第15話 マイ・スウィート・ホーム

 





 あんぐりと口を開いて凍りつくフラム。

 ミルキットはそわそわと、部屋に住み着く不審者と主の顔を交互に見ている。

 そして当のエターナは、立ち上がりフラムに歩み寄ると、頬に手を当てて顔を至近距離にまで近づけた。


「なに、これ」


 エターナが見ているのは、フラムの頬に刻まれた奴隷の印。

 彼女の記憶の中のフラムには、こんなものは無かったはずなのだ。


「故郷に帰ったはずのフラムがここに居るのもおかしな話。でも、こっちはもっとおかしな話。なに、これ」


 彼女の声は、少し怒気を孕んでいるようだった。

 それはフラムに向けられたものではないが、凍りつくような鋭い視線に、フラムの胃がきゅうっと縮こまる。

 本当は真っ先に、“エターナさんがなんでここに居るんですか”と聞きたかったが、それどころではない。


「誰がこんなことした? どうしてこんなことになった?」

「エターナさんは……いや、エターナさん以外のみんなも、知ってるんじゃないですか」

「なにを?」

「私があまりに役立たずだから、ジーンさんに売られて……その、奴隷にされたことを」


 フラムが言うと、エターナはしばし黙り込んだあと、肩を落として大きくため息をついた。


「あのプライドだけはいっちょまえのちんちくりん雑魚童貞魔術師ぃ……!」


 彼女の口からあまり聞き慣れない、罵倒の言葉が溢れ出す。

 本当に童貞かどうかはさておき、フラムにもなんとなく誰のことを言っているのかはわかった。


「もしかして、知らなかったんですか?」

「知るわけがない、知ってたらみんな止めてた」


 エターナがそう断言すると――フラムは、ずっと胸のあたりで燻っていた黒いもやが、霧散していくのを感じた。

 心が軽い、“救われた”というのは、まさに彼女の今の状態を言うのだろう。


「ガディオも残念がってたし、キリルなんて落ち込んで戦いに身が入ってなかった」

「ガディオさんも、キリルちゃんも……」


 ずっと面倒を見てくれたガディオはともかく、嫌われていると思っていたキリルまで。

 それでも、自分が役立たずだったという事実が変わるわけではない。

 そうではないのだが――全ての居場所が、無くなったわけではなかったのだ。

 悲しいとか、嬉しいとか、そういう爆発的な感情の変動があったわけじゃない。

 けれど、本人にも自覚が無いほど自然に、頬を一筋の涙が伝っていた。

 手で触れ、それが自分が流したものなのだと気づくと、フラムは笑った。


「ごめんフラム。ジーンが故郷に帰ったって言い出した時に、疑っておくべきだった。奴隷として扱われる毎日は、大変だったはず」


 いつも身勝手なほどマイペースなエターナが、珍しく暗い顔で申し訳なさそうにしている。

 フラムはフォローするように、ミルキットの手を引き、自分の隣に立たせて言った。


「おかげでミルキットとも出会えたんで、悪いことばかりじゃなかったですよ」


 ミルキットは内心ほっとしていた。

 2人の関係は、互いに居場所がなかったからこそ成り立っていたものだった。

 それが、フラムに勇者パーティという居場所が出来てしまったら、自分のスペースが無くなってしまうような気がしていたから。

 けど、“ああそうか、ご主人様はそういう人なんだ”と改めて痛感する。

 この人が自分を捨てることなんてあるものか――そんなある種の自信が、ミルキットの中に生まれ始めていた。


「この子の顔、ムスタルド毒?」

「さすがエターナさん、包帯の上からでもわかっちゃうんですね」

「わかりやすい部類の毒だから。それにしても悪趣味、薬でしか治せないからって女の子にこんな毒を使うなんて」

「そうだ! それ関連で、エターナさんにお願いしたいことがあるんですけど。ちょっと必要なものを1階から取ってきますね!」


 フラムは荷物を置いている1階に慌ただしく降りていく。

 すぐに戻ってくるだろうが、エターナとミルキットは一時的に2人きりになる。


「フラム、いい子でしょ」

「……え? あ、はい、とても素敵なご主人様、です」

「本当は今からでもジーンを殴りにいきたいけど、あいにく居場所はわからない。それに、今のわたしはあいつの部屋がある王城に勝手に出入りできる立場でもない」


 本当に悔しそうな表情をするエターナに、ミルキットは何だか嬉しくなった。

 自分の主は、英雄にも慕われる人だったんだ、と。


「あの子には人を惹き付ける力がある。たぶん、ジーンが嫉妬したのは、それが自分に無いものだから。天才である彼にはそれが許容できなかった」

「ご主人様を奴隷にした人、ですか」

「そう。ミルキットも、フラムについていけばきっと間違いはない」

「そのつもりです、少なくとも、ご主人様が私を捨てるまでは」

「だったら一生安泰、フラムは絶対に捨てたりしないから」

「そう、でしょうか」

「うん、間違いない。だって――」


 エターナが何かを言おうとした時、フラムが階段を駆け上る音が聞こえてきた。

 本人の前では言いづらいことだったのか、会話はそこで中断する。


「これですっ!」


 フラムは持ってきた2種類の薬草の束を、エターナの手に握らせた。


「解毒剤の材料?」

「ご主人様、いつの間にそんなものを!?」

「キアラリィ採取の時に見つけてね。元々その薬草自体はそう珍しいものじゃないから、もしかしたら見つかるかもって期待してたの」


 一番の問題は、薬師探しなのだ。

 リーチの場合は、どうやら裏ルートを使って薬師だけは見つけていたようだが、さすがに“ついでにこっちもお願いします”とは言い辛く、どうやって解毒剤を作ったものか悩んでいた。

