最終話 彼女が望んだものと、彼女が掴んだもの。

 



 フラムから知らされた新たな遺跡の調査結果に、パトリアはにわかに沸いた。

 多くの人々は、当時の死体がそのまま残っているという話に怯えていたようだが、村長は新たな観光資源が見つかったんじゃないかと喜んでいる。

 ちなみにパイルは、なにやらマリンに怒られているようだが――まあ、フラムとミルキットには関係ないことだ。

 もちろん前世云々の話はしていない。

 話したところで、余計に混乱させてしまうだけだろうから。


 フラムとしては、できればすぐにでも彼らを弔いたかったが――しかし、おそらくあの遺跡から出た瞬間、死体たちは腐敗してしまうだろう。

 そういった処理も含めて、コンシリアから応援を呼んだほうがいいという結論になり、実家に戻ったフラムたちはセーラと連絡を取ることにした。


『パトリアに遺跡っすか? しかも、死体が当時のまま残ってるなんて、研究者たちが知ったら飛びつくっすね』

「だからセーラちゃんに話したの。できれば研究材料にしてほしくないから」

『もちろん引き受けるっすよ。教会という名前が無くなったとはいえ、死者の弔いはおらたち組合の仕事っすから。今はちょっと忙しいんで、すぐに派遣ってのは難しいんすけど……』

「それは仕方ないよ。時間がかかってもいいから、お願いしてもいい?」

『わかったっす、手配はすぐに済ませるっす』


 パトリアまでの移動となると数日かかるため、チームの派遣にもそれなりにコストがかかる。

 フラムのお願いながら組合も二つ返事で聞いてくれるだろうが、自分の立場を利用して負担をかけるのは少し気が引けた。

 とはいえ、あの遺跡をいつまでも放置しておくわけにはいかない。


『ところでフラムおねーさん、その遺跡って……偶然見つかったんすか?』

「なんで?」

『なんかおねーさんの話し方に含みがあるような気がしたっす』

「そうかなぁ?」

「この様子だとセーラさんは気づくだろうな、と私も思ってました」


 フラムの横にぴったりとくっつくミルキットが言った。


「ミルキットまで……」

『やっぱりなんかあったんすね?』


 これは隠し通せそうにない。

 セーラが鋭いのか、はたまたフラムがわかりやすすぎるのか。

 フラムはバツが悪そうに頭をかくと、遺跡で起きたことをセーラに語った。

 彼女もオリジンとの戦いに参加したのだ、聞く権利はあるはずだ。


『前世って……これまたすごい話になってるっすね』


 案の定、セーラの反応は鳩が豆鉄砲を食ったようなものだった。

 当然である。

 フラムにだって戸惑いはあったのだから。


「私もいまいちピンと来てないんだろうけど、状況からして間違いないだと思う」

『つまりフラムおねーさんとミルキットおねーさんは、運命の赤い糸で結ばれていたと』

「どっちにしたって私がミルキットのこと愛してるって事実は変わらないから」


 さらっと言い切るフラム。

 ミルキットは頬を赤らめながらもにやける。


『さすがっす』

「ネイガスさんだっていつもセーラちゃんにそんなこと言ってるでしょ?」

『あれには誠実さが足りないっすから』

「ふふふ、手厳しいですね」


 苦笑するミルキットだが、彼女はなんとなく、セーラが普段はネイガスへの気持ちを抑えていることに勘付いている。

 見抜いているというより――隠そうとするあまり、時折不自然になっているようで。

 ミルキットに限らず、組合でセーラに近い位置にいる人間は、結構な割合で気づいているようだ。


『あ、そうだ。もしかして、遺跡の調査とかで帰るのが遅れたりするっすか?』

「ううん、私は別にあそこをこれ以上調べるつもりはないから。でも、帰るのが遅れるとなにか困るの?」

『そういうわけではないっすけど、寂しがる人もいそうっすからね』


 誰だろう――と考えるフラムの頭に浮かんだのはキリルの顔だった。

 エターナはそういうタイプではないし、インクもエターナがいれば寂しがりそうにない。


『それじゃあ、さっき言ったとおり、組合から何人か向かうよう手配はしておくっすね』

「うん、お願い」

「また連絡しますね、セーラさん」


 フラムは恐る恐る画面に触れ、通話を切った。

 そして「ふぅ」と肩の力を抜いて息を吐き出す。


「ご主人様は残りの日数、どうするおつもりですか?」

「んー……まあ、セーラちゃんには頼めたし、遺跡に触るつもりは無いかな。どうせ浮かれた村長が今日も宴を開くだろうから、夜の予定は埋まってるし……」

「マリンさんとパイルさんのところに遊びにもいくんですよね」

「うん、それは明後日ぐらいがいいかもね。パイルのやつ、マリンに絞られてるみたいだし」


 パイル自身、まさか遺跡があんな代物だとは想像もしていなかったはずだ。

 軽い気持ちで、子供の頃のように探検したかっただけである。

 もっとも、そもそも遺跡にいくこと自体をマリンに伝えていなかったので、怒られるのは自業自得といえばそうなのかもしれない。


「プラムさん、かわいかったですよね……」


 赤ちゃんにさん付けするミルキットのほうがかわいい、とフラムは思った。


「ミルキットって子供は好き?」

「特に考えたことはありませんが……好きなんだと思います」

「欲しい?」

「へっ? え、えっとぉ……ご主人様との子供だったら、ほしいです」


 もじもじと指をいじりながら、恥ずかしそうに言うミルキット。

 今度のかわいさは暴力的だった。

 我慢できず、がばっと抱きつくフラム。

 そのまま頭をうたないよう素早い動きで座布団を移動させ、カーペットの上に押し倒した。


「うひゃあうっ!? ご、ご主人様……っ、まだお昼ですよ……?」

「どうせ夜まで暇なんだから、今日は存分にミルキットといちゃつく予定だったの」

「ん、ふっ……耳、ダメです……ぁ、は……わかり、ました……ご両親に気づかれないよう、がんばり……ますっ」


 ミルキットのいじらしい反応に満足気に微笑むと、フラムは彼女の首に顔を埋めた。




 ◇◇◇




 それからパトリアで過ごした数日間は、ごくごく平和に過ぎていった。

 なにも起きなかったわけではないが、プラムのお守りを任されたり、モンスターの駆除を頼まれたりと、平和そのものである。

 もちろん、実家の畑の手伝いだってした。

 ステータス0だった頃と違い、驚くべき速さで作物を収穫し、人間離れした怪力で重たい荷物を運ぶフラムに両親は目をまん丸にして驚くと同時に、娘の成長を喜んでいたようである。

