第三章 増殖する悪意を吐き出すスパイラル・チルドレン
幕間3 白と黒の断章
大陸北部、魔族の本拠地セレイド。
一年中雪が降り注ぐこの土地には、レンガ造りの建物が立ち並んでいる。
その奥にある、石造りの、独特の威圧感を放つ巨大な城こそが――魔王城であった。
名前を聞くだけで、
しかし実際の所、そこに住んでいるのは、“魔王”という言葉から想像されるような恐ろしい人物ではない。
城の1階に位置する食堂。
壁や食卓に設置された燭台が部屋を柔らかな明るさで照らす。
非常に気温の低いセレイドだが、暖炉に火が灯っているおかげか、中は心地よい温度を保っていた。
そんな部屋に、ナイフとフォークを手に持ち、食事にありつく魔族が3人。
血風のネイガス、燐火のツァイオン、そして――魔王シートゥムである。
シートゥムの見た目は、人間で言うと12歳程度の少女と言った所だろうか。
白いドレスを纏ったお人形のような彼女は、椅子が高いせいか床に足が届いておらず、赤いローヒールをぷらぷらさせている。
「それでネイガス、研究所の調査はどうでしたか?」
シートゥムは、今まさにナイフで小さめに切った肉を頬張ろうとするネイガスに問いかけた。
相変わらず薄着の彼女は口の前でそれを止め、少し残念そうな表情を見せる。
ヒュージゴートのソテーに、きのこソースがかけられたそれは、彼女に限らず魔族で広く愛される料理である。
特にディーザが作ってくれたものは、自分で作ったものと比べ物にならないほど美味しい。
丁寧な下準備によってジューシーさが倍増しており、柔らかいその肉を噛むだけで甘い肉汁がじゅわっと溢れ出してくる。
それがまろやかな旨味と微かな酸味を持ったソースと混ざり合い――とにかく、一刻でも早く口に入れたくなるような味なのだ。
昼食を抜いてまでディーザの食事を楽しみにしていたネイガスが、落胆するのも仕方のないことである。
「むぅ……予想通り、一番古いので30年ぐらい前の資料が見つかったわよ。あと例のコアを埋め込まれた化物も」
「やはりですか。30年前と言うと、人魔戦争の時期ですね」
「ひょっとすると、戦争に戦力として投入するために計画を立ち上げたのかもしれないわ」
「戦争以前から、同族に対する実験はすでに行っていましたから。その延長線上にあるものなのでしょう」
「末期の時は子供まで戦力として投入してたものね」
ネイガスは想起する。
人魔戦争の時の人間の軍隊は、それはもう酷いものだった。
勝てる見込みの無い戦いに参加させられ、士気は低く、命令系統も滅茶苦茶。
最終的には、魔族が人間の命を可能な限り奪おうとしないことを逆手に取って、子供だけの部隊を作ってそれを盾として使ったほどだ。
結局、手も足も出ないまま、彼らは撤退したわけだが。
「ただし、10年ほど前に研究所で事故が起きたらしくて、それで使われなくなったみたい」
「あれは人の手に扱える力ではないのです、しかしどこから漏れたものなのか……」
「封印が緩んでんじゃねえのか? 魔王様よ」
ツァイオンが煽るように言った。
シートゥムは頬を膨らまして反論する。
「そんなことはありません! 私が巫女になった時から、封印に変化はありませんから! それにディーザだって一緒に確認しているのですよ?」
「おうおう、怒んなよ魔王様」
「なんですか兄さん、さっきから魔王様魔王様と嫌がらせのように!」
「おめーが三魔将とか言い出すから、それらしく呼んでんだよ」
「なっ……仕方ないじゃないですか、民の溜まった鬱憤のガス抜きと、勇者たちに対抗するために必要だったんです!」
「いや、別にそれでかっこつけて三魔将とか名乗る必要なかったんじゃねえの?」
「いっつも襟を立ててかっこつけてる兄さんに言われたくありません!」
いつもの調子で口喧嘩を始める2人に、ネイガスと、シートゥムの背後に立つ男性は視線を合わせて苦笑した。
彼の名は、ディーザ。
三魔将、泥濘のディーザと言った方がわかりやすいだろうか。
外見年齢40ほどの、片眼鏡を身に着けた、燕尾服の物腰がやわらかな男性の魔族で、先代から影で魔王を支えてきた、優秀な執事だった。
「んだと? お前、これバカにしたのか? この熱いファッションを馬鹿にしてんのか!?」
「馬鹿にしてます! 何でどんな服を着た時も襟だけ立てるんですか、兄さんと一緒に歩く私の身にもなってください!」
