幕間5 少女αは矛盾を知るがゆえに

 





 キリル、ジーン、マリア、ライナス――ついに四人になった勇者パーティは、それでも旅を続けていた。

 勇者は相変わらず落ち込んだままで、言葉数は少ない。

 それに引っ張られて、パーティ全体の空気が悪くなっていたはずなのだが、どうも今回は事情が違うようだ。


 ジーンが、やけに上機嫌だった。

 マリアも高揚しているようで、ライナスが話しかけると、いつも以上に饒舌に答えてくれる。

 歩く速度もいつもより早い。


 魔王討伐のための旅だ、二人が調子を取り戻したのなら歓迎すべきなのだろう。

 しかしライナスは、少し歩く速度を緩め、三人の後ろ姿を考え込むような表情を見せながら観察していた。

 そして感じる。

 彼らを――特にマリアを取り巻く、薄氷のごとき“危うさ”を。

 苦悩を自力で打ち破ったのではなく、間違った方向に吹っ切ってしまったのではないか。


 そんな時、ふいにマリアがライナスの方を振り向く。

 彼女は笑顔を見せると、彼に近づいていった。


「難しい顔をしてどうされたんですか?」

「やけにマリアちゃんが上機嫌だったから、何かあったのかなって考えてたんだよ」

「大した理由ではありません。ただ、いつもより少しばかり体の調子が良いだけです」

「そう? ならいいんだけどな」


 違う。

 おそらく彼女は、何かを隠している。

 そしてそれを、自らの口でライナスに語ることはないだろう。

 利用価値が無いと思われているからか。

 信用されていないからか。

 あるいは――巻き込みたくない、そう思っているからなのか。

 少し前までは、マリアの笑顔を見ていれば、ライナスの悩みなど容易く吹き飛んでいたものだが。

 今は、彼女のその表情を見るたびに、不安が膨らんでいる。


 ――本当は、強引にでも連れ去って、旅を辞めさせるべきなのかもしれない。


 そしてどこか遠い場所で、二人で暮らすのだ。

 いや、ライナスにだってそれが無理なことはわかっている。

 マリアは全力で拒むだろう。

 だが、だとしても、彼女が“正しい”と信じていることが、果たして本当に正しいことなのか。


「……どうして、ライナスさんは」


 一瞬、マリアの表情が曇る。


「ん?」

「いえ、なんでもありません。行きましょう、ライナスさんっ」


 すぐにその影は消え去り、彼女は誤魔化すようにライナスの手を握った。

 そして彼らは並んで歩く。

 その間に、絶望的なほど巨大な、見えない隔絶があることを自覚したままで。




 ◇◇◇




 魔族の領地を進んでいると、例のごとく、妨害するために三魔将のツァイオンが襲い掛かってくる。

 ここ数回ほど、キリルたちはツァイオン一人に撃退され、撤退を繰り返していた。

 いい加減に彼の方も飽きた様子で、最低限の力で向かってくる。


「てめえらには熱がねえ。これぐらいで十分だ――フレアメテオライト!」


 ツァイオンが天に向かってかざした手。

 その上に、巨大な火球が生み出される。

 しかし、魔力を過剰消費し、魔法の威力を増大させる法外呪文イリーガルフォーミュラすら使っていない。

 明らかに手を抜いた魔法の行使だが、それすらも突破できないほど、勇者パーティは弱体化していたのだ。

 唯一まともに戦えていたライナスが、ツァイオンの射程外より弓を引く。

 パシュゥッ!

 放たれる三本の矢。

 それらはツァイオンに命中する前に散開し、それぞれ別の方向から彼に襲いかかった。


「こいつだけは熱量を失ってないようだが、オレには届かねえよ」


 フレアメテオライトを地上の三人に向かって放ち、そして彼はついでのように自らの体の周りに炎を纏った。

 ただそれだけで、ライナスの放った矢は燃え尽きる。

 決して甘い攻撃ではない。

 本来ならば、ガディオの剣ですら撃ち落とすことが難しいほどの力がこもっているのだ。

 それをいとも簡単に燃やしてしまう、ツァイオンの炎が異常なのである。

 しかしライナスは手を緩めない。

 また三本の矢を引き――今度は束ねて放つ。

 シュゴオォッ!

