第37話 待ち伏せ
次の日。
俺はいつもよりも早く家を出て駅へ向かい、電車に乗ると、学校の駅の一つ前の駅で降り、階段を降りると反対側のホームへ上がった。
スマホを見る。
『7:35』
十一分前。待ち伏せるには丁度いい。
「楓はここを歩いてるんですか?」
「ああ、あっちからこう、こっちへ歩いて行く」
俺は楓の通り道を指差した。
「じゃ、あっちを見てればいいですかね?」
「だな」
俺達はそのままホームを歩く人の邪魔にならなそうな場所で、楓を待った。
だが十分経っても、二十分経っても、楓は現れなかった。
「もう、来ないんじゃないですか?」
「そうだな……」
俺達は家に戻った。
次の日。土曜日。
俺達は再びホームで楓を待っていた。今日も楓は現れなかった。
その後毎日、俺達はホームで楓を待った。俺は通学用の定期券を持っているので、ここに来るまでの交通費は全くかからない。後顧の憂いは全く無い。なにしろすることも、したい事も無いのだから。
そして四日目の火曜日。
「なんか、忠犬ハチ公ならぬ、
アリシアは宙に浮かび、上から楓を探しながらそう言った。
「無駄口叩かずに、楓を探せ」
俺はアリシアを見た。まぁ、美味いことを言ったとは思う。それは認めよう。
「はーい」
アリシアがそう言い、俺がホームに目線を戻した時。
「居た!」
二十メートルくらい先から、楓がこちらに歩いてくるのが見えた。
「楓! おい、楓!」
俺は楓に駆け寄った。
「え……?」
楓はこちらを見て、立ち止まった。
「あ、本当だ……楓じゃないですか!」
アリシアは驚いていた。
「久しぶりだな、楓」
俺は笑った。嬉しかった。嬉しくて、今にも涙が溢れそうだった。
「え!? あれ……? あ、あの……ど、どちら様ですか?」
楓は少し慌てた様子でそう言った。
「え……?」
「(なぁ、俺が小鉄だって言っても大丈夫か?)」
俺はアリシアを見ずにそう念じた。
「うーん……限りなくグレーゾーンな気がします」
「(そっか)」
ならいい。この際かまわない。
「あの……どこかでお会いしましたか? あ、もしかして、うちから引き取っていただいた方でしょうか? すみません思い出せなくて……忘れていたらごめんなさい」
楓は申し訳なさそうにそう言った。
「引き取っていただいた?」
なんの事だ?
「え、違うんですか?」
楓は戸惑っていた。
「楓。俺は小鉄だ」
「……小鉄?」
楓はそう言って固まった。
「ああ。俺はお前が育ててくれた猫。小鉄だ」
俺は楓の目を見てそう言った。
「あの……仰っている意味がよくわからないのですが……」
楓は困っていた。
あれ……? なんか想像していたのと違うぞ……? もっとこう……楓が感動して「小鉄!」と言って俺を抱きしめるみたいな……。
「蒼汰……もしかして、会ってからどう説明するか、考えていなかったんですか?」
アリシアは俺を見た。
「え……? あ、ああ……」
俺はアリシアを見た。
「それだと、ただの変人ですよ?」
「え……? …………あ」
俺は気づくと楓を見た。
俺は推定年齢二十五歳の、俺の事情など全く知らない初対面の女性に「私はあなたが昔飼っていた猫です」と意味不明なことを言う不思議ちゃん。十六歳の男子高校生だった。
「あの、急ぎますので失礼します……」
楓はそう言うと歩き出した。
「え、あ! 楓、待ってくれ!」
俺は楓を追いかけた。
「あ、蒼汰! ダメ!」
アリシアが俺を止めた。
「え? あ、楓が……」
俺は振り返ってアリシアを見ると、再び前を見た。楓はそのまま急ぎ足で階段を降りていく。俺は歩き出した。
「蒼汰、今は追いかけちゃダメです!」
「どうして!? あ、楓!」
「それだと楓の恐怖心を煽るだけです!」
「え……」
俺は立ち止まった。立ち尽くし、見えなくなっていく楓を目で追っていた。
「少し冷静になりましょう?」
「……そうだな」
そのまま楓は見えなくなった。
「あのままどこへ行くのか追いかければよかった……」
俺は自分の部屋で、ベッドに寝っ転がりながら、天上を見上げていた。
俺達はあの後、駅から出て駅前のハンバーガーショップに入り、窓の外を眺めていた。「上手くすればもう一度会えるんじゃないか?」とそう思っていた。だが、楓が姿を見せることはなく、俺達はそのまま帰宅した。
「本気でそう思っているんですか?」
「ああ」
「今、自分が置かれている状況を理解してます?」
「……変人?」
「あ、理解はしているんですね……」
「失敗したなぁ……もう会えないかもしれん……」
「でもまぁ、追いかけなかっただけ、チャンスは有るかも知れませんよ?」
「そうかぁ?」
「はい。あの時追いかけていたら、楓は間違いなく時間とルートを変えます。そしたらもう、本当に会えないかもしれません」
