【コミカライズ3巻発売記念】EX11 フラムとミルキットが色々あっていちゃいちゃする話

 



「ミルキットが記憶喪失ッ!?」


 診察室にて、フラムは前のめりになりながら声をあげた。

 向かい合う白衣を来たセーラは、深刻な表情でうなずく。


「家で転んだらしいっすけど、当たりどころが悪かったっすね。とはいえ、脳に損傷があるわけではないっすから、一時的なものだと思うっす」

「じゃあ戻るんだ……よかったぁ」


 胸に手を当て、ほっと一安心するフラム。

 とはいえ、最悪の事態を避けただけに過ぎない。

 セーラの話によれば、ミルキットはフラムとの出会いすら忘れてしまっているというのだから。


「ああいうミルキットおねーさんは久しぶりに見たっす」

「奴隷だった頃の状態ってことでいいの?」

「おそらくそうだと思うっす。本人は記憶が混濁した状態で、そのあたりも曖昧みたいっすけど」

「一番驚いてるのはミルキットだよね。急に未来の世界に飛んだような気分だろうから」

「驚いてるんすかねぇ……」

「違うの?」

「とりあえず会ってみるのが一番だと思うっす。体に以上は無いっすから、そのまま一緒に帰って大丈夫っすよ」


 言われるがまま、部屋を出て別室にいるミルキットの元へ向かうフラム。

 病室に入ると、ベッドから体を起こして、窓の外を眺める彼女の姿があった。

 ミルキットはフラムの存在に気づくと、ゆっくりとそちらに視線を向ける。


「ミルキット……」


 名前を呼ぶと、ミルキットはわずかに首をかしげた。

 顔は表情に乏しく、目もどことなく虚ろで――その姿を見ると、あの地下牢で出会ったときのことを思い出す。


(本当に戻っちゃってるんだ……)