 明らかに先ほどとは異なる、空を切る音。

 ツァイオンはそれを睨みつけると、


「そらぁっ!」


 同じように炎を束ねた矢――ファイアアローをけしかける。

 直後、地上のジーンが彼に向かって魔法を放った。


「ブルーフレイム」

「オレに向かって火属性魔法だと? トチ狂ったのかよ!?」


 まるで人魂のようにゆらりと青い火玉がツァイオンに向かって飛んでいく。

 あえて対処する必要性を感じないほど、弱い炎だった。

 パァンッ!

 ファイアアローとライナスの矢がぶつかり、弾ける。

 すると今度は、粉々に砕け散った矢の破片のひとつひとつが風の魔法を宿し、ツァイオンを追尾した。


「テラーメッセンジャーは、死ぬまでお前を追い続ける」


 ガディオが地属性の魔法を使いこなすように、ライナスも風属性の魔法の使い手である。

 彼の放った矢は、全ての破片が跡形も残らず消されるまで、最初に定められたターゲットを風に乗って追尾する。

 ツァイオンは空中で高速で旋回し、振り切ろうと試みる。

 しかし距離は離れても、追尾は止まらない。

 炎魔法で矢を破壊しても、さらに断片化され、数が増えるだけだった。

 ジーンのブルーフレイムも同様に、ゆるゆるとした速度で彼を付け回す。


「しゃらくせえェッ!」


 彼はそれら全てを引きつけると、


「ブレイズスフィアアァァッ!」


 自らの周囲を超高温の球体で覆い、全てを焼き尽くす。

 ライナスの矢はそれによって一瞬で灰となり消え失せた――が、ジーンのブルーフレイムに変化はない。

 ブレイズスフィアの中にあっても、青い火玉は同じ調子で追跡を続ける。

 ツァイオンは舌打ちすると、自らそれに接近して手で握りつぶそうと試みた。

 それがただの炎ならば、問題なく消えるはずだった。

 しかし――青い炎がツァイオンの腕に纏わりついたかと思うと、彼の体温を急速に奪っていく。


「なっ……! 炎じゃ、ねえのか? 腕は動かねえ、じゃあこれは氷――いや、だったらブレイズスフィアで消えるはずだろ!?」


 戸惑うツァイオンを見て、地上のジーンはにやりと笑う。


「ブルーフレイムは炎だ、それでいて氷でもある。頭の悪いボク以外のサルどもにはわからないだろうけど、ふふっ、ははははっ、ボクはついにこの領域まで到達したんだよォ! そら次も行くぞ、メデューサウィンド!」


