EX9-2 世界の“歪み”
顔面蒼白になったまま固まっていた陸は、正気を取り戻すと、慌てて通信端末を握りしめた。
「何してんの?」
「警察に連絡するんだよっ! 人が死んだんだぞ!?」
「ダイバーズベースに警察を呼ぶの?」
「あ……」
明確にダイバーを取り締まる法律はないけれど、あまり褒められた趣味でないことは事実だ。
ワールドクリエイションの技術を無断転用した上に改造して使ってる部分もあるし、訴えられたら一巻の終わり。
「いやまあ、別に私は開発や運営に関わってるわけじゃないから捕まりはしないと思うけど、陸は怪しいんじゃない?」
私の指摘に、陸は頭を抱えて髪をくしゃりと掴んだ。
「ていうかさ、呼んだって誰も信じてくれないよ」
「でも、人が死んだんだぞ」
「死んだね」
「落ち着すぎだろ、お前……」
確かに、思ったよりも自分の心は安定している。
もちろん驚きはしたし、多少の動揺はあるけれど、それは“人が死んだことに対して”ではない。
下位世界の存在と思われる“口”が、こちらに現れたことに対する感情である。
私はふいに、何年も前に、目の前で交通事故が起きたときのことを思い出した。
あれは私が静留と二人で遊んでいたときの出来事。
信号を無視して突っ込んできた大型車に、横断歩道を渡っていた人が跳ね飛ばされたのだ。
鈍い音とともに宙を舞った彼は地面に叩きつけられた。
私たちは慌てて被害者たちに駆け寄った。
だが、誰の目にも明らかなほど、その肉体は手遅れだったのだ。
呼吸が止まっていたし、“中身”が出ていたから。
たぶんそういうとき、年頃の女の子なら、泣いたり、錯乱したりするものなのだと思う。
けれど私たちは落ち着いていて――いや、もちろん死体に対する恐怖とか、事故に対する戸惑いが無かったわけではないけれど、周囲にいた他の人たちに比べると冷静で。
でも、そのときは静留も私と同じ反応だったから、普通に『そういうものなんだろう』と思ってた。
「何か私ってさ、人が死ぬことに慣れてる気がするんだよね。以前はそれが身近にあったっていうか」
「それは流石にこじらせすぎだ、もう高校生だろ?」
「……言った後に自分でもそう思ったけど、別にかっこつけて言ってるわけじゃないから! そういう陸だって、人が死んだ割には落ち着いてるんじゃない?」
「こんなに目の前で人が死んだことねえから、“普通”がどの程度なのかなんてあたしにもわかんねえよ」
親しい相手の死ならまた変わったのかもしれないけど、幸いなことに、死んだのはあまり話したことのない“ただの利用者”だ。
もっとも、管理人でもある陸は、私よりは接点もあったんだろうけど――すでに戻りつつある顔色を見る限り、さほど親しくはなかったんだと思う。
「で、どうすんだよ。警察を呼ばねえにしても、行方不明にはなる」
「さっきの人、家族は?」
「一人暮らしだ」
「なら黙っておけばごまかせるよ」
「ごまかしてどうする。ここが嗅ぎつけられたら――」
「そのときはどうとでも言い訳できるでしょ。監視カメラもあるんだし、私たちが殺したわけじゃないっていう証拠はいくらでもある」
「そりゃあ、そうかもしれないが……早めに通報しなかった理由は?」
「自分たちでも現実だと思えなかったから」
「それで納得するかぁ?」
「するんじゃない?」
私は彼がダイヴしていた端末に近づくと、落ちているヘッドセットを拾い上げた。
「器用に食べたもんだよねぇ、血痕すら残っちゃいない。正直、間近で見てた私にだって実感なんて無いよ。まだ『最初から誰もいなかった』って言われたほうが納得できるぐらい」
「……」
「いくらアレン事件があったとはいえ、まだ誰も、実際に下位世界の存在が私たちに干渉してくる場面を見たわけじゃない。特に警察なんて頭の固い連中の集まりだからさ」
