第60話 幸福と不安
「途中だし、一度レンコントに寄っていい?」
車を運転していた楓がバックミラーを見ながら言った。
「仕事か? すまないな」
助手席に座っていた俺が答える。
「ううん、ぜ~んぜん。何か連絡がないかだけ確認させて」
「おう。二人はレンコントに用事はないか?」
俺は振り返って後部座席の二人を見た。
「あ、俺、フード買いたいかも」
「おー、ありがとうございます!」
田辺が言うと、楓が答えた。
「家まで乗せていってくれるんなら、大量に買うか……」
「良いよ。買っちゃう?」
「はい。じゃ、お願いします」
「じゃ、私もおやつ買おうかな……」
「おー、ありがとうございます! あれ、二人共時間ある?」
「はい」
「大丈夫です」
「良かったら、とし子さんの健康診断とカットしちゃわない?」
「ああ……そうですね。お願いして良いんですか? あ、でも今日はお金が……」
「お金は今度来たときでいいよ。確か今日は予約が少なかったはず……。ベッド空いてたらやろっか?」
「はい」
車は二十分ほど走ると、レンコントの地下駐車場に入った。
田辺は車を降りるとバックドアを開け、とし子さんのケージを持った。
「ありがとう、田辺くん」
「いや、気にすんな」
自分が持とうと思っていた藤崎が田辺に言うと、田辺は軽くそう答えた。
俺達は中に入った。
「ただいまーって、また出るけど……」
「あ、おかえりなさい」
サロンのスタッフが返事をした。
「何か連絡ない?」
「ありませんよ」
「こっちのベッド、使っていい?」
「はい。あと二時間は使わない予定です」
「おっけー。じゃ、田辺くん、とし子さん載せて」
「はい」
田辺はとし子さんのケージを開け、とし子さんを抱きかかえると、ベッドに乗せた。
「おかえり、とし子さん」
楓は嬉しそうだった。
楓は三十分もかからずに、とし子さんのカットとシャンプーを終えた。
そのままとし子さんを田辺が抱え、階段を上がって二階の動物病院に入る。
楓は少しメールチェックすると言い、一階に残った。
「こんにちはー」
「おお、蒼汰くん。今日は休みじゃなかった?」
待合室に入ると、診察室の中から空さんが出てきた。
「ええ。学校で全国会議をやって、そのまま寄りました。とし子さんの健康診断、お願いできますか?」
「全国会議? ああ、じゃそこで少し待って。順番になったら呼ぶから」
「はい、急ぎませんから」
「わかった」
空さんは診察室へ戻り、俺達は待合室の椅子に座った。
田辺がとし子さんを床に下ろすと、とし子さんは藤崎の膝に乗った。
「お、重いよ……」
「って言いつつ受け入れるんだな」
「うん……ダメかな?」
「いや、とし子さんはもうしつけなくてもいいと思う。元々しつけられてたみたいだし」
もう何かを強要するような歳じゃない。
「……うん」
「いっぱいかわいがって、甘やかしてやってくれ」
「うん!」
「蒼汰くん、待ってるだけなら手伝って」
診察室のドアを開けて空さんが顔を出した。
「あ、はい」
俺は診察室へ入り、空さんの手伝いをした。
二匹の診察を終え、とし子さんの順番が来た。
「藤崎とし子さん、どうぞー」
「はい」
空さんが診察室へ呼び入れると、藤崎は膝の上のとし子さんを抱え上げ、診察室へ入った。
「宜しくお願いします」
「はーい、載せてー。おお、久しぶりー」
空さんを見たとし子さんはブンブンとしっぽを振る。空さんも嬉しそうだ。
「どれどれー……。うん、ちゃんと歯磨きもしてるんだね。歯垢はないし、目やにも大丈夫、耳は……うん、大丈夫……」
空さんは手早くチェックをする。外見をチェックし終えると、触診し、聴診器を当てる。
「うーん、やっぱり肺からちょっと音がするね……」
「…………」
藤崎は心配そうに見ていた。
「ああ、この子の持病だから心配要らないよ。いつもの事だから」
「あ、はい」
「ん? でも少し変な音がするな……レントゲン撮るか……蒼汰くん、レントゲンの準備」
「はい」
俺はレントゲン室に入って防御版を並べた。
「いい? いくよー?」
「はい、どうぞー!」
「いよっ……」
空さんがとし子さんを持ち上げてレントゲン室に入ると、とし子さんをベッドの上に載せた。
「はい」
俺がエプロンを渡す。
「ありがと」
空さんが鉛の入ったエプロンを身につける。
俺はそのまま部屋を出て、扉を閉める。
『三枚取るよー。少しの間だからじっとしててねー』
空さんの声がスピーカーから聞こえる。
「はい」
空さんはとし子さんを横に倒し、上から重りを載せると軽く押さえつけた。
『はい!』
「撮ります!」
俺がボタンを押す。
ビーッ。と短くブザーが鳴り、X線が照射される。
「撮りました!」
その声を聞き、空さんはとし子さんの体制を変える。今度は腹を上に向けて下からだ。
