第129話 隙あらばのろけとけ

 





 アンリエットがついているおかげか、人々は必要以上にフラムたちに近づいてはこない。

 とはいえ、遠巻きに見られるのを防ぐ術はないわけである。

 大聖堂を出て西区に近づくにつれて、英雄フラム・アプリコットを一目でも見ようと、野次馬の数が増えてきた。


「うっへぇ、こんなことになっちゃうんだ……」

「みなさんご主人様のファンなんですよ」


 誇らしげに言うミルキット。

 ちやほやされて悪い気はしないが、度が過ぎるとビビってしまうのが一般人の器なのだ。

 フラムが一歩前に進むと、人の海が割れ道が開く。

 まるで神話の登場人物にでもなったような気分である。


「だから私、そんな立派な人間じゃないんだけどなぁ」


 困った顔でそうぼやくフラム。


「世界を救っておいて何を言っているんだ、誰もが君には感謝しているぞ。もちろん私もな」

「アンリエットさんまで。私は、私の鬱憤を晴らして、欲しいものを手に入れただけですから」


 そう言って、ミルキットと繋いだ手に少し力を入れた。

 “欲しいもの”が自分であることに気づいた彼女は、嬉しそうにはにかむ。

 もっとも、そんな言い訳が王国民に通用するわけもない。

 彼らにとってフラムとは、紛れもなく救世の英雄。

 しかもオリジンを倒して帰ってくるなり、三日間も意識を失っていたというのだ。

 自己犠牲を連想させるシナリオに、民衆が食いつかないわけもない。

 フラムはいつの間にやら、知らないうちに『命を削って世界を救った』という設定になっていたのである。


「本人の考えがどうであろうと、それとは関係なく進むのが世論というものだ。しかし、これは帰り道の護衛だけでは足りそうにないな」


 さすがのアンリエットも周囲を見ながら困った表情である。

 するとオティーリエが素早く反応する。

 こうして実際に秘書として一緒に行動を始めて気づいたことなのだが、アンリエットに対する観察眼に関して彼女の右に出るものはいない。

 軍の頃は、基本的には優秀だが自分のことになると我を忘れる軽い問題児――のような扱いだったわけだが、今は右腕どころか、オティーリエがいなければ歩くことすらままならないほど、優秀な秘書となっていた。

