EX8 メルティスノー

 



「……クリスマスなんて謎の風習を広めたの誰なんでしょうね」


 ボールに入ったクリームを泡立て器でかき混ぜながら、ショコラが言った。

 彼女は死にそうな目をして、ひたすら腕を動かしている。


「そりゃあれだろ、地中から発掘された古代の商売の神か何かだろ」

「じゃあ、商売の神を仕留めたら毎年のこの忙しさも無くなるんでしょうか」

「ショコラ、それはよくないよ。相手は腐っても神様なんだから」


 キリルは生地をこねながら話す。


「そうは言いますケドー、先輩は私みたいに可愛い後輩が疲れ果ててるのを見て可愛そうとは思わないんですか?」

「思う。もっと見たい」

「ドSぅー!」

「それはそうとして、相手は神。舐めちゃいけない。商売の神を仕留めるなら私が行く」

「えっ、止めたのそっちの意味なんですか」

「奴だけは私の手で必ず……!」

「先輩落ち着いてください、部屋の体感温度が下がってます」

「おいキリル、厨房でいもしねえ相手に殺気立つんじゃない。お前のそれはシャレにならねえんだよ!」


 キリルの体から発せられる“冷たい気”を感じたティーシェの肌は、一瞬にしてぞわりと粟立っていた。

 だがそれほどまでに、お菓子屋さんのクリスマスは忙しいものなのである。


 最初に“クリスマスブーム”が始まったのは、フラムがオリジンを撃破してから二年ほど経った頃だった。

 それはスロウとイーラが意図して広めたものであり、何かと暗くなりがちな復興途中の王都を盛り上げるために発案された一種の“お祭り”だった。

 娯楽に飢えていた王国の人々はすぐさまその流れに乗り、今日に至るまで廃れることなく流行は続いた。


「あーあ、他の人たちはみーんな恋人同士で過ごしてるのに、私たちは朝っぱらから厨房こもりだなんて。寂しいもんですよね」

「どうせ二人とも恋人なんていねえんだからいいだろ」

「あっ、言いましたね師匠。ショコラちゃんはとても可愛い女の子なので、その気になればすぐに恋人なんてできるんですから!」

「去年も似たようなこと言ってたな」

「たぶん来年も同じこと言ってると思いますよ」

「師匠も先輩もひどいです! そうだ、先輩が恋人になってくれれば万事解決じゃないですか! 命を懸けて助けてくれるぐらいなんですし、実質同棲だってしてますし、割と本気で脈ありじゃないかとか思ってるんですが! 私みたいな優良物件なかなかありませんし、早いうちに捕まえておきません?」

「私を倒せるぐらいの戦闘力を身に着けたら考える」

「一生無理ですよね!?」

「つかやめてくれよな、二人で付き合いだすとか。店主なのに肩身が狭くなるじゃねえか」

「師匠こそ、いい年なんだから恋人の一人ぐらい作ったらどうなんですか? 私がアドバイスしてあげましょうか?」

「いらん。あたしは酒が恋人だ」

「そこはせめてケーキが恋人って言っとくところじゃないんですか……?」


 苦笑するショコラ。

 しかし話しながらも、手を止めることはない。

 予約されたケーキだけでも、普段売れる数以上はある。

 加えて、店頭に並べる分も作らなければならないのだ。

 臨時休業にして、予約分だけ対処しておけばいいものを、ティーシェの『まあ、たぶん行けるだろ』の一言でそうなってしまった。


「あー、それにしても今年はなんでこんなに時間に余裕が無いんですかねー!」

「休んでるうちに腕がなまったからそう感じるだけだろ」

「こんなに可愛い弟子に対して血も涙も無いですね……先ぱぁい、あたしを慰めてくださぁい!」

「生きて帰れたら慰めてあげる」

「ここ戦場か何かですか!?」

「あと忙しい」

「先輩がそっけないー! ちゃんと手は動かしてるんだからいいじゃないですかぁ。ところで先輩、そのケーキやけに気合入ってますね。マジパンで作ってるの……インクさん、ですか?」

「そう、エターナに頼まれたものだから」

「いつの間にそんな注文を」

「当日まで秘密にしておいてほしいと頼まれたの。ショコラに話すとすぐに広まりそうだから」

「失礼な、これでもそこそこ口は固いほうですよ!」

「インクに『ショコラお姉ちゃん、あたしに教えて?』って頼まれたら?」

「ポロッと話しちゃうかもしれませんね!」

「ちょろすぎる」


 それは良好な人間関係を築いているという証左でもあるのだが、話さないで正解だった、とキリルは改めて確信する。


「こらお前ら、あんまりくっちゃべってないで集中しろ。そろそろ本気で間に合わなくなりそうだからな」

「わかりました」

「はぁ~い」

「ところでキリル」

「なんですか師匠」

「気合を入れて作るのはいいが、そのケーキ持ってくのって夕方だよな?」

「……あ」


 寒空の下、通りを歩く人の数は、早朝にもかかわらずいつもより多い。

 飾り付けされた街の様子にあてられてか、人々の様子はどこか浮かれているように見える。

 そんな様子を、キリルは現実逃避気味に目を細めて見つめた。




 ◇◇◇




 クリスマスという行事がコンシリアに馴染んできたとはいえ、フラムにとってはまだまだ慣れない行事。

 その日が近づくにつれて、ツリーやリースなどで飾り付けられていく町並みを見上げ、『ほへー』とアホっぽく感嘆してみせるなど、当事者意識など皆無であるかのようにみえた。

 それは仕方のないことだ。


 だから、ミルキットに気合の入ったサプライズを仕掛けられるほどの準備はできていなかったし、どうにか知り合いに相談して、プレゼントを購入するので精一杯だった。

 しかし周囲の恋人たちの動きを見ていると、やはりそれだけでは、少し物足りないように思える。

 とはいえ、だからといって何をどうすればいいのかわからないフラムは――そんな歯がゆさを覚えながらも、クリスマス当日を迎えてしまった。


 朝、一足先に起きたミルキットのキスで目を覚ます。

 二人で一階に降りると、寒さに縮こまりながらもストーブのスイッチを入れた。

 そして並んで朝食を作る。

 すでにキリルとショコラは出勤しているため、用意するのは四人分。

 サラダ用の野菜を切りながら、フラムはちらりとミルキットの様子を伺う。


(……少し様子がおかしいような。やっぱりクリスマスだから意識してるのかな。それにしても今日もかわいい)


