第130話 混沌の渦に飲まれる英雄たち

 





「んふぅー、おいひー!」


 フラムは料理を口いっぱいに頬張りながら声をあげた。

 主を満足させることができ、ミルキットもご満悦の表情だ。

 自信があるとは言っていたものの、不安がゼロだったわけではない。

 実際に食べてみないと口に合うかわからなかったが――しかし、とんだ杞憂だったようだ。


「んぐっ……ふぅ。すごいよミルキット、前のときでも十分に美味しかったのに、今はそれより何倍もおいしい!」

「頑張った甲斐がありました」

「頑張ったなんてもんじゃないよぉ! 世界で一番おいしい! そんな子をお嫁さんにできる私は世界一の幸せものだー!」

「えへへ……」


 褒め殺され、恥ずかしそうにはにかむミルキット。

 他の面々も彼女の作った料理に舌鼓を打っている。

 世界一かどうかはさておき、プロ顔負けの出来であることに間違いはないらしい。


「いつもの食事と比べても、すごく気合が入った料理ばっかりだね」

「フラムが帰ってきた日からずっと準備してたもん。当然といえば当然だけど」

「しばらくは手の込んだ料理が食べられるだろうから、わたしたちもおこぼれにあずかれる」


 キリル、インク、エターナの食事はいつもミルキットが作っている。

 彼女の腕の上達はそのおかげでもあるのだが、それにしたって今日の料理はレベルが違う。


「愛情が最高の調味料って言うし、おいしいのはそのおかげでもあるのかな」

「それってあたしたちにも効果あるの?」

「わたしは美味しいならなんでもいい」


 エターナは興味なさげに、パクパクと料理を口に運んでいく。

 そうは言いつつも、フラムの帰還を喜んでいるのは彼女も同じことだし、二人の仲睦まじい姿を見て、インクとの関係についてあれこれ考えないわけでもないのだが。


「ネイガス、これ見るっす。お肉を切ったらじゅわって! じゅわって中から肉汁があふれてくるんすよ!」

「はしゃいでるわねえ」


 ぴょこぴょこと跳ねるセーラを、ネイガスは微笑ましく見ている。

 肉汁なんかより、恋人の楽しそうな姿の方がよっぽど贅沢である。


「だって普段はこんないいお肉は食べられないじゃないっすか」


 組合の長らしからぬ発言に、首を傾げるフラム。


「あれ、セーラちゃんって偉いんじゃなかったの?」


 教会が無くなった今でも、医療魔術師の需要はなくならない。

 いや、むしろ人口が増えた分だけ、必要とする人は増えているはずだ。

 ならばそれなりに稼いでいなければおかしい。


「お金はそれなりにあるわよ。でも組合を構成してるのは、今のところ大部分が元オリジン教徒なの。その頃の名残で、組合全体に質素こそが美徳っていう価値観が根付いてるのよ」

「戒律、みたいなやつ?」


 確かに教会暮らしだった頃は、食事や普段の行動にも様々な制約があったと聞く。

 まあ、外に出ている間は守っていない教徒がほとんどだったようだが。


「おらはできるだけオリジン教の色を無くしたいと思ってるんすけどね。そのあたりを理解してくれてる人もいるっすけど、今のままじゃ、元教徒ばかりが幹部になって力を持って、第二のオリジン教になりかねない状況っすから」


