第八章 砕けた希望を拾い集めるインコンパチブル・エクスプローラーズ
第103話 善意を踏みにじる異形の嘘
集落を出て白雪積もる荒野を見たとき、フラムは世界が終わってしまったのかと錯覚した。
思わずため息をつく彼女に、ネイガスは苦笑いをしながら、
「元からこういう景色よ?」
と言った。
それぐらいフラムにだってわかっている。
しかし、今日まで見てきた死体の数があまりに多くて、この世界に生きている人間よりも、とっくに死体の方が多いんじゃないかと思えてしまう。
得た力でオリジンを倒すと、そう決めている。
だが、こんな世界で――ミルキットのいない場所で生きて、なんの意味があるのか。
そう考えると、途端に、自分という存在が、酷く空虚に感じられた。
空っぽの中に、ただ怒りと憎しみだけを詰め込んで、必死に『空っぽではない』と主張しているような。
それでも体は動く。
フラムも含め、一行はそれから一言も口をきくことなく、ひたすらに南へ向かって進んだ。
先導するのはネイガスだ。
彼女だけが、次の集落の場所を知っている。
南下しつつ魔族の集落を調べ、生存者を探し出す――それが今のフラムたちの目的だった。
タンッ、と足が地面を蹴ると、体が数十センチ浮き上がり、そのまま高速で前進する。
幸いにもジーンとネイガスは風の魔法で素早く移動できたし、フラムも異様に向上した身体能力でそれについていくことができる。
おかげで、一時間もあれば次の集落にたどり着けた。
空でも飛べば移動は楽だ。
だがそうしないのは、目立ってしまうから。
不用意に、空を舞うキマイラたちと戦闘になり、タイムロスするのを避けたかったから。
それでも、セレイド周辺には千を超えるキマイラが徘徊している以上、地上を移動していても必ず遭遇するし、全ての戦闘を避けることは不可能だ。
キマイラに発見されるたび、フラムは「ちっ」と舌打ちをして、一気に敵との距離を詰めて手のひらで触れた。
人狼型ならそれだけで吹き飛ばせた。
獅子型も、全てを一撃で仕留めることは不可能だが、行動不能レベルのダメージを与えられる。
飛竜型も、多少タフだが苦にはならない。
だが、最大の問題はそこではなかった。
キマイラたちは決まって、自らが殺した魔族の死体を使い、味方を装って近づいてきたのだ。
見ればわかるし、今のフラムなら匂いや空気でも判別できる。
それでも、殺すたびにわざとらしく「ひどい」だの「どうして助けてくれないの」だの「お前のせいだ」だのと死体の喉を使って言われれば、嫌でも心はすり減っていくものだ。
今日三つ目の集落にたどり着いたとき、フラムは民家の壁を全力でぶん殴り、大きな穴を開けた。
鬼のような形相で歯を食いしばる彼女を見て、ジーンは挑発するように言う。
「はっ、力のせいで理性まで底辺奴隷並に落ちたか?」
もちろんフラムは無視した。
リートゥスもそれが正しい判断だと気づいたのか、例の黒い腕を伸ばすことすらない。
「正直、この有様を実際に見ちゃうと、心の方が先に参っちゃいそうね」
ネイガスも、物に当たることは無いが、フラムと同じぐらい消耗していた。
キマイラの悪趣味なやり方もそうだが、彼女にとって一番ショッキングだったのは、そこらに転がっている死体だ。
セレイドから必死で逃げたと思われる者の亡骸を、道中でいくつも見かけてきた。
それが見知った相手であることも少なくなかった。
友達、近所のおばさん、行きつけのお店の店主――それらのほとんどは、オリジンなど関係なく、日々を平和に過ごしていた人ばかり。
原形を留めていればいい方で、その大多数は首から上を切り取られている。
何の罪があって、何の権限があって、命を冒涜されなければならなかったのか。
オリジンのその身勝手さに吐き気がする。
「この集落もひどい状況ですね。見ているだけで、また憎しみで我を忘れてしまいそうです」
「暴走するのは勘弁してくれよ」
「あの扉の向こうは、開けない方がいいのでしょうか」
フラムの背後に浮かぶリートゥスが言うと、一行の視線が教会のような形をした集会所の方に向く。
一見して建物に異変は無いが、よく見ると窓には血しぶきがかかっているし、中から異様に濃密な死の匂いが漂っている。
十中八九、中では虐殺が行われたのだろう。
どうにか集落に逃げ込んだ魔族でもこうなってしまうのだ、他の集落でもおそらく――