「てめぇ……言いやがったな? 一番のタブーを言いやがったな!? よっしゃ外に出ろ、どっちが正しいか熱さ比べしようじゃねえか!」
「望むところです、兄さんのショボイマッチの火程度で私の陽闇が破れると思ったら――」
ヒートアップする2人の言い争い。
身を乗り出してまで睨み合うツァイオンとシートゥムを見て、ディーザが「おほん」と咳払いをする。
すると、食堂に響いていた大きな声がぴたりと止んだ。
「おふたりとも、食事中ですよ。お静かに」
「あ……すまん」
「ごめんなさい」
2人は素直に謝ると、椅子に座り直した。
相変わらず睨み合ってはいるが、先ほどのように騒ぐことはない。
「大人になっても変わんないわよね、ふたりとも。小さい頃からディーザさんに怒られては黙り込んでたし」
「お前だって変わってねえじゃねえか」
笑いながら言うネイガスに対し、ツァイオンは言い捨てる。
「あとさツァイオン、あんた三魔将って呼び方、意外と気に入ってたんじゃないの? 戦ってる時、“オレら三魔将を満足サセテミロー”ってノリノリで言ってたじゃない」
「兄さん……そうだったんですか?」
「う……いや、あれは、ただな、ちょっと熱くなって、頭がどうかなってただけで……」
口ごもるツァイオン。
だが、彼が幼馴染であるシートゥムを妹のようにかわいがっているのは、周知の事実である。
要するに2人の口喧嘩は、仲の良さの裏返しなのだ。
「ふふふっ、ほんと変わんないわぁ」
「うるせえな」
ツァイオンはそっぽを向いて黙り込む。
ネイガスはそんな彼を見てさらに笑うと、笑顔のまま言った。
「まあしかし、勇者たちも、さすがに三魔将がただの幼馴染の集まりとは思ってないでしょうね」
「実力者を集めたら、たまたまそうなっただけです。事実、成果は上げているのですから、細かいことは良いではないですか」
「成果ねえ……町を壊すのはあんまり気乗りしないんだけどな」
「仕方ありません、そうしなければ民の不満が爆発してしまいます。それに、命は奪っていないのですよね?」
「それはもちろん」
ネイガスとツァイオンは、幾度となく人間の町を破壊してきた。
それは勇者たちが、魔族の町を破壊したことに対する対抗措置である。
戦いが泥沼になってしまう可能性もあるため、シートゥムはできるだけ人間の領地に手を出したくなかったのだが、実際に故郷を追われた魔族が居る以上、そうは言っていられない。
悩んだ挙句、ディーザの助言を受けて、“絶対に命を奪わない”という条件を課して、町の破壊命令を出したのだ。
なので、町を襲撃する前には必ず予告しているし、避難のための時間も確保している。
それでも逃げ遅れた人間が居たら、ネイガスやツァイオンが自分の手で救出したりと……奇妙な状況になっているのだが、それが命令なのだから仕方ない。
実際、そのおかげで民たちの溜飲が下がったのだから。
「勇者たちの侵攻も鈍化していますし、少しずつ人間も、私たちが戦いを望んでいないということを、理解してくれているのかもしれません」
確かに、最近は勇者たちの侵攻も鈍化しているし、どうやらパーティの人数も減っているようだ。
しかしその理由が別にあることを、ネイガスは知っている。
そして思い出す。
勇者パーティを離脱した少女――フラムと研究所で遭遇した際、破損したコアを受け取っていたことを。
ひとまず食事を終わらせ、デザートのケーキまで平らげると、落ち着いた所でネイガスはそのコアをシートゥムに見せた。
「これは……」
「勇者パーティにフラムって子がいたじゃない? あの子から受け取ったものなんだけど」
「破損しておりますな、わたくしもこの状態のコアは初めて見ました」
ディーザが割れたコアに顔を近づけ、興味津々と言った様子で観察している。
ツァイオンもさすがにこれには驚いた様子で、腕を組みながら眉間に皺を寄せていた。
「オレらがどう足掻いても壊せなかったもんを、人間がねぇ。しかもフラムって、あのステータス0で役に立ってなかった女だろ?」
「そ。なんであそこに居たのかもわからなかった子。ただ、珍しい力を持ってたわよね」
「“反転”か」
魔力が0だったため、その力を彼女が魔法という形で振るうことはなかった。
しかし――
「回転を、逆流させる……」
ディーザが呟く。
