鏖殺編
黒と白と黄色と
スナイル国の王とに少し変わった
行き交う人々はガラス越しに店内を見つめたり、オシャレに身を包み、胸を張り店内に入っていく。
日常と一線を画した洗練されたこの横町は、流行に機敏なる者、時代に背伸びをしたい者が足繁く場所である。また、この横町で購入した、食した事も一つのステータスとなる。
この横町で一等オシャレで若者に有名な喫茶店で、オリヴァ・グッツェーは窮屈そうに身を縮め道路に面した席に座っている。
四方は女ばかり。風通しの良い喫茶店で待ち惚けをするなど、苦行以外のなにものでもない。
店内にいる客は、オリヴァの顔を見ると皆一様に「ぎょっ」とした顔をしてチラチラと視線を送る。
「男一人。しかもあんな格好で、よくこのお店にいられるわよね」
口の悪い女性の小さな言葉が男の心をえぐっていく。
無理も無い、彼女が言うとおり、彼はこの場所で異質なのだ。
涙袋から顎にかけて白い仮面に覆われ、不自然に伸ばしている両サイドの黒髪を伸ばしている。
仮面の下には、人には見せられない生々しい傷跡、血の気を失ったブヨブヨとした白い肉がへばりついている。オリヴァの意思関係なく動くものだから余計に性質が悪い。
仮面で隠し、体裁を整えているのだが初めてオリヴァを見る者には異質の他何物でも無い。
オリヴァは時間を弄ぶよう、水の入ったグラスに口をつける。
「あっ。水飲んだ」
先ほどの女性が、仮面を外さず水を飲む姿に好奇の声を上げた。
脇に溜まる生暖かい汗を感じ、彼は相手を待つ。いや、待ち続けている。この水も三杯目だ。四杯目を注文せず帰るかと考えている頃、彼女はやってきた。
店員に二、三の言葉をかけると、オリヴァの方を向く。
「ごっめーん! 待った?」
彼女は彼の姿を見て走ることすらしない。いや、自分は時間通りにやってきたと言いたげである。
「ベル、お前な−−」
「ちょっとー。おりんりん席変わってよ。女性を道路に向かせるなんてどういう神経してるわけ?」
そういうや否や彼女はオリヴァが座っている椅子の足をガツンとつま先で蹴り上げた。
「お前、遅れてきてその態度はないだろう?」
「うるさいわねぇ。それがなんだっていうのよ。いいから席変わって。私、自分の顔をタダで周囲に振りまくほど安い女じゃないんだから」
そういうと彼女はもう一度椅子の足を蹴りオリヴァの席を移動させた。
「おりんりん、何なの? その服。この場所って知ってそんな格好してきたの?」
「何って……」
彼は自分の服を上から見下ろす。白いシャツに黒いズボン。シンプルで洒落っ気はみじんも無い。彼の私服はこれ以外存在しないのでは。と思わせるほどに味気ないものであった。
「何か悪いか?」
「悪いっていうか、休日よ。女性と一緒にお洒落なお店に行くっていうのに、もう少し考えたら?」
「いや、そういう女性なら多少考えるならお前は絶対に違う」
「何よそれ。結婚した仲じゃない」
「仕事で、だろう。それに離婚した関係だ」
ベルはプクゥと頬を膨らませ目で抗議をした。
「で、お前だってお洒落を考えたあげくにソレかよ」
かくいうベルは露出が少ないが、性格に似合わないレースの多く着いたパステルカラーの服を着ていた。ふわふわとフリルが着いた白いミニスカート。彼女に似合わないが、不思議とこの店にいる客層の女性も同じ格好をしている。
オリヴァは、彼女の姿を見てようやく彼女の格好が今の流行であることを知った。
「お前、似合ってないぞソレ。ゲテモノにレースとか――」
お洒落に興味の無い男には彼女の衣装は不評であった。お洒落に興味のない人間の批評など侮辱に等しいのだろう。彼女は「黙れ」とソールの厚い靴で彼のスネに鋭い一発をお見舞いした。
