第38話 生命の定義
フラムは自由にしていいと言われ、困り果てていた。
もちろん、研究所内には立ち入りできない扉もあったが、それ以外の行動は本当に一切制限されていない。
急に言われたって、こんな敵地で何を好きにしろと言うのか。
ひとまず予定通りにエターナの居場所をダフィズに聞き、インクをそこまで送っていくことにした。
外観は教会、しかし礼拝堂から一歩奥へ進むと、見慣れぬ金属らしき材質の壁で作られた研究所。
木のぬくもりが一切感じられないその景色は、エニチーデ付近の洞窟地下の研究所とよく似ている。
出口へ向かって歩くフラムが、常に言い知れぬ不安感を覚えてしまうのは、異形のオーガに襲われた記憶が鮮明に残っているからか。
あるいは――もっと、別の理由なのか。
通りすがりの女性研究者と軽く挨拶をした、敵対している組織の人間とは思えないほど愛想が良い。
隣に立っていた十歳ほどの子どもは彼女の息子だろうか。
じっと黙ってフラムの顔を見ていたが、母親に促されて頭を下げる。
彼らと別れて進み、曲がり角を右折したところに、別の女性研究者が立っていた。
彼女は沈黙したままフラムの顔を見つめている。
……無視をした。
三人は先にあった扉を抜け、さらに無人の礼拝堂から、外に出る。
そこに広がるのは、真新しい木造の家が立ち並び、綺麗に舗装がなされたメインストリート。
住宅、商店、子供たちの遊ぶ広場にフラムの見える範囲にはその程度だが、その他の施設も視界の外にあるのだろう。
住民に若い層が多い影響か、五百人規模の村にしては活気があるように感じられた。
しかし皮肉な話だ、生者ばかりが住む村よりも、半分が死者の村の方がよっぽど賑わっているのだから。
現状、蘇った人間の多くは、モンスターに襲撃されたり、犯罪の被害にあったりして命を失った“オリジン教徒”なのだと言う。
研究員はその関係者がほとんどらしい。
要するに、蘇らせる代償として――もちろん別に金は支払っているらしいが――ここで働いているらしい。
ダフィズいわく、そのおかげか、研究員たちのモチベーションは非常に高いのだという。
確かに、もう二度と会えないはずの誰かと再会できて、終わったはずの物語の続きを見ることができた彼らは、満たされているに違いない。
やる気も出るはずだ。
しかし――
「……ここ、私はあんまり好きじゃないな」
フラムはやはり、居心地の悪さを感じる。
「空気は澄んでるし、治安だって悪くなさそうだよ?」
「そういうんじゃないんだよね」
「ご主人様の感じていること、少しわかるような気がします」
「あたしはさっぱり。他の村と何か違うの?」
「視線、ですよね」
ミルキットの言葉に、フラムは相槌を打った。
そう、視線。
人々がなぜか、フラムの方をまじまじと見つめてくる。
王都でも、奴隷の印を見てくる人間はよくいる。
だから、他人の悪意のある視線には慣れたつもりだった。
だが――肌に感じるこの張り付くような気色の悪さは、それとは別物だ。
「みんながご主人様を見てて、そこに感情が篭ってないような気がして……嫌な感じがします」
「フラムの顔が好みな人が多いとか、そういう話?」
「それならそれで、下心とか目にでるからわかると思うんだけど――」
そうではない。
ミルキットの言うとおり、視線はひどく無機質だ。
中には、こちらを見ながら平然とパートナーと会話をしている者もいる。
もちろん隣を歩く男性は「どこ見てるの」と声をかける。
すると女性は「あ、ごめんね」と笑って、最後にちらりとフラムの方をみて、彼の方を向いた。
「みんなオリジン教徒なんだよね、しかもコアの存在を知ってるぐらい深いところに首を突っ込んだ人間ばっかり。もしかしたら、私のことも知ってるのかも」
コアを破壊できる、危険な人間として。
だから注目を集める。
今は、そう考えることにした。
◇◇◇
エターナは、研究所から三分ほど歩いた場所にある、木造の住宅にいるのだという。
玄関の横に取り付けられた、魔力感応式の呼び鈴。
一見して田舎で未発展な村に見えるシェオルだが、よく観察してみると、所々に進んだ技術が用いられている。
しょせんは偽装だ、完全に村を再現したわけではない。
外から見て、教会の施設だと気づかれなければ、それで十分なのだ。
フラムはオーブに手を当てて、微量の魔力を流す。
すると家の中でチャイムが鳴り、足音がこちらに近づいてきた。
ドアが開き、顔を出したのは――いつもより優しい表情をしたエターナだった。
