第28話 猫、写真を撮る




「あ。勝手にやらせていただいております」

 俺達が風呂場から出ると、食事の準備が始まっていた。

 宿の人は美月に気づくとそう言った。


「はい、宜しくお願いします」

 美月が頭を下げた。

 一階の十畳二間の片方、手前の部屋に大きなテーブルが出され、その上に食材とガスコンロと料理が並べられていた。ガスコンロは部屋の壁にあるコンセントタイプのガス栓からホースがつながれていた。

「冷たいお飲み物は冷蔵庫に入っております。それから今、台所をお借りしておりますので、お入りになる際はご注意ください。あと三十分ほどでお食事をご用意できますので、それまでごゆるりとおくつろぎください」

「わかりました」

「台所?」

 美月が答えると、楓は首を傾げた。

「あれ、まだ見てない?」

「うん」

「玄関を入って左手にあるわよ。見てきたら?」

「うん」

 楓は部屋を出た。

「お料理してるから、気をつけてね!」

「うん!」

 楓は廊下を抜け、玄関のところにある台所へ入った。

「うわぁぁぁぁぁ……広い……」

 楓は台所の広さに目を丸くした。

 台所は八畳くらいの板の間で、大きなテーブルに六つの椅子が並び、テーブルの上には数々の食材が並び、台所では二人の女性と一人の男声が料理を作っていた。

「あ、お客様。今、調理中ですので、気をつけてくださいね」

「あ、はい」

 女性が楓に気づき、声をかけた。

「なにコレ……ここだけでうちのアパートくらいの広さが……」

 楓は入り口を入ったところで呆けたままでそう言い、三人の動きを眺めていた。


「すんごい広かった!」

 楓は美月の所へ戻ってくるとそう言った。

「ね。あそこだけでほぼうちくらいの広さよね」

「うん……三人でお料理してた……。あれ? ここって、自分で食材を買ってきてお料理してもいいの?」

「うん。そういうプランもあったわよ」

「どうしてそれにしなかったの?」

「え? 楽しむから」

「…………そう」

「あれ……私、悪い人!?」

「ううん、そうじゃない! そうじゃないの!」

「本当にー?」

 美月はわざとらしく、怪訝けげんそうに楓を見た。

「うん。なんか、お母さんがお仕事から帰ってきて、ご飯を作ってくれるのって……普通なんだと思ってた……。でもそれって、お母さんはお仕事を終えてから、私のために、おうちのお仕事をしてくれているんだって……わかった……」

「うん。でもね楓。それは楓の言う通り、普通のことなのよ。それにご飯を作るのは楓のためだけじゃない。楓と自分のため。仮に私が一人暮らしをしていたら……たしかに毎日お料理したりはしないと思う……。でもね、楓のお陰で私は毎日お料理を続けられる。楓と自分のために続けていける。だから私は楓に感謝してる」

 美月はテーブルを整えている宿の人を見ていた。

「でも、今日くらいはお休みしても、良くない?」

 美月は楓を見た。

「うん。良い!」

 楓は美月を見て笑った。

「うん……」

 美月も笑った。


 二十分程して。


「いー匂い……」

「ね……」

 楓と美月は隣の部屋に並び始めた料理の匂いを、鼻を突き出し嗅いでいた。

「今日のメニューは何?」

「なんと、超豪華すき焼きです!」

 美月は楓を見て、人差し指を立てた。

「ちょ、超豪華!?」

「うん」

 美月は笑った。

「そ、それって……まさか、宿代よりも高いとか……」

「ふっふっふー……」

 美月は悪い顔で笑った。

「え……うそ……」

 楓は驚きの表情で固まった。

「うっそーっ!」

 美月は楓に顔を寄せて笑った。

「……びっくりした……本当に?」

 楓は胸をなでおろしながらも確認した。

「うん、これは本当。第一そんなに高いお料理、食べた気がしないわ」

「だよね……。宿代よりも高かったら、それこそ一ヶ月分の生活費よりも……」

 楓は想像し、青ざめていた。

「楓……心配よりも、楽しもう?」

「あ。う、うん」


 十分後。


「おーいしぃぃぃぃぃっ!」

「美味しいねーっ!」

 食事の準備が終わり、宿の人達が説明をして帰ると、楓と美月はすぐに食事を始め、舌鼓をうっていた。

「何、このお肉……お口の中でとろけちゃうよ……」

「ね。全然肉臭くなくて、旨味だけがある……ってそんな感じよね」

「うん……二度と食べられなそうな……なんだか最後の晩餐のような……」

「何言ってるの。もっと頑張ったら、毎日こんな料理が食べられるようになるかもよー?」

「……こういうお肉も、毎日食べたら慣れちゃうのかな?」

「多分、そうなんでしょうねー……。逆に普通のお肉が食べられなくなっちゃうかもよ」

 美月は笑った。

「そ、そうだね……気をつけなきゃ……」

 いやいや、一体何を気をつけるというのだろう……。って……。

「俺の飯は!?」

 忘れられてませんか!?