 天職というやつなのだろうか。

 あるいは、アンリエットをそういった状態にすることこそが、オティーリエの目的だったのかもしれないが。


「兵士の手配をしておきますわ、置いておくだけで効果はあるでしょうから」

「ああ、頼んだよ」

「そこまでしなくても……って言いたいところだけど、そうしてもらった方が助かる気がする」

「それが賢明っすよ、おねーさん」

「私たちも熱烈な歓迎に晒されて翻弄されっぱなしだったものねえ」


 セーラとネイガスがしみじみ言った。

 どうやら二人も英雄待遇というものを嫌というほど受けてきたらしい。

 最初こそ嬉しいものだが、それが数か月も続くとうんざりしてくるのは彼女たちも同じこと。

 あまり他者にネガティブな感情を向けなさそうなセーラやネイガスですらこうなのだ。

 となると、フラムはもっと手厚い待遇になるに違いない。

 彼女はぐったりと肩を落とす。


「私の気ままな暮らしはどこー……」


 と嘆いたふりはするものの、実際のところ、彼女にとってそれは割と些細な問題だった。

 なにせ、隣にはミルキットがいるのだから。

 もし二人の時間を邪魔するような輩が現れたら、命に影響を与えない手段で遠くに・・・行ってもらうだけだ。

 そんな考えをミルキットも理解しているのか、落ち込む主を見て、彼女は口元に手を当てくすくすと笑った。


「ところで、こっちに戻ってきたときから思ってたんだけど、その水晶の板切れは何なの?」

「通信端末ですわ」


 オティーリエはひらひらと見せびらかしながら言った。

 フラムは「ほへー」とアホっぽく相槌をうつ。


「……あなた、本当にあのフラム・アプリコットと同一人物ですの?」

「記憶が無くなってた頃は割と気の抜けた姿を見せてたと思うけど。ここ四年で頭ん中で勝手に凛々しいイメージがついてるだけじゃない?」


 実を言うと、彼女はそれを恐れていた。

 過去の自分が神格化されて、再会したときにがっかりされないだろうか、と。

 野次馬に対する恐怖も、半分ほどはそれが原因である。

 かといって、英雄を演じるつもりもさらさらないのだが。


「オティーリエさんたちは知らないかもしれませんが、ご主人様は以前から可愛らしい人でしたよ」


 すると、ミルキットがそんなことを言い出す。


「もちろん、かっこよさも兼ね備えていますが」

「あんまり持ち上げすぎないでね、期待外れだと思われるのも怖いから」

「少なくとも私に関してはそんなことありえませんから、安心してくださいっ」


 彼女はそう断言する。

 一切の迷いなく、自信に満ち溢れた声で。

 要するに、そんな心配など必要ないほどべた惚れだとアピールしているわけだ。


「いかなる隙も見逃さずにのろける……これはかなりの高等テクよ、セーラちゃん。ぜひマスターしましょう」

「勘弁っす」


 フラムは別にそんなつもりではなかったのだが。

 ちなみに、ミルキットも別に自覚があったわけではなく、素直に思ったことを口に出しただけである。


「ごちそうさまですわ」

「別にそんなつもりじゃなかったんだけど……」

「それにしても羨ましいですわね、時も場も選ばずに愛の言葉を堂々と」


 言いながら、ちらりとアンリエットの方を見るオティーリエ。

 彼女は気まずそうに目をそらした。


「お姉様はドライな方ですから、そういった情熱的な愛情表現は期待できそうにありませんもの」

「うまくいってるんじゃなかったの?」

「人は欲張りになってしまうもの。相思相愛になるだけで満足できると思っていましたが、いざお付き合いを始めてみると、あれもこれもと欲しがってしまいますの」


 オティーリエは、あくまでしらを切りとおすアンリエットと、わざとらしく腕を絡める。


「こらオティーリエ、勤務中だぞ」

「勤務中でなくともこの調子ではないですか。そういう奥手なお姉様も嫌いではありませんが、ふふふっ」


 ああ、これは完全に尻に敷かれているな――とその場にいる全員が思った。

 アンリエットは元からヘタレな面があったし、仕方のないことなのかもしれないが。

 押しの強いオティーリエと付き合うには、あれぐらい奥手でちょうどいいのかもしれない。


「ところでさ、さっきの通信端末ってやつ、どうやって使うの?」

「ああ、これなら相手の端末番号を入力するだけですわよ」

「たった四年でそんなものまで作られるなんて、軽くカルチャーショックだなー」

「我々も驚いているよ、彼がいなければ成し遂げられなかっただろう」

「もしかして、彼ってジーンのことです?」


 アンリエットが頷くと、フラムは「うげー」と露骨に嫌そうな顔をした。


「これ以外にも、稼働を開始したばかりの魔導列車を始めとして、彼は様々な発明で復興を手助けしてくださいましたわ」


 まあ、あれほどの頭脳が望まれるがままに王国のために使われれば、かなりの成果を出すことは想像に難くない。

 人々がそう望んだから、ジーンはそういう男になった――ああ、やはり彼は死んだのだな、とあらためて思う。


「その通信端末とか、列車のアイデアって今のジーンが発案したものなの?」

「なぜそんなことを聞きますの?」

「いや、なんとなく」


 認めたくはないが、一連の戦いの中で、フラムはジーンという男について理解しつつあった。

 だからこそ思うのだ。

 今のジーンに、果たしてかつての彼のような発想力は備わっているのだろうか、と。


「そこを聞かれても、わたくしは詳しい経緯までは知らないのですが――」

「おらは知ってるっすよ。確かに、あれを発案したのはジーンじゃなくて、エターナさんっす。なんでも、カムヤグイサマに襲われてるときに、異世界? みたいな景色を見せられて、そこで似たような道具を見かけたらしいっすよ」