「でも、生存者がいるかもしれませんよね」
「楽観的だな、お前は」
「大丈夫? 見ても辛くなるだけだと思うわよ」
「見捨てる可能性を残して行く方が、よっぽど辛いですから」
そう言って、フラムは集会所の扉を押し開いた。
中からむわっとした異臭が溢れ出し、彼女の鼻腔を埋め尽くす。
せり上がる吐き気に唇を噛んで耐え、血や臓物でまみれた施設内に足を踏み入れた。
すると、積み重なった死体の一部がぴくりと動く。
一瞬だけ生存者かと思ったフラムだが、その起き上がり方の不自然さですぐにわかった。
キマイラに肉片を与えられた、死者であるということを。
彼女は襲いかかろうとする死体の体に軽く触れ、反転の魔力を注ぎ込む。
すると青い肌の死者は、ぱぁんと弾けた。
「だから言っただろう、期待するなと。しかし臭いな、いい子ぶっている魔族も腹を開けばこんなものか」
「ジーン、あんたねぇ……!」
「ネイガスさん、彼は構って欲しいだけです」
「構って欲しい? 誰のことを言っているんだフラム」
「気にするだけ無駄ですから、次の場所を調べましょう」
「おい待て、撤回しろ! 僕がいつ、貴様らのような凡百な頭脳の持ち主に――」
ジーンが何か喚いているが、誰も耳を貸さない。
フラムとネイガスは、彼を置いて近くにある民家の探索を始めた。
だが、こちらにも生存者の気配はなし。
異変が起きてからまださほど日数が経過していないせいか、室内に生活感がまだ残っているのが逆に不気味だった。
いっそボロボロに崩れた建物や、ほこりまみれの室内を見せてくれた方が、諦めもつくというのに。
調べ終わって家から出ると、
「生存者などいないことぐらい、気配でわかるだろう」
と悪態をつく。
確かに、彼の言っていることも正論ではあるのだ。
少なくともこの集落からは、誰かがいる気配が感じられない。
今のフラムには、それがはっきりとわかってしまう。
それでも探してしまうのは――心のどこかで、ミルキットが生きているという可能性を、捨てられないからかもしれない。
魔族領にいる可能性は限りなくゼロに近い。
けれどゼロじゃない。
気配はしないので生存者がいる可能性もゼロに近い、ましてやそれがミルキットである可能性なんて。
けれど、ゼロじゃない。
神様ですら諦めるほど悲惨な確率だったとしても、フラムにはそれを、諦めることはできなかった。
「ふん、何だその捨てられた犬のような顔は。女々しいな、どこまでも面倒な女だ。いっそ人格を消して人形にでもしてやればよかった」
「オリジンみたいなことを言って」
「あれと一緒にするな!」
ジーンは否定するが、フラムは本気で、どこまでも自分勝手なあたりがそっくりだと、常々思っている。
厄介な絡まれ方をしそうなので、本人に言うつもりはないが。
会話が終わると、再び無言で集落を出る。
次は南西へ――ネイガスいわく、次に向かう“ニアセレイド”と呼ばれる場所は、比較的規模の大きい、町と呼んでも差し支えのない集落なのだと言う。
ニアセレイドは、古代の言葉でセレイドの近くを意味する言葉だ。
セレイドに近い集落が別に存在するにも関わらず、その名を持つということは、歴史の古い集落なのだろう。
フラムは『そこならば生存者が』と期待する一方で、今までよりも大量の死体が並ぶ嫌な光景も想像してしまった。
いや、むしろどちらかと言えば、後者の方が現実に近いだろう。
だが、ツァイオンが逃げ切って、生き残っているのだとしたら、彼の守る集落が一箇所ぐらいあってもおかしくはない。
それが目的地であることを祈りながら、フラムは地面を蹴った。
今までの集落とは違い、移動には二時間ほどかかるだろうとのことだ。
それから数十分、再び黙って移動していたフラムたちだったが、先頭を行くネイガスが人影を見つけ足を止めた。
ジーンとフラムも同時に止まり、その視線の先を見る。
「どうせまたキマイラだろう」
「ですが、今までのキマイラとは行動が違うようですね」
ここまでに遭遇したキマイラは、自分たちが普通の魔族だとアピールするように、自分からフラムたちの方へ近づいてきた。
だが今回は違う。
人間で言うと二十代半ばほどに見えるその女性の魔族は、自分の体を抱えるように、地面に座り込んでいる。
「この距離なら気づいてるはずよね」