 オリジンが死んでも、神に縋る人間はやはりいる。

 神の血脈のようなテロリストに関与はしないものの、オリジン教というより、“教会”の力を復権させようと企む人間はまだ存在するようだ。


「とはいえ今の所は、組合員からの反感を買わないように節約しながら生活するしかないんす。いや、別にそれが嫌ってわけじゃないんすけど……」

「せめてもう少しぐらいはいいもの食べたいわよねぇ」

「セーラちゃんとネイガスさんも大変なんだねぇ」


 力なくうなずくセーラ。

 世知辛い。

 偉くなったのはいいが、権力を持った代償に自由は削られてしまったようだ。


「おかげでお金は溜まってるの、今は将来のための貯金だと割り切ってるわ」


 ネイガスは思ったよりも堅実だ。

 普段はふざけているように見えることが多い彼女だが、セーラに関しては将来も含めて真面目に考えているのだろう。


「ねえフラム、料理もいいけど、ケーキも食べてほしいかな」


 フラムが料理を口に運びながら二人と話していると、キリルが近づいてきた。


「食後にしようかなーと思ってたんだけど……はは、キリルちゃんってば感想が待ちきれないって顔してる」

「私もミルキットに負けないぐらい気持ちを込めたつもりだから」


 胸に手を当て、自信に満ちた表情で言った。

 キリルもまた、数日前から準備を進めてきたのだ。

 おそらくこれまで彼女が作った中で、最も手の込んだケーキが今日のこれだ。

 フラムも正直、すぐにでも食べたいぐらい美味しそうだが、どうせならみんな揃って食後に食べようと我慢していたのだが――今日はフラムが主役だ、好き放題にやったって誰も文句は言うまい。

