【コミカライズ4巻発売記念】EX12-1 山の魔女はもういない(前)

 



 大陸には現在でも多くの地下遺跡が存在しており、王国もそのすべてを把握できているわけではない。

 中には、その地下遺跡を改装してアンダーグラウンドな商売に使うものもいた。

 コンシリアから遠く離れた場所に存在する、“オークション会場”もその一種である。


 何の変哲もない田舎町。

 そこにある酒場の主に招待状を見せると、奥の部屋へと案内される。

 階段を降り、みすぼらしい扉を開いた先にあるのが――この豪華な会場だ。

 さながら豪華なパーティ会場のような装いをしたこの場所には、歪んだ趣味を持った金持ちばかりが集まる。


 ここを取り仕切る商人は、かつて王都の暗部を牛耳っていたと言われるほどの大物である。

 そんな彼も、コンシリアの取締り強化によって追い出され、今はこんな僻地でしか悪さを働けない。

 だが一方で、都を離れたことによるメリットもあった。

 わざわざこんな田舎まで足を運ぶようなもの好きは、金払いがいいのだ。

 まあ、理解しがたい趣味を持っていることも多いが、おかげで本来なら売り物にならないような珍品も捌けるのだから悪くない。


 商人本人が司会としてステージに上がると、参加者たちから歓声が上がった。

 彼の口から紹介されるラインナップは、今日も曰く付きの物品ばかり。


 オリジンの力を残したコアの欠片。

 教皇の死体の一部。

 王都の死者の呪いを集めた武器。

 生物が出品されることすらあった。


「ご覧ください、この世にも奇妙な醜い肉の塊。こちらは60年ほど前に発見され、そこから一切の食事を取らずに生き続けていると言われております」


 檻の中に閉じ込められたのは、茶色く分厚い皮膚で覆われた肉の塊。

 不規則の蠢くその中からは、わずかにうめき声のようなものが聞こえる。


「経緯話すと少々長くなりますが――オリジン教会が力を持つ以前も、王国では人体実験が行われておりました。魔族に対抗するためです。そして彼らは子供に魔族の因子を埋め込むことで、高い魔力を持った人間を生み出そうとしました。ですがそこには別の“願い”も込められていたと言います」


 まるで朗読でもするように、商人は感情を込めて語った。


「人の望み、人の欲望。いつの世でも尽きないものですが、時代を越えて共通する願望がある――そう、不老不死です」


 おお……と参加者たちから声があがる。

 期待に胸を躍らせ、会場の熱量が増していく。


「その成功例が、かの英雄であるエターナ・リンバウと言われておりますが、真偽は定かではありません。ですが事実として、彼女は60年以上生きていると言われているのに、まだ幼い姿をしたままです。この会場にいる皆様ならご存知でしょうが、裏社会にはよくエターナ・リンバウの血と名付けられた出どころ不明の液体が流通しております。飲めば不老不死――とまでは行きませんが、若返るのではないか、と」


 英雄たちのカリスマ性は、こういった裏の世界でも効果を発揮する。

 謎が多いエターナ・リンバウの名前が出るだけで、なんとなく信憑性が出てしまうのだ。


「この肉の塊は、同じ実験によって生み出された産物。人と魔族の融合体。見た目こそ、目も背けたくなるような醜さですが、姿を変えずに生き続けていることには変わりはない。そしてご覧ください、こうして傷をつけてやれば――」


 商人はナイフを取り出し、その表面に傷を付ける。


「人と同じ赤い血が流れる。さらに、傷口もすぐに治って元通りです。この血を飲めば、あるいはあなたも永遠の美を手に入れられるかもしれない」


 この肉塊の“売り”は、供給側・・・になれることだ。

 自分一人だけではない。

 これが手元にある限り、不老不死の効能を持つ血を売って財を成すことも、そして周囲から憧れの目を向けられることだってできる。

 ――本物ならば、の話だが。


「では入札をはじめましょうか」


 商人の煽りが効いたのか、参加者たちは次々と手を上げ、値段を吊り上げていく。


(こんな使い道のないゴミが売れるとはねえ。エターナ・リンバウと同じ? そんなわけないだろう、汚らわしいただの肉の塊が)