 まあ、それをまっとうな成長と呼んでいいのかはわからないが、『二人が喜ぶならまあいいか』とフラムも納得することにした。


 田舎で過ごす時間は、都会であるコンシリアよりもずっとゆっくりと進んでいき、ミルキットもすっかり馴染んだようである。

 最後まで、本当に何事もなく――強いて言えば、ぼそりと両親に『パトリアに戻ってきてもいいんじゃないか』と言われたのが一番大きなイベントだろうか。

 寂しがる二人の気持ちもわかるが、しかし今のところそのつもりはなかった。

 帰るべき家は、コンシリアにあるのだ。


 そして、終わってみればあっという間に日々は過ぎ、パトリアを出る日がやってきた。

 頼んでおいた馬車が村の入り口に来ると、持たされた大量のおみやげと一緒に、フラムとミルキットは客車に近づく。

 見送りには、出迎え同様に村の人々全員が揃っていた。


「それじゃあ、そろそろ行くね」

「ああ、できるだけ早く帰ってくるんだぞ。父さんも母さんも、いつだって待っているからな」

「また寂しくなるわねぇ……」


 笑顔の父とは対照的に、母は涙ぐんでいる。

 親の涙に子は弱いもので、フラムも釣られて目が潤みそうになっていた。


「お母さん……大丈夫だよ、その気になれば十分でここに来れるんだから」


 肩に手をおいて慰めるが、気持ちはわかる。

 幼い頃、他の村から遊びに来た親戚が帰る時、寂しくてフラムも泣いていたものだ。

 またすぐに会えたとしても、別れに涙を流してしまう人はいるものである。

 ようやく落ち着いた母から離れると、今度はプラムを抱いたパイルが近づいてきた。


「ほーら、お姉ちゃんが帰っちゃいまちゅよー? プラム、バイバイは?」

「……?」


 プラムはフラムではなく、赤ちゃん言葉の父親を不思議そうに見ている。


「ふふっ……」

「おい、なんで笑うんだよ」

「いやぁ、この前もそうだったけど、父親やってるパイルがなーんかおかしくってさ」

「なっ、お前なぁ、俺はパトリアでも評判のいい理想の父親って言われてるんだぞ!?」

「はいはい、話を盛らないの」


 呆れ顔のマリンが言った。

 彼女が近づいてくると、プラムは大好きな母親を求めて、彼女に手を伸ばす。


「あれぇ、おかしいなぁ。プラムちゃんは理想の父親よりマリンのほうがいいみたいだけど?」

「ぐっ……そ、そんなことないでちゅもんねー? プラムはパパのこと大好きでちゅもんねー?」

「だぁうっ! あー!」


 パイルの言葉に反応してか、プラムはちょっと不機嫌そうに声をあげ、手を振り回す。


「パイル、このままじゃプラムが泣いちゃうからこっちに」

「わかったよ……ちぇっ」

「ふふふ、そんな落ち込まなくても、やっぱり子供っていうのは母親のほうが好きなもんなんだと思うよ」

「パイルってば、なかなか自分に懐いてくれないからって私に嫉妬してるの」

「マリンも大変だねぇ」

「フラムがわかってくれて嬉しい」

「お前らなぁ……」


 落ち込むパイルの背中から負のオーラが立ち込めているようにも見える。

 まあ、子供にはそういう時期もある。

 もう少し大きくなれば、『パパ』と呼んで、しばらくの間は父親にも懐いてくれるだろう。

 それから先、成長したときにどうなるかはパイル次第だが。


 そして別れを済ませると、フラムとミルキットは馬車に乗り込んだ。

 御者が鞭を振るうと、馬が歩きだす。

 窓から見える村人たちは、その姿が豆粒のように小さくなっても、大きな声をあげて手を振り続けていた。




 ◇◇◇




 完全にパトリアが見えなくなったところで、ミルキットが口を開く。


「温かい村でした……」

「うん、いいとこだよねぇ、ほんと。久々に帰って、それを改めて実感した」


 最初は時の流れに戸惑いもしたが、今ではそのわだかまりもすっかり消えている。

 どれだけ年月が過ぎても、人はそうそう変わらない。

 表面上は大人になったって、根っこの中身はそのまんまだ。

 懐かしい、あの頃のままのフラムが目の前に現れたのならなおさらに。


 馬車の中で、会話はほとんど無かった。

 昨日も宴で疲れているというのもあるし、二人が互いにこの沈黙に心地よさを感じているのもある。

 肩を触れ合わせ、指を絡めあい、互いの感触、互いのぬくもりを感じあう。

 ただそれだけの時間が、どれほど幸せなことか。

 たまに目があうと、唇を重ねて微笑んでみたり。

 想いがあふれて、耳元で愛を囁いてみたり。

 たとえ静かであっても、二人の仲の良さは見ていればわかる。

 馬を操る御者が、漂ってくる甘い空気に若干の気まずさを感じていたのは言うまでもないことだ。


 パトリアからコンシリアまで、馬車で三日の旅となるわけだが、帰りは行き道とは違うルートを通ることになっていた。

 今回の里帰りは、いわば新婚旅行も兼ねている。

 そのため、宿泊予定地の町には余裕を持って到着し、二人で観光を楽しむつもりなのだ。


 最初に訪れたのはフローレンス。

 パトリアからみると北にあるこの町だが、コンシリアからはまだまだ離れているので、そこまで栄えているわけではない。

 だが観光客はそこそこ多い。

 彼らの目当ては、町の周囲に広がる広大な花畑。

 どの季節も楽しめるように何種類もの花が植えられており、四季折々、異なる景色が見れることで評判の場所だ。


 次の日はウォテスへ。

 この町もさほど都会ではなく、地元の住民が暮らす家よりは、観光客のための宿や貴族の別荘のほうが多いような場所である。

 ここの見どころは、なんといっても、東にある森を抜けた先にある滝である。

 コンシリアよりも南にあるのだが、滝の周辺は非常に涼しく、暑い時期になると人でごった返すほどの人気スポットだ。

 特別暑くない今の時期でも、人はそれなりに多い。


 コンシリアに到着する前日に訪れたのは、フィアロという町。

 ここは前二つに比べれば町そのものが大きい。

 だが観光地というよりは、コンシリアに向かう途中、あるいはコンシリアから物を運ぶ道中で立ち寄る中継地点としての役割が大きい。

