第8話 聖なる淀みで澄んだ光を放つ矛盾少女β

 





「ありがとうございます、助かりました!」


 奪われたカバンを渡すと、男性はフラムの両手を掴んで目の端に涙を浮かべた。

 30歳は行ってそうな外見をしているのだが、やけに腰が低いし、押しに弱そうだ。

 少なくとも、1人で西区を歩くべき人間で無いことだけは、見た目だけで断言できた。


「ああ、挨拶が遅れて申し訳ございません。私はリーチ・マンキャシーと申しまして、小さな商店を営んでおります」


 リーチは丁寧に自己紹介し、上品に頭を下げた。

 身に纏った衣服といい、先程のカバンにしてもそうだが、彼自身の所作から上流階級っぽさがにじみ出ている。

 それに、マンキャシーという名前を、フラムはどこかで聞いた覚えがあった。

 しかも遠い記憶の中にある言葉ではなく、ごく最近。

 するとミルキットがちょこんと彼女の肩をたたき、耳打ちをした。


「さっき夕食を買いに訪れた店の名前ではありませんか?」


 2人は西区に戻ってくる直前、生鮮食品を取り扱う大型商店に立ち寄っていた。


「ああ! そうだ、マンキャシー商店ってあの……いやいや、全然小さくないじゃないですか!?」

「いえ、まだ至らぬ部分ばかりですので」


 謙遜するにもほどがある。

 マンキャシー商店といえば、最大規模の生鮮食品を取り扱う店だ。

 王都に住んでいれば、利用したことのない人間は無いと言い切れるほど有名である。

 そこの社長が、まさか奴隷相手でも偉そうな態度を取らない、こんなにも物腰が柔らかな人間だとは思っても見なかったが。


「ところで、あなた方のお名前は?」

「えっと、私はフラムです、西区で冒険者をやってます。で、こっちはミルキット」

「ご主人様に仕えさせて頂いております」


 フラムに紹介されると、ミルキットは深々と頭を下げる。

 メイド服のおかげで、一連の動作は随分と様になっていた。


「フラムさんと、ミルキットさんですか。フラムさんの方は、どこかで顔を見たことがあるような気がするのですが……」


 リーチが考え込むような仕草を見せると、フラムの胸はどきっと高鳴った。


「それはおらも思ってたっす」


 幼い修道女も同意する。

 マリアを排出している教会の人間や、情報収集も仕事の一環である大きな商店の社長となると、勇者パーティに参加していた元英雄であるフラムの顔ぐらいは知っている。


「いや……あはは、よく有名人と似てるって言われますから」


 フラムは笑って誤魔化した。

 まさかあのフラム・アプリコットが奴隷に身をやつしているとは誰も想像しないので、顔に見覚えがあっても、本人だとは思わないようだ。

 その”おかげ”と言うべきか”せい”と言うべきか、彼女が“気のせいだ”と主張すると、彼らはそれ以上追及してこなかった。


「気のせいでしたか、妙なことを言ってしまい申し訳ありません」

「いえ、気にしないでください」


 気のせいではないので、頭を下げられるとさすがに胸が痛む。


「そちらの修道女様は?」

「おらっすか? おらはセーラ・アンビレンって言うっす、見ての通りオリジン教で頑張ってるっす!」


 田舎っぽさが抜けきれてないからか、一人称の“おら”がやけに似合っている。


「おお、やはりオリジン教の! 助けていただきありがとうございました、いくらお礼を言っても足りないぐらいです」

「別にお礼なんて必要ないっすよ、悪いヤツをやっつけるのは修道女として当然の行いっすから」


 えっへんと両手を腰に当て、したり顔で薄い胸を張るセーラ。

 フラムの中の修道女に対する清純でか弱いイメージが、武闘派に上書きされていく。

 足元で伸びている2人の男たちも、まさか修道女に殴られて気絶することになるとは想像もしなかったはずだ。


「ところで、こいつらの身柄はどうするっすか?」

「カバンは手元に戻ってきましたし、私としては特にどうもしなくていいとは思っているのですが」

「そうっすね、これだけボコボコにされれば懲りるっすよね」


 あっさりと解放しようとする2人。

