルパのような人材はかなり貴重。わたし個人としては、それなりの待遇で迎え入れたいと思っている」


 ハルパは驚きを隠せない。

 一方で、クーピーは満面の笑みを見せ、まるで自分のことのように喜んだ。

 ハルパの手をつかみ、ぶんぶんと上下させる。


「やったじゃないっ! コンシリアで雇ってくれるって! ハルパは、あの英雄エターナに認められたのよっ!」

「そ、そんな……こ、これって夢なんじゃ……」

「夢じゃないわよお! これでティムレスなんてクソ村とはおさらばよ! ってそうだ、私は? 私を雇ってくれる場所は!?」

「研究所の給料なら四人ぐらいなら養える」

「それじゃあヒモじゃない!」

「心配ないと思うよ。今のコンシリアは発展が著しいから、どこも人手をほしがってるの。クーピーさんぐらい積極的で元気ならすぐに仕事は見つかるって」

「ならいいけど……」

「私はクーピーちゃんのこと養ってもいいけど」

「私はやなの。対等でいたいんだから」


 手を繋いだまま微笑み合う二人。

 このクソッタレの村で、互いに支え合いながら生きてきたのだろうな、というのが見ているだけでわかった。

 フラムとエターナの表情も思わず緩む。

 そして次の瞬間――

 ハルパの手を握っていたクーピーの腕が、ゴトリと床に落ちた。

 突如として生じた異様な違和感に、全員の視線がそこに向く。

 ハルパとクーピーは一瞬、何が起きたのかまったく理解できていない様子だった。

 しかしフラムとエターナはわかってしまう。

 この手の出来事に慣れすぎた・・・・・のだ。

 そして二人はほぼ一瞬で全てを推察した。


 落ちたクーピーの腕の切断面が、茶色く変色している。

 ナーリスの外皮と同じ状態だ。

 つまりクーピーの体内にナーリスの一部が混入したと考えられた。

 なぜか。

 それは彼女が村長の娘だから。

 村長は購入したナーリスの血を村人に振る舞った。

 それは村人の金で買ってきてしまった後ろめたさからくる行動かもしれないが、もう一つ――純粋に“好意”という可能性もある。

 不老不死という奇跡は、独占せずにみなで分かち合おうという考え。

 ならば真っ先にその対象となるべきは、村人ではなく家族ではないか。

 そう、つまりクーピーは、この小屋に立てこもる以前、すでにナーリスの血液を接種していたのだ。

 だが不思議と、他の村人のような病が発症することは無かった。


 かつてエターナが王都で実験を受けていたとき、その体内には魔族の因子が混ぜられたという。

 適応できなかった人間はみな死んだ。

 奇跡的に成功したエターナも外見上は年を取らないようになり、そしてナーリスは死にはしないが肉塊となってしまった。

 これと同じことが、クーピーにも起きているとしたら


 適応できない人間は死ぬ。

 中途半端に適応してしまった人間は――ナーリスのように、肉塊へと変わる。

 肉体の変質、そして欠落がその初期症状だとすれば、フラムがやるべきことは――


反転しろリヴァーサル


 とっさに、彼女は魔法を発動させた。

 すると落ちたクーピーの腕が、まるで逆再生のように元の位置に戻る。

 ハルパとクーピーは何が起きたのかわからないまま、さらに理解できない現象を目の当たりにして、完全に混乱しきっていた。


「な……なに? 私の体に何が起きたのッ!?」

「わかんないです。で、でも今――フラムさんが、助けてくれたような」

「フラム、今のはまさか時間を反転させて」

「いえ、そこまで大規模なことはしてません。対象をクーピーさんに絞って、肉体の状態を巻き戻したんです」

「似たようなもの」

「加えて、その直後に時の流れを無にしました。病状の進行は止まってると思います」

「それなら安心して診れる。クーピー、上着を脱いで」

「え、ええ……」


 言われるがまま、上着を脱ぐクーピー。

 エターナは彼女の前に立つと、変色した肩の部分に手を当てた。


「どこかでナーリスの血を摂取しているはず、心当たりは?」

「あのクソオヤジが食事にでも混ぜてのかもしれないわ」


 飲み物ならさすがに気づくが、食事となると量が少なければ気づけない。