 キリルが切り分けた一辺のケーキに、フラムはフォークを沈ませる。

 すると切断面に、たくさんのフルーツが見えた。

 外だけではなく、中にも挟まっているようだ。


「じゃあ、いただきますっ」


 それを口に運ぶ。

 ミルク風味が強めのクリームの香りが、口の中から鼻までふわっと広がる。

 食感は柔らかく、しかし口内の水分は奪われず、しっとりとしていた。


「んふ、おいひぃ……っ」


 幸せそうに頬を緩ませるフラム。

 キリルもほっと一安心だ。


「あれ、でもこの味って……」


 しかし味わっていると、怪訝な表情をするフラム。


「気づいたみたいだね」

「やっぱり、あの?」


 それは二人が同じパーティだった頃、一緒に食べたケーキの味だった。

 全く同じではないが、かなり似ている。


「働いてるの、あのお店の人が新しく作ったとこなんだ」

「そうなんだ、どうりで風味が似てると思った。でもすごいよ、しっかりキリルちゃんのオリジナリティもあるし、見た目も味もプロそのものだもん」

「まだまだだよ」


 謙遜しながらも、キリルは頬を赤らめ嬉しそうだ。


「そっか、あのお店の人も無事だったんだね」

「うん、ピンピンしてる。もうちょっと加減してくれてもいいと思うんだけど……」


 どうやら修業は厳しいらしい。

 二人は顔を見合わせ、互いに苦笑いを浮かべる。


「ゆくゆくは独立して、自分のお店を持つの?」

「どうだろう、今はそこまで考えられないかな。でも、フラムがウェイトレスをやってくれるなら、今すぐにでもそうしたいと思う」


 予想外の提案に、目を真ん丸にするフラム。

 だがキリルの発言を、ミルキットは聞き逃さなかった。

 ことフラムに関する話題に対して、彼女はとんでもない地獄耳なのである。

 そしてミルキットとは思えないほど素早い動きでフラムの腕に抱き着くと、威嚇するように言った。


「ダメですよキリルさんっ、ご主人様は私と一緒にいるんですから!」

「じゃあ三人でお店を開けばいい、ミルキットは軽食担当で」


 キリルがそう提案すると、急にミルキットはトーンダウンする。


「それはあり、ですね……」


 それならいいらしい。

 だが、フラムの意見がどこにもない。


「ストップストップ、私がウェイトレスって……もうちょっと華がないと」


 色気もなければ、可愛げもそこまで――というのがフラムの自己評価であった。

 当然、そんな言葉、キリルとミルキットが肯定するはずもなく。


「むしろそこは」

「ご主人様の輝きに料理が見劣らないか心配なぐらいなのですが」


 二人にとってフラムは、これ以上ないほど輝いている存在だった。

 常に体の周囲にキラキラとエフェクトがかかっているのかと見紛うほどである。

 フラムの顔にも補正がかかっており、相当な美形だと認識しているようだ。

 というか、二人にとってはそれが真実であり、過大評価というわけでもないのだが。


「ミルキットはともかく、キリルちゃんまで!?」


 無論、フラムには自覚がないので、戸惑うばかりである。

 そんな彼女らのやり取りを、エターナがちらりと見た。


「気になる?」


 エターナに腕を絡めたインクが尋ねると、彼女はこくりとうなずいた。


「まあ、あんなこともあったことだし」

「確かに、キリルがフラムに対してどう出るのかは、あたしも興味があるかな。このまま三角関係でこじれていったり……!」


 なぜかインクは楽しそうである。

 また妙な本を読んだのか、と呆れ気味なエターナ。


「それは無いと思う。フラムがミルキット以外を選ぶとは思えない」

「でもわかんないよぉ? キリルが宣言した通りのポジションに納まったとしたら……」

「……眩暈がしてきた」

「お肉食べる?」