 一瞬だけ見るつもりが、思わずじーっと見てしまうフラム。

 もちろん目が合う。


「どうしたんですか、ご主人様」


 ふにゃりと笑って、幸せそうにミルキットが言った。


「見とれてた」


 フラムが隠さずにいうと、ミルキットの頬に軽く赤みがさす。

 だが表情は唇を尖らせ、少し不満げだ。


「ずるいです。私はご主人さまに見とれるのを我慢して、必死で料理に集中していたのに」

「その真剣な顔が魅力的だったから」

「そんなに言われたら……色々、我慢できなくなります」


 ミルキットはお玉から手を離して、体ごとフラムのほうを向いた。

 フラムは彼女の頬に手を当て、唇を重ねる。

 ミルキットはフラムの背中に腕を回す。

 フラムも自然と体を引き寄せ、互いに体を押し付けた。


 このままでは料理が焦げてしまう――そう思われるかもしれないが、何ら問題はない。

 こんなやり取りは日常茶飯事なので、きちんと料理が失敗しないよう、途中で止める理性は持ち合わせているのだ。

 なので今はまだ、あと少しだけ、いいや何ならもっと長く――


「ふわぁあ……おはよー、二人とも……ってうわっ!?」

「フラム、ミルキット、料理焦げてる」


 降りてきたインクが驚き、エターナが呆れる。

 慌てて体を離したフラムとミルキットは、あたふたと慌てながら火を消して、心なしか黒いベーコンを皿に乗せた。


「や……やっちゃったねえ、久しぶりに」

「やっちゃいました……」


 がくっと肩を落とすミルキット。

 いつもはこうはならない、本当に、ちゃんと理性があるので、途中で止める。

 それができなかったということは――


「浮かれてる」


 コップに茶葉を入れ、お湯を注ぎながら、エターナはぼそりと呟いた。




 ◇◇◇




 プレゼントしか用意できていない以上、クリスマス当日、フラムにできることはあまり無い。

 特に仕事も入れていないので、そわそわした様子のミルキットを観察して夜を待とうか――そんなことを考えていたのだが、


「あ、あのっ、じゅ……用事があるので、夜まででかけてきますねっ!」


 なんと昼前ごろに、フラムを置いて出ていってしまった。

 一人残されたフラムは、寂しそうにダイニングの椅子に腰掛け、紅茶をすする。

 そんな彼女の前に、不敵な笑みを浮かべたエターナが座った。


「振られてる」

「ふ、振られてないやいっ!」


 フラムは誤魔化すのが下手だった。


「今日はクリスマス。知っての通り、恋人たちは各々の時間を過ごす日」

「そういうエターナさんこそ、インクと一緒にいないじゃないですかっ!」

「あの子は友達と遊びに行ってるから」

「なるほど、つまりエターナさんも寂しいわけですね」


 仕返しと言わんばかりに不敵に笑いながらいうと、


「寂しい。フラムにかまってほしい」


 エターナは目を細め、暗い声で素直に認めた。


「エターナさん、何か弱体化してません?」


 さすがの彼女も、クリスマスに恋人に置いていかれたらショックなようだ。

 とはいえ、インクがエターナにベタぼれなのは周知の事実なので、心配せずともそのうち帰ってきて、嫌というほどべたべたするのだろうが。


「しっかし、クリスマスってこんなに広まってるんですね。私が居ない間に」

「みんな口実を作って騒ぎたいだけ」

「あはは、それはありますよねー。ここまで騒いでるのって、やっぱりコンシリアだけなんですかね。この時期になると、珍しがって観光客が増えてるって話も聞きましたし」

「ツリーやリースの産地では盛り上がってると聞いた」

「盛り上がるの意味合いが違いそうですね……」

「まあ、王国全体に広がるまでは何年かかかると思う」

「んー、そうなんですね」


 フラムは顎に手を当て、考え込むような仕草を見せた。

 その様子に、首をかしげるエターナ。


「どうしてそんなことを聞いたの?」

「恋人に限らず、大切な人にプレゼントを渡す行事だって聞いたんで、両親にも何かプレゼントを送ったほうがいいんじゃないかと思ったんです」

「逆だと思う」

「へ?」

「普通、親が白いひげを生やした赤い衣装の男性に扮して、子供にプレゼントを渡すもの。恋人同士のやり取りは本来おまけに過ぎない」

「あ、それ聞きました! サタンクロースって人ですよね!」

「それじゃ悪魔になってる。サンタクロース」

「そう、それです! お店の人が、その格好をしてるお店もちらほら見かけました!」

「まあ、みんな仮装が好きだから。色も目立つし、客引きにちょうどいい」


 アンズーの時にしてもそうだが、コンシリアの人々は何かが流行ると、必ずその格好を真似しようとする。

 フラムの奴隷紋が英雄紋と名前を変え、一種のブームになったのと同じことだ。


「はあぁ……ミルキットがあの格好をしたらかわいいんだろうなあ……」

「フラムに言わせればミルキットはどんな姿でもかわいいと思う」

「そんなの当たり前じゃないですか!」

「即答されてしまった」


 聞くまでもないことである。


「そう、ミルキットはどんな姿でもかわいいんです。だからこそ、あらゆる姿のミルキットをこの目に焼き付けたい! ありとあらゆるかわいさをコンプリートしたい!」


 そしてフラムは立ち上がり、拳を握って熱弁する。

 前なら白けた様子で流していたエターナだが、


(今のわたしには少し理解できてしまう……)


 自らの心境の変化に、時の流れを感じずにはいられなかった。


「ところでエターナさん」

「ん?」

「インクに何かプレゼントとか用意してるんですか?」

「それはまあ、もちろん」

「へー、もちろんですかぁ……」


 ニヤニヤするフラム。

 決して悪い意味ではなく、好意的なニヤニヤである。


「何かその顔が嫌だ」

「いやいやぁ、エターナさんとインクの間に恋人っぽいあれこれがあると、何だか嬉しくなっちゃうんですよ。私個人としては、もっとくっついていいと思うんですが」

「わたしたちはフラムやミルキットと違うから」

「そうは言いますけど、私たちだって、別に“やろう”と思って公衆の面前でああいうことをしているわけじゃないんですよ?」

「だったらどうしてあんなことに」


 聞くだけ無駄だと思ったが、一応聞いてみるエターナ。

 するとフラムは拳を握り熱弁した。


「目が合うじゃないですか」

「うん」

「かわいいじゃないですか」

「まあ、うん」

「ミルキットも私のこと素敵って思ってくれてるわけですよ」

「それはそうだろうね」

「だったらキスしかないでしょう!」

「そこがおかしい」


 いや、論理の流れとしては何らおかしくないのだ。

 ただ問題は、それが公衆の面前という部分であって。


「普通は人に見られるのが恥ずかしくて止まるはず」

「最初は若干の葛藤がありました」

「最初ですら若干……」

「でも……気づくと“好き”の気持ちで頭がいっぱいになってしまうんですよ」


 以前のエターナならばここで、“馬鹿げている”と一蹴しているところだろう。

 しかし今の彼女は違った。


(……これも、理解できてしまう)


 インクとの交際を初めて数ヶ月。

 何度も抱き合ってきた。

 何度もキスをしてきた。

 まだ一線は超えていないものの、恋人らしい触れ合いを交わすたびに、少しずつ“敷居”が下がっている気がする。

 フラムとミルキットは最初からその敷居が低いだけで、最終的に行き着く先は、エターナも同じなのではないか。

 そう、つまりエターナとインクも、街中で急にときめき、抱き合い、甘い言葉を囁きあう関係に――


(ならないならないならない。わたしの理性がそうはさせない。あくまで、そういうことをするのは二人きりのときだけだから)


 ブンブン、と首を振って否定するエターナ。

 それをニヨニヨと笑いながら見るフラム。


「だからその顔はやめてほしい」

「ふっふっふ、エターナさんも時間の問題みたいですねぇ。さあ、早くこちらの世界に来るのです! いざ来てみると幸せですよぉ……?」

「教祖でも目指してるの? 言っておくけど、わたしはインクがそういうことをする姿を、他の人に見られたくない」

「……なるほど、それは一理ありますね」

「フラムは見せて平気なの?」

「外では包帯を外してませんからね。素顔を見られるのは、二人きりのときだけですから」

「そういうこと」


 要するに、エターナとインクにとっては、抱き合ったりキスしたりするのは、謂わばいちゃいちゃの“最終段階”。

 だがフラムとミルキットには、“包帯を取ってイチャイチャする”という先の段階がまだ残されているのだ。

 その違いが、人前でのスキンシップに関する考え方の違いを生んでいるのかもしれない。


「まあ、だとしても目に悪いことは間違いない。いつか必ず止めてみせる」

「エターナさんがこちら側に来るのが先か、私が折れるのが先か――勝負ですね!」

「勝手に戦わせないでほしい」


 なぜかギラギラとやる気に満ちているフラム。

 そんなこんなで時間は過ぎ、もうじき空も茜色になろうかという頃――家のベルが鳴った。

 帰宅したミルキットかインクなら、わざわざ鳴らさずに鍵を開けて入ってくるはずだ。

 ということは、来客なのだろう。

 なかなかミルキットが帰ってこないので寂しさの限界に達していたフラムは、読書で寂しさを紛らわすエターナを置いて玄関に向かう。

 そして扉を開くと、そこには――ミルキットが立っていた。


「た、ただいまです……ご主人様」


 彼女は頬を赤らめ俯いており、その恥じらい加減がまた愛らしい。


「ミルキット? そ、その格好は……」


 加えて、今のミルキットはいわゆる“サンタ服”を身につけていた。

 赤い布に、白いもこもこのファー。

 スカートは少し短めで、いつもはメイド服の長いスカートを履いているミルキットにとって、おそらくそこが一番の羞恥ポイントだろうと思われた。

 だがそれもまた、フラムのため。

 いつも自分のことを『かわいい』と言ってくれる伴侶に報いるべく、いつもとは少し違う方向性にチャレンジしてみたのである。

 その目論見が成功したかどうかは――わざわざ確認するまでもなく、明らかだった。


「ま、まま、まさかっ、まさかそんなっ! 確かにさっき、見たいとは言っていたけれど。絶対にかわいいとは思ってたけれどっ! 実物はそれの何十倍もかわいかったよミルキットぉーっ!」