 しかしここには現在、王国全体を旅して回る、サーカスのキャラバンが訪れているとのことだった。

 モンスターを手なづけ、高度な芸を披露する彼らは、王国で知らぬ者はいないほど有名である。

 それ目当てに、いつもよりも沢山の人で溢れている。

 そこに世界を救った英雄であるフラムが来ようものなら、騒ぎに歯止めがかけられなくなる。

 というわけで、他の町と違い、フィアロには変装をして忍び込み、サーカス公演にも裏口から入れてもらうこととなった。


 もちろん、各町で泊まる部屋は王国がスイートルームを手配している。

 出てくる食事も、普段は手が出ないような高級料理ばかり。

 もうこうなると、場の雰囲気に緊張してみたり、未知の食感に驚いてみたりと、食事の味どころではない。

 ミルキットは必死に料理の研究をしているし、本来の楽しみ方からはズレているような気もするが――だがそれも醍醐味というもの。

 部屋が豪華すぎてなかなか眠れなかった記憶も、過ぎてみればいい思い出だ。


 そしてフィアロを出てから数時間後――ようやくコンシリアが見えてきた。




 ◇◇◇




「おー、やっと見えてき……ん?」


 城壁を見て声をあげたフラムだったが、急に馬車全体が大きな影に覆われた。


「なんだあ、ありゃ……」


 前に座る御者が、空を見上げて驚いている。

 ミルキットは彼に問いかけた。


「御者さん、どうかしたんですか?」

「あれですよ、あれ」


 彼は空を指差す。

 フラムとミルキットがそこを見上げると――


「うわ、すごい……」

「なに……あれ。船が空を飛んでる!」


 フラムの言葉通り、巨大な船が、翼らしきパーツを羽ばたかせながら浮かんでいるのだ。

 そのさまは、まるで大きな魚が優雅に遊泳しているようでもあった。

 今までも飛竜や魔族が空を飛ぶのは見たことがあるし、フラム自身も経験がある。

 だがそれが船となると話は別だ。

 自身が魔法を使っているわけでもなく、人や魔族の技術だけで飛翔しているのだから。


「コンシリアに向かってるみたいですが、大丈夫なんでしょうか」

「船体を見て。王国軍の紋章が刻んである」

「ということは、あれは軍の持ち物ということですね。でもなんで……って、あれ?」

「どうしたの、ミルキット」

「いえ、城門あたりに人がすごく集まってるんです」

「ほんとだ……」


 ミルキットの言うように、城門前には“すごく”人が集まっている。

 そう、その数がとてつもないのだ。

 だが道を塞いでいるわけではなく、馬車が通れるだけの広さは確保してあった。

 フラムたちがその周辺に差し掛かると、民衆が騒ぎ出す。


「フラム様ーっ! ミルキット様ーっ! おめでとうございまーす!」

「おめでとう!」

「おめでとーっ!」


 彼らはなぜか揃って、馬車に向かって『おめでとう』と大きな声で呼びかけていた。

 人違いかとも思ったが、“フラム様”、“ミルキット様”と言っている時点でそういうわけでもなさそうだ。


「なんか祝われるようなことあったっけ……?」

「ご主人様のお誕生日でしょうか」

「今日じゃないし、ちょっと盛大すぎると思う」


 そんな話をしていると、さらにコンシリアの空に花火が打ち上げられる。

 体全体を震わすような大きな音に、二人は驚き、同時に体を震わせた。


「な、なにっ!? ほんとなにが起きてるのぉっ!?」

「わかりません。でも……とにかくすごい人です。ご主人様が戻ってきたあの日のような……!」


 あのときは、スロウとイーラ、そしてツァイオンとシートゥムという国を統べる二組が同時に婚姻を結んだからこそ、盛大な式典が行われたのだ。

 だが今日は違う。

 少なくともフラムとミルキットはお祝いや祭りの話なんて聞いていないのだ。


「もしかしてセーラちゃんが忙しいって言ってたのって……」

「このため、ですか?」


 門からコンシリア内に入ると、声援はさらに大きくなった。

 王城までまっすぐ伸びる大通りの両側は、びっしりと人で埋め尽くされている。

 見える限りでも数万人。

 人間と魔族が混ざり合い、揃ってフラムたちを祝っている。


 戸惑う二人をよそに、御者は落ち着いた様子である。

 フラムは声援でかき消されぬよう、大きめの声で彼を問い詰めた。


「御者さん、もしかしてなにか知ってるんですか!?」

「進めばわかりますよ」


 知っていると言っているようなものだ。

 だが御者は頑として答えようとはしなかった。

 確かに彼の言う通り、このまま進めがわかるのだろうが――この尋常ではない騒ぎ、心の準備無しで飛び込むにはあまりに過酷すぎる。

 待ち受ける罠、もといサプライズを前に、これまで幾多の困難を乗り越えてきた二人でも身構えずにはいられない。


「ご主人様、一体なにが起きるんでしょうか……」

「たぶん、おめでたいことだと思う……!」


 そう、間違いなくめでたいことなのだ。

 なにせ人々は口々に『おめでとうございます』と言っているのだから。

 街の上空にはさらに大量の花火が打ち上がり、特殊な魔法を使っているのか、明るい時間だというのに鮮やかな色が空を埋め尽くしている。

 加えて空からは大量の花吹雪――に似せた魔力の結晶。

 開いた窓からはらりと入ってきたそれは手に乗せるとほんのり温かく、しかしすぐに粒子となって消えた。

 魔法なら可能だろう。

 だが、これだけの量を生み出すのに、いったいどれだけの施設とお金がかかるのか。

 魔導列車も特別にデコレーションされて街中を走り、馬車に近付こうとする新聞記者はいつの間にか警備についていた王国軍の兵士に取り押さえられる。

 試しにフラムが軽く手でも振ろうものなら、歓声というよりは、もはや絶叫に近い声が聞こえてくる。


 前もってわかっているのなら、こうも戸惑いはしない。

 いや、サプライズ自体も嫌いではないのだが――


(こう、物事には限界があるというか……)