「食べる」


 あーん、と肉がインクのフォークによってエターナの口まで運ばれる。

 直後、勢いで恥ずかしい真似をしてしまったことに、彼女は赤面した。

 一方でインクは、“してやったり”とにやにやしている。

 こっちもこっちで、なかなかこじれているようだ。


「私、ずっと気になっていたんですが、ご主人様の力ってどうなってるんですか?」


 そうこうしているうちに、フラムたちの会話は違う話題に移っていた。


「どう、って?」

「その、オリジンを利用して、今のステータスになってるんですよね」


 スキャンを使えば一目瞭然だ。

 100万越えのステータスはそのまま残っており、数字だけでなく、実際フラムはその力を使える状態になった。

 つまり時間も戻せるし、物体を消滅させることも可能である。


「ああ、私もオリジンが消えたら無くなるのかと思ってたけど、そのままみたい。どうしよっかなぁ」

「とんでもない数字すぎてピンとこないな。どれぐらい強いの?」

「うーん……私もあいつぶん殴ったぐらいで、他は使ってないから正確には把握してないんだけど」


 それでも自分の体のことだ、ある程度はわかる。

 フラムはキッチンに視線を向け、そこに置かれた酒瓶を見た。


「例えば、あそこに酒瓶があるでしょ?」

「お酒の瓶ですね」

「この家が買えるぐらい高いやつ」

「ええぇええっ!? なにそれ、なんでそんなお酒がここにあるの!?」


 戸惑うフラムの疑問に、エターナが答えた。


「フラムの帰還記念ってことで。大丈夫、こう見えてもお金はあるから」

「よっ、荒稼ぎっ」

「人聞きが悪い、真っ当に稼いでる」


 合法化した薬草や、発明品の権利などなど。

 エターナはなにかと手広く商売をしているようだ。


「どうせ空けるつもりだから、フラムの一芸に使ってもらってもいい」

「気が引けるんですけど……」

「逆にこうでもしないと、勿体なくて誰も空けないと思うよー?」


 インクの言うとおりだ。

 実際、キッチンに置きっぱなしになっていたのは、誰もがあの瓶に触れるのを恐れたからである。

 勇者や英雄と呼ばれたほどの人間でも、大金には弱いのだ。


「念のため、こぼれないように桶に入れておく」


 そう言って、エターナは棚から取り出した桶の中に瓶を立てた。

 これで中からあふれても安心である。

 フラムと瓶の距離は数メートル。

 彼女は手を伸ばし、人差し指を瓶に向けた。


「これで参考になるかはわかんないけど……」


 そういって、軽く人差し指を曲げる。

 すると生じた衝撃波が、ゴオォッ! とその場にいる全員の顔に吹き付けた。

 そして瓶の上部が、鋭利な刃物を使ったように、切断された。

 切られたのはそれだけだ。

 巧みに力を操り、被害も最小限に抑えたのである。


「プラーナなしで、これぐらいはできます」


 つまり、単純な筋力のみ。

 指の動きで生み出した衝撃で、瓶を切断したのだ。

 みな唖然とする中、一人ミルキットだけが目を輝かせている。

 そしてフラムに抱き着くと、


「すごいですご主人様っ、かっこいいです!」


 とはしゃいだ。

 フラムは人間離れした力を見ても引かれなかったことに安堵し、その体を抱きしめ一緒にはしゃぐ。


「ねえフラム、ちなみにプラーナを使ったらどうなるの?」

「この一帯の地形ぐらいは変えられると思うよ」


 オブラートに包んだ言い方だが、要するにこの街ぐらいは一撃で消し飛ばせるということだ。


「フラムがいる限り、王国が安泰だということはわかった」

「言っときますけど、私はもう必要以上に戦うつもりはありませんから」


 力があったって、それを使いたいと思うかは別の話だ。

