【コミカライズ1巻、書籍4巻発売記念】EX9-1 上位世界の未熟な子供たち
私の通う高校に“人外”がやってきたのは、入学してすぐのことだった。
彼女の名前はルトリー・シメイラクス。
女性型の、いわゆるアンドロイドと呼ばれる存在だ。
少し跳ねた、肩まで伸びた金色の髪。
凹凸の少ない体に、幼い顔立ち。
その外見は人間とほぼ同じで、だからこそ、私は“気持ち悪い”と思った。
「ハロー、ワールド。それが、私がこの世界で目覚めて、最初に口にした言葉でした。それから今日まで、五十年以上の間、私はこの世界で生きています」
ルトリーは、“下位世界”からの干渉による初の死者をもたらした初の存在と言われている。
とはいえ、それは直接的に手を下したのではなく、バグによる“痛覚フィードバック”の暴走がもたらしたショックによる死と言われているが。
「実を言うと、今でも違和感はあるんです。だって、私は自分のことをごく普通の命と思っていたんですから。生まれたときから、それを疑ったことなんてありませんでした。だけど、胸を開けば沢山のコードが絡み合っているし、頭を開けば中にはチップが入っている。今でこそアンドロイドの生体パーツは普及してきましたけど、最初の頃は本当に、今よりもずっと故障も多くて大変だったんですよ」
自らの意思を持つロボット――アンドロイドの技術は年々進歩し、今や
近い将来、人工生殖器が開発され、人間との間に子供を作ることすら可能になると言われていた。
また、アンドロイド研究の権威である桐生美奈子や山瀬美香などは自らの脳を人工的に作られた肉体に移植し、“老い”からの脱却を計る研究も行っている。
私は思う。
“気持ち悪い”と。
「だから……“実感”はあるんです、自分が人間じゃないって。こういうこと言うと団体の偉い人から怒られるんですけど、私は、別に人間と同じ存在として扱ってほしいわけじゃないんですよ。だって、“違うもの”を“同じように”扱えば、必ずどこかでひずみが生まれてしまうんですから」
そこに関しては同意する。
私たちと“彼ら”は同じではない。
違うものを同じものとして扱おうとすれば、必ずどこかで矛盾が生じる。
ショートする。
そして、私みたいな人間が生まれる。
「ただ、みなさんに知ってほしいことは、私たちも“命”だってことです。そして“心”があるってことです。機械で、修理できて、人格も変えられて――だから命は軽視されるべきだ、って考える人は、私がFSOと呼ばれるゲームの中に居た頃から存在しました。悲しいことに、今も存在しています。ですが、私たちは生きています。生きて、ここにいます。仮に複製ができたとしても、それは“複製された私”であって、今の私ではないのですから」
そう言って、ルトリーは隣に立つ二人の少女の手を握った。
片方はハイドラ。
そしてもう一人はテニアという。
見た目こそ十代の少女だが、実年齢はとうに五十を超えている。
アンドロイドの肉体は経年劣化こそすれど、老化しないので仕方のないことだが――やはり、“気持ち悪い”と思わずにはいられない。
世界は変わっていく。
目まぐるしく、無責任に流転していく。
常識は塗り替えられ、倫理は歪む。
ならば私は、取り残されているのだろうか。
――否。
人権団体がアンドロイドの権利を叫ぶ。
芸能人が綺麗事を喚く。
反対する意見は“汚い言葉”として封殺される。
『本当の愛を知ったの』
本当にそれは正しいのか。
『俺も愛していたんだ。けど、どうやら俺は正しくなかったらしい』
本当にそれは、正しかったのか。
私は盲目的に信じたりはしない。
