第7話 私たちは奈落の底から”普通”を目指して






 フラムとミルキットは、昨日話していた通り、中央区へ買い物に来ていた。

 一足先にみすぼらしい布切れを卒業したフラムは、上はシンプルなシャツに下はホットパンツと、動きやすい格好をしている。

 そしてミルキットはと言うと――


「……本当にこれでいいの?」

「その、むしろ私の方が聞きたいと言いますか。こんなに高い服を買っていただいてもいいんですか?」

「アンズーのおかげでお金に余裕はあるからいいんだけど……なんでそれ?」


 ――黒を基調とした給仕服を試着していた。

 スカートの部分や胸元にフリフリのレースがあしらわれており、ドレスのように見えなくもない。

 実際、これを着て給仕の仕事をするのは難しそうなので、特定の趣味を持った人のためのなのかもしれない。

 顔の包帯とのミスマッチさも、服にゴシック感があるからか、これはこれで味があるようにフラムには思えた。


「一番よく目にした服がこれでしたから、いつか着てみたいと思っていたんです」


 ミルキットは手でスカートをつまみながら、ちらちらと試着室の中にある鏡で自分の姿を見て言った。

 と言っても、それははっきりとした願望ではなく、漠然とした薄っぺらい憧れのようなものだったが。

 フラムに『着たい服は無い?』と問われ、どうにかひねりだした答えがそれだった。


「ま、確かに見ててかわいいし……これでもいっかな」

「私もそう思います、素敵なデザインですよね」

「違う違う、服だけじゃなくてミルキットが似合っててかわいいってこと。店員さーん!」


 さらっと恥ずかしいことを言うフラムに、ぽかんとするミルキット。

 しかし当の本人は一切自覚がない様子で、少し離れた場所に居た丁寧な物腰の女性店員を、手を振って呼び寄せていた。

 駆け寄ってきた彼女は一瞬、頬にある奴隷の刻印を見て嫌そうな表情を浮かべたが、すぐに元に戻る。

 この店員がよく出来た人間――というわけではなく、入店時、すでにそのやり取りは済ませているからだ。

 その時はミルキットもボロボロの服を着ていたし、もっと露骨な反応をされた。

 とは言え、ギルドでの扱いの方がもっとひどかったし、いい加減にフラムも慣れてきた。

 奴隷とはそういう身分なのだ、一生消えない印を刻まれてしまった以上は、割り切って生きていくしか無いのだろう。


 フラムは案内されたカウンターで会計を済ませ、2人で店を出る。

 ラフな格好の、しかも腰から紐でくくった血塗れの篭手をぶら下げた奴隷の少女に、顔を包帯でぐるぐる巻きにしたメイド服の少女。

 なんとも奇妙な、得体の知れない組合せの2人である。

 元々そういう傾向はあったが、それぞれ服を新調した結果、余計に際立ってしまった。

 だが中央区の大通りは、”人で埋め尽くされる”と形容する他ないほど、買い物客や外からの観光客でごった返している。

 特別休日や祭りがあるわけではない、いつもこの状態なのだ。

 そんな中では、どんなに珍しい二人組が居てもすぐに視界から消えてしまうため、注目を集めるということは特に無かった。

 目立たないのは助かるのだが――気を抜くと人の流れに連れ去られそうになるため、単純にはぐれないよう、フラムはミルキットの手を握って進んでいく。


 買い揃えるべきものは沢山ある。

 何も持たない2人が一から生活を始めるとなると、腕いっぱいに荷物を抱えても、一度の買い出しでは生活必需品を全て購入するのは不可能であった。

 さしあたって、今日中に必要になりそうなものだけを集めていかなければ。

 最も緊急性の高かった服は最初に済ませ、あとは靴に、歯ブラシやお風呂用品。

 冒険に必要なバックパックも欲しい所だし、今晩の食事も買って帰らなければならない。

 最低限でもそれだけの量があるのだ。

 金銭的な余裕はあるものの、時間の余裕があまり無い。

 店に入っては慌ただしく商品を物色し、手に取り、購入する――フラムとミルキットは、それを何度か繰り返した。

 いささか忙しない一日だが、自分の生活のために自分で買い物をする、という経験の無いミルキットにとっては、それでも貴重な経験である。


「ありがとうございましたー!」


 珍しく奴隷に対しても愛想のいい店員に見送られ、店を出た2人は、増えた荷物を分担して抱えながら、手だけはしっかり繋いで大通りを歩く。


「なんかお買い物が楽しくなってきちゃった」

「わかります。初めて見るものばかりで、ついつい目移りしてしまいます」

「ふふっ、嬉しそーに所持金が全部吹き飛ぶような高級食器を持ってこられた時は、さすがにどうしようかと思ったけどね」

「も、申し訳ありませんでした、あの数字が値段だとは思わなくて……」


 恥ずかしそうに俯くミルキット。

 そんな彼女を見て、フラムはおもむろに足を止めた。

 そして、ちょうど通りに面した場所にあったとある店の看板を見上げる。


「ご主人様?」

「寄り道、してもいい?」

「はい、もちろんです。行き先はご主人様が決めることですから」


 フラムが見つけたのは、王都で最も大きな書店である。

 店の入り口を抜けると、真正面にディスプレイされていたのはオリジン教の教典であった。


 王国の歴史において、”本”という存在が今ほど庶民の手に届くものでは無かった頃、最も多くの書籍を所持していたのは教会だ。

 また、教会では子どもたちへの教育も盛んに行われていたため、教育に必要な参考書や、信者に配るための教典を大量に刷るために、印刷技術が発展していったという経緯がある。