 フラムはシュバッ! と両手を広げると、がばぁっ! とミルキットの体に抱きついた。


「あ……ご主人様……」


 うまくいくか不安だったミルキットは、ここでようやく頬をほころばせ、笑顔を見せた。

 そしてフラムの背中に腕を回す。


「嬉しいなぁ、ミルキットからこんなサプライズがもらえるなんてぇ。私は幸せ者だぁ……」

「ご主人様にはまだ馴染みのないイベントでしょうから、少しでも楽しんでほしいと思いまして」

「最高だよぉ!」

「よかったです……でもですね、この格好だけじゃないんですよ」

「他にもまだあるの? もうこんなにハッピーなのに!?」


 フラムがミルキットを解放する。

 するとミルキットはフラムの手を取って、外へと誘おうとしている。


「え、どこか行くの?」

「パーティ会場の準備をしていたんです。腕によりをかけて料理も作りましたっ」


 どこに行っていたのかと不安がっていたが、どうやらそちらの準備をしていたらしい。

 これだけ時間をかけたのだから、よほど気合を入れて作った料理なのだろう。


「すごい……すごいよミルキット! パーティの準備をしてただなんてぜんぜん気づかなかったよぉー!」


 喜びのあまり、語彙力が貧しくなるフラム。

 彼女はさらにぎゅっと抱きしめると、ミルキットは「えへへへ」と思わず声を出しながらでれっとした表情を浮かべる。


「私のほうは……大したもの用意できなくてごめんね! 来年は絶対にものすごいの準備するからねっ!」

「私はご主人様と一緒に過ごせるだけで幸せですから」

「そう言ってくれるミルキットだからこそ全力で幸せになってほしいのーっ!」

「はい……じゃあ、楽しみにしてます」

「うん、楽しみにしてて! 今年は私が思いっきり楽しむから!」

「はいっ! いっぱい楽しみましょう!」


 二人は抱き合ったまま、頬ずりをしてその幸せを噛みしめる。

 いつもどおりといえばいつもどおりなのだが、いつもよりも幸せそうにエターナには見えた。


「ん、二人きりってことは……もしかして」


 フラムはふいに冷静になり、家の中に振り向くと、そこには微笑むエターナが立っていた。


「エターナさん、知ってました?」

「クリスマスは恋人二人で過ごすものだから、遠慮せずに行ってくるといい」

「……」

「何、その顔は」

「いーえ、何でもないです」


 もしかすると、『家でインクと二人きりになりたい』と頼んだのはエターナのほうだったのではないか。

 フラムはそんな想像をしていたのだ。

 だが、ここでそれを聞くのは野暮というもの。

 フラムもミルキットと二人きりで、最高の夜を過ごせるのだから。


「じゃあ行こっかミルキット。どんな会場でどんな料理が食べられるのか楽しみだなぁー」

「研究に研究を重ねた成果をすべて発揮しましたから、必ずご主人様の口に合うはずです!」

「お、いつになくミルキットが自信満々だ。これは間違いなく美味しい! ほっぺたが落ちまくるに違いない!」

「うふふふ……そうなってくれるように、頑張りました」

「そこまで言われたらもうお腹が空いてきちゃった。行こう! すぐ行こう!」


 浮かれながら、家を出るフラムとミルキット。

 もちろんフラムは、自分が用意したプレゼントのことも忘れていない。

 道を歩きながら、軽く意識を後方へとむけると、どういった形で反転の力を使ったのかは不明だが――勝手に二階の窓が開き、そこから包装された箱がフラムめがけて飛んでいき、彼女はミルキットに気づかれないようそれをキャッチする。

 そして最後に窓が閉じ――二人を見送りながら一連の流れを見ていたエターナは微笑んだ。


「毎度のことだけど、すごい浮かれ方」


 クリスマスに限った話ではなく、記念日があるたびに――いや、何もなくたって、二人はいつもあんな様子だ。

 一緒にいられることが幸せで幸せでしかたなくて。

 手を握ること。

 抱き合うこと。

 唇を重ねること。

 愛を交わすこと。

 何もかも、当たり前のようにそこに存在しているのに、その“当たり前”を何度繰り返しても飽きることがない。

 初恋のその瞬間から、一度だって二人をつなぐ感情の炎が小さくなることなどなかった。

 若さゆえ――といえば簡単だが、おそらく年老いてもあの二人は変わらない。


「あそこまで来ると一種の才能なのかもしれない……」


 ダイニングに戻ったエターナは椅子に腰かけ、「ふぅ」と息を吐きだした。

 思い出すのは、フラムが戻ってくる前のミルキットの姿だ。


 あのとき、エターナたちはミルキットが寂しがることのないよう、この家でパーティを開いた。

 予定の空いていた知り合いたちを呼んで、羽目を外して大いに騒いだ。

 それで少しでも彼女の気がまぎれるのなら――そう思っての催しだったし、実際、パーティの中では笑っていた。

 だがお開きになって、自分の部屋に戻った彼女は、枕に顔を押し付けて泣いていたという。

 エターナには聞こえなかった。

 声を殺していたからだ。

 しかしインクには、そんな小さな声すらも聞こえてしまう。

 ひたすらにフラムの名前を呼びながら嗚咽を漏らすミルキットが隣にいるのに、エターナたちは何もできなかった。

 解決するための方法は、ただ一つ――フラムが戻ってくることだけなのだから。


 だから、浮かれるのは仕方のないことなのだ。

 元々、依存気味に、深すぎるほど深く結ばれていた二人が、一度の喪失を経て再会した――その結果として宿った愛情は、きっと誰にも推し量れない。


「それが二人にとっての幸せなら、それが一番いいんだろうね」


 まるで自分に言い聞かせるように、エターナは言った。

 ある者は、『適度な距離感が重要だ』という。

 またある者は、『互いに独立していなければならない』という。

 一見してそれは正論のように見えて、しかしただの個人の意見でしかない。

 人という生き物は千差万別だ。

 向き不向きの区分の違いも、それだけ数えきれないほどある。

 それぞれの愛の形があって、それぞれの幸せの形があって。

 人生など所詮、最終的には幸せになることが目的なのだから、他者の決める“正しさ”など、それは他者の持ち物でしかないのだ。

 考える。

 どうあれば、自分が幸せなのか。

 考える。

 正しさとか間違いではなく、自分の欲がどうなりたいと願っているのか。


「そしてわたしも……」


 部屋を照らす明かりを見上げ、目を細めるエターナ。

 すると玄関がガチャリと開き、どたどたとあわただしく誰かが上がり込んでいた。

 このタイミングで戻ってくる人間は一人しかいない、インクだ。

 感覚の鋭い彼女は、家に入ってすぐにダイニングにエターナがいることに気づいたのだろう。

 入口からひょっこりと、頭に赤いリボンを付けてめかした頭だけを出し、寒さで赤くなった頬をほころばせた。


「おかえり、インク」


 穏やかな声でそう呼びかけるエターナ。


「ただいま、エターナっ」


 元気いっぱいに答えるインク。

 ただそれだけのやり取りなのに、彼女はいつも満面の笑みを浮かべる。

 しかし、笑顔を向けられてしまうと、エターナも無条件ににやついてしまう。

 仕方ない、惚れているのだから。


「ふっふっふーん、ねえエターナ、あたしはどうして体を隠してると思う?」

「サンタの格好をしているから」


 エターナの言葉に、一瞬にして表情が無になるインク。


「……」

「……」


 しばしの沈黙。

 エターナはずずずとお茶を啜り、インクはそんな彼女を凝視する。

 やがて、その瞳にじわりと涙が浮かび――


「……か、簡単に当てちゃうのはよくないと思うよあたし!」


 震え気味の声で彼女はそう言った。

 エターナはちょっとかわいそうだと思ったが、わかってしまったのだからしょうがない。


「ついさっき、ミルキットが同じ格好をしてフラムを連れて行ったから」

「ミルキットが? あれ、じゃあ今年はみんなでパーティはしないの?」

「開くよ、二人で」

「二人でっ!?」


 のけぞり、大げさに驚くインク。


「何でそこで驚くのかがわからない。いつも二人きりになると喜んでるのはインクのほうなのに」

「で、でも今日はクリスマスだよ!?」

「その通り」

「恋人たちが過ごす日だよ!?」

「だから二人きり」

「そ、それはそうだけどっ! そうなんだけどぉーっ!」


 インクは、『今年まではそんなことなかったのに、どうして急に?』と言いたいに違いない。

 恋人だから当然のこと、と言ってしまうのは簡単だし、実際その可能性もあるのだが――エターナの目論見が別のところにある以上、この状況に違和感を覚えたインクの感覚は鋭いというほかない。