見た目の綺麗さに騙されたりもしない。
自分が信じた道を行くんだ。
でなければ、私は、私が生きてきた意味は――
◇◇◇
ルトリー・シメイラクスの講演を聞いてから、一年半が過ぎた。
「ゆい」
私のアンドロイド嫌いはさらに悪化している。
一方で世間はアンドロイドを“人間と同等の存在”として受け入れる風潮ができつつあり、生きにくくなるばかりだった。
「結」
休み時間中、私はずっと頬杖をついて窓の外を見る。
どれだけ嫌いになったって、下を歩いている人たちの中に、どれだけアンドロイドが混ざっているのか、私には判別することすらできない・
「むぅー……」
と、何者かが私の背中にべったりとくっついてきた。
体に両手もかわされ、「むーむー」と謎の鳴き声をあげている。
「無視はひどい」
「話すことは無いから」
「わたしにはあるもーん」
彼女はぐりぐりと体を押し付ける。
体が揺れた拍子に、腰にぶらさげた兎の人形が揺れて、付けられた鈴がちゃりんと鳴った。
――大昔に、私が渡したものだ。
「……はぁ」
ため息とともに俯く。
憎たらしいほどキューティクルに満ちた黒のロングヘアが見えた。
気の抜けた口調で話す彼女は、
私と同じ高校二年生で、腐れ縁――もとい幼馴染の関係だ。
「何なの?」
「今日の朝ごはん、メロンパンだった」
「そう」
「あまりに美味しくて、まだ食べたいなと思ったから、コンビニでメロンパンを買ってきた」
「そうなんだ」
「でも授業を受けてるうちにメロンパン熱が冷めていって、別のものが食べたくなった」
「それは大変だ」
「そこで提案なのですが。
私の目の前に、静留のつまんだメロンパンの袋がぶら下がる。
「……つまり、押し付けにきたと?」
目を細めて軽く睨むと、彼女は気まずそうに目をそらした。
「30円引きにするから」
「しかも金まで取る!?」
理不尽すぎて思わずハイテンションに突っ込んでしまった。
あーあ、うんざりする。
いざこうやって会話を交わしていると、それだけで浮かれるんだからさ。
「残念だけど、それを受け取るわけにはいかない」
「説明を要求する」
「頼む側なのに無駄に態度がデカいな……」
親しき幼馴染の間にも礼儀あり、だぞ?
「実はさ、私も持ってんだよね」
そう言って、私は紺色のバッグから、シャカシャカと音を鳴らしてパンを取り出す。
「メロンパンだ」
「メロンパンだね」
「……むぅ」
また鳴いた。
そして頬が膨らんだ。
「おそろいの嬉しさと、被ってしまった悲しみが胸の中でせめぎ合っている」
「昼、一緒に食べるんだったら付き合わないでもないけど」
「確かに、一人でかじるよりは、二人でかじった方が美味しさは倍増――」
静留の言う通り、久しぶりに二人で食べるのも悪くはない。
以前までは当たり前のようにそうしてきたんだし、これが元に戻るきっかけになるのかもしれない。
なんてことを考えていたけれど――背後から何者かの手が伸びて、静留の持ってたメロンパンを掴んだ。
私たちの視線は、同時に
「うまそーなメロンパンじゃん」
私の心が、急速に冷めていくのを感じた。
けれど対象的に、静留の表情はほころぶ。
私と話しているときとは違う。
まるで乙女のように、頬は赤らんで。
「あ……■■くん」
「静留ちゃん、ここにいたんだ。結ちゃんもこんにちは」
声を聞くだけで吐き気がする。
「あはは、相変わらず嫌われてんなあ、俺って」
顔を見るだけで目を潰したくなる。
「結のこれは病気みたいなものだから」
どうして。