「また懐かしい名前が……って言うには最近すぎるけど」


 フラムにとっては、カムヤグイサマとの戦いもほんの数日前の出来事だ。


「しかし、なんでおねーさんはそれを聞いたんすか? エターナさんが関連してることすら知らないっすよね」

「んー……なんていうかさ、あいつがぶっとんだ魔法ばっかり作り出してたのって、たぶん性格が歪んでるからだと思うんだよね」


 そのせいで、まともに使い物にならない発明も数多く生まれていたようだが。

 ヴェルナーの襲撃を受けた王城で発動した結界魔法はその最たる例だろう。


「でも今のジーンは、聞いた話によるとそうじゃないんだよね?」


 シアの能力の特性上、少なくともかつてのジーンが完全に再現されているとは思えない。

 まともさを得た彼は、その代償に何かを失っているはずなのだ。


「少なくとも、すれ違うとおらに爽やかに白い歯を見せながら挨拶してくる程度には違うっす」

「完全に別人だよそれ……」


 引きつるフラムの表情。

 想像できない――というかしたくない。

 そのうち嫌でも遭遇することになるのだろうが。


「だから、独創性っていうの? そういうの、以前ほどじゃないんだろうな、と思って」


 そして事実、エターナのアイデアを彼はすんなり受け入れ、それを作り上げたわけだ。

 以前の彼なら絶対にありえないプロセスであろう。


「なんだか寂しそうな表情ね、嫌いなんじゃなかったの?」


 ネイガスにそう問われ、フラムは拳を握り返事をした。


「まだ殴り足りないですから」


 旅の中で彼を殴ったのは、あくまであのときの気持ちを抑え込むためだ。

 平和になったら、もっと盛大に仕返ししてやるつもりだったのに、しかし彼は勝手に死んでしまった。

 恩着せがましく、置き土産まで残して。


「ははは、今の君に殴られたら、さすがの英雄でも跡形もなく消し飛ぶだろうな」


 アンリエットは笑っているが、割と笑いごとではない。

 実際、フラムが本気で拳を振るえば、人体程度なら軽く消滅させることができるだろう。

 彼女自身、オリジンもいなくなった今、そんな力があっても持て余すだけなのだが。


「……ん?」


 と、ふとあることに気づき首を傾げるフラム。


「アンリエットさん、なんで私の力のこと知ってるんですか?」


 まだあの異世界で起きた出来事は、誰にも話していないはずだ。

 つまりオリジン・ラーナーズという男の存在も、フラムがなぜこれほどの力を持っているのかも知らないはず。

 いや、スキャンでステータスを見ればわかるのかもしれないが、それならそれで大騒ぎしていないとおかしい。


「君に例の作戦を発案した男は、一応生きているだろう?」

「まーたジーンですか。というか今の彼にも、その辺の記憶はあるんですね」

「らしいな」

「本人も、自分の記憶がどこから持ってこられたものなのかわからないって言ってたわね」


 生前の彼がシアに何を吹き込んだのかはわからないが、さすがに二人のジーンが同時に生きているという矛盾は発生させないはず。

 となると、新ジーンは、旧ジーンの死後に生まれた存在となるわけだが――彼の肉体は魔王城で消失している。

 つまり記憶が刻まれていた脳も消えたということなのだが、どういうわけか脳以外のどこかから、それを持ってきているわけだ。


「相変わらず頭を悩ませるやつめ……」


 頭を抱え、「うがー!」とうなるフラム。

 ミルキットはそんな彼女の手を両手で握ると、にこりと笑いかける。


「ご主人様、あんな人のことを考える必要はありません。せっかく自由になれたんですから、もっと楽しいことを考えましょう」

「例えば?」

「えっと……私のこと、なんてどうでしょうか」


 恥らいながらも、大胆に自己主張するミルキット。

 もじもじする彼女を前にフラムは我慢できるはずもなく、


「ミルキットはかわいいなぁー!」


 と野次馬に聞こえるほど大きな声で言うと、がばっと抱きしめる。

 ミルキットは「きゃっ」と声をあげながらも、その表情はにやついていた。