「フラム……に、ミルキットと、インクまで」
フラムたちを見ると、表情に影が差す。
「やっほ、会いに来ちゃった」
インクが陽気にそう言うと、エターナのまぶたがピクリと震える。
「一時間ほど前にここに来たんです、ガディオさんにはもう会いましたし、ダフィズさんには話を通してあります」
「そう。中に入ってく?」
少し考えて、フラムはそれを断った。
エターナの背後でこちらを様子を伺う男性――彼がフラムの顔をじっと見ていたからだ。
もし自分の存在が団欒を乱すのなら、邪魔をしたくはない。
少なくとも、今はまだ。
「インクがエターナさんに会いたいって言って聞かなかったんですよ、だから連れてきたんです」
「あたしそんなこと言ったっけ……」
「顔に出てた。というわけでお願いしますね。やっぱり、素人の私たちよりエターナさんの側にいた方が、インクも安心だと思うので」
「なんか納得行かないよ!?」
抗議するインクはさておき。
若干戸惑いの表情を見せるエターナに、半ば強引に彼女を押し付ける。
するとエターナより少し小さな体が、両腕の中にすっぽりと収まった。
「じゃ、私たちは別の場所に用事があるので」
「……ん、わかった」
ミルキットもエターナに頭を下げる。
そして、フラムは足早にその場所を離れていった。
「用事なんてありましたか?」
「無いよ」
「じゃあどうして……」
「私がいたら色々こじれるような気がしたから、エターナさんのことはインクに任せておこうと思って」
それでも、あの家を離れたところで、周囲からの視線が消えるわけではない。
いや、考えすぎなのはわかっているのだ。
一度意識してしまうと、まるで全員が自分をみているような気がしてしまう。
そして、ふと通りすがりの人の顔をみたとき、偶然にも目が合ったりすると――余計に気になってしまうのだ。
自然と歩く速度が上がっていくフラム。
そんな彼女の足に、ぽん、とどこからか転がってきたボールが当たった。
どうやら子供が遊んでいたらしい。
母親らしき女性が、申し訳なさそうに頭を下げていた。
フラムはそれを拾うと、しゃがみこみ、近づいてきた五歳ほどの男児に「はいどうぞ」と優しい声で告げ、手渡す。
「ありがとうおねーちゃん!」
子供はしっかりとフラムの目を見ながらお礼を言った。
彼女の頬が緩み、自然と手は彼の頭に伸びた。
柔らかな髪を撫でていると、男児の口は半開きになり、
「……あ」
顔から表情が消える。
そしてじっと、フラムの顔を凝視した。
茶色い虹彩に、頬を引きつらせる彼女の顔が映り込む。
普通の人間なら、同じ姿勢を続けようとしても一部分が震えたりするものだが、その子は違った。
文字通り、微動だにしない。
一瞬で日常から切り離され、非日常の沼に突き落とされたかのような、嫌悪感。
フラムの腕にぞわりと鳥肌がたつ。
慌てて手を離すと――彼はまた先ほどと同じような笑顔を取り戻した。
そして何事もなかったように、駆け足で女性の元に戻り、その胸に飛び込む。
おそらく彼女は生者なのだろう、我が子とじゃれ合いながら、フラムに会釈をした。
フラムも軽く頭を下げると、そそくさとミルキットの手を引いて、その場を立ち去る。
その姿が見えなくなるまで親子は手を振っていたが、一度振り向いた瞬間に見た男児の目は、頭を撫でたときと同じように、人間味のない視線をフラムに向けていた。
◇◇◇
エターナは両親へのインクの紹介もほどほどに、彼女を連れて、家の外に出た。
そして近くに作られた公園のベンチに腰掛け、珍しくインクを膝の上に乗せる。
「なに、この状態」
いくらインクの方が小さいとはいえ、エターナもかなりの小柄。
ここまで子供扱いされる筋合いはない、と少し彼女は不機嫌だった。
しかし、頼られているようで、少し嬉しいのも本音だ。
自分に黙ってエターナが出ていったのは、正直、インクにとって相当ショックだった。
ほんの一週間ちょっととは言え、ほぼ常に一緒に過ごしていたのだ。
当然、情だって湧く。
でもそう思っているのは自分だけだったのかもしれない――そんな不安は、杞憂だったのである。
「インク、声を聴きたい」
エターナはインクの耳元でそう囁く。
あまりのむず痒さに、インクは顔を真っ赤にした。
「ま、待って、そんな耳元で話す必要なくない?」
「いいから、聞かせて」
彼女は聞く耳を持たない。
諦めたインクは、しかし“声を聴かせて”と言われても何を喋っていいのかわからなかった。