「でもママが体調を崩したなんて聞いてない」

「悪い意味で血との相性が良かった。魔族の因子を埋め込まれ、肉体が崩壊したまま生き延びたナーリスと同じような状態。しかもタチの悪いことに、ただの魔族の因子じゃない。ナーリスの体内で人間の因子と融合し、変異した特殊な因子。父親からではなく母親からの遺伝だと考えると、おそらく母親も今ごろ――」


 クーピーの顔がさっと青ざめた。

 彼女は先ほどからクソオヤジと連呼しているが、母親の悪口は言っていない。

 おそらく母との関係は良好なのだろう。


「まずは貴女を治療する」

「どんな魔法や薬草でも治らなかったのよ? それにあなたは水属性の使い手で、回復魔法は使えないはずじゃ」

「なら治る薬を作ればいい。フラム、そこにある図鑑を取って」

「これですか?」


 フラムは本棚に収められていた分厚い本を手に取った。


「その図鑑を見れば薬草を無から生み出すことは可能?」

「経験上、できると思います」


 それが理屈の上ではおかしいことを、フラムは承知している。

 図鑑を見て物体を作り出したところで、彼女が持っているのは断片的な知識のみ。

 完全なる再現など不可能なはずである。

 しかし、デインの“ログアウト”をコピーしたことも含め、フラムが無から有を生み出す場合、必ずしも完全な知識が必要なわけではないことがわかっている。

 これもジーンの言うところの、アカシックレコードからの記憶の呼び出しなのだろうか。

 不気味さは感じるが、しかし便利な力なのだから、使うに越したことはない。


 また、フラムならばクーピーの体内からナーリスの血液を消し去ることも可能だろう。

 だが現在、変異しているのはクーピーの肉体そのものだ。

 うかつに消せば、元あった部位まで消えてしまう可能性がある。

 ここは大人しく、専門家であるエターナに従うことにした。


「ならそれでお願い。ハルパは私の補助を」

「は、はひっ!」


 緊張に声を裏返させるハルパ。


「クーピーはベッドで横になって。フラムの魔法で進行は止まっているけれど、それは腕の周辺だけ。魔族の因子は体の他の部位にも影響を与えるはず。血の巡りがよくなると病状の悪化が早まる可能性がある。できる限り動かない方がいい」


 クーピーは頷くと、ベッドに移動し寝そべる。

 そのすぐ横にはナーリスが鎮座していた。


「それと検体を採取させてもらう。痛いかもしれないけど我慢して」


 クーピーの変異した部位を一部削り取るエターナ。

 そして彼女は数年ぶりに、実験道具の揃った机の前に立った。

 懐かしさに浸る暇はない。

 幸いにもハルパが使っていたおかげで、器具は清潔な状態を保っていた。


「本当にこの場で、そんな高度な薬を作るなんてできるんですか?」


 助手に指名されたハルパは、その後ろに待機しながら問いかける。

 するとエターナは自信ありげに言った。


「割と慣れてる」

「そうやって助けた相手が今の奥さんですもんね」

「まだ結婚したわけではない」

「あっ、噂のインクさんですか! そんな出会いがあったなんて素敵です!」


 エターナの頬がほんのり赤く染まる。

 しかし浮かれたのも一瞬。

 すぐに真剣な表情に戻ると、彼女はフラムとハルパに指示を出しながら、製薬を開始した。


 ◆◆◆


 空が茜色に染まる頃、それは完成する。

 粉末をクーピーに飲ませても、すぐさま見てわかる効果が出るわけではない。

 だが、フラムが魔法を解いても変異は進行しなくなっていた。


「ほんとだ……腕が落ちないわ……」

「よかったねぇ、クーピーちゃん!」

「ええ、それにしても……ほんの数時間で本当に完成させるなんて、とんだ化物ね」

「クーピーちゃん、その言葉のチョイスは……」

「私なりに最大限に褒めてるのよ」

「ありがと。薬草を作るのは初めてだったけど、エターナさんの役に立てたかな」

「役に立つなんてものじゃない。世界中に散らばってるあらゆる薬草を好きな時に生み出せるなんて。しかも薬草の加工もかなりフラム頼りだった。枯らしたり乾燥させるのも一瞬で終わるのは本当にズルい」