 無論、さすがにこれには周囲の四人も呆れていたことは言うまでもない。

 いや……ネイガスだけは「このやり方はメモっとかないと」と興味深そうに観察し、セーラに睨まれていたが。




 ◇◇◇




 フラムたちはその後も徒歩で移動した。

 魔導列車を使えば早いそうだが、あんな鉄の箱の中に入ったのでは、逃げ場が無くなり帰宅どころではない。

 かといって馬車を使えば今以上に目立ってしまうので、結局は歩くのがちょうどいいのだ。


 会話は弾む。

 互いに話したいことが積もり積もっていて、止めどなく、家に到着するまでの数十分などあっという間である。

 目的地に近づくにつれて、フラムに落ち着きがなくなってきた。


 真新しい石畳、立ち並ぶ見慣れぬ建物。

 通っていた肉屋も魚屋もそこにはなくて、通り過ぎる顔ぶれも見たことのない人ばかり。

 かつて王都に暮らしていた人の大部分は命を落とし、今ここに暮らしているのは、復興後に王国から移り住んできた人たちだ。

 過去に暮らしていた場所に向かっているはずなのに、そこには“馴染み”というものが一切無かったのである。


 もっとも、フラムだってここで過ごしたのはほんのわずかな間だけで、本来、“帰るべき場所”と呼ぶには浅すぎる付き合いなのだ。

 今は異国の地に降り立ったような気分だが、たぶん、すぐに慣れる。

 大事なのはどこにいるのか、じゃない。

 誰が傍にいるか、なのだから。


 しかし、以前の王都の面影が完全に消えたかと言われればそういうわけではない。

 比較的被害の少なかった場所は、あえて以前の建物をそのまま残してあるらしいのだ。

 西区のフラムたちが住んでいた家の周辺は、特に被害が少なかった。

 近づくにつれて、見覚えのある景色が増えてくる。


「あんだけ滅茶苦茶に壊されてたのに、この一帯だけ無事ってすごい奇跡だよね」

「はい、私も王都に戻ってきたときは驚きました」

「おねーさんの気持ちがこの家を守ってたのかもしんないっすよ?」

「そこまで便利な力は持ってないから」


 もっとも、今のフラムならやろうと思えばやれるだろうが。


「あながちセーラちゃんの言葉も間違いじゃないと思うわよ」


 すると、ネイガスがそう言った。

 フラムは「ないない」と手を振って否定する。


「さすがにそれはオカルトですよ」

「オリジンの話なんだからオカルトなのは当然よ。あれはフラムちゃんにビビってたわけじゃない? だったら、余計に怒らせたくないと思って、ここらだけ焼くのを止めた可能性はあるんじゃないかしら」

「あー……それならありえる、のかなぁ」


 少なくとも当時は、オリジンも勝利を確信していたはずだ。

 100%の勝利にノイズを混入させたくない、という意図でフラムを必要以上に煽ることを中断したと?

 いや、それこそありえない。

 目的など関係なく、あれ・・は“趣味”で人間を恐怖させ、追い詰めるような輩なのだから。

 むしろフラムに見せつけるように、わざと家を燃やす方がずっとあれらしいとは思うのだが。


「正直、私はオリジンの本体を一方的にぶん殴っただけなんで、どういう人間なのかまではいまいち把握できなかったんですよねー」

「直接、会いはしたんすよね」

「まあね」

「ちなみに、見た目はどんな風だったんすか?」


 フラムは目を細め、虚空を見上げながら言った。


「見た目はジーンそっくりなんだけど、中身はもっとしょぼくした感じの……」


 思い出すだけで胸糞悪くなる顔である。

 まあ、それだけに殴ったときはすかっとしたが。


「あぁ……」


 セーラは何やら納得している。

 他の面々も、たやすく想像できてしまったのか、微妙な表情を浮かべていた。


 しかし、ジーンというのはどこまでもフラムの人生に付きまとってくる男だ。

 勇者パーティで無駄に虐げられたことに端を発し、奴隷として売られ、なぜか味方として旅をすることになり、そして最後は命を散らし――と思いきや、ちゃっかり形を変えてこの世に存在していて。