 こんな血に、不老不死の効果なんてあるはずがない。

 そもそもエターナ・リンバウの血だって偽物ばかりだし、仮に本物を飲めたとしても何も起きないのだから。

 加熱する人の欲望を壇上から見下ろしながら、彼はひっそりと優越感に浸っていた。


 ◆◆◆


 ある日の夜、同じテーブルでフラムと向かい合っていたエターナが、ふいに口を開いた。


「フラム、ギルドに『山の魔女討伐依頼』が出たという話は聞いたことある?」

「山の魔女、ですか。私は聞いたことないですね。しかもそれって――」

「わたしのことではない。でもそう思った同僚が、そんな噂があると聞かせてくれた」

「それって王都で出てた依頼なんですかね」

「田舎の方と聞いている」

「だとすると、私よりエターナさんの方が近いと思います。ギルド本部で全国の依頼データを集約してるんで、そこが噂の出どころじゃないですかね」

「なるほど、本部が原因ならむしろ冒険者は知らないことになる」


 ただの噂話だ。

 しかしそれにしては、エターナはやけに真剣な表情で悩んでいるように見えた。


「エターナ、何かひっかかるところがあるって顔をしてるね」

「いくらウワサって言っても、聞かされたら気になっちゃいますよねー」


 ソファでくつろぐキリルとショコラが言った。

 確かに、そもそもこの話をしたのも、フラムに助力を求めるためなのだろう。


「私がそういう依頼があったか調べときますね。本部でもある程度は顔もきくんで」

「ありがとう、お願いする」


 本来、依頼のデータは部外者が見れるものではない。

 だがフラムが頼めば、本部の人間も断れないだろう。


 ◆◆◆


 そして翌日の昼食後、同様にテーブルを挟んでフラムは結果を報告した。


「本当にあったみたいですよ、山の魔女討伐依頼。もう誰かが受託しちゃったみたいですけど」

「どのあたりだった?」

「それが、コンシリアから北西の方にある、かなり離れた地域みたいなんですけど……依頼主は、ティムレスという村の村長さんだとか」


 フラムはそれを聞いたとき、エターナが悩んでいる理由を理解した。


「ティムレス……」


 彼女は村の名前を反芻する。

 するとその背後から近づいてきたインクが、ぎゅっと抱きついた。


「そこってエターナが暮らしてた村だよねっ。魔女って呼ばれてたの、エターナじゃなかったっけ」

「不思議な話ですね」


 洗い物を終えたミルキットが、フラムの隣に座りながら言う。


「エターナさんはここにいるのに、どうして山の魔女なんて呼ばれる人がいるんでしょうか」

「そこに不穏なものを感じている」

「やな感じするよねー。エターナのこと迫害してたやつらでしょ? また悪さしようとしてそう」


 エターナは、別に村人の心配をしているわけではない。

 ただ、もし何の罪もない人間が、“魔女”と呼ばれて討伐されようとしてるのだとしたら――


「私とエターナさんでぱぱっと様子を見てみますか?」

「構わないけど……移動手段は、空を飛ぶあれ?」


 あれというのは、フラムがエターナを抱えたジャンプし、目的地を目指すというやつだ。


「実はあれよりもスマートな移動手段を思いついたんです。といっても細かい場所まで指定は出来ないので街中では使えないですし、感覚が麻痺しそうなんで普段は使わないようにしてますけど」


