140 LastFragment

 





「……ご主人様、なにか気になることでもあったんですか?」


 扉に手を当てたまま止まったフラムに、ミルキットは不安そうに声をかけた。


「おいおい、どうしたんだよいきなり。扉に手を当てたまま止まっちまうなんて、なにか見えたのかと思ってビビったじゃねえか」


 パイルも同じように怪訝そうな顔で彼女に問いかける。

 一方で当のフラムは、そんな自覚は無かったようで、きょとんと首を傾げていた。


「私、そんなに止まってた?」

「長い間ではありませんでしたが、急に言葉の途中で止まってしまったので……」


 顔をしかめるフラム。

 言われてみれば、確かに頭がぼーっとしているような気がする。

 記憶も曖昧で、直前までなにをしていたのか思い出せない。

 目の前に遺跡の扉があるということは、これを調べようとしていたのだろうが――


「よくわからんが、心配だな。扉は俺が開けるから下がっとけよ」

「開けかたわかるの?」

「仕掛けはわからないけど、少し隙間があいてるだろ? そっから指を入れて、力ずくで開けばどうにかなるだろ」


 確かに、指が入る程度の隙間がある。

 だが強引に開けたら、なにかよくないことが起こるような気もした。


「私がやろうか?」

「いんや、ここは男の仕事だろっ」


 絶対にフラムがやったほうが早いのだが、そこは譲れない。

 頼ってばかりでは、パイルのプライドが許さないということだろうか。

 彼は隙間に指をさしこむと、「ぐぬぬ」と手の甲に血管が浮き上がるほど力を込めて、扉を開こうとする。


「おっと――」


 すると想像よりも簡単に横にスライドし、人が一人入れる程度まで入り口が広がった。


『もう遅いよ』


 誰かがフラムにそう囁いたような気がした。

 直後、パンッ! という破裂音が響き渡る。

 パイルの頭の上半分が、弾けて散った。


「……え?」


 もはや生死の確認だとか、そんな問題ではない。

 赤いなにかが飛び散り、衝撃で頭部の断面図を見せつけるように背後に倒れ、辛うじて無事だった眼球が視神経を引き連れて宙を舞う。

 あまりに明白な即死。

 突然の出来事に、フラムとミルキットは呆然と立ち尽くすしかない。


「パイル……? パイルッ!」


 無駄だとわかりながらも、慌てて駆け寄るフラム。

 完全に油断していた。

 こんな場所で、自分が十六年間暮らしてきた村で、そんなことが起きるだなんて想像していなかったのだ。

 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR




「私がやろうか?」

「いんや、ここは男の仕事だろっ」


 絶対にフラムがやったほうが早いし安全なはずなのだが、そこは譲れない。

 頼ってばかりでは、パイルのプライドが許さないということだろうか。

 彼は隙間に指をさしこむと、「ぐぬぬ」と手の甲に血管が浮き上がるほど力を込めて、扉を開こうとする。


「おっと――」


 すると想像よりも簡単に横にスライドし、人が一人入れる程度まで入り口が広がった。

 そして同時に、パンッ! という破裂音が響き渡る。

 パイルの頭の上半分が、弾けて散った。


「……え?」


 もはや生死の確認だとか、そんな問題ではない。

 赤いなにかが飛び散り、衝撃で頭部の断面図を見せつけるように背後に倒れ、辛うじて無事だった眼球が視神経を引き連れて宙を舞う。

 あまりに明白な即死。

 突然の出来事に、フラムとミルキットは呆然と立ち尽くすしかない。


「パイル……? パイルッ!」


 無駄だとわかりながらも、慌てて駆け寄るフラム。

 完全に油断していた。

 こんな場所で、自分が十六年間暮らしてきた村で、そんなことが起きるだなんて想像していなかったのだ。

 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR




 パイルの頭の上半分が、弾けて散った。


「……え?」


 もはや生死の確認だとか、そんな問題ではない。

 赤いなにかが飛び散り、衝撃で頭部の断面図を見せつけるように背後に倒れ、辛うじて無事だった眼球が視神経を引き連れて宙を舞う。

 あまりに明白な即死。

 突然の出来事に、フラムとミルキットは呆然と立ち尽くすしかない。


「パイル……?」


 無駄だとわかりきっていたから、もはや駆け寄ることもしなかった。

 完全に油断していた。

 こんな場所で、自分が十六年間暮らしてきた村で、そんなことが起きるだなんて想像していなかったのだ。

 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR




「パイル……? パイルッ!」


 慌てて駆け寄るフラム。

 完全に油断していた。

 こんな場所で、自分が十六年間暮らしてきた村で、そんなことが起きるだなんて想像していなかったのだ。

 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR




 こんな場所で、自分が十六年間暮らしてきた村で、そんなことが起きると誰が想像できるだろう。

 ましてや、この世界にはすでにオリジンすら存在していないのに。

 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR




 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR




 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR




 開いた遺跡の門――その暗闇の向こうには、鈍色の体をした金属の人形が立っていた。




 ERROR

 ERROR

 ERROR

 ERROR――




 ◇◇◇




「……っ!?」


 フラムは唐突に目を覚ました。

 いや――そもそも、いつ意識を失ったというのか。

 記憶は地続きで、しかし間違いなく“意識が覚醒した”という実感があった。

 周囲を見回す。

 辺りは一面の白。

 フラムが思い出したのは、オリジン・ラーナーズとの決着を付けたあの空間だった。


「なに……ここ」


 先ほどまで、フラムは遺跡の前にいたはずである。

 そして何者かに頭部を撃ち抜かれ絶命したパイルを救うために、とっさに時を反転させた。

 うまくいけば、彼を救える程度には巻き戻るはずだった。

 しかし、やったことはそれだけだ。

 急に違う場所に飛ぶようなことはなに一つしていない。


「誰かいないの? ミルキット! パイル!」


 名前を呼んでも返事はない。

 となると、考えられるのは――何者かによって、この場所に転移させられた可能性。

 チルドレンの一人、ネクトは“接続”という力によって物体を異なる地点へとワープさせることができた。

 それと似たような能力を使えば、あの場所からフラムを移すことはできる。


「こんな場所で油を売ってる場合じゃない。誰も出てこないんなら、無理やりこの空間を破壊して脱出するッ!」


 パイルが死んだ。

 ミルキットだって危ない。

 今すぐに戻らなければならないのだ。

 フラムは神喰らいを呼び出そうと意識を集中させたが――出てこなかった。

 剣だけではなく、他の装備も同様である。


「武器を封じたからって……!」


 プラーナによる剣の生成。

 彼女は透明の刃を握りしめると、そこにありったけの反転の魔力を込めた。

 ここが“閉じた”空間だというのなら、それを裏返すことで外に脱出できるはず。


「はあぁぁぁぁああ――」


 さらに威力を高めるため、プラーナを生成する。

 体から白いオーラが立ち込めた。

 気越一閃プラーナルオーバードライヴを放つつもりなのだ。

 コンシリアに戻ってきたフラムの肉体がボロボロだったのは、“力を得る前”に気越一閃プラーナルオーバードライヴを多用したせいだ。

 だが今のフラムのステータスならば、あの技だって体への負荷を気にせず使えるはず。

 それどころか、ただでさえ高まった身体能力をさらに向上させれば、光の速さだって越えられる。

 腰を落とす。

 踏み出す足に力がこもる。

 しかしそのとき、


『――――』


 フラムの脳に直接、耳鳴りのような音が響いた。


「う……ぷ……っ」


 未知の感覚に吐き気を覚え、思わず口元を手で押さえる。


(なに、いまの……頭、おかしくなりそう……)