「アンドロイド嫌い、だっけ。俺自身にもあんまその自覚無いんだよねー、こっちに来たのだって一年ぐらいだし。それに、男としては結ちゃんみたいなカワイイ子とは仲良くしときたいな」
黙れ。
「■■くん、また女の子を口説こうとしてる」
どうして。
「別に口説いてるわけじゃないって、静留ちゃん。俺は純粋に、結ちゃんとも話したいなって――」
黙れ。
「■■くん、あんまり強引にやると…tね」
どうして、どうして、どうして。
そんな甘い声で、そんな腐った名前を呼ぶんだ――
「……ッ!」
私は何も言わずに立ち上がると、大股で教室を出ようとする。
すると
まるで人間のような柔らかさと、体温。
全身に鳥肌がたち、得も言われぬ悪寒が駆け巡った。
「離して気持ち悪いッ!」
私は思わず叫ぶ。
教室中の視線が私に集中する。
驚愕と批難、割合は半々。
だって相手はアンドロイドだもんね。
しかも、女子に大人気の。
クラスメイトたちの目が、そして何より静留の表情に耐えきれなくて、私は走って教室を出た。
「おい接木、授業始まるぞ」
先生の声を無視して、横を通り過ぎる。
廊下を歩く生徒とぶつかりそうになりながら、がむしゃらに教室から離れる。
「はぁ、はぁ……っ」
そしてトイレに駆け込むと、洗面台の縁に手を置いて、肩を上下させた。
冷や汗がべっとりと額を濡らしている。
顔をあげる。
鏡に映る自分の顔を見る。
「……ひどい顔」
真っ青で、まるで死人みたいだ。
目つきが悪いのは元々だけど、ああ、改めてこう見ると、静留との“かわいげ”の差は嫌気がさすほどだ。
他人に死ねばいいのにと思うより、本当は自分が消えるのが一番なのかもしれない。
だって世界は、アンドロイドを受け入れることこそが正しいのだと、そういう方向に進みつつあるから。
『ママね、この人のことを愛しているの』
リフレイン。
『パパは、間違っていたのかな』
リピート。
『結、私……■■くんのことが……』
バッドエンドが、終わってくれない――
「あぁぁぁぁああああああああああああああッ!」
私は叫び、横にあった壁に頭を打ち付けた。
声は廊下に響き渡る。
しかし、その音のうちの大半は、タイミングよく鳴った音量の大きなチャイムにかき消されてしまった。
誰にも届かない。
仮に届いたとしても、この痛みを、誰も理解はしてくれない。
「どうすりゃいいの……? ねえ、私……間違ってたのかな……」
父と似たような言葉を、私は口にした。
血がつながってるって、こういうことなのかな。
好きな人を、どれだけ愛しても、時間の積み重ねなんて、アンドロイドが全部持ち去っていっちゃって。
私たち、そういう星の下に生まれちゃったのかなぁ。
◇◇◇
『今日の夕飯はどうする?』
放課後、携帯端末にそんなメッセージが届いていた。
兄である
名前が歴史の人物みたいとよく言われるが、実際、歴史好きだった母が付けた名前らしい。
今となっては憎たらしい名前だけど、兄は気にしていないらしい。
人が良すぎる。
兄は現在、大学二年生。
父は心を病んで長らく入院しているので、家はほぼ私と兄の二人暮らしだ。
家事のうち料理は彼の担当で、ちょうど帰る時間になると、毎日のようにこんなメッセージが届く。
もっとも、この連絡は『今日の献立どうする?』という意味合いではなく、『うちで食べるの?』という意味の問いなのだ。
私はすぐさま返信した。
『今日はいい。ベースに寄ってくから』
ほどなくして返事が来る。
『わかった、あまり遅くならないようにね』
こうは言うが、別に私が朝帰りしたって怒ったりはしない。
放任主義……とは違う。
兄は私が静留に恋をしていることを知っているので、不健全な遊びをするわけがない、とある種の信頼を持ってくれているのだ。