いわばこれは、“本を読んでいたら中から登場人物が出てきた”がぐらいの馬鹿げた話だ。
警察に限った話ではなく、誰だって信じないし、信じたくはない。
私だって――できれば幻覚だったと思いたいぐらいなんだから。
「それにさ、下手に通報したら、私たちが殺人犯だと思われる可能性だってある」
「見なかったことにするつもりか?」
「現状の最善を選ぼうよ。お互い、クレバーにさ」
「なーにが“賢く”だ。でもまあ……それがいいのかもしれねえな。いや、よかないが、
顔をしかめながら陸はそう言う。
「ところで陸さ」
「んあ?」
「今日のダイヴ、どうしよっか。座標は算出してあるんだよね」
「おま……バッカじゃねえの!? バッカじゃねえの!?」
「二回も言った」
「言うだろ! 三回でも四回でも言ってやるわ! 目の前でダイヴした人間が死んでんだぞ! 少なくとも原因がはっきりするまでダイヴは中止だ! ベースも一時的に営業を取りやめる!」
「それは管理者たちの総意?」
「現状はあたしだけだけどよお、話せば他の連中だって――」
そこまで言って、陸は言いよどむ。
彼女の脳裏には、同じくダイバーズベースを管理する奇人変人たちの姿が浮かんでいるんだろう。
私は陸と親しくしているけれど、他の管理人たちとも知り合いではある。
だから理解している。
あの人たちなら、人が死んだと聞けばむしろ大喜びしてその世界にダイヴしそうだ、と。
彼らはアレン事件のことだって、興奮しながら、嬉しそうに語るのだから。
「他の、連中だって……わかって……」
「陸が私のダイヴを止めるんなら、他の管理者に頼むだけだけどね」
「……」
黙り込み、俯く陸。
さすがにいじわる言い過ぎたかな。
「……なあ結。こういう言い方がよくないってのはわかってるし、負け惜しみにしか聞こえねえかもしれないけどさ」
「言いたいことがあるなら容赦なくどうぞ」
「お前の動機、たかが失恋だろ? なのに、何でそうまでしてダイヴを続けんだよ」
息が止まる。
「っ……」
うまく、言葉が発せなくなる。
反論するための言葉はいくらでも頭に浮かんでいるのに。
「容赦なくどうぞって言ったのお前だからな」
「……わかってる。べ、別に、怒るつもりはないから」
ただ、ちょっと気が動転しただけで。
「静留ちゃんが――えっと、あの、■■だっけ? とかいう男に心を奪われた。理解はする。理不尽だよなあ、辛いよなあ。でもさ、そういうことって、あるだろ。人生ってそういうもんだろ? 失っても、挫折しても、続いてくんだ」
「だから、何がいいたいの?」
「さっきも言ったけど、ヤケになってこれで死ぬなんて、馬鹿のやることだ」
陸のその言葉を聞いて、私は――思わず「ふっ」と笑ってしまった。
「何、笑ってんだよ」
「陸は何もわかっちゃいない」
「何がだ?」
「いいや、陸だけじゃない。静留ですらわかってないんだ、何が起きてるのか」
「だから何を……」
「私は確かに失恋したよ。好きだった静留を、急に生えてきたクソ野郎に奪われた。どうにもできない。奪ったやつが憎い、奪われた私も憎い」
「さっき言ってたな」
「うん。でも、それは結果でしかないんだよ。過程を踏まえない結果は、どうしても軽く見えるから」
たぶんこれって、さっき起きた出来事と一緒だ。
急に大きな“口”みたいなものが現れて、ここで人が死んだ。
そう言ったって誰も信じてくれないし、私たちにすら現実感がない。
それと同じようなことが、この世界では起きていて――だからわかる。
話したって、誰も信じてくれないんだろうな、って。
「今日はもう帰る。次のダイヴは明日以降にするから。じゃーね、陸」