「たぶんそれだと思う。だからあの子だけは、コアを破壊することができた」
フラムは異形のオーガとの戦闘時、とにかくありったけの力を注ぎ込んだ。
腕力も、プラーナも、そして魔法としての体裁は保っていなかったものの――反転の魔力も。
「つまり、その力を持っていたから、彼女は英雄として選ばれたのでしょうか?」
「でもねぇ、あの子って確か、ただの田舎の女の子なのよ。わざわざ呼び出さなければ、自分の力に気づくことも無かったと思うわ」
「自分の所に呼び出すだけの理由があったってことか。相変わらず何を考えてんのかわかんねえな、奴――いや、奴らは」
ツァイオンはため息をつく。
静まり返る部屋。
沈黙を破ったのは、シートゥムの言葉だった。
「何にせよ、そのフラムという少女も、そして勇者たちも、封印に近づかせるわけにはいきません。この世界の平和を保つためにも」
そして彼女は、強い決意をもって宣言する。
「絶対に、あの忌々しき機械仕掛けの神“オリジン”の好きにさせるわけにはいかないんです」
◇◇◇
今回もまた、予定地点までの進行は叶わなかった。
ジーンは表情に悔しさを滲ませながら、転移室を後にする。
気持ちが落ち込んでいるのは彼に限った話ではない。
フラム、エターナと離脱者が相次いだ勇者パーティは、最悪の状況に近づきつつあった。
空中瓦解だけは避けたいライナスは、しかし良い方法が見つからず、頭を掻きながら部屋を出る。
そんな彼を、マリアは心配そうに追いかけていった。
部屋にはキリルとガディオだけが残る。
キリルも肩を落として外へ向かおうとしたが、「少し話をしたい」とガディオが彼女を呼び止めた。
「どうしたの、ガディオ」
振り返り、聞き返すキリルに、彼はいつもと変わらぬ平坦な口調で言った。
「次の旅を最後に、俺はパーティを抜けようと思う」
「っ……そっか」
なんとなく、そうなる気がしていた。
彼はフラムのことを気に入っていたし、エターナとも比較的仲が良かった。
その2人が抜けた今、先が見えなくなったパーティに、彼ほど優れた冒険者が残る義理はない。
元より彼は、名誉や地位欲しさに参加したわけではないのだから。
「申し訳ないとは思っている。だが俺個人として、この旅に果たして大義があるのか、信じられなくなってきてな」
「大義? 魔王を倒すことじゃないの?」
「今となっては、魔王は悪の代名詞のようになっているが、意味合いからしてみればただの“魔族の王”と言うだけだ」
「でも……戦争で攻め込んできたり、たくさん人を殺したり、したんだよね」
ガディオは首を振った。
「人魔戦争は人間が仕掛けたものだ。魔族が悪だという風潮も、せいぜい50年ほど前から、政府の方針によって広まったものに過ぎない。それまでは、交流は無いだけのただの隣人だったんだ」
「じゃあ、魔族は悪者じゃないの?」
「神は敵だと言っている。奴らこそ、世界を蝕む悪だとな。それをどう信じるかはお前次第だが――」
余計なおせっかいかもしれない。
しかし、勇者という、人々からの期待を一身に背負う立場である彼女が、簡単にこの旅から抜けられないことは承知している。
だから助言だけはしておかなければ、そう義務感が駆り立てた。
あるいは悩ませるだけかもしれないが、それでも。
「世界は、正義や悪という単純な構造で出来ているわけではない。自分が絶対の正義だとは思い込まない方が、裏切られないで済むぞ」
「……難しいよ」
「だろうな、俺とて全てを正しく判断できるわけじゃない。だから他人から与えられた情報だけでなく、自分の目で見たものを信じるしか無い」
「私が、目で見たものを……」
ただがむしゃらに、前に進むことで、どうにかここまで来れた。
しかし仲間が減り、うまく力も扱えず、立ち止まってしまった今。
逆にそれが、周囲を見回すチャンスになるかもしれない。
キリルがそれで新たな道を見つけられたのなら、きっと、そっちの方が彼女のためになる。
「あと1つだけ、これは忠告だが」
ガディオは入り口の方をちらりと見て、誰も居ないことを確認すると、キリルに告げた。
「マリアには気をつけろ」
「どうして彼女のことを?」
「おそらく何かを隠している。教会絡みの人間だ、注意するに越したことはない。自分の目で見たものを信じろと言ったばかりだが、一応これだけはと思ってな」
そう言って、彼は部屋を去っていく。