実際、私がそんな浮かれた遊びをすることはないし、それ以前に相手だっていない。
なら一体、どこで時間を使っているのかと言われると――この外観からして怪しげな、ほぼ廃ビルにしか見えない建物の地下にある、“ダイバーズベース”だった。
施設内にはジャンクの情報機器が無造作に転がり、足の踏み場もないほどだ。
しかし、そんな薄汚いスペースを越えた先、顔認証で開く扉を開くと、一転して――ああ、いや、一転はしてないか。
ちょっと汚くて、怪しげだけど、先程よりは整理された、情報端末の並んだ部屋が現れる。
ここが、私が愛用している“ダイバーズベース”だ。
「お、結じゃーん。ちーっす」
一足先に来ていた女性が、八重歯を見せて笑いながら、陽気に手を上げた。
オレンジの色のボサボサ頭の彼女は、
耳や舌にピアスを開け、エキセントリックな柄の服を纏い……と、どこぞのコアなファンが集まるバンドにでもはまり込んでそうな見た目をしているが、中身はナードである。
このダイバーズベースの管理者の一人でもあり、何かと私もお世話になっていた。
「どーも。ねえ陸、今日は他の人たち来てないの?」
私は周囲を見回しながら言った。
陸は寂しげに答える。
「あっちに一人いるぞ。もうダイヴしてるけどな」
彼女が部屋の隅のほうを顎で指し示した。
確かにそこでは、色白な男がヘッドセットを付けてダイヴしている。
「それでも一人しかいないんだ。最近、
「“アレン事件”からじわじわ減ってたんだよなあ。ダイヴ規制が始まるなんて話も出てるし」
「はっ、規制ねえ。そんなことするなら、ネットから人格データサルベージしてアンドロイドに搭載するのを規制するべきだと思うけど」
アンドロイドにも人権がある、という主張は百歩譲って理解しよう。
けれど、『すでに廃棄されたAIにも人権がある。何があっても救うべきだ』という主張はまったく理解できない。
要するに連中は、『サービスが終了したVRMMOからデータをサルベージして救い出せ』って言ってるんだから。
もっとも、今となってはVRMMOなんて過去の産物。
興味を持つ人も少ないので、『どうぞご勝手に』と誰も興味を示さずに放置しているのが現状である。
まあ、それも仕方のないことだ。
VRMMOの上位互換とも呼ぶべき、“ワールドクリエイション”が登場して、とっくに何年も過ぎてるんだから。
「ダイヴが規制されたら、次はワールドリエイションも規制かもなー」
陸はうんざり、と言った様子で背もたれに体を預けながら言った。
私もチェアに深めに腰掛け、ため息をついた。
「
それは文字通り、新たな世界を作り出すことを意味する。
小説や漫画、ドラマやアニメ――今日に至るまで様々な創作がこの世に生まれてきたが、ワールドクリエイションは一種の到達点とも呼べるものである。
世界の法則や、そこで生きる人々、起きる出来事などなど、あらゆる事象を、感覚的に、誰でも簡単に作り上げることができる。
また、作者や読者は、自らの意識を“精神体”としてその世界に投影することで、登場人物の一員になったり、神として世界に降臨することも可能である。
自由度の高さ、そして敷居の低さが評判となり、ワールドクリエイションは一気に世界中に広まっていった。
だが――数ヶ月前に起きたとある事件をきっかけに、その人気に陰りが生じている。
「陸は……アレン事件、本当に“登場人物が作者を殺そうとした”と思ってる?」