「……だよな……。でも、これからどうすれば……なぁ」
俺はアリシアを見た。
「ダメです!」
「まだ何も言ってないだろ」
「いえ、どうせまた私の力を使って伝えて欲しいーとか何とか言い出すんじゃないんですか?」
「ダメなのか?」
「ダ・メ・です!」
「ふぅ……」
俺は完全に警戒されてしまっただろう……。楓は見知らぬ男子高校生に突然自分の名前を呼ばれ、事もあろうか「自分はあなたが飼っていた猫です」などと真顔で言われたのだ……。それこそ変人で、不思議ちゃん。楓はきっと、どうやって自分の名前を知ったのだろうと不思議に思い、怖がっているに違いない……。俺は楓に恐怖心を与えてしまったのだ……。
「あぁ……どうすれば!」
俺は頭を抱え、足をばたつかせた。
全く、何も思いつかなかった。
「……なぁ、明日もあそこで待つのって、逆効果だと思うか?」
「はい。明日、楓が時間とルートを変更せず、いつもどおりに通ってくれたとして……まぁ、その可能性はかなり低い気がしますが……。それでも通ってくれて、会えたとして……何か決定打になる伝え方でもあるって言うんですか?」
「いや……それが無いから困ってる……」
「仮に会えたとして、同じことをしたら、次からは完全に会えなくなりますよ? それこそ運命の輪が千切れてしまうかもしれません」
「……その、運命の輪ってのは、千切れたり変わったりするものなのか?」
「うーん……私も正確にはわからないんですけど、ルシア様も仰っていたように、一生っていうのはどんどん行動や選択で変化するものなんです。なので、運命だからと言っても、必ずその通りになるかと言えば、それは違うと思います。あ、もちろん、強い運命の流れであれば、それに逆らうことは出来ないかもしれませんが、辛うじてつながっていた場合は、そうじゃないかも知れません」
「なるほどな……」
とても納得できる……。だが対策がなく、そのうえチャンスは後一度、本当に一回限りだろう……。
「自己紹介……してみますか?」
「自己紹介?」
「はい。あなたは楓を知っている。まぁ、その理由が『小鉄だった』なので、それを信用してはもらえないんでしょうけど。あなたが楓を知っているということは伝わっていますよね?」
「ああ、多分な」
「だとしたら、あなたは自分を紹介する必要があるんじゃないですか?」
「どうやって? 名刺とかは持ってないぞ?」
「いえ、あなたは学生なんですから、身分証明できるものを持ってるじゃないですか」
「あ、学生証?」
「はい。それ、身分証明になるんですよね?」
「ああ……。でも、変じゃないか?」
「いやいや、蒼汰……あなたは今日、それ以上に変なことをやってのけたのですよ?」
「うーん……」
褒められている気がしない。いや、褒められてないんだろうけど。
「それに、楓は多分……今、二十六歳……ですかね。立派なビジネスパーソンです。だとすれば、あなたの言動にも問題があります」
「……言動?」
「はい。小鉄として楓に接してはいけません。それは楓があなたを小鉄と認めた場合にのみ許される行為で、今のあなたにはそれが許されていません。だとすれば、きちんとした態度で、きちんとした身なりで、自分を紹介して私は怪しくありませんよ、話を聞いてくださいと伝えるべきなのでは?」
全くもって仰る通りだ……。
「アリシア、ちょっとこっち来い」
俺はベッドに横たわったまま、空中に浮いているアリシアを呼んだ。
「ん? 何ですか?」
アリシアはふわふわと俺の前に降りてきた。俺はアリシアの手を握り、そのまま抱き寄せた。
「え!? ちょ、ちょっと! 何を!?」
アリシアは驚いていたが、抵抗していなかった。俺はそのままアリシアをギュッと抱きしめた。
「お前の言うとおりだと思う。ありがとう、アリシア」
俺は抱きしめたアリシアの耳元で、囁やく様に、感謝の気持ちを込めて、そう言った。
「そ、蒼汰……?」
「ん?」
「なんか、人間になったら、急に私を抱きしめる回数が増えていませんか?」
「あぁ……前はできなかったからな」
「いえ、前はそういう素振りさえも見せなかったのに……。もしかして……私の天使っぷりに惚れましたか?」
アリシアはそう言うと、俺の首に手を回したままで少し離れ、俺を見た。
「そうかもな……」
俺はアリシアの目を見てそう言った。ごまかしたとかではなく、素直な気持ちで口から出た。
「…………っ」
アリシアは急に顔を赤らめ、そのまま俺にそっと抱きついた。
「ま、まぁ、良いでしょう……。あなたの感謝の気持ちに嘘はないようですから……」
「ああ」
方針は決まった。一発勝負だ。
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