 ジーンが手をかざす。

 だが、景色に変わりはない、魔法はなにも発動していないように見える。

 そんな時、ツァイオンの顔をそよ風が凪いだ。

 チリッ……そして頬に何かが当たったような気がして、彼はそこに触れる。

 すると、石が付着していた。

 彼は指先でそれを払おうとしたが、張り付いておりうまく取ることが出来ない。

 さらに指でつまむと、一緒に顔の皮まで引っ張られる。


「まさか……っ!?」


 そう、石は付着したのではない。

 肌が石化していたのだ。

 ツァイオンは、猛スピードでその場から移動する。

 そこに、まるで読んでいたかのようにライナスの放った矢が飛来し、ザシュッ、と右肩に突き刺さった。


「がっ……! ち、ちくしょう、妙な魔法を使いやがって! プロメテ――」


 ツァイオンは手加減をやめ、大規模魔法を発動しようとする。

 だがマリアの魔法がそれを遮った。


「セイクリッドランス!」


 一本の光の槍が彼女の横に作り出され、ツァイオンに向かって一直線に飛んでいく。

 彼は体を傾け回避しようとしたが、それは右腕を貫く。

 そしてジュゥ――と肉を焼いた。


「があぁっ! ぐっ、だが……まだまだァッ!」


 彼の戦意は萎えていない。

 胸の奥で、尽きること無く燃え続けている。

 しかしマリアの魔法が、腕を貫き肉を焼いた程度で止まるはずもなかった。


「スパイラル」


 彼女は口元に笑みをたたえると、ぼそりとそう呟いた。

 すると光の槍が高速で回転を始め、ツァイオンの腕が捻れていく。


「な、なんだ……回って……ぎっ、い、ぎっ……があぁぁぁああっ!」


 ギュイイィィィィ――光のミキサーが、肉を巻き込み、筋をねじ切り、骨を砕いていく。

 ツァイオンの腕は意思に関係なくガクガクと震え、さらに破壊を続けると、やがて彼の腕を回転させながら引きちぎった。


「はっ……あ、ぐ……てめ……えぇ……!」


 それでも意思は強く、高潔に。

 彼らをシートゥムの元にたどり着かせるわけにはいかない、その一心でマリアたちを睨みつける。

 だが、ジーンとマリアは次の魔法を放とうとしているし、ライナスも弓を引く。

 唯一キリルだけは、剣を握ったまま暗い表情で突っ立っているだけだが、ツァイオンを殺しきるにはすでに十分である。

 シートゥムの泣き顔が浮かぶ。

 死ぬことだけは――それだけは、避けなければならない。

 彼は地面に落ちた、千切れた腕を手に取ると、背中を向けて撤退した。


「エレメントバースト!」

「ジャッジメントストーム!」


 ゴオォォオオッ!