 エターナが言うには、ミルキットはフラムが仕事に出ている間に、家で転んで頭をぶつけてしまったらしい。

 意識を失っていたので、すぐさま治療を施したが、目を覚ますとこの状態だったんだとか。

 ちなみに、エターナとインク、キリル、ショコラは病室の外で待っている。

 あまり刺激を与えすぎても良くないということで、最初はフラムだけが顔を合わせることにしたのだ。

 彼女はミルキットのベッドに近づくと、そばに置かれた椅子に腰掛けた。


「私のこと、わかる?」


 そう尋ねると、ミルキットはふるふると首を横に振った。

 覚悟はしていたが、結構ショックだ。

 仕事なので仕方なかったとはいえ、その場に居合わせ、守りきれなかった自分を呪いたくなる。


「私はフラム・アプリコットっていうんだ。今日までずっとミルキットと一緒に暮らしてきたの」

「暮らす……私を買われたご主人様ということでしょうか」

「ううん、買ったわけじゃない。奴隷商人の元を一緒に逃げ出したの」

「……では、なんとお呼びすれば?」

「一応、ご主人様とは呼ばれてたけど」

「つまり私のご主人様ということでは」

「奴隷と主って関係じゃないってこと。えっと……詳しくいうと、恋人同士で、結婚もしてたんだけどね」

「恋人ですか」

「そうそう」


 固まるミルキット。

 フラムも緊張から思わず黙り込む。

 するとミルキットは、表情を変えずに再び問いかけた。


「結婚までしていたんですか」

「そうだよ」


 再び固まるミルキット。

 気まずい沈黙に、思わずフラムは生唾をごくりと飲み込む。


「なのにご主人様と呼ぶ特殊な関係だったんですね」

「と、特殊……?」

「そういう関係があることは存じ上げています」

「違うからっ! そういう意味のご主人様ではなくって!」

「違うんですか」

「違うの! 何ていうかな……ほら、ミルキットもそれ以外の関係性を知らなくて」

「ああ……」

「私もミルキットとの関係をなんて呼んだらいいのか長い間わからなかったっていうか!」

「そのまま最初の呼び方が定着したんですね」

「そういうこと」

「……わかりました」


 どうやらわかってくれたらしい。

 とはいえ、いきなり知らない少女に『自分たちは恋人同士で結婚もしている』と言われても、そう簡単に納得できるものではない。

 思ったより飲み込みが早いな――とフラムは感じる。

 また、ミルキットと最初に出会った頃よりは、少し饒舌なようにも感じられた。


「とりあえず私たちの家に帰ろっか。きっと思い出すこともあるはずだから」


 フラムはミルキットを連れて、部屋を出る。

 そして待っていたエターナたちと合流して、帰路についた。


 ◇◇◇


 家に到着するまでの間、ミルキットはきょろきょろとあたりを見回していた。

 それもそのはず、彼女の記憶にあるのは以前の王都だ。

 フラムも帰ってきたとき、その復興っぷりに驚いた記憶があるので、今のミルキットの気持ちはよくわかる。

 しかし、彼女もかなりの疑問を抱いているはずなのに、何一つとしてフラムたちに質問しようとはしない。

 余計なことは聞かない――自分が知る必要はない――そう考えているのだろう。

 いかにも、奴隷だった頃のミルキットが考えそうなことである。

 もちろんそのままフラムたちが放っておくはずもなく、何も聞かれずとも過剰なほどに今の王都――もといコンシリアについて説明をした。

 相変わらず反応は薄かったが、相槌を打っているところを見るに、興味はあるようだ。

 また、フラムが何気なく手をつないで、指を絡めても、ほどこうとはしなかった。

 もっとも、『どうしてそんなことを?』と言わんばかりに、不思議そうに顔を手を交互に見ていたが。


 ◇◇◇


 家に戻ると、フラムは真っ先にミルキットを自室に連れて行った。

 最も長い時間を共に過ごした場所だからだ。


「二人の部屋なのに、ベッドは一つしかないんですね」


 ミルキットが真っ先に気にしたのはそこだった。

 改めてそこを指摘されると、さすがのフラムも恥ずかしい。


「あはは、まあ、一緒に寝るからね」

「どんな感じで寝るんでしょうか。やはり私が端っこに?」

「ううん、抱き合って寝るけど」

「ご主人様が私を抱きしめるということでしょうか」

「どちらかというと、ミルキットのほうがぎゅーって抱きついてくる感じかな。もちろん私もハグするけどね」

「私が……」


 わずかにミルキットの瞳が揺れる。

 訝しむ――いや、恥じらっているのだろうか。


(ミルキットの心を読む力、鈍ったかなあ)