「濫用はしませんから」

「それがいい、相場が崩壊する」


 あとは手元に残った薬を、村人たちに飲ませるだけだ。

 だがその前に、エターナはフラムに頼みたいことがあった。


「薬を使っていく中で、ある程度はナーリスの状態もわかった。おそらく彼女は、その分厚い皮膚の中で破壊と再生を無限に繰り返している」

「人の形を保てないから皮膚が必要だったのかな、って私は思ってたんですけど」

「フラムの予想通り。皮膚がなければ中身はバラバラに飛び散る」

「人間って、そんな状態になっても生きられるものなのね……」

「物質は一般的に、時間が経過すると劣化していく。つまり現状維持というのは、止めるというよりは、巻き戻しに等しい。時間を停止できる、なんて例外を除けばという話になるけど」

「じゃあ外見の変わらない魔族は、再生能力に秀でているんですね」


 ハルパが言うと、エターナはうなずき、さらに話を続けた。


「しかし人間の細胞と合わさると、想定外も多く起きる。人でも魔族でもない特性を示すことすらある」

「ナーリスさんは人と魔族の両方プラス、未知の特性を得てしまった……」

「強すぎる拒絶反応は死をもたらし、暴走した再生能力はその傷すら一瞬で治す。あの皮膚の中で、ナーリスはそれを永遠に繰り返している」

「だったら拒絶反応の方を消せばいいんじゃないの」

「それでは意味がない。拒絶反応だけを消せば、彼女の細胞は無限に増殖を繰り返し、今度は限りなく肥大化を繰り返す肉の塊になるだけ」

「私が両方を同時に消せばいいんですね」

「そうすれば、通常の人間と――いや、魔族と同程度の再生能力だけが残るから、あとは人の体を形成してあげればいい」


 具体的な数字の話ではなく、あくまで概念的な話だ。

 だがそれだけの情報があれば、フラムには十分だった。


消え去れリヴァーサル


 彼女はナーリスに手をかざす。

 魔法を発動しても、見た目に大きな変化があるわけではない。

 しかし――


「うめき声が止まりました、ね」


 ナーリスの苦しげな声が、ピタリと聞こえなくなる。


「これで彼女を苛んでいた最も大きな痛みが消えたはず。とはいえ、人の形を取り戻すまでは辛いとは思う」

「でも喜んでるはずですよ、助けてくれる誰かがいるって伝わったでしょうし」

「そう思ってくれてると嬉しい」


 微笑むエターナ。

 もうやるべきことはやり終えた。

 残るは後始末だけだ。


 ◆◆◆


 山を降りると、村長たちがフラム一行を迎えてくれた。


「娘と妻を解放しろ、邪悪な魔女め!」

「そうだそうだ! 人質なんて卑怯だぞー!」

「呪いからも解放しろー!」


 浴びせられる罵倒の言葉を聞いて、なんだか逆に安堵するフラムだった。

 ここまで変わらないとなると、もう希望を持つ必要もない。

 それはクーピーも同じだったらしい。

 ハルパと二人でナーリスを抱えながら、怒るというよりは、呆れたような表情をしている。


「ママの体はどうなってるの?」

「クーピー! 早くそんなものを捨ててこっちにもどってくるんだ!」

「いいから答えてクソオヤジ!」

「な、なんて言葉遣いを……ママは体が腐り落ちて、手足を失って苦しんでいる。あの化物魔女と同じような茶色い皮膚が全身に広がってな! そいつだ、そいつのせいなんだ!」