 フラムは思わず「へ?」と声をあげてしまった、とんだお人好したちだ。

 冒険者であり、なおかつデイン一派に加入していると思われる人間が、収入に困ることがあるだろうか。

 貧困の末の窃盗ならば、まだ改心の可能性は残っているかもしれないが、おそらく彼らは、単純に遊ぶ金欲しさに窃盗を行ったのだ。

 そんな人間が、一度伸びたぐらいで反省するものか。


「何か問題がありましたか?」

「私は然るべき場所に突き出した方がいいと思うな。たぶんまたやると思いますよ、こいつら」


 フラムには確信がある。

 だがセーラは、その意見に不満があるようだ。


「そうっすか? 人間、一度痛い目にあったら反省するものじゃないんすか? おらは先輩に叩かれたら、反省して二度としないっすよ?」

「それはセーラちゃんがいい子だから。本当の悪人ってのはね、罰を与えられないと懲りないものなの」

「そうなんすか……悲しいっすね」


 ここで悲しめるセーラは、間違いなく優しい子だ。

 フラムは腰をかがめ、彼女の頭を撫でながら続けざまに言った。


「そうね、悲しいけどこれが現実。でもセーラちゃんみたいな子が頑張ればそのうち良くなってくと思う」

「……わかったっす、おら頑張るっす!」


 そしてすぐに立ち直る彼女は、間違いなく単純な子である。

 人間がみな彼女のように単純で純粋なら、きっと争いは世界中から消えるだろう。


「と言うわけで、衛兵か教会騎士を呼んでくるべきだと思います。リーチさん、それでいいですか?」

「はい、西区のことはそこに住む方の方がよくわかるでしょうから、フラムさんに任せます」

「教会騎士なら知り合いが居るっすから、おらが呼んでくるっすー!」


 セーラはそう言うと、全力疾走で行ってしまった。

 フラムもリーチも、まだ“頼む”とすら言っていないというのに。

 嵐のように去っていったセーラの背中を眺め、ミルキットは言った。


「元気な子ですね」

「せっかちとも言うけどね、あれが若さってやつ?」

「とてもじゃないですが敵いません」


 16歳のフラムと14歳のミルキットが交わすやけに老けた会話に、30歳を越えたリーチは思わず苦笑いを浮かべた。


「何をおっしゃいますか、フラムさんもミルキットさんも、まだまだお若いではないですか」

「そうですけど、あの活力を見せられるとですねー」


 10代の4歳差5歳差は、数字以上に大きく感じられるもの。

 自分たちが失ってしまった子供特有のパワーを見せつけられて羨む気持ちが湧いてしまうのもまた、仕方のないことなのかもしれない。


「そうだ、ところでフラムさん」

「はい?」


 リーチに話を振られ、フラムは彼の方を見た。

 すると、先程までの穏やかな表情は打って変わって、真剣な眼差しをしている。

 突如変わった空気感。

 フラムは思わず身構えた。


「高い実力を備えた冒険者だとお見受けしますが……もし良ければなのですが、私の依頼を受けて頂けないでしょうか」

「依頼って……」


 確かにフラムは冒険者だが、マンキャシー商店のトップともあろうものが、会ったばかりの素性も知れぬ冒険者に依頼を持ちかけるとは。

 形振り構わないと言うか、相当に追い詰められていると思われる。


「私、Fランクの冒険者なんで、そんな力は無いですよ?」


 フラムは申し訳なさそうに言った。


「そんな、あの実力でFランクなんですか!?」

「まあ、昨日冒険者になったばっかりですし……」


 単純なステータスだけで見るならFランクは軽く越えているが、経験はまだ浅い。

 冒険者の優劣は力だけで決まるわけじゃない、経験や知識だってものを言う。

 Fランク以上の能力があります! と胸を張って言えるほどの自信は、フラムにはまだ無かった。


「それはまだ周囲があなたの実力を知らないだけです。それに、知名度が高くないなら私にとってはむしろ都合がいい」


 一気に雲行きが怪しくなる。

 知名度が低い方が良いと言うことは、できるだけ他人に知られたくない依頼であると察することができる。