「試しに撃ってみるか」
「普通の魔族だったら、責任取れるの?」
「今さら魔族の一人や二人死んだところ……チッ、わかってるよ、だから寄ってたかって睨むな! 特にリートゥス、お前の目つきは祟られそうで怖いんだよ!」
さすがのジーンでも、全員から睨まれると耐えられないらしい。
だが、最も近い集落からは徒歩で数時間の場所に、
撃って確かめるのは論外として、うかつに近づくのは危険だろう――反転の力を持つ、フラムでもない限りは。
「おいフラム、いくらなんでも無防備すぎるぞ!」
ジーンの忠告を無視して、フラムは女性に近づく。
実を言うと、彼女には女性の正体がすでにわかっていた。
……オリジンコアを取り込んだ、女性だ。
スキャンをかければ、一目瞭然である。
しかし、オリジンとて、それぐらいはわかっているはず。
だからキマイラの場合は、スキャンをかけて気づかれる前に、魔族アピールをして近づいてくるわけだ。
確かに、キマイラたちはすでに何度も同じ方法を使って近づいてきたため、もはやフラムたちに同じ戦法は通用しない。
かと言って、その場でうずくまってフラムたちを誘おうとするのは、前述した通り無意味である。
つまりこの女性は――何か別の理由があって、動こうとしないに違いない。
フラムはそう考えていた。
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
近づくと、女性の声が聞こえてくる。
彼女は膝を抱え、顔を伏せ、ひたすらにそうつぶやいていた。
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
声と同時に、ぶちゅ、ぶじゅ、という肉がこすれあい、血が流れる音もする。
ふせられた顔がどうなっているのかなど、確認するまでもない。
しかし、間違いなくそれはオリジンコアを取り込んだ女性であるはずなのに、フラムはなぜか敵意を感じられなかった。
そのまましばし観察していると――ずるりと、肉が滑る音がした。
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
そして、膝を抱える女性が二人に増える。
全く同じ外見の二人は、横腹が繋がっていた。
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
また増える。
繋がったままで。
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
さらに増える。
同じ姿、同じ形、同じ声で。
そして突如、繰り返していた言葉がぴたりと止まったかと思うと――四人に増えた女性は、同時に顔を上げてフラムの方を見た。
肉が渦を巻いている。
ぶじゅるぶじゅると、血を垂れ流しながら。
「おいフラム、何をしている。そいつをとっとと始末しろ!」
ジーンは遠巻きに様子を見ながら声を荒らげる。
無論、無視した。
コアを取り込んでいることは間違いないのだが、動きが妙だ。
まるで壊れているかのようにも見えた。
そのままフラムが女性の様子を見つめていると、ぶちゅっと音を立て、四人の女性が完全に分離する。
するとそのうち三人が倒れ、枯れたように肌色から色彩が失われ、やがて朽ち果てて塵となった。
そして残った一人は、また膝を抱え、「こんなはずじゃなかった」と繰り返す。
「なんなのよ、これ……」
ネイガスにも、行動の意味がまったくわからない。
ただそれは、増殖と分裂を繰り返しているだけで、彼女たちに敵意を向けることすらなかった。
「フラム、説明していただいてもいいですか?」
「私にもわかりません。コアを取り込んだ女性であることだけは間違いないんですが」
「それはお前じゃなくてもわかる。どうなっているのか説明しろと言っているんだ」
「天才なんだから自分で考えたら」
「……ふん、ならば仮説を立てさせてもらう」
皮肉のつもりだったんだが、本当に自分で考えてしまえる頭脳があるのがジーンだ。
それが余計に、憎たらしかった。
「そいつは不良品のコアでも渡されたんじゃないのか? そして正確にオリジンの力を受信できずに、意味不明な行動を繰り返すだけの肉塊になってしまった」
そもそもオリジンコアは、王国で作られていたものだ。