 いっそ自分で方法を探すか――とも考えたほどだったが、エターナと出会ったことで全ての問題は解決する。


「わかった、すぐ製薬に取り掛かる。3時間ぐらい時間が欲しい」

「そんなもんでいいんですか?」

「わたしだから」


 その説得力が無いようで何よりも説得力のある言葉に、フラムは納得するしか無かった。

 エターナも集中したいだろう、ということで2人は部屋を出ようとしたが――肝心なことを聞いていないのに気づき、フラムは足を止める。


「そういえばエターナさん、なんでここに居たんですか? 魔王討伐はどうなったんです?」

「フラムが居なくてつまらなかったから抜けてきた」

「え……そんな簡単に抜けられるものだったんですか!?」

「フラムが“故郷に帰りたい”で抜けたんだから、わたしが抜けられない道理はない。あとこの部屋は、なんとなく通りがかったら、良さげな空き家があったから借りてた」


 フラムは苦笑する。

 いくらエターナでも、その理屈で空き家を使うのは無理がある。


「エターナさん、それ不法侵入って言うんですよ?」

「だからこうして家賃代わりに働いてる」

「自覚はあったんですか……」

「ある、でもここが良かった。あ、どうしてもって言うなら、出て行くけど」

「そのつもりはありません。今日からここの家主は私ですから、部屋は好きに使ってください」

「恩に着る」

「どういたしまして」


 フラムはエターナとのやり取りを終えると、今度こそミルキットとともに部屋を出た。

 階段を降りていく音がして、2階に誰も居なくなったのを確認し、エターナはぼそりと呟いた。


「感傷……わたしらしくもない。でも、ここに染み付いているのは、悪い記憶ではない」


 しばし古ぼけた木の壁を見つめ――「ふぅ」と息を吐くと、彼女は作業を開始した。




 ◇◇◇




 1階に降りたフラムとミルキットは、この家に住む準備をするために、荷物を開いた。

 元からエターナが住んでいたおかげか、掃除はそれなりにしてあったので、作業量はかなり少ない。

 しかも、持ってきた荷物の量もかなり少ないのですぐに終わってしまい、手持ち無沙汰になった2人はテーブルに向かい合って座った。

 食卓の椅子は4つ。

 セーラが来ても足りる数だが、来客のことも考えるとあと2つぐらいは欲しい所だ。


「本当に、この家がご主人様のものになるんですね……」


 ミルキットは部屋を見回しながら、感慨深く言った。

 フラムはすぐさま修正して言い直す。


「私とミルキットのもの、ね?」

「それはさすがに……」

「私はそのつもりだから。欲しい家具とかあったらすぐに言ってね、予算と応相談だけど善処はするから」

「……はい」


 反論しても無駄だと悟ったらしく、ミルキットは頷く。

 何度も繰り返せば、さすがに諦めるしか無いと理解できてしまう。