 言葉のような気がした。

 だが理解しようとすればするほど脳が拒む。

 はちきれんばかりの情報量に、体が裏返りそうになる。

 ようやく落ち着いてきたところで顔をあげると――そこには、球体が浮かんでいた。

 それはまるで、子供が鉛筆で書きなぐったかのような見た目をしている。


『――――』


 “音”は、そいつが発していた。

 語りかけてきているのだろうか。

 しかし、やはり理解はできない。

 敵意は感じられないが――おそらくフラムをこの場所に連れてきた張本人と思われるそいつに、刃を向けた。


「私をミルキットのところに帰して!」

『――●a、××AAA』


 返答は、先ほどよりも人の声に近いように感じられた。

 同時に、球体の形が変わる。

 円形から、一応は人型だと認識出来る程度の姿に。


「なにが目的なの?」

『ア――■σあ、お、あ』


 フラムはてっきり、なにか語りかけているのだと思っていたが――


『ア、アア、お、い、う、あ』


 声が次第にはっきりしていくにつれて、それが発声練習であることに気づいた。

 敵意も感じられず、ガクッとこけそうになるフラム。


「……えっと、もしかして、私と話そうとしてる?」

『そう、だ。対話……を、求め、る……』


 ここまでくると、はっきりと声だと認識できる。

 さらに姿も、まるで粘土でもこねるように姿を変え、人に近づいていき、最終的に――ジーン・インテージの形に落ち着いた。


「なんでジーンになるの!?」


 思わず突っ込むフラム。

 化けるにしても、もっと他の人間がいたはずなのに。


「レコードに保存されている記憶の中で、もっとも呼び出しやすい形を取ったらこうなったんだ」


 声どころか、喋り方までジーンそっくりである。

 できれば見たくも聞きたくもなかった。


「だがよかった、コミュニケーションに問題は無いようだな」

「いや大アリなんだけど!」

「この“姿”が気に食わないということか? ならば別の姿を取ることもできる」

「じゃあそうしてもらえると助かるかな……」


 フラムが言うと、彼はまたぐにゃりと形を変える。

 今度はメイド服を着た少女の姿になった。


「これでどうでしょうか。可能な限り、フラム・アプリコットに近い人間を選んだつもりですが」


 口調まで完全にミルキットそのものだ。

 しかしフラムには、それが偽物であるということがわかる。

 その肉体に宿る魂が彼女のものではないからだ。

 とはいえ、大切な人の姿を真似られるのはあまりいい気分ではない。


「それはそれでちょっと近すぎるかも……わがままで申し訳ないけど、もう少し私との関係が浅い人にしてくれない?」

「……そうですか、難しいですね」


 ミルキットの顔でしょんぼりされると、フラムも心が痛む。

 だがすぐに形は変わり、今度はシアの姿になった。


「今度はレコードとの繋がりが深く、なおかつあなたとの関わりが比較的薄い人物をチョイスしてみましたが、いかがでしょうか」

「あー、うん、それならちょうどいいと思う」


 あくまでフラムの気持ちの問題なのだが、おそらく目の前の存在は今から自分に重要な話をしようとしている。

 そんなとき、ジーンやミルキットの姿をされたのでは、内容に集中できないと思ったのだろう。

 シアの姿をしたその存在は、数秒ほどまぶたを閉じた。

 するとあたりの景色が、かつての王城を思わせる部屋に変わっていく。

 フラムのすぐ背後にはソファも用意されている。

 どうやらここに座れということらしい。

 戸惑いながらも彼女が腰掛けると、相手も向かいの席に座った。

 ソファは柔らかく、軽く跳ねるように体を揺らしてみたが、普段座っているものと大差はない。


「どうなってるのこれ……?」

「あくまで外観を変えただけです。あなたがリラックスしやすいように、レコードから再現したつもりですが」

「そういうことできる相手が目の前にいる時点で落ち着かないっていうか……」


 変に気を使われても、戸惑わずにはいられない。

 それよりは早く話を終わらせて、元の場所に帰して欲しい――フラムが願うのはそれだけである。


「ところでさっきから言ってるレコードって、もしかしてアカシックレコードのこと?」

「ええ。この肉体の元となったシア・マニーデュムはその能力ゆえに、比較的浅い部分に記憶されていたようですから」


 聞きたいのはそこではない。

 フラムが知りたいのは、目の前の存在が、なぜそこに簡単にアクセスできるのかだ。

 人知を超えた存在であることは見た目からも明らかであるが、それがどうして自分をここに連れてきたのか、なにを話そうとしているのか。


「自己紹介をお求めですか?」

「できれば」

「……実はあなたを呼ぶと決めたときからそれをずっと考えていたのですが、私は私をどう表現したものか、良い答えが見つからないのです」

「どういうこと?」

「現在私は、あなたがた人間における“声”と同類の相互理解ツールから、情報量を極力少なくすることで、対話を可能にしています」

「んん……?」


 いまいち理解できず、首をかしげるフラム。


「普段は“声”を使って他者とコミュニケーションを取っているわけではない、ということです」

「もっと高度な手段があるってこと?」

「それが高度であるかどうかは判断しかねます。複雑であるがゆえに使いづらく、わかりすぎる部分がありますので、単純に優劣をつけられるものではありません」


 要するに、“ある”ということらしい。

 いささか回りくどい言い方に、相変わらずフラムの頭上ではハテナマークが乱舞していたが。


「えっと……まあ、私に合わせて話してくれてるって認識でいいのかな」

「そう思っていただいて結構です」

「まあそれは良いんだけど……じゃあ名前は後回しでいいから、どういう存在なのかだけでも教えてもらっていい?」


 するとシアの姿をしたそれは、顎に手を当てて考え始めた。

 そしてしばらく黙り込むと、いい文言が見つかったのか、「あっ」と小さく声をあげた。


「強いていうのなら――星の意思、でどうでしょうか」


 フラムは目を見開いた。


「それって……あれだよね。えっと、生物の進化とかに介入して、生物に魔力を与えたり、オリジンに耐性をもたせたりした……」

「ええ、そのお手伝いもしてきました」

「……つまり、本物の神様ってこと?」


 進化への介入が可能ならば、そう呼ぶべきだ。

 しかし彼、あるいは彼女は首を横に振った。


「私たちにできることは、わずかに方向性を変えることのみ。生物が魔力を持ったり、オリジンへの耐性を持ったのは、いわば生命を途絶えさせんとする世界の生存本能のようなもの。ですのであくまで、私たちの行動は“お手伝い”です」

「だから、それが星の意思なんじゃ?」

「そういう意味では、私たちは星の意思ではありません。星の意思の補佐とでも呼ぶべきでしょう」

「はあ……」

「あなたがたのいう“神”というのは、世界の創造主などを指していると推察します。ですが私たちは、世界を作ったわけではない。元からあるものを保護し、見守っているに過ぎません。ですので干渉できる範囲が限られている。そういう意味では、“世界のそのもの”の時間を巻き戻せるあなたのほうが、神に近いのではないでしょうか」

「いやいや、そんなわけが……」


 無い、と言いたいところだが――フラムは今の自分の力が異常であるという自覚がある。

 本来ならパイルはあそこで死んで終わりだった。

 死んだ人間は蘇らないのだから。

 しかしフラムの力があれば、時間を巻き戻すことでそれが可能になってしまう。

 明らかに、世界の理を捻じ曲げてしまっている。


「とはいえ、わざわざ“補佐”と付けたり、別の呼び名を考えるのは手間でしょうから。ここは僭越せんえつながら、私が星の意思を名乗らせてもらうこととしましょう」

「わかった、じゃあそういうことで。それで星の意思さん」

「はい、なんでしょうか」

「どうして私をここに呼び出したの? というか……呼び出したのは、あなたでいいんだよね?」


 フラムの問いに、星の意思ははっきりとうなずいた。


「そうなるとさ、さっき言ってた“干渉の範囲は限られている”っていうのと矛盾すると思うんだけど」

「今回は特例です。フェイタルエラーの発生によって、その許可が下りました」

「ふぇいたるえらー?」

「致命的な不具合です。今回の場合は、世界がまったく同じ時を、無限に繰り返してしまうという内容でした」

「それってもしかして……私のせい?」

「“せい”と呼ぶことの是非はさておき、原因があなたにあることは間違いありません」


 星の意思が言わんとすることを、フラムはすぐに理解した。

 彼女はパイルを救うために、時間を巻き戻した。

 だが時間の反転を行ったのは、対オリジン・ラーナーズのときの一度のみ。

 あのときは精神的に余裕があった上に、余分なものの少ない世界だったため制御は簡単だったが――今回は咄嗟に力を使った上に、巻き込む範囲が広かった。

 世界全体の時間が反転した。

 結果――フラム自身の時間も巻き戻ってしまったのだ。

 膨大な量の魔力消費も、パイルを救おうとした記憶もすべて無かったことになり、そして時は再び繰り返す。

 いつまでも、無限に。


「もっとも、無限ループは方便にすぎないのですが」

「……へ?」


 予想外の言葉に、目をまん丸くするフラム。


「それを止めるために私をここに連れてきたんじゃないの?」

「フェイタルエラーと認識されるに足る回数のループが行われたので、私はあなたをここに呼ぶ権限を得ました。ですが実際は、繰り返すたびに微妙な差異が出ていましたので、放っておいてもそのうち終了するはずでした」

「致命的なエラーが発生したことにしてまで、私と話したかったってこと?」


 うなずく星の意思。

 それはそれで不安だ。

 なぜそこまでしてフラムと話したがるのか、また厄介事に巻き込まれるのではないか。

 せっかくミルキットとの平和な日常を手に入れたというのに。

 しかし、フラムのそんな不安を察してか、星の意思は柔らかな表情で言う。


「ご安心ください、私はあなたにお礼を言いたかっただけですので」


 またもやフラムは首をかしげる。

 はて、世界の外側で生きる存在に礼を言われるようなことなどしただろうか、と。


「先ほども言いましたとおり、私たちには普段、必要以上に世界に干渉する権限が与えられていません。いえ、与えられていないというより、できないと言ったほうが正しいのですが」

「それがどう、私へのお礼と繋がってくるの?」

「オリジンですよ。私たちには、世界に住まう生命を途絶えさせようとするオリジンを止める術がありませんでした。あなたがいなければ、永遠に命の絶えたつまらない世界を眺め続けなければなりませんでした」