高度な魔法の技術が必要で、なおかつ使う相手によって形、大きさ、材質などが調整されたものが、実戦に投入されてきた。
しかし現在、王国でのコア製造は止まっている。
魔族領では材料の調達が難しいことを考えると、ここに存在するコアはキマイラ用に調整されたものと考えるのが自然だろう。
そんなものを人間に対して使えば、対象が壊れるのは当然のこと。
フラムたちは知らぬことではあるが、マリアもそれで命を落としかけたことがある。
その際はオリジンがコアを通じて力を送り込み、彼女の体を作り変えることで命を繋ぐことができた。
だが、オリジンもわざわざ、このようなただの魔族相手に、そこまでの処置は行わないだろう。
つまりこの女性は、合わないコアを体に埋め込んだ結果、敵を襲う化物にもなれずに、ただ意味不明な行動を繰り返すだけになってしまった、失敗作ということである。
「だとすれば殺してやるのがこの女のためだ。フラム、お前ならできるはずだろう? とっとと息の根を止めてやれ」
「できるけど……」
手のひらで触れて、体ごとコアを破壊すれば一発だ。
しかしフラムは、別の方法を模索していた。
女性が自分の意思でコアを取り込んだのだとすれば、フラムもすぐに殺しただろう。
しかし、遠くからここまで続く足跡と、破れた服、そして今は捻れて塞がってはいるものの、体には争ったような傷跡――それらを踏まえると、どうにもこの女性が自分で望んだとは思えなかった。
それが失敗作となると、なおさらである。
フラムは彼女の腹部に手を当てた。
「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」
――反応はなし、同じことを繰り返すのみ。
「フラム貴様、何をしようとしている」
それはただ純粋に、女性を救おうという思いだけではなかった。
少しでも、希望を繋ぎたかったのだ。
諦めなくて済ませるための、口実探しとも言える。
「まさかその女を助けようとしているのか? やめておけ、どうせ碌な結果にはならない。コアを取り込んだ者の末路は、お前が一番よく知っているだろう」
「フラムちゃんは何をしようとしているの?」
「おおかた、体内のコアだけを破壊して助けようとしているのだろう」
「助かる可能性があるなら……!」
「労力の無駄だ。不完全とは言え、コアを取り込んでもそんな役に立たない肉の塊にしかならなかった女だぞ!? 救えたところで、面倒を見たところでどうなる!」
心臓は動いている。
つまりこの女性は、魔族としての生と、オリジンの化物としての生が同居している状態だ。
コアを破壊すれば、ただの魔族に戻る。
ただし、その体には少なからず後遺症が残るだろう。
回復魔法を使える者のいない今、コアを破壊したとしても、ボロボロになった彼女の肉体を癒やし、生かしておくのは難しい。
「こんなもので、オリジンに対抗できる戦力になるとでも? 僕たちには時間が無いんだ!」
それでもフラムはやめようとはしない。
手を当てたまま、目を閉じ、意識を集中させている。
肌に触れると、硬いコアがどこにあるのかはなんとなくわかる。
そこに向けて、反転の魔力を注ぎ込めば――
「やめろと言っているんだフラム!」
ジーンはこらえきれず、後ろからフラムの肩を掴んだ。
彼女は振り向き、にらみつける。
ネイガスは困惑した様子で、そんな二人の間に入った。
「いいじゃないの、助けられるならそれに越したことはないんでしょう?」
なぜ魔族を救う救わないの話で、ここまでこじれてしまうのか。
ネイガスにもリートゥスにもさっぱり理解できなかった。
そもそも、ジーンがそこまでしてコアの破壊を否定する理由はなんなのか。
単純に嫌――という動機だけでは、ここまで食い下がらないだろう。
「そういうことではないんだ。フラム。今お前が、その腐った脳で考えていることを当ててやろうか」
「……どうぞ」
「この女のコアを破壊し、正気に戻って苦しんだ挙げ句に死んだとしても、一時的に戻れたのなら……キリルを同じ方法で救えるかもしれない。違うか?」
「そうだよ、だからなに? キリルちゃんを助けたいって思うのがおかしいっての?」
動機のいびつさはフラムも認識している。
だとしても、それで諦めきれるものではない。