そもそも、どうしてエターナがそんなことを言い出したのかもわからない。
ただ一つはっきりしていることは、彼女の声が、揺れているということだけだ。
不安か、恐怖か、迷いか――いくら耳のいいインクでもそこまでは判別できなかったが、ひとまず、求められる通りに他愛もない話を始める。
「えっと……実はあたしさ、こういうスキンシップが好きなんだよね」
「知ってる。寝てるときに頭を撫でたりしたら嬉しそうな顔してた」
「……そ、そうなんだ」
「そう」
本人すら知らぬ事実を聞かされ、出鼻をくじかれる。
羞恥心から黙り込むインク。
「……ぐ、ぬ」
顔が熱い。
耳まで真っ赤になっている……それが自分自身でもわかる。
それどころか、頭の中身まで茹だって、何を話せばいいのか全く浮かんでこない。
「ねえインク、声を聞かせ――」
「いや、黙らせたのはエターナだよ!?」
「……そう?」
「そうだよお! いきなり耳元でそんなこと言われて話せるわけないじゃん!」
全く自覚のないエターナは、インクにがーっとまくしたてられてもぽかんとしている。
十歳の少女を弄ぶ、五十歳過ぎの少女。
酷い絵面であった。
「……ごめんね、インク」
「素直に謝るなんて珍しい。反省したら、もう変なこと言わないでね」
「いや、わたしが謝ったのはそのことじゃなくて」
「そのことじゃないの!?」
「うん、勝手に出ていって、寂しい思いをさせた。本当に……身勝手なことをしたと思ってる。だから、ごめん」
それもそれで、謝ってほしいことではあった。
しかしタイミングが滅茶苦茶である。
インクは「はぁ」とため息をつくと、不機嫌そうな顔をしながら言った。
「いいよ、両親のことだもんね。あたしだって、同じ立場だったらそうしたと思うから」
「ん……」
エターナはインクの体に腕を回し、抱きしめ、首元に顔を埋めた。
「な、なにっ!?」
インクは突然後頭部に走ったくすぐったさに、声を裏返らせる。
「そうだった……声って、こういうものだった。周りに誰もいないと、見失って、溺れそうになる」
「エターナ……?」
急に真面目な語調になるエターナに、インクは戸惑う。
「本当にありがとう、インク。勝手に出ていったわたしなんかのために、ここまで来てくれて」
「それはフラムに言ってよ、あたしはついてきただけだから」
「もちろんそれは言うつもり。でも今は、インクに言いたい気分だった。ちゃんとした声を聞かせてくれた、インクに」
「……んん? よくわかんないけど、役に立てたの、かな? っていうか、それくすぐったいからやめて!」
エターナの呼吸がうなじにあたり、そのたびにインクは悶ていた。
しかし抗議したところで、彼女のマイペースが変わるわけがない。
「やだ、やめない」
「良い年した大人なんだから、子どもの言葉は聞くもんじゃないの!?」
「インクの甘いにいいにおいがする」
「ひいっ、エターナが変態っぽいよおぉーっ!」
もがいて腕の中から逃げようとするインクだったが、エターナの力は思っていた以上に強い。
がっしりと掴まれ、逃げられる気がしない。
どこか楽しそうに暴れるインクの姿を見て、エターナもいたずらっ子のように微笑む。
そして彼女は再確認するのだ。
自分にとって本当に必要なものは何なのか、ということを。
◇◇◇
フラムはガディオにも会いに行こうかと思ったが、遠くからティアと談笑する姿を見て断念した。
あんなに楽しそうな表情をして他人と接する彼を、見たことがなかったからだ。
――異常はない、蘇生は完璧である、だからこれは正しい研究だ。
ダフィズの理屈は、教会に敵対するフラムが納得してしまいそうになるほど、穴がなかった。
手持ち無沙汰になり、とりあえず教会まで戻ってきたフラムは、礼拝堂でミルキットと並んで座る。
研究所を隠すためのハリボテではあるが、そこはちゃんとオリジン教の教会としての機能も備えていた。
見上げると、そこにはオリジン像が飾ってある。
あたかも善人のような面をしていて、無性に腹が立った。
いや――それとも、本当はオリジンも善なのだろうか。
全ては、その力を使う人間次第というだけで。
「この状況を壊したとして、一体誰が幸せになるんだろうね」
フラムは像を見上げたままつぶやく。
この村には違和感があった。
だが、それだけで彼らの得た幸福を壊していい理由にはならない。
