第27話 彼が取りこぼしたもの

 





 デインが死に、インクが救われたあの日から三日が経った。

 その間、西区は驚くほど平和で、教会がフラムたちを襲撃することもなかった。

 拍子抜けだ。

 教会が、インクが救われたことに気づいていないからなのか。

 はたまた、余裕の表れなのか。

 どちらにせよ、町は本当に不自然なほど静かで――ギルドへ向かい歩くフラムは、胸にまとわりつくような気味の悪さを感じていた。

 曲がり角を左へ。

 少し細めの道に入ると、左右には風化した壁が並び、泥臭く生温い風が吹いた。

 フラムは顔をしかめて、頬に張り付くゴールドブラウンの髪を指でかきあげる。


「静かだな」


 コートを羽織ったガディオが呟いた。

 ここ数日、彼は王都にある自宅で寝泊まりしているらしい。

 しかし今日は朝からフラムの家に来て、『ギルドに行かないか』と誘ってきたのだ。

 フラムは真横にいる彼の顔を見上げる。


「教会も襲ってきませんしね」

「少なくとも螺旋の子供たちスパイラル・チルドレンのチームは、新たな拠点探しでそれどころではないのだろう」


 ガディオは一昨日と昨日、たった二日でマザーの拠点を発見した。

 彼が得た情報と、インクから聞き出した手がかりをもとに調べたらしい。

 もっとも、すでにそこはもぬけの殻になっていたそうだが――拠点が一つ潰れたことは間違いない。

 王都の地下にそういくつも施設を作ることができるはずもなく。

 今ごろマザーを含めたあの四人の子供たちは、新たな家を探してさまよっているのかもしれない。


「あとは、デインたちがいなくなったんで、治安が良くなったからですかね」

「それもあるな」

「まあ、そう長くは続かないでしょうけど」

「リーダーを失ったゴロツキどもが何を始めるか……想像するだけでも頭が痛くなってくる」


 ガディオは目を閉じて“やれやれ”と首を左右に振った。

 西区の不法者たちは、今までデインのもとで制御されてきた。

 そのタガが外れてしまえば、もう彼らを止める者は誰もいない。


「デインの後釜を狙おうとする人間も出てくるだろうな」

「うまくいくとは思えませんけど」


 何だかんだ言って、デインの人を率いる能力は高かった。

 ただのゴロツキがそれを真似したところで、すぐに破綻するのは目に見えている。


「おそらく複数の派閥が乱立し、対立しあうことになるだろう」

「教会の相手だけでも手一杯なのに、そんなのに巻き込まれたら一大事ですよね」

「それも含めて、ギルドに行って今後の対策を練る必要がある」

「ギルドで?」


 フラムは、未だガディオがギルドに行きたがった理由を聞いていない。

 一度尋ねたが、『行けばわかる』ではぐらかされてしまった。

 仕方ないので、そのまま黙って歩き、ギルドにたどり着く。

 先に中に入ったのはフラムだった。

 受付で頬杖を付いていたイーラは、彼女の顔を見るなり「げっ」と嫌そうな表情を見せる。


「はーい、今日は店じまいでーす」

「相変わらず仕事をしない受付嬢だよね……」

「デインがいなくなってせっかく暇になったんだから、私の安らぎの時間を邪魔しないで欲しいわ」

「好き放題やりすぎじゃない?」

「止める人間がいないんなら、私は好き放題やらせてもらうわ。というわけで、薄汚い奴隷は帰りなさい、しっしっ!」


 相変わらず癇に障る女だ。

 フラムは珍しく敵意を剥き出しにして睨みつけたが、イーラはそっぽを向いて素知らぬ顔。

 まあ、最初の頃に比べれば随分とマトモな関係になったとは思う。

 それでも、最初の依頼で殺されかけたことは忘れていないが。


「あっ、思い出したらイライラしてきちゃった。ライセンスも持ってない新人冒険者にワーウルフ討伐を押し付けた件、中央区のギルドにチクったらクビなったりしないかなー」

「ふふふっ、甘いわねえ。中央区の偉い人たちが、せいぜいDランク程度の奴隷の言うことを信じるわけがないでしょ。諦めて奴隷同士仲良く、あの包帯女とよろしくやってなさいよ」