「お、おい待てって結! 結局わけわかんねえままだぞっ!」
引き留めようとする陸だけど、彼女は優しいから、私の腕を掴んでまで止めたりはしない。
私は振り向くこともなく、ベースをあとにした。
◇◇◇
夕飯前に帰宅した私を、エプロン姿の兄は特に驚きもせずに迎えた。
「おかえり、結」
「ただいま、お兄ちゃん」
「大丈夫ぅ? 何だか、猫の死体でも見てきたような顔をしてるけどぉ」
「普通に顔色が悪いって言えば」
私はため息交じりにそう言うと、兄の隣を通り過ぎて家にあがる。
そしてリビングに入って、ふとキッチンのほうを見ると、小走りで追いかけてきた彼は言った。
「夕飯、結の分もできてるよぉ」
「いらないって言わなかったっけ?」
「何となく、夕飯前に帰ってくるんじゃないかなぁと思ったんだぁ。あとは並べるだけだから、ささ、座って座って」
椅子に腰掛けるよううながす兄を無視して、私はかばんを置いてキッチンに向かった。
そして手を洗い、皿を運ぶ。
兄はそんな私を、少し気持ちの悪い笑顔で眺めると、遅れて配膳をはじめた。
◇◇◇
「結、静留ちゃんから聞いたよぉ」
ハンバーグを箸で切りながら、兄は言う。
「また■■くんと喧嘩したんだってねぇ」
「喧嘩はしてない」
「確かに、厳密には喧嘩ではないのかもしれないけどぉ、でも静留ちゃんが心配してたよぉ?」
「……心配って、どんなこと言ってたの?」
「急に大きな声を出して教室を飛び出していった、とか」
私は付け合せのスパゲッティに伸ばした箸を途中で止めた。
ムカムカする。
イライラする。
何で、それで、まるで私が悪いみたいな話になるんだろう、って。
「ご飯食べたらぁ、静留ちゃんに連絡したほうがいいと思うよぉ?」
「それで謝れって?」
「別にそうは言わないけどぉ、結だって静留ちゃんに心配されっぱなしじゃ気持ち悪いでしょ?」
「特にそんなことはないけど」
「嘘だ」
「本当」
「嘘だよぉ」
「何でわかんの」
「嘘のときにする顔してる」
「……」
こういうとき、家族ってのは厄介だ。
「ああ、ごめん。あんまり怒らないでって。別に僕は、結を責めてるわけじゃないからさぁ」
「じゃあ何でそんなこと言ってくんの」
「結が、このまま静留ちゃんと仲直りしないままじゃあ……寂しいから。僕たち、家族同然に育ってきた幼馴染なんだから」
兄も、静留のことを幼い頃からよく知っている。
親が仕事で忙しいときは、三人で同じ部屋で寝たりもした。
もっと小さい頃は男の子が一人増えて四人だったり、さらに他の子も混ざることはあったけど、基本は三人だ。
物心ついたときから、ほんの少し前まで。
「たまに、これは罰なんじゃないかって思う」
「結はいい子なんだからぁ、罰なんて受けることないよぉ」
「好きになった」
「それは罪じゃない」
「幼馴染の枠組みを壊した。友達でいられなくなった。私がただの友達なら、静留が誰に恋をしようが、こじらせる必要なんてなかったのに」
「それも罪なんかじゃないよ。だって静留ちゃん、結のこと好きなんだから」
「やめてよお兄ちゃん。そうやって期待をもたせるから、余計に辛くなる」
「僕は適当に言ってるつもりないよぉ。静留ちゃんは誰よりも結のことを想ってる。昔も今も変わらずに」
「……」
何となく、兄が言っていることは理解できる。
私と静留とはとても仲が良かった。
姉妹同然に育ってきて、だからこそ距離も近くて。
恋をしてからもそれは変わらなかった。
私の中には、『もし静留に私への恋心がなかったとしても、静留なら私の気持ちを受け入れてくれるんじゃないか』なんて油断すらあるほどに。
ああ、でも、
この理不尽極まりない人間関係の崩壊は、しかし私にそれを是正するだけの力や権利がない。
かといって、誰かに相談する勇気もない。
