第36話 邂逅



 二週間後。

 一週間に及ぶ、期末試験が始まった。

 

 俺はいつもの様に家を出ると自転車で駅へ向かい、いつもの満員電車に乗って、学校へ向かった。

 俺は「電車通学」に夢を抱いて今の学校に決めた。だが現実は全く違っていた。ラッシュアワーの満員電車に、鞄を両手で抱えながら、ギュウッと体を押し込み、何とか乗り込む。そのまま電車に揺られて、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと人の波に翻弄され、ただ何とか倒れないように踏ん張って維持するだけの毎日だった。


「なんか……想像してたのと……違うな……」

 俺は人の波に押されながら、そんな事をつぶやいた。

「じゃ、どんなのを想像してたんですか?」

 網棚に横たわりながら、アリシアが言った。

「(うーん、なんかこう……)」


 ※以下、蒼汰の妄想


 毎日同じ電車で見る、可愛いあの子。その子はいつも同じ駅から俺と同じ車両に乗って来る。いつも近くにいるわけではなかったが、時々俺の近くの吊革につかまっていた。俺はいつの間にかその子から目が離せなくなっていた。暫くその子は俺に気づきもしなかった。だが、ある日。俺と目が合い、その子は時々俺を見るようになった。数日が過ぎ、徐々に目が合う回数が増え、そのうち、会うと会釈をしてくれるようになった。

 

 そんなある日。偶然その子が俺の隣と言うか、前に立った。

 その子はいつもの駅で電車に乗ってくると、開いている場所を求めて人の隙間を縫い

「……おはよう」

 上目遣いで俺に挨拶をし、俺の前の空いている場所、俺の斜め前に立った。

「お、おう」

 俺も挨拶を返した。

 人混みに押され、俺は抵抗できずに体の一部がその子に触れる。

「あっ……」

 その子は声を漏らした。

「ごめん、大丈夫?」

「……うん。平気」

 その子は恥ずかしそうに答えた。

 なんかいい匂いがする……女の子の匂いって、こんな


「ストーップ!」

 アリシアが言った。


 ※以上、蒼汰の妄想


「(なんだよ? ここからが良いところじゃないか!)」

 俺はアリシアを見た。

「何ですか……? その虫唾むしずが走る様なエロストーリーは?」

 アリシアは怪訝そうに俺を見た。

「(エロストーリー!? いや、甘酸っぱい青春物語だろうが!)」

「いやいや、それはただの蒼汰の妄想。若い男の妄想ですよ……。ただのエロでしかありません。それに、そんな事、現実で起こる訳ないじゃないですか! どんだけエロ小説読んだんですか?」

「(エロ小説なんか読んどらんわ! まぁ、それが現実では起こり得ないってのは確かだけどな……)」

 今現在、そんな事が起こりそうな可能性はこれっぽっちもない。だって同じ車両には、同世代の女子どころか、女性が一人も乗っていないのだから……。

 そう、今のラッシュアワーには女性専用車両というものがあり、ラッシュ時には女性は一人も他の車両には乗り込まない。なので、俺の妄想は叶うわけがない。それにこんなに混んでたら、恋だの何だの言っていられな

「おぉぉぉぉっ!」

 電車が大きくカーブし、人並みが片方によると、俺はそのまま押し流された。

「大丈夫ですかー?」

「(お、おう……もう慣れた……)」

「通学ってのも、楽じゃないですね……。学校は楽しそうですけど……」

「(アリシアは、学校に行った経験はないんだよな?)」

「ええ、前にも言いましたけど、私の前世は犬なので」

「(そっか……)おぉぉぉっ」

 電車が途中の駅に停車し、人の流れに押されて一旦ホームへ出た。

 次にこちら側が開くのが俺が降りる駅なので、今度は最後に押し込みながら電車に乗る。これがまた結構大変……。

 おぉぉぉぉぉりゃっ! と押し込み、そのままギリギリの位置で扉が閉まると、俺はドアの窓から外を見た。そのまま電車が走り出す。ドア際は中央よりは楽だ。壁につかまっていられるので、中央ほど人が流れず、体力を消耗しない。