 そう言って、フラムは何もない空間に手をかざす。


反転しろリヴァーサル


 そして魔法が発動し、何もなかったはずの場所に、空間の裂け目が生じた。

 裂け目の向こうには、見知らぬ平野が見える。


「またフラムがおかしなことしてる」

「その先は別の場所に繋がってるんですか?」

「ざっくりティムレスの近くにしたつもりだけど、誤差はあるかもね」

「今の何? どうやってそこと繋げたの!?」


 興味津々、と言った様子で前のめりになるインク。


「この前、デインたちと戦ったときに、次元の越え方みたいなのを“理解”したからさ。その繋げる先を同じ世界の中に絞れば、自由に転移できるんじゃないかって考えたんだ」

「どこにでも旅行ができてしまいますね」

「ミルキットと二人で色んなとこ見に行きたいな――とか思ってたんだけど」

「何か問題があるんですか?」

「旅行ってやっぱり、移動込みでの旅行かな、と思って。退屈な移動中でも、ミルキットがいればその時間は幸せなわけじゃん?」

「確かに……私も、ご主人様が一緒なら、どれだけ時間がかかっても平気です」

「こんど一緒にどこか行こっか」

「はいっ、楽しみにしてます!」

「フラム、本題から逸れてる」

「あっ、ごめんなさい! ですからそういう能力を使って、移動できるようになったというわけで……」

「はえー……次元かあ。エターナはわかる?」

「概念はふんわりと理解しているけど専門外。でも便利に使えるなら使わせてもらう」


 エターナは立ち上がる。

 さっそく出発するつもりのようだ。


「さっさと用事を済ませて夕ご飯までには帰ってくる」

「だってさ。待っててね、ミルキット」

「はい、とびきりおいしいごはんを作って待ってます。いってらっしゃい」


 フラムは「いってきます」と告げ、ミルキットに口づけた。

 インクはそれを見て羨ましそうにしている。

 そんな彼女の表情に気づいてしまったエターナは、軽くため息をついて――しかし満更でもなさそうに、フラムたちより少しぎこちないキスをした。


「えへ……いってらっしゃい、あなた」

「調子に乗りすぎ」


 こつんとインクの額を小突くと、エターナはフラムと共にティムレスへと向かった。


 ◆◆◆


 事件の裂け目を抜けた先は、何もない平野。

 しかしエターナには見覚えのある景色だったようで、そこからしばし北に歩くと、村が見えてきた。

 木造の建物が並ぶ、懐かしさすら感じるど田舎だ。

 民家の前を通り過ぎると、窓の向こうに、驚いた様子の村人がいるのが見えた。

 フラムはエターナに耳打ちをする。


「すごい大げさな反応ですね」

「ギルドに魔女の討伐依頼を出すほど怯えている。そこに魔女が帰ってきたから、ビビるのも当然」


 エターナは動じずに――むしろざまあみろ、と言わんばかりに堂々と道の真ん中を歩いた。

 そして村の中央にある広場まで到着すると、農具を持った村人たちに囲まれる。


「ついに姿を見せたか……やっぱりそうだ、山の魔女の仕業だったんだ!」

「俺たちを弄びやがって。今度こそ殺してやる!」


 エターナは外から来たというのに、村人たちは殺意に満ちている。

 いくら田舎の人間とはいえ、彼女が英雄として讃えられていることは知っているだろうに。


「待って! 私たちはこの村で何が起きてるのか調べにきたの。危害を加えるつもりはない!」

「魔女の手下め、信用できるか!」

「ああ、しかも英雄フラムの姿をしてやがる。そんな変装なんかに騙されないからな!」

「変装じゃないって……」

「フラム、言ったって無駄。それに、こんなど田舎に急にフラムみたいな有名人が来たらびっくりするのは当たり前」

「すごい殺すつもりみたいですけど、びっくりって言葉で済ませていいんですかね」


