第102話 救世と神殺しの旅路へ

 





 セレイドを出たフラムたちを、敵が追跡することはなかった。

 諦めたのか、はたまた『その必要はない』と考えているのか。

 何にせよ、この結果は彼女たちにとって都合がいい。


 ジーンに案内されながら、徒歩で装備が置いてある集落へと向かう。

 その道中、会話はなかった。

 戦闘による疲労感もあったし、元よりジーンは他の人間と自ら進んでコミュニケーションを取るような人間ではない。

 またフラムとネイガスは、周囲に広がる凄惨な光景を見て、胸を痛めていたのだ。


 無数の魔族の死体が、そこら中に転がっている。

 キマイラに追われ、命を落としたのだろう。

 本当ならネイガスはその全てを埋葬したかったが、今はそんな余裕すら無い。

 悔しさに唇を噛み、強く拳を握る。


 セレイドから離れるにつれて死体の量は減ったが、集落に着くまで途切れることはなかった。

 唯一死体を気にも留めなかったジーンは、教会のような形をした集会所に向かう。

 そして中に入ると、無造作に置かれた呪いの装備の数々を顎で指し示した。


「ほら、これがお前の持ち物だろう?」

「よくここまで持ってこれたね」

「もちろん触れてはいない、魔法で浮かして運んだに決まっている。呪われたくないからな」


 フラムが尋ねたのはそういう意味ではなかったのだが。

 気にせず装備に近づいた彼女は、ガーター、ベルト、ガントレット、ブーツ、レガース、そしてネックレスと身につけて――ぴたりと動きを止める。

 奥にある椅子の影にも、何かが置いてあるのだ。


「どうしてあの鎧が、ここに……」

「ん? あれもお前の持ち物だと思っていたんだが、違ったのか。まあいい機会だ、相当な呪いがかかっているようだし、使うといい」

「いや、前は呪いが強すぎて使えなかったんだけど」


 しかし、今のフラムなら使うことができるかもしれない。

 恐る恐る近づき、手を伸ばす。

 スキャンをかけた時の記憶が蘇り、少し指先が震えた。

 すると背後から近づいてきたネイガスが、肩の上からフラムの視線の先を覗き込む。


「フラムちゃん、あれってもしかして先代魔王様の鎧じゃないの?」

「そうです。呪いがかかってたってことは、ネイガスさんは聞いてましたか?」

「いいえ何も。もしかしてシートゥムはそれ、知ってたのかしら」

「はい、私たちが魔王城で装備をもらったときに、彼女も一緒に見てたはずなんですが」


 シートゥムがネイガスたちに呪いのことを話していれば、ディーザの裏切りを見抜けたかもしれない。

 いや、今さら言ったって仕方のないことだろう。

 そうできないように、彼はシートゥムの心を縛ってきたのだから。


「先代は、ディーザさんの裏切りに気づいてたのね。いや……死の間際にようやくたどり着いたのかもしれないわ」


 この鎧にかかった呪いが、ディーザやオリジンに対する怒りによるものだとすれば、先代魔王はフラムの味方であるはずだ。

 それに三万近い魔力さえあれば、反転で抑え込むこともできるはず。

 フラムは意を決して鎧を手に取り、被るようにして身につけた。


「……あれ?」


 思ったよりも、なんともない。

 もっと恨みの籠もった声が聞こえてくるとか、体が支配されかけるとか想像していたのだが、本当に何も起きない。

 呪いが消えたというわけでもなさそうで、ステータスが向上している実感はあった。

 平気なのは、フラムの魔力が上がったおかげだろうか。

 彼女は壁にかけてあった鏡に近づき、自分の格好を確認する。


 アビスメイルと名のついたその鎧は、全体的にツヤのある黒い金属で作られている。

 刺々しいショルダーアーマーに、謎の紋章が刻まれた胸部。

 胸の形状や下半身がスカートのような形になっていることから、最初から女性用として作られたものだとわかる。

 背中には赤いマントが揺れており、派手な格好に慣れていないフラムは少しだけ気恥ずかしかった。


 だが現状、それはただの派手な鎧というだけで、以前見たような激しい呪いの形跡は残っていない。

 ほっとする反面、身構えていただけに拍子抜けしてしまって――


「おいフラム。そいつは誰だ?」


 ジーンが、フラムの背後・・を指差す。

 言われて彼女が振り向くと、白く長い髪の隙間から目だけを覗かせる女が、こちらを見ていた。

 青い肌に白いドレスをまとったその女性は、まるで幽鬼のごとく浮かび、フラムを見下ろしている。

 誰――と尋ねようとしたフラムだったが、声に出す前に理解した。


「あなたが、先代の魔王、ですか?」

「何だと? 死んだのではなかったのか!?」


 いや、おそらく死んでいる。

 そこにいるのは、鎧に宿った怨念を孕む魂が、人の形を取っただけの存在だ。


「その通りです」

「リートゥス様……」


 ネイガスが、彼女の名を呼んだ。

 先代魔王、リートゥス。

 ディーザと実の兄妹のように育てられながら彼に毒殺された、悲劇の魔王である。


「お久しぶりですね、ネイガス」

「ずっと、その鎧の中にいたんですか?」

「わかりません。ずっと憎しみだけで全てを満たしていたので、自分がどこにいたのかなど。ですが、今は妙に意識が晴れています。あなたのせい・・ですか?」


 リートゥスはフラムを睨みつける。

 すると鎧から黒い手が現れ、フラムの首に当てられた。

 まるで『いつでも絞め殺せるぞ』と脅すように。

 しかしフラムは動じない。

 彼女もまた、リートゥスと同じ類の恨みを、オリジンに対して抱いているからだ。

 わかりあえる、その確信があった。


「そうです、私の“反転”の力の影響だと思います」

「反転……?」

「オリジンを殺せる力です。私はそのために戦うつもりでいます」

「オリジンを、殺す……殺す……殺したい、私も殺したい、私からあの子を……何もかもを奪ったディーザも一緒に! 殺したい、殺したい、殺したいッ! あああぁぁぁああっ! そうだ、シートゥム! シートゥムはどこ!? あの子を返してもらわないと! 抱きしめてあげないと!」