 感情を把握しきれず、軽く落ち込むフラム。

 それも仕方のない話だ、最近のミルキットはすっかり感情豊かな女の子になっているのだから。

 とはいえ、それもフラムがいたからこそ、なのだが。


「試してみる?」

「えっ……」


 今の表情はフラムにもわかった。

 困惑だ。

 まさか実践しようと言われるとは思っていなかったのだろう。


「いつもやってることだから、きっと思い出すと思う。ね?」


 両手を広げて、ミルキットを誘うフラム。

 今のミルキットには、他者と親密に接触した記憶が無いのだから、戸惑うのも当たり前である。

 だが迷いながらも、おずおずと体を近づける。

 そしてフラムの射程範囲内にまで入ると――


「つーかまーえたっ」


 ぎゅっと抱き寄せられた。


「ぁ……」


 ミルキットはわずかに声をあげ、体をこわばらせる。

 だがじわりと広がる体温と柔らかな感触に、すぐに緊張はほぐれていった。

 そしてその動きが体に染み付いているかのように、自然とフラムの背中に腕を回す。


「どう、何か思い出した?」


 耳元で甘くフラムが囁く。


「わかりません……」


 か細い声でミルキットは答えた。

 だが“わからない”と言う割には、しっかりと体を密着させている。

 少なくとも、触れ合うことに心地よさは感じているようだ。

 だが記憶が無いため、それを“心地よさ”だと判断することができないのかもしれない。


「じゃあこのまま一緒に寝てみよっか」

「は、はい……」


 二人は抱き合ったままベッドの上に座ると、そのままごろんと横になる。

 ミルキットはフラムの胸に顔を埋める。

 とくん、とくん、とフラムの高鳴る心音が聞こえた。

 体温も高まり、自分に対して特別な感情を抱いていることが、音と熱で伝わってくる。

 ミルキットが顔をあげると、フラムは鼻先が触れ合うほどの至近距離で微笑んだ。


「さっきから焦らせてるみたいでごめんね」

「いえ……別に」

「私はどんなミルキットでも愛してるから。ミルキットが焦ることなんて何もないよ」

「心遣いは必要ありません。特にそれに関して何も感じてはいませんから」

「ならいいんだけど。こうしてるのは嫌じゃない?」

「嫌ではありません。ですが……自分がどう思っているのかは、よくわかりません」


 かつてフラムへ向けた感情の意味を探していた頃のように、ミルキットは語る。

 そして二人はしばらく、そのまま抱き合い続けたのだった。


 ◇◇◇


 ミルキットが帰ってきて二時間ほどが経った。

 キリルとショコラは、元々仕事を抜け出して顔を出していたので、すでに店に戻っている。

 一方で、エターナとインクは比較的時間の自由がある立場のため、リビングで二人並んで本を読んでいた。

 昔ならインクがエターナの膝の上に乗って、読み聞かせていたものだが、今は共に魔法の専門書を集中して読み込んでいる。

 すると、2階から誰かが降りてくる足音が聞こえた。

 本を閉じる二人。

 部屋に顔を出したのは、ミルキットだった。


「あれ、ミルキットだけなんだ?」


 インクが声をかける。


「ご主人様なしで話をしたいと思ったので」

「それはまた……」


 エターナは、フラムの心情を察する。

 一人で部屋を出ると言われたとき、彼女が落ち込んだであろうことは想像に難くない。


「エターナさん、でしたよね。いくつか質問をしてもいいでしょうか」

「それは構わないけど、先に座ってほしい。この家では自由に座っていい」

「そうですか……はい、承知いたしました」

「じゃああたしはお茶いれるねっ」


 インクが席を立つのと入れ替わるように、エターナの正面に座るミルキット。

 彼女はキッチンで自分用のお茶を用意するインクのほうをちらりと見た。


「奴隷として扱われた時代から急に飛んできた気分だろうから、困惑するのはわかる」

「そう……ですね。今も、頭が追いついていません。話を聞いても、事実だと受け入れるのは難しいです」

「急に結婚してるなんて言われたら誰だってそうなる」

「本当、なんでしょうか」

「フラムと結婚したこと? それは間違いなく事実」

「ご主人様が私を伴侶にしたのは、何か特別な事情があったのですか?」

「色々あったけど、二人がまっとうに愛し合って結婚したのは間違いない」

「では、あのように抱き合ったりするのも普通のことなのでしょうか」

「二人のスキンシップが激しいのは事実」

「私の方から抱きつくという話は」

「フラムからミルキットへの愛情も、ミルキットからフラムへの愛情も、どっちも過剰すぎるぐらいではある」


 エターナは一切装飾せず、あるがままの答えを告げた。

 ミルキットは硬直し、じっとエターナを見つめたまま何かを考え込む。


「わたしがミルキットと初めて出会った頃から比べても、最近のミルキットはずいぶんと明るくなった。そのギャップを埋めるのは大変だと思う」

「明るい自分というものを想像できません。ですがそれ以上に、私には信じられないことがあります」

「それは何? 遠慮なく言ってくれていい」


 ミルキットはテーブルの下で両手をきゅっと握ると、今までよりも真剣な眼差しで口を開いた。


「ご主人様のように素晴らしい方が、なぜ私のような奴隷を愛してくださるのでしょうか」


 思わず身構えていたエターナは、思わず「ん?」と声を出して眉をひそめた。


「初めてご主人様の姿を見た瞬間、私は驚きました。この世に、あんなにも輝きを放つ人間が存在するなんて、と。しかも、その人は私の恋人で、結婚までしていると言い始めました。そんなものは夢に決まっています」

「あー……うん」

「だというのに、手を握っていただいて、抱きしめていただいて、その体温や肌の感触は、夢では感じるはずのないものでした。つまり、ここは現実なんですよね。現実に、あのような可愛らしさと凛々しさを兼ね備えた女性が存在して、私を寵愛してくださっている……ということなんですよね」