 加えて、オリジンの外見にまで影響を及ぼし――いや、似ていたのは全くの偶然なのだが。

 それにしたって、厄介極まりない男である。

 そりゃあ神だって恐れるはずだ。


「あー、ダメダメ。気を抜くとすぐにあいつのこと思い出すー!」

「ご主人様、そんなときのための私です!」

「ミルキットぉー!」


 抱き合う二人。

 馬鹿らしいやり取りに見えるが、実際こうしている間は気が楽になるのである。

 そうこうしているうちに、家の前まで到着してしまった。


「わたくしたちはここまでですわね」

「兵士の手配は任せておいてくれ」


 アンリエットとオティーリエが立ち止まる。

 フラムは首を傾げた。


「あれ、二人はパーティには参加しないんですか?」

「パーティに参加できるほど親しい間柄ではありませんもの」

「ああ、それにまだ仕事が残っているからな」

「じゃあパーティに参加できなくても仕方ありませんね」


 執拗に繰り返されるパーティという言葉。

 これにはさすがにセーラの頬もひくつく。


「パ、パーティなんて無いっすよ? 何を言ってるんすかおねーさん!」


 彼女は声を震わせ言った。

 どうやらまだバレていない体で突き通すつもりらしい。

 必死なセーラに、アンリエットとオティーリエも半笑いだ。


「……セーラちゃん」

「同情はいらないっすー!」


 ネイガスは『あきらめなさい』と言わんばかりにセーラの背中を優しく叩いた。

 そんなやり取りを見ながら、二人は軽く頭を下げて離れていく。

 仲睦まじく肩を寄せ合う彼女たちを見て、フラムはしみじみとつぶやいた。


「あの二人も落ち着いたようでなにより」

「みんなご主人様のおかげですよ」


 止まらないべた褒めに、軽く照れるフラム。

 ミルキットのことだ、照れ隠しに謙遜したって無駄だろう。

 それに、あながち大げさでもないのだ。

 事実、フラムがオリジンを倒していなければ、あの二人が平和に日々を過ごすことはなかったのだから。


「さて、それじゃあ中に入ろっかなー」


 わざとらしく言い、フラムは玄関に近づいた。

 一度はすでにくぐっているが、それでも緊張はある。

 冷たい金属のドアノブを握ると、さらに体はこわばった。

 ついでにセーラの表情にも不安が色濃く表れる。

 まあ、そこまで心配せずとも――仮にこの先にサプライズが待っているとわかっていようがいまいが、喜びは変わらない。

 自分の帰還を心から祝ってくれる人がいる。

 大切な人たちが必死に準備をして、今か今かとその瞬間を待ってくれている。

 嬉しくないはずがあるものか。


 口元がにやける。

 この浮ついた感覚を、できるだけ長く味わいたいような気もする。

 けど、あんまり焦らすのも悪い。

 きっとフラムの声は家の中まで届いているはずだし、入ってくるのを現在進行形で待ち構えているだろうから。

 ああ、その姿を想像するだけでも――いや、浸ってばかりではきりがない。

 思い切って、扉を開く。

 すると――


 パンパンパンッ!


 クラッカーがはじける音が鳴り響き、紙吹雪がフラムの頭上に舞った。

 そして待ち受けていたエターナ、インク、そしてキリルの三人が、


『おかえり!』


 と声をそろえ、家主の帰還を祝う。


(ほら見ろ)