「ねえ結、僕はね――」
「ごちそうさまでした」
私は立ち上がると、手早く食器を重ね、キッチンへと向かう。
「あ、結っ!」
「ありがとう、お兄ちゃん」
そう言って、私は無理やり笑顔を作る。
「心配してくれたんだよね。本当に助かった、元気出た」
「結……」
私の意思を汲んだ兄は、それ以上なにも言わない。
食器洗いは彼の役目だから、私はリビングから出ると、お風呂掃除のために洗面所に向かった。
◆◆◆
曲斎は夕食の後片付けが終わると、エプロン姿のまま椅子に腰掛け、携帯端末を取り出し、とある人物に連絡を取った。
「もしもーし?」
『あ、もしもし……曲斎さん?』
聞こえてきたのは、静留の声だ。
「うん、僕だよ。静留ちゃん、今大丈夫?」
『うん、食事も終わって部屋で休んでいたところ』
「それはよかった。今日はわざわざ来てくれたのに、結がいなくてごめんねぇ」
『いい、何となくそんな気はしていたから。やっぱり、今日も街に遊びに?』
「遊びに行ってるわけじゃないんだけどぉ……何回も言ってるけどぉ、別に結は男遊びしてるわけじゃないからねぇ? むしろそういうの苦手なタイプなんだからぁ」
『……わかってる。あれだけ“
「友哉くん、ねえ」
それは例の、静留と親しくしている男性型アンドロイドの名前だった。
「静留ちゃん、彼に関して、結にどんなことを話したの?」
『どんなって……正直に話した。私は彼のことが好きだと』
「……」
『何か問題が?』
「あのさ、静留ちゃんは、僕たちの母親のこと……」
『離婚して、それが原因でおじさんは病気になった。よく知ってる』
曲斎は目を細める。
静留の言葉は事実だ。
曲斎と結の母親は、男性型アンドロイドと恋に落ち、駆け落ちするような形で家を出ていった。
取り残された父親は、二人を育てるため、必死に働いたが――心が壊れ、今は入院中である。
だが一向に状況が改善される様子はなく、むしろ薬の副作用で悪化の一途をたどり、一時帰宅すら許されない状態だ。
まともに会話すら成り立たないが、週末は、兄妹二人でお見舞いに行くのが決まりだった。
「なら、どうしてそんなことを結に?」
もちろん――静留だって、そのことは知っている。
『何か、関係がある?』
「……いや、いい。そうだよねぇ、個人の気持ちは、個人のものだからぁ。僕たちの事情を押し付けたって仕方ないもんねぇ」
曲斎は一瞬だけ表情を歪めたが、すぐにいつもの穏やかな彼に戻った。
「ごめんねぇ、急に変な連絡しちゃってぇ」
『別にいい。私たちが話すのに用事は必要ない』
「そうだねぇ。ああ、そうそう。結は元気だからぁ、それだけは伝えておくねぇ」
『それはよかった。できれば、あまり友哉を邪険にしないでほしいと、曲斎さんからも説得してほしい』
「うん、結が僕の話を聞いてくれたらねぇ」
苦笑しながらそう言って、曲斎は通話を終えた。
そして大きくため息をつく。
「困ったなあ……これじゃあ、結を止めるに止められないじゃないか」
兄として何かできることはないか。
そう思い考えを巡らせたが、うまい案は浮かばなかった。
◆◆◆
私は自室のデスクトップ型端末の前に座り、画面を睨みつけていた。
端末から伸びたコードは私の両側のこめかみにくっついている。
思考を端末の操作にフィードバックする装置、いわゆる“イメージデバイス”の一種だ。
私はワールドクリエイションの世界でダイバーとの活動を行う傍ら、ネットワーク上でも時にクラッカー、そして時に端末で動作するツール開発者として活動を行っていた。
父が入院しているにもかかわらず、接木家の家計が安定し、兄が大学に通えているのは、実は私の収入のおかげだったりする。
もっとも、あんまりホワイトな仕事じゃないんだけどね。