「私は、大事な人を失った経験がないのでよくわかりません。ですが……きっと、ご主人様がいなくなって、声をかけられたら、誘惑には抗えないと思います」
「私だってそうだよ。だから理解はできる、それを可能とする力がオリジンコアでさえなければ、ね」
どんなに善意の元に使われたとしても、それを台無しにするだけの凶暴性がある。
フラムはそう確信している。
だがダフィズも含め、シェオルに住む人々はそうは思っていないのだ。
心の底から――いや、果たして本当にそうなのだろうか。
だとすれば、不可解な点が一つある。
「もし本当に、ダフィズさんが心の底から、自分の研究は完璧だって自負してるんだとしたらさ、なんで私をここに呼ばなかったんだろ」
「失った人がいないからではないですか?」
ミルキットの言うことはもっともだ。
しかし結果的に、それがフラムの来訪という予想外の出来事を招いてしまった。
「でもさ、だったら黙って出ていく必要なんて無いんじゃない? 一言でもどこへ行くのか、何のために向かうのか言っておけばよかったはず。正しいことをしてるって自信があるならなおさらね。だって、私が教会と敵対してるの知ってるんだよ? それで、エターナさんとガディオさんをさらうような真似をしたら、絶対に私が二人を探そうとすることぐらい、わかりきってると思うんだけど」
「本当は、ご主人様を呼びたくなかったということでしょうか」
「たぶんね。ダフィズさんも……心のどこかに、不安があったんじゃないのかな」
フラムに向けられる視線。
その異変を、ひょっとすると、まだダフィズはまだ知らないのかもしれない。
しかし、死者たちの研究をしてきた彼ならじきに気づくはずだし、“そうなるかもしれない”と思っていた可能性だってある。
だから彼はフラムを呼ばなかった。
それが“人間的な反応”によるものなら別にいい。
だが仮に、それが人の意志の外側にあるものの影響だというのなら――ダフィズの信じる完全なる蘇生は、まだ叶わないということになる。
「あの人は、オリジンコアのことを“おぞましい力”と言った。コアがどんなものなのか知ってるんだよ」
「ですが生き返った人たちは、ほぼ普通の人間と同じ状態でした。もしかすると、本当に完全に制御できているのかもしれません」
「肉体に残った情報を元に、オリジンがそれを再現しているだけかもしれないよ?」
「それは、生きてるということじゃないんでしょうか」
「どうなんだろ。もし今ここで、私の中身が、私じゃなくて、フラム・アプリコットを完全に再現する別の何かに変わったとして――それは私だと思う?」
言っていて、フラム自身にも理解できなくなってきた。
もちろんそんなあやふやで概念的な話が、ミルキットに通じるはずもない。
「……よく、わかりません」
考え込んで、彼女はぼそりとそう言った。
さらに言葉を続ける。
「でも、なんだか嫌ですね」
説明できない嫌悪感ある。
フラムはそれに同意し、頷く。
「そう、“なんだか嫌”。私の感じてる違和感は、そういう物なんだと思う。まあ、だからって、そんな曖昧な感覚が、この村にいる人たちの幸せを壊していいって理由になるわけないんだけど」
「ですが、目を背けていいものでも無いと思います。だって、もしご主人様そっくりの何かが私の隣に立ったとして、それは私に対する救済であって、消えたご主人様は……消えたまま、じゃないですか」
ミルキットの言うとおり、どんなに生前と同じ状態で蘇ったとしても、それが精巧で、本物よりも本物らしい“レプリカ”だとするのなら――本当の意味での蘇生とは言えない。
救われるのは生者だけだ、遺された人間の自己満足だ。
死者は、ひょっとするとあの世で――まあ、そんなものが存在するかはさておき――自分の想い人が、自分そっくりの
「それも不確定な話だよね。死後の世界が存在するかはわからないし、優先的に報われるべきは生きてる人間だと私は思う」
「本物じゃないのに、報われたと言えるんでしょうか。難しいです」
「人の生き死になんて、私らみたいな小娘が問答したところで明確な答えが出るようなものでもないから。結局は、自分がどう思うか、そしてどうしたいのか、そういうことになっちゃうと思うんだけどね」
「ちなみにご主人様は今、どうしたいと思っていますか?」
「んー……」
はっきりと、方針が固まっているわけではない。
これもまたぼんやりとした指針に過ぎない、だから無責任な言葉だ。
けれど、ミルキットになら、そういう思い付きでも吐露してしまっていいと思える。
