断片1 うずらよりも染みてて芋よりも甘い
ある日、インクが大量の芋を抱えて帰ってきた。
「通りがかりでシートゥムに会ってね、何か芋あげるって!」
最近、魔族はコンシリア郊外で魔術を使った農業をやっているらしい。
極寒の地だった魔王城周辺では作れるものも限られていたが、このあたりは比較的温暖な気候なので、色んな作物が出来て楽しいとか何とか。
しかし、首にタオルを巻いて畑に立つシートゥムのその姿は、相変わらず魔王の威厳もへったくれもない。
「これが噂の魔族芋……」
エターナは紫色のそれを手にとって、神妙な顔をしながら言った。
「魔族芋ってなんです?」
フラムが首をかしげると、ミルキットが代わりに答える。
主婦であるミルキットは、この手の食材について詳しいのである。
「近頃巷で噂の、超高級芋です。既存の芋と違って、なんと……!」
「なんと?」
「生で食べても甘いそうなんですよ……!」
「生で? 芋を!? それってあれじゃないの? よく雑誌とかラジオである、野菜を生で食べて『あまーい!』とか言うけど、実際にやってみると大したこと無いどころか滅茶苦茶辛いあれと違うの?」
「そうじゃないんです。一口サイズに切ってみますから、ご主人様も体験してみてください」
芋を一個だけ持ってキッチンに移動するミルキット。
フラムはその後ろ姿を見て今日の朝のことを思い出してムラッと来たが、エターナの前なのでぐっと欲望を押さえる。
だがエターナはそんなフラムの視線に気づき、呆れた表情である。
「エターナさん……何でそんな目で私を見るんですか」
「リビドーが顔に出てるから」
「りびどー?」
「いやらしい気持ちのこと」
「それを我慢したんですから、むしろ褒めていいんじゃないでしょうか!」
「別にわたしは何も言ってないから。叱ったわけでもない。ただじとーっとした目で見てただけ」
「湿度が高すぎますよぉ!」
「湿度が高い……エターナが湿った目でフラムを見ている……エターナが……フラムに湿らされている……!」
「インク、それは色々と違う」
「あたしもエターナを湿らせたい!」
「だから違う」
「じゃああたしを湿らせてよ、エターナ! それならいいでしょ!?」
「水をぶっかけてほしいの?」
そんないつもどおりのやり取りをしているうちに、ミルキットは切った芋をこちらに運んできた。
そして皿をテーブルの中央に起き、フラムの隣にぴたりと座る。
「はい、これが魔族芋です」
「生なのに黄色が強いね……」
「蒸すともっと黄色くなって、柔らかくなるんですよ」
「へえー、それも美味しそうだけど……生かぁ。生の芋かぁ。それじゃあパクッと……」
フラムは芋をひとつまみし、口に放り入れる。
インクやエターナもほぼ同時に食べると、カリコリと音を立てながら咀嚼した。
するとフラムとインクの目がキラキラと輝きだし、エターナもどことなく嬉しそうな表情を浮かべる。
『あまぁーいっ!』
声を揃えるフラムとインク。
ミルキットは主の幸せそうな顔を見て、にっこりと笑った。
「甘い、甘いよこのお芋! いや、甘すぎないんだけど、ほどよい甘さっていうか!」
「おやつ感覚で食べられそうだよねー!」
「うーん、さっきまで甘いものを食べていたのが惜しまれる甘さだぁ!」
「ご主人様、そう思ってこちらにしょっぱいものを用意してあります」
「ハッ、それは先日シートゥムからもらったうずらの卵の煮付け! これも……んんーっ、やっぱり美味しい! 黄身まで味が染みてるのがいいんだよねぇ……!」
「フラムは酒飲みになりそう」
「エターナさん、それは偏見ってやつですよ。そもそもですよ、イカの珍味とかもそうですけど、味がちょっと濃いものがあるとみんな『お酒のおつまみ』って呼ぶじゃないですか。あれがおかしいんですよ。美味しいものは美味しいんですから、お酒無しでも美味しくっていいはずなんですよ!」