 フラムは、どうあってもミルキットの意思を尊重することをやめないらしい。

 奴隷として、自分の意見を主に通すことは避けたかったのだが、それが主の望みならば――自分が少しずつ変えられていることを自覚しながらも、受け入れるしかない。


 予想外に住人が1人増えてしまったが、いよいよここで新生活が始まるのだ。

 家賃はかからないとは言え、宿以上に維持費がかかるはず。

 しばらくはリーチからの報酬でしのげるが、あんなおいしい依頼が毎回都合よく舞い込んでくるわけじゃない。

 フラムは冒険者として、デインたちと衝突しながら稼がねばならないのだ。

 かなりのプレッシャーだったが、それも帰る場所があるという安心感に比べれば些細なもの。

 心の中、密かに気持ちを新たにするフラムに、ミルキットが声をかける。


「あの、ご主人様」

「なに?」

「とても今さらなことを聞いているのかもしれないですが……もしかして、私の顔、治るんですか?」


 その声は、少し不安げだ。


「治るよ。まあ、ミルキットの場合は毒が消えきるまでに一週間ぐらいかかるのかな。本来は一日で治るもんなんだけどね、さすがにその状態で過ごした期間が長いから」

「たった一週間で……」


 ミルキットは、自分の顔を覆う包帯に触れた。

 その向こうにある、でこぼことした醜い顔。

 最初にこの姿になった時は、かなり落ち込んだものだが、今では“仕方ないもの”として受け入れていた。

 それが、いざ消えるとなると――正直、怖かった。

 治したくないんじゃない。

 変わりたくない。

 自分が変われば、周囲も変わる。

 新しい何かが手に入るかもしれない、でもその代償として何かを失うかもしれない。

 それがもし、フラムだったりしたら。

 元の顔になって、今ほどかわいがってくれなくなったら。

 それが、怖くてたまらないのだ。


「そういえば今まで聞いてなかったけど、どうしてミルキットはそんな毒を飲まされたの?」


 フラムの問いかけに、ミルキットははっと我に帰り、当時のことを思い出しながら答えた。


「毒をいつ飲まされたかは覚えてません。いつの間にかこうなっていたんです」

「となると、経口摂取の可能性が高いかな。食事に混ぜ込まれてたんだろうね、ほんと最悪なやつ」


 自分には関係無い過去のことだって、フラムはこうして怒ってくれる。

 誰のためでもない、ミルキットのためだけに。


「その時の主人は、男だったの? 女だったの?」

「女性でした」

「あー……んー……やっぱりそうなんだ……」

「やっぱり?」


 奴隷に毒を与えるのに、性別なんて関係あるだろうか。

 ミルキットは首を傾げる。


「もし男性の主だったら、女の子に毒を飲ませて、顔を爛れさせる意味がないと思う。まあ、他人がそういう姿になるのを見て喜ぶ理解できない変態もいるかもしれないけど、でも、だとしても――」