 これは完全に、国をあげての大行事だ。

 下手すれば、国王や魔王の結婚式よりも盛大な。

 そりゃあ緊張もする。

 そしてこの先に待つものがなんなのか――フラムとミルキットは薄々気付き始めていた。

 ならばなおさら緊張は高まる。


 そして馬車は、北区の大聖堂前に到着した。

 ここには多くの兵士が配備されており、民衆は遠くから見守ることしかできない。

 フラムとミルキットが下りてくると、その兵士たちは一斉に敬礼した。


「壮観だね……なんか自分が偉い人になったような気がしてきた」

「いえ、ご主人様は実際偉い人になってるんだと思いますよ」


 でなければ、こんな盛大な出迎えなどできるはずがない。

 フラムたちが体を寄せ合いながら周囲を見ている間に馬車はどこかへ去っていき、二人はぽつんと残されてしまった。

 そこに近づいてくる、二人の人影。


「ふふふ、私のプロデュースした演出はどうだったかしら?」

「イーラとスロウ!」


 以前からの習慣でフラムは二人をそう呼んでいるが、国王と王妃を呼び捨てで呼べるのは彼女ぐらいのものである。


「楽しかったでしょう?」

「やりすぎだから! 楽しむ前に怖かったって!」

「あなた小心者ですものねぇ」

「イーラ、わかってたやったでしょ……」

「そんなの当たり前じゃない!」


 悪巧みを隠しもしないイーラ。

 フラムは睨んでみるが、彼女は笑うばかりだ。

 糾弾はため息をついて諦め、フラムは大聖堂のほうを見る。


「で、私たちはあっちに行けばいいの?」

「わかりやすいでしょう?」


 大聖堂の入口前には兵士が整列しており、フラムとミルキットの通る道を作っていた。

 仕方ないので、二人は手をつなぎながら、敷かれた赤いカーペットの上を歩く。

 すると待機していた王国軍の演奏隊が楽器を吹き鳴らし始め、盛大なシンフォニーがフラムたちを迎えた。


「私……すごすぎて目が回ってきました……」

「ダメだよミルキット、ここで倒れたら。私も一緒に倒れそうだから」


 スイートルームや高級料理責めの時点でいっぱいいっぱいだった二人にとって、国をあげてのお祝いなど耐えられるはずもない。

 だが本番はここからである。

 どうにか大聖堂に入ると、そこでフラムたちを迎えたのは、得意げに笑うセーラとネイガスであった。


「おかえりっす、二人とも!」

「おかえりなさーい。新婚旅行はしっぽり楽しめたかしら?」

「セーラちゃん、ネイガスさんっ! もしかして、これ知ってたの?」

「むしろ知らなかったのは、フラムおねーさんとミルキットおねーさんだけっすからね」

「これだけ盛大なお祭りを隠すのは、二人だけとはいえ大変だったわぁ」


 要するに、エターナも、インクも、キリルも、その他大勢が、今日までこのことを隠し通していたのだ。

 思わず不満げに頬を膨らますフラム。


「さあさあ、膨れてる暇はないっすよ。これから準備があるんすから」

「フラムちゃん右に、ミルキットちゃんは左に行ってねー」


 ネイガスの言葉に合わせるように、組合の職員がフラムとミルキットを取り囲み、二人を別々の部屋へと連れて行く。


「ご、ご主人様ーっ!」

「ミルキットぉーっ!」


 互いに手を伸ばし、まるで永遠の別れのような悲壮感を漂わせる。

 まあ、実際はすぐに会えるのだが。


「茶番っすねぇ」

「まあ、不安になる気持ちもわかるわ。まだ誰も話してないんでしょ?」

「察してはいると思うっすよ。だからなおさらに焦ってると思うっす」

「確かに……お互いになにも知らずに結婚式って、冷静に考えたら強引すぎるわよね」

「……言われてみればそうっすね」


 そもそもフラムたちは、同性結婚を認める・・・・・・・・法案が成立した・・・・・・・ことすら知らないのだ。

 いや、本来の手はずでは外でイーラが伝えるはずだったのだが、フラムをおちょくるのが楽しすぎて忘れていたらしい。




 ◇◇◇




 そんなこんなで、謎の部屋へと連れて行かれたフラムは――そこで、ある物と対面することとなる。


「これって……ウェディングドレス?」


 飾られていたのは、ピンクの生地に、赤い花が散りばめられた豪勢なドレスだった。


「何色にするかは悩んだけど、なんだかんだでフラムは情熱的だから、赤系でいいんじゃないかって結論になった」


 フラムのイメージでは、挙式で纏うドレスは白が多い気がしていたが、彼女の隣を歩くのはミルキットだ。

 互いに白で被らないようにした結果……なのだろうか。

 あるいは、ミルキットも別の色を用意してあるのかもしれないが。


「エターナさん、ここにいたんですね」

「待ってた。新婚旅行は楽しかった?」

「楽しかった……ですけど。順番が逆ですよね。というか、私とミルキットって結婚できるんですか?」

「二人のために法律が変わった」

「そんなバカな!?」

「イーラが前々から準備してた。もちろん全会一致」


 自分とミルキットの関係が受け入れられるのは嬉しいが、起きている出来事があまりに大きすぎて脳が追いつかない。

 己のために法律が変わるなんて、以前のフラムに想像できなかっただろう。

 それだけオリジン撃破の功績は王国の人々にとって大きいということなのだろうが――あくまで彼女は自分にがやりたいことをやっただけで、英雄視される今の状況にまだ慣れられそうになかった。