「エゴだな。そのために時間を浪費した挙げ句に、関係のない女まで巻き込むのか? まるで人体実験ではないか、それではお前が嫌っていた教会とまるっきり一緒だクソ女!」
「じゃあこのまま見捨てて殺せっての!?」
「ああそうだ。さらに言わせてもらうとな、僕はキリルに死んで欲しいと思っている。だから助けるな、可能性も探るな、とっとと殺せ」
「ただのモテない男のひがみじゃん、このちんちくりん雑魚童貞魔術師! 聞いてるこっちが恥ずかしい!」
「ど、童貞だとっ!? 貴様そのような卑猥な言葉を使うとは、やはり根っからの雌奴隷だな汚らわしい! 思考能力の低い女は感情だけで物事を考える傾向にある、今のお前はまるっきりそれなんだよ!」
「感情上等じゃないッ! だいたい、殺せとか簡単に言うけど、この女の人はまだ生きてるの! 何の罪もない生きた魔族を私に殺せって言うの!?」
「今さらだろうが。お前は人間だって何人も、何十人も殺してきたはずだ! とっととこの女も殺せ、善人ぶるな!」
「意味もなく殺してきたわけじゃないッ! リートゥスさん、こいつ黙らせてもらってもいいですか」
我慢の限界を迎えたフラムがリートゥスに頼み込むと、彼女は首を縦に振ってあっさりと快諾した。
元魔王であるリートゥスが、魔族を救おうとするフラムをフォローするのは当然のことである。
エピック装備であるアビスメイルは現在、表に出ていないものの、その力はフラムに作用している。
彼女の背中あたりから黒い腕が、ジーンに向けて伸びていった。
「またそれか、だがそう何度も同じ手を……んぐっ!? ん、む、むうぅぅっ!」
黙らせればいいだけなので、口を閉じれば解決する。
もがもがと騒ぐジーンを放置して、フラムは増殖と崩壊を繰り返す女性に、反転の魔力を注ぎ込んだ。
オリジンの力が満ちる体に作用しないように、慎重に、コアだけを狙って。
すると女性の体がぴくりと震え、体から力が失せ、倒れ込んだ。
同時に、肉の脈動が止まる。
フラムは彼女の体を支えて、その様子を観察した。
やがて渦は消え、元の顔――血まみれで、傷だらけではあるが――に戻っていく。
体も同様に、普通の人間の肉体に戻る過程で傷や内出血が生じ、特に増殖を繰り返していた横腹あたりの出血量が多かった。
「う……ぅ……」
そしてうめき声が漏れたかと思うと、女性は苦しげに表情を歪める。
「あら、よく見るとセイレルに似ていますね」
フラムの手元を見ていたリートゥスが言った。
その名に反応して、ネイガスもフラムに背後からその顔を覗き込む。
「リートゥス様、彼女はセイレル本人です」
「やはりそうだったんですね。ネイガスと同じで、成長しましたね」
「はぁ……誰だ、それは」
いつの間にか解放されたジーンが、ネイガスに問うた。
「私とツァイオンと同世代の、共通の友達よ。光属性のはずだから、目を覚ませば傷は自分で治癒できるはずだわ」
「……ふん、都合のいい偶然だ。良かったなフラム、苦しんだ挙げ句に死なれずに済んで」
「たぶん、偶然じゃないと思う」
フラムはそう言い切る。
視線の先には、南西
おそらくセイレルのものだ。
彼女はフラムたちの目的地方向から歩いて、ここまで来たのだろう。
つまり――
「回復魔法が使えるから、コアを押し付けられたんじゃないかな」
「この先に、生存者が集っていると?」
「うん。でもそこには、他人にコアを渡すような……たぶんディーザの配下みたいなやつが、潜んでる」
まだ仮説に過ぎない。
だが、目を覚ましたセイレルが苦しげに、けれどはっきりと「……そう、だよ」と言った。
「ツァイオンに……報せ、なきゃ……」
「セイレル! ツァイオンがニアセレイドにいるってこと?」
「あぁ、ネイガス……よかった、生きて……ごほっ……たん、だ……」
咳き込むと、口から血液が溢れだす。
内臓にも損傷が及んでいるようだ。
「あれ……そっちは……リートゥス、様……じゃあ、私……死んでる……?」
「いや生きてるわよ。リートゥス様は色々事情があって……まずは回復して、話はそれから!」
セイレルは頷くと、自分の腹部に手を当てて下級回復魔法を唱える。
彼女はあまり魔法が得意ではない。
とはいえ魔族なので、普通の人間よりは遥かに高い魔力を持っているが、それでも内臓の治癒には少々の時間が必要だった。
そのタイムロスさえジーンには耐えきれないものなのか、苛立たしげに腕を組み、貧乏ゆすりをしている。