 怨霊らしく、恨みを思い出した途端に狂気をばらまくリートゥス。

 そんな彼女に対し、その危険性を一切理解しない――というか、『こんな女に僕が負けるはずがない』と思っているジーンは、冷たく事実を突きつけた。


「シートゥム、確か魔王だったか。あれなら死んだぞ、ディーザに飲み込まれてな。無駄死にだった。まあ、奴の悪意にも気づけない愚かな女など、死んで当然だと思うけどね」

「ジーン、あんたはっ!」


 掴みかかろうとするネイガス。

 だがそれより先に、フラムの鎧から無数の腕が飛び出し、彼の体を拘束した。


「ぐ……何をする、離せッ! 僕は事実を言ったまでだ!」

「なぜ? なぜあの子が死ななければならないの!?」

「言っただろう、愚かだったと。脳みそが足りなかったんだよ、貴様の娘は!」

「ああぁ、馬鹿にするな、私の子供を馬鹿にするな愚かな人間風情が! 返せ、返せ、返せ、シートゥムを返せえぇッ!」

「ご……が、は……っ!」


 腕はついにジーンの首を絞め始めた。

 フラムとネイガスは、その状況を静観している。


「お、お前ら……やめさせ、ろ……っ! フラムぅっ、お前の、鎧……だろうがぁッ!」

「でもリートゥスさん、私の言うことを聞いてくれそうにないから」

「なら、ば……か、ひゅ……ネイ、ガスぅっ!」

「あんたを助ける義理がないわ」

「た、助けられ……て、おいて……ぇっ!」


 とはいえ、本当に死なれるとフラムとしては困る。

 ただでさえ戦力不足の今、クズの手も借りたいほどの状況なのだから。


「はぁ……リートゥスさん、そのあたりでやめてもらえませんか」

「なぜ? これは殺すべきです、あなたもそう思っているのでしょう?」

「そうですが、少なくとも今はオリジンに立ち向かうために使える・・・貴重な戦力ですので」

「使う……だとっ! フラ、ム……おま、黙っていれば……調子に乗る……なっ!」

「本当にいいのですか、このようなモノを野放しにしても」


 フラムも殺してしまいたい気持ちはやまやまなのだ。

 だが、それよりも優先すべきことがある。

 オリジンを殺す。

 ディーザを殺す。

 マリアも殺す。

 ミルキットを奪った全ての物を、叩き潰す。

 そのために必要なら、ジーンだろうが何だろうが利用しなければならない。


「お願いします」

「……わかりました、それがオリジンを殺すためだと言うのなら」


 黒い腕から解放されたジーンは崩れ落ちると、激しく咳き込む。


「げほっ……は、はぁ……どうしてくれる……この天才ジーンの貴重な脳細胞が、減っただろうが……! 許さん、いつか絶対に……痛い目を見せてやる……!」


 自分の罪を棚に上げて、よくもまあそんなことが言えたものだ。

 彼がオリジンの封印解除を止めていれば、ミルキットが死ぬことはなかった。

 そういう意味では、彼も加害者である。

 つまり、フラムにはジーンを殺す理由が十分にあるのだ。

 彼女は殺意を込めて彼の方を見た。

 さらにリートゥスも、怒り冷めやらぬ表情で睨んでいる。

 二人に凄まれ、ジーンは「くっ」と悔しげに口をつぐむことしかできなかった。


「しかし……あぁ、やはりシートゥムはディーザの毒牙にかかってしまったのですね」

「彼が怪しいことはわかっていたはずなのに、止められませんでした。申し訳ございません、リートゥス様」

「いいのですよ、ネイガス。幼い頃から一緒に育ってきた私ですら、気づけたのは死ぬ直前だったのですから」


 それほどまでに、彼は狡猾だった。

 先々代の魔王ですら気づけなかったのだ、死ぬ直前とは言え感づいたリートゥスは聡明な女性だったのだろう。


「あなたがたが彼とオリジンを殺すというのなら、力を貸しましょう。とは言え、こうしてあなたの戦いを補助することしかできませんが」


 フラムの鎧から現れた腕が、ゆらゆらと揺れる。


「いえ、それでも十分に助かります」

「僕から言わせれば足手まといだな、見ているだけで気持ち悪くなる醜さだ」

「……あなたは、懲りない人ですね」


 二本の腕がジーンに向けられると、彼はぴくりと震え、黙り込む。

 よほどトラウマになっているのか、体が勝手に反応してしまうようだった。


「ジーン、一つ疑問があるのだけれど、聞いてもいいかしら?」

