第14話 猫 練習する



 二日後。


 俺は世間を騒がせていた。


「楓、楓!」

 美月が帰ってくるなり、慌てた様子で楓を呼んだ。

「おかえりー。え、どうしたの?」

 楓は慌てた美月の様子を見て、少しまごついていた。

「メ、メールがたくさん来て……」

 美月は自分のスマホを指差した。

「メール? あ、なんかたくさん来てたね」

「うん、取材の申込みがたくさん……どど、どうしよう!?」

「あ、あれって取材の申し込みだったんだ……」

 楓は納得した。

 楓のSNSでのアカウントは、美月のものを流用しているらしい。だからSNSに届く連絡は、美月へも楓へも届く。ただ、基本的に楓はそれを直接読まず、美月から教えられたときにだけ見る。そういう形を取っているらしい。

「仕事中にメールが連続すると、ちょっと困るのよ……」

「うーん……じゃぁさ、SNSのメールをパソコンのやつに変えたら?」

「あ、そうしようか……すぐに返事しなくても良いのかしら?」

「お母さんが帰ってから見て、お返事しても良くないの?」

「うーん……そうね。そうしようか?」

「うん」


 楓は居間のテーブルにノートパソコンを広げ、SNSのアカウントにログインすると、メールアドレスを変更した。さらにSNSに届いていたメールをパソコンのメールアドレスに転送すると無料の表計算ソフトに書き写し、それぞれの要望内容をまとめた。

 俺は許可をもらってテーブルの上に上がると、隣からパソコンの画面を見ていた。しかしこのキーボードを打つ手の動きってのは、俺に捕まえてくれと言っているかの様な……。俺は楓の手の動きを目で追っていた。


「えっと……日付と時間を指定してるのは……一件だけだね。お母さん、この日は?」

「楓。取材を受けるの、私と楓がお休みの日だけにしない?」

「うん、いいよ。お母さんもそれでいいの?」

「うん。私は平日動けないし」

「じゃ、この日はダメって返事するとして……いつがいいの?」

 楓はパソコンのカレンダーを表示させた。

「えっと……じゃ、最初の要望がこの日だから……」


 こうして取材スケジュールを楓が管理することになり、数ある取材は土日にまとめて来てもらうことにした。メールの確認は楓が行うことになったが、もちろん楓は自分一人で返信は行わない。多分、美月にやってと言われても、楓はやらないだろう。この利発りはつな小学四年生は、何よりも母親に迷惑をかけないことを最優先しているのだから。


 そんな感じで、俺達は土日に多くの取材を受ける日々を送った。

 そんな日々を続けていたら……。


「写真集!?」

「うん、なんか小鉄の写真集を出さないかってメールが……。しかも三件」

「三件も!? 写真集の話が!?」

 美月は帰ってくると、楓から写真集の話を聞き、固まった。

「うん」

 楓はうなずいた


「よっしゃ!」

 俺は右手を握った。

「小鉄の写真なんか見て、嬉しいんですかね?」

 アリシアは両手を頭の上に組み、ふわふわと浮いていた。

「お前、俺を見る目が……いや、俺に対する評価が低すぎないか?」

「いえ、もちろん小鉄が人気者になっていて、とても評価が高いというのは知ってます。でも……小鉄ですよー?」

「……いや、俺だからだろ」

「いえいえ、そこで傲慢ごうまんになってはいけません」

「は……? んまぁ……そうだよな」

 一理ある。

「って、もしかしてお前、それが言いたいのか?」

「はい。今の流れを継続するには、何事にも真摯しんしな態度でのぞまなくては」

 なんだろう……この、自分より下だと思っていた奴から教わるという、強い劣等れっとう感は……。相手が育ったのか、自分が怠ったのか……。

「なぁ、もう少し普通に、直接的に言えないか?」

「直接的?」

「ああ。なんかこう……お前の言い方は回りくどい」

 と言うか、理解するまでに時間がかかる。

「あぁ……。非難する前に、真理を言えと?」

 いや、真理とかそんな高尚こうしょうな話はしていない……。

「まぁ、そんな感じだ。お前の言っていることは正しいと思う。それは真摯しんしに受け止める。ありがとな。ただ、もう少し……なんとかならんか?」

「いえ、それは無理ですよ」

 無理?

「何でだ……?」

「最初の一言を言った時点では、その後のことなんて考えてもいませんから」

「考えてなかったんかい!」

「ええ」

 アリシアは笑った。

 俺の感謝の言葉を返せ。

「アリシア……」

「はい」

「嘘は良くない」

 俺は右手を挙げた。

「え……あ! でも! 小鉄のお役には立ったんですよね!?」

 アリシアは俺の行動を抑止しようと両手を前に出しすと、そう言って慌てた。

「……ま、言われてみればそうか」

 俺は右手を下げた。

「ふぅ……危なかった……」

 アリシアは胸をなでおろした。


 最近、アリシアから思わぬことを言われることが増えた。今みたいに、どこか抜けているのではあるが、それでも言っている事、内容自体は結構納得できることが多く、どこからその言動、思い、考え方が出てくるのかが不思議だった。