「それは、あなたの力が私たちに魔法という力を与えてくれたから――」

「いえ、違います」


 星の意思は首を振ってきっぱりと否定する。


「確かにあの世界の生命が魔力を得るよう、私は導きました。その中から、希少属性と呼ばれる例外・・が生まれたのはまったくの偶然です」

「だったら私もじゃないの?」

「あなたの場合は例外です」


 勇者、自然、夢想、封魔――他にもさまざまな希少属性が世界には存在している。

 それらのルーツはどれも同じだ。

 偶然に生まれ、使い手の死後、一部の属性は魂とともに、あるいは魂が別の世界を選ぶのなら魂と分離し――再びこの世界に生まれ変わる。

 キリルの場合が後者だ。

 先代の勇者は屈強な男であって、それの生まれかわりならば、少女にしたってもっとたくましくなっているはずだ。

 ジーンの場合も、かつてオリジンと戦った勇者たちの仲間だったそうだが、彼は彼でかなりの偏屈者だったそうなので、魂ごと転生しているのかもしれない。


「“反転”が生まれたのは決して偶然ではありません。人の意思によるものですから」

「でも私、パトリアで生まれて、普通に暮らしてきただけだよ?」

「ええ、ですから前世のお話ということになります」

「私の前世ぇ?」


 突拍子のない話に、思わず強めに聞き返してしまう。

 こんな扱いの面倒な能力をわざわざ作り出すなんて、自分の前世は一体どんな変人だったというのか。


「それはもしかして、オリジンに対抗するためとか……そういう話?」

「……」


 フラムがそう尋ねると、星の意思は急に黙り込む。

 都合の悪いことだったのだろうか。

 彼女にとっては、そこが一番聞きたい部分なのだが。

 しばし顎に手を当てて考え込む星の意思だったが、フラムのほうを向き直したかと思うと、ふいに頭を下げた。


「ありがとうございました」


 流れを無視して、ひとまず自分の目的を達することにしたようだ。

 仕草自体は丁寧なのだが、フラムははぐらかされたようで素直に喜べない。


「ど、どういたしまして」

「……一応弁明しておきますが、誤魔化したわけではありません。ただ、ここで言ってしまっていいものかと思いましたので」

「それは、どういう意味で?」


 再び考え込む星の意思。

 第一印象は、得体の知れない生命体――と言った雰囲気だったが、いざ話してみると人間とさほど変わらないように感じる。


「進めばわかります、という言葉で納得していだけますか?」


 そのぼかしかたもまた、人間らしい。

 まあ、フラムとの対話のため、シアの思考までコピーしている可能性も考えられるが。


「進むっていうのはもしかして、あの遺跡に……」

「ええ、そういうことです」

「私はあの場所に戻れるってこと?」

「話さえ終われば」

「ミルキットとパイルはどうなったの?」

「すでにあなたの力により時間は巻き戻されています。今度は私が介入したことで、記憶を保持したまま戻ることができますから、問題なく救出できると思いますよ」

「そっか、よかったぁ……」


 一番の懸念が解消され、安堵するフラム。

 細々とした気になることはあるが、ひとまずそこさえ確認できれば,あとはどうでもいい。


「というか……本当に、お礼を言いたかっただけなんだ」

「大事なことですので、機会があるならぜひ、と。ですが、実はもうひとつだけ意図がありまして」

「それは?」

「世界を巻き戻してしまうほどの力を持つあなたの人柄を確認しておきたかったんです。またオリジンのような悪意が世界を蹂躙したのではたまりませんから」


 フラムがそういう人間だったら消すつもりだった――などということはない。

 星の意思にそれだけの権限はないのだから。

 今回の一件は、ただただ目の前の存在の“安心感”や、“満足”のためだけに引き起こされたものだ。

 それこそ、フェイタルエラーを言い訳にしなければ、絶対に許されないような。


「ですので安心しました。少なくともあなたが生きている間は、悲劇が繰り返すことはないでしょう」

「まあ……私もさすがに、もうオリジンのときみたいな戦いに自分から首を突っ込みたいとは思わないけど」

「それでも、目の前に困った人がいたら助けてしまう」

「……見捨てたらミルキットに嫌われるかもしれないし」

「理由がどうであれ、そういう正義心の強いあなただからこそ安心したと言っているのです」


 フラムは眉をひそめる。

 自分は正義の味方じゃない――ずっとそう言い続けてきた。

 自分のために、自分が救いたい周囲の人たちのために、ただ必死に頑張ってきただけだ。

 だが本人がどう思っていようとも、それは傍から見れば正義の味方でしかない。

 彼女にとっては不本意かもしれないが、それは揺るぎようのない事実である。


「さて、あなたもあちらの状況が気になって仕方ないでしょう。私の用事も済んだことですし、そろそろ戻ってもらうことにしましょう」

「えっ、本当にこれだけでいいの?」

「はい、そのために呼んだのですから」

「本当の本当にこれだけなの!?」

「他になにか必要ですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」


 おそらく今、フラムはとんでもない相手と対面できている。

 そして彼女の人生において、星の意思と再会することは二度とないだろう。

 だが相手は、『私はいつでもあなたがたに会えますから』みたいなノリで、簡単にフラムを帰そうとしている。

 いや、別に帰りたくないわけではないのだ。

 パイルやミルキットの身が心配だし、時間が巻き戻ったのなら今度こそちゃんと助けたい。

 しかし――どうにも簡単すぎて、釈然としない。


「それでは、送還します。どうかあなたが幸福な人生を送れますよう、“外側”から祈っていますので」

「あ、ちょ、まっ――」


 反論の暇もなく、フラムは一瞬にしてそこから消えた。

 同時に星の意思によって作られた部屋も、シアの姿も全てが消えて無くなる。

 いや――まだそこにはなにかが残っているのだが、人に観測できるものではないのだ。




 ◇◇◇




「いんや、ここは男の仕事だろっ」


 戻ってきたフラムは、パイルのそんな勇ましい声を聞いた。

 そして扉の隙間に指をさしこもうとする彼の肩に、少し力を込めて手を置く。


「ぐおぉおおおっ!?」


 すると大げさにパイルは崩れ落ちた。

 いや……大げさではなく、実際それだけの負荷がかかっていたらしい。

 いきなり戻ってきたので、フラムも力加減を間違えてしまったようだ。


「あ、ごめんパイル」

「ごめんじゃねえよ!? なんだよそのパワーはっ!」

「そういうステータスだから仕方ないんだって」


 これでもかなり加減したほうである。

 フラムがその気になれば、パイルの肩に触れただけで彼の体を跡形もなく吹き飛ばすことも可能だろう。


「いっつぅ……んで、なんで止めたんだよ」

「その先、危ないみたいだから」

「あぁ? 山の中に埋もれてた遺跡だぞ、なにが潜んでるっていうんだよ」

「見てたらわかるよ」


 そう言って、フラムは神喰らいを引き抜き、隙間から扉の向こう側を睨みつけた。

 生命の気配はない。

 だが目をこらしてみると、鉄の人形が膝をついて待ち受けているのが見えた。


「人じゃない……やっぱりゴーレムの類みたい」

「んぁ……? うわ、マジだ。なんかいるな」

「ご主人様、あれは……」

「とりあえず二人とも私の後ろにいて。遺跡の探索は、あいつらを殲滅してから」

「おいフラム、危ないんなら無理して入る必要ないだろ。あとで王国軍にでも任せりゃいい!」


 パイルの言葉はもっともだ。

 しかし、星の意思の言葉――『進めばわかります』の真意を確かめるためにも、フラムは前に進まねばならないのだ。


「それでも犠牲者は出るでしょ? 私がやったほうが早いんだから、ちゃちゃっと片付けてくる」

「そりゃそうかもしれないが、なんかフラムらしくねえぞ?」

「私にも私の都合があるのっ!」


 そう言って、フラムは扉を蹴り飛ばす。

 ガゴンッ! とひしゃげながら飛んでいったそれを、異変に気づき起動した機械兵が迎撃した。

 暗い遺跡の内部をマズルフラッシュが照らす。


(一体じゃない……十体も二十体も、ぞろぞろと待ち受けてたんだ)


 だが数など関係なかった。

 フラムは銃口を向ける機械兵たちに向かって突っ込んでいく。

 同時に彼女の全身を装備が覆った。

 鎧はないが、そもそも必要がない。

 フラムがあえて装備を呼び出したのは、防御のためではなく――殴打、あるいは蹴打の威力を向上させるためなのだから。

 パンパンパンパンッ!