 ギルドを介さず直接依頼してきたことと言い、厄介ごとの香りしかしない。

 リーチもフラムが警戒していることに気づいたらしく――表情を少し緩めて、なぜ彼女に依頼を持ちかけたのか、その事情を語り始めた。


「実は、私の妻が病に伏せっていまして」

「それは大変ですけど、だったら教会に治療を頼めばいいんじゃ?」

「魔法では治らない病だそうなんです。神父様には、妻の体力を信じて治るのを待つしか無いと言われてしまいまして」


 ミルキットがぴくりと反応する。

 彼女の顔をただれさせた、ムスタルド毒と同じだ。

 つまり――


「ですが調べたところ、文献に薬で治る病であるとの記述を発見したんです」

「あー……わかりました、それで私に直接依頼を」


 ギルドを介せば、薬草を用いて薬を作ろうとしていることが、教会に露呈してしまう。

 リーチは、それを避けたかったのだ。

 教会は、自らの利益のために薬師を潰してきた。

 いや、それは過去の話ではない。

 今でも秘密裏に薬を製造しようとすると、どんなに効力のある薬だったとしても、違法薬物製造の罪で裁かれてしまうのだ。

 教会との繋がりを強める王国自身もそれに手を貸しており、例えマンキャシー商店の社長だったとしても、明らかになれば罪の追及からは逃げられまい。


「妻の病状は日に日に悪化するばかりです、一刻も早く薬を手に入れなければ、命を落としてしまうかもしれません」


 リーチはうつむいて言った。

 だから彼は、非合法な手段で隠れて薬を入手するしかなかった。

 冒険者としてのランクが低く、そして実力を持った彼女であれば、それを可能にしてくれるはずだ、と。


「もちろん報酬は弾みます。冒険者の仕組み上、ギルドを通さない依頼がランク上昇に関わらないことは理解していますが、その分を考慮して、さらに上乗せしてお渡しすることも可能です」


 正直に言って、フラムにしてみれば――願ってもない申し出だった。

 聞いた所、犯罪に絡むような依頼でもないようだし、何よりあの、いけすかないギルドを通さなくていい。

 高額の依頼となると、その分ギルドに入る手数料の額も大きくなる。

 それが、あいつらの手に渡らないのだ。


「どうするんですか、ご主人様」

「うーん……そうね」


 ミルキットの問いに、フラムは考え込むような仕草を見せた。

 メリットは大きい、だが同じぐらいリスクもある。

 教会に嗅ぎつけられれば、フラムもまた危険にさらされてしまうのだから。

 しかしそれでも――リーチが妻を想う気持ちに、応えてあげたいと思った。

 その思いの分だけ、天秤は傾く。

 フラムはリーチの方に向き直り、はっきりと告げた。


「その依頼、受けさせてもらいます。リーチさん」


 すると険しかったリーチの表情に、希望に満ちた笑顔が灯る。


「本当ですかっ、ありがたい! おお神よ、この出会いに感謝します……!」


 その神を信仰するオリジン教が邪魔してるんだけどね……とフラムは突っ込みたい気分だったが、当然水はささない。

 元々涙もろい方なのか、はたまた知らないだけで途方もない苦労の歴史があったのか、両手を握って天に祈りを捧げる彼の頬には、涙が伝っている。

 しかし依頼を受けるとは言ったが、どんな薬草が必要で、どこへ取りに行けばいいのか、まだ全く聞けていない。

 リーチの感情が落ち着くのを待って尋ねると、彼は気まずそうに言った。


「ちなみに、その薬草はどこに生えてるんです?」

「実は……場所がわからないんです。キアラリィと呼ばれる青い花をつける植物であることはわかっているんですが、薬草に関する文献のほとんどはもう残っていないので」


 教会が薬草に関する文献を処分する中、材料がわかっただけでも奇跡的と言える。

 リーチの“妻を救いたい”と願う執念がなせる業だろう。


「あー……なるほど、それを見つけ出す所からが依頼なわけですね」

「そういうことになります。どこにあるのかもわからない薬草を探してくれ、と言うのも無茶なお願いなのはわかっています。ですが、頼るべき相手はもうあなたしか居ないんです!」