「うー、ギルドマスターさえ呼び出せれば痛い目見せられるのに!」

「あははっ、せいぜいそうやって、出来もしない妄想をして|臍(ほぞ)でも噛んでなさぁい。うちのマスター、名前だけは知ってるけど超有名なSランク冒険者なの。あんな大物が西区のギルドなんかに収まるわけがないわ。呼べるもんなら呼んできてみなさい、あはははっ」


 ああ言えばこう言う。

 売り言葉に買い言葉で口喧嘩を続ける二人だったが、フラムの背後からガディオがぬっと姿を現した。

 そしてイーラの目を真っ直ぐに見て、言い放つ。


「呼んだか?」


 彼女は、ドラゴンに睨まれた小鳥のように凍りついた。

 一気に顔色が青ざめ、額に冷や汗が吹き出す。

 硬直状態から抜け出した腕が、震えながらもゆっくりと動き始め、右手は口元に、そして左手は人差し指でガディオの方を差した。


「が……ガディ、オ……ラスカット……? な、なんでここに……旅に出てるんじゃなかったの!?」

「訳あって役目から降りさせてもらった。さて、呼べるものなら呼んでみろと言っていたが、どうするつもりだイーラ・ジェリシン」

「あ、あう……う、あっ……」


 言葉を失うイーラ。

 しかもガディオは彼女のフルネームまでしっかりリサーチ済みらしい、そりゃあ焦る。

 彼女は口をわなわなと震わせながら、なぜか助けを求めるようにフラムの方を見た。

 もちろん助け舟を出す理由などない。

 フラムはべーっと舌を出して突っぱねた。


「というか、ガディオさんってここのマスターだったんですね」

「一応そういうことになっているらしい。数年前に押し付けられてから、それらしい仕事は一度もしたことは無いがな」

「あ、それでさっきギルドで対策を練る必要があるって! 確かに、ガディオさんがギルドマスターになれば、元デインの部下だった冒険者たちも好き勝手できないですよね」


 何と言っても、数少ないSランク冒険者のうちの一人なのだ。

 デインよりも数段階上の実力と実績を持つガディオがいたとなれば、彼らも好き放題はできまい。


「ところでフラム、先ほどの話を聞かせてもらったが、この女に殺されかけたそうだな」

「そうなんですよー、ライセンス発行のための任務として、Dランクのモンスターを押し付けられたんです」

「ほう、Dランク。本来はFランクを倒せばライセンスは発行されたはずだが。確かに、新人冒険者なら死ぬ可能性は十分にある。これは許されることではないな」

「た、たたた、倒せたんだから、いいじゃないっ……です、か。ね、フラムもそう思ってるでしょう? ねっ?」


 あまりの焦りっぷりにフラムは笑いを堪えきれずに、口を抑えて肩を震わせた。

 奴隷ごときにおちょくられる屈辱に、カウンターの下で拳を握るイーラ。


「俺としてはクビにしても構わんが、フラムはどうしたい?」

「うーん、どうしよっかなー……」

「ちょ、ちょっと、あんた本気で考え込んでるんじゃないでしょうね!?」

「いや、だって普通にクビになってもおかしくないことやられてるし」

「……それはそうでしょうけどぉ!」


 無事だったから良かったものの。

 と言うか、普通に死ぬだけの重傷は負っていて、フラムだからこそ生き残れたのだ。

 四肢を切断された痛みは今だって忘れていない。


「私とあなたの仲じゃない」

「仲を考慮するならますますクビにするしかないような……」


 嫌がらせをされた記憶しかない。


「こ、これから仲良くしていきましょう? ねっ? ここをクビになったら、私はどうやって生きていけばいいのよぉ」

「体でも売ればいいんじゃない?」

「血も涙も無いわねあなた!」


 それはあんたの方じゃない――と突っ込みたい気持ちをぐっと抑える。

 確かに恨みはあるが、デインたちと違って彼女は“悔い改められる人間”だ。

 だからこそ、彼らが教会と手を組んだ時点で距離を取った。

 救いようもないクズなら容赦なく切り捨てるが、フラムにはイーラをこれ以上追い詰めるつもりはない。


「減給処分ぐらいでいいんじゃないですかね」