 複数の機械兵が一斉に射撃を開始する。


消えろリヴァーサルッ!」


 フラムがそう言葉を発しただけで、銃弾は消滅した。

 有と無を反転させたのだ。

 そのまま速度を緩めることなく接近し――


『警告します、それ以上の接近は――』

「いきなり撃ってきたくせになにが警告だっつうのッ!」


 怒りを込めて、剣を振り落とす。

 剣風が嵐を巻き起こし、機械兵たちを飲み込んでいく。

 伊達に番人はしていないらしく、フラムが放った気剣嵐プラーナストームに対し、踵から固定用アンカーを射出し耐えようとしている。

 彼らは、金剛石よりも硬く、かつ軽い体を持ち、高いパワーと圧倒的な耐久性、そして野生の獣を遥かに凌駕する機動性を兼ね備えた、まさに最先端技術の結晶であった。

 魔法という、以前の世界には存在しなかった技術を用いても、この先、数百年は追いつくことはないだろう。

 そんな、研究者であればよだれを垂らすほどサンプルを欲しがる代物は――


「耐えられるわけがないでしょうが、そんなひょろっちい体で!」


 しかし結局、フラムの剣技の前に儚く散った。

 数秒はこらえたものの、機械兵の体はすぐに吹き飛び、空中で切り刻まれる。

 気の刃による切断と、呪いによる腐食――それらが合わされば、この世に存在するいかなる物体でも切断可能である。

 ただし、フラムはこれでも加減したほうである。

 建物そのものが崩れ落ちないよう、範囲、威力ともにセーブしたのだ。


『緊急事態発生、緊急事態発生、敵性生命体の侵入を確認しました』


 機械兵を撃破すると、けたたましいアラームとともにそんなアナウンスが響いた。

 さらにレッドランプが騒がしく点灯し、真っ暗だった遺跡内を不気味に照らす。


「おいおい、これで探検なんてできんのかよ」

「問題ないでしょ、あっちが勝手にピンチになってるだけなんだから。追加で敵が来る様子もないし……とりあえず前に進もっか」


 気配は最初からなかったが、今はもう音もしない。

 先ほどので打ち止めだとは思えないが――ここに潜む何者かが、これ以上戦力を投入しても無駄だと判断したのかもしれない。

 フラムはミルキットの手を取り、しっかりと繋いで遺跡を奥へと進んでいく。

 パイルは二人を追う形で、周囲を見回しながら遅れて歩いた。


「なんか……想像してた遺跡とは違うな」

「とても技術が進んでいる感じがします」

「うん、末期の遺跡なのかもね」

「末期ってなんのことだ?」

「オリジンに滅ぼされる前の世界」

「聞いたことあるな、その話」

「かつてこの世界には人類が何十億人も存在して、でもその人たちは全員、オリジンに殺されてしまったという話でしたよね」


 フラムがいなくなった頃と比べて、過去に関する研究もかなり進んでいる。

 パイルですらその話を知っているのだから、専門の研究者ならもっと詳しい当時の生活まで暴いているに違いない。


「カムヤグイサマの遺跡が作られたのは滅亡よりそこそこ前……と言っても、直前になって逃げ込んだ人がいたみたいだけど。でもここは、建造自体が滅亡直前だったのかも」

「逃げ込むための施設ってことか? そんだけ前から残ってるってことは、相当頑丈だったんだろうしな」

「それにしては、人が暮らせるスペースはあまり無いですね」

「十中八九、研究施設なんだと思う」

「オリジンに対抗するための、ですか……」


 だが、ここが作られた時点で、人類はすでに滅亡の危機にひんしていたはず。

 その状況で、一体なにをしようとしていたのだろうか。


「人類の最後の砦ってことか……つうことは、さっきの人形は、オリジンの作った化物とかが入ってくるのを防ぐためのものだったのか?」

「かもね」


 フラムの攻撃に、一瞬とはいえ耐えるほどの力を持った兵士。

 それをもってしても、止められなかったオリジンの驚異。

 前に進みながらいくつかの部屋の内部を調べたが、どこも部屋は荒れていた。

 壁にも傷が残っており、争ったような形跡が見える。

 そして次の部屋には――二人の死体が倒れていた。

 白骨化も、腐敗もせずに。


「うわあぁっ!?」

「ひっ……ご、ご主人様、これって……」

「死体……? でも、いったいいつからここに……!」


 恐る恐る近づくフラム。

 匂いを嗅いで見るが、腐敗臭などはしなかった。

 だがそのかわりに、薬品めいた、独特の鼻につく異臭がする。


「薬でも使って死体を残してたの? なんのために……」

「な、なあフラム、さっきから俺、思ってたんだけどな」

「なに?」

「この遺跡……綺麗すぎやしないか? 想像もできないぐらい昔のものなんだろ? なのに、まるでつい最近まで誰かが住んでたみたいじゃねえか」

「私もそれは思いました。時間が止まったみたいな……」


 確かに二人の言う通り、道が朽ち果てることもなく、ほこりでまみれることもなく、遺跡はおそらく当時の状態のままでここに残っている。

 死体にしたってそうだ。

 とっくに朽ち果てて土に還っていなければおかしいだけの時間が経過しているはずなのに、なぜ生々しく人の姿を保ったまま残っているのか。

 しかも、肉体がそのまま残っている一方で、傷口だけは乾いている。

 血痕もほぼ残っていない。


「……進んでみないと、私にもなんとも言えないかな」

「そうですよね……」

「ただ、ひとつだけわかったことがある」

「なにがわかったって言うんだ?」


 フラムは険しい表情で死体を見下ろして言った。


「たぶんここの人たち、同士討ちで死んだんだと思う」

「仲間割れしたってことか?」

「いえ……違うと思います」


 パイルは不思議そうにミルキットのほうを見た。

 彼女はオリジンのやり口をよく知っている。

 だからフラムの言わんとすることをすぐに理解したのだ。


「たぶん、なんらかの手段でオリジンによる侵食を防いでたんだと思うけど、それが突破されて……操られて、殺し合った」

「……考えてみりゃ、入り口にはあんだけ人形が置いてあったのに、中ではほとんど見かけないって変だもんな」

「中で異変が起きたから、為す術もなく死んでしまったんですね……」


 それがわかったところで、死体がこの状態で残っている謎が解けたわけではないのだが。

 三人は部屋を出て、再び廊下を進む。

 研究所の最奥に近づくにつれて、倒れた死体の数はどんどん増えていった。

 それらはほとんどが白衣を纏っており、彼らが研究者であったことを示している。

 倒れ方、傷の付き方から、そして歪んだ表情から、その死に様が想像できるものも少なくなかった。

 もうとっくに魂はこの場所に残っていないが、しかしなにかを訴えかけているような気がして、特に死体に慣れていないパイルの顔は青ざめていた。


「……ここ、かな」


 そしてついに、一番奥にたどり着く。

 廊下の突き当りにはひときわ大きな扉があり、入り口とは違いぴたりと閉じられていた。


「鍵穴は見当たりませんね」

「代わりに横に板みたいなのがついてるな」

「触らないでね、死ぬかもしれないから」

「死なねえっての」


 さっき死んでおいてなにを言ってるんだ、と内心ぼやくフラム。

 できればあの力はもう使いたくない。

 また星の意思と顔を合わせるのも気まずいし、なにより世界を歪めているような気がしていい気分ではない。

 だから慎重に、まずは周囲を探る。

 最終的には破壊して前に進むつもりだが、この扉は入り口よりもさらに力を入れて作られている感じがするのだ。

 下手に力ずくで通ろうとすると、今度はミルキットが危険な目に合うかもしれない。


「ちょうど手のひらのサイズって感じだね……置いたらなにか起きるのかな」

「俺にはやめろって言ったくせに」

「私は頑丈だから」

「気をつけてくださいね、ご主人様」

「ありがと、ミルキット」


 フラムは扉の横に設置された板に手を置く。

 しかし――なにも起きない。

 拍子抜けして、後ろに立っていた二人のほうを振り返った。


「……なんでお前がここにいるんだ?」


 三人目・・・の男が言った。

 それはこっちのセリフだ、とフラムは思った。

 だがそれを声に出す前に体を動かす。

 男の位置はパイルとミルキットの更に後ろ。

 普通なら間に合わない距離だが、今のフラムならば余裕だ。

 飛び出し、二人の間をすり抜け、男に飛びかかり――すり抜ける。


「っ!?」

「おいおい、なんでいきなり襲ってくるんだ、水月みなづき……いや、フラム」


 男は、着地したフラムの前に立っていた。

 彼女より早いスピードで後退したとでもいうのか。

 いいや、不可能だ。

 少なくともこの男にそんな力があるようには思えない。

 だが――試しにスキャンをかけてみるも、反応は一切なかった。

 つまり彼は、どうやら生命体ではないらしい。


「なんで私の名前を知ってるの!?」

「なんでって、俺だ、茶谷だよ」

「チャタニ……?」


 この男がなにを言っているのか、フラムはもちろんのこと、パイルやミルキットもわからなかった。

 だが茶谷と名乗った彼もまた、首をかしげる。


「お前、フラム・ウォータームーンじゃないのか?」

「誰それ。私はフラム・アプリコットだけど」

「待て……あれは、ミルキット・ソレイユか? 顔に傷を負っているようだが、生きていたのか!?」


 男はフラムの前から消えたかと思うと、ミルキットの近くに瞬間移動した。


「ミルキットッ!」


 すぐさまフラムは彼女に駆け寄り、その体を抱きかかえて移動する。

 そして男を睨みつけた。

 すっかり蚊帳の外のパイルは、少し距離を取って事態を見守っている。


「なんのつもり? 私はあんたのことなんて知らないっ!」

「どういうことだ? 記憶でも失い……いや、違う。顔が少し違うし……胸も小さいな」

「な……大きなお世話だっての!」

「私は好きです!」

「ミルキットも乗らなくていいから!」


 フラムは顔を赤くしながら、茶谷の目を避けるように手で胸元を隠した。


「一つ聞いてもいいか?」

「答える義理はない」

「西暦2198年からどれぐらい経った?」

「だから答える義理は無いって! あとセイレキなんて言葉も……あれ? 確かそれって……」

「古代で使われていた、年数の区切りを示す言葉ですね」

「古代? 古代と言ったか? 待て、ではオリジンはどうなった!」

「オリジンなら私たちが倒したけど……」


 フラムの言葉に、茶谷と名乗る男は目を見開き、声を震わせた。


「なんだと……? オリジンが、倒された? それは本当かっ!? いつ、どうやって!」


 ずいずいとフラムに迫りながら、彼は問い詰める。

 気圧されながらも、彼女は答えた。


「い、今から四年前に、私がぶん殴って……」

「死んだのか、確かに!」

「いや、正確には死んでないと思うけど……」

「どっちなんだ、はっきりしろ!」

「ただ死ぬだけじゃ足りないと思ったから、永遠に死ねないようにしたから、今も苦しんでると思う」


 その答えを聞いて、彼の動きはぴたりと止まる。

 かと思えば、じわりじわりと口角が上がっていき、気持ち悪いほどの満面の笑みが顔に張り付いた。


「は……はは……はははっ……! あはは……そうか、死ぬより苦しい……そうだな、それがいい、あいつにはそれがお似合いだ! ははははっ、くあははははははっ! よくやった、よくやったぞ水月ぃッ! いいや、これはプロジェクトリヴァーサルの勝利だ! 俺たちは勝ったんだ! あの忌まわしき天才に! あはははははははぁっ!」


 高らかに、大きな声で笑う茶谷。

 彼の狂喜は遺跡中に響き渡り、フラムたちは呆然とその様子を見ていた。


「はははっ、こんなに嬉しいことがあるか!? あの木学が! 世界の全てを見下していたあのクソッタレが! ただ死ぬのではなく、今も苦しみ続けているなんて! ざまあみろっ! 俺から家族を奪った報いを受けるんだな木学! はははっ、ざまぁみろぉおおおおッ!」