 電車は次の駅に滑り込むと、停車した。次が俺の降りる駅。

 プシューと圧縮空気が抜ける音がして、反対側の扉が開くと、俺に対する圧力が一時的に低下する。だがすぐにそれ以上の圧力で押され、俺はドアの窓にへばりついた。

「ぐおっ……」

 そのまま窓の外、反対側のホームを見ていた。

 この辺りの電車は上りも下りもどちらの電車も混んでいる。反対側のホームにも沢山の人が歩いていた。


「え……?」

 俺はその中の一人の女性に、目が釘付けになった。

 長い髪を後ろで一つに結き、俺と同じか、少し高いくらいの背丈で細身。その背格好に見覚えがあるのではない。歩く姿と、顔に……見覚えがあった……。


「楓!」


「え……?」

 アリシアは俺を見た。

「楓! おい、楓!」

 俺はドアに押し付けられながら、そう叫び、窓をドンドンと叩いた。女性は気付かずそのままホームを歩いて行く。

「楓!」

 ゴーッ! と音を立てて反対側のホームに電車が入線すると、女性の姿は見えなくなった。

 あ、あれは……。あれは間違いなく、楓だ……。大人になってはいたが、あの歩き方、あのリズム、あの顔……俺が見間違えるはずがない。

「蒼汰? 楓がどうかしたんですか?」

「ぐぅぅぅぅぅ(降りたら話す……)」

 俺はさらに扉に押し付けられ、話すことができなくなった。

「あ、はい……ってか、大丈夫ですか?」

 アリシアは俺を見て、心配そうにしていた。

 ここ最近の通学の中で一番強力に押し付けられ、本当に潰れるかと思った……。そのうち、この電車はパンと音を立てて弾け飛ぶんじゃないだろうか……? そう思えるほどの混み具合だった。


「楓が居た」

 俺は次の駅で降りると、歩きながらアリシアに言った。

「は……?」

「一個前の駅で、向こうのホームを歩いてた」

「……まさか」

「いや、間違いない……」

 俺はそう言うと、ホームの反対側に停まっていた、逆行きの、戻る電車に飛び乗った。


「流石に、もう居ないか……」

 俺は一つ前の駅のホームで楓の姿を探していた。

「本当に楓だったんですか?」

「ああ、俺が見間違えるはずがない」

 俺はあたりを見渡した。

「蒼汰……早く行かないと、試験に遅れますよ?」

「くっ……仕方ない」

 俺はそのまま階段を降り、反対方面行きの電車のホームへ上がると、電車に乗って学校へ向かった。



「す、すみませーん。電車が遅れて……」

 俺は一時間目の試験時間に十分遅れて到着し、教室の後ろのドアをゆっくりと開け、中に入るとそう言った。

「おう、櫻井。早く座れ」

 試験官の先生はそう言って出席簿に印をつけた。

「はい……」

 俺はそそくさと自分の席へ行くと、鞄から筆記用具を取り出し、机の上においた。

「ほれ。時間がないから急げ」

 先生は俺の机の上に問題用紙と解答用紙を置いた。

「はい……」

 俺は急いで問題を解き始めた。


 キーンコーンカーンコーン。

「はい、そこまで! 後ろから答案用紙をまわせ」


 むむむ……。結局俺は、時間が足りずに答案用紙の八割程度しか埋めることができなかった。まぁ、赤点にはならんだろう……。



 次の日。


「あ、また居た!」

「え? どこですか?」

「あれあれ! 今、目の前を右へ歩いていった!」

「え、え?」

 ゴーッ! 隣の電車が入線し、楓の姿は見えなくなった。


 次の日。


「あれ……居ないな」

「やっぱり見間違えなのでは?」

「うーん……」


 そして次の日も、その次の日も、楓は姿を見せなかった。

 俺はアリシアから「やっぱり見間違えですよ。そんな簡単に前世と繋がってたまるもんですか」などと言われていた。……いや、確かに楓だったんだ。


 期末試験が全て終わり、初日の分から答案用紙が返され始めると、俺は一教科だけ、初日の遅刻した教科だけ赤点を食らい、一日だけ補修を受けることになっていた。

 まぁ、一日だけ休みが減る。ただ、それだけの事だ……。


 次の日。


 俺はいつものように家を出て、学校へ補修を受けに行った。

 まだ七月の初旬。学生だけが夏休みで、一般的には普通の日だ。だから、電車の混み具合に影響は無く、俺はいつものように扉に押し付けられていた。


「あ、居た! やっぱり楓だ!」

 俺は手に持っていたスマホを見た。

『7:46』

 時間を確認する為にずっと手に持っていた。よし、時間は覚えた。

 俺は再び外を見た。間違いない……間違いようがない……。

 ゴーッ! 再び電車に遮られ、楓は見えなくなった。


 俺は一日の「補修の刑」を終え、再試験を無事クリアーすると、家に帰っていた。


「仮に、本当に楓だったとして、どうするつもりなんですか?」

「決まってるだろ」

「ですよねぇ……大事な試験をすっぽかしてまで追いかけたんですもんね」

 アリシアは呆れ顔だった。

「ああ。嫌なのか?」

「そんな事ある訳ないじゃないですか!」

 アリシアは少し怒った口調でそう言った。

「蒼汰、時々ワザと私を怒らせますよね? それ、良くないから直した方がいいですよ?」

「すまん……気をつける」

「もう……。で、どうするんですか?」

「楓があそこを歩く時間は決まっている。なら、することは一つだろ?」

「……そうですね」

 アリシアは笑った。


 明日は金曜日。試験休みだ。



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