 そんなツァイオンに向けて、ジーンとマリアは容赦なく魔法を放つ。

 それも、自分が持ちうる最高威力の物を。


 エレメントバーストは、四属性を束ね、直線上に存在するあらゆる物体を破壊する、威力だけに特化した魔法だ。

 四属性が混じり合っているためか、放たれるのは白い閃光で、光属性魔法に見えなくもない。

 火を防げても他の三属性が、水を防げても他の三属性が対象にダメージを与えることで、装備も耐性も関係なく平等に死をもたらす。


 ジャッジメントストームは、本来は相手に向かって巨大な光の剣を放つだけの“ジャッジメント”の応用魔法だ。

 剣を高速回転させることで、周囲を巻き込む衝撃波を発生させ、より広い範囲の敵を浄化し、焼き尽くす。


 ツァイオンはちらりと振り向くと、まずはジャッジメントストームを回避した。

 完全には避けきれず、肩の肉がえぐられたが、どうせ最初から右腕はボロボロだ、何の問題もない。

 そしてすぐさま左腕をかざし、持ちうるありったけの魔力を注ぎ込んで、エレメントバーストとぶつかりあった。

 威力の高さは見ればわかる、今までの魔法のように打ち消すことは出来ない。

 だから、受け流し、軌道を変える。


「ぐ……っ、そりゃぁぁああああッ!」


 彼の全力――全てを注ぎ込むことでようやく光線は曲がり、遠く彼方へと飛んでいく。

 それは空に到達しても威力が減衰することはなく、雲に接触するとそれら全てを吹き飛ばし、曇天の空が一気に晴天へと変わる。

 ツァイオンはその威力に戦慄しつつ、悔しさを顔ににじませながら、魔王城へと戻っていった。




 ◇◇◇




 城に戻ると、すぐさまツァイオンは自室に入った。

 そしてすぐさま床に倒れ込む。

 傷口を焼いて血は止めた、ここまで歩いて来たが、痕跡は残っていないはず。

 あとは回復魔法を使える誰かを呼んで――


「シートゥムに心配かける前に治さねえ……っ、と、なぁ。さすがに、はぁ……ふ、こんなだっせぇ姿は見せられねえ……!」


 問題はどうやって人を呼ぶか、である。

 床に横になった状態で、肩を上下させながら、ツァイオンは痛みに耐える。

 そして、「ふっ」と息を吐き出し、体を起こした所で、


「兄さん、戻ってるんですか?」


 一番会いたくなかった人が、部屋を訪ねてきた。


「マジかよ……」


 ツァイオンは再びがくっと倒れ込む。

 このまま黙り込んで誤魔化せないかと一瞬だけ期待したが、まあ無理なのはわかりきっている。

 なぜなら、彼とシートゥムは、勝手に部屋に出入りをしても文句を言わないほどの間柄なのだから。


「声が聞こえました、居るんですよね。入りますよ」


 少し怒り気味にそう言うと、シートゥムは返事も待たずにドアをあける。

 そして、倒れ込むツァイオンの姿を見て、「ひゃっ!?」と声をあげた。


「兄さん、どうしたんですかその怪我っ! まさか、勇者たちにやられて……!」

「……そういうこった。かっこわりぃ」

「なっ、もしかしてさっき黙ってたの、そんな理由で!? 今さらじゃないですか、兄さんがかっこ悪いことぐらい私は知ってます!」

「それはそれでショックなんだが……」


 心に傷を負ったツァイオンだったが、肉体の傷はすぐさまシートゥムが回復魔法で癒やした。

 千切れた腕も、拾ってきたおかげですぐに修復され、元通りに動くようになる。

 陽闇――シートゥムの持つ希少属性は、光と闇の魔法を扱うことができた。

 特に彼女は回復魔法を得意としていて、よくツァイオンに“魔王っぽくない”とからかわれていた。


「ありがとな」


 治療が終わると、ツァイオンはシートゥムの目を見ながら礼を言った。

 二人きりの時は、周囲に人がいる時と違って素直なのだ。


「隠される方が私は嫌です。こういう時は、ちゃんと頼ってください」

「かっこつけたい年頃なんだよ」

「いい年なんですから、もう卒業してくださいよ。ついでに襟を立てるのも」

「そりゃ無理だな、これはオレの――」

「魂、ですよね。言わなくてもわかってますから。まったく……それさえ無ければ、兄さんのこと手放しにかっこいいって思えるのに……」


 シートゥムは頬を膨らましながら、ぶつぶつと愚痴った。

 内心、それはそれで、他の魔族からもモテるようになりそうで嫌だ――という気持ちもあるのだが、もちろんそれは黙っておく。


「それにしても、ここまでやられるなんて何があったんですか?」


 彼女は立ち上がると、ぼふっとツァイオンのベッドに腰掛けた。


「わかんねえ、いきなり見たこともない魔法使いやがったんだよ。威力も熱さも前とは段違いだったぜ」


 彼も床から立ち上がり、シートゥムの隣に座る。


「急に強くなるなんて。せっかく、人数も減ってきて、このまま終わらせられそうだったのに……」

「寄せ集めの人間を騙しながら使ったって、いずれパーティは崩壊する――シートゥムの見立ては当たってたが、そう甘くはなかったな」


 ツァイオンは落ち込む魔王の頭をぽんぽん、と撫でながら言った。

 シートゥムは、そんな彼に寄りかかる。


 出来る限り、人間との戦いを避けたい。

 特に、母の影響でその想いが強いシートゥムは、人の善意を信じてほとんどの抵抗を放棄した。

 勇者たちが侵攻する前に、その付近に住む魔族は北に退避させ、被害を最小限に抑える。

 基本的に魔族は、温厚で争いを好まない。

 ゆえに住民たちのほとんどは魔王の命令を受け入れたが、もちろん中には反対する者も居た。

 そういった彼らの要望を叶える形で、王国での破壊行為を行っているのだが――本当は、それすらも彼女はやりたくなかったのだ。


「しっかし、ただの訓練だけで、いきなり魔法の威力が伸びることがあるのか?」

「もしかすると……彼らも、オリジンの力を」

「やっぱその可能性が高いか。回転や接続、増殖――そのあたりに関係する魔法使ってきてたしな。なあシートゥム、本当に封印は緩んでねえのか?」


 シートゥムは、首を縦に振る。


「兄さんも知っての通り、図面は普段、オリジンが封印された頃から魔王しか触れることのできない場所に保管されてますから。ディーザが手伝ってくれる時も、常に私がついているんですよ? だから、変わってることは無い、はずなんです」

「王国の連中の様子がおかしくなったのは、確か五十年ぐらい前だったよな」

「はい、お母様の時代ですね。それまでは良好な関係を保っていましたから」

「あの人がミスするとは思えねえんだよな……どうなってんだか」


 先代魔王――つまりシートゥムの母親は、人魔戦争のあとに病で命を落とした。

 魔族としては早すぎる死である。

 その時、彼女を看取ったのはシートゥムとディーザの二人。

 娘に声をかけたあと、ディーザの手を握り、小さく掠れた声で『ディーザ、あなたが……』と彼に娘のことを託して眠るように死んだのだ。

 その後、まだ幼いながらも肉親を失ったシートゥムは魔王の役目を引き継ぎ、ディーザやツァイオン、ネイガスに支えられながら約三十年間、巫女として封印の管理を続けてきたが――結局、人間がどこからオリジンの力を手に入れてるのかはわからず仕舞い。

