ミッシングxxx

 トリトン村にある唯一の診療所。診療所所長にして村唯一の若き医者 エイドは狭い部屋に強張った表情の少女と対面になり座っている。机と椅子といくつかの水桶が壁側にあり、命の剣と薬瓶が部屋の隅に置かれていることで、この部屋が診察室であることが伺える。

 部屋開きっぱなしの入り口には、少女と同じ年ごろ 五歳から六歳と思しき少女が立っている。彼女が動かぬよう、背後から恰幅の良い白い服を着た中年女性が立っている。

 机の上に置いた水桶から何かを拾い上げると、黒い布巾に包んだ。


「はい。じゃぁ、スタンちゃん頑張ろうね」


 エイドは座っているスタンの二の腕を下から持ち上げた。スタンはすぐに顔をエイドから壁へ向ける。彼が手にしている物が割れた剣の切っ先で有ることをを知っている。


「いきますよ」

 

 彼の声と同時に息を飲む。掛け声からややして、少女の腕に剣の先端が小指の爪程の深さで刺された。チクッと刺さる痛みに腰を押し殺した。だが、先端から放たれる水色の弾ける光が体内に流入していく圧に、目をつぶったまま顔を天を仰ぎ「あぅぅ」と声を上げる。

 痛みから上体を捩る少女に、彼は優しく声をかける。「あと少し」「あと少し」この言葉を数度繰り返す。口調とは裏腹に彼の目は鋭く真剣そのものである。視線一つで人の心を断ち切る鋭さを持ち、剣の先端を凝視する。弾けるように放たれた光は時間と共に量は減っていく。剣の先端から光の流入が終了したことを確認すると、彼は、彼女の腕から切っ先を抜いた。

 剣を水桶に放り投げると、机の上に置いた清潔な白い布で彼女の二の腕をぐるぐると巻きつけた。


「はい。スタンちゃんもこれで終わり。っと」


 小刀で布を裁ち、巻き終わりをねじ込む。

 スタンはすぐに後ろを振り返り、布が巻かれた腕をふくよかな友人 ブラに見せた。彼女の二の腕にも白い布が巻かれていた。


「二人ともよく頑張りましたね」


 ブラはエイドの助手をしている中年女性の腕から飛び出し、スタンを抱きしめた。「痛みに耐えた」友人をほめたたえるよう、二人はキツク抱きしめあう。


「先生もお疲れ様です。これでの予防診察が終りましたね」


 助手の声に、二人は大人の顔を交互に見る。彼女たちは、両親からエイドの診療所へ行き予防診察に行けと言われてやってきた。

 両親は「子供だから予防診察に行け」「定期診察へ行け」と事あるごとに言われてきた。今回の診察も「子供のために必要な診察」と思っていたのだが、事実は異なるようである。


「エイド先生ぇ、このチクーッってするの、村の人みんなにしたの?」

「えぇ、そうですよ」

「なんでぇ?」


 子供の無邪気な質問に、エイドの口は一度閉じられる。

 どう答えようか彼は注意深く考えた。考えれば考えるほど、子供をだませる無数の嘘が現れる。一方、時間が経てば経つほどに彼女達への答えの信用度が低くなる。

 彼は普段と変わらない柔らかな笑みを浮かべ、痛みに耐えた彼女たちに敬意を表し正直に答えた。


「ブラちゃんも、スタンちゃんも、この村に王都の人々がやって来たこと」

「……」

「私たちは、村の中で生活しています。トリトン村は、土の聖剣使い トルダートが愛した村です。私たちの先祖はは土の聖剣の加護と恩恵を賜り、子孫の私たちは穏やかに生活してきました。けれども、そうではない人。土の聖剣の加護や恩恵のない人がむやみやたらに村に入ってきたら、土の聖剣が私たちに与えてくれた加護と恩恵が怪我されてしまう。私は、ご先祖様達が私たちに残してくれた加護と恩恵を守るため、痛いのを我慢してもらって村の人皆さんの診察を行ったんです」


 エイドの説明を聞き、二人の瞳に影が走った。村にやってきた人間を二人は知っている。そして、彼女たちはそのうちの一人と言葉を交わした。美しい花嫁。彼女の悲しそうな顔。困っている人がいれば助けなさい。という両親の言葉に従い声をかけたのだが、両親からは「穢れが移る」「コトウの呪いが広がる」と激しく怒られてしまった。

 両親の言葉は事実であった。美しい花嫁は、領主父親を死へ追いやった。村人が信頼している親方の大きな斧が、領主の首を野菜の根本を切り落とすように刎ねてしまった。

 彼女たちが声をかけようと、かけまいと未来は変わらなかったであろう。だが、七歳にも満たぬ少女たちは、領主の死の原因の一部は自分たちにあると思っていた。


「ねぇ、エイド先生。新しい領主様、おーとから来たって本当なん?」

「父ちゃんと母ちゃんが言いよった。新しい領主様はこわかーっち。コンラッド様の方が優しかったーっち」


 エイドはすぐに二人の口を手のひらで覆った。助手の女性に入り口を確認するようすぐに目くばせをする。

 トリトン村の空気は変わった。新領主は強権的で、彼の批判は一切許されない。村を闊歩する領主側の兵士が領主批判を耳にすれば、女子供、老人であろうとも容赦はしない。

 最近も、体制に批判的である。という理由である一家全員が連行された。

 エイドは、村の大半の家の造りは密談に不適であるので、むやみやたらに領主のことを口にせぬよう言っていたのだが、子供までには届いていなかった。

 彼は肝を冷やしたまま二人に耳打ちする。


「二人とも、そういうことはむやみやたらに言っては行けないよ。新しい領主様も頑張っている。人の頑張りを小馬鹿にするのは、私は好きじゃない。お父さんやお母さんにも必ずそういうんだよ」


 エイドは新領主のお目こぼしを願い、二人を抱きしめる。耳をそばだて、人の足音がこちらに向かないことを確認し、ゆるゆると二人を話した。


「二人とも、わかったかい?」


 エイドの気合に押され、二人は小さな声で「はい」とだけ答えた。

 エイドは入り口まで二人を送る。玄関先では、助手の女性が野菜籠を抱えた五十路過ぎの男と話に花を咲かせている。

 新領主側の兵士は診療所周囲にはいない証拠でもある。


「それじゃぁ、二人とも。気を付けて帰ってくださいね」

「はぁい。ありがとうございます。エイド先生」


 二人は頭を下げ、診療所を後にする。

 少女たちは笑っている。エイドが作り笑いをしたように、彼女たちも何事も無かったかのように笑っていた。

 心の中で二人が落ち込んでいるなどと、二人を横切る村人は誰も気づきはしない。


「ねぇ、ブラちゃん」

「なんなん?」


 スタンはブラの手を引いたまま、目を伏せた。


、見た?」

「……。見た」


 エイドが二人の腕に刺した剣の切っ先は不気味な物である。

 剣であるのに、赤褐色にさびている。錆の隆起は醜い動物の無数の卵に似ていた。錆は剣の表面全体ビッシリと覆っており、思い出すだけで全身の毛が立ち上がり、背筋に巨大なウジ虫が蠢く気色悪さが走る。


「あんなんで、あたしたち、守ってもらえるっちゃろか?」


 スタンの問いにブラは何も答えられない。


「わたしたち、これからどうなっていくんだろう」


 変わっていく村。表情を失くしていく大人たち。村の中を流れる風は、人の精神をカミソリのように削いでいくのであった。

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