「あんたのせいでしょ」


 クーピーは冷たく言い放った。

 どんな怒鳴り声よりも、そこには強い怒りが込められている。


「誰も頼んでないのに不老不死の血なんて碌でもないもん飲ませて、私とママを殺すつもり?」

「何を言って――」

「病気を広めたのもあんたじゃない! このナーリスの血を飲ませたせいで、みんな苦しんでんのよッ!」


 彼女が話してくれたおかげで、説明する手間が省けた。

 そしてエターナは、手に持っていた袋を村人に向けて放り投げる。

 彼らは怯えて受け取ろうとしなかったが、エターナが気だるそうに、


「中に治療薬が入ってる。それを飲めば病気は治るし、クーピーの母親の病状進行も止まる」


 と説明すると、怯えながらも拾い上げた。

 そして逃げるように、袋を持って村の方へと走っていく。


「お、おいお前たち! そんなものを頼るのか? 魔女を信用するのか!? 待て、その前に私にも一個渡せェ!」

「ダッサ、死ねよクソオヤジ」

「クーピーちゃん、落ち着いて。ね?」


 今にも父親に殴りかかりそうなクーピーを、ハルパがどうにかなだめる。

 とんだ狂犬である。


「村長さん、エターナさんを家まで案内して」

「なぜそのようなことをっ!」

「病気の進行が止まっても、落ちた手足が戻るわけじゃないの。その治療にはコンシリアの施設が必要だから」

「な……治るのか……?」

「わたしに治す義理はない。けれどクーピーの母親に罪は無い。どうせナーリスとクーピーもまだ治療が必要だから、一緒に治す」

「よ、よかったあぁ……」


 崩れ落ちる村長。

 するとクーピーがそんな父に歩み寄り、見下しながら告げた。


「ただし、そのあとティムレスに戻ってくることは無いわ」

「へ?」

「ママやハルパたちと一緒に出てくって言ってんのよ。こんなゴミクソみたいな村をねッ!」


 そしてついには、父親を蹴りつけてしまった。

 慌ててハルパが駆け寄り、再びなだめる。

 だがそのハルパも、蹴るまでは様子を見ていたあたり、意外としたたかなのかもしれない。


 ◆◆◆


 その後、エターナの薬を飲んだことで嘘のように病は収まった。

 フラムの能力によりクーピーとその母はコンシリアまで送り届けられ、治療を受けている。

 ハルパの待遇に関しては、数日後にエターナの部下が迎えに来ることとなった。

 彼女の両親には事後報告の形になってしまったが、元からティムレスでの生活が厳しかったからか、引っ越しも含めてすぐに了承してくれたそうだ。


「そんな大事件が起きたのに、本当にお夕飯までに戻ってこれたんですね」

「だってミルキットのご飯が待ってるんだよ? 頑張っちゃうって」

「ふふ、私もご主人様と一緒にご飯が一番おいしいですから、嬉しいです」


 食卓を囲むのは、フラム、ミルキット、インク、エターナ、キリルにショコラの六人だ。

 エターナに関しては、クーピーとナーリスを施設に送り、部下に指示を出した後、一旦家に戻ってきていた。


「でもエターナはかなり無理してるよね。あたしのこと心配しなくても、一日ぐらいなら我慢できるよ?」

「言ったことは守る。まあ、食事が終わったらまた職場に戻るけど」

「そっかぁ、エターナはあたしと一緒にいたかったんだねぇ」


 エターナはおかずを口に運びながら、ぼそりと「そういうこと」と答えた。

 それを聞いてはにかむインクは、「でへへー」とだらしなく笑いながらエターナに寄り添う。


「今日も食事が甘いですね、先輩」


 ショコラは塩っ辛い漬物を食べながら言った。


「慣れだよ慣れ」


 平然と食事を進めるキリルだが、彼女も口に運ぶあらゆるものを甘く感じていた。


「慣れる日なんて来るんですかね。今日だって店に行ってる間に、村を一個救ってるんですよ?」

「世界は目まぐるしく移り変わっていくんだよ」

「あーあ、お菓子作りの腕もそれぐらい目まぐるしく上達しないかなぁ」