「私が思うに、オリジンは勢力を拡大したがってるんじゃないかな、って思うんだよね。インクがそうだったように、このネクロマンシーの研究もさ、“増殖”の一環なんじゃないか、って」
「生物の、本能みたいな話ですか?」
「さあ、それが本能なのか、オリジンの“意思”なのかはわからない。まあどっちにしたって、まとめて“欲求”とでも呼ぶべきなのかな。ほら、あのネクトの“接続”って能力も、なんていうか、増えたがってる感じがしない?」
増えるというよりは、同化と言った方が正しいのだろう。
他者を取り込んで、自らを肥大化させていく。
もっとも、ネクトは能力のそういった使い方をしていないようだが、やろうと思えばできるはずだ。
「感覚的な話ですね……何となく、わかる気はします。ですが、残りの“回転”とか、“ねじれる”のは関係ないんじゃないですか?」
「エターナさんから聞いたことあるんだけどさ、魔力感応式のスイッチって、あれ必ず球形でしょ? 微量の魔力を増幅させるために円形の路――確か、回路とかサーキットとか言ってたけど、とにかくその形が都合いいんだって。オリジンが魔法を使うかどうかはさておき、まあるい形とか、回ったりとか、それも無関係とは言えないと思う」
ミルキットは真剣な眼差しでフラムの話を聞いている。
しかし、半分以上は理解できていなかったのか、明らかにまばたきの回数が増える。
「つまり、回転も、増えることと関係がある、ということでいいんでしょうか」
「簡単に言うとね。んで、“増殖”――それがオリジンの目的。そう仮定すると、オリジンコアで人が蘇ることにも説明がつく」
「どういうことですか?」
「人が蘇る技術が実用化されれば、みんな使うに決まってるでしょ? それが広まれば広まるほど、労せずしてオリジンコアを宿した人間が増えていく。だからそのために、彼らは今のところ大人しく生前の人格を再現し、“人間に擬態”している――」
そして、十分に増えたところで牙をむく。
人類は滅び、世界はオリジンのものとなる。
「とまあ、前置きはこのあたりにして、結論を言うと……私個人の意思としては、この研究を止めたいと思ってる。今のところは、ね。やっぱりオリジンは信用できないし。仮説だけど、私の思うオリジンの目的と、ネクロマンシーの目的は利害が一致してるから」
だが現状、止めようとすれば、下手をするとガディオやエターナまで敵に回すことになってしまう。
彼らが納得できるだけの、“理屈”を探さなければ。
フラムの感じる不安や気持ち悪さだけで行動を起こせるほど、程度の低い話ではないのだから。
「しかし悩ましい話だよ。とっとと化物みたいな姿になってガオーって襲いかかってきてくれたら、戦って解決できるのにさ。ただし、そうなったら、この村で幸せな夢を見ている人たちは、みーんな現実に引き戻されちゃうわけだけどさ」
「悪いことばかりではないと思います。その人たちを、正しい道に導くことにもなるんじゃないでしょうか」
「なんで?」
「もしも化物のような本性をさらしてしまったら、それは増えたいオリジンからしてみれば失敗なわけですよね」
「確かにそうかもね」
フラムは頷く。
一般市民にまでこの技術が普及するまで、オリジンはできれば擬態を続けたいはずだ。
正体を明かす頃合いとして、今はまだ早すぎる。
「完璧に生き返ったフリをしたいけど、できなかった。それはなぜかと言うと、オリジンには死者を蘇らせることができず、あくまで生前の状態を“模写”することしかできなかったからです」
もしも本当に死者を蘇らせることができるのなら、そもそも擬態など必要はない。
蘇らせるだけ蘇らせておいて、いざ時が来たら、肉体を乗っ取ってしまえばいいだけなのだから。
しかし、オリジンにはそれができない都合があった。
「死者の肉体を再生しただけでは、人は蘇生できないのかもしれません。肉体以外の
「なるほど、その消えた何かが……いわゆる“魂”みたいな何かだ、ってミルキットは言いたいわけね。そして魂が存在するということは、死者の世界が存在する可能性も高い。死んだ人たちが、そこから生きてる人たちの様子を観察してるんだとしたら――自分に似ているだけのハリボテと愛し合う姿を見て、悲しい思いをしているかもしれない、だからそれを壊すことで正しい道に導いたんだ、と」
フラムの補足説明に、ミルキットは深々と頷いた。
「すごいねミルキット、私そんなこと全然思いつかなかったよ」