 というより、彼女は一生慣れることはないだろう。

 そういう性分なのだ。


「あまり時間がない、早くここに座る」


 エターナに背中を押され、鏡の前に連れてこられたフラム。

 椅子に腰掛けると、何人ものスタイリストが、寄ってたかって彼女の身だしなみを整えはじめた。


「ところでエターナさん」

「なに」

「これってやっぱり、結婚式をするってことなんですよね」

「当たり前。その疑問は今さらすぎる」

「結婚指輪とかどうなってるんです?」

「王国が準備してる。国宝級の逸品をこのために譲ってくれるらしい」

「……そうなんですね」


 なぜか落ち込むフラム。

 エターナはその反応に眉をひそめた。


「なにか不満がある?」

「不満というか……」

「使いたい指輪がある、とか」

「……」


 口ごもるのは、わざわざ国宝級の指輪を用意してくれた王国に対する罪悪感ゆえ。

 しかしエターナは断言する。


「これはフラムの結婚式。フラムがやりたいようにやるべき」

「エターナさん……」

「それで王国の人たちも納得する。というかむしろ、あんな高い指輪を使わずに済むならほっとするかもしれない」

「それはそれでどうかと思いますけど……じゃあ、イーラに伝えてもらえますか? 私たちの部屋の本棚に指輪を隠してあるってこと」

「わかった」


 エターナは嬉しそうに笑い、一旦部屋を出ていこうとする。


「あ、待ってくださいエターナさんっ!」


 そんな彼女をフラムは呼び止めた。


「まだなにかある?」

「キリルちゃんはどうしたのかな、と思って」


 大聖堂の中には見知った顔が何人もいたが、キリルの姿だけはまだ見れていない。

 フラムがコンシリアから旅立つ前は、確かケーキ屋で泊まり込みの研修があると言っていたが――


「キリルは作業の詰めをしている。挙式には間に合うと言っていた」

「作業?」

「それはあとでわかる。じゃあわたしは行く」

「あ、はい。お願いします」


 今度こそ部屋を出ていくエターナ。

 フラムはキリルがなにをしているのか、ぽーっと考えていた。

 そうしている間にも、着々と化粧は進んでいく。

 髪のセットも行われ、女性の手がヘアピンを外そうとすると、フラムはそれを止めた。


「これ、どうにかして付けたままで行けませんか? ミルキットからもらったものなんです」


 女性は一瞬考えこむような表情を見せたが、すぐに笑顔で快諾した。




 ◇◇◇




 一方でミルキットも、フラムと同じような状況であった。

 もっとも彼女のほうには大きな問題があり――


「包帯、どうしましょうか……外したほうがいいですか?」


 化粧しようにも、包帯があるのだ。

 同時に、素顔を見せられるのはフラムだけという制限もある。


「というわけでエターナが発明したのはこれ! 特別なくっせつりつ? とかいうのを利用してフラムからしか顔が見えなくする魔法の包帯ー!」


 部屋で待っていたインクが、ハイテンションに謎の道具を取り出した。

 要するに、フラムが目にコンタクトレンズの要領で特殊な装置を取り付けると、包帯が透けて見えるという代物らしい。

 あまりに都合が良すぎる。

 だがこれは、苦節三ヶ月、エターナが今日のために作り上げたとっておきの発明品だ。

 だがしかし、その生産コストの高さから、今日以外で使われることはおそらく無いだろう。


「要するにお化粧はミルキット自身にしてもらわないといけないんだけど――大丈夫! ここにいるプロフェッショナルな人たちがアドバイスしてくれるから!」

「あまりやったことはありませんが……ご主人様に綺麗な私を見てもらうためですもんね、がんばります!」

「うんうん、その調子っ」


 実は初挑戦というわけではない。

 フラムが戻ってくる四年の間、ミルキットは主にできるだけかわいい自分を見せようと、いくつもの努力を重ねてきた。

 もちろんその中には化粧もあったが、どうしても包帯が汚れてしまったり、外すまでの間に乱れてしまったりと、なかなか思うような成果を上げられなかった。

 だが今日のことを思えば、無駄ではなかったのだろう。

 しかし、『頑張る』と言った彼女の顔は浮かない。


「どーしたの、ミルキット。なんか心なしか暗いオーラが漂ってるけど」


 それがわからぬインクではなかった。

 目が見えなかったときに培った感覚なのか、近寄ったときに感じる雰囲気だけで、それを読み取る。


「さっき、挙式の手順を聞かされたんですが……指輪交換があるんですよね」

「もちろんあるよ、誓いのキスと並んで結婚式の華だよね!」

「……はい」


 どことなくしょんぼりとしているミルキット。

 嬉しいことしかないはずなのに――とインクは訝しんだ。


「なんか引っかかることがあるの?」

「いえ……その……」


 言えない。

 国宝級の指輪が出てくるというのだ。

 それと比べれば、自分がいつかフラムに渡すために作った指輪なんて。

 材料だってあまり高くないし、上等な宝石だってはめこまれていない。

 それと比べれば、フラムはきっと王国から与えられた指輪のほうを――


(……いえ、ご主人様は違います。きっと、私の作ったほうを喜んでくれるはず)


 わがままかもしれない。

 うぬぼれかもしれない。

 でも、きっとフラムならそうする。

 意を決して、ミルキットはインクに向かって言った。


「あのっ! 実は、私……ご主人様に渡したい指輪があって」

「指輪?」

「いつか、その、教会とかで……二人きりのときの渡せたらいいなって思ってたんですが。でも、まさか今日、こんな風に結婚式があるなんて思ってもなかったので」

「ははーん、なるほどね。ミルキットはそっちが渡したいんだ」

「そう、です……」


 胸が苦しい。

 臆病さが邪魔をする。

 それでも絡みつく蔦を振り切って、ミルキットははっきりと自らの意思を告げた。


「いいよ、わかった。じゃああたしがイーラたちには言っとくから」


 インクはためらうことなくそう言った。

 ミルキットは驚いた様子で彼女のほうを見る。


「いいんですか?」

「いいって。そういうことなら、誰も怒ったりしないと思う。もし怒る人がいたら、エターナとキリルを引き連れて『あたしらを誰だと思っとんじゃーい!』ってむしろこっちから怒ってやるんだから!」


 インクはいつもどおりだ。

 いつもどおり明るくて、いつもどおり笑顔で。

 なぜなら今の彼女は、最強なのである。

 おそらく空から隕石が落ちてきて世界が滅びますと言われても、笑って『どうにかなるって』と言い切るだろう。

 なんたって、エターナと恋人になれたのだから。

 もう浮かれっぱなしで、多少の困難は笑い飛ばせてしまうのだ。


「それじゃあいってきますっ」


 歯を見せて笑いながら敬礼すると、彼女は部屋を出ていった。


「インクさん、すごいです……私も頑張らないと」


 ぐっと両手を握り、気合を入れるミルキット。

 そして化粧道具を確認し、頭の中で“理想の自分”をイメージすると、包帯を外しはじめるのだった。




 ◇◇◇




 それから時間は過ぎ、開式の時間がせまってきた。

 会場は、大聖堂内にある用意された、王国でもっとも大きいと言われる礼拝堂。

 すでに列席者たちは到着しており、フラムやミルキットと関わりのある人間が席を埋めている。


 牧師役を務めるのは、もちろんセーラだ。

 かつてオリジン教が存在した頃は、牧師は男性に限られていたが、今はもう関係ない。

 この結婚式の形式も、元はオリジン教が作り出したものではなく、太古から存在する儀式を模倣したものだという。


「準備はいいっすか、フラムおねーさん」


 礼拝堂の前には、いつもと違うローブを纏ったセーラと、ドレス姿のフラムがいた。

 扉を開いて中に入った瞬間、挙式は始まるのだ。


「心の準備って意味ではあと三日ぐらい欲しいけど……」

「ははは、もうここまで来ちゃったらあとには引けないっすよ」

「わかってる。いつか結婚式はあげるつもりだったけど、こんなにちゃんとした式にできるとは思ってなかったから、まだ戸惑ってて」

「気持ちはわかるっす。おらもおねーさんと同じ立場だったら絶対に混乱してたっすから。でも、せっかくドレスも似合って、お化粧だってばっちり決まってるんす。背筋を伸ばして胸を張って行くっすよ」