「コツコツ毎日の鍛錬が大事」

「言ってること矛盾してません?」


 何だかんだで、キリルとショコラも先輩と後輩として仲がいい。

 穏やかな空気の中、夕食は進み――ふと、ミルキットが手を止めた。


「ですがハルパさんは大丈夫なんでしょうか。ティムレスに残っているんですよね?」


 インクも同じ不安を抱いていたようで、続けてフラムに問いかける。


「そうそう、あたしもそれ気になってた。エターナたちが話したように、その村長や村人がそんなにダメダメ人間なら、一人だけ残ったら危険じゃない?」

「そこは心配ない」

「うん、私が常に監視してるからさ」

「フラムさんってここにいるじゃないですか」


 ショコラの疑問はもっともだ。

 本人がここにいて、どうやって監視するというのか。


「フラムが意識を集中させれば、遠隔で気配を察知することぐらいできる……みたいな感じじゃないかな」

「でも先輩、ティムレスってめちゃくちゃ遠いですよ?」

「まあ、フラムがやれることは私たちの想像を越えてるから」

「なるほど……って納得しかけちゃいましたけど、実際のトコどうなんです?」

「まあ、簡単に言うとキリルちゃんの言う通り、かな」


 常にティムレスとの間に小さなゲートを開いておくことで、ハルパに危害を加える人間が存在しないかを察知し続ける。

 フラムはそうやって、ハルパがコンシリアに来るまでの間、彼女を守るつもりだった。

 とはいえ、あれだけ痛い目を見たのだ、さすがに何もしないと思いたいが――


「はえぇ、やっぱすごいんですねフラムさんって」

「当然です、ご主人様ですからっ」

「何事も無いのが一番なんだけどね」

「おそらくそうは行かない」


 エターナは、確信めいたものを抱いていた。

 そもそも、フラムに村を監視し続けてほしいと頼んだのは彼女だ。


「忌み嫌われる“魔女”だったハルパが、一転して成功者になる。そんな現実をあの村の人間が受けいれられるとは思えない」


 そんな不吉な予言は――その翌日に、現実のものとなる。


 ◆◆◆


 両親との相談も終え、さっそく引っ越しの準備を進めるハルパ。

 エターナからの許可も出たので、小屋にあった本や道具も持ち出していいことになった。

 また、それらの道具を運んだあとにもう一度小屋を訪れると、そこは完全に破壊されていた。

 おそらくは、二度と“魔女”を生み出さないため、エターナかフラムが壊しておいたのだろう。

 それを見たハルパは寂しさを感じたが、一方で自分を取り巻く環境が未来へと進んでいっていることも実感した。

 変化の時が来た――そう割り切り、前向きに捉えることしたのである。


 その間、クーピーは治療のためにコンシリアにいたため、ハルパは少し心細かった。

 だが、ついに憧れのエターナの下で働けるというワクワクが、その寂しさを埋めてくれる。


「本当に私が薬草の研究者になれるなんて……」

「頑張ったかいがあったわね」

「最近はハルパに支えられたばかりだよ、父親として情けない。僕も体が治ったら、コンシリアで働き先を見つけないとな」


 両親は自分のことのように喜び、そしてハルパ同様にコンシリアでの暮らしを心待ちにしているようだ。

 その時だった。

 ドンドンドン! と誰かが乱暴に家のドアを叩いたのだ。

 突然のことに、ハルパは肩をびくっと震わせ驚く。

 母は不安そうに父の方を見た。


「一体誰かしら……」

「お母さんとハルパは離れてなさい。僕が出よう」

「でもお父さんは!」

「いいから言う通りにしなさい! 何かあったときは、すぐに窓から逃げるんだ。いいね?」


 扉を叩いたのが誰なのか、すでに父には予想が出来ていた。

 再び乱暴に殴りつけられるドア。

 そこに近づいた父が返事をする。


「はーい、どなた様ですか?」


 すると返ってきたのは言葉ではなく――“暴力”だった。