そして完全では無いものの、喋れるレベルまで回復が終わると、セイレルは改めてリートゥスの顔を凝視した。
「浮いてる……」
「怨霊のようなものです、あまり気にしないでください」
「無理です、気になります」
仕方のない話であった。
おそらく今後も、行く先々で似たようなことを言われるのだろう。
「それで、セイレルは何を報せたいの?」
「ああ、うん。その……トーロスが」
「トーロスって、あのトーロス?」
「懐かしい名前ですね、確かツァイオンが親しくしている男友達でしたか」
「そんな情報はどうでもいい、とっとと結論だけ話せ」
空気を悪くするだけのジーンの発言に、ネイガスは顔をしかめる。
「ほんとうざったい奴……セイレル、トーロスがどうかしたの?」
「彼が、私に襲いかかってきたの。たぶん、何かを埋め込まれたのもそのときだと思う」
そう言って、セイレルは自分の腹部を撫でた。
まだ中には破損したコアが残っている、いずれ摘出しなければならないだろう。
「ってことはあいつがコアを!?」
「ツァイオンも、ネイガスの両親も含めて二十人ぐらいニアセレイドにいるんだけど……まだ、トーロスがそんなことしてるってこと、誰も気づいてなくて」
「パパやママまでそこに……早く助けにいかないと! ジーン、戦力になるツァイオンもいるんだから、文句は無いわよね?」
「そう睨むな、僕は何も言っていない」
少なくとも今回は、彼が反対する理由などなかった。
ネイガスは、まだ回復が完全でないセイレルを背負う。
そして再び彼女が先頭となって、今まで以上の速度で、フラムたちはニアセレイドへ急行した。
◇◇◇
時は、セイレルがコアを埋め込まれる前にまで遡る。
ニアセレイドから少し離れた平地で、激しく炎が燃え盛っていた。
二人の男女がその前に立ち、無言でそれを見つめている。
「またここにいたんだね。ツァイオン、セイレルさん」
二人の背後から、水色の髪をした、人の良さそうな顔の男性が声をかけた。
彼こそが、ツァイオンの友人であるトーロスである。
「離れてろよ、あんまり見てていい気分になるもんじゃねえ」
「私たちで死体の処理はするから」
「僕も見ておきたいと思ったんだ、旅立つみんなの最期の姿を。どれだけ醜かったとしても」
燃えているのは、積み重なった魔族の死体だ。
火葬を施すのは、単に弔うためだけではない。
衛生環境の悪化を避ける目的だったり、キマイラに利用されないため、モンスターの餌にならないため――と、複合的に理由が絡み合った結果だった。
「これで何人目?」
「わかんねえ、途中で数えるのはやめちまった。でも、今日だけで百人は超えてるんじゃねえのか」
「じゃあ、ニアセレイドの人たちは全部弔えたのかな」
「うん、町の中は一応ね。周辺地域となると、どれぐらい残ってるか考えたくないけど」
「ごめんね、二人に任せっきりで」
「オレらが勝手にやってることだ、気にすんな」
死体の回収と火葬は、ツァイオンの自主的な活動であった。
少なくとも体を動かしている間は、自己嫌悪に苛まれずに済む。
初めた理由は、そんな身勝手なものだが。
「それにトーロスには、レーリスちゃんやサッシアさんのこともあるだろ」
「妹と母さんは、僕より父さんにいてくれた方が嬉しいみたいだから」
元から体の弱かったトーロスの母親サッシアは、この状況に疲弊し、すっかり体調を崩してしまっていた。
また、彼の妹であるレーリスも、若さゆえに心を病み、ここ最近はずっと熱を出してしまっている。
ニアセレイドに逃げ込んでからというものの、トーロスとその父であるグロウスは、つきっきりで二人の看病をしていた。
「僕にできることなんてあんまりないんだ」
「何を言ってんだ。たとえ言葉に出さなかったとしても、家族ってのは全員が揃ってた方が嬉しいもんなんだよ」
「……ツァイオンが言うと重いね」
「そう感じたんなら、こんな場所にいないで集会所に戻ってやれ。あと、セイレルも一緒に戻ったらどうだ」
「私の回復魔法は、あの二人には効かないみたいなんだけど」
レーリスとサッシアの病は、気持ちから来る部分が大きい。
さすがにそういったものは、回復魔法で治癒することはできなかった。
「気持ちだけでもいい、それで救われる奴もいる」
「ふふっ、ツァイオンは相変わらず熱いね」