 フラムはミルキットの顔を真っ直ぐに見て、微笑む。


「理由が男の趣味だったにしても、女の嫉妬だったにしてもさ、壊したくなるのは、きっとミルキットが美人さんだったからだと思うんだよね」

「そんなことはありません」


 彼女はそう言い切る。

 なぜならば、これまでずっと、他人から綺麗だと言われたことなど無かったからだ。

 自分は醜く、汚い生き物だ。

 そう自覚してきた。


「そうかなぁ? 目とかすっごく綺麗だと思うけどな、もちろん心もね。だとしたら、顔だって美人さんだと思う」

「あまりそういうことを言わないでください、ご主人様をがっかりさせたくありません」

「無い無い、それは絶対に無い。あ、もしかしてさっきからあんまり嬉しく無さそうなの、私が顔を見て幻滅するとでも思ってるから?」

「……はい、そうです」


 あっさり認めるミルキット。

 その反応を受けて、フラムはおもむろに立ち上がり、背後に移動する。

 不安を和らげてあげたい、と思ったわけではなく――現状を適切に認識して欲しいと思った。

 彼女は甘いのだ。

 舐めているとも言える。


「ミルキットはさ」


 名前を呼びながら、背中から彼女を抱きしめる。


「私の気持ちがその程度だと思ってんの?」


 耳元で聞こえてくる優しい声に、ミルキットの胸が温かいものに包まれていく。


「んなわけないじゃない、一緒に過ごした時間は長くないかもしれないけど、それは伝わってるもんだと思ってた」


 それは胸だけにとどまらず、首や頬、そして耳にかけての体温も上昇させた。

 包帯で包まれていて顔はわからないが、剥き出しになった耳が真っ赤になっているのを見つけると、フラムはそれを指でつまむ。


「ひゃっ!?」


 突然の甘い刺激に、可愛らしい声をあげるミルキット。


「赤くなってる。やっぱり伝わってたんじゃない」

「わかってるんです、ご主人様がそういう人だということは。けど、失うのが怖くなるほどの想いは宿してはいけない、って私の心のどこかが止めるんです」

「最終的にはミルキット自身の問題だから、私が何を言ったって仕方ないのかもしれない。でも一応言わせてもらうね」


 腕にぎゅっと力を込めて、さらに体を密着させ。

 より深く体温を伝え、感じながら――フラムは告げた。


「何があっても、私はずっとミルキットのそばに居るから」


 言葉が、じわりと奥底にある、心の核のような場所に染みていく。

 硬く凍りつき、他者を拒み続けるそれを、この主は少しずつ溶かして、駄目にしていく。

 それは弱さだ。

 無い方がきっと楽になれる。

 けれど、“抗いたくない”と、ミルキットの本心が叫んでいる。

 本能は加速し、感情は深化し、欲望は膨張する。

 最近は、理性に逆らう衝動で勝手に体が動くことも増えてきた。

 きっと、これ・・もそんな衝動のうちの1つで。

 ミルキットの手は、無意識のうちに、控えめながら――自分の体を抱きしめるフラムの手の上に重ねられていた。




 ◇◇◇




 ミルキットの、解毒剤を服用する毎日が始まった。

 非常に苦く、フラムが匂いを嗅ぐだけで顔をしかめるような薬だったが、彼女は文句一つ言わずに口に運ぶ。

 顔の爛れが引くまでに一週間。

 さらにそこから完全に赤みが消えるまでにしばらくかかるらしいが、その時点で解毒自体はほとんど完了しているらしい。


 エターナは毎日、包帯を解いてミルキットの経過観察をしていた。

 しかし、何故かそれは2階のエターナの部屋で行われ、フラムが立ち会うのを許されていない。


「なんで私だけ見れないんだ……」


 2人が部屋に閉じこもって居る間、フラムはひとり、寂しい想いをしながら1階で膝を抱えて座り込んでいた。

 もっとも、ミルキットに、


「中途半端じゃなくて、ちゃんと治った顔をご主人様に見て欲しいので」


 と言われると、すぐに「なら仕方ないか!」と満面の笑みで復活するのだが。

 ちょろいものである。


