第7話数少ない友達

 今日のシオンは不機嫌だ。それは私が昨晩魔力を垂れ流してシオンのお気に入りのコートを炭にしかけたせいでもあり、突然訪れた来客のせいでもある。


「なぁリトル、なんでヘンリーはあんなに機嫌が悪いんだ?」


 そう私に尋ねてきたのはネオゴール、シオンの数少ない友人だ。大根の葉のような緑の髪の毛に褐色の肌をしている彼は魔法使いではなく、街で八百屋を営んでいる。それと同時に、魔法使いの下請けのようなこともしていて、うちからは定期的に薬を卸して売ってもらっている。私が小さい時から家に突然押し掛けてきては、シオンに冷たくあしらわれていた。多分シオンが好きだった人、ナシャの話を教えてくれた人でもある。

 シオンと向かい合うようにリビングのテーブルに着いているけれど、彼が来てから早二時間、まだ一度も二人の目線は合っていない。


「私が昨日の晩ちょーっと失敗しちゃったのと、どこかの誰かさんが何の連絡もなく朝五時にドアをノックしまくったからじゃない?」


「リトル…何をやらかしたんだよ?せっかく訪ねてきたのに俺まで冷たくあしらわれてさ、少し寂しいんだけど」


 不思議なことに後半部分はネオゴールの耳に届かなかったらしい。目と目の間から唐突に飛び出している高い鼻を指先で掻きながら、欠伸を噛み殺しつつ私を窘めてくる。

 私は少しの量の茶葉に適当にお湯を入れた、ほんのり色のついた液体を乱暴にネオゴールの前に置いた。色がついたお湯がビチャッと飛び散ったけど、シオンは未だにブスたれた顔をして、私達の存在なんてないみたいに読書に没頭している。


「なぁヘンリー、そろそろリトルのこと許してやったらどうだ?」


 ネオゴールはやれやれとでも言いたげに溜息を吐いてシオンに話しかけたけど、元凶の一つに対してマトモに返事をする筈がない。案の定シオンは、微動だにせず本と向き合っている。

 それを見たネオゴールはもう一度息を吐いて、私に視線を戻した。


「やれやれ、ヘンリーもガキだよな。リトルも落ち込まないでいいからな、今日は俺が遊んでやるからさ」


 心底気の毒そうに私を慰めようとしてくれているのは感じるけど、私だってやるべきことが山積みなんだから、小さな頃ならいざ知らず、今は残念ながらありがた迷惑だ。私が小さな時から家に入り浸っていたネオゴールにとって、私はまだまだ「リトル」らしい。


「私、やることあるから構ってくれなくていいよ」


「強がるなよ、お前は昔から気を遣いすぎなんだよなぁ…覚えてるか?初めて俺達が会った時のこと…」


「強がってないし、気を遣ってないし、覚えてない」


 バッサリと切り捨てて、読み掛けの教科書をいそいそと取り出した。基礎的な教科書で一応シオンから修了を許可されはしたけど、まだまだ頭に入りきったとは言えないから何度も読み返している。今読んでいるのは『名前の効力』という段だ。


 ーー名前は私達魔法使いにとって絶対的な契約である。魔力が芽生えた時点で、その人物の保護者と本人以外の記憶から、その人物の真名は滅却される。真名を伝えることこそが即ち契約である。古来より魔法使いの弟子となるとき、師匠と契約を結ぶことが習わしとしてある。真名を呼ぶことで魔法使いの魔力は増幅し、それと同時に真名は、その増幅した魔力が暴走しないよう拘束する役割を担う。真名を用いた命令には従わざるをえない。但し、真名による命令が同時に施行された場合、より古い契約に従うことになるーー。


「さっぱり意味が分からん」


「ネオゴール!」


 突然耳元で鳴った唸るような声に驚いて、教科書を落としてしまった。いつの間にかネオゴールが私の背後に回って、教科書のページを覗き込んでいた。薬草の独特な香りが鼻を刺激する。シオンがチラリとこちらを見て、またすぐ本に目を落とした。