「うーん、じゃぁ、この日は写真集の撮影だけにする?」

「そうね。写真集がどのくらい時間がかかるかわからないし、この日は写真集だけにしましょ」

「うん。じゃ、後の二つは……この日と……」


 こうして写真集の撮影日の候補が決まった。そしてその話が進むに連れ、新たな事実が発覚する。



「え……お金をいただけるんですか?」

 美月と楓と俺は楓の小学校の創立記念日を利用して、最初の写真集の出版社に打ち合わせに来ていた。

「はい。そして、その方法は二種類あります。一つは値段を決めて、一括でお支払する方法。もう一つは、売上に準じてパーセンテージでお支払する方法です」

「凄いね小鉄! 小鉄はうちの大黒柱だー!」

 楓は俺の入ったかごを持ち上げ、中の俺を見た。

「おう、任せろ!」

 ようやくこの日がやってきた。

「あの、どう……違うんでしょうか?」

「一括でお支払する場合は固定額で、百万円です」

「ひゃ、百万円!?」

 美月は固まった。

「はい。ですがその場合、本が売れても売れなくても、同じ金額が支払われるという、完全な買い取り方式です。一方、パーセンテージでお支払する方法は、本が売れればそれだけ多くのお金をお支払いでき、固定額の百万円を超える可能性がありますが、その逆、本が売れなかった場合はほぼ収入がなくなります」

「……なるほど……楓、どう思う?」

「小鉄の本は売れるよ! ね?」

 楓はそう言うと、俺を見た。

「おう、間違いない!」

 俺がそう言いながら楓を見ると、楓は美月を見た。

「そうね……。では、パーセンテージでお願いできますか?」

「承知しました。それでは……こちらの契約書をよく読んで、お分かりにならないことはお聞きください。ご納得いただけましたら、サインと捺印をお願いします」

 担当者は契約書を美月の前に差し出した。

 美月はそれを受け取り、読み始めた。


「あ、三パーセント……」

 美月はぽつんとつぶやいた。

「はい。これが写真集出版における、普通のパーセンテージです」

「……そうなんですか」

 美月はそう言うとスマホを取り出し、計算し始めた。

「本が千二百円で、その三パーセントで……百万をそれで割ると……二万七千冊……」

「はい。正確には約三万冊を超えないと、固定額でのお支払金額を超えません」

「お母さん」

「ん?」

「大丈夫!」

 楓は笑った。

「……そう?」

「うん」

「そうね。元々これで儲けようなんて思ってなかったし」

 美月は笑った。

「よし!」

 そう言うと、美月は契約書にサインをし、判子を押した。



 俺達は出版社を出ると、近くにある大きな書店へ向かった。

「何か買うの?」

 売り場へ向かうエスカレーターの上で、楓が聞いた。

「猫の写真集よ」

「え、どうして?」

「今、売れている猫の写真集のポーズを研究して、勉強するの」

「あ、そっか!」

 美月は撮影の前に、今売れているものを研究しようと思っていた。今、ウケている写真集とはどんなものなのか、そのポーズ、猫の種類、それに対抗できるものとはどういうものなのか。下調べをしておこうと言った。

「うん。やるからにはきちんとやらなくちゃね」

「うん」

 多分、美月がさっき言っていた「これで儲けようとは思っていない」と言うのは実際にそう思っていたんだろう。だが「やるからにはきちんとやる」。儲ける儲けない以前に、カメラマン、スタッフ、に満足してもらえるように。さらに読者に満足してもらえるように。きっとそう思っていたのだろう。


「お……結構高いわね……」

 美月は大きな猫の写真集を取り上げ、裏を見ていった。

「お母さん……買うの?」

 楓は心配そうに美月を見た。

「うぅーん……値段は後にしましょ。先に良さそうなものを探して。それから買う必要があるのかどうか考えましょうか」

 美月は楓を見た。

「うん!」

 楓はそう言うと、片っ端から写真集を見始めた。あ、こういうのも良い、このポーズも良い、今回はスタジオかな? 外かな? などと美月と相談しながら、猫に限らずすべての動物の写真集を眺めた。俺は床に置かれたカゴの中から、それを見ていた。


「やっぱりこれかなぁ……?」

 美月は一冊の猫の写真集を眺めていた。美月と楓は、一冊の本にたどり着いていた。

「これだと思う。値段も同じだし、これから作る写真集と同じお客さんが買うんじゃない?」

 おぉ、生意気に顧客層まで考えるとは……。やるな、楓。

「そうね。じゃ、これ買いましょうか?」

「え、買うの? ここで見ていったら、良くないの?」

「この本は、楓の教科書になるのよ」

 美月はそう言うと、レジへ歩き出した。

「……ありがとう」

 楓は俺のかごを持ち、美月の後を追いながら、そう言った。



 そして家に戻ると、楓は買ってきた写真集を開き、片っ端から俺にポーズを付けた。

「違う、もうちょっと足を閉じて」

「こうか?」

「違う、もうちょっと……こう」

 楓は俺の足を動かした。

「おう」

「あ、私が動かしてあげれば良いのか……なんか小鉄は言ったらやってくれるから、私が無精ぶしょうになっちゃうね……気をつけなきゃ」

 楓はそう言いながら、ページをめくった。

「あ、これもいいね! はい小鉄、次はこれ」

 楓は俺に写真集を見せた。

 あれ……今自分が動かすって言わなかったか? まぁ、全然構わんけど……。

「こうか?」

「うーん、なんか違うなぁ……」

 楓は俺に向けた写真集をひっくり返し、写真集と俺を見比べると、首をかしげた。



 こうして俺達は、日々研究を重ねた。写真集を一通り真似ると、今度はオリジナルポーズの研究。そしてまた、ホームページから良さそうな写真を見つけては、その真似を繰り返した。


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