 縋るように彼は言った。

 さすがに0からのスタートとなると、フラムにだって自信はない、しかし――


「受けた以上は善処します、途中で投げ出したりはしません」


 薬草に関する知識なら、ある程度ツテがある。

 “彼女”を見つけ出すことができれば、どうにかなるかもしれない。

 問題は、その彼女がフラムに協力してくれるか、だが。


『彼らは少し悩んだけど、最終的に承諾してくれた――』

『君の存在を一番負担だと思っていたのは――』


 蘇る、ジーンの言葉。

 事実かどうかはわからない。

 けれど、今でもあれらの文言は、蝕むようにフラムの心を揺さぶり続けている。

 あれが事実だとすれば――彼女が、フラムに協力することはないだろう。

 しかし今は信じるしか無い。


「ただし……時間はかかると思いますが」

「妻の容態は良いとは言えませんが、すぐに命を落とすというわけでもありません。私に言えるのは、“できるだけ早く”と言うことだけです、無責任で申し訳ない」


 期限の指定は無し、強いて言うならリーチの妻が死ぬまで。

 これで間に合わずに終わったりしたら、後味が悪いなんてもんじゃない。

 何が何でも、キアラリィを見つけ出してリーチに渡さなければならない――フラムの責任は重大だ。


「キアラリィの特徴をまとめた資料は私の家にあります、あとで取りに来て頂いてもよろしいでしょうか」

「わかりました」


 依頼に関する会話が一段落すると、タイミングを見計らったようにセーラの声が聞こえてくる。


「あそこっすー!」


 白のプレートアーマーを纏った騎士を2人引き連れて、彼女はこちらにぽてぽてと駆けてくる。

 騎士たちは魔法によって光の輪を作り、それで気絶した男2人を捕縛した。

 そしてリーチやフラム、ミルキットと軽く言葉を交わすと、そのまま連行する。

 こんなにあっさり連れてっちゃうものなんだ、とフラムは感心しながらその後姿を眺めた。

 おそらく、セーラが教会の関係者だったからこそ、スムーズに事が進んだんだろう。


「おつかれさまっすしたー!」


 セーラはぶんぶんと手を振って、騎士を見送る。

 ずっと走って来ただろうに、元気なことだ。

 さすがに額には汗が浮かんでいるが、顔に浮かぶ満面の笑みに一切の曇りはない。

 騎士の姿が見えなくなると、彼女はフラムの方を向いて言った。


「出てきた時には、あの男たちもまともになってるといいっすねえ」

「そうだね、良い人になってると私も嬉しいかな」


 西区の治安も少しは良くなるだろうし、デイン一派の力も削げる。


「ところでリーチさん、ちょっと聞きたいことがあるっす」

「何ですか?」


 何気なく聞き返すリーチ。

 セーラは彼の顔を下から覗き込むと、首を傾げて問いかけた。


「もしかして、何か悩んでないっすか? 具体的には、薬草絡みで」


 なぜ、彼女がそれを――傍で聞いていたフラムの心臓がどくんと跳ねる。


「……いえ、そんなことはありませんよ」


 若干の間はあったが、リーチはポーカーフェイスで乗り切った。

 だが内心ではさぞ驚いていることだろう、フラムだってそうだ。

 話を盗み聞きしたわけでもないのに、先ほど持ちかけた依頼のことを見抜かれているのだから。


「んー、そうっすか。以前も似たような表情をした人が、似たような悩みを抱えてたんでもしかしたらと思ったんすけど。その時は、おらが外から探してきて渡したんすけどね」

「薬草を渡したの? 教会の人間なのに?」

「そんなの関係ないっす。困ってる人が居たら助けるのが聖職者だって、マリアねーさまに教わったっすから!」

「マリアって……」

「そうっす、マリアねーさまは勇者と一緒に旅をしてるすごい人っす! 教会に居た頃はおらにも優しくしてくれたっす!」


 教会のマリアと言えば、聖女マリア・アフェンジェンスで間違いなさそうだ。

 彼女のことを語るセーラの目は、きらきらと輝いている。

 本当に、心の底から憧れているのだろう。

 だがフラムの知るマリアと、セーラの言うマリアの間には、若干の隔たりがあった。

 確かに彼女は優しい。

 だが、旅の途中の彼女は魔族を前にすると様子がおかしかったし、それにジーンに言われた通り、フラムに対しては回復魔法を使わなかったりと“聖女”と呼べるほど分け隔てなく全ての人間に優しくするような人格者だとは思えなかったのだ。

 もちろん、自分を回復してくれなかったからと言って、“人格者では無い”といい切るのは横柄な考え方だというのは、フラムも理解しているが。


「だからおらは、教会が薬を認めないのはおかしいと思ってるっす。魔法で救えない人が薬で救えるなら、どんどん使うべきっす! ……あ、これ誰にも言わないでくださいっすよ? 聞かれたらおしおきされるっすから」


