第107話 肩書



「名刺に動物ヘルパーって加えたい?」

「ああ、ダメか?」

「ううん、別にいいけど……動物ヘルパーって何?」

「あぁ……実はな……」


 俺は楓に「自分の名刺の肩書に、動物ヘルパーというのを加えたい」という相談をしていた。


 実は世界一になってから「有能な保護動物が欲しい」という問い合わせと一緒に俺のしつけ教室に「フリスビードッグのトレーニングをして欲しい」とか「IPOのトレーニングをして欲しい」という問い合わせが増えた。こちらはある意味正当なもので、俺の仕事の幅が広がったとも言える。だが今回のことは俺とクラウディアだったからこそ出来たことで、こちらも丁寧にお断りした。もちろんクラウディア以外の子に同じようなトレーニングをすることは難しいと言うのも理由の一つだが、最大の理由は「俺は競技トレーニングをしたいのではなく、困っている人や動物を助けたいから」だった。

 そして、そういう意味では俺がやりたいのは「動物トレーナー」ではなく「動物ヘルパー」なのかも知れないと……そう思い始めたのだ。


「ふぅーん……別に良いけど……」

 楓は微妙に納得していないようだった。

「ん? 何が疑問なんだ?」

「それってさ、動物トレーナーは辞めちゃうってこと?」

「いや、そうじゃない。あくまでも動物トレーナーって言う肩書きも、仕事の内容もこれまで通りだ。ただ動物ヘルパーっていう肩書を加えたいというか……どう言えば良いんだ……?」

「いや、私に聞かれても分からないよ……」

「だよな……」

「蒼汰は自分のやりたいことが見え始めたんですよ」

 ふとアリシアが口を挟んだ。

「あ、そういう事ね!」

 楓は両手をポンと打つと人差し指を立てた。

「どういう事だ?」

 アリシアのその一言に楓は納得し、俺はアリシアに聞き返した。

「蒼汰……あなた自分の事なのに分からないのですか?」

「え……? いや、単にうまく言葉にできないだけだ」

「いえ、そういうのを分からないと言うのですよ」

「……じゃ分からない」

いさぎよいね……」

いさぎよいですね……嫌いじゃないですけど……」

「うん……あ、でさ。そう言うの、私にもあったよ」

「ん? どういう意味だ?」

 俺は楓を見た。

「この仕事ってさ、空の『獣医師』みたいにハッキリ肩書を決められないんだよ」

「ハッキリ、決められない?」

「うん。これ見て」

 楓はポケットから名刺を取り出し、俺に一枚手渡した。


 ──


 一般社団法人ベラ・レンコント 代表

 株式会社レンコント 代表取締役社長

 ペットサロン「サロノ・デ・レンコント」 チーフトリマー


 片桐 楓


 ──


 楓の名刺だ……初めて見た。

「肩書……多いな」

「うん。実はその肩書ね、何回か変えてるんだよ……」

「そうなのか?」

 俺は楓を見た。

「うん。上の二つは外せないんだけど、最初はそこに動物病院の肩書もあったの」

「動物病院の?」

「そう。動物病院『ホスピタロ・デ・レンコント』理事ってね」

「理事になるのか……」

「うん。空がお金を出して作った病院なんだけど、空がどうしてもって言うから最初はそう書いてた。それに最初は病院に必要ないろんな設備を買ったりする時、どうしてもそういう肩書が必要でさ、取り敢えず書いてたの。サインをしたり判子を押したりするのに必要だったから。ほら、私、一応社長でもあるから」

「なるほど……で、どうして外したんだ?」

「一通り買い揃えて必要がなくなったっていうのもあるけど……実際には私が『違う』と思ったから……かなぁ……」

「違う……?」

「うん。前にさ、私がサロンをやってる理由、話したじゃない?」

「ああ、動物を綺麗にすると飼い主さんが喜んでそれを見た動物も喜ぶ、連鎖するってやつか?」

「うん、それ。でもね、初めからそう思っていたわけじゃないんだよ」

「違うのか?」

「うん。最初は何をしたら良いのか、自分が何をしたいのかなんて分からなかった……。ただ、動物に関わる仕事がしたい、小鉄に何かを返したいって……ただ、そう思ってた」

「…………」

「そう思ってそういう仕事の勉強ができる専門学校に入る時、トリマーって仕事があってこれも良いなって、ただそれだけでトリマーになった……。最初は本当に大変だったよ……。『場所がいけないのかな』とか『自分のやり方がいけないのかな』とか……色々悩んだ……。あ、この話じゃなかった!」

 楓は宙を見て何かを思い出しながらそう言うと、ふと思い出して俺を見た。

「いや、その話も聞いてみたいところだが……」

「そう……? まぁいいや、その話はまた今度。それでね、そのうち自分は動物を助けたいんだと思って、空に声をかけた。それで空がここに来てくれることになった……と、これまた色々と裏話があるんだけどね……。その時名刺に今の肩書と動物病院の肩書があったの。でもさぁ……社長とか理事とか……私の柄じゃないんだよねぇ……。経営者になりたかったわけじゃないし、結果的にそうなっちゃっただけだから」

 楓は俺を見て苦笑いした。

「いや、似合ってるとは思うぞ?」

「そうかな……? ありがと」

 楓は綺麗に笑った。

「でね。私は動物病院は空の病院で、私はただの管理役だと思っててさ。肩書から外したいって空に相談したらまた一悶着ひともんちゃくあった訳だけど……。結局外すことにした」

「……違う、からなのか?」

「それもそう。でもね、私は経営者や管理者になりたいんじゃない。蒼汰が言う『動物ヘルパー』になりたかったの。……って言っても今、その肩書を聞いてそう思っただけだけどね……」

 楓はペロッと舌を出した。

「そうなのか?」

「うん。ずーっと自分のしていること、したいことは動物保護団体なんだと思ってたし、それを疑ってもみなかった。でも、今その話を聞いて『あ、そうかも』って思っちゃった」

「そっか……じゃ、俺の肩書に加えてもいいか?」

「もちろん! それ、私も使いたい!」

「ああ、一緒に使おう」

「うん! あ、空も使いたいかな……? 聞いてくる!」

 楓はそう言うと二階へ走って行った。

 何故か楓は新しいおもちゃを手に入れた子供のように目を輝かせていた。


 そうして出来上がった俺の新しい名刺には……。


 ──


 一般社団法人ベラ・レンコント

 株式会社レンコント

 しつけ教室「レネイオ・デ・レンコント」 チーフトレーナー

 ディスクドッグ ワールドレコードホルダー

 動物ヘルパー


 片桐 蒼汰


 ──


 と書かれていた。楓よりも肩書が多い……ってか、「ワールドレコードホルダー」は余計じゃないか?



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