興味深い推察だし、何より、彼女が割と難しそうな理屈を連々と述べたことが、その成長を感じられてフラムは嬉しかった。
最近はエターナから本を借りて読むこともあるぐらいだ、そのあたりの影響を受けたのだろうか。
読み書きを教えた甲斐があったというものである。
「いえ、そんなことは。ただの想像ですから」
「でも、もし死者たちと戦うような事態になったとしても、今の話を思い出せば少しは気が楽になると思う。自分は正しいことをしてるんだって、自己弁護できるからさ。まあ、そうならないのが一番なんだけど」
「……はい、平和に終わるといいですね」
ミルキットの言葉を最後に、会話が途切れる。
現実はそう甘くないことを、フラムは知っている。
だからついつい悪い想像をして、黙り込んでしまうのだ。
誰も血を流さずに平和に終わる結末がないものか。
蘇生は完璧で、オリジンの意思も完全に封じられて、みんなが幸せに暮らせる結末が。
ああ、しかし――どんなに探しても見つからない。
浮かんでくるのは、赤に塗れた景色ばかりだ。
彼女は脳に張り付くイメージを振り払うように「ふぅっ」と強めに息を吐いて、勢いをつけて立ち上がる。
「さて、と。結構話し込んでたはずなんだけど……まだまだ外は明るいよね」
「夕食まではまだまだ時間がありそうです」
「それまでどうする? また外でも散歩する?」
「私は、部屋で休んでもいいと思います。特に用事が無いのに歩いても、ご主人様の疲労が溜まるだけだと思いますから」
確かに、ああもじろじろ見られると、歩くだけで疲れてくる。
今だって思い出すだけで、憂鬱さに体が重くなるほどだ。
「じゃあ、夕食の時間まで部屋でゆっくりしてよっか」
フラムとミルキットは長椅子から立ち上がると、与えられた部屋へ戻っていく。
ここは敵地、どこにいたって、他人の目に触れる場所は心が落ち着かない。
だから唯一、フラムが休める場所は、ミルキットと二人きりで過ごす部屋の中だけだった。
ここでは、何が起きるかわからないのだ。
そのときに備えて、休めるときに休んで、体力は温存しておかなければならない。
◇◇◇
夜の食事会が、急遽中止になった。
予定では、ガディオやエターナも含めて、研究所の会議室を使って宴会が行われる予定だったのだ。
どうやらダフィズに急用が入ってしまったのが理由らしい。
そんなわけで、食事は部屋に運ばれてきて、その場で食べることになった。
周辺の村で取れたという野菜を使った料理の数々は、なかなかに悪くない味をしている。
毒も警戒して、まずは最初にフラムが食べたが、そういった心配は一切無いようである。
食事が終わると、ほどなくして風呂に案内される。
広めの浴場だったが、ここでもまた二人きりである。
まるで気を使われているように、行きも帰りも、もちろん風呂の中でも、誰とも遭遇しない。
そのまま拍子抜けするほど何も起きず、夜は更け、フラムとミルキットは同じベッドで就寝した。
それからしばらく経った、深夜のこと。
フラムは真っ暗な部屋の中で目を覚まし、上半身を起こした。
口が乾いている、何かで潤したい。
彼女はベッドから這い出ると、部屋の棚からグラスを取り出し、テーブルの上のウォータピッチャーから水を注ぐ。
そして中身を一気に飲み干した。
ピッチャー内の氷は解けきり、あまり冷たくはなかったが、乾いた体を潤すには十分だ。
あまりの充足感に思わず「ぷはぁっ」と声をあげ、すぐに慌てて口をつぐむ。
音に反応してか、ミルキットが「うぅん……」と呻いた。
しかし、起きてはいないようだ。
ほっと肩をなでおろしたフラムは、空のグラスをテーブルの上に置き、ベッドに戻っていく。
ついでに棚に置かれた時計を確認――まだ日付は変わっていない。
随分と長時間寝ていたような気がするが、ベッドに入った時間が早すぎたせいだろう。
時計の確認が済んだところで布団に手をかけ……そこで、ふと何かが聞こえたような気がして、動きを止めた。
息を潜め、耳を澄ます。
『……な、く……い……』
気のせいではないようだ、確かにどこからか誰かの話し声が聞こえる。
フラムは薄っすらと開いた目をこすりながら、声のする方向――部屋の入口に近づいた。
『な……なの……か』
『……べき……お……』
すると、さらにはっきりと声が聞こえる。
しかも一人ではなく、誰かと誰かが会話をしているようだ。
こんな時間に、迷惑な奴らだ。