「ひとまず、もうバレバレだと思うけど、あたしの格好をお披露目してもいいでしょうか」

「さっきからずっと心待ちにしてた」

「気づかれちゃったからサプライズ感が足りないしなんだか少し恥ずかしい気もしてきたけど……えいっ!」


 ぴょん、と飛び跳ねて、その全貌をあらわにするインク。

 彼女は赤いスカートの端をつまむと、軽く体をひねり、上目遣いで問いかけた。


「ど、どうかな……」


 エターナは数秒の間、無言で何とも言えない表情でインクを見つめる。


「その顔は……どう判断したらいいの?」

「あまりに似合っているから、言葉にできなかった」

「へっ?」

「インク、とてもかわいい。わたしのために着てくれたと思うと、心から嬉しく思う」


 いつものエターナとは少し趣が違う、素直というか、気障っぽいというか、そんな感想に、思わずインクの心臓が跳ねた。

 デインもあの世でびっくりしているに違いない。


「……おかしいな、一度は照れ隠しついでにそっけない反応されると思ったのに」


 顎に手を当ていぶかしむインク。

 一方でエターナはふいに立ち上がると、スタスタとインクに近づき、頬に手を当てた。


「本当に、かわいい」

「は、はわわわわわっ……!」


 エターナらしからぬ言動に、頭がバグるインク。

 しかし、なおも攻勢は止まらない。


「こういうとき、本当に自分がインクのこと好きなんだって実感する」

「へええっ!? あ、わ、わかったぞ! エターナ、そうやってあたしのことからかおうとしてるんでしょっ! それでもうれしいけども! もちろんエターナの気持ちを疑ってるとかそういうわけじゃないけど、さすがにこれはだねぇ!」

「違う、そういうのじゃない」

「なら、どういうの?」

「……強いていうなら、助走」

「じょそー?」

「助けて走るほうの助走」

「ああ……って、ますます意味がわからないんだけど」

「じきにわかる。とにかく、かわいいと思ってるのは本気だから」

「う、うん……わかった。ありがと」


 インクは頬にあてられた手に自らの手を重ね、にこりと微笑む。

 そして二人は自然と、軽く唇を重ねていた。




 ◇◇◇




 インクが戻ってきてから、エターナは黙々と作業を始めた。

 どこからともなく、モールなどの飾りを持ってきて、部屋に飾り付けていく。

 インクは何となくお行儀よく両手を膝の上に乗せて、その様子を眺めていた。


「……手伝おっか?」


 そう聞くのはこれで三度目だ。


「手伝いたい?」


 そして二度断られ、今度はようやく違う反応が得られた。

 インクはこくこくと頷く。


「やっぱりこういうのは、二人でやったほうが楽しいと思うな」

「わたしもそれは知ってるけど……今日は、インクをもてなしたい気分だったから」


 箱に詰められたキラキラと輝くモールを手にしたインクは、背伸びするエターナの後ろ姿を不思議そうに見つめた。


「何で急に、今年はそんなクリスマスにしたいと思ったの?」

「急にではない。実は、少し前からミルキットと相談していて、計画は進めていた」

「あー……じゃあ、ミルキットとフラムが出ていったのも、示し合わせてたってこと?」

「そういうことになる」

「知らぬはフラムとあたしだけ、か。でも意外だなあ。そういうのが好きなのって、どちらかというとあたしの方だし。ふふ、もちろん嬉しいけどね」


 先ほどまでは“驚き”のほうが勝っていたが、少し気持ちが収まってくると、暖かな幸せが胸のあたりを満たしていく。

 エターナが一人で準備をしたがった理由もわかるのだ。

 だったらインクが戻ってくる前にしてしまえばいいのだが、それに関してはいくつか理由が考えられて――例えば、本当は飾り付けはしないつもりだったけど、いざ当日になってみると思ったより部屋が殺風景だった、とか――フラムに今日のことを気取られるわけにはいかなかったから、ギリギリまで飾り付けることができなかった、とか――まあ、適当な言い訳さえ考えつけばどうとでもなる問題なのだが、これも言ってしまえば“慣れていないから”起きてしまったことなのだろう。

 だがインクは気にしない。

 むしろその不器用さを愛おしいと思うし、こうして二人で部屋を飾り付けている時間が、幸せでしょうがないからだ。

 エターナだって、その気になれば魔法で一瞬で飾り付けることができるだろう。

 だがあえてそうせず――魔法で作られた右腕を変形させて使うことはあるものの――自分の体だけで、地道に壁にモールを貼り付けている。


「それにしてもいっぱい買ってきたねぇ。これ、去年まではどこにも売ってなかったと思うんだけど」

「最近発売されて、簡単に派手にできるからどこのお店も使ってるらしい」

「キラキラ光ってて綺麗だもんね。昔の人たちも、こういうの使ってたのかな」

「少なくともクリスマスツリーを飾り付ける文化はあったらしい」

「ツリーかぁ……さすがに家の中にはおけないよねえ」


 少し寂しそうにインクはそう言った。

 すると待ってましたといわんばかりに、エターナは箱から何かを取り出し、テーブルの真ん中に置いた。

 それは手の平に乗るほど小さな、イミテーションツリーだった。


「おおー! さすがエターナ、抜け目ない!」

「小さいけど、一個あるだけで雰囲気は出る」

「クリスマス感あるよねー……って、料理はどうするの? ミルキットもキリルもいないけど」

「頼んである。もうじき運ばれてくるはず」


 それからほどなくして、エターナの言葉通り、料理の数々が運ばれてきた。

 本来、デリバリーなど行っていないレストランに頼み込んでやってもらったのだ。

 店側もあっさりと快諾してくれたし、何なら乗り気なぐらいだったが。


 そして食卓はあっという間に豪華な料理で埋め尽くされた。

 鮮やかな緑の葉野菜の上に生ハムとチーズが乗せられたサラダに、湯気と共に甘い香りを漂わせるかぼちゃのポタージュ。

 肉厚な白身魚のフリットに、殻を皿代わりにしたロブスターのソテー、ステーキと見紛うほど肉厚のローストビーフ。

 そして中央に鎮座するのは、早くもクリスマスの定番になりつつある、レインボーバードの丸焼き。


「ほわああぁあ……ごーじゃすだ……じゅるり」


 思わずよだれをすするインク。

 エターナは喜ぶ彼女をみて、満足げに微笑む。


「こんなにたくさん、二人だけで食べ切れるかなっ!」

「別に残しても……」

「いや食べる! がんばって食べる! エターナとの聖夜を満喫するっ!」


 テンションの針が振り切っているのか、そう言いながらぴょんぴょんと飛び跳ねるインク。

 料理を運んできた店の人が苦笑している。

 彼らは仕事を終えるとすぐに家から出ていき、再び二人きりになった。

 見送ったエターナがダイニングに戻ると、インクは目をキラキラと輝かせながらテーブルの上を観察している。

 だが一方で、彼女はそこで何かを探しているようにも見えた。


「インク」

「ひゃいっ!? いや、決してあたしはこの料理の中に甘いものが無いなーとか思って探し回っていたわけではっ!」

「わかってる。ケーキはキリルに頼んでるから、そろそろ持ってきてくれるはず」

「さすがエターナあたしは信じてたよエターナなら絶対にケーキも用意してくれるはずって好き好き大好き一生愛してるーっ!」


 飛びつくようにインクはエターナに抱きついた。

 あまりに大げさなその行動に、エターナはうざったい――と思うはずもなく、ただただ『かわいい』『かわいい』『かわいい』という言葉しか頭に浮かんでこない。


(やっぱり、かなりやられてる)