「どうだろうなぁ。VRMMOが流行ってた頃も、痛覚フィードバックの暴走で人間がショック死することはあったらしいが……今回はワケが違う。なんたって、“外傷”まで残ってるっていうんだからな」
陸が情報端末に触れると、アレンの画像が表示される。
アレンというのはペンネームみたいなもので、本名は公表されていないし、画像の顔は隠されている。
だが、体の大きさからして、私とそう変わらない年齢なんだと思う。
体に刻まれたいくつもの傷は、モザイクもなしなのでかなり生々しい。
「当該世界の製作者であるアレンは意識を取り戻したものの、怪我の後遺症も残っており、未だワールドクリエイションには強い恐怖を示している、と」
「アレンの作った世界はアクセスを禁止されて、調査も進んでいねえみたいだな。界隈では人気も高かったからネットも結構荒れてるよ。今のところ、何かその世界から出てきて外部に干渉してるって話はないみてえだが」
「それでも、“仮に精神体が傷つけられても本体に害が及ぶことはない”という神話は崩れたと……」
「だな。そしてそれは、あたしらみたいな“ダイバー”にも無関係じゃない」
ワールドクリエイションで作られた世界は、“下位世界”として私たちの暮らす“上位世界”と紐付けられる。
つまり、基本的に私たちが精神体を送り込むことができるのは、ワールドクリエイションによって作り出された世界に対してだけである。
だが、研究が進むうちに、“紐付けされていない、最初から存在する未知の世界”が無数にあることが判明した。
端的に言えば、“異世界”だ。
私たちダイバーは、自分たちの世界とその異世界の間を強引につなぎ、未知の世界へと精神体を送り込む、いわば“世界の探索者”のようなものである。
もちろん、この行為はワールドクリエイションにアクセスするのとは訳が違う。
個人で所有できる設備だけでは実現不可能だし、何より法律上グレーな遊びなので、こうして秘匿された共有スペースである“ダイバーズベース”に集まり、ダイヴを行っているというわけだ。
「実はな、これはまだ噂の域を出ないんだが――」
陸は情報端末に手を当てたまま、深刻な表情を浮かべる。
「すでにダイバーの中にも犠牲者が出てるんじゃないか、って話を小耳に挟んだんだ」
「犠牲者って?」
「他所のベースで聞いた話によると、ヘッドセットを付けてダイヴしていたはずの人間が、ダイヴ中に忽然と消滅した、とか」
「最初から居なかったんじゃない?」
「得体のしれない“影”みたいなものに飲み込まれて、消えたやつがいる、とか」
「できの悪いホラー映画じゃないんだから」
「実はこの話、映像も残ってんだ」
もちろん私は疑いの眼差しで、陸が再生した動画を見つめた。
確かに、ヘッドセットを付けてダイヴする男を、黒いどろどろとした何かが包み込んでいる。
そして飲み込まれた男は、影とともに消滅した。
「……よくできたフェイク」
「いつも口の悪い結が“よくできた”って言ってる時点で異常だ」
「それは……」
陸の指摘は、正直図星だった。
CGを使ったフェイクって、何だかんだで違和感が出るものだ。
個人が作ったものとなればなおさらに。
何より、それがCGかどうかは、動画を解析すれば一発でわかってしまう。
「この動画に、CGを使った形跡は残ってない」
「磁性流体でも使ったんじゃない?」
「確かに可能性はある。けど、そんな手の混んだことをする必要があるか? これはダイバーズベースに設置されたカメラが撮影したものを、管理人がネットに流してんだ。ダイバーにとって不利になる内容にもかかわらず、だ」
確かに、ダイバーがわざわざ捏造してまで、ダイヴの危険性を証明する動画を撮影する必要はない。