せめて自分の部屋で話せばいいのに。
フラムは注意してやろうかとも思ったが、その前にドアに耳を当て、外の様子を伺う。
すると――
『なぜ生かすべきか』『千切れ奪れてしまえ』『命あれ、それでいい』『殺せ』『まずは腕からがいい』
『足の筋を開き舐める』『皮を剥ぐ、それでいい』『箱に詰めよう』
『脊髄を折れば入る』『必要な処置である』
『逃してはならない』『殺すといいは、だめ?』『まだ許可されていない』『接続しなければ』『どう導く?』
『まずは捻り穴をあけるところから』『中に入り込む、脳に接続する』『一つになろう、みんなで一つになろう』
『蛆虫のような中身が見たい、一度でいい』
『今回は殺せ、次を繋げ』『切除する』『接続にふさわしくない』
『血が出たほうがいい』『私は割腹を認めている』『接続線はどこにある? 頭蓋の穴はどう開く?』
『さんよんにいごおなな』『私たちは苦しうなく』
『あああ、狭い、ああ、狭い』『ぼくは子宮がほしい』『爪先から削りおとした』
『罰を与えねばならない』『ぎーぎーぎー』『サイレンがきこえるよ』『奪わなければ』
『管で縫い合わせる』『き、きき、危険』
『まだ足りない』『ええう、れる、れ』『お前は果たさねばならない』『もう遅くなりました、何もかも』
――二人どころではない、無数の人間の話し声がぞわりと聞こえてくる。
しかも四方八方から、おそらくはドアを取り囲むように、数十人の人間がこの薄い板の向こうに立っているのだろう。
「っ……!?」
びくんと体が震える。
カタ、と微かに音が鳴る。
すると、盗み聞きに気づかれたのか、話し声はピタリと止んだ。
だが耳を澄ますと、複数人の息遣いが聞こえてくる。
まだそこに、彼らはいるのだ。
『あした』
そのうちの一人が言った。
『明日にしよう』
別の一人が同意する。
『明日がいい』
『明日だ、明日』
『明日なら』
『明日までに結論を』
『明日を待とう』
さらに一斉に声が聞こえてくる。
まるでフラムを弄ぶかのような言動である。
これだけの人数がいるのだから、今すぐ襲いかかってくればいいものを、なぜ後回しにするのか。
そう思うと、おちょくられているようで怒りが湧き上がってきた。
自分には戦う力がある。
確かに相手はコアを宿した人間だ、だがこれまで戦ってきた敵と違って、その肉体は冒険者ですら無い一般人だらけじゃないか。
部屋の入り口や狭い廊下を利用して、常に少人数との戦闘を心がければ切り抜けられるはず。
スージィに関してはAランク冒険者と言っていたので不安はあるが、いざとなれば逃げて、ガディオとエターナに助けを求めればいい。
相手が蘇った人間ではなく、化物だとわかれば、彼らだって協力してくれるはずなのだから。
ドアノブレバーに左手をかける。
すっかり目は冴えている。
大きく息を吐いて、右手を開いたり閉じたりして動きを確認。
そしてレバーを握る手に力を込め、捻り、ガチャンッ! と一気に前に押し開いた。
廊下に出ると同時に剣を抜き、構える――!
「……あれ?」
だが、暗い廊下には誰の姿もない。
周囲を見回しても、真っ暗の廊下が続くばかり。
足音がしないか、人の気配がないか、感覚を研ぎ澄まし、出来る限り全てを試すも、誰かがいた形跡すら発見できない。
ひょっとすると――気のせい、だったのかもしれない。
疲れと、未だ消えない眠気が、幻聴を引き起こしてしまったんだろう。
それにしては、聞こえてきた声はやけに鮮明に耳に残っているが――今はそう思うしかない。
実際、部屋の前には誰もいなかったのだから。
ゆっくりと、音を立てないようにドアを閉め、今度こそベッドにもぐりこむ。
すると目の前にあるミルキットの顔、その瞳がうっすらと開いた。
「ごしゅ……じん、さま……」
うわ言のように、フラムを呼ぶミルキット。
「ごめん、起こしちゃった?」
「んー……起きて、ないです。寝てます……」
意識が半分覚醒した状態のようで――要するに彼女は寝ぼけているようだ。
「なんでもないから、また寝てていいよ」
そう言ってフラムはミルキットの頬に手を当てる。
すると彼女は、幸せそうに頬を緩めて、また目を閉じた。
「んぅ……」
そして、すぐに眠りに落ちる。
フラムも先ほどの出来事は深く考えないようにして、五分ほどで意識を手放した。
◇◇◇
そして朝を迎える。
フラムはミルキットに揺り起こされ目を覚ました。
ベッドから降りて、「んー!」と声をあげながら思いっきり体を伸ばす。