 今さらだ。

 今さらなのである。

 あれだけ毎日キスしまくっておいて、今さら冷静になったところで、後戻りのしようなどないのだ。

 夜だって、一人で眠るだけで寒いと感じられるぐらいなのだから。


「インク」

「なーに?」

「キスしたい」

「うん、あたしもしたいっ!」


 インクはすぐにエターナの首に腕を回し、唇を押し付けた。

 本日二十四回目のキスである。

 ちなみにそのうち二十回は、朝、寝起きで交わした分であった。




 ◇◇◇




 それから数分後、キリルがケーキを運んできた。

 彼女はげっそりとやつれていて、うわ言のように「ブレイブが使いたい」と呟いていた。

 しかし使ったが最後、今日の夜の打ち上げはもちろん、明日の休みも眠った状態で過ぎてしまう。

 だが使えば今日の仕事は楽になる。

 そんな葛藤の中で苦悩するキリルは、ケーキの入った箱を手渡すと、「うふふふふふ」と不気味な笑い声をあげ、ゆらゆらと左右に揺れながら、店に戻っていった。

 明日は全力で労おう。

 そう決心したエターナだった。


 箱を持ってインクの待つ部屋に戻ると、彼女は口の端からよだれを垂らして料理を凝視していた。

 食欲の限界が近づいているらしい。


「ケーキのお披露目は食後でいい?」


 エターナがそう問うと、こくこくとインクは首を縦に振る。


「実はまだ準備があるんだけど、もう少し待てる?」


 エターナがそう問うと、インクはとても悲しそうに眉をへの字に曲げて彼女のほうを見た。

 あまりの哀愁に、エターナの胸が痛む。


「すぐに終わるから、待ってて」


 しかしせっかく買ったものなのだから、使わないわけにもいかず――エターナは一旦二階の自室に戻ると、クローゼットを開く。

 そして水の魔法を器用に使って服を脱ぐと、素早くその衣装に着替え、ダイニングに戻った。


「じゃーん」


 その格好でインクの前に出たエターナは、照れ隠しのため、いつもより陽気に振る舞っていた。

 それでも、気恥ずかしさは消えない。


「エターナ、それって……まさか、今日のために用意してたの!?」

「そう。奮発した」


 エターナが身にまとうのは、水色のドレスだった。

 透き通った羽衣のようなその生地は、見るからに高級そうな作りをしている。

 元々、エターナはどこか不思議な雰囲気を纏った人間だ。

 そんな彼女がそのドレスを着用すれば、その雰囲気は“幻想的”の域にまで達する。


「どう、かな」


 インクが黙り込んでしまったので、つい我慢できず、エターナはそう尋ねた。

 先ほど、サンタ服を着てきたインクの気持ちがよくわかるというものだ。


「綺麗。すっっっっごく綺麗っ! 妖精? ううん、女神様みたいっ!」

「それはさすがに言い過ぎ」

「言い過ぎじゃないよっ! だって今、あたし、見てるだけですっごく胸がどきどきしてるもんっ。こんなに綺麗な人が恋人だって思うと、もっとバクバクしちゃうもん!」


 インクのその称賛は、エターナにはやはり大げさに聞こえるのだが、それでも嬉しいものは嬉しい。

 照れくさそうにはにかむエターナ。

 その仕草に、またまた胸が跳ねるインク。


「エターナがそんなドレスを用意してるなんて……この服じゃ釣り合わないかも」

「そんなことはない。インクはかわいい」

「でもエターナは世界一綺麗だもん」

「ならインクは宇宙一かわいい」

「エターナはこの世界に存在するありとあらゆる物質よりも綺麗だもん!」

「ならインクは……いや、まあいいや。わたしとしては、インクのその服も捨てがたいんだけど、もしよかったら――」

「よかったら?」

「インクの分のドレスも準備してある。着替えてみる?」


 インクは胸の前で両手をぎゅっと握ると、心躍らせながら、


「さっすがエターナ、パーフェクトだよっ!」


 いつになく高いテンションでそう言った。




 ◇◇◇




 エターナによる着せ替えは、迅速に、その事実に気づかないほど鮮やかに行われた。

 まばたきの間に終わったと言っても過言ではない。

 エターナの手が肌に触れてドキドキするイベントが起きるんじゃないか――と淡い期待を抱いていたインクには少し残念だったが、そんなものはドレスを纏う自身の姿にかき消された。


「馬子にも衣装……!」


 姿見の前に立ち、自分を見てインクはそう言った。


「こら、そういうこと自分で言わない」

「だ、だって、こういうものに縁がないと思ってたから……似合ってる?」

「すごく似合ってる。インクのことを考えて作ってもらった甲斐があった」

「エターナの中で、あたしってオレンジ色のイメージなの?」

「……まあ」


 なぜか赤くなるエターナ。

 インクは鏡越しにその様子を見て首をかしげた。


「その……オレンジ色というか、太陽だなと思って」

「あたしが、エターナの?」

「うん。ミルキットがフラムに同じようなこと言ってそうだけど、わたしにとっての太陽はインクだから」

「エターナぁ……」


 畳み掛けるように襲い来るエターナからのサプライズに、インクの心臓は休まる暇がない。


「ねえエターナ。こうやって二人でドレスを着てると、何だか舞踏会みたいだと思わない?」

「そうだね。何となくかしこまった雰囲気にはなる」

「よし、踊ろう!」

「何で?」

「だ、だって、とにかく体を動かしてないと、どうにかなっちゃいそうなの! エターナへの気持ちが爆発しそうで!」

「よくわからない。でもわかった」


 エターナはインクの手を取って、指を絡ませる。

 インクもきゅっと小さなエターナの手を握りしめ、目を合わせて笑った。


「あれ? こっから……どうしたらいいの?」

「言い出しっぺ」

「ダンスなんてしたことないし……」

「わたしも知らない。まあ、適当でいいと思う。誰かが見てるわけでもないんだから」

「うん、そだね。じゃあ……こんな感じかな?」


 適当に足を動かし、くるりと回りながら、二人だけの舞踏会を楽しむ。

 やはり何をやっているのかさっぱり理解できないエターナだが、理由などわからずとも、何となく楽しいのだからそれでいい。

 音楽も無ければ、作法だって成っていないが、胸から湧き出す感情は、暖かくて、こそばゆくて。


「えへへ……あたしたち、何やってんだろうね」

「ふふ、こんなの誰かに見られたら恥ずかしくて二日は寝込む」

「あたしも添い寝するー」


 こういう――理由などない、何気ない楽しさを共有できる相手と添い遂げるべきなのだろうな、と。

 近い距離でその瞳を見つめながら、エターナはそんなことを考えていた。




 ◇◇◇




 結果として、運動をしたことによりほどよく胃が動きはじめ、空腹の状態で夕食をはじめることができた。


「やっぱり体を動かしたあとのご飯はおいしいね!」


 ダンスは途中から、もはや踊っているのかじゃれているのかわからない状態になり、最終的は軽く額に汗を浮かべる羽目になってしまった。

 恋人らしいムードなど皆無だったが――


(それもまあ、悪くはない)