でも、私が今やってるのは仕事じゃない。
個人的な調べ物。
表示されているのはただのウェブサイト。
それも画像と文字ベースの、非常に古いものだった。
『人気ゲーム、突然のサービス終了。危険なカルト教団がオンラインゲームを勧誘に利用か?』
記事の見出しには、そんな文章が記されている。
VRMMOが流行した頃は、とにかく様々なゲームが作られて、そして多種多様な理由でサービスを終了してきた。
そして私たちの生きる世界から切り離されたゲームの世界から、NPCのデータを引っこ抜いて、見た目や思考、声までも再現してこの世に蘇らせる。
■■は、あまり認めたくはないが、非常に女性ウケする顔をしている。
元々、女性のために作られたゲームなのだから、当然といえば当然だ。
けれどそのゲームには、裏の顔があった。
「プレイヤーに暗示をかけることで、信仰心を植え付け、無意識のうちに信者に変えていた……か。とんでもないことを考える宗教もあったもんだよね」
その事件をきっかけに、カルト教団は摘発されて消滅したらしい。
けれど、宗教ってものはいつの時代も、どこの地域にだって存在しているもので、もちろん私たちが暮らす現代にだってある。
心には拠り所が必要だから。
けれど先鋭化しすぎた信仰心は時に毒となり、人を蝕むこともある。
そういう意味では、“恋”も宗教みたいなものなのかもしれない。
蝕まれる。
心も、記憶も。
説明不可能な、不可視の“理屈”によって。
「そしてこのゲームから再現されたのが、あの男……静留は何らかの暗示にかかってる、だからあんなやつに……」
けれどそんなことを言ったって、ただの嫉妬とか、気持ち悪いって言われるだけだ。
私は真剣に、あの子を助けたいだけなのに。
そりゃあ、好きだから。
元に戻ればまた以前みたいな関係になれるかも、とか。
もっと先の関係に、って考えないこともないけど。
でも、別にいいじゃん、そんなの。
思うだけなら。
どうせ私が何を言ったって信じてもらえないんだから。
アンドロイドは必要以上に守られてる。
人のために作られたAIが元になってるんだから、アンドロイドが悪なわけないって、そんなわけのわからない理屈で。
だったら証拠を探せばいいっていうけど、無いんだよね、そんなの。
わかんない。
どうやってあいつが静留や他の女の子たちの心を操っているのか。
調べたって、具体的な方法は、どこにも。
「静留……静留ぅ……」
私は椅子に座ったまま、うさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて彼女の名前を呼んだ。
このぬいぐるみは昔、静留からもらったものだ。
ちなみに静留の部屋には、私があげたぬいぐるみが置いてある。
私、あんまり“残るプレゼント”とか選ぶの得意じゃないんだけど、こういうときになってその重要さに気づく。
だって、今の私たちを繋ぐものって、こうやって手元に残ってるものぐらいしかないから。
「私たち、もうダメなのかな……ううん、ダメなのは私なのかもしれない。暗示とか、洗脳とか、全部妄想なのかも……」
まあ、このぬいぐるみはずっと私の部屋にあるものだから、抱きしめたって私の匂いしかしないんだけど。
だけどそこから静留の残滓を探して。
「静留……」
思い出を辿って。
「静留……」
まだ幸せだった頃に浸って。
未来もまた同じような光景が見れるかも、と妄想して――
「静留っ……」
そんなとき、“プルルルル”と携帯端末が鳴った。
「静留っ!?」
私は思わず飛びつき、応答する。
すると端末から、呆れたような声が聞こえてきた。
『すまなかったな、静留ちゃんじゃなくて』
「なんだ、陸か……」