『はい!』
「撮ります!」
ビーッ。
「撮りました!」
空さんはとし子さんの体を少し斜めにして、喉のあたりを中心にした。
『はい!』
「撮ります!」
ビーッ。
「撮りました!」
『よし、終わり』
「はい」
俺がレントゲン室の扉を開け空さんからエプロンを受け取ると、空さんはとし子さんを抱き上げて診察室に戻る。俺がエプロンと防御板を元の場所に戻すと、空さんは診察室で画像を見る。
「んー……そっか……」
空さんは困った顔をした。
「小さな腫瘍ができ始めている」
空さんは診察室のモニターにさっき撮影したレントゲンの画像を映し出し、それを指差しながら藤崎に説明した。
「腫瘍……がんですか?」
「うん、多分ね……このまま大きくなると思う。でも、十三歳だと、手術に耐えられないと思うし……嫌な言い方だけど、このまま天寿を全うさせたほうが良いと思う。抗癌剤を使っても良いんだけど……体に負担が大きすぎてね……どっちがいいのか悩むんだよ」
「そ、そうですか……」
「取り敢えず、とし子さんの力に期待して経過を観察しよう。一ヶ月後にもう一回見せて。今日はいつもの点滴だけやろうね」
「はい……」
その後、点滴を終えて一階の楓のところに戻り、楓にとし子さんの健康診断の話をし、藤崎はとし子さんのフードを購入すると、俺達は再び楓の車に乗り込んだ。
田辺はやっぱり急なバイトが入ったからと言い、結局フードは小さいものを一袋だけ買うと、そのままとし子さんのケージを車に載せ、車に乗らずに駅に向かった。
俺は楓に相談し、助手席ではなく後部座席、藤崎の隣りに座った。
車は地下駐車場を出て、街の中を走り始めた。
「怖いか?」
「……うん」
「でもな、その怖さはとし子さんには分かるんだ」
「え……?」
「動物はしゃべれないけど、人の感情が分かるんだ」
「分かる?」
「ああ、動物は敏感だ。特に飼い主の感情にはな」
「私が落ち込むと、心配するの?」
「ああ、する。泣けば心配して舐めに来るし、笑うと一緒に吠えたりする。経験ないか?」
「あ……あるかも」
「だろ? そんな風に、動物は人の……特に飼い主の感情には敏感だ」
「じゃ……明るく振る舞った方が良いの?」
「無理に明るく振る舞わなくても良い。それだと動物が混乱するかも知れん。ただ……まだわからない不安をつのらせて、動物に心配させない方が良い。特にとし子さんは人の感情に敏感だと思う」
「……虐待されてたの?」
「いや、それはわからん。ただ、そう感じるだけだ」
「そう……」
「ああ、無理はするな。でも、とし子さんを思うなら、笑って接してやってほしい。出来る限りでいい。いつも通りに接してやってくれ」
「うん」
車は一時間ほど走ると、藤崎のマンションの駐車場に止まった。
「ここでいいよ。ありがとう」
藤崎は俺からケージを受け取った。
「うん。また来てね、待ってるから」
楓は藤崎を見た。
「はい。必ず」
「お疲れ様。また明日な」
「うん……ってお疲れ様? あぁ……今日、全国会議をやったこと、すっかり忘れてた……」
「藤崎にとっては、とし子さんのほうが大事って事だな」
俺は笑った。
「うん。そうみたい……櫻井くん。ありがとう」
藤崎は笑った。
「ん、なにがだ?」
「気にしないようにする」
「あ、ああ。そうしてくれ」
「うん。じゃ、また明日」
俺達は駐車場で藤崎と別れると、車に乗り込み、来た道を戻る様に車を走らせた。
「……今日は泣かないのな」
レンコントに戻る車の中で、俺は楓を見ていた。
「ん? あぁ……うん。何ていうのかな……うちの子が引き取られちゃうとね、なんだかブレーキが掛かるんだよ」
「……ブレーキ?」
「うん、感情のブレーキって言うのかな……。なんかこう……うちの子じゃないのに、私が泣くのはおかしい……みたいに思っちゃうんだと思う」
「……そっか」
「うん。それに、まだ死ぬと決まったわけじゃない。蒼汰のさっきの話はそのとおりだと思う。動物たちは、自分が死ぬってわかってるのかもしれないけど、少なからず、私たちは知らないふりをしてあげたほうが良いのかもって……思う」
「どうなんだろうな……。ああ言ってみたものの、俺自身、死ぬのはわからなかったしな……」
「ああ、そうだったね」
「ああ」
「でも……小鉄の死に方は、幸せだったんじゃない?」
「幸せ?」
「うん、全く苦しまずに、いつの間にか死んじゃったんでしょ?」
「ああ……そうだな」
「そんな幸せな死に方、なかなかできないと思うよ」
「ああ……そうかもな」
そこにも運パラメーターの影響があったのだろうか?
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