 教会関係者らしからぬセーラの発言に、リーチ、フラム、ミルキットの3人は顔を見合わせた。

 “信頼していいものか”、リーチの視線は彼女らにそう問いかけているように見えた。


「言いたくない気持ちはわかるっすよ、それだけのことを教会はしてるっすし。でも、おらのリーチさんを助けたいって気持ちもわかって欲しいっす。それに、教会内部にも薬草の本はいくらか残ってるっすから、役に立てると思うっす!」

「教会の中に残ってるんですか!?」

「ごく一部っすけど」


 一体何のために――と気になる点はあるが、残っている文献にキアラリィの生育地の情報が残っている可能性はある。

 リスクを取るなら話すべきではない、スピードを取るなら話すべきだ。

 リーチは選択を迫られていた。


「リーチさん、私は少なくともセーラちゃんに関しては信用していいと思いますよ。彼女はとても純粋な目をしているから、騙したりはしないと思います」


 フラムの言葉に、彼は目を閉じてしばし沈黙し――考えた上で、結論を出した。


「……そうですか、フラムさんがそう言うなら。セーラさん、確かに私は薬草に関する悩みを抱えています。実は私の妻が病にかかってしまいまして、その治療のためにキアラリィという薬草が必要なんです」

「キアラリィっすか、聞いたことはないっすけど、調べたらわかると思うっす」

「心強い言葉だ。フラムさんにもすでに頼んでいるので、協力して探して頂いてもいいでしょうか。もちろん報酬はお渡しします」

「それはいらないっす、人助けは修道女の仕事っすし」


 滅私奉公の精神を貫くセーラの姿が、フラムには眩しく見えた。

 そう言われると、報酬をもらう気満々の自分が卑しい女のようではないか。


「さすがにそれは……」

「いいんすよ、それに……勝手にお金をもらったりしたら、教会に怒られるっすから。もう痛いのは嫌っす」


 過去に痛い目にあった覚えがあるのか、セーラは暗い顔で臀部をさする。

 こうして共同でキアラリィを探すことになったフラム、ミルキット、セーラの3人は、リーチに案内され彼の家に向かった。




 ◇◇◇




 リーチの屋敷で受け取った資料を元に、セーラはすぐさま教会内部で情報収集を開始した。

 フラムも一応調べはしたものの、やはり薬草に関する本は、王都の店はもちろん図書館にも蔵書されておらず、探し人も見つからない。

 落ち込むフラムの元を再度セーラが訪れたのは、2日後のことであった。

 拙い文字で書き記されたメモには、キアラリィが群生すると言う洞窟の場所が記されている。


「ちょっと目を盗むのに苦労したっすけど、無事見つかってよかったっす」


 そう言ってセーラは笑った。

 教会の身内である彼女ですら、目を盗む必要がある場所に資料は保管されているらしい。

 やはり、まっとうな目的で残されたものでは無いのでないか。

 フラムは彼女に危険な橋を渡らせてしまった気がして、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 目的地はエニチーデという町の近くらしい。