『何だって何だよ。静留ちゃんと話す約束でもしてたのか? なら切るが』
「いいや、してないけど」
『じゃあ何で静留ちゃんだと思ったんだよ』
「……静留のこと考えてたから、つい」
『お前……本当に静留ちゃんのこと好きなんだな』
「そうだよ、悪い!?」
別に誤魔化す必要はない。
私は堂々と言ってやった。
こういうときは、変にどもるより胸を張ったほうがいいのだ。
ほら見ろ、陸だって圧倒されて言葉を失ってる。
『ま……まあいいや。しかし、その様子じゃ問題はなさそうだな』
「何のこと?」
『何って、人が死ぬのを見たばっかりなんだぞ? 体調を崩してないかとか、心配になるだろ』
「別にぃ。店を出る前に言ったじゃん、平気だって」
『時間差でダメージが来るんじゃないかと思ったんだよ!』
「陸がそうだったから?」
『そうだ。正直、急に不安になった』
「その勢いで、部外者にあのこと話したりしてないよね?」
『してねえよ。してねえから……一人であたしも死ぬんじゃないかって想像しちまって、怖くて、つい電話した』
「ふふっ」
『あっ、笑ったなお前!』
「いやだって乙女じゃん」
『あたしはまだ十代の女子大生だっての、乙女でもいいだろ別に!』
「ギリアウトかなぁ」
『おめーもあと二年もすればあたしと同い年になるからな? 覚悟しとけよ?』
何を覚悟すればいいんだ。
というか、それまで生きてるかもわかんないし。
「しかし陸って、人懐っこいよね」
『そうか……? つかいきなり何だよそれ』
「ほら、私と陸が出会ったのって、共通の知人がいたから、みたいなうっすい理由じゃん?」
『お前の友達じゃなかったのかよ、あのクラッカー』
「友達ってほどじゃないかな」
『あいつはお前のこと友達だって言ってたぞ……』
「まあ、元々私があんま交友関係広めるの得意じゃないってのもあるんだけどさ、だから陸と私の関係も薄っぺらくなるのかなーと思ってたんだ。でも今は、割とこうやって親しくしてる」
『それが、あたしが人懐っこいせいだっていうのか?』
「だって、最初から何か距離近いし。よく言えば人懐っこい、悪く言えば馴れ馴れしい」
『人聞き悪い……いや、結の場合は平常運転か』
「こういうのがあるから友達増えないんだろうね」
『そういう自虐もやりにくいぞ。でもそうかもしれないな。結とは他人の気がしねえ』
「もしかして前世でお会いしました?」
『かもな』
「いや受け入れられても困る」
『そういうレベルでしっくり来たってことだよ。結、お前はどうだった?』
「んー……どうなんだろね」
『交友関係って、お互いの歩み寄りで成立するもんだろ。あたしだけが懐っこく尻尾を振ったって成立しねえ』
「じゃあ歩み寄ってたのかも。特に自覚したことはないけど……まあ、確かに陸に対して“心地よさ”みたいなものは持ってたかもしれない」
『ありがたいねえ。ああ、マジでありがてえわ。普通に嬉しい』
声の雰囲気からして、言葉通り本気で喜んでいるらしい。
そうも素直なリアクションすると、私のほうは何だか恥ずかしい。
少し頬が熱くなってきた。
『こうやって嬉しくなっちまう結だからこそ、確認しときたいんだが……やっぱ明日はダイヴすんのか?』
陸は不安げに私に問いかける。
対する私に迷いはなかった。
「もちろん」
『……そうか。わかった、ならあたしも付き合う』
「あれ、やけにあっさりだね。いいの? 最悪、本気で他の管理者に頼もうと思ってたんだけど」
『んなことさせるぐらいなら、オペレーション経験もあるあたしがやったほうがいい』
「そっか……ありがとう、助かる。陸のそうやって割り切れってくれるとこ、好きだよ」