 なにせ、フラムは反転の力を持っていたがゆえに、過酷な戦いに身を投じることになったのだから。

 力なんてあったって碌な目に合わない、誰よりもそれをよく知っている。


「そうは言っても、英雄であるあなたの力を放っておくとは思えないわねえ」

「ならミルキットを連れて全力で逃げるだけです」


 全力で逃げるフラムに追いつける者は誰もいない。

 というより、反抗された時点で、彼女を止めることは不可能なのだが。


「まあ、物騒な話はここまでにしておいて、っす」


 セーラが話に割り込み、不穏な空気を断ち切る。


「あれ、飲まないでいいんすか?」


 そして、先端が断たれた瓶をゆびさした。


「お酒、なんだよね」

「別に飲んじゃいけないってわけじゃない」


 エターナやネイガス、キリルに限った話ではなく、年齢で飲酒を規制するような法律はこの国には存在しない。

 もっとも、子供が飲むことは好ましくない、という認識は広がっていたが――しかし、今日のような祝いの席では無視されることも多かった。


「私は二十歳だし、そろそろ経験しておいてもいいと思ったんだ」

「キリルちゃんは年齢的にね」


 お菓子を作るときにも、お酒を使うことはある。

 飲めるようになっておいて損はないだろう。


「ミルキットはどうする?」

「ご主人様が戻ってきたお祝いなんですし、参加しないわけにはいきません」


 別に酒にフラムは関係ないのだが、そこを関連付けてしまうのがミルキットだ。

 彼女が飲むというのなら、主が飲まないわけにもいかない。


「なら、私もチャレンジしてみよっかな」


 正直、少し抵抗感はあるが、自分のために用意された最高級品なのだから、断り続けるのも逆に失礼だろう。


「セーラちゃんも飲んでみる?」

「特別禁じられてるわけじゃないっすけど……」


 ネイガスはすでにグラスを手に取っていた。

 誘いを受けるセーラは、眉間にしわを寄せて考え込んでいる。

 するとそんな彼女の手に、半ば無理やりグラスが押し付けられた。


「はい、セーラの分も」

「インク、やけに乗り気っすね」

「えー、だって家が買えるぐらい高いものなんだよ? これ一杯で、下手したらあたしとエターナの部屋が作れちゃうんだよ? そりゃ飲むでしょ」


 そう言われると、拒むのももったいないような気がしてきた。

 普段は倹約ばかりしているセーラだからなおさらである。

 そして全員がグラスを持ち、またフラムに視線が集まる。

 彼女は『また私なんだ……』と苦笑いを浮かべながら、グラスをかかげ声をあげた。


「かんぱーいっ!」


 それが――混沌の始まりであった。




 ◇◇◇




「なんでおらの胸はあれだけ毎日好き放題に揉まれてるのに敏感になるばっかりで大きくならないんすかぁー! びえぇぇぇぇええんっ!」


 とんでもないことを言いながら泣き叫ぶセーラ。


「ごめんなさいセーラちゃん、私のせいだわ。私の揉み方が足りなかったから……だから脱いで、今すぐここで揉みましょう!」


 平常運転のネイガス。


「う……うぅ……っ、ぐずっ……あだじがぁ、わるがったせいなんでしょお? 腕、なぐなったの……あだじのぜいでぇ、だからぁ、あだじのごどぉ、うけいれでぐれないんでじょおぉ? ねぇ、えだーなあぁぁぁっ!」


 やたら重い文言と共にエターナに迫るインク。


「い、いや、そういうわけでは……わたしはインクを大切にしたいだけで……」


 へたれるエターナ。


「だから私はぁ、フラムの代わりになれないなら愛人でいいって言ってるの! ミルキットもそれでいいって言ったじゃん!」

「あのときは言いましたけど、それはあなたの馬鹿げた考えを正すためなんですよぅ! だいたい、あなたごときがご主人様の代わりなんかになれるわけないじゃないですかー!」