「はーい」


 気の抜けた返事をすると、フラムは表情を作って背筋を伸ばした。

 セーラが近くに立っていた女性スタッフに声をかける。

 彼女はフラムに見えない位置まで移動すると、通信端末で別のスタッフに連絡をとった。

 オルガンによる演奏が始まれば、それが開式の合図だ。

 礼拝堂では、列席者たちがフラムの登場を待ちわびていた。


「ミルキットはなんとなく想像できるけど、フラムがドレスかぁ。ぜんぜんイメージわかないや」

「だからこそ楽しみだよね」

「似合ってなかったらそれはそれでおいしいかも……」

「そこを期待するのは間違ってると思うよ、インク」


 インク、キリルはもちろんのこと、


「あのドレス、派手すぎたかしら。馬子にも衣装になってくれるといいのだけれど」

「同じことを言っていた貴族が私たちの結婚式にもいたな」

「なっ、誰よそいつ、打首にしてやるわ!」


 イーラやスロウ、


「ドレス姿のフラムさんとミルキットさん……さぞ綺麗なんでしょうね」

「シートゥムのがかわいいと思うぞ」

「い、いきなりなに言ってるんですか兄さんっ。ってああ、また襟立てて! その服ではせめて普通にしてくださいって!」

「相変わらず仲がいいわねぇ、あなたたち。早く孫の顔が見たいわ」

「よその結婚式で言うことじゃねえだろ……」


 ツァイオンとシートゥム、リートゥス、


「この式が終われば次はわたくしとお姉様の結婚式。お姉様のドレス姿……お姉様のドレス……ああぁっ!」

「オティーリエ、頼むから式中は興奮するんじゃないぞ」

「ですがお姉様っ、お姉様のドレス姿を興奮せずに想像するのは不可能というものですわ!」

「だから想像するなと言っているんだが……」

「……なんで俺はこの二人の隣なんだ」


 アンリエット、オティーリエ、バート、


「結婚式か……」

「ママとソーマパパもしたんだよね?」

「あたしとソーマの式は質素なもんだったよ。半分ぐらいは飲み会みたいなもんさ」

「うらやましい?」

「ティオはすごいことを聞くんだねえ。羨ましくないって言えば嘘になるが、単純に、こんな盛大な式で祝ってもらえる立場が嬉しいってだけさ。あたしはあたしで、ソーマとの式は好きだったよ」


 ケレイナ、ハロム、ティオ――


「さて、僕がここに来ていいものなのか。表面上、一緒にオリジンと戦ったことになっているから、参加しないわけにもいかないのが難しいところだ」


 ――さらにはジーンの姿まであった。

 そんな彼らが待つ礼拝堂に、音楽が鳴り響く。

 式の開始を示す合図だ。

 ざわめきはピタリと止み、視線が一斉に、開いた扉から姿を現す彼女に集中する。

 ドレスに身を包んだフラムは、緊張した面持ちで、セーラの後ろを一歩ずつ歩いて進んだ。

 視線だけを動かし、列席者を確認するフラム。

 するとその中に、あまりに意外過ぎる人物の顔を見つけた。


(な、なんでお父さんとお母さんがここに……? ていうかマリンとパイルもいるし……なんで? どうして? パトリアで別れたばっかりだよね!?)


 馬車を飛ばして追い抜いてきたというのだろうか。

 だがそんな旅を二日も三日も続ければ疲れだって見えるはず。

 フラムが見る限り、彼らにそんな様子はなかった。

 むしろ贅沢にもてなされた結果か、肌がツヤツヤしているようにも思える。


(じゃあどうやって……ってまさか!? そっか、あの空飛ぶ船!)


 なぜ軍の所有するものが、南からコンシリアに移動してきたのか。

 その謎がようやく解けた。

 あれはフラムを驚かせるためだけに、パトリアの人々をここまで運んでいたのである。


(なんという贅沢なお金遣い……!)