「つまり、リトルの真名ってやつを知ったら、俺はリトルを思うがままに操れるってこと?」


「なんか言い方がムカつくけど、まぁそういうこと」


「ヘンリーのことも?」


「まぁそうだね…真名の契約って元々の魔力が少ない人がやるもんだから、師匠はそもそもやる必要がないけど」


 というか正直、シオンが誰かの言いなりになるところなんて想像出来ない。ナシャの話だって嫉妬はするけど、リアルに想像出来るかと言われれば全く出来ない。例え真名の契約を結んだって、力技でどうにかしてしまいそうだ。


「リトルはどうなの」


「私は…」


 私は、魔力の量云々の前に魔法が使えない。シオンとは違う意味で真名を伝える必要はないんだけど、コンプレックスだから思わず顔を顰めて黙り込んだ。

 ネオゴールは、不思議そうに首を傾げて私の首に腕を巻き付けた。


「もっと俺に構ってくれてもいいんじゃねえの」


「構ってほしいなら、突然来ないでよ。前もってアポ取って」


「冷たい!冷たいよ!」


 私の頭に顔をグリグリと押し付けて、寂しい!寂しい!とわめくネオゴールは本当にうるさい。


「昔は、ネオゴールお兄ちゃんのお嫁さんになる!って言ってくれてたのに!ネオゴールお兄ちゃんまだ独身だよ!いつでも大丈夫だよ!」


 そんな記憶は全くないけど、しょっちゅうこの話を持ち出されるのでいい加減やめて欲しい。五歳になる姪っ子がいるのに、いつまでも自分のことをネオゴールお兄ちゃんと言うのも鼻につく。


「構ってよ〜構ってよ〜」


 ぎゅうぎゅうと腕に力を込めてくるものだから、首が締まる。重たいものをよく運ぶ仕事柄もあって、力が異様に強いのだ。生命の危機を感じて、ネオゴールの腕をバシバシと叩く。


「ぐるじ…い…」


「お?苦しい?」


 何故か嬉しそうに顔を緩ませて増々力を入れてくるネオゴールは、確実に頭のネジが外れている。昔からどういう訳か、私が苦しんだり嫌がったりすると喜ぶのだ。特殊な性癖を私に発揮しないでいただきたい。


「し…ぬ…しぬ…」


「普段構ってくれないからさぁ、嬉しいよなぁ素直に反応して貰えるの」


 死にはしなくても、このままでは本当に泡をふいて失神してしまう。シオンにそんな醜い顔を見られたくはない。


「し…しょ……し……お…ん…助…け」


 バキャンッ!という音と、ネオゴールの「え?なんて?」という声は同時だった。突然十分に入り出した酸素に思い切りむせる。

 ゴホゴホと出ていた咳と吐き気がようやく落ち着いて顔を上げると、ネオゴールはロープでグルグル巻きにされていて、ムスッとした顔のシオンがロープの先をクルクルと指先で弄っていた。

 ムスッとした顔のまま、静かに口を開く。


「あんまり俺の弟子で遊ばれると困るんだけど」


「遊んでないって、コミュニケーションをだな」


「うるさい、お前の変な性癖をうちの弟子にぶつけるな。取るなら穏やかなコミュニケーションを心掛けろ」


 シオンはピシャリとそう言うと、どこからか冷たい水を取り出して私に差し出した。ありがたく受け取って、コクリと一口飲む。


「それと、これ重要なんだけど」


 玄関からネオゴールを追い出しながら、シオンがポツリと漏らした。


「リトルは、ネオゴールお兄ちゃんじゃなくて、シオンお兄ちゃんと結婚するって言ってたんだからね。そこ記憶の捏造しないように」


 ネオゴールは、「あ、あ〜それ気にするんだな、それって」とかなんとか喋っている途中で強制退去させられた。今頃は芋虫状態で八百屋の前に転がっているんだろう。

 私はというと、シオンの言葉に動揺した心と赤くなってしまった顔を隠すために、トイレに飛び込んだのだった。

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まだ名前を知らない 久音 @KUON18

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