「すいませーん! 注文いいですか?」
トリトン村で大演技を披露した女は涼しげである。苦悶の表情を浮かべる男を尻目に、店員に手を上げて、この店の名物 円盤状の色つき砂糖菓子と果実水を注文した。
「ベル、自分が注文したものは自分で払えよ」
オリヴァは膝をさすりながら、遠くへ消えていく店員の背中を見つめた。
「は? 何言ってんの。ココはおりんりんのおごりでしょ? というか、おごりなさい。人に仕事を押し付けておいて」
「あぁ。お前に仕事を依頼したから奢ってやるつもりだった。だがな、お前なんで果実水とか高いものを注文するんだよ。人の金だと思いやがって」
「おりんりんこそ誰に向かって口聞いてるの? 私よ。ベルよ。私が人のおごりで安いものなんて頼むわけないじゃない。常識的に考えたらわかることをわざわざ口にしないでくれる? あなたの頭の悪さが露呈してるよ」
売り言葉に買い言葉。矢継ぎ早に返される言葉に、店内、横町を行き交う人々の視線が集まる。おまけに、オリヴァの白い仮面。彼らの視線は若い男女の痴話喧嘩ではなく、不出来な演劇を見る目と似ていた。刺さる視線に負け、オリヴァは小さく「わかった」と不承不承に折れ、椅子にもたれた。
だらりと下ろした手を彼女は確認すると、すかさず彼の向こう脛をもう一度蹴った。
二度目の攻撃。しかも同じ場所に対する蹴りに、オリヴァの声から声が漏れる。彼女に食ってかかるようににらみ付けた。その視線は彼女は不意に前屈みになって受け止めた。そして、「気付け」と言わんばかりに顎を下げた。
オリヴァが困惑した視線で答えると、膝に固い感触が当たった。再び彼女の顎が下がると、彼は片手で膝に当たっているものを受け取った。
視線を動かすと、彼は薄灰色の袋を手にしていた。
「それにしてもよかったー! 私たちの初デートがこーんな素敵な場所だなんて」
彼女は姿勢を正し、自分たちの関係を周囲の人たちに聞こえるようわざとらしく言った。人々の視線は二人から離れていく。人々はただの喧嘩に興味あるが、痴話喧嘩には興味ないのだ。
人々の視線が途切れたことを契機に、オリヴァは手にした袋を背中の後ろに隠した。
「おりんりん、あんたの予想少しあってるかもよ」
オリヴァがベルに頼んだこと。それは、獣の聖剣に関する星の剣を探すこと。イヴハップ王葬儀の際、闖入者が口にした「ケモノ セイケン セイケンノカゴ」
この国に存在しないと言われていた聖剣がトリトン村に存在した。それは、口伝として残されている。口伝によれば、聖剣は人の手によって折られてしまった。
世界を創ったと云われる聖剣への侮辱行為。
この所業をどう捉えるかは人それぞれである。だが、人ならざる所業を知らしめたい。と考えるのであれば、行き着く先は決まっている。星の剣に記すこと。
オリヴァは獣の聖剣とトリトン村の関係を調べるべく、ベルに王宮図剣館にある獣の聖剣に関する星の剣 トリトン村の歴史に関する星の剣を調べてほしいと依頼した。
彼女の返答により、彼は一つの感触を感じた。
「獣の聖剣について記された星の剣はいくつからある。けれども面白いことに、ある時より同じ作者が獣の聖剣 獣の聖剣の物語について記すようになったわ」
「誰だ? そいつは」
「……。トリトン村の町医者をしていたヘーグという男よ」
トリトン村の町医者。その単語一つでオリヴァの心が激しく揺れ動く。コンラッドが処刑された日立ち会わなかった、コンラッドに最も近い人物。理性的でどこか凶気じみた男であった。
「最近は獣の聖剣に記した星の剣は見ない。だけど、獣の聖剣に関する星の剣はヘーグが一番多く記しているのは間違いない」
「わかった。で、肝心の中身はどうなんだ」