 別のオリジンが存在している可能性も考え、ネイガスを調査に向かわせているが、今のところは目ぼしい情報は手に入れられていない。


「このまま勇者がこの城にたどり着いてしまえば、封印が解かれてしまいます」

「やっぱ、殺すしかないんじゃねえの?」

「ですがそれでは、オリジンの思う壺です! 仮に勇者を撃退したとしても、さらなる憎しみが人間たちを突き動かし、対立は深まる一方でしょう。だから本当は、町の破壊だってやりたくなかったんです!」


 シートゥムは声を荒らげる。


「すまねえ、浅はかだった」


 ツァイオンは気まずそうに、俯きながら言った。


「いえ……私の方こそ、感情的になってすいませんでした。私が甘いから、兄さんは今日みたいに傷ついてるのに……」


 彼女はそう言って、彼の方にさらに寄りかかり、体をくっつける。

 その重みを感じる度に、ツァイオンは強く決意するのだ。

 何があっても絶対に、彼女を守らなければならない、と。


「彼らを止めるには、どうしたらいいんでしょうか……」

「あいつらを支援してる、教会や王国そのものを止めるしかねえんじゃねえの?」

「ですが彼らは、もう私たちの話を聞いてくれません」


 異変が始まった五十年前ならともかくとして、人魔戦争が起きた三十年前の時点で、すでに人間たちは魔族を悪だと思いこむようになっていた。

 つまり、シートゥムが魔王の地位を引き継いだ時点で、すでに何もかもが手遅れだったのである。


「密書を送っても返答はなし。もちろん、王との会談の申し出など受け入れられるはずもなく。かつて魔族とのパイプがあった貴族はみな権力を失うか、謂れなき罪を被せられて処刑されてしまいました」