 王都からは、馬車で南に2日ほど進んだ先にある。

 移動に必要な足や費用は全てリーチが用意してくれるとのことで、3人はさっそく彼の屋敷に向かい、そのことを話した。

 リーチはキアラリィの居場所がわかったことを心から喜び、馬車の話を聞くとすぐに手配してくれた。

 移動手段も確保できたし、ここから先は自分だけでも大丈夫だと主張するフラム。

 しかしセーラも、


「ついていくっす!」


 と言って聞かない。

 結局ミルキットの「いいと思いますよ」という言葉にほだされ、フラムの方が根負けして、彼女も同行することになった。

 教会に隠し通せるか不安なのだが、


「人助けと言えば問題無いっすよ、他の修道女もよくやってるっす」


 と断言するので、おそらく大丈夫なのだろう。

 ――出発は、明日の朝だ。




◇◇◇




 前夜、宿のベッドで横になったミルキットは、迫る人生初めての旅に緊張して眠れないのか、暗い部屋の中でじっと天井を見つめていた。


「ミルキット、もう寝た?」


 そんな時、もう1つのベッドからフラムが彼女に話しかける。


「まだです……緊張してしまいまして」

「ふふっ、そっか。ミルキットもそうなんだ」


 どうやら彼女もまた、緊張して眠れなかったようだ。


「じゃあさ、ちょっと話さない?」

「お願いします」

「と言って私から振っておいてなんだけど……うーん、何を話そっかな」

「じゃあ、私から聞いてもいいですか?」

「どーぞどーぞ」


 ミルキットが自ら興味示してくれたのが嬉しくて、フラムの声が跳ねる。


「ご主人様は、旅をしたことがありますか?」


 ミルキットは、これだけフラムと一緒に居ても、彼女が勇者パーティに参加していた英雄であることに気づかない。

 おそらく、奴隷だった彼女は、勇者の存在ぐらいは知っていても、その参加者の素性までは知らなかったのだろう。

 フラムも追放された手前、自分で言うことではないと黙っていたが――この質問が“フラムのことを知りたい”というミルキットの欲求の現れだというのなら。

 早いうちに話しておいた方が、後で成り行きで判明するよりも、2人の関係のためになるような気がした。


「実は私ね、勇者と一緒に旅してたんだ」

「……?」


 しばしの沈黙。

 さすがに、こんなとんでもない事実を、いきなり信じさせるのは無理があったようである。


「勇者と、ですか。それは、何かの例え話でしょうか」

「んーん。たぶんミルキットが想像してる通り、そのまんまの勇者だよ。キリルちゃんとか、エターナさんやガディオさんたちと、何ヶ月か一緒だった」


 あまり詳しくないミルキットでも、その名前ぐらいは知っていた。

 上を向いていた彼女は体ごと傾けて、フラムのベッドの方を見る。


「えっと……それは、神さまに選ばれた“英雄”の1人だった、と?」

「そういうこと、今の私を見たら信じられないだろうけど」

「ご主人様、すごい人だったんですね」


 ただ者では無いとは思っていた。

 しかし、まさか英雄のうちの1人だとは。

 ミルキットは包帯の向こうで目を見開いて、じっと彼女の方を見た。

 視線を感じたフラムは恥ずかしそうにはにかむ。


「あっはは、それがすごくないのに、神さまに選ばれちゃったから追い出されたんだけどね。その上、奴隷商人に売られて、二度と消えない印まで刻まれて」


 なぜオリジンが自分を選んだのか、フラムには今でも全くわからない。

 “あいつさえ選ばなければ”と今でも恨み続けているぐらいだ。


「ああ、だから……」


 ミルキットはひとり、何かを納得している。


「どしたの?」

「同じ奴隷のはずなのに、私にはご主人様が眩しく見えたんです。この人はまだ奴隷の淀みみたいなものが染み付いてないんだな、と。なのに同じ檻に入れられたのがずっと不思議だったんですが……まだ奴隷になって日が浅かったんですね、やっと理由がわかりました」


 眩しい、だろうか。

 いや、確かに長年奴隷をしているミルキットよりかは、前向きな物事の考え方ができているかもしれない。

 そういうのを“染み付いていない”と言うのだろう。


「たぶん、ご主人様はまだ後戻りできる場所にいると思います」

「なにその、自分はもうだめー、みたいな言い方」

「だって……事実ですから」

「私がまだ後戻りできる場所に居て、ミルキットが沈んでるって言うんなら、私が引き上げればいいだけじゃない」

「ご主人様は、またそういうことを言うんですね」


 困ったようにミルキットは言うが、その声には微かに嬉しそうでもある。


「嫌だった?」

「……嫌ではないから、困るんです」

「そりゃよかった」


 フラムはケラケラと笑った。

 釣られて、ミルキットも「ふふっ」と聞こえない程度に吹き出した。


「明日からの旅、無事に終わるといいですね」

「うん、戻ってきたら報酬で美味しいものでも食べに行こう」

「今日のお昼ごはん、とてもおいしかったです。初めて食べる味でした」

「あれは別に高いものじゃないんだけど……ミルキットが好きなら、今度もあそこに行く?」

「はいっ」


 言葉を交わし合うことで、いくらか不安は薄れた。

 だが、まだ完全に消えたわけではない。

 特に教会の思惑は解せない部分が多すぎる。

 しかし、関係者でないフラムが考えた所で無駄だろう。

 彼女は胸にまとわりつくもやもやとした“予感”を飲み込み、瞳を閉じた。

 最後に、


「おやすみ」

「おやすみなさい」

 

 と言葉を交わすと、部屋には静寂が満ちる。

 夜が更ける。

 旅立ちの朝がやってくる――





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