ただでさえアレン事件のせいで界隈がピリピリしているというのに。
だがそれでも――
「私は信じない。下位世界は所詮、下位世界なんだから。精神体に干渉なんてできるわけがないし、仮に出来たとしても、その前に潰せば問題ない」
「結……」
「何ナイーブになってんの、陸ともあろう人間が。そもそも私たち、他人に注意されたとか、危険だからとか、そんな理由でダイヴをやめる“いい子”じゃないでしょ? ダイバーなんて、下位世界を蹂躙して快楽を得てるクズばっかりなんだからさ」
「……まあ、そりゃそうだが。あたしとしては結が心配なんだよ」
「何が?」
「静留ちゃん、だったっけ」
陸からその名前が出てくると思っていなかった私は、思わずテンパった。
「し、静留はっ! 関係ないしっ!」
「関係あるって言ってるようなもんだろ、その反応は」
我ながら下手なごまかし方だ、嫌になる。
「結がダイヴにハマった理由、あたしなんとなくわかってんだよ。下位世界から引っ張り出されて急に現れたアンドロイドが、普通の人間と同じ権利を得て、同じ立場になって、大切なものを奪っていく……そりゃあ憎くもなるさ」
「……」
「まあ、ダイヴで気持ちが晴れるってんなら別にいい。けどよ、そのために命を賭ける必要はないはずだろ。それともまさか、死んでもいいとか思ってるわけじゃねえよな」
「下位世界の生き物に殺されるんなら、最初から私はその程度の存在だったってことでしょ」
「おいおい、頼むから否定してくれよ」
「否定できない。だって、私は私から奪ったアンドロイドを憎むと同時に、奪われた私自身の価値のなさも憎んでいるから」
陸は困った様子で頭を掻いた。
「だから、私は私の価値を私に対して示すために、下位世界に勝ち続けなければならない」
「誰と戦ってんだよ」
「わかんない。でもそうしないと、押しつぶされそうだから」
現実は、毒だ。
いつ私を殺してやろうかと、虎視眈々とこちらの様子をうかがっている。
だから立ち向かい続けなければならない。
けれど得てしてそういうとき、“立ち向かうべき相手”とか、明確な“敵”っていうのは見えないものだ。
「……まあ、結の言う通り、ダイバーなんてろくでなしの集まりだからな。どうしてもって言うんなら、あたしも止めやしないさ」
「ありがと」
「今日もいくつか座標を見繕ってある。早速始めるか?」
「うん、お願い」
私はヘッドセットを手に取ると、それを装着した。
すると、先にダイヴしていた男が、ちょうど意識を取り戻す。
彼は勢いよくヘッドセットを取り外し、小刻みに荒い呼吸を繰り返した。
私はくるりと椅子の向きを変え、彼のほうを見る。
陸の視線も、同じくそちらを向いていた。
「はっ、はっ、はっ……あ、危なかった……は……あぁ……」
彼と私は顔見知りだ。
ここで何度か話したこともある……が、今までダイヴ直後に、あんな反応を見せることはなかったはずだ。
陸も奇異な瞳で彼を見つめているので、同じようなことを思っているのだろう。
「どうしたんだよ、死体みたいに真っ青になって」
「殺されかけたんだよっ!」
「精神体なんだから、何をされたって死なないでしょ。ビビリすぎ」
「違うんだっ! 精神体とか関係ない、あれは化物だ。あのまま残ってたら、間違いなく俺は殺されてたッ!」
明らかに本気のトーンだった。
初めてダイヴする人間は、自分が精神体であるということを忘れて、こういう反応を見せることがあるけれど――もう何回もしてる人だしなあ。
まさか、本当に精神体に対してダメージを与える、下位世界の存在がいるっていうの?