 誰かが木製のドアを蹴飛ばし、強引に開けたのだ。

 父は開いたドアにぶつかって「うわあっ!」と倒れた。


「お父さん!」


 声をあげ、彼に駆け寄るハルパ。

 そして姿を現したのは、村人を引き連れた村長である。


「魔女め……お前たちだけ逃してなるものか」

「村長さん、どうしてこんなことを!」

「元はと言えば、この村に災いをもたらしたのはお前たちだろう! 私が娘と妻を奪われたのも――その責任を取ってもらうぞ!」

「意味がわかりません! ナーリスさんだって村長さんが買ったものですし、血を飲ませたのだってあなたが――」

「黙れェッ! 話をする意味もない。お前たち、やってしまえッ!」


 村人に指示を出す村長。

 しかし、反応はない。


「お、おい何をしている。早くやれと――」


 そして彼が振り向いた瞬間、家を取り囲んでいた村人たちは全員、意識を失い崩れ落ちた。

 倒れた人々の向こうには、少女が一人、立っている。

 村長と目が合った。

 フラムが軽く睨みつけただけで、彼は「ひいぃっ!」と声をあげて目に涙を浮かべる。

 そんな彼に、一歩、また一歩とフラムは近づいていく。


「来るな……こっちに来るなあぁぁっ!」


 聞く道理など無かった。

 フラムは村長の目の前までやってくると、その胸ぐらを掴んで体を持ち上げる。


「山の魔女はもういない」


 いつもより低い声で、彼女は言い放つ。


「この村で何が起きても、都合よく助けてくれる“魔女”も、責任を押し付けられる“生贄”ももういないんだよ」

「は……ぁ、そ、そんなもの……作れば……」


 心底失望した表情でフラムは「はあぁ」と大きくため息をつき、そして村長を投げ捨てた。


「あぐぅっ!」

「じきに自分がやったことと向き合う時が来る。その時までせいぜい魔女の幻想に引きこもってるといい」


 “脅し”としてはもう十分だ。

 フラムは次元の扉を開き、コンシリアに戻っていく。

 だがゲートをくぐる直前、立ち止まって最後に村長に伝言を残す。


「あと、次に同じことやったら反省とか関係なしに今度は斬るから。村人にも伝えといて」


 そしてフラムは姿を消した。

 村長は「ひいぃぃいいっ!」と小物じみた声をあげ、自分の家に駆け込む。

 残されたハルパとその家族は、ひとまず家のドアを閉じた。


「すご、かったな」

「フラムさん、見守ってくれるとは言ってたけど……」

「直接来るのねぇ」


 助けられたことに感謝はしているが、それを驚きの方が上回ったようで。

 三人で家の隅っこに固まりながら呆然としていた。


 ◆◆◆


 ハルパとその家族を迎えに来た馬車が到着したのは、その二日後のことだった。

 車から降りてきたのは研究所の職員――


「久しぶりね、寂しかった?」

「クーピーちゃん!」


 ではなく、治療中のクーピーだった。

 母親に比べて病状が深刻ではなかった彼女は、ほぼ全快の状態である。

 抱き合って再会を喜ぶハルパとクーピー。

 二人はハルパの家族と協力して荷物を積み込んでいく。


「今日まで私がいなくて平気だった?」

「うん、途中でフラムさんが助けに来てくれましたから」

「ってことは平気じゃなかったんじゃない。まったく、あんなことがあったのにクソ村のままなのね」

「でもそれ以降は、誰にも何も言われなくなったんですよ。村長さんも、家から出てこなくなったみたいで」

「よっぽど脅されたんでしょうね」

「確かに、あのときのフラムさんは怖かった、です。その分だけ頼もしさもありましたけど」

「想像つかないわ。特にコンシリアにいると」


 コンシリアで見られるフラムの姿は、基本的に新婚夫婦のようなふわふわとした幸せそうな表情ばかり。

 王国の新聞などで報じられるのもそういった顔をしている時が多いので、あまり本気で怒ったフラムを見た人というのは少ない。