いざ一眠りしてみると、昨晩の出来事がすっかり夢のように思えるのだから単純なものだ。
あれ以降、誰かが部屋に忍び込むこともなかったし、おそらくは本当に幻聴だったのだろう。
部屋に備え付けられた洗面所で支度を済ませる。
トイレもあるし、軽食も用意してある、実はかなり上等な部屋だ。
ひょっとすると、教会のお偉いさんを泊めさせたりすることもあるのかもしれない。
そして起床から三十分ほど経つと、そろそろ朝食が運ばれてくる時間だ。
二人は座ってじっと待っていたのだが――
「来ませんね」
「来ないねえ、言いに行ったほうがいいのかな」
椅子に腰掛け、呑気にそんな話をする二人。
さらに二十分経過しても誰も来ないので、仕方なく部屋を出ることにした。
ドアを開き、一歩、灰色の廊下に踏み出す。
フラムが左側を向くと、長い廊下の向こうに、小さな小さな人影があった。
「あれって……」
よちよちと、おぼつかない足取りで壁伝いに歩く、ルコーだった。
「お母さんとはぐれてしまったんでしょうか」
「一歳だったっけ。歩けるようになると、好奇心で色んなところに行っちゃうらしいね」
「体も大きくなってきますし、スージィさんも大変です」
どうせダフィズに会いに行くつもりだったし、とルコーに近づいていく二人。
すると彼女は、フラムの顔をみると「あぅ、あぅ」と手をバタつかせながら笑顔を見せた。
そして速度を上げて、フラムの方に歩み寄ってくる。
「こちらから行かなくても来てくれそうですね」
「んじゃ、待ってみよっか」
フラムはしゃがみこみ、「こっちにおいでー」と手を振りながら声をかける。
途中までは調子よく歩けていたルコーだったが、右足をくじき、転げそうになってしまう。
思わず前のめりになって、助けに行こうとするフラムとミルキット。
だが――ルコーは痛がる様子もなく、そのまま歩き始めた。
「あ……あれ?」
そう、
フラムは頭の上に疑問符を浮かべた。
昨晩の夢の続きを――今も幻を見ているのだろうか。
ルコーはなぜ、足がぐにゃりと曲がった状態のまま、平然と歩いているのか。
さらに、フラムに近づくにつれて、次はゴリッ、という音と共に左足が曲がる。
それでも彼女は足の側面を器用に使って、歩行を続ける。
「ご、ご主人様、これって……」
歪みは接近するほど悪化する。
すねのあたりが折れ、足が膝とぴたりとくっついた。
次は膝、太もも、股関節――それでもルコーは、接地面をうまく使って、フラムに接近する。
ついには足だけでなく、胴体や頭の形、指、腕、全身のありとあらゆる部分が、渦巻くように変形した。
ゴギッ、ゴリッ。
いたる部分の骨が折れ、人の体から鳴ってはならない音を幾度となく響かせている。
だというのに、ルコーは笑顔のままだ。
「うらぅ、ふらう!」
声も無邪気な子供そのものだ。
首もへし折れ、声帯だってねじれているはずなのに、声だけが正常で、際立って余計に不気味である。
胴がねじ曲がり、頭の側面と太ももが接触する。
足先は頭の上を通り、肩のあたりでひらひらと動いていた。
もはや、どうやって動いているのかもわからない。
体全体を虫のように蠢かせ、ルコーはじりじりとフラムたちににじり寄る。
無理のある曲がり方をしたせいか、体の至る場所の皮膚が裂け、血が吹き出していた。
彼女が通った後には、まるで軟体生物が纏う粘液のように、赤い液体がこびりついている。
鉄の臭いが鼻をつく。
「ひ……ひっ、あ……」
ミルキットは主にしがみつく。
目に涙を浮かべ、頬を引きつらせ、体は震えていた。
人の原型を残しているせいか、完全なる異形よりもよほど惨たらしい、悪夢のような光景だ。
ダフィズは言った。
ルコーの体内は、ほぼ正常な人間と同様な器官を備えているのだと。
コアは入っていないし、心臓も動いている、血液も循環している、だから人間であるはずだ。
ああ、しかし――それもまた、オリジンが人の目を欺くために“再現”したものなのだとしたら。
「ふ、らむ……?」
歪み、パーツの位置がめちゃくちゃになったルコーの顔。
頭部も至る部分が裂け、血が吹き出す。
特に首の傷はぱっくりと開いており、明らかに致死量を超えた液体を垂れ流していた。
それでも彼女は人間の子供を装い続ける。
唇が、おもちゃを見つけて喜んだように、ぐにゃりと三日月型に形を変えた。
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