「そうか、優しいなフラムは」

「あぁ……良かったぁ。ありが……って減給!? 待ちなさいよ、なんで私が給料減らされなきゃ――」

「クビにならなかっただけ感謝するべきだと思うんだけど」

「うっ……」


 イーラはそれ以上フラムに反論しなかった。

 罪悪感は、全く無いというわけではなかったのだろう。

 それでも辞めるつもりはさらさら無いあたり、神経の図太さは筋金入りのようだが。

 それぐらいでなければ、この西区のギルドで受付嬢などできないのだろう。


「俺が来たからには、今までのような適当な仕事ぶりは許さんぞ。しっかり働いてもらう、覚悟しておけ」

「はぁい……」


 がっくりと項垂れるイーラ。

 それをニヤニヤと笑いながら観察するフラム。

 ガディオが「手続きがある」と言って奥にあるギルドマスター用の部屋に消えると、イーラはフラムを強く睨みつけた。


「あんたのせいで、今月から食費削らないといけないんですけど?」

「自業自得だって」

「ふんっ、何よ偉そうに。つーかあんた、ガディオ・ラスカットと知り合いってことは本当にあのフラム・アプリコットだったのね」

「今さら気づいたの?」

「当然じゃない。あの旅に参加してた英雄様が、まさか奴隷になって西区に潜んでるとは誰も想像しないわよ。まあ、ガディオが帰ってきたことにも驚いたけどね」

「エターナさんもうちにいるけどね」

「はぁ? エターナって、あのエターナ・リンバウ? 三人も抜けるなんて、魔王討伐はどうなってんのよ。つーか教会は何してんの?」


 一般市民からしてみれば、旅に出ているはずの三人の姿が王都にあるというのは、不安の材料にしかならないだろう。

 エターナの時点で噂にはなっていたようだが、彼女自身が、たまに買い物に出る以外はあまり出歩かないため、そこまで騒ぎにはならなかった。

 しかしガディオはただでさえ目立つ見た目をしているし、ギルドマスターとして働くのなら人の目につくことも増えるだろう。


「以前から色々言われてたけど、先日の気持ち悪い死体といい、教会もさすがに胡散臭くなってきたわねえ」


 英雄たちを集めたのはオリジンのお告げ、つまり教会。

 結果的に、ガディオの存在は教会の信用を揺るがすことに繋がる。

 それも踏まえた上で、彼は精力的に活動を始めようとしているのかもしれない。


 教会の計画を個々に暴いていくことも確かに必要だ。

 だが、彼らが過去の歴史を改竄したり、人体実験を隠蔽できているのは、それだけ教会を支持している人間が存在するから。

 すなわち、悪行を根本から断つには、教会の信用を失墜させること、それが一番の近道なのである。


「ただ、本当にあの人がマスターに復帰して大丈夫なのかしら?」

「ガディオさんに何か問題でもあるの?」

「あら知らないのね。あの人、一部で“臆病者のガディオ"って呼ばれてるのよ」


 全く似合わない呼び名だ。

 フラムは鼻で笑い飛ばす。

 きっと、彼の実力に嫉妬した冒険者が適当に付けたに違いない。


「なにそれ、勇敢って文字をそのまま具現化したような人なのに、そんな要素ぜんぜんないと思うけど」

「今はね、でも昔は――仲間を見捨てて一人だけ逃げ帰ってきたって話よ」

「給料を減らされた恨みで作り話してない?」

「してないわよ! 信じられないなら他の冒険者に聞いてみたらぁ? それか本人にでも確認してみたらいいじゃない」


 本人に“臆病者って呼ばれてるみたいですけど本当ですか?”などと、口が裂けても聞けるわけがなく。

 フラムは困惑し、眉間に皺を寄せた。




 ◇◇◇




 その後、しばらくするとガディオは戻って来た。

「マスターとしての仕事は明日以降からだ」とイーラに言い残して、フラムと共にギルドを去る。

 外に出ると、今度はガディオの自宅に向かうらしく、中央区の方へ歩き始めた。

 その間、フラムはずっと難しい顔をしながら、先ほどイーラから聞いた話を考え込んでいた。


「あの女から何か言われたのか?」


 前を見たまま、ガディオはフラムに問いかける。


「……え?」