「じゃあ愛人にしろこんちくしょー!」

「できませんよこんにゃろー!」


 そして、爆弾発言を連発しながら口論を繰り広げるミルキットとキリル。

 一人まともなフラムは、惨状を目の前に、思わずこうつぶやいた。


「どうしてこうなった……」


 別にフラムも飲んでいないわけではない。

 だが、酔わないのだ。

 ほんのり体は熱くなっているし、アルコールが回っていないわけではない。

 しかし意識ははっきりしており、思考も冷静そのもの。

 ステータスのせいなのか、はたまたそういう体質なのか。

 阿鼻叫喚の地獄と化したパーティ会場を見渡しながら、ちびちびグラスを傾けるフラム。

 するとそんな彼女の元に、どうにかインクから逃げ出したエターナが近づいてきた。


「ねぇセーラぁ、治じでぇ! えだーなの腕をもどにもどじでよぉおおお! できるでしょおぉおお!?」

「離すっす……ひっく、おらはネイガスに揉んでもらうので忙しいんすよぉ! このまま小さいままじゃ終われないっす、成長するっす、ぼいんっす!」

「うへへ……げへへ……セーラちゃんの慎ましいおっぱい……おっぱいぃ……!」

「どうでもいいよぉおお! ぞんなごどより腕ぇ、腕をぉ! わがっだ、じゃああだじが、あだじが代わりにセーラの胸を揉むがらぁぁぁあ!」


 どうやらインクは、絡む対象をセーラに変えたようである。

 ちなみにミルキットとキリルは相変わらず口論を繰り広げていたが、フラムはその内容を全力で聞かないようにしていた。


「はぁ……はぁ……まさかこんなことになるなんて……」

「お酒は怖いですねー」


 しみじみとつぶやくフラム。

 エターナはそんな彼女の横に腰かけると、大きくため息をついた。


「でも、単純に酔っただけじゃなくて、みんな気分が高揚してるせいもあると思う」

「私が帰ってきたから、ですか?」

「もちろん」

「そう言われると、ちょっと引いてた私が冷たいみたいですね……」

「いや、それは間違ってないと思う」


 エターナも割と引いていた。

 よもやグラス一杯だけでここまで乱れてしまうとは。

 特にネイガス、大人である彼女がここまでアルコールに弱いとは思っていなかった。


「ところで、ミルキットとキリルちゃん、何を言ってるんですかあれ」

「……この四年間、色々あったから」


 遠い目をするエターナ。

 その理由をまだ聞いていなかったが、思えばキリルがこの家に住んでいるのも妙といえば妙だ。

 元々、彼女はここの住人ではなかったのだから。


「聞いてもいい話ですか?」

「構わない、どうせみんな知ってることだから」


 二人の間に起きた出来事を、なぜみんなが知っているのか。

 嫌な予感がしながら、フラムはエターナの話に耳を傾ける。


「四年前、わたしたちが王都に帰ってきたあと――」




 ◇◇◇




 英雄たちの帰還後、王都の復興は急ピッチで進んだ。

 まず最優先で腐敗が進む死体の処分からだ。

 並行して瓦礫の撤去と魔法による仮設住宅の建築が行われ、これらは英雄たちが北より連れてきた魔族たちが中心となって行われた。

 いまだ王国の人々には魔族に対するネガティブイメージが染みついており、それを少しでも消し去るためという意味合いも大きい。

 幸いなことに、水や魔力などのインフラは全て死んだわけではなかったため、比較的早い段階で人が住めるようになった。

 生き残った人々は、大部分が更地となった王都を見て途方に暮れていたが、それでも精力的に復興には協力したそうだ。

 なぜなら、体を動かしている間は気持ちが楽になるから。

 もちろん、純粋に善意で復興作業に参加する人もいたが、多くの人が自分の心の支えとするために働いていたことは間違いない。

 そしてそう思っていたのは、王都に戻ってきた避難民だけではなく――


『こちらの木材は私が運びます、みなさんは向こうの手伝いをお願いします!』


 キリルははきはきとした発声で言うと、丸太の束を素手で持ち上げた。

 人々が『おおぉ』と歓声をあげる。

 オリジンとの戦いに参加し、世界を救っても尚、王都の復興のため身を粉にして働くキリルの姿に、みな勇気づけられていた。

 ちなみに真実を知る者以外には、彼女がオリジンに操られていた事実は伝えられていない。

 フラムたちと共に肩を並べ戦った――あくまでそういうことになっている。

 そして丸太を運び終えると、彼女は炊き出しを行うミルキットに駆け寄った。


『ミルキット、お疲れ様』

『キリルさんこそ、お疲れ様です。私に何か用ですか?』

『ううん、頑張ってるなと思って』

『はあ、ありがとうございます』


 王都に戻ってきてからというものの、キリルはよくミルキットのことを気にかけるようになった。

 それがなぜなのか、キリル本人以外は誰も知らない。

 ミルキットも、数度話したことのある程度の相手が、いきなり近い距離感で接してくるようになり、戸惑っているようである。

 だが、このときはまだ、その意味を深く考えてはいなかった。


 キリルは――ごく普通の女の子として育った。

 フラムと同じような田舎の村で、農家の娘として暮らしてきたのである。

 ステータスゼロの彼女が周囲の助けを受けながらも幸せにやってきたように、ステータスに恵まれたキリルは、周囲を助けながら幸せに生きていた。

 だから、こんな状況でまともでいられるはずもない。


 勇者として選ばれた。

 しかし彼女には、ミルキットのように、支えてくれる誰かはいなかった。

 そもそも、選ばれたこと自体がオリジンの罠だった。

 信用していた仲間も敵だった。

 気づけば自分も体から自由が奪われ、大切な友達を殺そうとしていた。

 目を覚ますと、命がけで自分を助けてくれた友達の姿はなかった。


 キリルは、自分の存在を許容することができなくなったのだ。

 許されてはならない、こんな、存在するだけで他人に迷惑しかかけない人間など――と。


 だから、フラムになろう・・・・・・・とした・・・


 消えてしまった友達の代わりをすることで人々を救い、そして自分自身という存在から目を背けようとしたのである。

 ミルキットに近づいたのもそのためだ。

 フラムの代わりになる、それはつまり、ミルキットの主になるということなのだから。

 それがどれほど間違った手段かなど、キリルにわかるはずもなかった。

 そんなものを考える余裕など、もはや残されていなかったのである。


 キリルは、自分の中にあるフラムのイメージを再現しようとした。

 もっともそれは、例えばミルキットがフラムのことを神格化しているように、かなり美化された想像図であったが――勇敢で、優しくて、困っている人全員に手を差し伸べる、そんな英雄になったのだ。