「あ……」

「あ、ごめん! 忘れてたわ……」

 美月はそう言うと立ち上がって、部屋を出た。

 やっぱり、忘れられていた……。


「お待たせー」

 美月が戻ってくると、手にはケーキの箱を持っていた。

「あ、あのカフェでもらったやつ?」

「うん。本当は今夜のご飯もカリカリのつもりだったけど、良いものもらっちゃったし。あの時小鉄も食べなかったから丁度良いでしょ?」

 美月はそう言いながら、箱を畳の上に置いて開けた。

「うん。そうだね」

「おー、結構ちゃんとしてるわ……」

「え、どんなどんな?」

「ほら」

 楓は箱から出したケーキをテーブルの上においた。

「うわー、ちゃんとしたケーキだね」

「うん。楓と小鉄が働いたおかげね」

「私は何もしてないよ。小鉄が自分の力でもらった物」

「そう?」

「うん。小鉄、しっかり味わって、ゆっくり食べるんだよ」

 楓がそう言うと、俺はテーブルに乗った。

「おう。じゃ、いただきまー」

「ちょっと待った!」

「え?」

 俺は大きく口を開けたままで止まった。

「小鉄、そのままよ。そのまま!」

 美月はそう言うと部屋を出た。ダダダと廊下を走り、階段を駆け上る音がして、しばらくすると二階の廊下を走る音がして、階段を駆け下りる音がすると、美月が戻ってきた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 美月は息を切らせてデジカメを構えた。

 パシャッ。

「よし!」

 美月はケーキを指差して言った。俺は美月の掛け声で、一口目を頬張った。

 あむ。

「おぉ! 美味い!」

 パシャッ。

「小鉄、そのままこっち見て」

 ん? 俺は美月を見た。

 パシャッ。

「おお、良いのが撮れた」

「どれどれ?」

「ほら」

「あ、良いね!」

 写真には、俺が口の周りをクリームまみれにしてそれを舌で舐め取ろうとした瞬間が写っていた。俺はそのままケーキを食べ続け、美月は俺の写真を取り続けた。

「はぁ……ご馳走様でした」

 俺はそう言うと、毛づくろいをした。

「私達も食べよ?」

「うん」

 俺が食べ終わると、美月はデジカメをテーブルの上に置き、二人で食事を続けた。


「なんか二人しかいないから、全員の写真ってのは撮れないな……」

 俺は毛づくろいを終え、二人の食事する風景を眺めていた。俺は撮影できないしな……。

「私が撮りましょうか?」

 アリシアが言った。

「え、それって……大丈夫なのか?」

「見つからなければ良いのでは?」

「いや、ルシアには見つかる見つからないは関係ないかと……」

 どこから見ているのかすらわからないのだから……。

「あ、いえ。美月と楓に見つからなければ……良いことをするのですから、ルシア様も大目に見てくださるのでは? とそういう意味です」

「あ……なるほど」

 一理ある。

「じゃ、小鉄。そこに座ってこちらを向いてください」

「本当にやるのか?」

「ええ……嫌ですか?」

「いや、むしろ嬉しい」

「じゃ、問題ありません」

 アリシアはテーブルの上のデジカメを持ち上げた。

「……それ、浮いて見えたりしないのか?」

「それは大丈夫です。こう……天界人に都合のいいように解釈されますので」

 何その「すべての事象は我の手中に」的なセリフ……。まぁ、似たようなものなんだろうけど、なんか腑に落ちない……。

「じゃ撮りますよー。ハイチーズ!」

 パシャッ。と音がして、フラッシュが光った。

「あ、雷!?」

 楓が食事の手を止めた。

「……そうみたいだけど……音はしないわね。遠いんじゃない?」

「うん……」

 おや、雷に見えたか。何とも都合の良い天界人ルール……。

「ね?」

 アリシアは俺を見てそう言うと、カメラの画像を俺に見せた。

「おう……いいな、これ!」

 写真は天井付近から斜めに見下ろしたもので、アリシアにしか撮れないアングルだ。

「もう一枚行っときますか?」

「おう」

「じゃ今度はローアングルで……」

 アリシアはそう言うとテーブルの端に座り、テーブルの上にカメラを構えた。

「小鉄、も少し真ん中に」

「おう。ここか?」

 俺はテーブルの真中に寄った。

「はい。撮りますよー」

 パシャッ。と音がしてまたフラッシュが光る。

「あ、また!」

「夕立でも来るのかしら?」

 楓と美月は外を見ていた。

「うん、これは良いですね! ほら」

 アリシアはテーブルの上に構えたカメラを裏返し、俺に画像を見せた。

「おお! お前、上手いな」

 写真は俺が手前に座り、その横に俺が食べ終えたケーキの皿、その奥にすき焼きの鍋や食材が並び、その左に美月、右に楓が写ってとてもいい雰囲気の写真が撮れていた。

「えへへ、才能あるんですかね。って言っても楓と同じで、スタジオに通ううちに覚えちゃったことなんですけどね」

「そっか。サンキューな」

「はい」

「そのカメラ、ONのままでそこに置いてくれるか?」

「え、ここにですか?」

「ああ」

 アリシアがテーブルの上にカメラを置き、俺はカメラの後ろに回るとシャッターに手を乗せた。

 パシャッ。フラッシュが光った。

「ん? 小鉄?」

 楓がこちらを見た。やっぱり俺がやるとちゃんと認識されるんだな。

「あら、小鉄が写真を撮ってくれたの?」

「おう」

 多分上手くは行かないが、俺は偽装工作を行った。そのまま二人がこちらを向いたところでシャッターを押す。

 パシャッ。と音がしてフラッシュが光った。

「うわっ! ビックリした……」

「小鉄、そんなことも出来るのね……。まてよ、これは売れるかも……」

 美月はそう言うと、腕を組んだ。

 え……?

「売れる?」

 楓は首を傾げて美月を見た。

「ええ。小鉄が撮った、写真集」

「……お母さん……」

「え?」

「何を撮るの?」

「……さぁ……」

 美月はノープランだった。


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