「その味覚がそれっぽい……いやでも冷静に考えてみれば、フラムにお酒は必要ないのかもしれない」
「何でです?」
「常にミルキットに酔ってるから」
そう指摘されて、フラムはミルキットをじーっと見つめた。
ミルキットは伴侶からの熱い視線を受けて、幸せそうににこりと微笑む。
やがて二人の視線は熱を孕み、湿り気を帯びる。
するとフラムの手の速度は加速し、ヒョイヒョイとうずらの卵がいくつも口の中に消えていった。
「ミルキットという美酒に酔うことで、フラムのおつまみの消化速度が加速していく……! よーし、あたしもエターナを見て酔うぞー!」
「酔わなくていいから。あとフラム、あんまり食べると夕食に差し支える」
「で、でも、ミルキットを見ていると止まらないんですッ!」
「ご主人様ぁ……」
「ミルキットぉーっ!」
「わかった。じゃあ言い換える。あんまり食べると“ミルキットが作った”夕食に差し支える」
「あ、わかりましたやめます」
スッと止まるフラムの手。
エターナもすっかり彼女の扱い方に慣れたものである。
「というわけでうずらのテイストで口の中に塩気が満ちたところで……もう一度、芋を食べる!」
気を取り直して、再び芋を口に運ぶフラム。
すると、先程よりも遥かに強い甘さが口の中に広がった。
一緒に、どこかフルーティとも感じられるほど香りも、鼻腔の奥まで染みていく。
「んふぅーっ! デリシャースッ!」
「まあ確かに、大した甘さだよね。生でここまでの味を出せるなんて、これは人間の農家は戦々恐々としているかもしれない」
「そのあたりを気にして、あんまり数は作ってないって言ってたよ。シートゥムが」
「高級路線で行くならそれでいい。それにしても……蒸したらどこまで甘くなるんだろう。興味が湧いてきた」
「やってみますか? すぐに作れますよ」
「じゃあお願いする」
「生でこれだもんねぇ。火を通したら、ひょっとするとフラムとミルキットの関係よりも甘くなっちゃうかも!」
インクの言葉に、フラムとミルキットの動きがぴたりと止まる。
「……インク」
エターナは目を細めながらインクを見た。
「あっ、エターナの視線がすごいっ! これが湿ってるってやつなんだね!」
「うん、湿度100%」
「びしょびしょだーっ!」
「それだけ呆れてるということ。そんなこと言ったら、あの二人がどうなるかわかってるはずなのに」
「え? あっ……」
インクも自分の失言に気づいたのか、気まずそうに頬をひくつかせる。
一方でフラムは席を立ち上がり、強い覚悟を秘めた表情でミルキットの手を取った。
「ミルキット……私たちの関係が、芋より甘くないなんてこと、無いよね?」
「はい、ありません。私は誰よりもご主人様を愛していますから」
「私も、ミルキットを愛してる……んっ」
抱き合い、唇を重ねる二人。
ミルキットもフラムの背中に腕を回し、強く強く体を押し付けた。
「でも、芋なんかに負けないってこと、証明しないと私が我慢できないかも」
「我慢しないでください。いつだって、私はご主人様に求められることが、この世で最高の幸せなんですから」
「ミルキットがそう思ってくれることが、私にとっての幸せだよ」
「ご主人様……本当に、あなたと出会えてよかったと、心の底から思います」
「うん、だからこそ――私たちはあの芋に勝たなくちゃならない」
「はい、やっつけましょう! 二人で!」」
謎の感動が二人を包む中、エターナは頬杖を付きながら、ポリポリと芋を食べていた。
「……キリルとショコラは仕事中だからいない。もう誰も止められない」
「エターナが頑張れば止められるんじゃない?」
「わたしはがんばりたくない。休日だから」
「なるほど!」
ちなみにフラムとミルキットは何かに芋を使おうとしたが、それだけはエターナに阻止された。
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