「いや、うん、たしかに夢ではない、けど」

「不思議でなりません。あんなにも素敵な女性なのに、なぜ私のような奴隷を……身に余りすぎて、どうしていいかわかりません」

「一つ聞いていい?」

「どうぞ」

「フラムを置いて部屋を出てきたのって、まさか……」

「胸が苦しくて、幸せで頭がいっぱいになって、どうしていいかわからなくなったから、です。このような身勝手な行動で、ご主人様を悲しませてはいけないとわかっているんですが」


 ほのかに色づくミルキットの頬。

 彼女はそれを隠すように両頬に手を当てる。

 そんな仕草を目の当たりにしたエターナは、思わず頭を抱えた。


「わたしは二人のことをまだ甘く見ていた……」


 思えば、ミルキットは街を歩いているときもずっとフラムを見ていた。

 あのときは、突然現れた見知らぬご主人様に戸惑っていると思っていたが――それは間違いだ。

 ミルキットはあの時点で、すでにフラムに見惚れていたのである。

 感情を表に出す方法を忘れているだけで、ミルキットは記憶を失ってもなお、フラムのことを愛してやまないのだ。


(ああなってるエターナ、久しぶりに見た気がするなー)


 インクはそんなことを考え、ニヤニヤしながらキッチンでお茶を啜っていた。

 以前のエターナはよくフラムとミルキットの関係に翻弄されていたものだが、最近はインクとの関係も深まったことで耐性ができていたのだ。


「私はどうしたらいいんでしょう」

「余計なことを考えずに、フラムに愛されたらいいと思う」

「それでいいんですか?」

「うん……まあ、フラムもそれを望んでると思うから」

「ご主人様が……そう、ですね。私が我慢できないからと言って、ご主人様を悲しませるなんて、そんなことあってはいけません。今度は頑張って、胸がどきどきしても、ご主人様から離れないようにしようと思います」


 そしてミルキットはエターナに礼を告げると、2階にいるフラムの元へと戻っていった。


「二人の愛情は記憶喪失でも引き裂けない……」


 エターナは畏怖やら戦慄やら憧憬やら、複雑な感情をいだきながらその後ろ姿を見送り、


(あたしたちもああなりたいなぁ)


 インクは、そんなことを考えながらキッチンでお茶を啜っていた。


 ◇◇◇


 その後、ミルキットは記憶喪失のまま一日を過ごした。

 フラムは記憶を取り戻すためにいつも以上にミルキットと密着し、ミルキットは与えられる幸福感に押しつぶされそうになりながら、フラムの愛情を受け入れる。

 それを見るエターナは、いつも以上の甘さに胃もたれを感じる。

 帰宅したキリルは初々しいやり取りに満足げだったが、ショコラはエターナに共感してか、彼女に自分の胃薬を渡していた。


 ◇◇◇


 そして翌朝――起床し、インクと共に1階に降りてきたエターナを、朝食を作るフラムとミルキットが迎えた。


「エターナさん、インクさん、おはようございますっ」

「おはよーございまーす。聞いてくださいよ、起きたらミルキットの記憶が戻ってたんですよ!」


 すぐに戻るとは言われていたが、ミルキットの記憶喪失問題はあっさりと解決した。


「昨日はご迷惑をおかけしました」


 彼女はぺこりと頭を下げる。


「実は私、昨日のことを覚えていないんです。ご主人様からは特に問題はなかったと聞いていますが、エターナさんとインクさんには何か粗相をしませんでしたか?」

「問題は何もない。ミルキットは記憶が無くても礼儀正しかった」

「よかったです……奴隷だった頃に戻っていたそうですが、あの頃は色んなものに無関心でしたから。無神経なことを言ってしまったのではないかと」

「大丈夫だよミルキット。無神経どころか、エターナは昨日のミルキットのこと尊敬してるらしいからっ」

「インク、余計なことを言わない」

「尊敬……?」


 首を傾げ、フラムのほうを見るミルキット。

 だがフラムにも、何のことだかさっぱりわからなかった。



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