ひとり残されたキリルは、大事なことを思い出し、慌てて後ろ姿の彼に声をかけた。
「あっ、待ってガディオ!」
「どうした?」
「あの……フラム、を。フラムの、故郷、どうなってるのかな、って……」
足を止めて振り返ったガディオは、「ふっ」と珍しく破顔した。
「俺も彼女のことは気になっている。依頼ついでに田舎に行くことがあれば、様子ぐらいは見てくるつもりだ」
「あ……ありがと」
「礼を言われるようなことでもない」
そう言うと、彼は軽く手を上げ、再び歩き始める。
フラムの身を案じる資格すらないことは、キリルだってわかっている。
けれど、言わずには居られなかった。
神のお告げで選ばれて、みんなが自分を“勇者”として扱うようになってからは――彼女だけが、唯一の友達だったから。
◇◇◇
部屋から出たライナスとマリアは、並んで町を歩いていた。
城にもライナスの部屋は用意されているが、そこは窮屈だと言って、東区にある高めのホテルに宿泊しているのだ。
「マリアちゃん、大聖堂に行かなくてよかったの?」
ライナスは、誘ったわけでもなく、自分の意思でついてきた彼女に問いかける。
「わたくしがライナスさんの心配をしたらおかしいですか?」
「いや、嬉しいけどさ。俺、そんなに落ち込んでる顔してたかな」
「していましたよ、悩みに悩んでると言った雰囲気でした」
「……そりゃすまなかった」
「仕方ありません、こんな状況ですから」
フラムとエターナの離脱。
遅々として進まない旅。
苛立つジーンに、調子の戻らないキリル。
そして、おそらく離脱を考えているであろうガディオ。
ライナスの頭の中は悩みでいっぱいだ。
「なあ、マリアちゃん」
彼は足を止めた。
「どうしたんです?」
可愛らしく首を傾げるマリアに、ライナスは暗い表情で言う。
「もし俺がさ、パーティを抜けて一緒に暮らさないかって言ったら、マリアちゃんどうする?」
突然の告白に、目を見開いて驚くマリア。
とくん、とくんと心臓が高鳴る。
驚くほど、悪い気はしなかった。
しかし――
「……ごめんなさい」
彼女には、首を縦に振れない事情がある。
「あはは、そりゃそうだよな。わかりきってたことだわ」
「べ、別にライナスさんの事が嫌いというわけではないんですよ! そのご提案自体はすごく嬉しいですし、きっと一緒に暮らせたら幸せになれると思います、ですが……」
「魔族を滅ぼすまでは旅を止めるわけにはいかない、か」
「……はい」
マリアの憎しみは、根深い。
それはきっと呪いのようなもので、この世から魔族が消え失せるまで無くならないものなのだ。
誰かと恋をして、誰かと一緒に暮らして――そんな幸せを掴もうとしても、憎悪が邪魔をする。
「実はさ、俺、マリアちゃんのこと勝手に調べたんだわ」
「わたくしのことを?」
「ああ、どうしても気になってさ。もうしわけない」
気まずそうに頭を下げるライナスだったが、それを聞いたマリアは笑顔だ。
「それだけわたくしに興味を持ってくれたということですから、ライナスさんなら構いませんよ」
「さっすが聖女、優しい」
「誰にでもここまで優しいわけではありません、ライナスさん以外の人でしたら許すつもりはありませんので。ですが……調べたということは、私の故郷が魔族に滅ぼされたことも知ってしまったのですね」
「ああ、8歳の時だっけ?」
「ええ……あの日、わたくしの住んでいた町は突如襲撃を受け、一夜にして滅びました。生存者は、後から聞いた話になりますがわたくしだけだったそうです」
遠い目をして当時のことを思い出すマリア。
脳裏に浮かぶ惨劇は、今でも色褪せず記憶に残っている。
「魔法を使って、大事な人たちを刺し貫き、切り刻み、潰し、燃やしていく魔族の姿を、わたくしははっきりと覚えています」
「……そっか」
「魔族が人間を殺していないなんて嘘ですよ。あいつらは、笑いながら人を殺せる醜い怪物です、滅ぼされるべき害悪なんです!」
拳を握り、憎悪を滾らせながら語るマリアの言葉に、おそらく嘘はない。
しかしライナスが感じた限りでは、魔族の言った“私たちは人間を殺さない”という言葉も、嘘だとは思えなかった。
「あ……ごめんなさい、熱くなってしまって」
「いいよ、振ったのは俺の方だし」
そういう所も含めて、支えてやりたいと思う程度には、ライナスはマリアに惚れているのだから。