 解毒が進む間も、フラムが何もしていなかったかと言うとそんなことはなく。

 ミルキットと一緒に家具や日用品を買い揃え、家には随分と生活感が出てきた。

 また、Fランクの依頼をこなして収入を得て、冒険者ランクを上げることにも余念がない。

 相変わらず受付のイーラは感じが悪いし、デイン一派もフラムを見るたびに睨みつけていて感じが悪いが、今のところは・・・・・・、まだ直接的な妨害は受けていなかった。


 そして、瞬く間に一週間は過ぎ――ついに、フラムの手でミルキットの包帯を解く時がやってきた。




 ◇◇◇




 フラムとミルキットは、2人が普段、寝室として使っている部屋で、緊張した面持ちで向き合っていた。

 エターナは気を使って、1階に待機している。

 すでにミルキットの包帯の結び目は解かれており、あとはそれを取り払うだけである。

 フラムは包帯の端に手を伸ばし――震える指で、それを摘んだ。


「い、いくよ?」

「はい……っ」


 ミルキットは手を前で重ね、完全に身を委ねている。

 しかし、体にはガチガチに力が入っており、彼女も緊張しているのは明らかだった。

 フラムは大きく深呼吸をして――顔に巻きつけられたその白い布を取り払っていく。

 下から現れたのは、まだ赤みはあるものの、透き通るように白いきめ細やかな肌だ。

 次に、緊張からか微かに震える、柔らかそうなピンクの唇が現れる。

 どきりと心臓が跳ね、見つめたままフラムの手が少し止まった。


「ご主人、様?」


 不安げなミルキットの声に、慌てて動きを再開させるフラム。

 次に現れた鼻は小さく、ほんのり赤らんだ頭が可愛らしい。

 細身だが、柔らかそうな頬には――フラム同様に、赤い奴隷の印が刻まれていた。

 思わず、指先でそこに触れる。


「っ……」

「あ、ごめんっ」

「いえ……ご主人様と、おそろいですね」


 その言葉に、またフラムは心臓が射抜かれたような感覚に襲われた。

 何度もぷにぷにと突いてしまいそうだったので、お腹に力を込めて、気合を入れ直して手を動かしていく。

 目が綺麗なことは、言うまでもないだろう。

 宝石のように澄んだ――少し暗めのエメラルドグリーン色の瞳に、フラムの姿が写り込んでいる。

 瞳は、期待と不安に揺れている。

 額まで全ての包帯が外されると、白いそれはファサ……と床に落ちた。


「はぁ……」


 フラムは思わず、感嘆のため息をついた。

 これでどうして、彼女は自分のことを醜いなどと思えたのだろう。

 見ているだけで、こんなにも胸が締め付けられるようなのに。


「……どう、でしょうか、ご主人様」


 ミルキットは俯き加減に、フラムの方を伺い見た。

 色々――とにかく様々な賛辞の言葉がフラムの頭には浮かんでいたが、どれもふさわしいとは思えない。

 こういう時、自分の語彙力の低さを恨みたくなる。

 いや、あるいは、この世に彼女に使うのにふさわしい言葉など存在しないのかもしれない。

 まあ正直、フラムが見ているから、好意による補正がかかってそう思えるのかもしれないが。

 だとしても、そうそう見かけるレベルじゃない。

 “そりゃ前の主人も嫉妬もするよね”と、心の中で納得する。


「あの、ご主人様?」


 何も言わないフラムに、ミルキットの不安は膨らむ一方だ。

 ああ、言葉を探している場合などではない。

 未だ言葉は見つからないが、彼女の不安を取り除いてやるのは、主としての責務だ。

 左手をミルキットの頬に当てると、微かに開いた唇から、「あ……」と小さく声が出る。

 右手も同じく頬に当て、親指の腹でおそろいの奴隷の印を撫でた。

 そして、目を真っ直ぐに見つめながら告げる。


「かわいいよ、ミルキット」


 予想していたよりもずっとこっ恥ずかしいフラムの言葉。

 ミルキットの顔は、みるみる赤くなっていった。

 口がぱくぱくと開閉し、「あ、あぅ、ぁ……」と意味のない言葉を紡ぐ。