『どういたしまして、とは言いたくねえ複雑な心境だが……それでお前の気が済むんならな。まあ、もちろんヤバそうなところには行かせないけどな。入念に事前調査した上で、決められた範囲しか動けないように制限する。つか、できるかぎり生命体のいない場所に送り込むわ』
「それはつまんな……」
『ダイヴしたくねえのか?』
「……わかった」
下位世界の生命体と遭遇して蹂躙できないなら意味ないんだけど。
まあ、ダイヴできるだけラッキーと思っておくしかないかな。
宗教と同じだ。
上位世界の存在として、下位世界に自由に降り立つことができる――そのあり方を、私はどこかで心の拠り所にしてるんだ。
本末転倒というか、手段と目的が逆転しているというか。
でも、それで私の中にある“私に制御できない部分”が納得してくれるんなら、良しってことにしておこう。
『あともうひとつ』
「まだあるの?」
『そのうち、静留ちゃんの事情をあたしにも教えてくれよ。一人より二人で考えたほうがマシだ』
「あー……んー……考えとく」
陸はたぶん、私の考えていることを話しても、笑ったり、馬鹿にしたりはしないだろう。
曲斎お兄ちゃんもそうだ。
けど、だからってどうなる。
自分でも『馬鹿げてて恥ずかしい考え』とか、『恋で茹だった頭が生み出した妄想』だって思ってる部分があんのに、他の人に話せるわけがない。
だから、返事は適当で。
でも……本当に限界が来たら、ポロッと言っちゃうかもしれない。
そんときに笑わない人が近くにいるだけで、安心感はある。
『じゃあ、おやすみ』
「うん、おやすみ」
私たちはそう言葉を交わすと、通話を終えた。
静寂が部屋に戻ってくる。
「“おやすみ”かぁ……」
私は椅子から立ち上がると、イメージデバイスを外して、ベッドにゴロンと転がった。
そして天井をじっと見つめる。
「そういや、ここしばらく静留とも“おやすみ”って言ってないな……」
ベッドの傍らにはカーテンで隠された窓があって、その向こうには静留の家がある。
私の部屋と静留の部屋は冗談みたいに近くて、窓を空けると互いの部屋を行き来できるほどの距離しかない。
だから以前はよく、窓越しで眠くなるまで話して、最後に『おやすみ』と言って別れていた。
それが日常で、ずっと続いてきて――ああ、途切れたのはいつのことだったっけ。
別に明確な区切りがあったわけではないけれど、少しずつ、私が窓を開いても出てこない日が増えていった。
「……」
顔の向きを変えて、カーテンを見つめる私。
『私たち、いつまでこうやって話せるんだろうね』
『いつまでも、じゃないの?』
『進学したり、就職したり、環境が変わることは色々ある』
『それで静留が私から離れてくの?』
『違う。私が結から離れるわけがない。結が私から離れてく』
『それは無いでしょ……』
『何で言い切れるの?』
『いや、だって私は静留の近くにいられる選択肢の中から選ぶから。静留が私から離れていかない限り、この関係が終わったりはしないよ』
『じゃあ……ずっと一緒だ』
『うん、ずっと一緒』
『何があっても一緒だからね。離れたりしたら許さないから』
『それはこっちの台詞だって。私が離れるわけないんだから』
『いーや結のほうが不安』
『静留のが不安だよ』
『ゆーい!』
『静留!』
『むぅ……』
『……ふっ、はははっ、何だこれ』
『んふふ、馬鹿みたいだね、私たち』
『ね』
『いつまでも、こうやって馬鹿やってたい。ずっと、ずっと』
ああ、油断するとせり上がってくる懐かしい――けれどそんなに昔のものではない記憶。
馬鹿はお前だ。
期待するな。
そう自分に言い聞かせる。
けれど“もしかしたら”を求める心は落ち着いてくれない。
馬鹿だ。
でも仕方ない、恋ってそんなものだ。
「はぁ……」
ため息をつき、上体を起こし、どうせ無駄だと理解しながらも、私はカーテンに手をかけた。