 ひとつだけはっきりしているのは――この男もまた、オリジンに人生を狂わされた一人だということだけだ。




 ◇◇◇




 男の喜びが収まるまで、それなりの時間を要した。

 ようやく彼とまともに会話ができる程度に落ち着いたところで、フラムと彼はようやくまともに向き合うことができた。


「馴れ馴れしく名前を呼んで済まなかったな。俺は茶谷ちゃたに春樹はるき、プロジェクトリヴァーサルを主導していた研究者だ」

「私はフラム・アプリコット」

「ミルキット・アプリコットと申します」

「俺はパイル・アナナース……って、俺の自己紹介いるか?」


 たぶん必要ないが、完全に蚊帳の外にされるのもかわいそうなので、フラムは一応パイルにも名乗らせておいた。


「状況はだいたい把握した。どうやらこの施設は、ずいぶんと長い間、眠りについていたようだな」

「山の中に埋まってたからね」

「中身が無事だっただけ奇跡だ。しかし、防衛用兼お掃除ロボットを配置しておいたはずだが、あれはどうなったんだ?」

「私が壊したけど」

「壊したのか……あれ一体で何億すると思っているんだ」

「あんな物騒なもの、オリジンが滅びた今は必要ないでしょ」


 フラムは唇を尖らせて言った。

 あれがいたせいで、無限ループ未遂を起こしてしまったのだ。

 自分のミスも一員だが、あんなものは壊されて当然だと彼女は考える。

 しかしあれがお掃除ロボットまで兼任していたということは、施設内の清潔が保たれているのはそのおかげなのだろう。


「なあチャタニさん、さっきから聞いてると、あんたまるで古代から生き続けてるような感じがするんだが……それは驚異のテクノロジーとか、オーパーツの力とかそういうやつなのか?」


 それはフラムも気になっていた。

 先ほどの、瞬間移動まがいの動きのことも。

 するとパイルの疑問に、茶谷はあっさりと答えた。


「そんなわけがないだろう、俺はとっくに死んでいる。ここに立っているのはホログラムで、本体はこの奥にある有機コンピュータだ」

「ホロ……? ユーキ……?」

「見たらわかる」


 茶谷が近づくだけで、大きな扉は自動的に開く。

 その奥にあったのは、人の大きさほどの鉄の箱だった。


「これが有機コンピュータ。研究所がオリジンの意思に侵された際、俺は緊急時用に作っておいたプログラムを呼び出し、この中に人格をコピーしたAIを作り上げたわけだ」


 部屋に入ってきた三人は、誰一人として彼の話を理解できない。


「技術体系の違う世界で話したところで無意味か」

「要するに……その箱の中にあなたの人格が入ってて、今見てる姿は幻覚みたいなものってこと?」

「悪くない認識だ。空中に映し出しているというよりは、対象の視覚に投影していると言ったほうが正しいからな」

「あと、もしかして死体とかがそのまま残ってたのって、このあたりの装置を維持するために細工したから……とか?」

「それも正解だ。施設内の装置――特にこの有機コンピュータが朽ちるのを防ぐために特殊な微生物を放ってある。材質にもよるが、こいつは特にデリケートだからな。しかしよく気づいたものだ。前々から思っていたが、お前は見た目よりも頭が回るらしい」

「誰のこと言ってるか知らないけど、それ普通に失礼だから」


 フラムはあまり仲良くなれる相手ではない、と肌で感じていた。

 方向性としてはジーンに似ているのかもしれない。


「それにしても驚いた」

「ずっと驚かされてるのはこっちなんだけど……」

「なんだ、ここまで話していても気づいていないのか?」

「なにが?」

話が通じている・・・・・・・ことに・・・だよ」


 なにをわけのわからないことを――と言いかけたところで、フラムは気づく。


「……あれ?」


 確かに、どう考えても、おかしい。

 茶谷はオリジンに滅ぼされてから今日までずっと眠り続けていた。

 おそらくこの研究所に生きた人間が存在しなくなった時点でスリープする仕組みになっていたのだろう。

 ならば――彼に今の世界で使われている言語を学ぶ時間など無いはずなのだ。

 なのに、言葉が通じている。

 それが意味するところは――


「これだけの長い時間、言葉が変化しなかったのか。とてつもない奇跡だな」


 そう、古代から言葉が変化していない。

 今現在フラムたちが“王国語”と呼んでいるその言葉は、茶谷の使う日本語そのままなのである。


「そんなことありえるんですか?」

「いや、奇跡ではないかもしれない。なるべくしてなった――お前たちの使う言語の基礎を作り出した人間は、ひょっとすると遺跡になったかつての学校あたりに残っていた、“学習装置”から言語を習得したのかもしれん」


 西暦2198年、日本にある各種学校において、言語学習は茶谷の言う“学習装置”なる機械を用いて行われていた。

 とはいえ、それは脳に直接知識を書き込むとかそういった胡散臭いものではなく、搭載されたAIとの会話を通じて効率的に言語を習得するためのものだ。

 その中でも幼稚園や小学校で使われていたものは、性能よりも頑丈さが求められていたため、特別強く作られていたのだという。

 悠久の時を経ても生き残っていたのは、そういった要因があってのことだろう。


「それにしても……はは、歴史の証人にでもなった気分だな」

「まあ、話せるなら話せるで私としては“良かったね”ってことでいいんだけど……一番気になること、聞いてもいい?」

「どうせ話すつもりだった。この研究所でなにをしていたか、だろう?」


 茶谷は、フラムをフラム・ウォータームーンなる人物を見間違えた。

 ミルキットも同じく、ミルキット・ソレイユと間違えられたのだ。

 つまり彼は、二人によく似た人物を知っている。

 さらにフラムは、星の意思から『ここに来たらわかる』と言われているのだ。

 その鍵を茶谷が握っているのは間違いないだろう。


「プロジェクトリヴァーサル――俺たちは、ここで“反”オリジンのエネルギーについて研究していた」

「反オリジン……」

「知っているかもしれんが、オリジンは人の意識を循環させることでエネルギーを作り出す装置だ。コイルに電流を流すと磁場が発生するだろう? ざっくり言うとその理屈と似たようなものだと考えてもらっていい」

「デンリュウ? ジバ? それなに?」

「……まさか電気も存在しないのか? とにかく、人の意識が源泉となっていることは知っているはずだ」

「まあ、それなら」


 フラムはオリジンを反転させて破壊したのだ、そのためには多少なりとも仕組みはしっておかなければならない。

 とはいえ、詳しい原理までは理解していないし、その必要もないと考えている。


「俺たちが作っていたのはその逆――つまり反時計回りに人の意識を循環させた際に生まれる、いわば負のエネルギーとも呼べるものでな。これがうまくいけば、オリジンの力を相殺して打ち消せるはずだったんだ」


 それは――まさに現代において、フラムがオリジンを破壊した方法に似ている。

 だが似ているだけで、実際は相殺したのではなく、オリジンのそのものを反転させ、反オリジンのエネルギーを作り出す装置へと作り替えたのだが。


「だが当然、オリジンの力を受けただけで狂う人間に、逆の力を与えたらどうなるかなんて目に見えていた。死ぬとわかっている研究に志願する都合のいい人間なんていなかった」

「でもそこに……」

「ああ、俺たちはフラム・ウォータームーンを見つけた。特異体質だったんだろうな、彼女はオリジンの力への“耐性”を持ち――それはつまり、反オリジンエネルギーに対しても一定の耐性があるということを意味するわけだ」


 フラム・ウォータームーンは、研究のモルモットとなることを承諾した。

 だがなぜ、彼女はそのような非人道的な実験を受け入れたのか。

 それが今のフラムと関わりのある人間なのだとしたら、間違いなくその動機は正義の心などではないはずだ。


「ねえ、チャタニさん。もしかしてその話、ミルキットも関係あるんじゃない?」

「……私、ですか?」

「うん、だってさっき、私だけじゃなくてミルキットをみたときも驚いてたみたいだから」

「当然だ。フラム一人だけならともかく……いや、一人でも腰を抜かすほど驚いたが、二人セットとなれば運命という非科学的な代物を信じなくてはならない」


 どこまでを科学の範疇に含めるかはわからないが、フラムはその“運命”を操れそうな存在を知っている。

 実在するとなれば、それはもはやオカルトではなくなるのだろう。

 だが話せば、ただでさえややこしい状況がさらにこじれそうなので、口をつぐむことにした。


「その、まだよくわかっていないのですが……大昔に私とご主人様にとてもよく似た人がいて、その二人も仲良しだったということですか?」

「そうだな――口で説明するよりは、見てもらったほうが早いだろう」

「見るってなにを……」


 フラムたちの前方に、画面が浮かび上がった。

 今の茶谷を表示しているホログラムの技術を利用し、ディスプレイを作り出したのだ。

 そしてそこに――フラム・ウォータームーンの姿が映し出された。


「彼女はある日を境に、携帯端末で日記代わりの動画を撮影するようになったらしい。これは、その記録だ。いつか誰かがここに来たとき、見せて欲しいと頼まれている」

「なんでそんなこと頼んだんだ?」

「誰にも知られず死んでいくのが寂しかったんだろう」


 大切な人は、自分を置いて逝ってしまった。

 残された人々は彼らの死を嘆いた。

 けれど最後に残った一人の死は――誰も看取らないし、誰も嘆かない。

 ただただ静かに終わりを迎える。

 それは自らの死が見えているからこその恐怖だ。

 これから流れるのは、『どうせ命を失うのなら、少しでもマトモでありたい』――そんな十六歳の少女の悲痛な願いそのもの。

 悲劇で始まり悲劇で終わる、その先に待つものが救いだとわかった今だからこそ見ることのできる、どうしようもなく残酷なだけの記録だった。




 ◇◇◇




『映ってる……かな? よし、仮想カメラはこのあたりにセットして……うん、これでいいかな』


『こんにちは、フラム・ウォータームーンです。今日は2198年の1月1日、本当ならハッピーニューイヤーとか言って騒いでる日です』


『……いや、なんかこれじゃ私が死んだあとにメッセージ残すみたいでやだな……でもまあ、似たようなもんか』


『えーっと、日記とか柄じゃないと思うんだけど、不安になったんでこうして動画を撮ることにしました』


『今まではなんとなく他人事っていうか、“自分だけは生き残れるんじゃないか”とか甘いこと考えてたけど、そうもいかなくなったんで』


『……うん、そうもいかなくなった』


『前から学校はみんなおかしくなってたし、町とかとっくに頭おかしいやつで溢れてたんだけど、なんでそれに気づかなかったんだろうね。オリジンの力ってやつなのかな』


『ただの発電所だと思ってたのに、気づかないうちにそんなことになってたなんて、恐ろしい話だよね』


『でも……私とミルキット以外はまだ気づいてないみたいで。オリジンっていうのは、人の脳みそを操って、色々やっちゃう危険な装置なんだと思う。でも、違和感は消されちゃうから、ほとんどの人はオリジンが悪いことにすら気づけない』