 そう思えてしまうのだから、恋というものは恐ろしい。


「さすが最高級店の料理、サラダですら一味違う……」

「お店の味は家庭料理とは違う。優劣ではなく、方向性が」

「ひょれわかる。むぐ……特別な感じするけど、毎日食べるなら……みたいな感じだよね」


 特別な日に、特別な装いをして食べるから、余計においしく思えるのだろう。

 そう、今日は特別な日だ。

 その想いを噛み締めながら、エターナはスプーンで黄色いポタージュをすくい、口に運んだ。


 当然、これだけの量を二人で完食できるはずもなく、残った分は明日にとっておくことにした。

 ドレス姿で皿を片付け、というのもなかなかに珍しい光景である。

 そしてテーブルの上が片付くと、エターナは隅に置いてあったケーキの入った箱を真ん中に置いた。


「ケーキっ、ケーキっ」


 インクはフォーク片手に、そのお披露目の瞬間を今か今かと待ちわびている。

 その無邪気な姿を前に、エターナはあえて焦らしながら、ゆっくりと箱を開いた。

 現れたホールケーキは、オーソドックスなショートケーキタイプのものである。

 分厚いスポンジは純白のクリームで包まれている。

 上には赤いベリーが無数に置かれており、中央付近にはマジパンで作られた人形が二つと、クリスマスっぽい柄のプレゼント箱が飾ってあった。


「かわいいー! これ、エターナとあたしだよね!?」

「そう、キリルに頼んで作ってもらった」

「うわあ、すごいすごいっ! 食べるの……もったいないね。よし、せっかくだしあたしがエターナを食べるから、エターナはあたしを食べて!」

「食べるって……」


 顔を赤くするエターナ。

 インクはきょとんとしていたが、すぐにその言葉の意味に気づき、ぼっと顔を紅潮させる。


「そ、そ、そういう意味じゃなくって! あ、でも、食べてほしくないわけじゃないっていうかっ、あ、いや、そんなこと今いうタイミングじゃないけどあのーっ!」

「わかってる、わたしも意識しすぎた」

「あぅ……と、とにかく食べよ? ケーキ、すっごくおいしそうだもん!」


 勢いで誤魔化すインク。

 エターナも今ばかりはそれに乗ることにして、魔法で水のナイフを作り出すと、それをケーキの表面に乗せた。

 普通のナイフなら、どうしてもクリームがくっついてしまうが、常に流れる水の刃ならばその心配もない。

 まったく力を入れず、ただ手を動かすだけで、鋭利にケーキは切断されていく。

 もちろん人形は避けて、切り分けた一ピース分を皿に乗せると、インクの前に置いた。

 彼女はテーブルにぺたりと頬を付け、視線をケーキの高さに合わせながら、断面を観察する。


「これだけ厚みがあるだけあって、間にもぎっしりだねえ」


 表からは見えないが、クリームに覆われたスポンジケーキは、実は何層にも分かれており、その間にもクリームと果物が詰まっている。

 エターナも自分の分を取り分けると、二人は改めて『いただきます』と手を合わせ、フォークを手に取りケーキを口に運んだ。


「んっふうぅー、しあわしぇな味がしゅるぅ~!」


 至福の表情を浮かべるインク。

 甘すぎないクリームに、ベリーの爽やかな香りと酸味の効いた味が適度なアクセントとなったその味に、エターナも満足げである。

 しかし彼女は一口目で手を止めて、浮かない表情を見せる。


「……エターナ?」


 エターナの纏う雰囲気が変わったことに、インクが気づかないわけがない。

 彼女もケーキを食べる手を止めて、心配そうにエターナを見つめた。


「今日みたいなめでたい日に、こういう話をするのはどうかと思うんだけど……インクに聞いておきたいことがあって」

「何を?」

「昔のこと。インクの実の母親が、マリアのいた町から攫われて、マザーの子供として育てられ――それから、わたしたちに出会うまでのこと。今まで、聞いたことがないと思って」

「あー……その話かぁ」


 時間も、機会も、いくらでもあったはずだ。

 しかし何となく、その話題は避けてきた。

 チルドレンたちの話を聞くことはあっても、マザーとの関係は、何となくタブーな気がしたのだ。


「どうして、知りたいの? あ、別に話したくないとか、そういうわけじゃなくて。たぶん、知らないなら知らないままでも、どうとでもなる話だと思うから」

「ただのわがまま。インクの中に、わたしの知らない空白があることが、許せなかったから」


 エターナの答えに、インクは軽く目を見開くと、すぐに歯を見せて、肩を震わせ笑った。


「んふふー」

「何その笑い方は」

「いやあ、重いなあと思って」

「む……」

「決して悪い意味じゃないの。ただ、そんなこと考えてくれるぐらい、あたしとの関係に真剣に向き合ってくれてるんだなと思って。愛を感じちゃったんですよ」

「別に感じてもらっても構わない。実際、そうだと思うから」

「んふふふふー」

「でもその笑い方はやめてほしい」

「無理だよぉ、そんなこと言われちゃったら、誰でもにやけるってぇ」


 ニコニコと笑いながら、表情を崩さずにインクは語りはじめる。


「あたしにとってマザーはさ、本当の母親だった。実の母親が別にいると知っていても、物心ついたときから、あの人はすごくあたしのことを可愛がってくれた。あたしが二歳のとき、残りの四人が合流したんだけど、やっぱり一人で五人を子育てなんて大変でさ。あたしは確か、目が見えないなりに、四歳ぐらいから色々手伝ってたと思う。子供ながらに、こういうのを家族って言うんだろうなって、そう思ってた」


 その当時はまだ、第一世代と第二世代の間に、差などなかった。

 インクは自分の目がマザーによってくり抜かれたものだとも知らずに、文字通り盲目的に彼女の愛を信じていたのだろう。


「それが変わってきたのは、あたしが五歳になるぐらいの頃かな。ネクトたちはあたしより成長が早くて、三歳ごろになると、もうあたしとそんなに変わらないぐらい頭もよくて、運動神経なんてずっと向こうのほうが上だった。たぶんその頃から、ステータスも高かったし、“パパ”の声も聞こえてたんだろうね。そして同時に、マザーからの扱いも変わってきた」


 子供から、実験対象へと。

 いや、失敗作と呼ばれたインクは、もはやその対象ですらなかったのかもしれない。


「それに気づいたのは本当に急で、ある日を境に、いきなり冷たくなったんだ。あたしがオリジンコアの実験体としては失敗だったってわかったのか、それともマザーの気持ちが冷めたのかはわからない。でも、“母親”のとしての振る舞いも表面上だけになって、かまってくれる時間も明らかに短くなって――“急”だったからこそ、あたしはその変化に対して、『ああ、あたしは最初から愛されていたわけじゃなかったんだな』と思った。あー、いや、思ったっていうか、今になって思えばってやつ。当時は単純にマザーに見捨てられた気がして、寂しくて、悲しくて、そういう気持ちを胸の中で整理するので精一杯だったから」


 少しずつ気持ちが失せていくのなら、あるいは最初から演技だったのならば、理解できる。

 だがおそらく、マザーの場合は違う。

 演技ではなく、本人からしてみれば、最初は本気でインクに愛を注いでいたのだろう。

 だが、インクが認識する“愛”と、マザーが認識する“愛”は違うものだった。

 そのギャップに、五歳にしてインクは気づいてしまったのだ。

 一方でマザーからしてみれば、実験動物としての価値が無い相手に、それでも最低限の愛は注いでいたのだ。

 そんなインクが逃げて、自分たちよりもフラムたちと共に歩むことを決めた。

 ああ、なんて恩知らずなんだ。この裏切り者――そう思って、もはや母親としての体裁を取り繕うことすらやめた、と考えれば彼の行動にも説明はつく。

 理解できるかどうかは別として。


「当然、親がそういう風に振る舞えば、子供たちも同じように振る舞う。仲が良かった頃は、ミュートやフウィスはあたしのこと『お姉ちゃん』って呼んでくれて、ルークは『姉貴』だったかな。ネクトは『姉さん』。そうやって慕っててくれたんだけど……いつの間にか呼び捨てにされて。酷いあだ名を付けられたりもしたかな。それでも、マザーの冷たさに比べれば、あの子たちとはまだ“家族の繋がり”はあったって思えるんだけど……さすがに四年も五年も続けてると、窮屈で、胸が苦しくなって、家族ですらないあたしなんかここに必要ないんだって思えて……」