 その影響か、今でも王国に存在する印刷会社や書店は、教会の息がかかっている所が多い。

 実際、店の看板にも創造神オリジンのシンボルをイメージしたロゴが描かれていた。

 もっとも、別に教会と繋がっているからという理由ではなく、単純に教典が売れ筋商品だから、一番目につく場所に置いてあるというのも、また事実なのだが。


 フラムとミルキットは別にどこの宗教にも属していない。

 興味なさげにそこを通り過ぎると、近くの柱に貼られていた案内図を頼りに、奥の壁側にある本棚へと向かった。


「ご主人様、本を読まれるんですね」

「んー? 私のじゃないよ」


 フラムは言った。

 そして再び本棚に向き直ると、気になる背表紙の本を一冊引き抜いて、表紙を確認していく。

 その目つきはやけに真剣だ。

 自分のためでもないのに、何のために――とミルキットは首を傾げる。


「でしたら、どなたが読むんですか?」

「言ったじゃん、落ち着いたらミルキットに読み書きを教えるって。思ったより早い段階にまとまったお金が手に入ったから、早いけど今のうちに準備しとこうと思って」

「あれ、本気だったんですね」

「その場しのぎのご機嫌取りだと思ってた?」

「私みたいな不出来な奴隷のために、そこまでしていただけるとは思ってもみなかったので」


 ミルキットの自虐にももう慣れた。

 フラムの使命は、その言葉の端をとらえて、重箱の隅をつつくようにお小言を言うことじゃない。

 彼女に自信を持たせて、そういう言葉を自然と使わなくすることだ。


「ご主人様は、私に独り立ちして欲しいのでしょうか」

「そこまでは考えてないよ、さすがに皮算用だし」

「ですが、もしご主人様に与えられた知識や経験のおかげで、1人で生きていく力を身に着けたとしたら――」


 その声はどこか不安げだった。

 彼女の気持ちを理解し、フラムは自嘲する。


「心配しなくても、まだ私だって1人じゃ生きていく自信は無いから」

「……そんなことを言ってましたね」

「信用できない?」

「信用というのがどんな物なのかわかりません。ですが私は、できるだけご主人様と長くいっしょに居られたら、と思っています」


 ミルキットのその言葉に、フラムは思わずにへらと笑う。


「へへ、それが信用ってやつなんじゃない? 信用してるから、その人と一緒に居たいって思えるんだと思うよ」

「これが、信用……」


 感情の在り処を探り、形を確かめるように、ミルキットは胸に手を当てた。

 フラムと話していると、時折胸がきゅっと締め付けられる。

 渦巻く、心地よく締め付けるようなその感覚の名前を”信用”と呼ぶのだと知っただけで、裏切りや、喪失に対する不安が消えたわけじゃない。

 けれど、少しだけ気持ちは軽くなった。


 フラムはその後も本を選び、ミルキットに教えるのにちょうど良さそうな子供向けの参考書を見繕うと、それを購入した。

 本というのは、そう安いものではない。

 店内の雰囲気は厳かで、客層も身なりの良い人間ばかりである。

 カウンターで値段を聞いた時、ミルキットは「えっ」と戸惑っていたが、フラムは彼女に抗議をさせまいと、素早く代金を支払うのだった。




 ◇◇◇




 その後、勉強に必要になる筆記用具や夕食を購入した2人は、両手に荷物を抱えることとなった。

 さすがにこうなると手は繋げない。

 幸い、西区に近づくと人通りは中央区ほどではなくなるし、はぐれる心配はなさそうだ。


「たくさんお金を使わせてしまいました……私なんかのために」


 帰路についたミルキットはどこか暗い。

 主以上に自分に対してお金を使わせてしまったことを、後ろめたく思っているようである。


「じゃあこう考えよう。ミルキットの幸せは私の幸せ、ってね」

「よくわかりません」

「私の力で誰かが幸せになってるって思うと、私も幸せになれるの。そういうこと」

「……やはり、よくわかりません」


 今までの人生で経験したことのない、”好意による他者からの施し”に、戸惑うことしかできない。

 以前の主人も、時にミルキットに優しくすることはあった。

 だが往々にして、それは”前フリ”なのである。

 喜ばせ、浮かれさせておいて、突き落とす。

 それは単純な暴力や罵倒よりもずっと辛い、虐げられるために買われた奴隷たちが、最も恐れる拷問であった。

 その結果として、自ら命を断つ奴隷も少なくはない。

 ナイフで首を突き刺したり、タオルで首を締めたり、狂乱しつつ壁に頭を打ち付けてみたり――主たちは、その様を見てゲラゲラと笑う。

 曰く、奴隷は無様な死の瞬間にこそ最も輝きを放つのだと。