 呆れ顔のフラムは、彼らに向かって手をかざす。

 怯える村人たち。

 すると急にその手に持った農具が空中に浮かび上がり、そしてどこかに飛んでいってしまった。


「魔女だ! 魔女の魔法だ!」

「普通の魔法だよ。これでも武器も無くなったんだから、話を聞いてよ」

「あなたたちの忌み嫌う魔女が帰ってきた割には、集まった人数が少ない。集まった人たちも、ところどころ顔色が悪い」

「もしかして……流行り病ですか?」


 フラムが言うと、村人の一人が声をあげた。


「違う、これは魔女の呪いだ! 山の住まう魔女が、また俺たちの村を呪ったんだ!」

「そうだそうだー!」


 なんとなく、この村の人間が山の魔女討伐依頼を出した理由は見えてきた。

 しかし、山には魔女などいない。

 ならば誰を討伐しようというのか。

 フラムが不思議に思っていると、別の気配が近づいてきた。

 大人の男が二人――それに、それなりに鍛えた人間だ。


「依頼を受けた人たちが戻ってきたみたいですね」


 エターナは、足音のする方に目を向ける。

 するとそこには、疲れた様子の二人の冒険者がいた。


「何だ何だ、何の騒ぎだ……ってうおぉおいっ!?」

「急に驚いてどうし――うおぉおおっ!?」


 二人してのけぞって驚く。

 どうやら愉快な人種のようだった。

 顔つきからも、話が通じる可能性は高い。


「な、何だって英雄様がこんな場所に……? しかも村人に取り囲まれて」


 恐る恐る、といった様子でフラムたちに近づいてくる二人。


「山の魔女について気になることがあった。良ければ何があったか教えてほしい」

「教えてほしいって言われても……なあ?」

「そうそう、俺らは依頼人に文句を言いたくて戻ってきたんだよ。人間がいるなんて聞いてねえぞ、ってな」


 村人たちは気まずそうに冒険者から目をそらした。

 その様子を見て、ますます村人たちを怪しむフラム。

 彼女は冒険者にさらに詳しく話を聞いた。


「誰かが山の小屋に立てこもってるってことですか?」

「いや、違うよフラム様。最初は化物が小屋に住み着いてるから倒してくれって言われたんだ。そいつが魔女で、村に疫病をもたらしてるってな」

「でもよお、いざ行ってみたら、そこにいたのは女の子二人だったんだよ! しかもその子たちが化物をかばうみたいに立ちはだかってよお」

「化物っていうのは、どんな化物なんだろう……」

「茶色くて、ぶよぶよして、魔物とも違うんだよな」

「ああ、魔女って見てくれでもねえし、襲ってくる様子も無くて――」

「黙れッ!」


 冒険者の声を、感情的な怒鳴り声が遮った。

 そして村人たちを押しのけて現れたのは、杖をつく痩せこけた村長である。


「ずいぶんと健康的な生活をしているようで何より」

「なるほど理解したぞ。魔女め、あれはお前が送り込んだ刺客だったのだな! とんだペテンに騙された!」

「言っておくけど、私はこんな村に構ってるほど暇ではない。過大評価」

「ではなぜ病が広まった!」

「そんなのは知らない。まずは治療を頼むべき」

「頼んださ。だが治らなかった……どんな魔法も、どんな薬草も、この病を治すことは……がはっ!」


 血を吐き出し、崩れ落ちる村長。

 村人たちが慌ててその体を支える。

 エターナはひとまず怒りを飲み込んで、その病状を確かめるべく村長に近づいた。

 だが、彼は腕を振り払い接近すらも拒む。


「来るなぁッ!」

「見なければ治せない」

「俺を殺すつもりだろう。あのときの恨みを晴らすために……!」

「驚いた。殺されるようなことをしたという自覚があったなんて。でも頼まれても殺したりはしない、そんなことのために人生の貴重な時間を使うなんてもったいない。今のわたしは忙しい」