 人々は歓喜した。

 やはり勇者は勇者だったのだ、彼女は我々のヒーローだ、と。

 一方でキリルの中からキリルというノイズ・・・が薄れていくにつれて、彼女はミルキットとの距離を縮めようとする。


『困ったことがあれば私に頼ってね』

『ミルキットは私が守るから』

『もう大丈夫だよ、誰にもミルキットは傷つけさせない。君のご主人様として――』


 キリルはたぶん、壊れていたのだ。

 そしてそれに気づける人間がいなかった。

 誰もが、目の前の破壊された世界を治癒することに必死だったから。




 ◇◇◇




 そこまで聞いて、フラムは頭を抱えた。


「キリルちゃん、そこまで……いや、キリルちゃんらしい、のかな」


 今は元の調子に戻っているようなので、何のきっかけで自分を取り戻したのだろう。

 だがフラムがいれば、もう少し早く過ちに気づけたかもしれない。

 少なくとも、自分がフラムの代わりになろうとすることはなかったはずである。


「それで、二人はそのあとどうなったんですか?」


 エターナが語ったのは、あくまで過程だ。

 なぜミルキットとキリルが現状に至ったのか、その結果をまだ聞いていない。

 彼女は大きくため息をつくと、目を細めて二人の方を見ながら、ぼそりと答えた。


「ミルキットがキリルをぶん殴った」


 予想外の展開に、フラムはきょとんとした表情を浮かべる。


「……へ?」


 ついでに気の抜けた声も出た。

 それほど衝撃だったのだ。

 まさかあの心優しいミルキットが、キリルを殴るなどと――そんなことがあり得るのだろうか、と。


「公衆の面前で、グーパンチで顔面を殴り飛ばした」


 しかしエターナがそう繰り返した以上、事実として受け止めるしかないのだろう。

 キリルは見事、ミルキットにとって最大の地雷を踏みぬいてしまったのである。

 フラムがいない間、心の傷を埋めるために気に掛ける――ぐらいならよかったはずだ。


「ミルキットにとって、フラムはいわば聖域。彼女の好意は愛情であると同時に、信仰にも近い。キリルの行為は、神への冒涜だった」

「神って……確かにすっごく愛されてるな、とは思いますけど。あの子にとって、私の代わりなんて存在しないんだと思います」


 それはうぬぼれではなく、的確な分析である。

 ミルキットは、間違いなく世界中の誰よりも強い愛情をフラムに向けている。

 そしてフラムも、その想いに応えるべく、少しでもミルキットのことを愛せるよう、日々自ら深みにはまっている。


「キリルはやり過ぎてた。でも、たぶんそうしないと、キリル自身も罪悪感に押しつぶされて壊れてた」

「殴られたあと、キリルちゃんはどうなったんですか?」

「半年引きこもった」

「壮絶ですね……」


 むしろ半年で復活できたことを褒めるべきなのかもしれない。

 なにせ、キリルを許せるフラムは、そのとき世界に存在しなかったのだから。


「私が『キリルちゃんのせいじゃない』って言ってあげられたら、少しは違ってたんでしょうか」


 実際、その言葉があれば、キリルはかなり救われていただろう。


「もっと考えておくべきでしたね。オリジンと戦う前に、キリルちゃんに手紙を残しておくとか、最後に意識を取り戻したときに言葉にして伝えておくべきとか」

「そういうところ」


 エターナはジト目でフラムを見ながら言った。


「え?」

「フラムがそういう優しさを向けるから、キリルもミルキットも依存する」

「そう、ですか?」

「自覚がないあたりが余計にひどい。言っておくけど、フラムは自分が思ってるほど普通の女の子ではない」


 戦いさえなければ――とフラムは口癖のように言ってきた。

 しかしそれを差し引いても、彼女は十分に常軌を逸した存在である、とエターナは感じている。


「それはミルキットがいたおかげですよ。あの子がいたから、私はここに戻ってくるまで無理を続けられたんです」

「だからそれ。普通は大事な人がいたとしても無理なんてできないし、もっと早くに限界の壁にぶつかってるはず」


 それでも彼女は、自分の体や命を削って前に進もうとした。

 あまりに強固な意志で、神の元までたどり着いたのである。


「言うほどですかねえ」

「うん、言うほど」


 頷きながら即答するエターナ。

 そう言われても、フラムはやはり納得できない。

 というより、彼女の場合は――『もういい加減に普通に暮らしたい』という強い想いがあるため、余計にそれを認めたくないのだろう。

 平穏でいい、普通でいい、英雄扱いも強い力もなにもいらない。

 ただ、大事な人さえ隣にいてくれれば。


「まあでも、それも戦いをやってたときだけですよ。今のフラム・アプリコットはごくごく普通の、そこらへんに生えてる女の子です!」


 断言するフラムだが、エターナは『どうだか』と懐疑的だ。