「ところでクーピーちゃん、もう一台の馬車は何のための物なんですか? クーピーちゃんの引っ越しのためとか……」

「違うわよ。見てればわかるわ」


 作業を続けていると、村の方がやけに騒がしい。

 どうやら村長の家のあたりで騒ぎが起きているようだ。


「やめろ、触るなっ! 私ではない、証拠は何かあるのか!?」

「オークションの主催者はすでに捕まっている。お前の家から帳簿も応酬された」

「そんなことできるはずがないだろう。私の家には誰も来ていないぞ!」


 言い逃れを続ける村長。

 しかし――


「フラム様だ」


 反論は、その一言で十分だった。


「は――」


 村長は思い出す。

 何もない場所から、突如として空間を切り裂いて現れた彼女の姿を。

 そして体を震わせ、恐怖する。


「ち、違う。私じゃない。あれは魔女が、全ては魔女のせいなんだぁああ!」


 村長のみっともないわめき声は、ハルパとクーピーの元まで響いている。

 強引に家から連れ出された彼は、両脇を屈強な兵士に拘束され、ずるずると引きずられていた。


「そのような言葉が言い訳になると思ってたのか。止まるな、足を動かせ!」

「な……な、なぜ、なぜ私があぁっ! 違うんだ、私はただの客で、そうだ、あのオークションに参加したのはちょっとした出来心でぇ!」

「村の金を使い込んでおいてよく言う。横領はれっきとした罪だ、王国の法で裁かれなければならない!」

「そ、それはっ、魔女が頭に呼びかけたから、私のせいじゃないんだぁぁあああ! 魔女を! エターナ・リンバウを捕まえてくれ、頼むうぅぅぅ!」


 どうやらもう一台の馬車は、罪人を連行するためのものだったらしい。


「クソオヤジもこれでおしまいね」

「でもそれって、クーピーちゃんは……」

「すっきりしたわ。知ってるでしょ、私ってそういうとこ割り切れるタイプなのよ」

「そう、でしたね」

「安心なさい、切り捨てるのはクソだと思った人間だけ。ハルパのことは、嫌って言われても一生つきまとってやるから」

「ふふっ、私が受け入れるから付きまとうことにはなりませんよ」


 そしてハルパたちより一足先に、馬車に乗せられた村長はティムレスを発つ。


「助けてくれ、クーピー! 頼む、私の娘なんだろう! クーピー、クーピィィィィイッ!」


 娘の姿を見つけるなり、檻の中からうるさい声を響かせる村長。

 クーピーはそんな彼を見ると「んべーっ」と舌を突き出した。

 やがて馬が走り出し、村長の声も姿も離れていく。


「さて、私たちもそろそろ行きましょうか」

「うん……」

「暗い顔しないの。未練なんてないでしょう」

「そうですね、憧れのお師匠様の近くで働けるんですから!」


 四人が乗り込むと、馬車は走り出す。

 村には何も知らない住民だけが残された。

 なぜ村長が逮捕されたのか。

 村の金を使い込んだって何のことなんだ、と不安そうに言葉を交わす。


 ◆◆◆


 それから一ヶ月の時が過ぎた。


 ハルパは研究所に徐々に馴染みはじめ、山で手に入れた“生”の薬草の知識をさっそく役立てているようだ。

 クーピーは持ち前の度胸で都会の空気にもすっかり溶け込み、早くも酒場で看板娘として評判になっているんだとか。


 一方で、ティムレスでは村人同士が、村長の使い込みの責任を押し付けあい、対立していた。

 使い込みの額はかなりのものだったようで、計画されていた街道や畑の整備の多くが頓挫。

 さらに村人同士の嫌がらせが加熱し、畑や家畜に細工をしたことで、その年の収穫は壊滅的だったんだとか。

 嫌気が差した住民の多くは、移住を検討しているらしい。

 おそらくクーピーの父が釈放される頃には、地図からティムレスの名前は消えているだろう。


 そしてコンシリアでは――ナーリスの肉体の再構成が順調に進んでいた。

 ベッドの上に横たわる彼女は、肩から上だけはしっかりと人の形になっている。

 顔は当時の10歳前後の少女のものだ。