「く……魔女の分際で……!」


 どうやら村長は何も言い返せないらしい。

 しかし病に冒されながらも、救いの手すら拒むとなると、話し合いなど到底無理だろう。


「エターナさん、ここを離れましょう。時間の無駄です」

「わたしも同じことを考えていた」

「帰れ帰れー!」

「魔女はこの村に近づくなーッ!」


 村人たちの罵声を背中に浴びながら、一旦その場を離れるフラムとエターナ。

 冒険者たちはおろおろと困惑していたが、村人たちの様子に怯えてか、彼女たちについてくることを選んだようだ。

 人の居ない場所まで移動したところで、フラムは二人の冒険者に尋ねる。


「小屋の状況、もっと詳しく聞かせてもらってもいいですか」

「構わねえけど、どうするつもりだ?」

「とりあえず女の子二人に話を聞いてみないと。どんな子だったのか、特徴はわかります?」

「大体フラム様より少し下ぐらいの年齢で、一人は落ち着いた様子の……でも裕福そうではない女の子だった。もう一人は、ちょっと性格のキツそうな、服も綺麗な女の子だったな」

「……もしかしたら、村長の娘かもしれない」


 エターナがぼそりと言った。


「あの村長の!? でもさっきはそんなこと……」

「なぜ言わなかったのかはわからない。でもこの村には年頃の娘なんてほとんどいない。加えて年齢や雰囲気まで一致しているとなると、可能性は高い」


 小屋にいた少女が村の人間となると、ますますキナ臭くなってくる。

 冒険者たちも不安そうだ。


「なあ英雄様。これってもしかして、ヤバい依頼だったのか?」

「確かに報酬は高めだったが、相手が正体不明の化物となると、妥当な金額だとは思ったんだがなぁ」

「あとは私とエターナさんで解決するので、手を引いた方がいいかもしれません。お二人が損しないよう、ギルドに報酬の何割かは補填できるよう頼んでおきます」

「マジかよ、そりゃ助かる!」


 ギルド本部は渋るかもしれないが、そのときはフラムがポケットマネーで出せばいいだけだ。

 フラムとエターナは、冒険者たちとわかれると、さっそく小屋へと向かった。


 ◆◆◆


「止まりなさい!」


 フラムたちが小屋に近づくと、凛とした声が響き渡った。

 ツインテールの少女は長い棒を手に、二人の前に立ちはだかる。


「あの馬鹿親父め、性懲りもなく新しい冒険者を連れてきたのね」

「待って、私たちはそんなつもりじゃない!」

「だったらどんなつもりでここに来たっていうのよ! どうせ私たちの口止めを頼まれたんでしょう!?」

「口止め……?」


 フラムが首をかしげていると、エターナが一歩前に出る。

 その姿を見た少女は目を見開いた。


「あなたは……魔女エターナ!」

「そこはわたしの家。勝手に使っておいて邪魔をされても困る」

「う……」

「それに、わたしたちはあなたたちを助けにきた。良ければ話を聞かせてほしい」


 エターナは優しく微笑み、彼女に語りかける。

 フラムは最近のエターナを見ていると、以前よりさらに雰囲気が柔らかくなったと思う。

 確かに最初から優しかったし、かなりのお人好しではあるのだけれど、インクとの交際を始めてからさらにそれに拍車がかかったというか――そんな感じがしていた。

 少女もエターナのその優しさを感じたのか、武器を降ろす。


「……家主を主張されたんじゃ、反論できないわ」


 そんな二人のやり取りを聞いていたフラムは、ふいに王都でエターナと再会したときのことを思い出した。

 あのときのエターナは、完全に不法侵入をしていた。

 もちろん事情もあったわけだけれど、そんな彼女が今は他者に家の所有権を説いているのだから、世の中何があるのかわからないものだ。


「フラム、何で笑ってるの」

「ただの思い出し笑いです。さあ、行きましょう」

「何かを誤魔化されてる気がする」


 釈然としないものを感じながら、エターナはかつての我が家に足を踏み入れた。


 ◆◆◆


 中にいたもう一人の眼鏡の少女は、エターナの姿を見てかなり驚いた様子だった。


「魔女様……」

「そんな呼ばれ方をしたのははじめて」

「ごめんなさいっ、勝手にこの家を使ってしまって!」