「教会や王国の権威を失墜させようにも、オレらだけじゃ難しい、か。味方に引き込める人間はいねえのか?」

「今の人間たちは、誰もが幼いころから“魔族は悪い奴らだ”と教え込まれた者ばかりです」

「じゃあほら、勇者のパーティから居なくなった連中とかどうよ?」

「えっと、ガディオ、エターナ……それからフラム、でしたっけ」


 シートゥムは実際に顔を見たことは無い。

 彼らの情報は、ツァイオンやネイガスから聞いた話だけである。


「話してみる価値はあるかもしれません。確か、ネイガスは遭遇したことがあったはずですよね?」

「ああ。でもあいつ、最近帰ってこねえよな」

「調査が難航しているのでしょう。彼女が戻ってきたら聞いてみましょう、試す価値はあるかもしれません」

「そうだな」


 話が一段落すると、二人は黙り込む。

 沈黙を苦痛とは思わない。

 流れる空気は暖かく、優しい。

 互いに体温を感じるだけで、十分だ。

 どうかこんな時間がずっと続きますように、とツァイオンとシートゥムは心の中で願うのだった。




 ◇◇◇




 キリルのリターンにより、王城地下の転移部屋へ戻ってきた勇者一行。

 沈んだ――と言うより戸惑った様子のキリルに気を使うこともなく、ジーンは上機嫌に部屋を出て行く。

 彼の後ろ姿を見ながら、マリアはなぜか満足げな表情を浮かべていた。


「なあ、マリアちゃ……」


 声をかけたライナスだったが、それより先に彼女は部屋をあとにする。

 今まで無視されることなんて無かった。

 彼は困った表情でその場に立ち尽くす。


「ライナスさん。あの二人……何かあったのかな」

「わっかんねえわ。ちょっと前から様子がおかしいのは確かなんだがな」

「私、役に立って無いよね」

「気に病むなって、少しずつ調子を取り戻していけばいい。キリルが旅に必要なのはみんなわかってんだからさ」

「……うん」


 ライナスの励ましも虚しく、キリルは暗い表情のままで外に出た。

 そして彼女は、外の空気を吸うために、城のバルコニーへと向かう。

 勇者ともなると、外を出歩くだけで人々に囲まれ、大騒ぎになる。

 特にキリルやマリア、ライナスあたりは近づきやすいのか、よく声をかけられて、気分転換に外を散歩する自由すらなかった。

 そんな状況の積み重ねが、さらに彼女を追い詰めていく。

 憂鬱な表情で、城下町の人々を見下ろすキリル。

 その視線の先には、いつか訪れた、お菓子の店があった。

 目を瞑ると、その時の情景が鮮明に思い出される。


『んんー! クリームも中のスポンジも果物も全部美味しいよね、さすが王都!』

『うん、おいしい。すごくおいしい』


 そう言って、キリルはぱくぱくとケーキを平らげていく。


『ふふふ、そんなに急いで食べたらすぐに無くなっちゃうよ?』

『二個目、食べるから。フラムはどうする?』

『じゃあ私も……二個目、行っちゃおうかな』


 そこからフラムもスピードを上げて、あっという間に皿の上に乗ったケーキはなくなった。

 そして店員を呼ぶと、今度はお互いのメニューを交換して注文する。


『良かった』


 店員が去った直後、フラムがキリルの方を見ながら言った。


『何が?』

『英雄に私なんかが選ばれてさ、すっごく不安でいっぱいだったの。実際、すごい人ばっかりで、私は全然役に立てなくて。だから……きっと私、キリルちゃんがいなかったら、とっくに逃げ出してたと思う』