「何やら悩んでいたようなのでな」

「ああ……いや、言われたというか、聞いたというか」


 フラムは言葉を濁す。

 中央区が近づいてくると、道も次第に広く綺麗になりはじめ、人通りも増えてきた。

 すれ違う人々の視線は、もちろんガディオに向けられる。

 ちらほらとフラムを見る人もいたが、その多くは彼女の頬を凝視していた。

 英雄云々というより、なぜあのガディオ・ラスカットが奴隷と道を歩いているのか、それが気になったのだろう。


「臆病者のガディオ、か」


 彼は自らその名を口にした。


「知ってたん、ですね」


 フラムは気まずそうに視線を逸らす。


「事実だからな」

「そんなことありませんっ、ガディオさんは――」

「いや、臆病者なんだよ俺は。臆病者と、呼ばれるべきなんだ」


 有無を言わさず、自らを戒めるように彼は言い切った。

 そして自らの手のひらを見つめる。

 過去に思いを馳せるガディオ。

 何かが起きたのだ、彼ほどの冒険者であっても、乗り越えられない何かが。

 それ以上、フラムは口を挟めなかった。

 口数少なに二人は歩き続け、気まずい空気のまま中央区を横断し、東区に差し掛かる――




 ◇◇◇




 二人の足は、東区の高級住宅街の一角で止まった。


「おかえりなさいませ、旦那様」


 近づいてきたガディオの姿を見るなり、兵士が深々とを頭を下げる。

 そして、鉄格子の門が開いた。

 ギイィ、と音を鳴らし開放された景色は――


「うわぁ……」


 と、フラムが思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど華美であった。

 最初に目に入るのは、軽く公園程度の広さはある、手入れの行き届いた庭だ。

 赤い花をつけた木がアーチとなり、屋敷へ向かう道を形作っている。

 花壇には色とりどりの植物が並び、普通は個人宅に置けるサイズでない木が、庭のど真ん中に鎮座していた。

 また、ある一角にはブランコや砂場が用意されており、子供が遊ぶスペースも確保してあった。


 Sランク冒険者になると、莫大な富を手にすることができると言われている。

 今までフラムは、それを漠然と理解はしていたはずなのだが――こうやって実際に目の前に突き付けられると、自分の想像力の貧困さを思い知らされる。

 分厚いステーキが毎日食べられるとか、ケーキを一ホールまるごと食べても文句を言われないとか、そんなことを考えていたフラムだったが……実際の金持ちはレベルが違う。


「これが、ガディオさんの家なんですか?」

「ああ、俺だけの家というわけではないがな」


 彼はそう言うと、道の向こうにある、三階建ての屋敷に向かって伸びる石畳の上を歩き始めた。

 フラムは都会に出てきたばかりの田舎娘のように、きょろきょろと挙動不審に周囲を観察している。

 そんな彼女の様子を見て、ずっと凝り固まった表情をしていたガディオの頬がようやく緩んだ。


 彼は、フラムが年相応か、少し幼い行動を取るたびに、ある子供の姿を思い出すのだ。

 そして、いつかは二人を合わせてみたいと思っていた。

 きっと仲良くなってくれるはずだ、そう信じて。


 屋敷の入口の前に立つと、中から誰かが走る足音が聞こえてくる。

 その音は次第に近づいてきて、すぐそこまでやってくると――ガディオが手を伸ばす前に、勝手に扉が開いた。

 中から姿を現したのは、小さな女の子。

 彼女は「はぁ、はぁ」と荒い呼吸を繰り返しながらも、満面の笑みをガディオに向けた。


「おかえりなさい、パパっ!」


 そして、爆弾発言。

 いや――三十二歳という年齢を考えれば、決しておかしなことではないのだが。

 しかし、全くそのような話を聞いていなかったフラムは、目をぱちくりと大きく開き、口を半開きにしてガディオの方を見ている。

 彼は顔を手で覆うと、「はぁ」と珍しく大きなため息をついた。





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