 少女は頭を下げる。

 一緒に三つ編みが勢いよく振れた。

 どうやら彼女は、他の村人と違ってエターナのことを尊敬しているようだ。


「本当に珍しい」

「エターナさんがやったこと、ちゃんとわかってる人もいるってことですよ」

「それがあの村から生まれるなんて、間違いなく突然変異」

「あはは……」


 50年もあの村を見てきたエターナがそう言うのだ、フラムは苦笑いをするしかない。


「魔女がそう言うってことは、昔からティムレスはクソ村だったのね」


 通せんぼをした少女は、椅子に座って脚を組むと、そう言って悪態をついた。


「村長の娘にそこまで言われるとはかなりの重症」

「あら、私のこと知ってたんだ。そうよ、クーピー・テンミナス、それが私の名前。それでそっちが――」

「ハルパ・サルナティオって言います。よ、よろしくお願いします、魔女様――いえ、ここはお師匠様と呼ばせてくださいっ!」


 ハルパは熱の籠もった視線をエターナに向けた。

 インクが嫉妬しそうだ。


「お師匠様……?」

「エターナさんのこと言ってるみたいですよ」

「ああっ、そ、その、それは私が勝手に言ってるだけでしてっ! 会ったことは無いのですが心の師匠といいますか。しかもこの小屋を勝手に使って、置いてあった本を勝手に読んでしまってですねっ!」

「ハルパは魔女様の大ファンなのよ。ここに残ってた本のおかげで、母親の病気も治せたみたいだし」

「そういうわけなんです! な、なのでその……あとでサインくださいっ!」

「……まあ、別にいいけど」


 あとでと言いながら、手元にあったノートを差し出すハルパ。

 一応受け取ったエターナだったが、その勢いにかなり押され気味だった。


「エターナさんって、王都に出てくるとき荷物あんまり持ってこなかったんですか?」

「本やノートの類はかさばるから置いてきた。まさかあのまま王都に永住することになるとは想像もしていなかったから」


 サインを書きながら、彼女はフラムと言葉を交わす。


「それがハルパさんの役に立ったってことですね」

「あの村の人間が小屋に近づきたがるとは思わなかった。はい、サイン」

「ふわあぁぁあ……念願の直筆うぅぅ……!」


 受け取ったハルパは、ノートを抱きしめながら涙を流していた。

 それを見て微笑むクーピー。

 しかしその表情はすぐに険しいものとなる。


「それはたぶん、ハルパが魔女と同じ立場だったからでしょうね」

「わたしと?」


 首をかしげるエターナと、表情を曇らせるクーピー。

 どうやらエターナという村人にとっての“災厄”がいなくなったあとも、ティムレスでは何か事件が起きていたらしい。


「気になることは色々ある。でも先に本題に入りたい」

「そうだ、化物って言われてる何かがここにいるはずだよね」

「ええ、いるわよ。うちのクソ親父が買って・・・きた化物がね」

「でもあの子は、生きてる……生きて、何かを苦しみ続けてる。そうだ、お師匠様に見てもらえれば何かわかるかも!」

「ここに入った以上は、見せないわけにもいかないでしょう。こっちよ、付いてきて」


 ハルパに案内され向かった先は、エターナが元々寝室として使っていた部屋だった。

 そこに残された古い木のベッドに上に――それ・・はいた。

 不規則に蠢く、茶色い肉の塊。

 表面には歪な樹木の幹のような柄があり、その一部は人の顔のように見えないでもない。

 そして不定期に、その内側から「ううぅぅ……」という低いうめき声のような音が聞こえていた。


「なにこれ……」


 フラムも見たことが無い、異様な物体。

 確かにそこには生命が宿っており、漏れ出る声は苦悶のそれに近いと感じられた。

 一方、化物を見たエターナは、しばらく沈黙してそれを凝視していた。

 無反応――ではなく、驚きすぎて、声が出ないのだ。

 ようやく喉から絞り出せた言葉は、


「ナーリス……!」


 おそらくこの世でエターナだけが知る、その化物の本当の名前。

 そして彼女はゆっくりとベッドに近づくと、蠢く肉塊を両手で抱きしめた。



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