『フラム……』

『キリルちゃんと出会えてよかった。というか、パーティにいてくれてありがと』


 フラムははにかみながらそう言った。

 彼女は、勝手に自分に救われた気になっている。

 けれど実際は逆だ。

 その不安やプレッシャーは、フラム以上にキリルが感じていたもので。

 フラムがいなければ――とっくに、キリルは潰れていた。

 だから本当は、その時、そのことを彼女に言うべきだった。

 でも、言えなかった。

 言葉が喉で詰まって、どう言えばいいのか思いつかなくて。

 キリルはあの時ほど、口下手な自分を呪ったことはない。


 そして次に想起するのは、それからしばらく後の出来事。


『また、お前のせいで一人傷ついたぞ。どう責任を取るつもりなんだい?』

『ご、ごめんなさい……』


 地面に座らせられ、可哀想なほど萎縮したフラムの姿。

 それを、キリルはジーンの傍らで見下ろしていた。


『君は、自分がどれだけゴミなのか理解していない! 謝って済むと思ってるのか!?』

『あぐ……』


 胸ぐらを掴まれ、フラムは苦しげな声をあげる。

 ジーンが彼女を責めるのは、決まって他の人間がいないときばかりだった。

 つまり、この場でフラムが助けを求めることができるのはキリルだけで。

 彼女の視線が自分の方を向くのは当然のことで。

 だから――ああ、きっと、ジーンもそのことを理解していたのだ。

 全ては予定調和、そうなることが決まっていて……だとしても、キリルは許されない。


『こいつは役立たずだ。足手まといだ。なあ、キリルもそう思うだろ?』


 ジーンが問う。

 ひたすらにフラムの悪口を吹き込まれた。

 どれだけ自分が才能のある人間で、どれだけ彼女が役立たずなのか何時間も何日も囁かれた。

 だから、その時キリルは……頷いて、しまったのだ。

 “うん”と声を出さなかったのは、せめてもの責任逃れ。

 自分は悪くないと言い聞かせるための、クズの所行。


 そして結局――フラムはそのせいで追い詰められて。

 二度と、戻ってくることは、無い。

 あの幸せだった時間も、自分の心を支えてくれていた大事な人も。

 もう、どこにも、存在しない。


「キリルさん」


 どこまでも沈んでいく心。

 そんな彼女を、優しい声が呼んだ。


「マリア……」


 キリルが振り返ると、そこにはマリアが立っていた。

 いつも通りの、聖女らしい慈愛に溢れた笑みを浮かべているのに、なぜかやけに、彼女だけ景色から浮いているように思える。

 奇妙な感覚だった。

 マリアはキリルの前に近づいてくると、彼女の手を取った。

 そして握らされたのは、黒い――内側で何かが渦巻く水晶体。


「なに、これ」

「“コア”と、わたくしたちはそう呼んでいます」

「コア……」


 内側の螺旋をじっと見ていると、意識が吸い込まれそうだった。

 寒気がする。

 これは良くないものだ、と本能が訴えている。


「ジーンさんもわたくしも、これを使うことでより強い力を手にすることができました」


 その力を、キリルはつい最近、目の前で見せつけられた。

 あの力があれば……少しでもパーティに貢献できれば……泥沼から、抜け出すこともできるかもしれない。

 でも――


「キリルさんも調子が悪いようですから、良ければ使ってみてください」

「本当に、使っても大丈夫なもの?」

「ええ、教会の研究の成果ですから、信用してください」


 マリアの笑顔を信用していないわけではない。

 キリルはコアを受け取ると、「ありがとう」と礼を告げて、肩にかけた袋にそれを入れた。

 本当に用事はそれだけだったらしく、マリアは「どういたしまして」と返事をするとすぐに城の中に戻っていった。




 ◇◇◇




 マリアが城内を歩いていると、白衣を纏った、金髪の女が近づいてくる。

 彼女はマリアの前に立ち、眼鏡をくいっと持ち上げると口角を吊り上げた。


「首尾はいかがでしたかぁ、聖女様」

「エキドナさん……ええ、予定通りキリルさんはコアを受け取りましたよ」

「それは良かったですわぁ。せっかくの研究成果、受け取ってもらわないと作り損ですからぁ、んふふっ」


 泣きぼくろが特徴的な、艶めかしい女性の名はエキドナ。

 教会内部での地位はマザーと同等――つまり、とある研究の責任者である。


「ああそうだ、聖女様のコアはいかがですかぁ? 症状が出たりはしていませんかぁ?」

「ええ、今のところは。コアの利用に関しては、“キマイラ”が最も進んでいますから、そこは心配していません」

「んっふふふ、それはよかったぁ。“チルドレン”や“ネクロマンシー”に負けるわけにはいきませんからぁ。でも私ぃ、聖女様に何かあったらって不安だったんですよぉ?」

「ご心配いただきありがとうございます。それでは、わたくしは用事があるので」

「あらぁ、引き止めてしまって申し訳ありませんわぁ。それでは、また」


 女性は媚びた笑みを顔に貼り付けて、廊下の奥へと去っていく。

 一人になったマリアは、頭に直接響いてくる声に意識を集中させた。


『わるくない』

『あとすこし』

『もういらないわ』

『不安だ』

『一刻も早く、復活を』


 受信する。

 数多の声を。


「わかっていますわ、オリジン様」


 聖女は微笑む。


『統一する』

『接続しましょう』

『いや殺せ』

『星の意思を消すことが優先である』

『次が誕生する可能性はどうする』

『接続するべきである』

『いいや殺せ、殺せ、殺せ』


 頭に流れ込んでくる声は、コアを取り込んだことでより大きくなった。

 今でこそ意見は割れているが、いつもはもっと統一した意見があるのだ。

 それもこれも、全ては――フラムのせい。


「何にせよ、まずはキリルさんを城に送り届けなければなりません」


 全てはそれからでも遅くはない。

 オリジンの封印を解き、マリアの目的を達するために――


「この世界に存在する全ての生命を消し去るために」


 彼女はぶつぶつと呟きながら、城の外を目指す。


「憎い、憎い、魔族が憎い。だから滅ぼさなければ」


 誰もいないことをいいことに、本性をさらけ出す。


「憎い、憎い――」


 ノイズが交じる。

 微かに浮かぶ、男性の……あの人・・・の笑顔。

 首を振って、消し去る。

 忘れろ、そんな雑音は、邪魔になるだけだ。


「人間が、憎い。だから滅ぼさなければ」


 がりっ、と彼女は親指を噛んだ。

 血が流れ出る。

 舐め取り、鉄の味を飲み込む。


 忘れない。

 憎悪は、胸に刻み込まれている。

 彼女自身の存在価値となって、聖女の皮を被って、ただそれを果たすためだけに動き続けている。

 裏切りを受け入れて、妥協して、全てはそれ・・を果たすためだけに。

 迷いはない。

 この世界に未練など――何も、何も無い(はず)なのだから。





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