そしてゆっくりと開く。
窓の向こうには――静留が、いた。
「あ……」
逆に戸惑う。
でも、今なら窓を開ければ話ぐらいできるかもしれない。
怖がる気持ちを欲求で塗りつぶして、私は窓の鍵を開いてフレームに指をかける。
そして開こうとした瞬間――静留と目があった。
彼女は端末片手に誰かと楽しそうに話をしていて、きっとそれが■■であろうことは想像に難くなくて、けれど窓越しの会話は、十年以上続いてきた私たちの“儀式”だから、きっと応えてくれるはずだって――けれど彼女は、私に何も言わずに、カーテンを閉じた。
ああ、だから、期待するなって言ったのに。
期待した分だけ、私の胸に突き刺さる、苦痛の種。
埋まるだけで痛くて。
育つともっともっと痛くて。
私は呆然と、静留の部屋の。閉じたカーテンを見つめていた。
「気持ち悪いな、私」
思わずそう呟く。
静留からはきっと、勝手に片思いして、勝手に暴走するキモいやつに見えてるんだろうな。
というか、私から見たってそうだ。
何だよ、恋って。
幼馴染だから何なんだよ。
ずっと一緒にいれば報われて当然とでも思ってるのか?
そういうところが気持ち悪いんだ。
ダイバーなんかやって、自分に酔って。
それだって、“死ぬかもしれない自分”になって静留の興味を引こうとしてるんだ。
きっとそうなんだ。
んで、いざ本当に死にそうになったら、漏らしながらビビって、泣きわめいて、やだよお、やだよお、お父さん、お兄ちゃん、静留、死にたくないよおとか言っちゃうんだよ、きっと。
気持ち悪い。
そうだ、私は、そういうやつなんだ――
「……っ、クソぉッ!」
八つ当たり気味に拳を握り、声をあげながら枕に叩きつけてから、私はベッドを降りた。
そして再びチェアに腰掛け、イメージデバイスを装着する。
現実逃避バンザイ。
つかそれしかやれることがないんなら、積極的にやってかないと、押しつぶされてしまう。
別に寝てもいいんだけど、今寝たってどうせ、静留絡みのろくでもない夢を見るだけだから。
動かすんだ、頭を。
逸らすんだ、思考を。
エディタを開いて、作りかけだったツールを完成させようか――そんなことを考えて画面に視線をやると、
「何これ」
見覚えのないファイルの存在に気づく。
履歴を見ても、ダウンロードした形跡はない。
誰かがクラッキングして勝手に送り込んできた様子もない。
というかそんなのを許すほど私のスキルは甘くない。
「間違いなく私が作ったものではない。誰が、どうやってこんなこと……」
若干の困惑。
静留のことが少しだけ薄まって助かる。
けれど不気味なものは不気味だから、ひとまず変なものが仕込まれていないかスキャン。
……問題はない。
というか、中身はただのテキストデータだ、これ。
開くと、真っ白の画面に黒の文字で、こう記されていた。
『私はダイバーの死を知っている』
『私は他の世界からこの世界にやってきた者だ』
『お前のことも知っている』
『ダイヴは愚かな行いだ』
『世界に上も下も存在しない。上位などと思いこんでいるのはお前たちだけ』
『今までは運良く、死なずにいただけなのだ』
『これ以上繰り返せば、必ずお前に死が訪れる』
『死にたくなければ、ダイヴなどという馬鹿げた遊びはやめろ』
どこからどうみても、脅迫の文面だった。
けれど当人が私に危害を加えると言っているわけじゃない。
あくまで、“これ以上ダイヴを続ければ”という部分にこだわっている。
「差出人の名前は……フウィス・トゥール?」
声に出したその名前の響きに、私はわずかな胸騒ぎを感じた。
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