 フラムは誰に向かってかはわからないが、心の中で言った。

 わかっていたって、やっぱり嬉しいものは嬉しいし、こみあげるものは止められない。

 ミルキットと再会したときとは違う暖かさが――一度は顔を合わせているにも関わらず、涙腺とつながる氷を溶かす。


「ただいまっ!」


 フラムはそう言って、白い歯を見せて笑う。

 みんなも笑顔で彼女を迎え、駆け寄り囲む。


「病み上がりだから心配してたけど、体調はいいみたいだね」

「セーラちゃんのおかげでね。キリルちゃん、やっぱり大人っぽくなったね。美人さんでびっくりしちゃった」

「やめてよそういうの、中身は変わってないから」

「そうかなぁ?」


 少なくとも以前のキリルは、今ほど明るく笑っていなかったと思うのだが。

 彼女の四年に何があったのか、これは根掘り葉掘り聞かなければ。


「あははー、あのときにぶつかったの、やっぱフラムだったんだ。声がちょっと低いから違うかな、と思っちゃったんだけど」

「お互いに気づかなかったね。たぶん、疲れてたんだと思う。私の方ももしかしたら、とは思ってたんだけど――」


 大人びたキリル以上に、インクの変化は大きい。

 まず成長期で、フラムと同世代にまで見た目が変化している。

 以前のように年下扱いはできそうにない。

 髪型は――今は前と同じポニーテールだが、あの時はお祭りで気合を入れていたのか、全部下ろしていた。

 そして最大の違いは、目だ。

 縫い合わせていた糸は取り除かれ、無かったはずの眼球がそこにはある。

 水色の瞳をフラムはじっと覗き込んだが、そこから感情を読み取ることはできなかった。


「それ、義眼?」

「えっへへー、すごいでしょ? エターナが作ってくれたの。つい最近のことなんだけどねっ」

「さすがですね、エターナさん」

「褒めても何も出ない」


 と言いつつ、エターナの頬はほんのり赤い。


「あと、正確には義眼と疑似視神経のセット」

「よくわかんないですけど、すごさは増しましたね」

「そう、すごい。わたし、頑張った」


 片言になるぐらい相当頑張ったらしい。

 王都を復興していくにあたって、器用なエターナに任される役目は多かっただろうし、忙しい仕事の合間を縫ってやってきたんだろう。

 それらは全て、インクのために。

 四年という月日を経てさらに深まった二人の絆を垣間見ることができ、フラムはうれしかった。


「さあさあ、話す時間はまだまだあるんですし、料理が待ってますから、早くあがりましょうっ」


 ミルキットがせかすようにフラムの背中を軽く押した。

 よっぽど自分の作った料理を見せたいらしい。


「いい匂いがするっすね」

「匂いだけでなく味も保証します!」

「おおう、ミルキットが自信に満ちてる」

「だって、ご主人様に食べてもらいたくて、今日まで練習してきましたから!」


 待ち望んできた。

 たぶん、他の人の何十倍も、何百倍も――否、何万倍も、フラムの帰りを。

 だから明らかにテンションが高いし、目だってキラキラ輝いている。

 フラムには、彼女を見ているだけで、自分が愛されていることが痛いほど伝わってくる。

 在るだけで、幸せになる。


「ミルキット」

「はい、ご主人さ……んむっ!?」


 フラムは衝動的にミルキットの顎に手を当て、唇を奪った。

 いきなりの出来事に、固まる面々。

 キリルとセーラは顔を真っ赤にし、インクとネイガスはなぜかはしゃぎ、エターナは頭を抱えて呆れている。


(我ながらとんでもないことをしてしまった……)


 それはフラムにとっても予想外の出来事だった。

 自分でやったことではあるのだが、気づいたらそうしていたのだ。


(ミルキットが可愛すぎるのが悪い、うん)