 そもそも、気持ちはどうであれ、ステータスが100万もある時点でどうあがいても普通にはなれないと思うのだが。


「どちらにしろ、今さら普通アピールをしたところで無意味」

「なんでですか?」

「二人の話の内容、聞いてたらおかしいと思うはず」

「ミルキットとキリルちゃんの、ですか?」


 再びフラムの視線がキリルとミルキットの方に向いた。

 セーラやらネイガスやらインクやらの声で部屋の中は騒がしいので、意識しなければ何やら口論を繰り広げる二人の会話内容は聞こえてこない。


「ミルキットは、フラムの器は私が愛人になれないぐらい小さいと思ってるの!?」

「お、思ってませんけど……ご主人様の器は、私ぐらいじゃ埋められないぐらい大きいと思ってますけど!」

「だったら!」

「でも!」

「わからずや!」

「どっちがですか泥棒猫!」


 フラムの頬が引きつる。

 あまりに斜め上に飛んで行った単語の応酬に、言葉の意味がわかってもなお、脳が理解を拒んでいた。


「……愛人ってなんなんですか?」

「キリルが引きこもってるとき、あの子を勇気づけるために『帰ってきたら愛人にでもなんでもなっちゃえばいいのよ』って言った奴がいた」


 とんでもない奴である。


「誰なんですか、その奴ってのは!」


 怒りに身を任せ、がばっと立ち上がるフラム。

 するとエターナは静かに一人の女を指さした。


「奴」


 ネイガスである。

 今すぐにでも問いたださなければ、と勇むフラム。

 しかし、前に進む直前でぴたりとその動きは止まった。

 ネイガスはなぜかセーラの二の腕を虚ろな瞳で揉み続けている。

 “あっ、これ話通じないな”と本能で察したフラムは、冷静に座った。


「あとで追及します」

「賢明な判断」


 もはや彼女は正気ではない。

 アルコールの力とはかくも恐ろしいものなのか。


「それにしても……体質の差があるとはいえ、なんでみんなこんなに酔っちゃったんでしょう。慣れてない人はともかくネイガスさんまであんな風になっちゃうなんて……」

「アルコール度数、10%」

「よくわかんないですけど、特別強いわけじゃない、ですよね」

「うん、グラス一杯程度で全員があそこまでおかしくなるほどじゃない」

「ますますなんで……」


 フラムはテーブルの上に置かれた、上の部分が切断された瓶に目を向ける。

 その真ん中あたりに巻かれた紙のラベルには、“Noble Anzu”と書かれていた。


「崇高なるアンズー……」

「それがどうかした?」

「私、アンズーと何かと縁があるんですよね。キマイラもあれ、アンズーがベースになってましたし」

「アンズーの呪い? そんなまさか」

「でもこの惨状は……」


 呪いとでも呼ばなければ納得できない有様である。

 いや、実際のところは単純に全員がお酒に弱いだけなのだが。

 そのまま、やんややんやと騒ぐ五人の様子を眺めるフラム。

 しばしじっと見つめていたが、ふいに肩から力を抜いて大きく息を吐き出すと、白々しく笑顔を浮かべた。


「何はともあれ、キリルちゃんが元気になってよかったですね!」

「あ、現実逃避した」


 このあと、騒ぎはしたものの無事にパーティは終わった。

 最終的にグラス一杯でダウンし、倒れるように寝たキリルやセーラ、ネイガスをフラムは部屋に連れていき、布団をかける。

 インクはエターナが自室に運んだ。

 抱え上げるときに何やら難しい顔をしていたが、二人の関係がどうなっているのか聞くのは明日以降になりそうだ。


 最後にフラムはミルキットを抱え、自室に戻る。

 久しぶりに戻ってきた懐かしい部屋に、思わず涙腺が緩みそうになった。

 ベッドの数が一個になったぐらいで、内装は変わっていない。

 腕の中で幸せな夢を見るミルキットをそのベッドに寝かすと、フラムは縁に腰かけ、優しくその髪を撫でる。


「どんな幸せな夢を見てるの?」


 彼女は笑っていた。

 夢の内容はわからないが、間違いなく言えることは、そこにはフラムがいるのだろう。

 彼女にとっての幸せは、すなわちフラムが隣にいることなのだから。


「できれば包帯を外したかったんだけど、それは明日だね」


 別にフラムが勝手に外してもよかったが、あれは一種の儀式だ、せっかくならミルキットが起きているときがいい。


「おやすみ、ミルキット」


 そう言って軽く唇に口づけると、フラムはミルキットの隣にもぐりこんだ。

 すると、自然と彼女の腕が体に絡みついてくる。

 本能的にフラムを求めているのだろうか。

 思わず微笑み、その温かさに身を任せ、彼女は意識を手放す。

 何事もなく夜は更ける。

 そして何事もない朝がやってくる――





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