第15話 猫 スタジオに入る
二週間後。
「おはようございまーす!」
美月は全体に聞こえるように、大きめの声で挨拶をした。
美月と楓は俺をかごに入れて、出版社の人に指定された撮影スタジオを訪れた。受付で出版社の人から受け取っていた関係者証を見せると、広いスタジオへ案内された。ここは都内某所にある、撮影スタジオ。俺達は電車に一時間半揺られ、えっちら、おっちらとやって来た。
「あ、片桐さん。おはようございます」
スタジオに入ると、出版社の人が美月に声をかけた。
「あ、おはようございます。あの……どうすれば……」
「こちらへどうぞ。小鉄君入りましたー!」
「はーい! よろしくお願いしまーす!」
出版社の人がスタジオに大きな声で俺たちが来たことを告げると、スタジオ中の人たちから返答があった。
「よ、よろしくお願いします……」
美月はそう返答しながら、出版社の人について行った。
俺達はそのままスタジオの隣りにある、小さな部屋へ通された。部屋の入口には「小鉄様」と書かれた紙が貼られていた。
「こちらが控室です。多分……あと十五分くらいでお呼びしますので、それまでに身だしなみなどをこちらで整えて下さい」
「わ、わかりました」
美月は緊張していた。
「では、何かございましたら気兼ねなくお尋ね下さい。では、失礼します」
出版社の人はそう言うと、控室の扉を閉めた。
「ふぅ……」
美月は扉が閉まると愛想笑いを止め、ため息を付いた。
「お母さんが緊張しても……」
楓はテーブルの上に俺が入ったかごを置き、美月にそう言って笑った。
「うん、そうなんだけどね……」
「お母さん、座って」
楓は美月の前の椅子を引いた。
「あ、うん」
美月が椅子に座ると、楓は美月の肩をもみ始めた。
「あぁ……気持ちいいわぁ……」
「結構、こってるね……」
「うん……なんか、昨日から緊張してたからねぇ……」
「そうだね」
美月と楓は笑った。
「おぉーい。出してくれー」
俺はそう言いながら、かごの扉をチョイチョイと叩いた。
「あ、ごめんね」
楓はそう言うと、俺をかごから出し、テーブルの上においた。
「サンキュー」
俺は楓を見た。
「うん。小鉄の身だしなみって……ブラッシング?」
楓は俺に
「ああ、そうね……小鉄、ちょっとおいで」
椅子にもたれかかっていた美月が起き上がり、俺に両手を差し出すと、右手で手招きをした。
「どれどれー」
俺が美月の手の中へ歩いて行くと、美月は俺の顔をなでながらチェックした。
「……よし。って言っても来る前にもチェックしたけどね」
美月は俺を見て笑った。
……だな。家を出る前、俺は散々顔の掃除をされ、歯をチェックされ、ブラッシングされていた。
「小鉄、ブラッシングする?」
楓はバッグからいつものブラシを取り出すと、俺に見せた。
じゃ、しとこうか。俺は楓の所へ行った。念には念を。準備にやりすぎはない。
「じゃ、軽くやるねー」
「おう」
楓はそう言うと、俺の体を優しくブラッシングした。うん、いい感じ。
「小鉄。そうしていると、なんだか本当に猫タレスターに見えますね」
アリシアは俺達についてきて、ふわふわと浮いていた。
なんだその鼻タレ猫の王みたいな呼び方は……。
「ちゃんと、猫タレントのスターと言え」
俺は楓にブラッシングされ、目を閉じたままでそう言った。ブラッシングされているので、気持ちよく、アリシアを見て力強く突っ込む気がおこらない……。
「いえ、格好良く略してみました」
「全然格好良くないわ!」
俺はアリシアを見た。あ、突っ込んでしまった。
「そうですか?」
「ああ」
俺は前を向いた。
「ここにも誰かいるの?」
楓はアリシアを見た……が、少し方向がずれていた。
「気にするな」
コンコン。
「失礼しまーす」
扉がノックされ、外から声が聞こえた。
「はーい、どうぞー!」
美月が返答すると、ガチャと扉が開き、出版社の人が入ってきた。
「準備が宜しければ、お願いします」
「はい」
俺は楓に抱かれ、スタジオへ戻った。
ボシュッ!