 ミルキットは何度もそれを味わううちに、何をされても喜ばないように感情がセーブをかけるようになってしまった。

 自己防衛のための手段である。

 だが――おそらく、フラムは裏切らない。

 ミルキットはそれを理解しつつあるからこそ、戸惑っているのだ。

 突き落とすためではなく、ただ彼女を幸せにしたいと願うからこそ与えられる感情に、物品に、どう報いるべきなのかの情報が脳に一切インストールされていない。


「ま、少しずつ慣れてけばいいよ、そしたらわかるようになると思うから」

「私が慣れるまで、待っていただけるんですか?」

「そんなの当然じゃない」


 向けられる満面の笑みに、また胸が締め付けられた。

 けれど”待たせたくない”、そう焦ってしまう理由にこそ答えがあるのだと、まだミルキットは気づいていなかった。

 彼女がそれに気づくのは、もっと後になってからのことである。


「待てっ、待ってくれ、それは大事な物なんだぁっ!」


 中年男性の必死な声が聞こえる。

 かと思うと、フラムとミルキットの両脇を掠めるように、2人の男性が全力疾走していった。


「うわっと。なにごと?」


 男たちの後ろ姿には見覚えがある。

 ギルドの紹介所で飲んだくれていた、デイン一派の冒険者ではなかったか。


「ご主人様、彼らが持っているカバン――やけに高級品ではありませんか?」

「確かに、西区のゴロツキが持てる物じゃないよねえ。ちょっくら行ってくるかな。ミルキット、荷物見といて」

「はい、わかりましたっ」


 フラムはその場に両手に抱えていた荷物を置き、姿勢を低くすると、地面を蹴って男たちの追跡を開始した。

 走りながら、腰にぶら下げていた篭手を両腕に装着する。

 敏捷を上げる効果はないが、念のために筋力を上げておいて損は無いはずだ。

 男2人は、その速度からしてDランク冒険者と言った所だろう。

 その程度では、魂喰いで底上げされたフラムからは逃げられない。


「くそっ、こいつ例の奴隷女かっ!」


 男は後ろを振り向いて言った。

 直後、2人揃って逃げ切ることを諦めたのだろう、二手に別れて逃亡を始めた。

 ――片方は諦めるしかないかな。

 フラムはカバンを持っている方の男を追いかける。

 別れて数秒後には彼を追い抜き、前に回り込んで拳を構えた。

 相手は短剣を抜いて応戦――かと思いきや、「ファイアボール!」と魔法を放ってきた。

 フラムは体を傾け回避。

 そこに男は急接近、短剣による刺突を放つ。

 一連の動きは、フラムから見るとやけに緩慢に見えていた。

 エンチャントの効果に感心しつつ、男の手首を掴み止めると、握力を強める。

 ゴリッ、と鈍い感触がガントレット越しに伝わってきた。


「あぎゃぁああああっ!」


 男は叫ぶと、手から短剣を落とし崩れ落ちる。

 手首はあらぬ方向に曲がっていた。

 フラムが思っていた以上に、筋力増加の効果は大きいようだ。


「あっ、ああぁ、痛いぃっ……助けてくれぇ……!」

「同情の余地無し、ね」


 フラムはカバンを男から奪って、持ち主の元へと戻ろうとした。

 するともう1人の男が逃げた方からも、「ぐぇっ!」と動物が潰れたような声が聞こえてくる。


「……誰かが取り押さえてくれたの?」


 立ち止まり、声のした方をじっと見ていると、向こうから男の首根っこを掴み、ずるずると引きずる10歳ほどの小さな女の子が近づいてくる。

 ぼさっとした金色の髪に、白いローブ、そして背負った大きめのメイス。

 彼女の身長が小さく、少し体が丸みを帯びていることもあって、まるでおもちゃのような印象を覚える。

 しかし、先程の男の声は、あの鈍器で殴打された時に出たものだ。

 紛れもなく、威力は本物なのだろう。


「オリジン教の修道女……」


 王都であのような格好をしている女性は、それ以外に居ない。

 フラムと旅を共にしたマリアも似たようなコスチュームだったし、そういえば肉弾戦も意外とこなしていた記憶がある。

 オリジン教の修道女といえば、回復魔法で人々を癒す優しい女性のイメージだが、案外、魔物を滅するための戦闘術も教えているのかもしれない。


「んん? そっちはあなたが成敗してくれたんすね、ありがとうございますっす!」


 タレ目で、どこかぼーっとした、田舎っぽい顔つきをした少女は――変な口調で礼を告げると、勢い良く髪を振り乱しながら頭を下げ、同じぐらいの勢いで元の姿勢に戻る。

 そして「んっへへ」と歯を見せて無邪気に笑うのだった。





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