『ううん、むしろみんな、オリジンをまるで神様みたいにあがめてる』


『だったらオリジンをぶっ壊せばいいんだけど、ただの女子高生の私にそんなことできるわけないじゃん?』


『それに、オリジンがある周辺には、ロボットとか、頭がおかしな人が集まってるらしくって、近づくことすらできないんだって』


『だから、どうしようもないの、私には』


『まあ……どうしようもないって言っても、私がやったことが消えるわけじゃないけど』


『……』


『……私は、今日』


『両親を、殺しました』


『大好きな……お父さんと、お母さんを、殺さなくてはなりませんでした』


『ほんの数時間前のことで……手には、まだ、包丁で刺したときのぐちゅっていう感覚とか、お父さんの頭を殴ったときの……なにかが潰れる感触とか、残ってて』


『思い出すだけで……う……ぁ……はあぁ……あ……やだ、やだぁ……っ、なんで……こんなことに……!』


『すっごく……すごく、優しかったのに……大好きだったのにっぃっ! こんなこと……に、なる……う……ううぅぅぅうう……っ!』


『……っく、く……ぁ、はぁ……ううぅ……うわあぁぁぁああ……ッ!』


『あ……は……はぁ……はぁ……いきなり……お母さんは、笑いながら、私を殺そうとしてきて……』


『包丁を奪って……そしたら、刺さってしまって……』


『お父さんは……ミルキットを、襲ってて……どう考えてもう普通の人間じゃない力で掴みかかって……だから、殴るしかなかった……ああするしかなかった……!』


『……あ』


『ミルキット……ありがと』


『……はぁ』


『今は、見ての通り、ミルキットと二人きりだけど』


『どうにか、やっていけてます。一人じゃ無理だけど、二人なら……どうにか、なると思う』


『あ、あぁ、そうだ、ミルキットっていうのはね、私の大事な友達なのっ! クラスメイトで、普段は挨拶する程度の関係だったんだけど、ある日……なんていうか、な……えっと、私が行き場を失ったこの子を拾うことになって』


『それから、親の許可をもらって、一緒に暮らしてた』


『まあ、変な子だし、おっぱい大きいけど、一緒にいると割と楽しい、です』


『そんなわけで、これから二人で逃げようと思います! どこに逃げるかはまだ決めてないから、とにかくオリジンの影響が少ないところとしか言えないけど……絶対に逃げ切って、生き残ってみせるから』


『だから……お父さん、お母さん。きっと、天国では、普通になってると思うから……見ててね、私が頑張るところ』



 ◇◇◇




『2198年、1月15日』


『二人で逃げ始めてから二週間がたちました』


『今のところ、旅は順調です』


『とりあえず自分が知ってる範囲内をぐるぐる逃げ回ってるけど、元からあんまり都会じゃないおかげか、そこまで頭がおかしい人には遭遇してなくて』


『というより……みんな死んでるっていうか』


『まともな人にも何人か会えたけど、疑心暗鬼で、むしろ頭おかしい人より怖いっていうか……うん』


『幸い、食料はまだまだ残ってるし、ホテルの部屋とかも使い放題なんで、割と贅沢してます』


『お金は……もうそういう状況じゃないし』


『あ、一応贅沢ばっかりじゃなくて、缶詰とかの長持ちしそうな食べ物も一箇所に集めて保管してるから、もし偶然この動画見てる人がいたら、位置データ保存しておくから参考にしてください。たぶん五年ぐらいはもつと思うから』