「それで、逃げてきたんだ」

「うん。衝動的ではあったけどね」


 人が何かから、どこかから逃げ出す理由なんてそんなものだ。

 エターナはインクの語った言葉を噛み締めながら、自分の記憶に刻み込む。


「そっか……ありがとう。そしてごめん、おめでたい日にこんなことを聞いてしまって」

「ううん、いいの。あたしもいつかは話したいなと思ってたし。ただ……あたしも、聞いていいかな」

「わたしが、王都に来るまでどう過ごしてきたのか?」

「うん。だって、五十年近く、王都の外にいたんだよね? でも、その頃の話を、あんまりエターナから聞いたことないなと思って」

「話したことがないというより、語ることがあまりない、と言ったほうが正しい」

「五十年もあったのに?」

「その間、わたしはほとんど他人と接していないから」


 そう言いながらも、エターナは当時の思い出を語る。


「この家で、わたしは被験者として暮らしていたことは話したとおり」

「親代わりのキンダーさんとクローディアさん、だったよね」

「そう、人間に魔族の特性をもたせる実験。結果としてわたししか生き残らず、お父さんとお母さんは処分されそうになったわたしを、密かに馬車に載せて王都の外に逃した」


 台車の荷物の間で揺られながら、見知らぬ土地へと運ばれていくエターナ。

 馬車が止まった場所は、本当に一度も聞いたことのない田舎だった。


「とにかく人に見つかってはいけない。そう思ったわたしは、無謀にも山に向かって突き進んだ。幸い、魔法は使えたからモンスターに襲われても死ぬことはないし、何なら食料の確保もできる」

「たくましいね……」

「貧民街で暮らしていた頃の経験が活きたんだと思う。そうやって何日か山をさまよったわたしは、誰も使っていない小屋を見つけて、そこを根城に使いはじめた」


 最初、家の中は荒れ放題汚れ放題で、とてもではないが人間が住める状態ではなかった。

 しかし、貧民街に比べればどんな場所でも、屋根があるだけ幸せである。

 それにエターナには魔法がある。

 掃除は簡単に終わるし、応急処置ではあるが、屋根の雨漏りを防ぐのだってお手の物だ。


「山菜や木の実を集め、獣を狩って家に帰る。わたしはそんな生活をしばらく続けた。未来のことなんてわからないけど、そんなことを考える暇もないほど、必死に毎日を過ごしていた。ただ、生き残るためだけに」

「薬草の知識は、そのときに?」

「元々、実験を受けていた頃に医療や薬草に関する知識は得ていた。そこから拡張していった、といったほうが正しい。その生活に慣れてくると、次第に余裕も出てきて、わたしは様々な研究を行うようになった」

「昔から実験とか好きなんだね」

「お父さんとお母さんの影響が大きい。わたしにとって、あの二人は憧れでもあったから。ただ、そうやって山の中で暮らしていると、たまに迷い込んでくる人間もいる」


 エターナはその出来事を想起し、悲しげに目を細めた。


「……まあとにかく、そういうことがあって」

「待ってよエターナ、今、何か思い出したんじゃない?」

「あまり気分のいい話じゃない。今日みたいな日には聞かせたくない」

「この際だし、吐き出しちゃおうよ。今さら迷うようなことじゃないと思う」

「……」


 黙り込むエターナ。

 だが、インクからはそういう話を聞き出したばかりだ。

 自分だけは、というわけにはいかないだろう。


「一度、子供がやってきたことがあった。女の子だった。その子は、山で遊んでいるうちに迷ってしまって、小屋までたどり着いたらしい。怪我もしていたから、わたしは家にその子を連れ込んで、治療をして、麓まで送っていった」

「優しいね、エターナは」

「……でも、それから二十年ぐらい経ってから、わたしは彼女と再会することになる」

「お礼を言いに来たとか?」


 エターナは首を横に振った。


「その頃はちょうど、村のあたりで流行り病が起こっていた。農作物もあまり取れなくて、栄養状態が悪化していたこともあって、病はまたたく間に広まっていった」

「それとエターナに何の関係があるの? 助けたとか?」

「違う。たまに迷い込んだ人間を助けているうちに、わたしはいつの間にか“魔女”と呼ばれるようになっていた。もちろんそれは噂に過ぎないけれど、魔女という名は、悪人に仕立て上げるにはちょうどよかった」

「あ……」

「麓の村の人々は、武器を手に山を上り、わたしの小屋を襲おうとしていた。わたしが彼らの前に立つと、二十年前に助けた女の子は、指をさしながらこう言った。『歳を取っていない。やっぱりあいつは悪い魔女で化物なんだ』って。そして、わたしを殺そうとした」




「わたし自身、その異常性をさほど気にすることはなかった。他人と接することはないんだから当たり前。でも、歳を取らないっていうのは、普通はとても不気味なこと」

「そんなことないよっ!」

「見る人によっても感覚は変わる。誰も彼もが、当たり前のように受け入れてくれる――そんな都合のいい世界は存在しない」

「じゃあ、変えちゃえばいい!」

「難しい。それは理想かもしれないけれど、一方で違う理想を抱く人を排除することでもあるから。それに、それは普通の人間だって変わらない。好き嫌いなんて当然存在するし、すべての人間がわかりあって、仲良くなって――そんな世界があるわけがない。だからわたしは、インクがわたしのことを好きだと言ってくれるだけで十分。それに加えて、フラムやミルキット、キリル、ショコラ――とにかく色んな人が、今のわたしを受け入れてくれている。こんなに幸せなことはない」


 インクにしたって似たようなものだ。

 元は目が縫い合わされていた――それだけで、いい顔をしない人はいるはずだ。

 加えて、オリジンコアを心臓に宿し、結果として何人もの人間の命を奪ってきたのだ。

 その事実が、すべての人に受け入れられるはずなんてない。

 身近な人たちが受け入れてくれている。

 愛してくれる人すらいる。

 そんな環境が、どれだけ幸せで、恵まれていることか。


「……難しいね、生きてくのって」

「だから手元に幸せの源があるかないかで、満足度が変わってくる」

「ん……そだね。好きな人が、あたしのことを好きって言ってくれる。そして、近くにいてくれる。それって、とても恵まれてるんだよね」

「だから大事にしていきたい――って、話が逸れてしまった」

「ああ、そうだった。それで、そのあとエターナはどうなった……ううん、どうしたの?」


 ただの村人たちが退去して襲いかかったところで、エターナが負けるはずがない。

 だから選ぶのは、彼女なのだ。


「全力で悪者になって脅した」

「それでよかったの?」

「諭したって話なんて聞かない。だから、邪神みたいなものを演じて、『お前たちが死体を放置するから邪念が増えているぅー』とか『あの神聖なる薬草無しでわたしに勝てると思わないんだなぁー』とか言って」

「アドバイスしてる……」

「あまり病が広まりすぎるのは、わたしとしても望むところではなかったから。そしてじきに流行病は終息して、わたしの小屋には誰も近づかないようになった」

「……喜んでいいのかわからないね」

「厄介事は去った。それだけでわたしにとってはプラス」

「そうだけどぉ……」


 ショックを受けなかった、と言えば嘘になるのだろう。

 だがエターナは気にせずに、一人きりでの生活を続けた。

 おそらく心のどこかで、ずっと『自分はまともではない』という意識があったのだろう。

 だから、二十年という時を経て、化物扱いされても、それを受け入れられてしまった。


「でも、それからオリジンのお告げってやつを受けて、キリルたちとの旅に参加するんだよね。どういう心境の変化なの?」

「いつか両親にまた会いたいと思っていた」

「罠とか思わなかった?」

「さすがに五十年も経っていれば、王国の人間も入れ替わってる。それに呼びに来た連中は、わたしに“実験体”としての価値を見出している様子はなかったから……まあ、それがあんなことになってしまったわけだけど」

「エターナ……」


 エターナが思い出すのはもちろん、ネクロマンシーとやりあったときの出来事だ。

 偽りとはいえ、彼女はキンダーとクローディアに再会し、一時の安寧を得た。

 夢のような一時だった。

 だがそれは、悪夢だった――


「あのさっ、でもあたし、思うんだ。やっぱりエターナって、根っこからすっごく優しい人なんだなって」


 インクは強引に話題を変えて、暗くなりそうな空気を切り替える。


「だって、村の人たちに襲われて、それだけで誰も信じられなくなりそうなものなのに、いざ旅に参加したら、フラムに色々教えてたんだよね?」

「それはフラムが『少しでも役に立ちたい』と頼んできたから」

「でもガディオと一緒に教えたんでしょ? 断ることだってできたのに」

「まあ……」

「というか、あたしの命を救ってくれて、守ってくれて、目まで作ってくれて、その時点でもう最高に優しいことは間違いないんだけど。改めて、素敵な人に見初められちゃったな、って思ったわけです」