 理不尽に責任転嫁するフラム。

 全身全霊で“好き”を伝えてくる破壊力にあらがえるはずがないのだ。

 しかも相手は、無条件で自分を受け入れると公言していると来た。

 つまりストッパーが無い。

 いや、羞恥心がそれにあたるものかもしれないが、フラムの好意もまた、そんなくだらないものはとっくに超えているわけで――だったら、我慢できなくなったらするしかない。


「ぷはっ……は……はぅ……」


 唇を離すと、ミルキットの目がとろんと潤んでいる。

 彼女のご主人様メーターは最大値を遥か彼方までぶっちぎり、天高く見えない場所まで上り詰めている。

 無論、言うまでもなく、いきなり唇を奪われたことに対する怒りなど彼女の中には存在しない。

 ひたすら『嬉しい嬉しいご主人様がキスしてくれた好き好き大好きご主人様好き』と頭の中で繰り返すばかりだ。

 ミルキットに尻尾があったら、千切れんばかりにブンブンと振り回しているに違いない。


「ごめんね、ミルキットを見てたら我慢できなくて」

「い、いえ……あの……じぇんじぇん、問題ないでしゅ……りょうり、りょうりたべましょう……」


 ろれつの回らないミルキットは、よろよろとフラムを部屋に案内した。

 どう見ても問題しか無さそうだ。

 一連のやり取りを唯一冷静に見ていたエターナは、二人の姿がリビングに消えると、「ふっ」と吹き出すように笑った。

 以前よりはるかにエスカレートはしているものの、どこか懐かしい感覚だ。

 フラムの帰還は、彼女にとってもまた、一つの区切りである。

 平和な日常に足りなかった最後のピースがようやくはまった瞬間であった。


 そんなエターナも、フラムたちを追ってリビングに向かおうと一歩踏み出す。

 だが、何かに引っ張られうまく歩けない。

 振り返ると、なぜかエターナに向かってインクが、「んー」と唇を突き出していた。


「ていっ」


 顔面を割るようにチョップが炸裂する。

 インクは少し赤くなった顔をさすりながら、違う意味で唇を尖らせて抗議した。


「痛いよエターナ、あたしはただ二人に対抗したかっただけなのに!」

「それがおかしい」


 クールに一蹴し、リビングに去るエターナ。


「ぶーぶー! エターナのへたれーっ! ツンデレ―っ!」


 インクの罵倒も彼女には届かない。

 その様子を見て、セーラが苦笑いを浮かべた。

 二人は同世代だ、そしてパートナーとの年齢差も似たようなものである。

 だからこそ比べてしまうのだろう。

 まあ――そもそもエターナとインクは、まだ恋人ですらないのだが。




 ◇◇◇




「うわぁ……!」


 並ぶ豪華な料理の数々、そして手作り感あふれる部屋の飾りに、フラムは思わず声をあげた。

 実家の誕生日会だって、こんなに手の込んだ準備をしてもらったことはない。

 それと比べるものではないかもしれないが、とにかくフラムは感動しているのだ。


「こ、この料理、全部ミルキットが準備したの?」

「もちろん手伝ってはもらいましたが、主に私が作りましたっ」


 どうにかキスの衝撃から回復したミルキットは、うかれた様子でフラムの後ろについていく。


「この巨大な肉の塊は?」

「バッファロー肉のローストです。ちょっと切ってみますか?」

「うん、お願いっ」


 横に置いてあったナイフを手に、肉を薄く切るミルキット。

 刃が表面を割くと、内側から肉汁がじゅわっとあふれ出し、表面を流れた。

 断面はほどよくピンク色で、ナイフの滑り方を見てわかるように驚くほど柔らかい。

 質の高い肉と腕のいい料理人、この二つが組み合わさって初めて成り立つ感触がそこにはあった。

 フラムは思わずごくりと唾を呑み込む。


「一切れ食べてみますか?」

「いや……食べたい、けど……パーティが始まってからにしよっか」

「そうですね、それがいいかもしれません」


 フラムたちがはしゃいでいる間、部屋に入ってきたエターナたちは飲み物や取り皿の準備を進めていた。

 手伝いたい気持ちもフラムにはあったが、今日の主役は彼女だ。

 逆にここで出て行っては迷惑だろう、とミルキットとの会話に集中する。


「こっちの魚は、トゥーナだっけ」


 今度は赤身魚の刺身に近づくフラム。


「ディープトゥーナです」

「うわ、美味しいけど高いので有名なAランクモンスター! 生で食べられるの?」

「ツァイオンさんに頼んで魔族領から取り寄せてもらいました」


 今日のために直送で送ってくれたらしい。

 主に北で取れる魚なので、なかなか王国では生で食べられるものではないのだが。

 脂が乗った身はライトに照らされてかっており、その姿はまるで宝石のようだ。

 花に見立てた盛り付けも含めて、食べるのがもったいなくなってしまうほど美しい。


「お次はボア肉の煮込み……くんくん……この甘い匂いは、キャンディボア?」

「正解ですっ」

「んふふ、一回ここで食べたもんね。懐かしいなあ、あのときミルキットが作ってくれた料理もすっごくおいしくて」

「あの頃よりももっとおいしくなってますよ」

「うあー! 楽しみだー!」


 料理を前に、気分が高ぶるフラム。

 さらに今度は、ひときわ目立つ、三段重ねの、果物をふんだんに使った大きなケーキに近づいた。


「これもミルキットが?」

「いえ、こちらはキリルさんが作ったんです」