『あとは……なんだろ。想像してたよりも今のところうまく行ってるから、特に言うことはないかな……』


『やっぱり二人ってのがよかったんだと思う』


『一人だったら……とっくに、生きるの嫌になってただろうから』


『うん、まあ、恥ずかしくて面と向かっては言えないけど』


『今、ミルキットは後ろにあるベッドで寝てます』


『やっぱ体力は無いみたいで、あと元々体が弱かったのもあって……今日も歩きまわったから、疲れちゃったみたい』


『それに……慣れてきたとはいっても、やっぱり死体を見るのは辛いから』


『……すごく、辛い』


『でもやれるだけは頑張るつもり。お父さん、お母さん……まだ、お墓は作れてないけど、もっと安全な場所を見つけられたら、絶対に作ってみせるから』


『だから、見ててね』




 ◇◇◇




『2198年、2月14日』


『バレンタインってことで、今日はスーパーから調達してきたチョコを二人で食べました』


『チョコケーキでも作ろうかって話してたんだけど、拠点にしてたホテルがオリジンのせいで頭がおかしくなった人たちに襲われて、慌てて逃げ出してきたから』


『この感じじゃ、缶詰保管所にはもう近づけないかも』


『でも、まだまだ悪くなってない食べ物はいっぱいあるから、大丈夫』


『それにしてもあの人たち、たぶん長い間なにも食べてないと思うんだけど……すごい動きだった』


『骨とから折れたり、血をだらだら流しても、全然止まらなくて』


『今までは逃げればいいと思ってたけど……これからは、戦わないと、生きていけないかもしれない』


『なんで、ホームセンターに立ち寄って、武器になりそうなものを仕入れてきました』


『ほら、ハンマーとかバールとかは、行き止まりになってるところを壊すのにも使えるし、いいと思って』


『結構重いけど、必要経費だと割り切って使ってます』


『今日は甘いものを食べたおかげかな、今のところ頭は冴えてるから、やっぱ糖分って大事なんだね』


『ミルキットの体調も良さそうで……うわっ!? ちょ、ちょっといきなり抱きついてこないでって……』


『前々からだけど、最近は特にスキンシップが激しいっていうか……まだまだ寒いからね、人肌恋しくなるのはわかるんだけども』


『それにしても、あのホテルが使えないとなると、また別の拠点を探さないとね』


『あそこはまだ電気や水道が生きてたから、贅沢にお風呂につかったりもできたんだけど……もっと都会のほうに行けば、安全な場所もあるのかな』


『そろそろこの町から出ることも考えてます』


『山とかは越えたくないかな……もちろん電車は無理だし、車……あぁ、車かぁ。もちろん免許は持ってないけど、運転方法ぐらいは身につけておいたほうがいいかもね』


『幸い、人の乗ってない、鍵のつけっぱなしの車はそのあたりにいっぱいあるんで』


『……いざというときは、武器にもなるかもしれないから』


『今日は、そんな感じです』


『でもまだまだ、私の体力はあるし、ミルキットも元気だから……お父さん、お母さん、安心して見ててね』




 ◇◇◇




『はぁ……はぁ……はぁ……』


『あぁ……えっと……2198年3月4日』


『今日は……都会に出てきて、ちょうど一週間、経った日で……』


『はは……本当はこんなことしてる場合じゃないかもしれないけど、もう、次はないかもしれないから』


『今のうちに撮影しておこうと思って』


『……』


『……ミルキットは、寝てます』


『足の傷が、ひどくて……ずっと苦しんでたけど、薬とかいろいろ調達してきて……なんとか、治療っぽいことはできたと思う』


『でもあいつら、なんで……別にオリジンのせいで頭がおかしくなったわけじゃないのに!』


『変な神様を信仰してるやつらがいて……原始人みたいな格好してて、それに襲われて、矢とか撃ってきて、いきなり……ほんと、いきなりで……っ! 頭おかしいよっ!』


『私たち、ただ夜景を見てただけなのに』


『星が……綺麗で』


『町に光が無いから、本当に、星が綺麗で』


『はは、ちょっと、私……ミルキットのこと、口説いてみたり』


『ミルキットも……まんざらじゃなくて』


『私……まだ、起きてるときは言えないけど……たぶん、この子のこと、好きなんだと思う』


『友達じゃなくて、恋愛的な意味で』


『……こんなときになに言ってんだって話だけど』


『でも、割と本気だから』


『この子だけは、絶対に守らなくちゃならないって思ってるから』


『だから……お願い、神様……! オリジンじゃなくて、あの変なやつでもなくてっ、本当の神様っ! どうか、ミルキットを救ってください……!』


『こんな傷一つで死ぬなんて……そんなこと、ないよね?』


『ないよ』


『絶対に』


『お父さん、お母さん、どうか……ミルキットのこと、守ってあげてください』




 ◇◇◇




『……』


『……』


『……』


『2198年3月11日』


『……』


『……』


『……今日は』


『今日は……う……うぅ……』


『……ミルキットが、死にました』


『……』


『……』


『頑張って、逃げて』


『変な奴らも……オリジンでおかしくなった人も……必死で、逃げて』


『ミルキットが離せって言っても逃げて』


『逃げて、逃げて、逃げて――最後は、私をかばって死にました』


『……』


『……』


『……意味、ないじゃん』


『私はっ、あなたを守るために今日まで頑張ってきたのに、ミルキットが死んだんじゃなんの意味もないよぉっ!!』


『ねえ、ねえっ、なんでっ!? なんであの子なの!? どうして私だけ生き残って……なんで、なんで、なんでえぇぇぇぇぇえっ!』


『はぁ……あ……う、ううぅ……っ、私……これで、一人ぼっちだよ……』


『なんのために生きていけばいいの……?』


『どうやって……私は……』


『……』


『……』


『……お父さん、お母さん。そこに、ミルキットはいる?』


『私も、そっちに行ってもいいかな?』




 ◇◇◇




『2198年5月28日』


『私は、今日も生きている』


『何度も自殺を試みたけど、結局無理だった』


『私にはそんな勇気はなかった』


『街中から腐った匂いがして、たまに人を見かけたかと思えば奇声をあげて襲いかかってきて』


『今日は、十人ぐらい殺しました』


『おかげでお父さんやお母さんを殺したときの感触薄れてきて』


『少しずつ、心がまともに……』


『……いや、少しずつ、壊れてるのかも』


『もう、そのへんもよくわかんないんです』


『ただ生きてて、意味もなく生きてて、よくわかんない』


『最近はちょっとだけ、あの変な宗教を信じるやつらのこともわかってきたかもしれない』


『だって、みんな生き返るって聞いたら……根拠なんてなくても、心が揺らいじゃうから』


『お父さん、お母さん、ミルキット』


『私……いつになったらそっちに行けるのかな』


『……また、会える日が来るのかな』




 ◇◇◇




『2198年6月22日』


『今日は、外からじゃなくて、施設の中で動画を撮影してます』


『あれから……都会で変な男たちに付きまとわれて』


『でもその人ら、他の人たちとは違って……まあ、割とまともな人みたいで』


『それで、一緒にここに来ました』


『プロジェクトリヴァーサルっていうのを研究してる施設らしいです』


『温かいベッドもあって、食事もおいしくて、あと久々にお風呂に入ったのがすごく気持ちよかった、です』


『……まあ、そんな美味しい話はなかなか無いんだけど』


『もちろん対価もあるから、そこは、怖いかな』


『でも、やっと意味のある死に場所を見つけられたっていうか』


『胸を張ってミルキットたちのところにいける手段を見つけたから』


『もうそろそろ、私の人生は終わりになりそうです』


『今までは生きていくのに必死で、ぜんぜん恨みとか考えたことなかったんだけど』


『よく考えたら、全部オリジンのせいなんだよね』


『しかも茶谷さんが言うには、オリジンの中には、オリジン・ラーナーズっていうとんでもないドクズが混ざってるんだとか』


『こうなったのは、たぶん全部、そいつのせいなんだって』


『あいつを殺せるのなら』


『あいつに復讐できるんなら』


『報いを、与えられるなら』


『私の命なんて安いものだと思う』


『だって、もう死んでるようなものだもん』


『死にたくて、死にたくて、ずっとそう思ってきて――やっと死ねて、しかも復讐できるっていうんだよ?』


『こんなの、やるしかないよ』


『絶対に……耐えてみせるから』




 ◇◇◇




『2198年7月20日』


『そういや、今日は私とミルキットが出会ってちょうど一年経った日らしい』


『なんかうまく行き過ぎてるっていうか』


『そんな日に死ぬなんて、やっぱあの子との間には、運命みたいなものがあったんじゃないかなって思う』


『なーんちゃって』


『今、ここは研究室の中です』


『ご覧の通り、私の周りには人の脳みそが入った試験管みたいなのがあって……これが反オリジンエネルギー生成装置』


『私はこのエネルギーを体に宿すっていうイカれた実験を受けてるんだけど』


『見てわかるように、体のいたるところがねじれてます』


『すっごく痛くて、最近はぜんぜん、夜とか眠れないです』


『まあ……でも、それも今日までだからね』


『昨日の夜、オリジンの意思ってやつが、研究所の特殊な壁をすり抜けてきたんだって』


『それで頭のおかしくなった研究者の人たちが殺し合いを初めて、もうこの部屋以外は全滅してて……残る研究者は茶谷さんだけなんだとか』


『だから、言ってしまえばこれは、悪あがきなんだと思う』


『しかも100%無駄だってわかりきってる、馬鹿らしいやつ』


『あーあ……痛かったのに、苦しかったのに、無駄だったじゃん。ぜんぜん、届かないじゃん……ってなっちゃいそうだけど』


『でもまあ、私の命なんて価値ゼロだから』


『ほーんと、空っぽだからさ』


『やっていいと思う』


『なにもせずに死ぬよりは、私の意思で選んだ死に方がいい』


『そう思うから』


『……ねえ、ミルキット』


『もしどっからか私のことを見てるんならさ』


『もしかしたらあの世に行った拍子で忘れちゃうかもしれないから、今のうちに宣言しておくね』


『すぅ……はぁ……』


『私――』


『今度会えたら……絶対に、ちゃんと、“愛してる”って言うからね』


『友達で誤魔化したりしないから』


『恋人になって、なんだったら嫁にとって、世界で一番幸せにしてやるからっ!』


『何年経っても、何百年経っても、何千年、何万年、何億年経ったって……』


『絶対に、叶えてみせる』


『……』


『……茶谷さん、いいよ』


『とっておきのやつ、やっちゃって』




 ◇◇◇




 動画はそこで終わっている。

 全てを見届けて――ミルキットは、静かに涙を流した。

 単純に、目の前で繰り広げられる悲劇を見て、というよりは……もっと胸の奥底からこみあげてくるものがあったようだ。

 だが一方で、当事者であるはずのフラムは、平然としている。

 パイルはひとり、わけもわからずぽかんとしていたが。


「てっきりお前が泣くと思っていたんだが」


 茶谷はフラムを見て言った。

 ミルキットも意外そうに主のほうを見つめている。


「これ、たぶん私の前世とかそういうやつって言いたいんだろうけど、あんまりピンとこないってのが一つ」

「もうひとつは……なんですか?」


 フラムは歯を見せながら笑い、言い放つ。


「今はもう、悲劇じゃないから」


 確かにあの頃は悲劇だったかもしれない。

 狂ってゆく世界。

 両親とミルキットの死。

 成果をあげられなかったプロジェクトリヴァーサル。

 だがそれは、過去の話だ。

 全てが理不尽で、無意味な終わりに思えたかもしれないが――それがあったからこそ、今の世界がある。


「もし本当に、このフラム・ウォータームーンって子が私の前世だって言うんなら、オリジンを倒して、ミルキットと結ばれた時点でハッピーエンドでしょ? そりゃあ、昔は辛いことだってあったかもしれないけど、今は幸せなわけでしょ? だから、泣くようなことじゃないと思う」


 志半ばで倒れたミルキット・ソレイユとは異なり、フラム・ウォータームーンの死は世界にとって、ひとつの終着点だった。

 そう、彼女は最後の人類であり、彼女の死と同時に一つの時代が終わりを告げたのだ。

 だからミルキット・ソレイユにとって、その映像は、初めて見る新鮮な悲劇だったに違いない。

 だがフラムは違う。

 彼女はそれを実際に経験してきた張本人である。

 そしてそのあとに、魔王討伐の旅に出て、ジーンに売られ、ミルキットと出会い、紆余曲折を経てオリジンを撃破した――そんな未来があるのだ。

 ひとつなぎで続いていて、なおかつオリジンが破壊された時点で一つの決着をつけた。

 つまり、すでに“終わった過去”なのだ。


「むしろ笑い飛ばしてやるべきだよ。今の私が、オリジンと戦ってた頃にした、自分の無茶を思い出したときみたいに」


 言葉通り、フラムは笑ってみせた。

 数えきれないほどの悲劇が起こったのは、今の世界だって同じだ。

 たくさんの命が失われて、たくさんの想いが踏みにじられた。

 悲しむ人もいるだろう。

 嘆く人もいるだろう。

 だけどフラムはそうしない。

 今の幸せを濁らせないために。

 ああ、そういやそんなこともあったな――と思いきり笑って、時間の彼方に追いやってしまうのだ。

 フラム・ウォータームーンがフラム・アプリコットの前世だというのなら、きっとそうしてほしいと願うはずである。


「いつまでも引きずるより、か……そうかもしれないな。お前とミルキットが笑うなら、フラム・ウォータームーンも報われるだろう」


 茶谷がそう言うと、フラムたちの右側にあった扉が開いた。

 自然と三人の視線がそちらを向く。


「あの場所は?」

「反オリジン装置が設置してある部屋だ。同時に、フラム・ウォータームーンが息絶えた場所でもある」

「死んだのに気づいてるなら、私を見間違えるのはおかしいんじゃない?」

「彼女の死に気づいたのはついさっきだ。俺の機能は、施設内に一定サイズ以上の生体反応が存在しなくなった時点で休止するようになっていたからな」


 つまりAIとなった彼は、フラム・ウォータームーンの死とまったく同時に長い眠りについた。

 だから彼女が息を引き取る瞬間を見てはいないらしい。

 施設内に残った死体の状態からして、おそらく扉の向こうにあるものも、当時の姿のまま残っているのだろう。

 反オリジン装置の最大出力を受けた人の肉体――あまり見たくはないが、しかしそれが彼女のものだというのなら、おそらく見届ける義務がフラムにはある。


 フラムは部屋に入った。

 室内には、巨大な試験管のような装置が円形に並んでいる。

 上部に付けられた透明のケースは全て割れており、中に入っていたであろう人の脳が床に落ちていた。

 まるで摘出直後のように鮮やかな色だ。

 見れば明らかだが、この部屋で行われていた研究も、オリジンに負けず劣らず非人道的だ。

 この脳だってそうだし、被験者の末路にしたってそうである。

 言うまでもなく違法。

 しかし取り締まる者が存在しない。

 生き残った人類も、手段を選んでいられない。

 だからこんな狂気に手を染めた。


「っ……これ、が……」


 装置に囲まれた中心部に横たわるそれを見て、ミルキットは息を呑んだ。

 それは……肉塊だった。

 施設内に残されたどの死体よりも人の形を残していない、ただ赤いだけの、ねじれた肉の塊。


「フラム・ウォータームーンの成れの果てだ」


 茶谷は目を細めながら言った。

 マッドサイエンティストと呼ぶべき彼にも、多少は良心というものが存在したのだろうか。

 それとも、生まれ変わった本人が目の前にいるから、気を遣ってみたのか。

 どちらにせよ、フラムは別に気にしていない様子だが。


「痛かったんだろうな……」


 肉塊に近づき、しゃがみこむと、彼女はそう言った。


「お互い大変だったね。そういう星の下に生まれてきたのかなぁ、私って」


 フラムだって、オリジンとの戦いの中、想像を絶する苦痛を何度も味わってきた。

 アンズーにはいきなり手足を吹き飛ばされて、インクの目玉に足を増やされ、蘇った死体の群れに四肢を千切られ、ルークとの戦いでは顔をえぐられ脳まで傷つけられたり。

 他にも色々と――もう思い出すのも嫌になるほど、ひどい目に遭ってきた。

 それが前世から続いていると言うのだから、笑わずにはいられない。


「まあでも、もう無いから。生まれ変わりなのか、力だけが私に巡ってきたのかはわかんないけど……こっから先は痛い思いをすることはもうないし、ミルキットを世界で一番幸せにするってあれも……」