「すっごくかわいい」


 しかしフラムは、あろうことか、太陽のような笑みで追い打ちをかけてくる。

 ついに耐えきれなくなったミルキットは、彼女にしては信じられないほど素早い動きでフラムの手から逃れ、しゃがみ込み、床に落ちた包帯を拾った。

 そして主に背中を向けて、大急ぎで顔を覆っていく。


「あ、あれ? ミルキット、なんでまた包帯巻いてるの?」

「無理ですっ、無理なんですっ!」

「何が?」

「やっぱり、素顔は無理です、お見せ出来ませんっ!」


 慌てて巻いたものだから、口の半分は包帯で隠れているし、右目も見えなくしまっている。

 それでも、フラムに顔を見られるよりはマシだと思った。

 こんなの初めてだ。

 胸がドキドキして、痛くて、苦しくて、まともにフラムと向き合うことが出来ない。

 しかし全く悪気のないフラムは、ミルキットの前に回り込んで、彼女の顔を覗き込んだ。


「もったいないよ、そんなにかわいいのに」

「ふざけて、ませんか?」

「ふざけてない。少なくとも、私にとっては世界一かわいい」

「……あ、う……そんなこと、初めて言われました」

「世間には見る目のないやつばっかだね、おかげで私がミルキットと出会えたわけだけど。ほら、ちゃんとまた顔をみせてよ」


 またフラムの手が包帯に伸びて、素顔を晒していく。

 見られていると自覚すると、ミルキットの顔はまた温度が上がってしまう。

 冷まそうと両頬に手を当てるも、すぐに手の方が熱くなって、中々体温は下がらない。


「あの……やっぱり、素顔を見せるのは厳しそうなので……」


 また包帯を拾い、顔に巻き始めるミルキット。

 フラムは苦笑いしながら言う。


「私は見たいな。というか、そんなにかわいいのに見せないのはもったいなくない?」

「もったいなく、ないです。だから、その……」


 フラムはどうしても顔を見たいと言う。

 ミルキットは、主に見られる時ですらこの有様なのだから、顔を晒して外を歩くのは不可能だと断ずる。

 妥協案は――1つしかなかった。


「2人きりの間だけ、包帯を外すというのは、いかがでしょうか」


 ミルキットは包帯の上から頬に手を当て、布をくしゃりと軽く握りながら言った。

 上目遣いに、包帯の隙間から見える赤らんだ頬が、さらにフラムの体温まで上げていく。


「それはそれで、なんか恥ずかしいような……」

「そう、でしょうか」

「まあ……私としては、それでもいいっていうか……その方が、いいかも」


 素顔のミルキットが外を歩けば、嫌でも目についてしまう。

 誰かに狙われるぐらいなら、今のまま、普段は包帯を付けてくれた方が、フラムにとっては都合がいい。


「でも確かに、何だか……私の顔はご主人様だけのものです、と言っているようで、ちょっと恥ずかしいです」


 ミルキットは、そう言ってはにかんだ。

 フラムの視界がぐらりとゆがむ。

 思わずめまいを覚えてしまうほどの破壊力である。


「だけど私はご主人様の奴隷ですから、それでもいいですよね」


 自分を納得させるようにミルキットは言った。

 ついぞフラムはこらえきれず――彼女の体を抱き寄せた。

 衝動的に、理性が本能を抑えきれずに。

 驚いて、まばたきを繰り返すミルキットだったが、自分の体を包む体温に心地よさを覚え、すぐに背中に腕を回した。

 思わず抱き合ってしまったが、フラムは特にこれから何をするかなど全く考えておらず。

 とりあえず――


「……改めて、これからもよろしくね」

「はい、末永くよろしくお願いします」


 そんな挨拶を交わして、その後しばらく、抱き合ったまま過ごすのだった。




◇◇◇




 ちなみに――2人で1階に戻ったあと、エターナに、


「包帯取るだけなのに長い」


 と呆れられたのは、言うまでもないことである。





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