トーロスは茶化すように言った。
そしてツァイオンを除く二人は立ち上がり、炎の前を去っていく。
一人になった彼は、表情を失い、虚ろな瞳で焼ける死体を見た。
「シートゥム……お前も、その向こうにいるのか……?」
焼け焦げる肉と臓物の臭い。
誰もが等しく醜く朽ち果てる、死という末路。
それを越えた先に世界で一番大切な彼女がいるというのなら――いっそ炎に飛び込んで、命を捨ててしまってもいいのかもしれない。
ツァイオンは半ば本気で、そう考えていた。
もっとも、炎を扱う彼が、この程度の温度に飛び込んだところで、絶命することはないのだが。
「いや、まだだな。今のオレがシートゥムに会ったところで、『兄さん情けないです』って嫌われるだけだ。せめて、あの
強く拳を握る。
仮にその結果、命を失うことになったとしても、ディーザに一矢報いることができるのならそれでいい。
たぶんそれが、ツァイオンにとって自分の目指すべき最高の死に様なのだ。
もはや長く生きようとは思っていなかった。
シートゥムを失った時点でその気はとうに失せている。
あとはどれだけ、熱くこの命を燃やせるか――それが文字通り“命題”だった。
「おや、トーロスはいないのかな」
再び背後から、男性の声が聞こえてくる。
振り向いたツァイオンは、彼の名を呼んだ。
「グロウスさん、トーロスならさっき戻ったばかりだぜ」
トーロスの父親、グロウス。
彼は息子と同じ水色の髪をかいて、「すれ違いかぁ」と肩を落とす。
「ツァイオン君は、また死体を弔っていたんだね」
「ああ」
「すまない、辛い役目を押し付けてしまって。本来ならみんなでやるべき儀式なのに」
申し訳無さそうなグロウスの言葉を聞いて、ツァイオンは笑う。
「はっ、やっぱ親子だな」
「ど、どうしたんだい、いきなり」
「ちょうどさっき、トーロスにも同じことを言われたんだよ。人の良さそうで顔の雰囲気も似てるしな」
「そういうことか。でもそうかなあ、あんまり似てると言われたことは無いんだけど」
ツァイオンは、むしろそっちの方が不思議だった。
ここまでそっくりな親子など滅多にいない、と思うほどだというのに。
「……シートゥム様のこと、トーロスから聞いたよ」
「そうか」
「残念、だったね」
「ふがいねえよ。オレに力があれば……いや、この場合は頭だな。もっと早くにディーザの裏切りに気づいてりゃ、こんなことにはならなかった」
「無理だよ、妻も驚いたって言ってたからね」
「サッシアさん、確か小さい頃はディーザに魔法を教わってたんだよな」
「みたいだよ。あまり聞いたことはないけど、優しい先生だったって」
ツァイオンも同じ認識だった。
人格もできていて、魔法の腕も一流で、料理もうまくて、頭も良くて、誰にでも好かれていて――それも全て、計算のうちだったのだろうか。
「世界は……どうなってしまうんだろうね」
「わかんねえ、考えたって仕方ないんじゃねえか」
「そうなのかな……」
「力のないオレらにできることなんて、たかが知れてる。もちろん世界なんか救えっこねえし、色んな物に手を伸ばしたって、どれかこぼれ落ちちまう。だったら一番大事な物を、一個だけ選んで、必死で守るしかねえだろ」
「大事なもの、か。そうだね、確かに私なんかが、世界のことなんて考えてもどうしようもない。私は……必死で家族を守るしかない」
グロウスは手のひらを見つめ、決意を改める。
幸運にも、彼の家族はまだ誰一人として欠けてはいないのだ。
余計なことは考えずに、目の前の大事な人だけを想い続ける。
終わりゆく世界の中で生きているからこそ、それが大事なのかもしれない。
「……なんだか、ツァイオン君に教えられてしまったね。私の方が大人なのに情けない」
「んなわけあるかよ、トーロスやレーリスちゃんを立派に育ててんじゃねえか。グロウスさんのがオレよりずっと立派だ」
あまり褒められ慣れていないのか、グロウスは「そうかなぁ」と恥ずかしそうに頭をかいた。
やがて死体の焼却が終わり、炎が消える。
焼き尽くされ灰となった肉体は、風に運ばれ自然に還っていく。
二人はその場で死者を見送り――トーロスたちの待つ集会所へと戻っていった。
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