「答えてやってもいい」

「はぁ……まあそれでいいわ。これから私たちは、オリジンを殺すために戦力を集めるのよね」

「正確には、オリジンを守るあの四人を倒すため、だな。オリジン自体はしょせんエネルギーと膨張した意思を生み出す機関に過ぎん。手足となるあいつらさえ排除すれば、フラムの力で破壊できるだろう」

「そのための詳細なプランはあるの?」

「戦力になる人間がどこにいるのかわからない以上、プランを立てるのは難しいな。ただ一つ言えることは――」


 ジーンは「ふぅ」と一旦息を吐いて、いつになくシリアスな表情で言った。


「タイムリミットは、二週間だ」


 その宣言を聞いて、フラムとネイガスの頭の上にハテナマークが浮かぶ。

 オリジンが復活した今、今さらタイムリミットなど設定して意味があるのだろうか、と。


「愚かなお前たちは気づいていないだろうが、まだオリジンは完全に復活したわけではない。封印解除は六割といったところだろう」

「どういうこと? 現にオリジンの力で王都周辺は壊滅状態になったのに」

「あれでも一部の力だと言うことだ。オリジンが本気を出せば、この世界は滅びる。だが、パフォーマンス代わりに王都を壊滅させたせいで、封印解除にかかる時間がさらに長引いたらしくてな、それで僕の計算上では二週間になった」


 ジーンの人格を信じることはできないが、彼の出した数字ならばフラムも信じられる。


「つまり私たちは、それまでに戦力を集めて、あいつらを叩かないといけないのね」

「珍しく聡いなロリコン女。そうだ、そういうことになる」

「こいつ……!」


 常に無自覚で他人に喧嘩を売り続けるジーンは、いつかネイガスにも殴られることになりそうだ。

 しかし、二週間――王国まで移動するとなると、長いようで短い時間である。


「ひとまずは知っている人間を探すのが一番だろうな。逃げたまま行方知れずのツァイオンに、エターナ、あとは……」


 とある男の顔を思い出し、言葉に詰まるジーン。


「セーラちゃんでしょう?」

「雑魚を助ける余裕は無い」

「なら私は抜けるわ」


 即答するネイガス。

 ただでさえ戦力が足りないというのに、ネイガスが消えれば勝ち目はさらに薄くなる。


「時間が無いと言っているだろうが!」

「それでも私はセーラちゃんを見つけ出すわ。それに雑魚は撤回して、回復魔法を使える貴重な戦力よ」

「私もそれに賛成」

「フラム、お前まで……!」

「ネイガスのモチベーションにも関わります、探した方がいいのでは?」


 リートゥスにまで諭され、多数決で完全敗北するジーン。

 それでも彼は自分が正しいという認識は変えない。


「愚かな女どもが! 僕の完璧な計画をそうまでしてかき乱したいのか!? ああわかったよ、なら勝手にするといい。失敗して吠え面をかいても知らないからな!」

「はいはい、怒ってる余力があるならもう出発しようよ。装備さえ手に入れば、この集落に用事はないんでしょ?」

「チィッ、胸糞悪い女どもだ。誰のおかげで助かったと思ってるんだか」

「感謝はしてるよ、それ以上に恨む理由があるってだけで」

「僕は恨まれるようなことをした覚えは無いな」

「そんなんだから恨まれるんじゃない?」


 フラムだけではなく、キリルを始め様々な人間にジーンを殴るだけの理由がある。

 だが彼は、それらの罪を一切、本気で自覚していないのだから恐ろしいものだ。


「ふん、さっさと行くぞ!」


 大股で集会所を出ていくジーン。

 二人で目を合わせ、大きくため息をつくフラムとネイガス。

 そして虚ろな瞳で空を見つめるリートゥス。

 性格も、力も、そして想いもちぐはぐな四人は、こうして限られた時間の中で、旅に出ることとなった。

 それはオリジンを打ち倒すための力を集めるための旅であり、同時に――終わりゆく世界で降り注ぐ理不尽を前に足掻く者たちを、救うための旅でもある。


 信じていた者に再び裏切られた男。

 孤独の旅路の中で絶望に身を投げようとする少女。

 身を削ってでも刃を研ぎ続ける鍛冶師。

 そして、襲い来る圧倒的な暴力を前に、それでも主の帰りを待ち続ける少女が――この世界のどこかで、助けを求めていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る