「叶ってます! 私は、ご主人様に愛されて誰よりも幸せですっ」

「とまあ、こんな具合だから。そういうわけで、安心してね」


 言葉は、その程度で十分だ。

 そもそも、語りかけることに意味があるかどうかすら定かではないのだから、

 フラムは立ち上がると、ねじれた死体を見下ろす茶谷に声をかける。


「チャタニさんは、これからどうするの?」

「俺はもう人間ではない。だが不思議なことに、眠っている間に夢を見ていてな」

「夢?」

「死んだ妻や息子と一緒に、平和な世界で、ずっと満たされた日常を暮らすんだ。妙にリアリティがあった。妻子に触れた感触も覚えている」


 彼は手のひらを見ながら言う。

 だが、その手は誰にも触れることはできない。

 あくまでホログラムなのだから。


「AIは夢を見るのか。魂が存在するのなら、俺のは今、どこにあるのか――研究者としては気になるところだが、好奇心より勝る感情が俺の中にあるのでな」

「……それは、どんな感情なの?」


 フラムはわかった上で、あえて聞いた。

 すると茶谷は破顔して答える。


「もう終わりにしていいんじゃないか、という気持ちだ」


 オリジンへの復讐や、オリジンの作り出す地獄……それから解放された彼の表情は、いつになく安らかだ。

 終わりはネガティブな意味ばかりではない。

 前へ進むために、次の世界へ一歩踏み出すために、幕引きが必要になることもある。


「疲れた……とは違うな。なんなんだろうな、この感情は。ここはもう、俺がいるべき場所ではない、という直感とでも言うべきだろうか」

「どうやったら終わらせられるの? 私にできることなら手伝うけど」

「それなら頼むか。有機コンピュータを破壊してくれ。それで俺は機能を停止する」

「わかった。じゃあそうするね」


 あっさりと請け負ったフラム。

 だが、ずっと蚊帳の外だったパイルがそこに口を挟んだ。


「なあフラム、それってチャタニさんが死ぬってことだろ? いいのかよ、それで」

「言ったはずだ、俺はもう死んでいると。それに、今の俺は自分の意思で死ぬことはできないし、この施設から出ることもできない。平和になった退屈な世界で、死体と何百年も暮らせとでもいうのか?」


 茶谷は冗談ぽく言ったが、それは紛れもなく彼の本音である。

 パイルはもう、なにも言い返すことはできなかった。

 悲観的になったわけではなく、茶谷は限りなく前向きに死を望んでいるのだ。

 いくら常識的な倫理観がそれを否定しようとも、彼の幸福はそちら側にある。


 フラムたちは先ほどの部屋に戻ると、有機コンピュータの前に立つ。

 核ミサイルでも壊れないほど頑丈な箱の中には、生物の一部を使って作られたパーツが詰め込まれているらしい。

 近づくと、死体から漂ってきた独特の匂いが鼻をついた。

 腐敗を防ぐ微生物によるものだ。

 フラムは気にせず、神喰らいを引き抜く。


「衣服もそうだが、その剣もまるでファンタジー世界のようだ。まさか魔法が存在したりしないだろうな」

「あるに決まってるでしょ」

「……はっ、まるで異世界にでも転生したような気分だ」

「なにそれ」

「流行ってたんだ、俺が生きていた180年ぐらい前に。いわゆる古典文学というやつだな」

「ふぅん、昔は色々あったんだね」

「ああ……色々あったよ」


 今はもうどこにも残ってはいないが。

 郷愁が、さらに彼の『ここは自分がいるべき場所ではない』という想いを強くさせる。

 ホログラムの茶谷は、有機コンピュータと向き合うフラムの傍らに立つと、彼女と視線を合わせた。


「最後に、ひとつだけいいか」

「なに?」


 フラムと茶谷はほぼ他人だ。

 どうやら彼は、フラム・ウォータームーンと重ねて見ているようだが、正直に言えば非常に困る。

 繋がりはあっても、別人は別人なのだから。

 だが今だけならば――彼の境遇を思えば、付き合ってもいいと思えた。


「個人的な復讐に利用してすまなかったな」

「それはお互い様だよ、スプリングさん」


 フラムの言葉は、茶谷の不意をついた。

 あれほど『スプリングと呼ぶな』と念を押したというのに。

 彼は呆れたように笑う。

 そして神喰らいが振り下ろされ、有機コンピュータが破壊されると――その姿は一瞬にして消えた。

 あまりにあっけなく、死体すら残さずに。


「オリジンとの戦いは……これでようやく、完全に終わったのかもしれないですね」


 消えた茶谷がいた場所を見ながら、ミルキットがそうつぶやく。

 この場所は、遥か昔から、ずっと時が止まったままだった。

 フラムがオリジンに勝利してもなお救われなかった、最後のひとかけら。

 彼女たちがここを訪れたのは、偶然か、それとも引き寄せられたのか。

 それが明らかになることは無いが――フラムはとても、晴れやかな気分だった。

 望みだったとはいえ、茶谷を消したばかりなのに、不思議と。


「……ひとまず、外に出よっか。それからパトリアのみんなに相談して、お墓を立てないとね」

「ここの連中のってことか?」

「うん、放置しとくわけにはいかないから」


 そして三人は、施設を後にした。

 システムの中枢も担っていた装置が破壊されたことで、各部屋に隠されていた機械兵が動き出すこともない。

 長い廊下に、ただフラムたちの足音だけが響く。


 無事外に出ると、まばゆい太陽の光にフラムは目を細めた。


「うーん、やっと外だー! はぁ、なんかえらく長い時間、ここに入ってた気がするな。腹も減ったし、とっとと村に帰ろうぜ」


 施設から出た途端に、歩幅が広くなるパイル。

 さっきまでは微妙に怯えて、フラムの後ろに隠れていたというのに。

 だが腹が減ったのは彼女も同じことだ。

 パイルの背中を追って、ミルキットと腕を絡め歩きだす。

 その道中、ふいにミルキットが口を開いた。


「あの、ご主人様……」

「どうしたの? さっきからなんか考え込んでるみたいだけど」


 具体的には、茶谷から動画を見せられたときからずっとだ。

 彼女には刺激が強すぎたのか。

 それとも、ミルキット・ソレイユがなんらかの影響を与えているのか。


「私たちが出会って、今の関係になったのは……やっぱり、前世が関係しているんでしょうか」


 不安そうに彼女は言った。

 するとフラムは立ち止まり、ぐいっと顔を近づける。

 鼻と鼻は触れ合っており、あと少しで唇も触れ合うほどの近距離だ。


「ひゃっ!? ご、ご主人様っ!?」

「うーん……やっぱりミルキットはかわいいね」

「ど、どうして急にっ……」

「どっからどう見てもかわいい。世界で一番かわいい。瞳はこの世に存在するどんな宝石よりも綺麗だし、唇は常に私を惹きつけて……あ、キスしてもいい?」

「それは……いつでも、どうぞ」


 許可をもらったフラムは微笑むと、顔を真っ赤にしたミルキットと、唇を重ねた。

 パイルは二人が後ろについてきていると思いこんで、なにやら話しながらどんどん前に進んでいる。

 だがフラムとミルキットの頭からは、もはや彼の存在は完全に忘れられていた。


「はふ……ふぁ」

「キスのあと、ぽーっとするミルキットの顔、すっごく色っぽいよね」

「や、やめてください、それ以上言われると……私……もう」

「もう、どうなるの?」

「……が、我慢、できなくなって、こんな場所で、はしたないお願いをしてしまうかもしれないので……っ」


 そんなことを言われて、我慢できる恋人などいない。

 愛おしさが溢れて、フラムはミルキットの体をぎゅーっと抱きしめた。


「うぁ、あぅ、ご主人様ぁ……」

「まあ、こういうことだよ」

「え……?」

「前世とかどうでもいいじゃん。今の私は、誰よりもミルキットのことを愛してる。きっと私がジーンに売られなかったとしても出会ってただろうし、違う形で出会ったとしても好きになってたと思う。そういうこと。それ以外は深いことなんて考えてもしょーがない。好きだから好き。それでいいの。ねっ?」


 こつんと額を合わせると、ミルキットの目はさらにとろんとなって、うっとりしている。

 おそらく、『こんな素敵なご主人様の奴隷になれただけでなく、お嫁さんにまでなれるなんて、なんて私は幸せなのでしょう』とでも考えているのだろう。

 まったくもってフラムの言うとおりだ。

 そこまで好きならば、それでいい。

 “好き”だけで頭の中を埋め尽くせるほどの感情があるのなら、他に考える必要なんてない。

 運命かもしれないし、宿命かもしれないけれど――大事なのは、今ここで、二人が愛し合って、幸せになっているということなのだから。


「はい……そうですね。私はご主人様が好きです。それで、いいんですよね」


 前世があろうとなかろうと、それで全ては報われる。

 二人は最後にもう一度唇を触れ合わせる。

 そして指を絡めて手をつなぎ、ようやく誰もついてきていないことに気づいたパイルと合流するのだった。





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