「キリルちゃんが? このでっかいケーキを!?」


 驚くフラムの元に、キリルがグラス片手に近づいてくる。

 彼女はそれをテーブルに置くと、はにかみながら言った。


「ミルキットほどじゃないけど、私もフラムの帰りを待ちわびてたから」

「いや、それにしたってこれ、趣味で作れるレベルじゃないよね」

「うん、実は私、ケーキ屋さんで修行中なんだ。フラムと一緒に行ったあのお店でね」

「キリルちゃん、お菓子職人目指してるの!?」


 彼女ほどの力があれば、冒険者として一財産を築くのは余裕のはずだ。

 だというのに、勇者としての力がほとんど関係ない職業に就くとは。


「宝の持ち腐れとはよく言われるけど、やりたいこととできることは違うからさ」

「そっか……戦いとかあんまり好きじゃないって言ってたもんね」

「私自身、今の方が向いてると思ってる。この無駄な力も、全く役に立たないわけじゃないし」


 街で悪さをすると、どこからともなくエプロンを着たキリルが現れ――なんてことも珍しくないのだとか。


「いつか自分のお店、持てるといいね」

「そのつもりで頑張ってる」


 キリルもキリルなりに、前に進んでいるようだ。

 フラムは置いてけぼりにされているような気がして、少しだけ寂しくなった。

 今はうかれているから気づかないことばかりだが、冷静になれば、そういう風に感じることも増えていくんだろう。


「こっちの準備は終わった、そろそろ始めよう」


 エターナの声で、会話は一時中断された。

 全員がジュースの入ったグラスを手に持つ。

 そして視線が一斉に、フラムの方を向いた。


「……え、乾杯の音頭って私がやるの?」

「それがいいかな、と」

「いきなり言われても、何を喋ればいいのか……えっとぉ」


 唇を真一文字に結び、考え込むフラム。

 すぐ隣では、ミルキットが「頑張ってください」と小声で応援している。

 そして、結局は気の利いた言葉などほとんど思いつかなかったので、行き当たりばったりでフラムは口を開いた。


「今日まで色々あったけど……どうにか、無事に、この家に戻ってくることができました。いつの間にか、四年も過ぎてて……えと、戸惑うことも多いけど、意外と、みんな変わってなくて、ほっとしてます」


 彼女は強張った表情で、途切れ気味に言葉を紡ぐ。


「なんで敬語なのー?」

「それだけ緊張してるの!」


 インクの野次にムキになるフラム。

 だが、少しだけ緊張がほぐれる。


「今まで、私は必死で戦ってきました。痛くても、苦しくても、オリジンを倒さなくちゃいけないって自分に言い聞かせて。でも、本当は……嫌で、嫌で、仕方ありませんでした」


 救いのある戦いなど、数えられる程度しかなかった。

 あとは胸がもやもやするような、気味の悪い決着ばかり。

 欲しかったのは幸せだ。

 だが実際は、押し寄せる地獄から逃げ続けるために戦い続けてきた。


「そりゃそうよね」

「わたしもフラムみたいな目には合いたくない」


 ネイガスとエターナほどの人物でも、フラムの境遇は勘弁願いたいらしい。

 というか、同じ目に合いたいと思う者などこの世のどこにも存在しないだろう。

 結果的に彼女の手には大きな力が残ったが、求めていたのはそんなものではなかったのだから。


「終わりが見えていたから、どうにか頑張れたんです。今日という日を、この家で、大好きな人や、大切な人たちと一緒に暮らす日をずっと夢見て、それを力にしたからこそ、戦えたんです」


 支えは、間違いなくそこにあった。

 仮にフラムが孤独だったら、もっと早く心は折れていただろう。

 そうでなかったとしても、ミルキットを今ほど愛せていなければ、終着点までたどり着くことはできなかったはずだ。


「大好きな人と大切な人は別枠なんすね」

「仕方ないよ、フラムとミルキットだから」

「説得力がありすぎるっす」


 フラムと関係ない場所で、話の内容と関係ない部分で納得するセーラとインク。

 同い年の二人は今日も仲良しだ。


「その、ここまで長々話しておいてこんな結論で申し訳ないですけど、今日まで私、すっごく頑張ってきたんで……なんで、もう頑張りません。死ぬまでぐうたら過ごします。お気楽に、深く考えずに、ミルキットと抱き合って、好きに生きてくって決めたんです!」


 エターナはそこまで比較的真面目な表情で話を聞いてきたが、ついにがくっと崩れ落ちた。

 明らかにフラムの表情は浮かれていたし、最初からシリアスな話で終わるとは思っていなかったが、それでもである。


「どんな生き方でも、どんなご主人様でも、私はついていきます」


 そして気の抜けるフラムの意思表明を聞いても、なおうっとりするミルキット。

 もはや何をしても、たとえ神が割り込んだとしても、彼女の主への想いを断ち切ることは不可能だろう。


「えっと、だから――私の気ままな暮らしのはじまりに、かんぱーいっ!」


 やけくそ気味に、フラムはグラスをかかげた。

 続けて他の面々も、半分笑いながら『乾杯』と続く。

 こうして、騒がしく愉快な、フラムの帰還を祝すパーティが始まったのだった。


 しかしそのとき、彼女たちはまだ知らなかったのである。

 この先に、想像を絶する混沌が待ち受けていることを――





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