「うおっ!」
何かの破裂音のような音がして、部屋全体が明るく光った。
「ああ、やっぱり初めてだから怖いかな……? こりゃストロボ無しか……?」
カメラマンの女性が困った顔をして楓に言った。
「ううん。怖くないって教えてあげれば大丈夫」
俺を抱いたまま、楓が答えた。
「……ホントに? 写真撮影、初めてだよね?」
「うん。でも、教えてあげれば大丈夫」
「教えて……あげれば?」
「うん。あの、何回か繰り返してもらえませんか?」
「あ、うん。何回か空焚きするよー」
「はい」
カメラマンがカメラのところに戻り、手を添えながらそう言うと、周囲の人が返事をした。
ボシュッ!
「ぐっ!」
音と光に体がビクッと反応する。
ボシュッ!
「お!」
ボシュッ!
「む」
ボシュッ!
「……」
ボシュッ!
「…………うん。もう大丈夫だ」
俺は楓の腕の中で、楓を見た。
「大丈夫そう?」
「ああ」
「わかった。大丈夫だそうです」
楓は頷くと、カメラマンに言った。
「本当に? ……こんなに早く慣れる子、初めて見た……。あ、じゃぁ、あそこに置いてくれる?」
カメラマンは驚いた表情でそう言うと、撮影台を指差した。
「はい。じゃ小鉄、いつもの様にね」
「おう、任せろ」
楓は俺を台の上に置いた。
「あ、もう少し後ろに置いてくれる?」
「小鉄、もう少し下がって」
後ろ……この辺か? 俺は少し後ろに下がると楓を見た。
「え……」
カメラマンは固まった。
「もっとですか?」
「……え? ああ、そこでいい……って、通じるの?」
カメラマンは驚いて固まると、俺の位置を確認して、楓を見た。
「みたいです」
楓はカメラマンを見た。カメラマンや周囲の人の驚く顔と、楓の「なに普通のことを聞いてるんだろう?」という少し呆けた表情が対照的で面白かった。
「そ、そうなんだ……話には聞いてたけど目の当たりにすると……。そっか……よーし、始めるよー!」
「はーい」
カメラマンは少し考えてから、ファインダーを覗いてそう言うと、他の人達が返事をした。
その後、カメラマンが何かを言う度に俺が反応してポーズを変えると、カメラマンは驚いていたが、すぐにそれに慣れていった。
「はい、次。良いね」
ボシュッ!
「はい、次。もう少し斜めにできる? うんそう」
ボシュッ!
「はい、次。いいよー」
ボシュッ!
「じゃ、次は少し
こうか? 俺は寝っ転がり、大の字になった。
「うん、良いよ! 顔はそのままで、目線だけこっち」
こうか?
「少しだけ口を開いて……はいそのままー」
ボシュッ!
「はい、次……」
そんな感じで撮影は快調に進み……。
「はい、終わり! おつかれ~!」
カメラマンがそう言うと、スタジオ全員がパチパチパチと拍手をした。
「小鉄ー、お疲れ様!」
楓が駆け寄ってきて、俺を抱き上げた。
「おう。別に疲れてないぞ」
「そう?」
「ああ」
「……なんて言ってるのか解るの?」
カメラマンが楓に聞いた。
「ううん、わかんない。でも多分……まだできるって、言ってるんだと思う」
楓はわからないと答えると、カメラマンを見た。
「解ってるじゃないか」
俺は楓の頬を舐めた。
「ひやっ、くすぐったいよ」
楓は肩をすくめて笑うと、俺を見た。
「ねぇ、楓ちゃん……だっけ?」
「はい」
「小鉄君、演技もできるのかな?」
「演技……? あ。前にテレビの取材で、あっちからこっちまで、よーいスタートで歩いてきて止まって、って言うのをやりましたけど、そういう事ですか?」
「……猫が?」
「はい、小鉄が」
「そっか……わかった。今日はありがとう。また宜しくね!」
「はい!」
カメラマンが右手を差し出し、楓は左手で俺を抱えたまま、カメラマンと握手した。
その後、控室で帰り支度をしていると出版社の人が来て「予定の三分の一の時間で終わってしまった」と教えられた。それは動物撮影としては驚くべき短時間で終了したということで、全員喜んでいたらしい。その後カメラマンの女性が美月に名刺を渡していた。
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