彼は「そうだ」と手を叩いて、漂う微妙な空気を振り払う。
「このあたりにアイスが美味しい店があるんだけどさ、今からいかない?」
「いいですね、アイスは好きです」
マリアの顔に笑顔が戻る。
やはり彼女にはこの表情が一番似合っている。
いつか全ての憎しみから解放されて、心から笑える時が来るまで、彼女を支えよう。
ライナスは胸の内で、静かにそう誓うのだった。
◇◇◇
転移室を出てから時間が経ち、外はすっかり暗くなっていた。
王城周辺はすっかり静まりかえっていたが、そんな静寂の中に、男の怒鳴り声が響きはじめる。
「何がSランク冒険者だ、何が星砕の豪腕だっ! ただの腰砕けじゃないか、くそがああぁっ!」
――ジーンである。
彼は自室で荒れに荒れていた。
何度も机や壁を蹴りつけ、拳に血を滲ませるほど殴る。
書類や本を床に投げつけ、極めつけには本棚まで倒しそうな勢いだ。
これだけ彼が荒れているのには、一応、理由がある。
たった今、ガディオがパーティの離脱を彼に伝えに来たのである。
ただでさえ旅が進まない今、ガディオまで抜けてしまえば、もはや予定地点まで到達するのは不可能。
キリルもさらに落ち込むだろうし、ジーンの立場だって悪くなっていく。
「不満なんてあるものかっ! 旅さえ終われば一生遊んで暮らせる金も、全ての国民から讃えられる栄誉も、そして王国の政治の中枢に関われるほどの地位だって手に入るんだぞ!? 冒険者ってのは、報酬さえ高けりゃ働くんじゃないのかよおぉ!? そもそも、まずは、僕みたいな天才と一緒に旅ができる時点で光栄だと思えよおぉおおおっ!」
片っ端から不満をまくし立てたジーンは、拳を握ったまま肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返した。
それでもまだ、怒りは尽きない。
なぜうまくいかないのか、どうして、天才である自分が旅に参加しているというのに。
幼いころから今に至るまで、彼は失敗を知らなかった。
天才たるジーンを貶めようと突きつけられた難題でさえ、涼しい顔で解いて見せた。
仲間を必要とせず、個人で王国の魔法使いを何人集めても及ばないほどの研究を完成させてきたし、彼の自信は決して驕りなどではないのだ。
ただ、ぶつかった壁が、あまりに高すぎただけで。
少し落ち着きを取り戻したジーンは、椅子に腰掛けると、羽ペンを手に取った。
ペン先をインクに浸し、デスクに散らばった紙のうちの1枚に、文字を描き始める。
紙に頬を付けるほど顔を近づけ、力の入った手を震わせながら、魔術理論を羅列したが――
「ちくしょおおぉおおおっ!」
うまく行かず、紙をぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨てた。
「どうして、どうしてうまくいかない! 四属性を束ねる、世界で僕しか完成させられないこの理論さえ完成すれば! フラムとかいうゴミも、エターナやガディオとかいうクズも、誰も必要なく、僕1人で事を成せるというのにいぃぃ!」
そして、頭を掻きむしる。
気が狂ってしまいそうだ。
今さら、どうして彼が反省して、心を入れ替えることなどできようか。
奇声をあげながら苦悩するジーンだったが、そんな彼の部屋に――コンコン、とドアをノックする音が響く。
「今は誰とも会いたくないっ!」
そう言い捨てるジーン。
しかし部屋の外から控えめに声をかけたのは、
「ジーンさん、わたくしです、マリアです」
ライナスとのデートを終え、大聖堂に戻ったはずのマリアだった。
さすがに聖女の来訪となると、無視するわけにもいかない。
ジーンは「チッ」と舌打ちすると、椅子から立ち上がり、猫背の姿勢でドアを開く。
そして姿を現したマリアを睨みつけた。
「何の用だ!」
「悩める子羊を救うのが聖職者の役目です」
「だから何の用だって――」
苛立つジーンの前に、マリアは黒い水晶を取り出した。
そしてにこりと笑みを浮かべる。
「力をお求めかと思いまして、おあつらえ向きの道具をお持ちしました」
水晶の中で、膨大な量のエネルギーが渦巻いている。
ジーンは魅入られるように、黙り込んで、それを見つめていた。
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