 惚れ直した、というやつだろう。

 直す必要もなく、すでにインクのエターナに対する好感度はメーターを振り切って、振り切った先の限界値まで達しているのだが、それすらもオーバーしてしまいそうな勢いだ。


「とりあえず……わたしの過去に関しては、こんなもの。まだ話そうと思えば細かい話題はいくつもあるけど」

「それは追々、かな」

「うん、時間はたっぷりあるから」

「たっぷり……たっぷりかぁ……あたしもそう思ってたんだけど、そろそろ十五歳なんだよねぇ……時の流れは早いなあ」


 しみじみと言うインク。

 エターナは突っ込まずにはいられなかった。


「まだそういうことを考えるには早すぎる」

「エターナはいつまでも若いからさあ。あたしはもう衰えが見えてきて……」

「そんなわけがない。まあでも、時間がないことは確か。そう思って、とある人物に相談してきた」

「……相談?」

「わたしは一応英雄という扱いだから、重要なことは前もって言っておいたほうがいいと思って」

「何の話をしてるの?」

「そうしたらやっぱり、準備に一年ぐらいはほしいと言われた。相談しておいてよかった。インクはもうじき十五歳になる。十六歳になるまでもう一年しかない」

「それって……エターナと結婚できる年齢だよね?」


 エターナは頷くこともせず、どんどんと話題を勧めていく。


「ああ、そうだ。年齢といえば、先日セーラに相談してちょっとした検査を受けてきた」

「ま、待ってエターナ、あたし混乱してる! 何の話をしようとしてるの?」

「最後まで聞いてくれればわかる。とにかく、検査をして、結果が出た」

「う、うん……」


 いつになく強引なエターナに、戸惑うインク。

 そしてエターナはさらっと、とんでもなく重要なことを言い出した。


「わたしの寿命について」

「えっ……」


 言葉を失うインク。

 それは過去の話以上に、彼女が触れようとしなかった話題だ。


「元々わたしは、魔族の因子を埋め込む実験の“成功例”だったわけだけど、それがわたしの肉体にどういう影響を及ぼしたのか、具体的には知らない」

「前にも言ってたね。いつまで生きられるか、自分でもわからないって」

「その答えが出た」

「……どれぐらい、だったの?」


 インクはきゅっと太ももの上で拳を握り、真剣な表情で尋ねる。

 エターナは相変わらず表情を変えず、淡々と口を開いた。


「結論から言うと、わたしの寿命は魔族と同じぐらい。つまり――病気や事故がなければ、七十年前後は生きられるそう」


 それを聞いて、ガタンッ! と勢いよく立ち上がるインク。

 そして両手を天にかざし、思わず叫んだ。


「あたしとあんまり変わらないってことッ!?」


 インク自身の寿命も明確ではないが、今のところ、体の状態は普通の人間とほとんど変わらない。

 つまりエターナと同じぐらい生きられるということだ。


「うん」

「じゃあ、じゃあ、本当の本当に、本当の意味で、ずっと一緒にいられるんだねっ!」

「そういうことになる。だから、安心して伝えられる」

「伝えるって……何を?」


 エターナは視線を、ケーキの上に乗るマジパン人形に移した。

 すると水色の髪をした人形はすくっと立ち上がり、近くに置かれた箱を持って、インクの前まで歩いていく。


「えっ、えっ、ええぇっ!? 生きてる!? 人形が生きてるのっ!?」


 驚くインクをよそに、人形は箱を彼女に差し出し、ぱかりと開いた。

 中では、金剛石がはめこまれた指輪が輝いている。


「予定より少し早いけど、受け取って欲しい」


 その指輪が意味することなど、一つしかない。


「もしかしてこれって……婚約指輪?」


 エターナは静かに、しかしはっきりとうなずいた。


「じゃ、じゃあさっきの話は、もしかして……あたしの誕生日に結婚式をするとか、そういう話? だから、前もって準備が必要とか……」

「そうできたら素敵だと思った。ただ、毎年の結婚記念日が誕生日と被るから、もしインクが別の日を望むなら――」

「ううん、それがいいっ! そして毎年お祝いしようっ、誕生日と結婚記念日を一緒に! 七十回だって、八十回だって!」


 断る理由など、何一つ――本当に何一つとして見当たらない。

 すべては望んだことだ。

 インクが望んでいることを、特に言葉にしたつもりもないのに、エターナはすべて叶えてくれようとしている。


「ああ……そっか、だからエターナ、ずっと緊張して……ふふふっ、そうだよね、指輪を渡すなんて、緊張するに決まってるもんっ。あー、なんだぁ。いや、なんだっていうか、あたし、もう今、頭のなかがわけわかんなくなってるんだけどぉっ!」


 インクは両頬に手を当て、あっちを見たりこっちを見たり、せわしなく動き続けている。

 一方でエターナは席を立ち、その指輪を手に取ると、インクと向き合った。


「付けてもいい?」


 そう言って、エターナの左手が差し出される。

 インクは震える左の指を、ゆっくりと、その手の平の上に置いた。


「お願い、します……」


 返事を聞いて、エターナは魔法で作った手で、ゆっくりと、その左手の薬指に指輪をはめる。

 その人生のすべてを共に歩む――その決意と覚悟を、胸に秘めて。

 ほんのり冷たいその冷たい感触が、薬指の深くまで進む。

 エターナの手が離されると、インクは自らの手で輝くその指輪を顔の前まで持ってきて、凝視した。


「えへ……えへへ……あたし、本当に、エターナのお嫁さんなんだ……」


 決まっていたことだった。

 途中で立ち消えることなんてありえないとも思っていた。

 だが、こうして形として指に収まっていると、感動もひとしおである。

 自然とインクの瞳から、涙が流れ落ちる。


「エターナの、お嫁さん……あたしが……っ」


 エターナは流れる涙を、そっと指で拭った。

 するとインクは泣きながらも笑い、胸に溢れる感情を、そのまま言葉にして伝える。


「エターナ、ありがとうね。あたし、本当に幸せだよっ。それと、これからも、もっともっと幸せになるよっ! だってエターナが一緒にいてくれるから……ずっと、一緒に……っ」


 しかし高ぶりすぎた感情が、今度はその言葉を妨害する。

 伝えたいことがたくさんあるのに、まだまだ足りないのに。

 そんなもどかしさを察して、エターナはインクの頭を、涙ごと胸に抱きしめる。

 インクはぐりぐりと顔をこすりつけて、胸いっぱいにエターナの匂いを吸い込んだ。


「ああ、もう本当に、あたしエターナのこと好きすぎてどうにかなっちゃいそう……!」


 もうとっくにどうにかなっている。

 だが、もっとどうにかなっていく。

 もうとっくに取り返しなんてつかないのに、より深みにはまっていく。


「はぁ……あぁ……こんな、こんなとびきりのプレゼントをもらったら、あたしのほう、霞んじゃうかも……っ」

「何か用意してくれたの?」

「うん……ほら、さっき着替えたとき、あたしこのリボン外さなかったでしょ?」


 インクは一旦エターナから体を話すと、頭に付けられた赤いリボンを指差した。


「その……リボンってね、さっきのエターナの指輪が入ってた箱もそうだけど、プレゼントに付けるもの……なんだよ」


 瞳が潤む。

 上目遣いで、彼女はエターナを見上げる。


「だから……その……」


 ここまで言えば、エターナだって何をいいたいかのは理解できる。

 だがやっぱり、インク自身の言葉で聞きたいと思った。

 これはいじわるなのだろうか。

 いや、違うはずだ。

 誰だって、エターナに限らず、そうしただろうから。


「あ……あたしを、受け取ってほしいんだっ!」


 人生のみならず、そのすべてを。

 恋人ならばいつかはたどり着く。

 けれど、これまでは何となく、避けてしまっていた、キスより先の関係。


「もうお嫁さんになったんだから、いいよね?」


 そんな理屈を言われては、拒むことなどできるはずもなかった。

 しかもおあつらえ向きに――とはいえエターナ自身が仕組んだ状況なのだが――フラムもミルキットもキリルもショコラもいない。

 明日の朝まで、この家にはエターナとインクしかいないのだ。


 エターナは返事代わりに、本日二十五回目のキスを交わした。


 聖夜は静かに更けていく。

 降り注ぐ雪の冷たさも関係なく。

 熱く、とろけるような甘さで――



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