第11話 猫 と掃除機



 取材前日。


「ああ、何をすれば良いんだろ……あ。楓! 大掃除しよう!」

 美月が帰ってくると、夕食を済ませ、美月はそわそわと落ち着かない様子で洗い物をしながら、隣の部屋で俺と一緒に遊んでいた楓に言った。

「え? なーに!?」

 楓は俺と遊びながら、隣の部屋の美月に聞き返した。

「部屋のどこがテレビに映るかわからないから、隅々まで掃除しましょ!」

「あ、うん。わかったー!」

 楓はそう言うと立ち上がり、押し入れから掃除機を出してきた。

「あっ……」

 俺は固まった。

「小鉄。お掃除するから、少しの間我慢してね」

 楓はそう言いながら、掃除機から電源コードを引っ張り出し、コンセントに繋ぐと掃除機のスイッチを入れた。

 ブオォォォォォォン! と掃除機が大きな音を立て始め

「うわぁぁぁぁぁ!」

 俺は身の毛がよだち、そのまま走って椅子に飛び乗った。そして椅子から机、机から机の棚、机の棚上からタンスの上へと飛び乗る。

 楓はそのまま寝室に掃除機をかけ始めた。


「小鉄……何が怖いんですか?」

 アリシアが俺の横でふわふわと浮いたまま聞いた。

「いや、この音がな……」

 俺はタンスの上でその音を聞きながら、全身の毛を逆立てていた。

「いえ、小鉄には人の常識があるじゃないですか」

「ああ」

「なら、掃除機は怖いものじゃないって、解るんじゃないですか?」

「いや、解るんだが、体が言うことを聞かん……。おぉぉぉ、寒気がする!」

 俺は身震いした。

 頭のなかでは分かっていても、理解していても、それでも体が反応する。このブオォォンという吸気音と言うか、キュィィィンという機械音と言うか、この音が何か危険なものであると、体が勝手に反応する。

「なぁ、これって。頭の中の考えとか、魂とは関係ないもの。猫としての本能みたいなものなのか?」

「多分……そうなんでしょうねぇ……。でも、猫の中にはちゃんとそれを理解して、むしろ掃除機にじゃれる子も居ますよ?」

「え……。あれにじゃれるの!?」

 俺は掃除機を見た。全く想像できない……。

「ええ。音を克服こくふくと言うか……ちゃんと怖いものではないと理解すると、今度はその動きに本能が反応するみたいで……。あ、やってみますか?」

「え……? やってみる?」

 って、どうやって?