「おっかしいなあ。もうその世界には何回もダイヴしてるはずだよな?」
「初めて遭遇した。どうやら、今までの俺がやったことを知ってて、狙ってたらしい」
「一応、どんなのに狙われたのかだけ聞いてもいいか?」
「黒い……ロボット、みたいなやつだった」
「ああ、そういやそんな世界だったね。でも黒いロボなんてよくいそうだけど」
「他にもそういうのがいたんだが、そいつだけ別格なんだ。口がガバっと開いて、俺を喰おうとするんだが、どう考えても痛みがあるんだよっ! そう、最初は確か、足にかすって――」
男は自分のズボンを見て、「ひっ」と引きつった声をあげる。
私もすぐに“それ”に気づき、さすがに寒気を感じずにはいられなかった。
「血が……滲んでる……しかも、痛いぞ。傷がある。精神体だったのに、かすっただけなのに、何で傷なんて出来てんだよぉぉおおおっ!」
「まあ、落ち着けって!」
「これが落ち着いていられるかっ! 傷があるってことは、やっぱあいつは俺を殺せたってことだ!」
「普通にやりあえば勝てたんじゃない? 私たちにはダイバーとしての権限だってあるんだから」
「使ったさ! でも、それでも勝てなかった! 恐ろしいほど強かったッ!」
「無事に戻ってこれたんだ。下位世界からこっちにアクセスする手段なんてねえんだ、もう怖がることはない」
「そ……そりゃそうだが……でもよ、精神体を介して傷を付けられるんだぞ? 本当に、干渉できないのか? “絶対”だって言いれるのか!?」
「あー、もう。だから落ち着けっての! 結、水を頼む」
「りょーかい」
陸が暴れる男を落ち着かせている間に、私はサーバから水を注ぐべく二人に背中を向けた。
室内の空気が変わったのは、そのときだった。
……何か、重い。
肩にずしりと何かがのしかかり、足にも違和感が絡みつく。
室温も、一気に下がったような気がした。
いわゆる“悪寒”というやつだ。
それも、とびきり強い。
私はその感覚がどこから発せられているかを反射的に理解し、振り向いて、陸と男の“背後”に視線を向けた。
「どう考えてもおかしいだろ!? やっぱりアレン事件は本当だったんだっ! 下位世界からでも、俺らを傷つける方法があるんだよっ!」
「あったとしても、今は安全だ。そうだろう? ほら、周りを見てみろ。ここに危険なやつなんて――」
陸の声が、ぴたりと止まる。
彼女も見たのだ。
男の背後――そこに浮かぶ、不気味な“口”を。
唾液をまとった白い歯が何十にも並び、赤黒い粘膜がうごめくと同時に、不規則に波打つ。
獲物を前に舌なめずりでもするように、ぐにゃり、ぐにゃりと。
そして口は男の頭上に移動し――瞬間、陸はとっさに彼から距離を取った。
「何だよ陸、急に離れたりし……て……」
暗くなる視界。
“生”の粘液が放つ生ぬるさが、男の顔にまとわりついた。
「あ、うあ、あ、あっ、うわあぁぁああぁあああああああっ!」
彼の叫びに反応するように、その歯ががっちりと、男のこめかみに食い込む。
「どおじでっ! なんでここまでっ! あっ、ぎっ! ぎ、がっ、たひゅっ、たひゅけっ、げっ!」
おそらくそいつは、
男の頭がひしゃげるにつれて、ミシミシと骨が潰れる音が私にも聞こえる。
「ぎがあっ! あぎゃっ! やだっ、じにだぐなっ! あぁぁああーっ! あああぁぁぁあああっ!」
もちろん男も、必死になって口を引き剥がそうとしているが、人の力でどうにかなるものではない。
足をばたつかせ、体をよじっても、むしろ頭の破壊を手助けするだけだ。
「ううぅぅうっ、おぉおあああああっ!」
眼球が飛び出る。
鼻と口からピンクの液体が流れ、失禁した尿がズボンを濡らす。
「あ……あぁ……あ……」
陸はへたり込み、体を震わせながらゆっくりと後ずさっていた。
助けるとか、そういう問題じゃない。
巻き込まれないようにする――それが、彼女にとっての最善だったし、私だってそれが正しいと思った。
当の私だって、水の入ったコップを持ったまま、そこに立ち尽くすことしかできないんだから。
やがて男が事切れ、叫ぶことすらなくなると、口は咀嚼しながら体を呑み込んでいった。
そして跡形もなく|完食すると、私と陸に見向きもせずに、どこかに消えていく。
残されたのは、呆然とする私たちと、室内に残る生臭さだけ。
「あれが、下位世界の、存在……?」
陸のつぶやきに、私は何も答えることができない。
認めたくなかったからだ。
仮に、本当にあれが下位世界から干渉してきたのだとすれば――私は自分の惨めさを、無様に受け入れるしかなくなるから。
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