 おそらく数字を聞けば、フラムの目が回るほどの金額を使っているに違いない。

 そんな価値が自分にあるかどうか――を考えるのはさておき。

 もう式は始まるのだ、今は素直に喜び、感謝することにした。

 戸惑うことはあったが、ミルキットと自分の関係を、これだけ多くの人々が祝してくれたという事実が、嬉しくないわけがないのだから。


 そしてドレスを着たフラムは、セーラに導かれ祭壇の前までやってきた。

 立ち止まり、前を見て、そこでセーラが小さな声でぼやく。


「……なんでネイガスがここにいるんすかっ」


 予定では一人で牧師役をやるはずだった。

 リハーサルだってそれでやってきた。

 なのになぜか、ネイガスはセーラとおそろいの格好をして、ニッコニコと笑ってそこに立っている。


「後学のためにと思って」


 同じく小声でそう答えるネイガス。

 理由があまりに軽い。

 だが服を用意しているということは、ずっと前からそういう計画だったのだろう。

 今さら、彼女を退場させるわけにもいかない。

 色々言いたい気持ちをぐっと押し殺し、その隣に立つセーラ。

 とはいえ、さすがのネイガスでも、そんな適当な理由だけでこの重要な儀式の場に立つわけもなく――真の目的は、セーラの緊張をほぐすことになった。

 彼女はリハーサルのときからガッチガチで、何度も噛んでいたのである。

 それをリラックスさせるため、ネイガスはそこにいた。

 実際、セーラの表情は礼拝堂に入ってくる前よりも自然である。


「えー、本日はまことにおめでとうございます……っす」


 咳払いを挟んで、セーラはそう言った。

 さらに言葉を続ける。


「ただいまより、フラム・アプリコットとミルキット・アプリコットの、結婚式を行いますっす」


 礼拝堂に少女の声が響き渡る。

 自分と、ミルキットの結婚式――その言葉に、フラムの心臓がどくんと跳ねた。


「新婦が入場いたしまし……っ」


 そのとき、セーラが言葉に詰まった。

 すかさずネイガスがフォローする。


「新婦が入場いたします、みなさま入り口のほうを向いて迎えましょう」


 セーラにとって不本意ではあったが、ネイガスの存在は心強かった。

 そして再び扉が開き、今度はミルキットが入場してくる。

 本来、その隣で彼女の腕を引くのは父親の役目なのだが、ミルキットには父がいない。

 なので今回は、エターナがその代わりを務めることになったらしい。

 しかし彼女の姿は、フラムの目には入っていなかった。


「ミルキット……綺麗……」


 ヴェールごしにもわかる、その美しさ。

 ここに来る前、フラムはよくわからないレンズを目に付けるよう言われていた。

 エターナ曰く、『大切なものがよく見えるようになる』らしい。

 その意味を、ここで初めて知った。

 他の列席者たちには、その顔は包帯で覆われて見ることができない。

 結婚式なのだから素顔をさらせばいいと言う者もいるかもしれない。

 だが二人の場合は違うのだ。

 それはフラムだけのもの。

 だから今も――その、誰よりも美しい、純白のウェディングドレスに身を包んだ本当の姿を、フラムだけが見ている。

 同時に、ミルキットは自分のこの姿が主だけのものであることを、今までの人生の中で最も誇りに思っていた。


 ミルキットとエターナが、ゆっくりと祭壇に近づいてくる。

 そしてフラムの前で止まると、ミルキットは彼女に近づき、二人は互いに見つめ合う。

 彼女たちが考えることは同じだ。


『絶対に、誰がなんと言おうと、ミルキット/ご主人様が世界で一番美しい』


 おそらくそのまま放っておけば、いつまでも見つめ合ったまま動かないだろう。


「おほんっ」


 エターナが咳払いすると、二人は同時に我に返った。

 今度こそ、前もって聞いていた手順通りに腕を絡め、牧師たちのほうを向く。

 するとセーラは置かれていた一冊の本を手に取り、その内容を読み始めた。

 オリジン教の頃から存在した、経典の一節。

 内容は宗教的ではなく、愛のあり方や教訓が記された哲学書のような趣で、読み慣れたセーラはすらすらと朗読を進めていった。

 それが終わると、今度は誓いの言葉である。


「汝、フラム・アプリコットは、この女ミルキット・アプリコットを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り愛し続けることを誓いますか?」


 このときばかりは、セーラも語尾に『っす』は付けなかった。

 必死に抑えたようである。

 その問いに対し、フラムははっきりとこう答える。


「はい、誓います」


 続けて、今度はネイガスがミルキットに問いかけた。


「汝、ミルキット・アプリコットは、この女フラム・アプリコットを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り愛し続けることを誓いますか?」


 彼女は感極まって、目を涙に潤ませていた。

 儀式なんて無くたって、気持ちの上では夫婦のつもりだった。

 だけど、なんだかんだ言って――こうして多くの人に祝福されて結ばれるというのは、幸せなもので。

 気づけば胸の奥から熱い感情がこみあげていたのだ。

 それでも答えなければ式は進まない。

 軽く深呼吸をして、喉にきゅっと力を入れて、震える声で告げる。


「もちろん、誓いますっ」


 言うまでもなく、とっくに誓っているのだが――それを言うのは野暮というものだ。

 改めて誓い、二人は想いをさらに確固たるものへと変えていく。


 次はついに、指輪交換である。

 フラムとミルキットがそれぞれ用意していた指輪は、祭壇のリングピローの上に置かれている。

 結婚指輪はペアリングであることが多いが、あくまで重要なのは二人の気持ちだ。

 互いを想い、前もって準備しておいたものがあるのなら、それに越したことはない。


 フラムはセーラから、自身が用意した指輪を受け取った。

 そしてミルキットと向かい合う。

 純白のグローブはすでに外されているが、差し出された彼女の手の滑らかさは、まだ絹の手袋を付けているのではないかと錯覚するほどだ。

 主の手が触れる甘くくすぐったい感触に、ミルキットの呼吸が揺れる。


「その指輪は……」

「私が用意してたの、旅行から戻ってきたら渡そうと思って」

「そうだったんですか……えへへ、私も一緒でした」

「じゃあ、あそこにあるのって……そっか、そうだったんだ」


 偶然にも、二人は同時に指輪を渡そうとしていたらしい。

 さらに言えば、旅行から帰ってきて、デートにかこつけて小さな教会で結婚式の真似事をしようとしていたのも、二人同じである。


「どうしてご主人様が冒険者として活動していたのか、やっとわかりました」

「ごめんね、今日まで言えなくて」

「いいえ、いいんです。ご主人様はいつだって、私のことを想ってくれている……そういうこと、なんですよね」

「うん、私の頭の中はいつもミルキットでいっぱいだから」


 会話が終わると、フラムの手により、ミルキットの左の薬指に、指輪がはめこまれる。

 サイズはもちろんぴったりだ。

 ひんやりとした感触、そして微かな重みに、より強く“夫婦になった”実感を得るミルキット。


「ふふ……」


 思わず自分の手を見ながら頬が緩んでしまう。

 だが彼女にも、まだ役目は残っている。

 今度はミルキットがフラムに指輪を渡す番だった。


「ご主人様の物に比べると、見劣りするかもしれませんが……」

「そんなわけないって知ってるでしょ?」

「そう言ってもらえるとわかっていても、こんな立派な式で渡して良いものか、少しためらってしまいます。ですが――私は、ご主人様にこれを付けてほしいと思うんです」

「うん、うんっ。私もそれがいい。ミルキットの想いが詰まってたら、他のなによりも嬉しいから」


 ミルキットは震える手で、フラムの左手を取って、薬指に指輪をつける。

 本当は、セーラがここで指輪を交換する意味などを説明する手はずだったのだが――もちろんリハーサルすらしていないフラムとミルキットはそんなことは知らないため、全て流されてしまった。