「はい。これで」

 アリシアは背中からスマホを取り出し、俺に見せた。

「あぁ……って、そんなことも出来るのか?」

「ええ、多分……んーと。えい」

 ピッ。

 アリシアが首を傾げたままスマホのボタンを押すと、掃除機の音が小さくなった気がした。同時に体の寒気が無くなり、恐怖心が薄れていくのを感じた。

「どうですか?」

「あれ……? 俺、どうして今まで……お……なんだあれ……こう、無性に血が騒ぐというか……」

 動いたと思ったら止まり、止まったと思えば動き、行ったり来たりを繰り返している……。まるで俺に捕まえてくれと言わんばかりのその動き……。

 俺は掃除機から目が離せなくなった。

 気がつけば、俺は床に降りていた。

「小鉄、やっておしまい!」

「ウシャーッ!」

 アリシアのその一言を合図に、俺は掃除機に飛びついた。

「うぁっ!」

 楓が驚き、掃除機の動きを止めるとスイッチを切った。

 ギュゥゥゥン……。

「小鉄! ダーメ! 危ないから……って、どうして急に?」

「はっ……! あぁ、すまん……なんか、血が騒いだ……」

 俺はその場で座ると顔を洗った。クールダウンだ。

「あははははは……」

 アリシアはウケていた。

「ほーら、危ないから上に行ってて」

「お、おう……」

 俺はタンスの上に戻った。


 俺がタンスの上に戻るのを確認して、楓は再び掃除を始めた。

 ブオォォォォォォン! 掃除機の音が聞こえる。やっぱり怖くはない。

「小鉄、ダメですよ。楓の迷惑になっちゃいます」

「ああ……しかし……」

 俺はそう言いながら、また床へと降りていき、再び掃除機に飛びついた。そのまま楓に怒られ、すごすごとタンスの上へ戻って来ると、楓はまた掃除機のスイッチを入れた。


「なぁ、元に戻してくれ……楓に迷惑がかかる」

「そうですね。えい」

 ピッ。とアリシアがスマホのボタンを押すと、再び恐怖が戻ってきて全身の身の毛がよだつ。

「うおぉぉぉ……これはこれで……」

 だが、楓の迷惑になる訳にはいかない……。ここは我慢だ……。


 楓が部屋の半分に掃除機をかけ終えた頃……。


 ピッ。と音がして……。

「ウシャーッ!」

 俺は床に駆け下りると、掃除機に飛びついた。

 ピッ。

「うわぁぁぁぁぁ!」

 恐ろしい音に体が反応し、俺はその場でピョーンと飛び上がると、そのままタンスの上へと駆け上がった。


 ピッ。

「ウシャーッ!」

 ピッ。

「うわぁぁぁぁぁ!」


 ピッ。

「ウシャーッ!」

 ピッ。

「うわぁぁぁぁぁ!」


 ピッ。

「ウシャーッ!」

 ピッ。

「うわぁぁぁぁぁ!」


 俺はそんな感じで、血が騒いで掃除機に飛びつき、恐ろしくなってタンスの上に逃げ帰るという行動を繰り返した。


「こら! 小鉄! 危ないからダメだってば!」

 楓がしびれを切らして、掃除機のスイッチを切って床の上に置き、両手を腰に当てて本気で怒り始めた。

「いや、すまん! なんか……」

 俺はその場で座って耳を倒し、こうべを垂れた。

「もう……今日はどうしちゃったの?」

 楓はそう言うと俺を抱き上げ、顔を覗き込んだ。

「いや、あの……すまん……」

 俺は言い訳に困り、耳を倒したままで目線をそらし、楓の言葉を待った。

「……もうちょっとで終わるから、ここで待ってて」

 楓はそのまま俺を机の上においた。

 あ、怒られなかった……。

 俺はすごすごとタンスの上に戻った。


「あははははは……! もうダメ! お腹痛い……」

 タンスの上では、アリシアが爆笑していた。

「……よし、天罰にしよう」

 俺は右手を挙げた。

「あはは……え? あ、ちょ! ちょっと待って下さい!」

「なんだ? なんか言い訳でもあるのか?」

 よっぽどの理由じゃない限り、間違いなくルシアを呼ぶ。

「ほらあれ、あれを見てください!」

「ん?」

 アリシアの指差す方を見ると、美月が俺たちにスマホを向けて、笑っていた。

「あははは! お腹痛い……」

「お母さんも掃除して!」

「あ、うん。するする……あははは……」

 美月は楓に怒られ、笑いながら居間へ戻っていった。

「美月……撮影してたのか?」

 俺はアリシアを見た。

「ええ。なので、いい絵になればと……でも、すみません……」

 アリシアはそう言うと、俺に頭を下げた。

 え……お前、そんなキャラだったっけ……?

「……わかった、今日は勘弁してやる」

 俺は右手を下ろした。

「ふぅ、危なかった……」

 アリシアは胸をなでおろした。

「でもその能力、削除しろ」

「え……?」

「その、俺が掃除機を怖がらなくなる能力を削除しろ」

「……削除はできますけど……。仮に、またこういう絵が撮りたくなった時はどうします?」

 むむむ……。

「その時は、また作ればいいだろ」

「いえ、私がこういうものを上手く作れないことは知ってますよね?」

「……偶然うまくいったと?」

「はい。なので、これを削除したとして、また同じものを作れと言われると……」

 こいつ……だんだん悪賢くなってないか?

「……わかった。じゃ、削除しなくてもいい。そのかわり、俺が許可するまでその能力の使用は禁止だ」

「はい、わかりました」

 アリシアは笑った。


 俺は疑念の目でアリシアを見ていた。

 なんか、素直すぎて……怖い。


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