ベルはわざとらしく肩をすくめた。
「私も全て読めたわけじゃない。ヘーグは獣の聖剣がいかに素晴らしいか。獣の聖剣の可能性を声高に述べているの。手を変え、品を変え。ま、唯一違うのは太陽の領主 マルト物語だったかな? 獣の聖剣に絡めてくるけれどアホ臭くて途中で読むのやめたわ」
手放しで獣の聖剣を褒め称える。何か一つ見落としているのでは? ぽっかりと不要に空いた謎を考える。大きな青虫が背中を這い上がる感触に彼の眉間に深い皺が寄った。運ばれてきた果実水をベルは愛らしい笑顔を振りまいて受け取った。グラスに口をつけることはなく、渋い顔をして考え込む男の姿を見つめている。
「ヘーグはなんで獣の聖剣ばかり記したんだろうね? ふっしぎー」
「それは、トリトン村の人間が聖剣を折ってしまったからだろ。聖剣に対して謝罪の意を込めて、獣の聖剣を賛美し、獣の聖剣の評価を上げようとしている。獣の聖剣に関する賛美・謝罪が形を変えてコトウの呪いに一部は派生した」
「あ、おりんりん。そこまで知ってたんだ」
「……。お前、カマかけたな」
ベルはコケティッシュに舌を出すと、果実水を一口飲んだ。
ヘーグが記した獣の聖剣の物語。そして乱入者が残した「ケダモノ ケダモノ ニオイ アリヤ」「ケモノノ セイケンノカゴ ツイゾソコニ」 この言葉。トリトン村に足を運んだことで、男の言葉が一つの線で結ばれつつある。
だが、考えれば考えるほどオリヴァは頭を抱えたくなる。何故、今、聖剣の影が伸び、この国に忍び寄るのか。影はどこから伸び、誰を飲もうとしているのか。彼の頭の中でハシムとキルクの顔が交互に浮かび上がる。二人の内、一人が飲まれる図を想起するだけで胸を掻きむしりたい思いであった。
ベルに「苦労をかけた」と労いの言葉をかけると気持ちを落ち着けるよう水を一口含んだ。
「ねぇ、おりんりん。ついでだから聞くけれど、あの村はあれからどうなったの?」
肘をつき、重ねた手甲に細い顎を乗せた。
オリヴァは目を伏せ、言っても差し支えない内容を口にした。
「新しい領主が配属された。先代の領主に子息がいたそうだが領主の椅子に座るには若すぎるらしい」
「へぇ、どこの貴族様かしらね。かわいそうに」
ベルはニヤニヤと嫌らしく笑って見せた。
排他主義・選民思想の塊である村人を束ねるのは容易なことでは無い。新しい暫定領主の選定は、トリトン村内部の者、とオリヴァはキルクに進言したかったが立場が許さなかった。
ハシムの筆頭侍従であるニクラスは「この目」で見た村の印象として統治には武力による畏怖が必要として、武官よりの貴族を派遣すべきだと声高に主張したらしい。多数派の主張に異議を唱える勇気ある者はいない。実際に見た者の意見は大切だ。との事で、武官よりの貴族が早々に派遣されたそうだ。
なお、コンラッドの子息は
そのような経緯があり、彼らが新しく与えられた領主を彼らが快く受け入れるわけがない。暫定領主の未来は混沌が約束されていた。
二人の口が再び閉ざされる。ベルは果実水を口に含むと「じゃぁ」と一言乗せて席を立つ。
注文主が立ち去った後、テーブルに運ばれたパステルカラーの焼き菓子。店主は憐れむような表情でオリヴァを見ると彼女と同じように背を向けた。
彼は、菓子をつまんだ。握れば潰れてしまいそうな繊細な菓子。多くの若い女性が魅了された菓子を物珍しそうに眺めて口に放り込む。
生々しい砂糖の甘さに慌てて水を口に含む。二度とこんなものを食べるか。という硬い誓いを顔にへばりついた彼女は「もっとよこせ」と強欲にねだるのであった。
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