 だが隣にネイガスがいるおかげか、この程度で今のセーラは混乱しない。

 そして契約の儀式は、ついに最大の見せ場を迎える。

 誓いのキスだ。


「ではベールをあげてくださいっす」


 いつも人前でもキスをしている二人だが、今日ばかりは勝手が違う。

 単純に、フラムの両親が目の前にいるというのもそうだし、この口づけには儀式として大きな意味もあるのだ。

 高鳴るフラムの心臓。

 向き合い、ミルキットの顔を覆うヴェールに手が触れると、さらにうるさく脈打った。

 それはミルキットとて同じことだ。

 薄い膜が取り払われ、今度こそ本当の意味での素顔で向き合う。


「誓いのキスを」


 ネイガスの言葉を聞くまでもなく、二人の顔は引き寄せられていた。

 至近距離。

 いつもと違う、化粧をしたあなたの顔に胸が締め付けられる。

 吐息が絡み合う距離。

 肌で感じる体温。

 直後に待つ甘い感覚の予感に、感情は否が応でも高ぶる。

 そして――ゼロ距離。

 触れ合うのは唇だけじゃない。

 きっと、魂同士もキスをしている。

 もし本当にこの縁が前世から繋がっていたとして、けれど今世は星の意思に導かれた結果の出会いだったかもしれない。

 だが次は違う――そうフラムは確信する。

 これだけ深く結びついたのならば、死してもなお、二人は番だ。

 何回、何十回、何百回、たとえどこの世界に生まれ落ちたとしても――きっとまた結ばれる。

 そう思ってしまうほど、幸福に溺れるキスだった。


 唇が離れる。

 行為としてはさほど濃密なものではなかったのだが、その空気に呑まれるように、セーラは顔を赤くしてそれを見守っていた。


「セーラちゃん、次、次っ」


 なかなか動き出さない彼女の横腹を、ネイガスがつつく。


「……あ。そ、そうっすね。次は……えっと……新郎新婦、婚姻届へのサインを」


 普通ならばここで出てくるのは、形だけの証明書であることが多い。

 しかし今回の場合は違う。

 法律が変わり、はじめての女性同士の結婚である。

 そこに用意された書類は、まさに王国が発行している本物の婚姻届であり、二人がサインをした瞬間、正式な夫妻となるのだ。

 もちろん二人は迷いなくそこに自らの名前を書き込んだ。

 それを見届けたセーラは、列席者に向けて言う。


「これにて、二人の結婚が成立したことを宣言いたしますっす!」


 礼拝堂に声が響き渡ると、自然と列席者たちは大きな拍手を二人に送った。

 そのまま、挙式は閉会となる。

 フラムとミルキットは手をつなぎ、多くの人々の祝福に包まれながら、礼拝堂を後にする。


「私たち、結婚したんだね……」

「はい、そうみたいです」

「……夫婦なんだ、正真正銘の。誰も、文句を言えない」

「そう、みたいです」


 流されるままにここまで来てしまったため、まだ頭はぼーっとしている。

 だが外に出た瞬間、お硬い儀式は終わりだ。

 今度はアフターセレモニー、街でのパレード、続けて披露宴と、賑やかで騒がく、慌ただしい時間がはじまる。

 二人には、呆けている時間など無かった。




 ◇◇◇




 特別な一日が終われば、普通の一日がやってくる。

 長い長い人生において、その大半を占めるのは“日常”だ。


 当たり前がほしかった。

 特別なんて必要なかった。

 フラム・アプリコットは、ただ平凡を望んだだけの少女だった。


 だけどかつては、オリジンという異形に狙われ、何度も命の危機に瀕してきた。

 そして今は、世界を変えるほどの力を持っている。

 権力も、求心力も、お金も、すべて自由自在だ。

 その気になれば、王国をひっくり返すことだってできるだろう。

 あるいは、物理的にこの大陸を文字通り“ひっくり返す”ことも可能かもしれない。


 しかしもちろん、フラムはそんなものに興味はない。

 今でもあの頃と同じように、変わらぬ日々を望み続けている。


 変わらぬ日々。

 ミルキットが隣にいて、キリルがお菓子を作ってくれて、インクがエターナにじゃれついて、エターナは意外と満更でもない表情をして。

 取り巻く人々が、日常の延長線上で幸せになればいい。

 でも……最近フラムは、こうも思うのだ。


 平凡って案外、贅沢なのかもしれない、と。


 そのために命を賭けた人たちがいて、報われなかった人も、数えきれないほど存在しているのだから。

 どん底を知った今だからこそ、当たり前に続く日常の大切さが理解できる。

 それを壊そうとするなにかは、世界中のいたるところに存在していて、きっと避け続けるのは不可能だ。

 全ては変わり続ける。

 それが、時の流れというもの。


 だから、変わらない日々というのは、それだけで貴重なのだ。

 そう思うと、余計に毎日が愛おしく思えた。

 今日も巡り、明日も廻る、当たり前の毎日が。


「んぅ……ん……」


 窓からさしこむ柔らかな陽の光から逃げるように、フラムはベッドシーツにくるまる。

 そんな彼女の仕草に、ミルキットは微笑んだ。


「ご主人様、起きてください」


 耳元でささやく。

 普通に言うより、こちらのほうが効果が大きいのだ。


「ぁう……あと……三十分……」

「いつもなら私もお付き合いしたいところなんですが、今日はギルドに行くんですよね」

「あー……ギルド……そう、ギルド……」


 フラムの脳は少しだけ覚醒した。

 だがまだ、まどろみの沼から脱するには足りない。

 仕方ないので、ミルキットは最終手段に出ることにした。


「あ、あなた……んっ」


 唇を重ねる。

 しかも、結婚式以降、たまーにミルキットが使うようになった必殺技“あなた”を添えて。

 こうすると、フラムの脳は『新妻ミルキットの唇を寝たまま味わうなんてもったいない』と思い、急速に目覚めるのである。

 問題としては、たまにミルキットもベッドに引き込まれて、そのまま二人まとめて色んな意味で二度寝――というパターンもあるのだが、今日は平気だったようだ。

 唇を離すと、フラムの目はぱっちりと開いていた。


「やっと起きましたね」


 目を覚ますと、大切な人が笑っていてくれる。

 そんな当たり前の日々が、今日もやってきた。

 ああ、なんて愛おしのだろう。

 こんな愛すべき日々が、いつまでも続きますように――


「おはようございます、ご主人様」

「おはよ、ミルキット」


 今日も少女は、平凡を望み続ける。





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