「ナーリス、聞こえる?」


 エターナが呼びかけると、わずかに口元が動いた。

 どうやら彼女が声を聞き分けているらしい、とわかったのはつい最近のことだ。

 顔があると言っても、髪はほぼ生えておらず、目もまだ開いていないし、口から食事を摂ることもできない。

 そんな状態の中、声に反応を見せたというのはかなり大きな進歩である。


「わたしの声なんて、とっくに忘れているかもしれないけど……」


 なんといっても、もう60年も会っていないのだ。

 顔すら忘れていても仕方ない。

 だがそのとき、ナーリスの口が動いた。


「エ……ター、ナ……」

「今、わたしの名前を」


 確かにナーリスは、エターナと呼んだ。

 顔も見ていないのに、その声だけで、それが大昔の姉妹として暮らしていた相手だと認識していたのだ。

 エターナはナーリスの頬に手を当て、再び呼びかける。


「そうだよナーリス、わたしはエターナ。ここには、あなたを知ってる人がいる。もう一人で苦しむ必要はない」


 目を覚ましても孤独ではない。

 そして、きっとナーリスを優しい世界が包み込んで、その傷を少しずつ癒やしてくれるはず。

 だから早く戻ってきてほしい。

 いや、戻さなければならない。

 失ってきた時間以上の幸福を、彼女が手に入れられるように。


 ◆◆◆


 仕事終わりの帰り道、エターナはインクと手をつないで歩いている。


「最近、ご機嫌だよね」

「そう?」

「そうだよぉ、ナーリスの治療がうまくいってるんだろうなって思う」

「インクも割と機嫌がいい」

「エターナが嬉しそうだとあたしも嬉しいもん」


 そう言って、インクは絡めた指にきゅっと力を込める。

 その心地よい束縛に、エターナの胸にじんわりと愛おしさと幸せが広がった。


「正直、心配してた」

「あたしを?」

「嫉妬しないかって」

「まさかエターナがそこまであたしのことを気遣ってくれるとは……でも嫉妬なんてしないよ。だってあたし、知ってるもん。家族や兄妹と再会できる嬉しさってやつ」


 少し前に、インクは螺旋の子供たちスパイラルチルドレンと再会している。

 元の形とは違うし、ずっと一緒に過ごせるわけではないけれど、互いに幸せに生きていると確認できただけで、あんなにも胸が満たされたのだ。

 ナーリスはこの世にいる。

 あと少しで、人としてまた生きることができる。

 その喜びは計り知れないから――インクは嫉妬したりしない。


「あ、でもナーリスが目覚めたあと、あたしのこと放置したらヤキモチ焼くかも」

「それは無い」

「お、言い切った」

「だってわたしもインクのことが好きだから。くっついていたいと思ってる」

「にっひっひっひっひ」

「何その笑い方」

「いやあ、幸せすぎて変な笑い声出ちゃった。もー、最近のエターナすごいよぉ? あたしの心臓破裂しちゃうってぇ」


 そう言いながら、インクはぐりぐりとエターナに体を押し付ける。


「そうだ、気になってたことあるんだけどさ」

「ナーリスのこと?」

「そう。ナーリスが自由に動けるようになったら、エターナは何がしたいの? 久しぶりの姉妹の再会でしょ。やっぱり結婚式を見せる?」

「それもあるけど、最初にやることは決めてる」


 エターナは茜空を見上げ、その先にいる誰かに向けるように言った。


「墓参りを」


 正直、一人での墓参りは寂しさもあった。

 あの頃はあんなにも騒がしかったのに、時が経つに連れて一人、また一人と減っていって。

 けれど次は違う。

 二人に増えるだけでも、前向きな気持ちで死者と向き合えるはずだ。


「きっと、キンダーとクローディアも喜ぶ」


 そして彼らも救われるだろう。

 あの実験の被害者が、一人でも多く幸せになったと知れば。



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